昭和2年(1927).1.18〔小学校高等科1年がイジメ自殺〕
茨城県真壁郡の自宅で深夜1時、小学校高等科1年生(12)がカミソリで腹を切り、気づいた父親が医者を呼びに行っているあいだにさらに頸動脈を切って自殺した。足が悪いことを友人にからかわれたため。
昭和3年(1928).6.17〔中4(満17〜18歳)がいじめ自殺〕
香川県小豆島で、中学4年生(19)が首吊り自殺した。4月に転校してきた5年生が下級生をたびたび殴るので、同盟を組んで校長に投書しようと動いていたことが発覚し、殴られるのを恐れて寄宿舍を飛び出したもの。
昭和3年(1928).6.23〔小1(満6歳)ら2人が幼女に硫酸あびせる〕
東京市深川区鶴歩町で、小学1年生(7,8)2人が女の子(5)を材木倉庫に連れ込み、1人が押さえつけて、1人が消火用にビールビンに入れて倉庫に積んでいた硫酸を身体にかけて自宅に逃走した。泣き叫ぶ声を聞いて近所の人が病院に運んだが4週間の重傷。これまでもこの女の子に何度か暴力を振るっていたが、親同士の間に人が入って示談となっていた。女の子の父親は「子どものいたづらにしては度が過ぎる」と激怒。
昭和3年(1928).7.5〔17歳(満15〜16歳)がいじめ復讐のため毒殺を謀り無関係の老人殺害〕
広島県広島市の菓子製造業宅で、見習い(17)が夕食にアヒ酸を入れ、食べた主人一家4人と見習い4人が重傷となり、7.16に主人の父親(71)が死亡、食中毒として処理されていたが、8.31に家出して実家に帰ったため疑われ、9.20に自白した。2月に勤めはじめ、先輩(18)にいじめ続けられたため毒殺を謀ったもの。
昭和3年(1928).9.25〔21歳(満19〜20歳)が姑殺害未遂〕
兵庫県城崎郡の農家で、嫁(21)が姑(59)に殺鼠剤入りの柿を食べさせたが異味に吐き出したため腰紐で絞殺しようとしたが噛み付かれて失敗、大阪に逃走して自殺を図ったが死に切れずに9.27に逮捕された。昨年10月に結婚してから姑に虐待されて、復讐しようとしたもの。
昭和3年(1928).9.29〔女子(満10〜11歳)がいじめ復讐のため殺人未遂〕
東京府荏原郡世田谷町(現在の世田谷区)で、女子(12)が男子(8)を川に突き落としたが通行人に救助された。女子は数日後に補導されたが、説教だけですぐに帰された。生まれつきの聾唖者で、いじめれらていたので復讐のためにこれまでも同様の事件を繰り返していた。
昭和4年(1929).2.4〔小6がいじめ殺人〕
北海道上川郡の路上で、小学6年生男子が小学校高等科1年生(現在の中1に相当)女子(13)の肋骨を骨折させ、2.17に死亡させた。気の弱い女子は日頃から同級生や下級生からもいじめられており、そのため学校を休むこともあったが、親は「お前が意気地がないからだ」「先生に言いつければいい」と云って対策を取らなかった。下校時に小6生3人が「弱虫」といじめたが、女子が「いじめると姉さんに言いつけるわよ」と言い返したので「女のくせに生意気だぞ」と倒れた女子を強く蹴ったもの。学校は事件を隠蔽しマスコミの追及にも否認。親も泣き寝入り。
昭和5年(1930).5.9〔農業学校2年生がいじめで傷害〕
北海道旭川市の永山農業学校で、2年生多数が同級生(16)を胴上げして失神させた。同級生は一番年少で身体も小さかったため、21歳が先導していじめたもの。一度は帰宅したが顔が張れ上がって入院し重態となった。
昭和6年(1931).1.13〔高等小学校2年生(満13〜14歳)がイジメ復讐殺人〕
熊本県上益城郡の路上で、高等小学校2年生(15)が同級生(16)の顔や頭を肥後守でめった刺しにして殺害、もう1人の同級生(15)の脇腹を刺して重傷を負わせた。貧しい農家のため弁当を持ってこれないことをからかわれ、呼び出して謝るように迫ったがまたからかわれたためカッとしたもの。幼い兄弟5人の世話や畑仕事もやって両親を助けていた。
昭和6年(1931).5.12〔小2(満7〜8歳)がいじめ殺人〕
北海道樺戸郡の札的川で、小学2年生(9)が2年生女子(9)2人を突き落とし、1人を溺死させた。下校中に「川の水を飲まないといじめるぞ」と脅し、仕方がないので飲もうとした女子を背中から突き飛ばしたもの。加害者の父親が弔問にも来ないため遺族は怒って、日頃から女子に暴力を振るっているのを知っていたのに放任したのは監督不行届として慰謝料3千円、損害金228円88銭の訴訟を2ヶ月後に起こした。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和6年(1931)..〔小3がいじめ復讐 隆慶一郎『昭和六年のいじめられっ子』引用〕
小学校三年生のころ、私は今でいういじめられっ子だったと思う。昭和六年の昔だって、いじめられっ子はちゃんといた。(中略) 毎日しつこく絡む男の子がいて、まいった。見ぶるいする感じで、決闘するしかないと思った。だがけんかなんかしたことがないからやり方が分らない。(中略) 裸じめのかけ方を教えてくれた。今考えるとむちゃな青年である。(中略)
次の日、私はいじめっ子におずおずと決闘を申しこんだ。(中略) 裸じめが、がっちりかかった。(中略) おちて失神してしまった。私は彼を殺したと信じた。恐ろしくなってわあわあ泣いた。恐ろしかったのは罰ではなくて、人一人殺したという感覚だった。(中略) 弱い者はむちゃをするからこわいという思考だ。虫をこわがる者は残酷に殺す。相手が強ければわら人形に五寸くぎを打つ。
隆慶一郎『昭和六年のいじめられっ子』(
『時代小説の愉しみ』収録)
昭和7年(1932).5.20〔小学校高等科1,2年(満12〜14歳)50人のファッショ党「大東X団」〕
山梨県北都留郡の小学校高等科(現在の中学に相当)で、1,2年生50人が「大東X団」を結成して横暴な生徒などに集団でリンチを加えていたことが発覚した。右翼テロ事件続発に影響を受け、服の裏に骸骨のマークを付け、階級によって色を定めていた。
昭和8年(1933).4.19〔小1(満6〜7歳)がからかわれてナイフで殺人未遂〕
兵庫県城崎郡の小学校で、小学1年生(8)が4年生(11)の腹を手工用ナイフで刺して重体とした。小1なのに体重が50キロもある肥満児で、日頃からデブデブとからかわれており、友達もおらず1人で校庭で遊んでいたが、4年生にデブ君デブ君と云われたためカッとしたもの。
昭和9年(1934).11.21〔小3ら3人が同級生を火炙り殺人未遂〕
北海道網走郡で、小学3年生3人が下校中に同級生を松林に連れ込んで裸にして木に縛りつけ、火あぶりにしようとしているところを教師に見つかった。授業中に筆を貸さなかったため殺そうと計画して友人2人に手伝わせたもの。
昭和14年(1939).9.27〔父子で投石、息子死亡〕※参考
群馬県碓氷郡の自宅で、長男(25)が弟(17)をいつもいじめていることを父親(59)が叱ったためケンカとなり、河原で石を投げてぶつけあい、長男は死亡、父親もケガを負って逮捕された。長男は元日本共産党オルグだった。
昭和19年(1944)..〔小5のいじめを描いた小説『長い道』〕
富山県下新川郡の小学校で、芥川賞作家の柏原兵三が小学5年生(満11歳)の時に疎開し、同級生たちから無視やからかい、リンチなどの激しいいじめを連日受けた。優等生で大人たちから評判のいい級長がリーダーとなって、いじめの指揮をしていた。いじめは疎開してきた余所者に対してだけではなく、級長が気に入らない相手に向けられ、怯えた級友は貢ぎ物をするなど媚びへつらっていたが、やがて級長もリンチやいじめを受けるようになる。
柏原兵三は
『長い道』で、事実に忠実に小説化している。藤子不二雄Aが
『少年時代』というタイトルでマンガ化、同タイトルで
映画化もされた。
昭和21年(1946).3.27〔中4(満16〜17歳)が上級生に復讐殺人〕
秋田県平鹿郡の空地で、中学4年生(18)が5年生(17)の心臓をナイフで刺して殺害、自宅に逃走してネコイラズを飲んで自殺を図ったが命は取り留めた。5年生の半数は予科練などの軍隊帰りで、下級生に対して軍隊調の制裁を日頃から加えており、この日の卒業式でも棍棒で別れのビンタをしたため恨んだ4年生20人以上が卒業生5人を呼び出して仕返ししようとしたもの。5年生たちは学校外でも暴力事件を繰り返し、煙草も平気で吸っていたが、教師は軍隊帰りということで放置していた。
昭和23年(1948).7.30〔19歳女子(満17〜18歳)ら売春婦7人がリンチ殺人〕
大阪府大阪市の病院で、娼婦(19)ら7人が同僚(28)をリンチして死亡させて8.3に逮捕された。売春で全員逮捕されて強制入院させられていたが、被害者は人の外出許可証で逃走したり、熱を出して腹をこわしていたため疎まれ、手足を縛られ棒で殴られたり水を掛けられたりするリンチを2日間も受けていた。
昭和24年(1949).3.5〔小6女子(満12〜13歳)が裸リンチ〕
福島県東白川郡で、小学6年生女子(14)が手下12人の女子を従えて、同級生女子2人を裏山に連れて行き歌や踊りをさせて、雨の中で全裸にして荒縄で手足を縛り、ホウキで殴ったり崖から突き落としたり、7人が小便をかけたりして暴行を加え仮死状態にした。リーダーの名前をつけた「○○一家」と名乗り、同級生を脅したりビー玉の賭け事をさせて金を1万円も巻き上げマンガ本やお菓子を買っていた。逆らう女子には集団で殴る蹴るのリンチを繰り返しており、家の金を盗んで上納していた者もいた。この年の銀行員大卒初任給3千円。
リーダーはクラス一番の成績で美人、奈良県から一家7人で疎開してきた中流家庭で、少女小説、探偵小説、マンガなどを読み耽る読書家、またお産のマネをするなどませていた。父親は「私の娘が同級の者といっしょにやったことは確かだが親分気取りで命令していたとは絶対無いと思う」と語る。13人を暴行恐喝容疑で家庭裁判所へ書類送致。
昭和24年(1949).3.10〔高2(満17〜18歳)ら14人組が集団リンチ〕
福島県田村郡で、農業高校2年生(19)14人が同級生(21)を神社に連れ出して殴る蹴るのリンチを加えて1週間の傷害を負わせて逃走、身柄不拘束のまま警察が取り調べて家庭裁判所へ書類送致。2.18に1年生(19)にリンチを加えたことを被害者が教師に告げて停学になったため、復讐を謀ったもの。
昭和25年(1950).2.3〔高3ら10数人が集団リンチ〕
兵庫県伊丹市の県立伊丹高校で、3年生(17)ら10数人が学校自治委員の2年生(16)をラケットで殴って、翌日も吊し上げた。野球部員の3年生ら4人が煙草の常飲者として警察に取り調べられたのを、この2年生が密告したためと思い、「貴様の行為は売校的行為だ。責任をとれ」と責め立てたもの。2年生は「死をもってあかしを立てる。上級生のボスの目に余る行為は学校当局も知りながら放任している。これを機会に安心して勉強出来る学校になることを確信する」と遺書を書いてアドルム自殺を図ったが命を取り留めた。2.6に生徒たちは集会を開き、加害者の寛大なる処置と、教師の責任追及を決議。学校は4人を無期停学とし、警察も2年生は密告していないという説明会を生徒に対して開いたが、学校は隠蔽して教師の責任もはっきりさせないので、父兄会で問題化した。
昭和26年(1951).1.12〔中2が幼女を踏み殺す〕
