変質者の犯罪

〜 一見、普通の市民 突発的、むずかしい捜査 〜
お間違いなく、昭和39年の記事です!!

 「どうも、頭が少しおかしいようだ」、東京地裁で裁判長が元被告に刺されたのは、つい最近のできごと。その日、丸の内暑の地下取調室から出てきた刑事が、そういった。「再審請求のことで、2、3回訪ねてきたが、相手にされないので、今日は裁判長をナワでしばって最高裁まで連れて行くつもりだってさ」
 調べ室をのぞくと、その男は無表情で胸を張っていた。ちゃんと背広も着ている。調べている刑事と、どっちが犯人かわからないほど落ち着いており、町の中にどこでも見かける中年の男だった。
 今年は、精神病者や変質者による犯罪が目立った。国家公安委員長が引責辞職したライシャワー大使殺傷事件、長男が弟を惨殺した三鷹市の女性検事一家の悲劇、東京・城西地区の人たちを震え上がらせた連続通り魔、練馬の娘さんを刺した通り魔殺人、そしにこんどの裁判長刺傷事件。他にもイライラ殺人とか、ムシャクシャしたから刺した、というのも多い。警視庁の統計でも刑法犯の20%は精神障害者の犯行だという。理由にならないような理由での犯罪。この1年、われわれはそんな事件に悩まされ、考えさせられてきた。
 城西地区の少年通り魔は26日つかまったが、昨年春の第一回犯行以来、実に2年近くかかった。ある被害者の母親は、下腹部を残酷に傷つけられた息子(12)の将来を思うと不安でたまらないという。「警察の問題というより、こういう変質者を野放しにしておく世の中全体の共同責任だという気がします」と訴える。
 この事件の警視庁捜査本部係長・秋葉警部は「20年近く捜査をやってきたが、こんな難しい事件ははじめてだった。学校へ捜査に行っても手ごたえがない。毎日生徒の顔を見ている先生がわからないのだからやりようがない。ふだんは何の変わりもない男が、瞬間的におかしくなるのだから見つけにくい。変質者犯罪はこれからの防犯、事件捜査の大きな問題だろう」
 今までの事件は、被害者とのカン(面識がある)の線から犯人が割れることが多かった。ところが変質者の場合は、行きずりとか巻き添えの犯行が多い。野放しの変質やとともに、事件捜査も大きな曲がり角にきているようだ。
 師走も押し迫ったある日。上野・不忍池のほとりにある都生活構成相談所の待合室。乳児を抱いた母親がションボリ立っている。「アル中の夫にたまりかねて家を飛び出してきたらしいですが、こんなケースはまだいいです。面と向かって話している途中で、いきなり素っ裸になって、腹巻きからキラリと短刀をとりだしてかかってくる男もありますよ」、町田武一相談係長は、そういって肩を落とした。
 相談所の窓ガラスは、しょっちゅうこわされるので、来年の予算で防弾ガラスに取り替えるという。「オリンピックを前に都内の浮浪者の一斉狩り込みをやって630人を補導したが、その半数は多少おかしかった連中だった。しかし鑑定の結果、精神病院に収容されたのは14人だけ。一時保護施設や養老院に入れられたのもあるが、あとは野放しですよ」と町田さんは困った表情。
 自分で取り扱ったケースで、鑑定医が「入院の必要なし」と太鼓判を押した男の名前を、何ヶ月かあとの新聞の社会面で、連続放火犯、殺人犯として見つけて、ギョッとしたこともしばしば。昨年夏、横浜の公園で小学校3年の女の子を殺した男も、実はその前にこの相談所で鑑定を受けたが、治療の必要ないと診断されて、野放しになっていたという。 都民生局の話では、精神安定剤、鎮静剤の売れ行きがふえているとう。大都会のストレスで、健康な人さえ薬を要求している。変質者か"危険な発病"にいたる機会はふえる一方だ。大使館や裁判所のトビラを堅くしても、町から精神病者や変質者は減らないだろう。野放しにしておいたら大変なことになる。今年の事件はそれを教えている。
 (1964年12月27日 朝日新聞夕刊引用)




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