山形県東置賜郡で、中学2年生(14)が隣家の女の子(4)を殺害して逮捕された。昨年11月にこの家の同級生(14)と遊ぼうとやってきて妹の女の子に話しかけたが返事がないので殴った。口止めしたのに女の子が母親に告げ口したので怒って、12月に殴る蹴るの乱暴を加えて傷を負わせた。女の子の母親が自分の母親に抗議したのでますます怒り、柔道の技を掛けたり踏みつけたりして意識不明にし、同級生に自分がやったことにして病院に連れて行けと命令して逃走したもの。直後に女の子は死亡した。
父親は亡くなっており、母親は女中として働いている妹と二人兄弟の貧しい家庭で放任され、学友らにリンチを加えて金を脅し取ってパチンコに熱中しており、同級生もいじめられるのが怖くて云いなりになっていた。被害者も母子だけの貧しい家庭だった。
昭和26年(1951).4.24〔19歳がいじめの復讐で殺害される〕
長野県中込町の千曲川堤防で、農業(21)が土木作業員(19)を殺害して川に死体を遺棄、6.10に逮捕された。被害者は愚連隊「流れ星団」のリーダー。農業男は2年前に路上でからまれて殴られてから命令を受けるようになり、たびたび金品を奪われていた。この日もこき使われたうえに金を要求されたため、カナヅチで殴って腕時計や現金を奪って、生き返らないように川に放り投げたもの。懲役15年。
昭和26年(1951).5.17〔中学生が金を要求され友人宅に放火〕
埼玉県熊谷市で、中学生が友人の家に放火して全焼させ、5.25に逮捕された。5.1、5.15、5.19にも友人宅に放火して未遂となっていた。みなで見つけた雀の巣を取ったり見たりしたら50円の罰金という約束をしていたが、雀が来なくなったのはお前のせいだと金を何度も請求されていたため。
昭和26年(1951).12.7〔19歳ニートがいじめ復讐殺人〕
山形県西村山郡の路上で夜11時、少年(19)が友人(19)を殺害、死体を川に投げ込んで逃走、12.13に逮捕された。小学校の同級生でいじめられ、卒業してからも殴られたり首を絞められたりしており、特に「肺病野郎」と2回嘲笑されたことで怨み、たまたま映画館で見かけたので自宅からカナヅチと小刀を持ち出して復讐したもの。
中流農家の長男で、祖父母、母、妹の五人家族。おとなしい性格で成績は普通、高等小学校を出てから農業をしていたが、3年前に女性を襲って2千円を強奪して強姦しようとして逮捕され、2年前に結核になってからは人付き合いもせず閉じ籠もって仕事もほとんどしていなかった。友人は東京で就職して金回りがよかったことも妬んでいた。
昭和27年(1952).3.2〔16歳が注意を恨んで刺殺〕
東京都北区で中学1年生が近所の少年(16)に刺し殺された。以前、この少年がイジメをしていたので中学1年生が注意したのを恨んで仕返ししたもの。
昭和27年(1952).11.2〔小学生がいじめでブラジルに帰る〕
奈良県礒城郡の小学校で、長女(13)がいじめを受けたため、ブラジルに帰った一家がいた。25年間ブラジルに住んでいたが日本の教育を受けさせようと去年10月に帰国、「ブラジルの子」「インデアン」といじめられた。
母親(50)談「あちらにいた頃はあこがれていた故国でしたが、日本の島国根性には全くあきれました、小学校の級友から「馬になれ」「豚の鳴き声をいって見ろ」といじめられている娘の姿を見ていたためれなくなり、ブラジルに骨を埋めるつもりでもう一度行きます」(談話は大阪読売新聞阪神版引用)。
昭和27年(1952).11.24〔小6ら数人が同級生を列車殺人未遂〕
宮崎県都城市で、小学6年生数人が同級生(11)の両手を縛って線路に転がしたが、列車通過の10分前に近所の人が見つけて救助した。同級生が「あいつは手癖が悪い」と悪口を云ったのでカッとしたもの。
昭和28年(1953).7.16〔中1がいじめ恐喝〕
東京都北多摩郡小平町で、中学1年生が恐喝容疑で児童相談所に書類送検された。同級生1人を仲間はずれにして殴ると脅して12回に渡って現金2万2千円とグローブや双眼鏡を盗り、他の3人からも現金7千円などを脅し盗って映画代や買い食いに使っていた。この年の大卒銀行員初任給5,600円。
昭和29年(1954).7.7〔高3が家出して警視庁で飛び降り自殺〕
東京都の警視庁で、島根県益田市から家出してきた高校3年生(18)が自分でやって来て少年課に保護されたが、巡査の眼の前で5階の窓から飛び降り自殺した。学校で生徒同士のリンチ事件が起き、学校と生徒が対立して委員会議長になったが調停がうまくいかず悩んでいた。
昭和29年(1954).11.9〔父親がいじめ仕返しで教室乱入〕※参考
青森県三戸郡の小学校で、地主が授業中の教室に押し入り、2年生男子(8)を平手で殴って椅子を振り上げて追いかけ回した。長女(8)がこの男子にいじめられたと泣いて帰ったため復讐したもの。大地主で、男子の父親は農地改正までこの地主の小作であり、校長が内密に済ませようとしたのを「地主との馴れ合いだ」とPTAや青年団が反発し、村民大会で校長辞職を決議した。
昭和30年(1955).1.12〔中3ら6人が窃盗と集団リンチ〕
新潟県新潟市で、中学3年生(16)ら中学生6人組が窃盗で逮捕された。昨年10月から靴屋でバスケットシューズなど10足を盗んでいた。ほとんどが中流以上の家庭で放任されており、スリルを求めた犯行。同級生や下級生20人以上をトイレなどに連れ込んで集団リンチも加えていた。
昭和30年(1955).1.22〔小5が大金恐喝〕
栃木県河内郡で、小学5年生(11)が恐喝で捕まった。去年10月から同級生10人以上を脅して一回千円から4千円を要求、被害者は殴られるのを恐れて家から盗んで渡していた。判明しているだけで総額4万円の被害で、飲み食いに使っていた。中流農家で金には困っておらず、両親もそろっており、4人兄弟の長男。この年の大卒銀行員初任給5,600円であるから、4万円はいまの150万円ほど。10月に同級生から千円を脅し盗ったことが発覚し、担任と教頭が特に注意して毎日指導していたが、その目を盗んでの犯行だった。
昭和30年(1955).3.20〔21歳が少年殺害〕※参考
東京都葛飾区の工場で、無職(21)が小学2年生(8)を絞殺し、3.22に死体が発見されて逮捕された。甥(4)がいつもいじめられているので、復讐のため映画に連れて行った帰りに殺害したと自供。茨城県猿島郡の農家の4男で病的性格の精薄児として入院歴があり、子供の頃から動物や小鳥を包丁で切るなどしており、4人の男の子(9〜13)の首を絞めて猥褻行為をする殺人未遂も犯していた。精神薄弱で不起訴、精神病院に入れられ昭和38年6月に退院した。
昭和45年9.26に、36歳になった男は葛飾区の空き地で、小学5年生の男の子(10)を絞殺してから猥褻行為をした。10.3に腐乱死体が発見され、10.20に逮捕。男の子の父親の知り合いで犯行の日にも家に行って男の子と遊んでいた。父親に冷たくされたので復讐したもの。「首を絞めて子供が苦しむのに快感を覚えた」とも話す。誘拐殺人で懲役12年となった。
昭和58年11.17に、49歳になった男は葛飾区の神社で、小学6年生の男の子(12)の首を絞めてから蹴飛ばしたが死んだふりをすると去ったので男の子は家に逃げ帰り、男はすぐに逮捕された。10.30に刑務所から出たが職につけずに賽銭泥棒で暮らしており、「2日前から何も食べていないのでムシャクシャして殺そうとした」と自供。染色体異常による知能障害と異常性格で心神耗弱だったと、東京地裁は殺人未遂で懲役6年の判決。
昭和30年(1955).3.24〔小6ら男女5人が嫉妬して集団リンチ〕
宮城県登米郡で、小学6年生5人(うち女子1人)が下校中の同級生女子(11)を待ち伏せて殴る蹴るの暴行を加え、脳震とうを起させた。被害者の両親が村の有力者で、たびたび学校を訪れ、教師から優遇されていることを妬んでやったと自供。4.12に警察は児童相談所へ報告。
昭和30年(1955).5.6〔17歳が幼女を誘拐レイプ殺人 三枝子ちゃん殺し〕
静岡県小笠原郡で、無職(17)が登校途中の農家の二女の小学2年生(8)を自転車で誘拐、1日中連れ廻して浜松の中学校でレイプしたのち夜を明かし、翌日河原でもレイプして荒縄で絞殺、生き返らないように口と鼻に砂利を詰めてから埋めた。誘拐事件として捜索していた警察に殺害直後に逮捕される。
農家の次男で中卒後に就職したがすぐに辞めてぶらぶらしており、家出して2回自殺未遂を起こしている。人に笑われるからと中学もあまり行っていなかった。友達はおらず、読書と映画が趣味。小学生の時に女の子の兄にいじめられた復讐だと自供。逮捕されても父親(43)は「凶暴性はなくみなさんが心配するようなことはないと思う」と語る。
昭和30年(1955).5.6〔小6数人が修学旅行に行かせないため集団お灸リンチ〕
新潟県西頸城郡の小学校で、6年生数人が5.6と翌日の二回に渡って同級生の手足を押さえ、モグサに虫眼鏡で火を付け、頭部など16ヶ所に火傷を負わせた。風呂に入ったため化膿して全治2週間。被害者は黙っていたが、5.8に痛みを訴えたため発覚した。学校の規則を破ってあぜ道を歩いたため、金沢への修学旅行に行かせないようにしようとリンチしたもの。
昭和30年(1955).5.20〔小4が同級生を里子といじめる〕
山梨県甲府市の小学校で、4年生(11)が同級生から「親のない子」「里子」とからかわれ、カバンや消しゴムを隠され返してもらえなかったり、鉛筆を真ん中から折られたりのいじめを連日受けた。3月に里子となってこの学校に転校していた。この子が作文に書いたため里親が知って教育委員会を通じて校長に抗議、初めて問題化した。担任教師(24)は日教組青年部長として日教組大会に出席のため5.16から不在。
昭和30年(1955).10.25〔小3ら兄弟が弟を死なせる〕
宮城県伊具郡で、中学1年生(13)と弟の小学三年生(9)、兄の友人の中学1年生(13)ら3人が小学一年生(6)を殺害した。貧しい農家の五男と六男で、父親の後妻の連れ子である小1とは日頃から仲が悪く、荒縄で躯を縛って木に吊して竹ざおで殴った。そのまま放置して一時間後に戻ったら縄が首を絞めて死んでいた。一度帰宅したが怖くなって転落死したように見せかけるため死体を150メートル運んで崖下に突き落とし、翌日に小三が死体を発見したと親に告げたが警察に追及されて自白したもの。縄を隠し、アリバイも打ち合わせていた。児童相談所通告。
昭和30年(1955).11.22〔小6十数人が集団リンチ〕
山形県山形市の山形大学教育学部付属小学校で、6年生十数名が同級生(12)1人を集団で殴り、倒れたところにのし掛かったため腕の骨にヒビを入れた。被害児童は一人っ子のため協調性がなく、日頃から反感を持たれており、授業中にケンカしたことから前日も数名にいじめられていた。
昭和31年(1956).1.14〔中1が妹殴り殺す〕
北海道札幌郡の自宅で、中学1年生(13)が妹(3)の頭を殴って脳挫傷で殺し、傷害致死容疑で身体不拘束のまま取り調べ。午前11時に寝ている妹を、起きるのが遅いと拳で殴ったもの。父親は北海道職員。母子で先妻の子である女の子を水風呂につけたり、棒で殴ったりと、虐待を繰り返していた。
昭和31年(1956).8.6〔浪商野球部とボクシング部が不祥事〕
大阪府大阪市東淀川区の淀川堤防で、浪華商高のボクシング部員4人が歩いていて、そのうちの国体選手1人が女性(20)に抱きつきレイプしようとしたとして逮捕されたが、レイプではなく通常の暴行罪で送検された。ボクシング部は国体出場を辞退。同校では野球部でリンチ事件が起こり、高野連から1年間の出場禁止処分が出たばかりだった。
昭和32年(1957).4.30〔高3ら野球部員が集団リンチ〕
東京都江戸川区の私立関東商工高等学校で夜7時、野球部の3年生(18)らが休日の練習をさぼった1年生5人を詰問すると退部したいと云い出したので怒り、別の1年生数人に次々バットでお尻を殴らせた。殴り方が悪いと、殴り役の1年生もさらに殴った。1年生(16)ひとりは高熱が出て入院二週間。野球部長が加害者を処分するので内密にして欲しいと被害者父兄に頼んで了承されたが口頭注意だけで処置はされず、父兄が騒ぎ出し、警察は傷害容疑で20人を書類送検。学校は野球部を解散させた。
昭和32年(1957).12.11〔19歳が同僚2人を殺人未遂〕
東京都北区の洋品店で、住み込み店員(19)が、同僚(25,17)2人をナタと包丁で切って1人重体とし、自分の腹を刺して3週間のケガを負った。新入りなのでいじめられ、復讐のため殺害して自殺するつもりだったと自供。
昭和33年(1958).1.11〔中3が教師の眼の前でリンチ〕
東京都足立区の中学校で、3年生不良グループ11人が隣の教室に押し入り、教師の制止も聞かず対立グループ5人を木刀等で暴行、重傷を負わせ、通報で駆け付けた警官に捕まった。これまでも生徒をリンチしたり、教師を蹴飛ばしたりしていた。
昭和33年(1958).1.13〔中3が教師を殴る〕
東京都府中市の中学校で、3年生(18)が職員室に押し入り、「気に喰わぬ奴だ」と教師(30)の顔を何度も殴った。英語の授業中に校庭で遊んでいて注意され、怨んだもの。躯が弱く、素行も不良なので特別教育施設に入っていたが、4年遅れで中学に入学、不良グループのリーダーとなって、教師へのいたずらや同級生への暴力などを繰り返していた。無期停学処分。
昭和33年(1958).3.10〔高3がナイフで刺殺〕
福岡県で、高校3年生(17)が少年(18)の胸と腹をナイフで刺して殺害、傷害致死で逮捕された。たびたび金を脅し盗られ、怨んで復讐するためにナイフ二本を用意してから呼び出したもの。父親は元町会議員で映画館を経営、母親は旅館を経営する裕福な町の有力者で、甘やかされていた。減刑運動のため市会議員や警察に手を回し、裁判官の自宅にまで手土産を持って嘆願に押しかけたが、被害者には謝罪や賠償もしなかった。名古屋市の学校に転校して一人暮らしをしていたが、11.30に神社で狩猟のために空気銃を持っているところを逮捕された。保護観察処分。※福岡家裁決定書の記述による。
昭和33年(1958).5.8〔明大空手部が集団リンチ〕
東京都杉並区の明治大学で、1年生(18)が空手部を退部しようとして、10人以上の部員に1時間に渡ってリンチを受け、髪を切られた。大学は空手部を解散させた。
昭和33年(1958).7.7〔中3ら3人が下級生をリンチ殺人〕
広島県呉市の埋め立て地で、中学3年生(14)3人が2年生(13)に殴る蹴るの暴行を加えて殺害、傷害致死で逮捕された。生意気だとリンチしたもの。これまでもたびたび殴っていた。
教師とPTA代表は「逮捕は行過ぎだ。事件処理は在宅捜査でできるはず」と警察署員に詰寄ったが、被害者の母親と地元の人たちが興奮しているので、いま帰宅させるとまずいから保護留置すると警察は説明、学校側も納得して引き上げた。
昭和33年(1958).10.25〔16歳が少年院でいじめ復讐〕
宮城県仙台市の中等少年院で、院生(16)が同僚院生(17)の顔をナタで殴って2週間の傷害を負わせて逮捕された。窃盗で6月に少年院に入ったが、17歳にいじめられて暴行を繰り返されており、復讐のために竹工実習中に実習道具のナタを使ったもの。
15日間の謹慎の後に寮に戻ると、これまで17歳とともにいじめていた18歳がさらに虐待するので、12.1に復讐のためトイレに呼び出しデッキブラシで顔を2回殴って眼に2ヶ月の重傷を負わせた。
仙台家庭裁判所は、少年院処遇はもはや不適で刑事処分相当として検察送致決定。
昭和33年(1958).11.12〔17歳が強盗殺人〕
東京都港区の路上で、大工手伝い(17)が女性(32)のハンドバックを奪って逃走、女性の「泥棒、泥棒」という叫び声を聞きつけた通行人男性(21)が追い掛けて格闘となり、顔や首をナイフでめった切りにして殺害、血まみれのまま交番の前を歩いていて逮捕された。知能は高く学校の成績も良かったが切れやすい性格で、下級生や弟を殴っていじめ、小学生の時にはパトカーに投石して窓ガラスを割ったこともあった。中卒後は父親の仕事を手伝っており、家計は苦しくなく、こずかいも足りていた。
昭和33年(1958).11.26〔中3が教師を襲う〕
鹿児島県鹿児島市の中学校で、3年生(15)3人が教師を薪で殴ろうとして、用務員の通報で駆け付けた警察に逮捕された。同級生や下級生の特に女生徒多数をいじめて金を巻き上げており、11.15から自宅謹慎として3人を引き離すためバラバラに転校させる手続きをしていた。前日も学校に押しかけ、「三人一緒に学校に行きたい」「早く感化院へ送れ」などと何時間も教師を脅したが、この日に父兄を交えて話し合っているところを襲撃したもの。リーダーは中流サラリーマンの三人兄弟の末っ子。財産家出身の母親は躾に厳格で、反抗して外泊などしていた。家裁は不処分決定。
教師談「非行少年というほどではないようです。ちょっとイタズラがすぎたのではないでしょうか」
校長談「暴力というのではなくて強い反抗というところです」
金を脅し盗られた2年生男子談「便所にいくとグループの人たちがいるので、みんな隣りの小学校までいっていた」
談話は南日本新聞引用。
昭和33年(1958).12.23〔中2ら2人がいじめ仕返しのため教室で刺殺〕
福島県会津若松市の中学校で、2年生(13,14)2人が休み時間に別のクラスの教室に押し入り、いきなり2年生(14)を14歳が腹と右胸を、13歳が左胸を同時に登山ナイフで刺して殺害した。13歳は中学教師の長男で学年10番の成績、14歳も成績は良かった。被害者は柔道の選手で力が強く、子分を引き連れ日頃からこの2人を殴っており、教師にいじめられていると相談しても何の対応も取ってくれないので、復讐の計画を立てたもの。もう1人殺すつもりだったが隙がなく刺せなかったという。取り調べにも「別に悪いことをしたとは思っていない」と平然と答える。
昭和33年(1958).12.16〔小6が教師をパチンコで撃つ〕
三重県鈴鹿市の小学校で、6年生(12)がパチンコで消しゴムを撃って女性教師(34)の目に当て、一時は失明の可能性があったが視力低下だけで済んだ。テスト中に用紙を放り出して放棄したので教師が注意するとカッとしたもの。父親は中学教師。凶器を持ち歩いたり、下級生をいじめたりしていた。
昭和34年(1959).1.12〔小6が引き籠もってガス自殺〕
兵庫県神戸市の自宅で、小学6年生(12)がガス自殺した。両親が3年前に病死して姉に育てられていた。友達がおらず、「不良がいじめる」と11月から学校に行っていなかったが、昼間働いている姉は気づいていなかった。
昭和34年(1959).3.25〔高3が下級生から大金脅し盗る〕
福岡県福岡市で、元高校生(19)が恐喝容疑で取り調べ。高校3年生だった昨年9月から、裕福で気の弱い下級生を脅して金を50回巻き上げ、昨年末にはまとまった金を持って来いと20万円を持ち出させたもの。この年の大卒銀行員初任給15,000円。
昭和34年(1959).5.29〔小6がいじめを叱られ自殺〕
熊本県天草郡の小学校で、6年生(12)が自殺した。下級生にたびたびリンチを加えており、この日も5年生10数人を殴ったので、5年生担任の教師が「父親と相談するから学校に呼んで来い」と叱っていた。この教師に当てた「すみません」という遺書を残し、体育館運動具倉庫で首を吊ったもの。
昭和34年(1959).12.4〔15歳ニートがいじめ自殺〕
東京都北多摩郡田無町(現在の田無市)の自宅で、少年(15)がガス自殺した。中学の時に地元の未成年不良グループに無理やり加入させられ、抜けようとすると暴力を振るわれたが、教師などが不良と掛け合い脱退して私立高校に進学した。しかし、またこのグループに登校中に付きまとわれるようになって学校に行かなくなり退学、父親の経営する会社に勤めたが、家に引き籠もるようになっていた。
昭和35年(1960).2.23〔中学校で211件の暴力事件〕
京都府京都市の私立中学校で、去年の9月から5ヶ月で211件の暴力事件が摘発された。理由もなく1人の生徒を大勢で取り囲んで殴る蹴るの暴力をふるう暴行が143件、恐喝17件、窃盗3件、傷害3件、暴力行為45件、教師の生徒に対する傷害4件、暴力事件10件にも上った。生徒が恐怖のため登校を嫌がるようになり発覚した。
昭和35年(1960).3.14〔中3が卒業送別会で殺人〕
東京都品川区の中学校で、3年生(15)が別のクラスの3年生(15)の胸をナイフで刺して殺害した。被害者に以前脅されたことを恨んでおり、卒業送別会で復讐したもの。
昭和35年(1960).4.7〔14歳ら54人の少年ヤクザグループ「神風連」〕
東京都新宿区四谷で、中高生ら14〜19歳の少年54人の「神風連」が逮捕された。暴力団をバックに昨年末に結成、母校の中学生などを相手に暴行傷害11件、窃盗14件、恐喝23件を働いていた。
昭和35年(1960).4.7〔高3が修学旅行で同級生殺害〕
京都府京都市の旅館で、修学旅行に来ていた長野県立高校の3年生が同級生(17)の頭を蹴り脳内出血で死亡させた。うるさいと隣室からやって来て、寝ている高3生に暴行を働いたもの。
昭和35年(1960).4.28〔高3の10数人が退学撤回求め校長に集団暴行〕
埼玉県秩父市の県立高校で、3年生10数人が校長室に殴り込み、校長と4人の教師を石入りのハンカチで殴ったり椅子を投げつけたりして10日のケガを負わせた。他校生や下級生に暴行を働いたため3年生4人が前日に退学となったが、撤回を要求したもの。
昭和35年(1960)〔教諭に対する反抗から 「奈良県犯罪統計書」昭和35年版 引用〕
○中学校2年生のA少年は校内陸上競技大会を参観中、競のことから同級生と口論して、女教諭に注意されたこと立腹し、やにわに手拳で同女の顔面を数回殴打したもの。
○中学校3年生のA、B少年は、受持教諭から乱暴をはたらくなと注意されたので立腹し、同教諭を職員室から呼び出し、教室前の廊下で胸倉をつかみ、金火箸などで腹部を突く暴行を行ないさらに同級生のC少年を自宅がら呼び出し殴ったので、びっくりした同生徒は、学校の宿直室へ助けを求めに行き、宿直教諭に事情を話した。これを聞いた同敦諭は、少年の後を追ってきたA、B少年に注意したところ、A、Bは同教諭に対し、花びんを投げつけるなどの暴行を行なったもの。
(奈良県警本部「奈良県犯罪統計書」昭和35年版 引用)
昭和36年(1961).1.29〔19歳がいじめの仕返しに殺害〕
群馬県前橋市で、少年(19)が定時制高校生(18)をナイフで刺して殺害、自首してきた。弟分が高校生にいじめられた復讐をしたもの。
昭和36年(1961).1.31〔中3番長が学校で暴れる〕
東京都足立区の中学校で、3年生(15)が椅子を振り回して暴れ回り、教師を殴って1週間のケガを負わせた。10人以上の手下を従えた番長で、生徒から金を巻き上げて暴力団の先輩に上納していた。次期番長への権力委譲で手下と揉めているのを教師に叱られ恨んだもの。
昭和36年(1961).3.2〔16歳がいじめ復讐毒殺〕
愛知県宝飯郡の県立職業訓練所の寮で、機械科訓練生(16)が蜂蜜ミルクに農薬を入れ、飲んだ訓練生(16)が死亡、3.4に警察に追及されて自白した。無口でおとなしいことから訓練生たちに日頃いじめられ、金をせびられたり持ち物を盗られたりして怨んでおり、復讐を謀ったもの。
昭和36年(1961).4.3〔小6が電車に飛び込み自殺〕
兵庫県西宮市の阪神電車踏切で、小学6年生(11)が飛び込み自殺した。内向的な性格、高一の長男がボクシングの相手にしていじめるので「兄のいうことばかりきくのはいや」という書き置きを残して家出、一時間後に帰宅しようとしたが、すでに捜索願が出されて近所の人たちが大騒ぎして探しているのを見てショックを受け自殺したものと警察では見ている。
昭和36年(1961).4.26〔小3がいじめの腹いせに放火〕
東京都江東区の銭湯が放火され、小学3年生(8)が捕まった。いじめを受けていたが教師も見て見ぬふりをするため学校にはあまり行っていなかった。「学校も家もつまらないので火を付けた」と話す。
昭和36年(1961).10.13〔中1がいじめにムシャクシャして放火〕
兵庫県洲本市の中学1年生(13)が放火して小学校が全焼、中学校はボヤだけだった。自分で通報して怪しまれて翌日捕まった。いじめを受けてむしゃくしゃしていた。
昭和37年(1962).1.24〔高2が学校で因縁付けて殺人〕
神奈川県横浜市の私立高校で、2年生(16)が別のクラスの2年生(16)を殺害した。「服装や歩き方が生意気だ」と腹を殴ったもの。傷害致死で逮捕。
昭和37年(1962).3.21〔教師への暴力、日常化 中学生 読売新聞毎日新聞引用〕
警視庁がまとめた少年犯罪統計によると、
▽階層別―学生・生徒46%、職業少年76%、無職少年15%。学生・生徒の内訳は、半数が中学生、次いで小学生20%、高校生17%。生徒1000人あたりの犯罪者率は中学生8.3人、高校生6.1人、小学生3.4人。
▽罪種―放火、暴行、脅迫、恐喝と暴力的傾向が増加。学生・生徒の暴力犯罪で多いのは集団リンチ、教師に対する暴力、学校内での生徒間の暴力。いずれも31年時に比べて5、6倍。教師への暴力など、かつては卒業式前後に限られていたが、今では日常的。
▽地域別―東京、神奈川、滋賀、京都、大阪、兵庫など大都市で増加しているが、群馬、岡山、山口などの地方都市でも急増。
学校を中心とした不良グループで、一番タチが悪いのが番長グループ。いくつかの学校が連合して総番長をつくり、地元の愚連隊と結びついている。幹部を補導しても、すぐ新しい幹部を選び出し、補導に手をやく。
(読売新聞3・21夕刊)
山梨県では16の高校で番長制がひかれ、番長会議で各校への割当金を決定、配下の少年をつかい、生徒たちから強制的に金をまき上げ、甲府市のグレン隊がその金をとり上げていた。昨年1年間で、番長グループがまき上げた金は5万円にのぼる。
(毎日新聞3・23)
昭和37年(1962).4.26〔中2が馬鹿にした友人殺害〕
埼玉県比企郡の農家で、中学2年生(13)が同級生(13)を殺害、補導された。中2生は牛乳配達のアルバイトをしており、新聞配達のアルバイトをしている被害者に「お前は3百円しか給料がもらえない」と馬鹿にされて蹴飛ばされた。復讐のため下校時に待ち伏せて自宅の物置に連れ込みカナヅチで殴ったもの。
昭和37年(1962).5.12〔19歳大学生が応援団の入団勧誘を恐れて自殺〕
京都府京都市の京阪京都線の無人踏切で、近畿大学商経学部1年生(19)が飛び込み自殺。「学校へ行くのが嫌だ。応援団が怖い。無理やり入部届を書かされ、指印まで押させられた。学校には民主主義は無く、ヤクザのようだ」との遺書が残されていた。
昭和37年(1962).9.26〔16歳運転手助手が相棒を撲殺〕
東京都新宿区で、運転助手(16)が運転手(19)を殺害した。静岡県富士宮市の木材会社勤務で、助手は「自分より2ヶ月あとに入社してきたくせにいばる」と運転手を憎んでおり、この日も居眠りして殴られ、駐車中のトラックで被害者が仮眠をしているところを鉄製クリップ回しで頭を殴ったもの。
昭和37年(1962).9.〔義務教育ストップして就労さす 青少年非行・犯罪史資料引用〕
東京・世田谷の中学校で、3年生の男子3人(いずれも14)に「校風を乱し他の生徒の妨げになる」と卒業証書だけは渡す約束で就職させていたことが明るみに。3人の生徒は9月始め同級生の一部から、30円から50円をかき集めた。このことを知った学校では、持てあまし気味だったこの3人を担任教師、教頭、校長が協議の末、保護者を呼んで卒業証書だけは渡すとの条件で、早期就職をさせた。同区教委では「どんな非行があっても、学校が独断で義務教育を放棄させるような措置をとることは許されない。憲法違反だ」と調査に乗り出した。
(青少年非行・犯罪史資料 刊々堂出版社 318P)
昭和37年(1962).12.5〔中3ら3人が恐喝リンチ〕
兵庫県尼崎市の中学校で、3年生(15)3人が恐喝容疑で身柄不拘束のまま取り調べ。昨年6月から女生徒11人を20回に渡って脅して合計1万5千円を盗り、金を出すことを拒否した8人に殴る蹴るの暴行を働いていたもの。手に負えないので学校が警察に補導を依頼した。この年の大卒初任給17,815円。
昭和37年(1962).12.6〔中3が学校で刺傷〕
青森県三戸郡の中学校で、3年生(14)が別のクラスの3年生(14)を登山ナイフで刺して10日間の傷害を負わせた。被害者に注意を受けたことがあり、また友人(14)が相撲で負けて殴られたため、仕返ししたもの。両親とも小学校教師で父親は教頭。深夜まで受験勉強を続けていた。
昭和38年(1963).1.29〔中3の就職組が進学組の生徒をリンチ〕
静岡県西伊豆の中学校で暴行事件があった。12名の就職組の生徒(中学3年生)が昼休みに同じクラスの進学組の生徒7名を講堂に一人ずつ呼び出し、リンチを加えたもの。一人は3日間の傷害。3年生196名のうち、4割が進学組。
昭和38年(1963).2.6〔中2、中3の就職組が進学組の生徒をリンチ〕
神奈川県横浜市の中学校で、2、3年生の就職組の生徒7、8人に進学組の生徒2人が暴行を受け、2週間の重傷を負った。以前にも就職組と進学組の喧嘩沙汰があったが、事件当日、就職組は卒業記念の植樹作業をやらされ、進学組は普段通りの授業。暴行を受けた2人は昼休み、テニスをしているところを1人ずつ呼び出されて棒で殴られたり足で蹴られたりした。3年生405名のうち、8割が進学組。この年の東京都の全日制高校進学率は75.86%、夜間高校5.5%。
昭和38年(1963).2.15〔高1がいじめの腹いせに学校放火〕
東京都台東区の私立岩倉高校で、1年生(16)が講堂のオルガンに放火、自分で通報したが逮捕された。父親は公務員で、成績は悪く、暗い性格。「乱暴な同級生にいじめられて」が動機。学用品を恐喝され、断ると暴力をふるわれていた。これまでも教室など5度にわたって放火し続けていた。
昭和38年(1963).4.5〔小4が5歳児を殺す〕
神奈川県横須賀市で男の子(5)が行方不明となり、いっしょに遊んでいた小学4年生(10)の自供をもとに、山腹の防空壕の貯水槽で溺死しているのが発見された。4年生は始業式の帰りに男の子とビー玉遊びをしてビー玉を全部取ったが、男の子が怒って石をぶつけたのでいじめてやろうと防空壕に行き、「この水たまりのなかにビー玉がたくさんあるから取れ」と麻ひもで腰をしばって釣りおろした。しかし、重みで支えきれずに深さ4メートルの貯水槽に落とし、逃げ帰ったもの。
昭和38年(1963).4.27〔高2の10人が野球部で集団リンチ〕
福岡県柏屋郡の私立福岡電波高校野球部で、リンチ事件があった。練習後、2年生10人が1年生20人に対して「気合が入っていない」とバットで殴打。1年生の1人(15)は腸が破裂する重傷。隠して甲子園大会予選に参加していたが、2回戦で敗退後の5月4日に明らかになった。
昭和38年(1963).5.28〔高校野球部で集団リンチ〕
広島県府中市の県立高校野球部で、退部しようとした1年生(15)に対して部員18人がリンチを加え、2週間の怪我を負わせていた。四つん這いにし、バットで殴打したもの。
昭和39年(1964).1.29〔中3が同級生を刺殺〕
大阪府大阪市天王寺区堂ヶ芝の路地で、中学3年生(15)Aが同級生(15)Bを刺殺した。AがBに対して「お前は下級生をいじめすぎる」と云ったことから5人づつで決闘。Bは工作用のナイフで応戦したがAに奪われ、腹部を刺された。2人ともに補導歴があった。
昭和39年(1964).10.6〔16歳工員が女性ばかり10人を殴る通り魔〕
東京都荒川区の路上で、工員(16)が女子高生の顔を殴り5日間の怪我を負わせるなど女性ばかり10人を殴る通り魔事件を5月から繰り返して逮捕された。真面目でおとなしい性格、中卒で工員になったが職場でいじめられ、友人もいなかった。父親も工員で7人姉弟の3番目。
昭和39年(1964).12.13〔17歳がいじめる友人を絞殺〕
東京都八王子市のアパート自室で、店員(17)が友人の自動車運転手(17)を殺害、「おれは我慢できない」と書き置きして大阪に逃走したが、12.18に自首した。2人は1年前に飲酒で高校を退学処分。被害少年は店員の告げ口が原因と思い、加害少年の勤め先に来てはいじめ、12月からこのアパートに同居するようになったが、毎日いじめたり友人と騒いだりしていた。追い詰められた店員は殺害を計画。被害少年が就寝中に電気コタツのコードで絞殺したもの。
昭和40年(1965).10.22〔高2が授業中にいじめ復讐刺殺〕
茨城県行方郡の県立定時制高校で、高校2年生(17)が授業中に高校3年生(18)を刺殺し、逮捕された。2年生の教室に3年生が入り込み口論となり、かっとなって刃渡り20センチの小刀で刺したもの。2年生は日ごろからこの3年生にいじめられていた。
昭和41年(1966).3.1〔高1がいじめの仕返しのため同級生を刺殺〕
大分県佐伯市の私立高校で、自習中に高校1年生(16)が同級生を刺殺した。日ごろ被害者からいじめられ、その日も乱暴を受けたため、休み時間にナイフを取りに自宅に戻って仕返ししたもの。
昭和41年(1966).4.1〔ろう学校卒業生がつくった番長グループ〕
在校当時から粗暴性の強かったU少年(19歳)ら3名は、小づかい銭をかせぐために、ろうあ者だけのグループをつくって会費をとることを共謀、昭和41年1月から出身校であるAろう学校の2年生で腕力のつよいK少年(16歳)を番長に指名してむりにグループに加入させる等、在学生、卒業生22名を強制的に加入させた上4月1日J食堂で結成式をあげて以来、在校生から毎月500円、卒業生からは毎月1,000円をおどしとり、集めた金3万円余をU少年ら3名だけで費消していた。さらに校内の不良グループについて警察が調査をはじめたことを知るや、学校がつげ口したものと激昂しU・Iの2名が職員室に盗んだ切出しナイフを持って押しかけ、教師に対して切りつけ1週間の加療を要する傷害を与えた。
本件は連帯感のつよいろうあ者の間に粗暴なグループを作って金銭をまきあげようとした特異な例である。(埼玉) 警察庁「少年非行の実態」引用。
昭和41年(1966).4.16〔中3女子6人が集団リンチ〕
大阪府大阪市東淀川区の中学校で、中学3年生女子(14)が同学生の女子グループから校内で4回もリンチを受けていたことが、被害者の母親の訴えで明らかになった。母親がグループの3人の家に理由を問い質したところ、その日の夕方にグループ6人が被害者宅に押しかけ、母親に抗議していた。
昭和41年(1966).12.24〔18歳が猟銃で友人2人を殺傷〕
静岡県富士市で、トラック運転手(18)が中学時代の同級生のクリスマス・パーティーを猟銃で襲い、1人(18)に3発撃って殺害、1人(18)に2ヶ月の重傷を負わせ、逃走したがすぐに逮捕された。学生時代からいじめられており、この日もからかわれて、かっとなって父親の猟銃を持ち出したもの。
昭和42年(1967).1.23〔16歳の混血少年連続レイプ殺人事件〕
千葉県柏市で、広域手配の元自動車修理工(16)が逮捕された。前年12.13、豊橋市の民家に強盗に入り主婦(24)をレイプして紐で首を絞めて殺害、フロに放り込んで2万円を奪って逃げた。12.27、千葉県我孫子町で空き巣に入り帰宅した主婦(28)を縛ってレイプして帯で首を絞めて殺害。逮捕の8日前の1.16、甲府市で強盗に入り三女(25)をレイプして電気コードで首を絞めて殺害、死体を鴨居に吊して1万円を奪って逃げたもの。
米黒人兵と日本女性との混血少年で、父親は朝鮮戦争で消息不明となり母親は別の米兵と結婚して渡米したため両親の記憶はほとんどなく、学校でも「黒人」とからかわれた。「道で擦れ違うとき必ずあざ笑う若い女性が憎かった」と自供。
18歳未満としては異例の死刑を求刑されたが無期懲役となり、38歳となった平成1年4月、合わせて22年の拘禁の後に仮釈放された。
昭和42年(1967).8.18〔35歳主婦が隣家の幼女殺害〕※参考
広島県広島市の自宅で、主婦(35)が隣家の二女(2)を金属製湯たんぽで殴ったあとに紐で絞殺、帰宅して死体を見つけた夫に連れられて自首した。廃品回収業の妻で、三人の子どもがいる。自分の子たちが隣家の三人の子どもにいじめられており、また隣家の主人がダンプカー運転で儲けているのを羨んでもいた。近所の住民30人が家を取り囲んで投石するので警官10人が警戒して家族を保護した。
昭和43年(1968).3.5〔高3ら10数人が教師殴る〕
福岡県福岡市の福岡電波高校で、3年生10数人が教師(46)に殴る蹴るの暴行を加えて2週間の傷害を負わせた。卒業式直後に「よくいじめたな。これがお礼だ」と仕返ししたもの。2.28にはこの高校の生徒会副会長2年生(17)が教師(26)に殴られて1週間の傷害を負わせられたと告訴している。
昭和43年(1968).10.7〔高2らサッカー部員8人が下級生をリンチ殺人〕
富山県富山市の商業高校サッカー部で、2年生8人が1年生11人にリンチ、高1(16)が腹部内出血で死亡した。練習中、雨により部員らが部室に入る際、上級生に遠慮しなかったことで、コンクリートの床に正座、黙祷させられた後、一人ずつ殴る蹴るの制裁を受けたもの。
昭和43年(1968)..〔不良生徒548名が番長制度〕
庄内地区所在の17高校の不良生徒548名が、各学校で組織されている番長組織の上部機関として庄内番長制度を結成し、"番長会議"と称して飲食店等において飲酒、喫煙をなし、その費用を捻出するため一般生徒833人から組織の威力を背景に現金33万4,840円喝取した。(山形) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和44年(1969).4.23〔高1のいじめ復讐首切り殺人事件〕
神奈川県川崎市の私立高校のそばで、1年生(15)が全身47カ所を刺され首を切り落とされて殺害された。一緒にいた同級生(15)は「日本刀の3人組に襲われた」と言っていたが、25日に「見下げられ、悔しまぎれに刺殺した」 と自供。中学の時からいじめられ、この日には辞書に毛虫をはさまれた。万引きした登山ナイフで刺し、ナイフだけで首を切断した。裕福な家庭の長男。
昭和44年(1969).9.10〔19歳が幼児誘拐殺人 正寿ちゃん誘拐殺人事件〕
東京都渋谷区恵比寿の質店の長男小1(6)が登校途中に友達2人の眼の前で誘拐、殺害された。犯人は長崎県油町出身の住所不定無職の少年(19)。大金欲しさにテレビ映画「ザ・ガードマン」や吉展ちゃん事件を元に犯行を計画。誘拐後すぐに公衆便所で小刀で刺殺、死体入りのカバンを渋谷駅に預け「5百万円用意しろ。警察に知らせるとカタワにするか生きちゃいないぜ」という脅迫電話をかけていたが、11日に簡単に捕まった。
当初女優の誘拐を計画。200人の名簿を作成し、身代金取得後の使い道を事細かにメモしていた。高校をいじめで中退。格闘技を身に着けていじめた相手に復讐する計画も立て、50人の名簿を作成していた。5人兄弟の末っ子。できのいい兄に対してコンプレックスがあった。この事件以前にも脅迫、放火、少年(17)の誘拐未遂をしていた。
「動機はただ贅沢で格好いい生活をしたいというだけで同情の余地はない。公判途中もその態度から被告に暖かい人間の血が通っていないのではないかと疑った」と東京地裁は死刑判決を出した。
昭和45年(1970).2.〔下級生に対する集団暴行事件〕
○○高等学校において、3年生19名が「下級生はたるんでいる」と因縁をつけ2年生50名に対しなぐるけるの暴行を加え、暴行を受けた2年生のうち27名が、1年生108名に対し、同様に因縁をつけて暴行を加えた。(45.2宮城検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970).2.〔番長グループによる集団暴行事件〕
番長組織の引継きを受けた高校2年生16名が、組織の威力を誇示し、拡大を図る目的から、1年生13人に対し、前後13回にわたって暴行を加え、1名に全治3週間の傷害を与えた。(45.2長野検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970).2.〔就職組生徒による進学組生徒、集団暴行事件〕
○○高校2年生の就職組生徒15名が、進学組生徒13名に対し、態度が生意気だと因縁をつけ、前後4回にわたって暴行を加えた。(45.2茨城検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970).3.〔番長グループの内紛による集団暴行事件〕
○○中学校の番長グループ11名が、番長の入院中に副番長が勢力をのばし番長の座をねらつたことから内紛を起し、入院中の番長が病院から抜け出してグループ員を集め、10名共同して副番長に暴行を加え、頭蓋内出血による全治1か月の傷害を与えた。(45.3栃木検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970).3.〔暴力グループによる集団暴力事件〕
中学3年生8人が暴力団にあこがれ、校内において唐仁会と称す暴力グループを結成し、同級生や下級生を対象に暴行、脅迫、恐喝など60余を敢行していた。(45.3佐賀検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970).3.〔暴力グループによる集団暴力事件〕
転校してきた高校3年の不良生徒が、腕力ナンバーワンと称される在字生徒をなぐり倒し、その威力を利して9名の暴力クルーブを結成し、校内において3年生72人、2年生14人、1年生26人の計112人に対して、暴行、傷害、恐喝(総額186,900円)など24件を敢行し、学校当局に非行が判明しそうになるや、授業中の教師に因縁をつけて妨害し、生徒会を煽動して騒ぎを起し、校舎の窓硝子を割るなどの非行を行なった。(45.3京都検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970).6.6〔中1女子5人が退部する生徒を集団リンチ〕
東京都墨田区の中学校で、女子バスケット部員の1年生5人が、父親の看病のため退部したがっていた同級生(13)を、6日に玄関の鍵を破って自宅に侵入して殴る蹴るの乱暴をくわえ、7日には入院していた病院からおびきだして「根性がない」とリンチした。女生徒は2週間の打撲を負い、17日には父親の突然の死もあって全身痙攣の発作も起こした。
昭和45年(1970).6.15〔拓大1年生ら空手愛好会が退会者をリンチ殺人〕
東京都文京区の拓殖大学体育館で、空手愛好会のメンバー13人(うち1年生4人)が、退会希望の1年生(19)に、練習の名を借りたシゴキを加え、くも膜下出血で死亡させた。「他の会員への見せしめのため」制裁を加える命令を下した幹部の4年生(22)と3年生(20)の他、シゴキに加わった11人の会員を送検。大学側は当日いなかった会長も含め14人を退学処分にした。この空手愛好会は3年前にもケンカで早大生を殴り殺して解散させられていた。
昭和45年(1970).6.30〔高1女子2人が同級生をリンチ〕
大阪府四条畷市の私立女子高校1年生の女子2人が放課後、同級生のクラス自治委員の女子に「あんたはでしゃばり過ぎる」と殴る蹴るのリンチを1時間にわたりくわえ、鼓膜を破るなど1ヶ月の重傷を負わせた。
昭和45年(1970).10.15〔中1ら16人が集団リンチ殺害〕
青森県三戸郡の中学校で、「生意気だからやっつけてやろう」と野球部のエースで成績もトップの2年生(14)を神社裏に呼び出し、16人(2年生15人、1年生1人)で集団リンチ、11月6日に脳内出血で死亡した。学校は死亡するまで事件に気付かなかった。
昭和45年(1970).12.17〔高1がいじめ殺人〕
東京都小平市の私立高校の教室で、1年男子生徒(16)が同級生(16)をからかい、プロレスのヘッドロックで窒息死させた。被害者は病弱なため、クラスメートからいじめにあっていた。同校では7月にも、ラグビー部の合宿中に1年生部員がシゴキで死亡している。
昭和45年(1970)..〔少年暴力集団「梅田会」の解体補導〕
大阪梅田の盛り場を中心に非行少年のい集と暴力事案の多発がみられ、その裏に「梅田会」という暴力集団が形成され、家出少年等を勧誘して組織の拡大を図っていることを探知したことから、同地区を対象に梅田会とこれに関連する非行グループの解体を主眼に3月23日から集中的、計画的な補導をすすめ犯罪少年594人を検挙補導し、強盗、強姦、傷害、窃盗等443件総額20,653,145円の犯罪を解決した。(大阪) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970)..〔尼崎地区における暴力的非行集団の解体補導〕
尼崎市内繁華街周辺における非行の多発、非行少年のい集、グループ化等の情勢に対応し、44年12月から45年3月までの問、同地区に対する集中的、計面的補導を行ない、パチンコ店等において暴行、恐喝を行ない、アパート、ホテル等でシンナー乱用、不純異性交遊等を緋けていた暴力団員を会長とする少年非行集団「成志会」ならびに同会員と連鎖的に結びついていた不良少年など161人(うち女子73人)を検挙補導し、暴行、恐喝等24件を解決するとともに日本刀等の凶器を押収し、同地区の環境浄化を図つた。(兵庫) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970)..〔列車通学生徒を主体とした番長組織の解体補導〕
高校生の通学路線の安全の確立と堤力的非行グループの解体を目的とし、学校当局との緊密な連携のもとに番長組織に対する計画的集中的内偵をすすめ、2月から6月までの間に、中遠ブロック、静岡、浜松、東部地区などにおいて、列車通学生を中心とする番長組織を背景に恐喝、暴行等の非行を重ねていた43高校196名の生徒を検挙補導し、番長組織を解体した。(静岡) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970)..〔高校生を中心とした暴力的非行グループの解体補導〕
高校生を中心とする非行グループの対立抗争をきっかけに、県内各地区の盛り場、主要駅等を中心とする暴力グループに対する徹底した内偵をすすめ、5月から10月までの間に、暴行、恐喝、傷害や対立抗争等の非行を重ねていた熊谷学生連盟、太庄学友会、草加グループ等に所属する高校生等517人を検挙補導し、高校生を主体とする15非行グループを解体した。(埼玉) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和46年(1971).1.27〔小1の2人が4歳児を凍死させる〕
福島県郡山市の田んぼで男の子が全裸の死体となって発見され、迷子の末の凍死だと思われたが、じつは小学1年生(7)2人の犯行であることがわかった。小1生2人はキックボクシング遊びで男の子を殴った。鼻血を出して逃げる男の子を追っかけ裸にした。さらに逃げた男の子は田んぼの溝に落ちぐったりして動かなくなった。怖くなった小1生2人は逃走し、置き去りにされた男の子は凍死したもの。
昭和46年(1971).5.11〔16歳ニートが弟を虐待殺人〕
宮崎県児湯郡の農家で、無職の兄(16)が小学2年生の4男(7)を殺害した。1か月前から嫌がる弟を空手の相手にして、投げ飛ばして頭を打って脳内出血にさせたもの。内蔵破裂と肋骨骨折もしていた。
昭和46年(1971).5.〔中学校番長グループによる決闘および校内暴力事件〕
A中学校番長グループ23人は、B中学校番長グループから「背ばかりでかくてもけんかは弱い」等と悪口をいわれたことから、決闘により決着をつけようと日時、場所を指定して決闘を申しこんだ。これを受けたB中学番長グループ27人が登山ナイフ、こん棒等を用意して指定された川原に集合したが、決闘寸前に補導されたほか各グループとも学校内において下級生に対し、暴行、恐喝等の非行を反覆敢行していた。(群馬5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和46年(1971).6.1〔2歳女子が妹2人にビニールかぶせて殺害〕
和歌山県和歌山市の自宅で、長女(2歳7ヶ月)が双子の2女と3女(生後55日)の顔にビニールを1枚づつかぶせて窒息死させた。母親(25)が赤ちゃん2人に掛かりっ切りとなったために嫉妬して、これまでもタオルを顔にかぶせていじめており、何度叱ってもやめなかった。
昭和46年(1971).6.15〔25歳主婦が近所の幼女殺害〕※参考
埼玉県北葛飾郡の自宅で、主婦(25)が2軒隣の長女(5)を洗濯機のコードで絞殺、隣家の裏に死体を隠した。その日のうちに死体は発見されたが、嘘の証言をしていた。19日に都内の実家に帰り、その間に通帳を盗まれたと届けたり、言動がおかしいので怪しまれ、7.8に逮捕され「うちの子供をいじめるのでカッとした」と自白した。被害者の妹(4)と長女(3)が庭で遊んでいるときで長男(1)の眼の前での犯行。被害者の親とは仲が良く「殺すなんて悪魔のような人ですね」などと話し、長女には変な男がいたと言わせていた。
昭和46年(1971).9.13〔高3らスケ番グループ111人〕
埼玉県熊谷市のスケ番グループ111人が捕まった。私立高校3年生(17)を総番長として12の高校に配下を持つ。恐喝やリンチ、百件以上22万円相当の万引きを働いていた。ほとんどが中流家庭。
昭和46年(1971).9.13〔高1がいじめる祖父を殺害〕
千葉県印旛郡の自宅で、高校1年生(16)が祖父(76)を殺害、自首した。祖父がいつも「お前は頭が悪い」といじめるので、テレビを見ている祖父を後ろからカナヅチで20数回殴り、逃げようとするところを首を絞めて殺したもの。
昭和47年(1972).12.〔中学生による学校内での傷害〕
中学校3年生(14歳)Mは、保護者が学校教師で恵まれた家庭に育ち、学業成績上位にあったが、下校時に友人がN少年に殴られたとの話を聞き、かって自分も同人にえり首をつかまれる等の乱暴をされたことがあったことから仕返しをしようと決意し、登山ナイフを携行して学校内でN少年を待ち伏せし、いきなり腰部を刺し全治10日間の傷害を与えた。(青森12月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和48年(1973).7.15〔中学生、いじめっ子憎いと放火未遂〕
大阪府で中学生、いじめっ子憎いと放火未遂。
昭和49年(1974).6.〔高校番長グループ「弘前同志会」〕
県下7高校の番長グループが、連合組織「弘前同志会」を結成し、同級生や下級生から現金2万3,000円を脅し取って、遊興費等に使用していた(青森、6月)。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用
昭和49年(1974).11.28〔女子高でリンチ、被害の生徒自殺〕
福岡県で女子高でリンチ、被害の生徒自殺。
昭和49年(1974)〔中高生の校内暴力事件増加に対する警察の分析〕
このような児童・生徒による非行の増加と中・高校生の凶悪、粗暴化の原因としては、家庭等におけるしつけ教育の不足が規範意識の希薄な、欲望に対する耐性の弱い少年を産み出していること、地域杜会の非行抑止力が低下していること、高校進学率が著しく高くなったのに伴い授業について行けない生徒が発生し、これら生徒の中にドロップアウトに非行群をなすものがみられること、最近における一部の低俗な雑誌や映画等にみられる暴力礼賛の風潮を反映して、学校内に番長グループ等と呼ばれる粗暴非行集団が台頭していることなどが考えられる。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」昭和49年版引用
昭和50年(1975).1.〔中3らスケ番7人がリンチ〕
女子中学3年生の番長グループ員7名は、卒業を間近に控え、下級生の女子番長グループが校内で勢力を伸ばしてきたことに腹を立て、同グループのリーダーを2回にわたって呼出し、リンチを加えて全治3週間の傷害を与えた。(1月、京都) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和50年(1975).2.〔高2ら番長グループ10人がリンチ〕
高校2年生の男子生徒10名は、腕力の強い少年を中心とする番長グループを形成して、校内において下級生等37名に対して次々と因縁をつけては殴る、蹴るなどの集団暴行を加えていた。(2月、富山) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和50年(1975).3.〔中3らスケ番10人がリンチ〕
中学3年生のスケバングループ10名は「下級生のグループが生意気だからヤキを入れよう」と相談し、卒業式の直後に2年生のグループ員4名を呼び出し、殴る、蹴るなどの集団暴行を加えていた。(3月、大阪) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和50年(1975).11.17〔中高生あわせて17人がイジメで書類送検〕
神奈川県横浜市戸塚の全寮制私立学校で、他の生徒に喫煙や飲酒の強要したり、暴行をくわえたり、現金を脅し取ったりしていた生徒、中高総計17人(高二5人、高一4人、中三8人)が書類送検された。学園長は「行きすぎもあったが兄弟げんかのようなもの。何の処分もしないつもり」と話している。
昭和51年(1976).4.〔中学生番長グループ殴る蹴るのリンチ〕
中学生番長グループ,下級生に「生意気だ」と殴る蹴るのリンチ(府中)。 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和51年(1976)..〔女暴走族「ブラックレディ(黒い淑女)」が集団リンチ〕
男子の暴走族らに憧れていた女子中学生37人は、「女ばかりの暴走族をつくろう」と暴走族予備軍「ブラックレディ(黒い淑女)」グループを結成し、グループに加入しない者や、グループをひぼうする者に次々に集団暴行を加えまた数名のグループに分れて38件の万引を続けていた。(埼玉) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和51年(1976)..〔番長グループ24人が教師に暴行〕
市立中学3年生を番長とするグループ24名は、学校内外で恐喝、暴行、飲酒、喫煙等の非行等を重ね、日ごろ担任教師等からきびしく注意指導されていた。この生活指導に逆恨みしたグループ員は、教師に集団暴行を加えることを計画し、鎮痛剤を乱用し、集団遅刻して登校、土足のまま廊下でさわぎ、注意するため出て来た教師に暴行を加え、さらにかけつけた教師8人に対しても、次々と暴行を加え、5人の教師に5〜10日間の傷害を与えたほか、窓ガラス66枚等を損壊した。(埼玉) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和51年(1976)..〔校内暴力事件に対する警察の分析〕
ここ数年、中、高校生の教師に対する暴力事件及び粗暴非行集団相互間の暴力事件等(以下「校内暴力事件」という。)が多発し、増加する生徒非行の中でも重点的な取組みを要する問題となっている。昭和51年における校内暴力事件は2,301件、被害者は3,602人、補導人員は6,221人で、中学生が4,053人、高校生が2,168人と、中学生が多いのが目立っている。これらの暴力事件の実態をみると、
○生活指導や処遇措置等に対する報復として教師に対し暴行する事件
○自校内の粗暴非行集団や他校粗暴非行集団との対立抗争事件
○下級生や個人に対する集団暴行
などが多くなっている。
警察庁「少年の補導及び保護の概況」昭和51年版引用。
昭和52年(1977).3.18〔中2がいじめ復讐放火〕
神奈川県横須賀市の中学2年生(14)が放火で捕まった。2.14未明、中学校の6教室を焼き、2.16にも6教室を焼いた。3.11に同級生宅に灯油をまいて火を付け、14日にも火を付けたが、発見が早くて消し止められた。この同級生(14)に去年からプロレス技をかけられるなどいじめられており、「火事になれば学校に行かなくてもすむし、同級生が来なくなる」と自供。1月には同級生宅に「学校を休め。来たらただじゃおかねえ」という脅迫状を出していた。
昭和52年(1977).5.2〔専門学校女子ら5人組が集団リンチ〕
大阪府大阪市の経理専門学校で、1年生女子(17)5人組が、同級生女子(17)をトイレに連れ込み殴る蹴るのリンチを加えて10日間の傷害を負わせた。傷害で書類送検。
昭和52年(1977).5.12〔幼稚園児同士の暴力、1年続く、相手に重傷〕
大阪府で幼稚園児同士の暴力、1年続く、相手に重傷。
昭和52年(1977).5.27〔集団リンチ受けた女子高生、自宅で感電自殺〕
大阪府松原市の自宅で、高校2年生女子(16)がタイマーを使用して感電自殺した。2週間前に同級生女子に「あんたは字がへたや」と云ったことから、女子7人にチェーンで殴られるなどの集団リンチ受け、登校拒否となっていた。
昭和52年(1977).5.31〔高2女子ら3人組が集団リンチ〕
大阪府河内長野市で、府立高校3年生女子(17)と2年生女子2人の3人組が、同じ学校の2年生女子(16)2人に身体がぶつかったと因縁をつけ、登校中に1時間半も連れ回って殴る蹴るのリンチを加えた。
昭和52年(1977).10.5〔"番長怖い"と家出の2少女大阪で保護〕
"番長怖い"と家出の2少女大阪府で保護。
昭和52年(1977).12.24〔小4女子10人が集団リンチ〕
福岡県嘉穗郡で、小学4年生女子(9)が同級生の女子10人から集団リンチを受けたことが判明。成績が良く授業でも活発に発言することを疎まれ、1人の家に連れ込まれてソロバンで殴られ、ズボンを脱がされて熱したスチームアイロンを太股に押し付けられ、2週間のヤケドを負わされたもの。この小学校には4年生女子が13人しかおらず、被害者は3月に転校してきていた。
昭和53年(1978).2.12〔中3の2人がいじめ復讐殺人〕
滋賀県野洲町の民家で、中学3年生の長男と同級生の6人が就寝中、うち2人の3年生(15)が包丁や木刀で襲って1人を23カ所めった刺しにして殺害、2人に重傷を負わせた。暴行されたり物を強要されたりの執拗ないじめに合っており、復讐のために計画し、凶器は万引きして用意していた。もっとも乱暴がひどくて復讐の標的だった相手はトイレに立って寝る場所が入れ替わったため無事だった。
犯人の1人は学級委員長を務める明るい性格だった。被害者も窃盗などを繰り返していたため書類送検された。
昭和53年(1978).3.24〔中2の4人がいじめ復讐のためお茶に毒薬〕
大阪府枚方市の中学校で、2年生(14)4人が重クロム酸カリウムをヤカンのお茶に入れた。1人が飲んで吐き気をもよおし、他の生徒は異臭のため飲まなかった。
科学同好会に所属しており、運動部の3人に「男らしくない部活だ」と馬鹿にされ、殴られるなどのいじめにあっていた。復讐しようと計画し、
滋賀県のいじめ復讐殺人事件のような刃物だと犯人がわかるので実験してお茶の色に近い毒物を選び、15日には1人の弁当箱に苛性ソーダを混入していた。
昭和53年(1978).4.2〔山中で自殺、男子中生、イジメられ〕
兵庫県で山中で自殺、男子中生、イジメられ。
昭和53年(1978).4.27〔中3が入院中の友人を刺殺〕
福岡県福岡市の病院で、中学3年生(15)が高校1年生(15)を刺殺。いじめのためノイローゼとなって1年間休んで留年しており、3.31に「いじめの仕返しをするので助けてくれ」と元の同級生だった高1生を騙して誘い出し、路上で刺して2週間の傷害を負わせて補導されており、その時の傷で入院中の高1生を訪れ登山ナイフでめった刺しにしたもの。
昭和53年(1978).5.14〔イジメられた中学生、ガス自殺〕
東京都でイジメられた中学生、ガス自殺。
昭和53年(1978).11.16〔友達にイジメられたと中学生自殺〕
熊本県で友達にイジメられたと中学生自殺。
昭和54年(1979).1.22〔いじめの復讐放火〕
神奈川県座間市の民家が朝4時に放火されたがボヤですんだ。翌日、警察が張り込んでいると同じく朝4時にライターと新聞紙を持った中学1年生(13)があらわれ補導された。この家の同級生にいじめられた復讐のため。
昭和54年(1979).2.13〔イジメの仕返し、中2が中3を刺す〕
兵庫県でイジメの仕返し、中2が中3を刺す。
昭和54年(1979).2.〔同級生に集団暴行を加えた6人の女子中学生を補導〕
「いつも先生にいい顔をみせている」と憎み、同級生に集団暴行を加えた6人の女子中学生を補導。(小岩) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).2.〔中学校番長グループ53人を恐喝、暴力行為事件で補導〕
市立中学校番長グループ53人を恐喝、暴力行為事件で補導解体。(田無) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).5.〔同級生の女子生徒に乱暴していた区立女子中学生15人を補導〕
「学校内で悪口をいいふらしている」といいがかりをつけて、同級生の女子生徒に乱暴していた区立女子中学生15人を補導。(富坂) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).9.9〔中1がイジメられるのを苦に自殺〕
埼玉県上福岡市で、中学1年生が自殺。遺書に3人の同級生の名前を出して、いじめられて生きていくのが嫌になったと書き残していた。
昭和54年(1979).11.〔高校番長グループら6人がリンチ〕
私立高校番長グループら6人が、「おれの舎弟になれ」等と同級生に因念をつけリンチを加えたり、お金をかどし取っていた事件を補導。(富坂) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).12.11〔小5が教室で集団リンチ〕
埼玉県朝霞市の小学5年生の教室で、1人の女子(10)の口のききかたが悪いと同級生18人(女子2人)から殴る蹴るの集団リンチを受け2週間のケガを負った。これまでもいじめられており教師が注意したが、告げ口したと逆恨みしたもの。
昭和55年(1980).3.12〔中学教師「この生徒、暴力常習犯」のビラ配る〕
埼玉県で中学教師「この生徒、暴力常習犯」のビラ配る。
昭和55年(1980).6.16〔主婦がいじめ怨んで隣家の幼女刺殺〕※参考
兵庫県神戸市の母子寮の共同炊事場で、病院炊事婦(50)が突然2軒隣りに住む女性(43)の腹を包丁で刺して重傷を負わせてからこの女性の部屋に押し入り、就寝中の小学4年生の長女(10)の心臓を刺して殺害、小学5年生の長男(10)の腹を刺して重態とし、自室で自分の小学6年生の長男(11)の腹や胸を刺して重傷を負わせ、自殺しようとしたが死に切れずに派出所に自首した。
未婚の母で、寮の住民が自分の子どもよりもこの女性の子どもたちを可愛がって、のけものにされてると怨んでいた。
昭和55年(1980).6.〔中3が暴力団員に脅され恐喝〕
中学3年生(15歳)の番長は、友人の兄(暴力団員)から腕に入墨を入れてもらったところ「女を世話するか、10万円持ってこい」と脅かされたため、同級生5名に入墨を見せて12万円を喝取した。(愛知、6月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和55年(1980).12.17〔中2女子4人、コックリさん信じてリンチ〕
大阪府で中2女子4人、コックリさん信じてリンチ。
「警察白書」の昭和55年(1980)事例引用
葛飾、江戸川地域と多摩地域で校内暴力事件がひん発したため、警視庁は両地域を「校内暴力抑止対策特別推進地区」に指定した。生徒指導担当教師や市、区教育委員会職員との連絡会議、PTA役員や青少年対策地区委員会、防犯協会等のメンバーとの連絡会議等を開催し、連携を緊密にするとともに、少年補導員等民間ボランティアと協力して校外での補導活動を強化した。この結果、校内暴力事件は上半期に52件発生していたが、下半期には発生は19件と激減した(警視庁)。
「警察白書」の昭和55年(1980)事例引用
卒業生で暴力団員となっている少年(18)の影響を受けて、同級生から現金を脅し取っていた校内番長グループの中学生4人(14、15)は、級友を殴ったことで教師に注意され、これに激怒し、校舎の屋上に教師6人を呼び出して革ベルト等を振り回し、殴る、けるの暴行を加えた(神奈川)。
「警察白書」の昭和55年(1980)事例引用
市立中学の元番長A(17)は、卒業後、中学時代の番長グループの仲間と共に、同中学卒業生多数が入っている暴走族ナポレオンに加入した。Aら6人は、6月ごろ、自分たちのオートバイを購入するため、後輩番長に対して、「ナポレオンの先輩からカンパが回ってきたので、同級生、後輩から金を集めろ。」と命じ、生徒延べ71人から1人当たり300〜5,000円の範囲で総額4万7,400円の現金を脅し取らせ、これを上納させていた(警視庁)。
昭和56年(1981).7.〔高校生番長グループ15人が格闘トーナメント〕
高校生ら番長グループ員15名は、番長交代期にあたり、「ブチ会」と称して下級生ら26名を川原に集め、一列にならべて、殴る、蹴る等の暴行を加え、トーナメント方式で格闘をさせ、勝ち残った4名を番長に指名していた。(茨城、7月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和56年(1981).10.〔中3番長グループ8人が生徒会長に暴行〕
中学3年生の番長グループ員8名は、勢力拡大を図るため、生徒会長を配下にすれば影響は絶大であると考え、同人に対し「手を焼いてやる。どこまでしんぼうできるかやってみい」と申向け、工作用の電気ゴテでハンダを溶かし、手の甲に流して火傷を負わせた。(京都、10月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和56年(1981).11.29〔半年を越える集団同級生イジメの中2の5人取調べ〕
兵庫県で半年を越える集団同級生イジメの中2の5人取調べ。
昭和56年(1981).12.11〔先生にツゲ口したと小6の20人が同級女児にリンチ〕
兵庫県で先生にツゲ口したと小6の20人が同級女児にリンチ。
「警察白書」の昭和56年(1981)事例引用
暴走族「虫牙(むしきば)」の下部組織「優越会」の構成員20人は、勢力誇示と遊興費を得る目的で、中学の後輩から現金を脅し取るなどしていたが、卒業した番長グループ「庭窪(くぼ)愚連隊」に「生意気な先公がおったらやってしまえ。」と扇動し、校舎を損壊させたり、教師に対する暴力事件を起こさせていた(大阪)。
昭和57年(1982).5.28〔中学生2人、同級生にイジメ、ヤケドおわせる〕
東京都で中学生2人、同級生にイジメ、ヤケドおわせる。
昭和57年(1982).7.6〔宿題忘れたと班全員が女児にリンチ〕
岡山県で宿題忘れたと班全員が女児にリンチ。
昭和57年(1982).8.27〔イジメられ登校拒否の息子に思い余り、母が殺す〕
神奈川県でイジメられ登校拒否の息子に思い余り、母が殺す。
昭和57年(1982).9.〔高3がいじめる兄惨殺〕
高校3年生(18歳)は、日頃から仲の悪い兄からいじめられることを根にもち、パジャマ姿で寝ていた兄(24歳)の首を布製ベルトで絞めた上、台所にあった包丁2本で左首など上半身20ケ所以上刺し殺害した。(警視庁、9月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和57年(1982).12.20〔中学生、同級生10人からプロレス技かけられ重傷〕
京都府で中学生、同級生10人からプロレス技かけられ重傷。
昭和58年(1983).2.15〔中3ら番長グループ2人が教師に暴行し、教師が刺す〕
東京都町田市の中学校で、放課後帰宅しようとした教師(38)が、日頃同教師を馬鹿にしている3年生の番長グループ2人に取り囲まれ、玄関に敷いてあった金属製の泥除けマットをいきなり振り上げられて身の危険を感じ、所持していた果物ナイフで1人を刺して10日間のケガを負わせた。この中学では、教師に対する暴力事件、生徒同士の集団リンチ事件、校舎破壊など、校内暴力が多発していた。
昭和58年(1983).3.〔暴走族「華心会」が恐喝〕
暴走族「華心会」の構成員らは暴力団予備軍と称してゲームセンターや喫茶店等をたまり場として勢力を誇示していたが、遊興費欲しさから系列下にある校内番長グループに命じて2県下3校約280名の中学生から、カンパ名下に現金約24万円を恐喝していた。(群馬、3月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和58年(1983).5.7〔中2生徒、同級生にヤケドおわされる、去年にもリンチ〕
兵庫県で中2生徒、同級生にヤケドおわされる、去年にもリンチ。
昭和58年(1983).9.19〔イジメっ子に仕返し、中3生徒、自宅就寝中に同級生刺す〕
兵庫県でイジメっ子に仕返し、中3生徒、自宅就寝中に同級生刺す。
昭和58年(1983).10.7〔高2がイジメの復讐に教室で猟銃発砲〕
愛媛県久万町の県立高校の教室で、2年生(16)が同級生(17)を散弾銃で脅した。教師が止めようともみ合い、2発を発射して1人に重傷を負わせた。いじめの復讐。学校は脅された生徒にも退学届けを出させたが、のちに復学。
昭和58年(1983).10.〔粗暴集団「赤羽族」131人を補導〕
地域粗暴集団「赤羽族」が暴走族や地域中学番長8グループ及び私立女子高校、女番長グループを輩下に入れて組識化したうえで恐喝、暴力行為、窃盗112件にのぼる不法事犯を敢行していた事件を解明し、被疑少年131人を補導、同グループを解体。(赤羽署、少年第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).1.23〔中2がいじめられ学校で自殺〕
静岡県小笠郡の中学校体育館で、2年生(14)が授業中に首吊り自殺した。生れつきの斜視と斜頚で、同級生から「身体障害者」などと云われいじめられていたため。
昭和59年(1984).1.〔高1ら2人がいじめで251万恐喝〕
中学時代のいじめっ子であった高校1年生(15歳)と無職少年(16歳)は、当時から気が弱くいじめられっ子であった元同級生に対し、中学時代のことで因縁をつけ、殴る、蹴る、煙草の火を押し付ける等の暴行を加え、6か月にわたり合計251万を喝取した。(静岡、1月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).2.2〔障害もつ子へのイジメなどで中2生徒26人補導〕
京都府で障害もつ子へのイジメなどで中2生徒26人補導。
昭和59年(1984).2.2〔中3の3人がテレビ番組まね火だるまリンチ〕
東京都板橋区で、中学3年生(15)3人がテレビのスタントマン番組をまね同級生(15)に油かけ火だるまリンチ、1ヶ月のヤケドを負わせ13日に逮捕。ビデオで撮影していた。
昭和59年(1984).2.13〔中学生、イジメていた同級生に逆に脅され、焼身自殺〕
愛知県で中学生、イジメていた同級生に逆に脅され、焼身自殺。
昭和59年(1984).2.20〔イジメの仕返し、中3自宅で同級生にバットで殴られる〕
山口県でイジメの仕返し、中3自宅で同級生にバットで殴られる。
昭和59年(1984).2.21〔中3がイジメの仕返しのためバットで殺人未遂〕
島根県鹿足郡で深夜2時、中学3年生(15)が民家に侵入し、就寝中の同級生(15)の頭や全身をバットで十数回殴って重傷を負わせ、物音で起きてきた家人に見つかったため逃走、11時に殺人未遂で逮捕された。いじめの復讐だったと自供。
昭和59年(1984).3.7〔先生キライ、小学生6人が担任の娘にイヤガラセ〕
大阪府で先生キライ、小学生6人が担任の娘にイヤガラセ。
昭和59年(1984).4.21〔中3番長グループ4人が教師をハサミで刺す〕
番長グループ員の中学3年生(14歳)は、同級生をトイレに呼び出し、教師に告げ口した等と因縁をつけ暴行を加えたところ、職員室に逃げ込んだため、他の番長グループ員3名とともに職員室に押しかけ、机上にあったハサミで同級生の頸部を突き刺したほか、制止に入った教師に4名共同して暴行を加え、教頭の背中をハサミで刺し全治10日間の傷害を負わせた。(長崎、4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).4.〔高1女子7人が集団リンチ〕
定時制女子高校1年生7名(15〜18歳)は、校内で番長グループを結成しようと企て、同級生らを仲間に引き込もうとして、真面目に授業を受けている同級生(15歳)に因縁をつけ、トイレに監禁し、便器内に顔を突っ込んだり、手に煙草の火を押し付けるなど約30分にわたって暴行した上、土砂降りの雨の中を校外に連れだし、坂道を横にして転がらせ、「学校や警察に知らせると殺すぞ、10万円持ってこい」などと脅迫した他約1時間にわたり暴行を加え、全治10日間の傷害を負わせた。(警視庁、4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).5.〔中3番長グループ員が集団リンチ〕
中学3年生の番長グループ12名(14、15歳)は、カツ入れと称し、下級生20名を集め正座させ、「挨拶しろ」などと怒鳴りながら殴る、蹴るの暴行を加えたり、これらの下級生に対し再びリンチを加えるような素振りをし、約1か月間にわたり、10名から現金約10万円を喝取した。(長崎、5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).6.〔中学生番長グループによる集団リンチ〕
中学生番長グループによる集団リンチ,対立抗争で区立中学5校の番長グループ63人(うち女子11人)を暴力行為,傷害で逮捕、(北沢署,少年第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).6.〔中3がいじめる同級生を復讐殺害未遂〕
中学3年生(14歳)は、同級生の被害少年から平素暴行を受けたり、ノートの模写を強制されるなどいじめられていたが、これに耐えきれず殺害を決意し、自宅から持ち出した菜切包丁で就寝中の被害者の頭部に切りつけ、全治6週間の傷害を負わせた。(山口、6月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).7.9〔中2女子がいじめる同級生の家を放火〕
中学2年生(女子、13歳)は、同級生等から「頭でっかち、短足」などとからかわれたり仲間はずれにされていたことから、自分の家が火事になれば両親が引っ越してくれるだろうと思い、自宅のカーテンに火をつけたが怖くなってすぐ消火した。しかし気持が落ち着かず、日頃自分をいじめている同級生(女子、13歳)の家を燃やせば、同級生が転校するだろうと考え同級生の家に放火し全焼させた。(栃木、7月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).7.21〔小6がいじめにムシャクシャして5件の連続放火〕
山梨県中巨摩郡の小学6年生(11)が5件の連続放火で捕まった。「学校でいじめられてムシャクシャして火を付けた」と自供。
昭和59年(1984).10.〔暴走族「武州連合」予備軍369人補導〕
暴走族「武州連合」予備軍,中学番長グループ369人を傷害恐喝,不良行為で検挙,補導。(724-10.25)(福生署,少年第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).11.1〔高2ら2人がいじめる学級委員を復讐殺害〕
高校2年生2名(15歳)は、学級委員をしている同級生から、理由もなく殴られたり、自転車を盗むよう強制されるなど、2か月にわたって手下のような扱い方をされいじめられ続けてきたが、柔道初段で腕力も強いことから反抗することもできないため、殺害しようと決意し、両名共謀の上、被害者を呼出し、用意した金鎚で被害者の頭部を数十回殴打して仮死状態にさせた上、川に投げ込み溺死させた。(大阪、11月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).11.16〔同級生を8ヶ月にわたりイジメた中学生3人送検〕
大分県で同級生を8ヶ月にわたりイジメた中学生3人送検。
昭和59年(1984).11.〔女子番長グループ5人を恐喝,監禁で逮捕〕
下級生から金を脅し取っていた区立中学生と卒業生の女子番長グループ5人を恐喝,監禁で逮捕,70人を補導。(蒲田署,少年第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).11.〔中学番長グループ2人が教師に暴行〕
区立中学校の番長グループ2名は「同級生を殴った」ことで校長室に呼ぼれ.手当たり次第に教師に殴るけるの暴行を加え,教師4人に5日から2週間の傷害を負わせ逮捕。(野方署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).11.〔中2ら3人が暴行〕
区立中学校2年生の男子生徒は,突張りの同級生3人に「目をそらした」と因縁をつけられ頭や腹を殴られ入院,傷害で補導。(蒲田署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).12.〔中2女子8人がいじめを告げ口したと集団リンチ〕
女子中学2年生は、同級生(女子)8人から「金を持って来い」などとしつこくいじめられたので、母親に相談したところ、母親は学校の担任教師にその概要を告げたため、教師はいじめっ子8人を注意した。ところが注意された8人は「先生に告げ口した」と激怒し、当該女子生徒に対して殴る、蹴る等の暴行を加えたうえ、全裸にし、わいせつな行為をした。(愛知、12月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
「警察白書」の昭和59年(1984)事例引用
女子中学生(15)から、「クラス内でいじめられ、友人や教師も助けてくれない。周囲の人間が信じられなくなり、学校にも行っていない。」と相談があった。そこで、相談員が3箇月以上の間に14回にわたって少女に面接し、両親と一体となって継続的に指導、助言を行った結果、少女はいじめグループと仲直りし、再び登校するようになった(福島)。
昭和60年(1985).1.12〔イジメッ子中3、制止の教師に乱暴〕
兵庫県でイジメッ子中3、制止の教師に乱暴。
昭和60年(1985).1.21〔中2がいじめられて自殺〕
岩手県岩手郡の自宅ふろ場で、中学2年生(14)がガスホースをくわえて自殺した。家族はいじめが原因と訴えるが、学校は否定。
昭和60年(1985).1.21〔中2女子がもうイジメないでと自殺〕
茨城県水戸市の自宅前の電柱で、中学2年生女子(13)が首吊り自殺した。教科書に「しんじまえ」などと落書きされたりいじめられていたが、学校は取り合わなかった。この日に女生徒6人が「出てこないと押し入るぞ」などと怒鳴りながら家に投石して押し掛け、「黙ってろババア」と母親を追い出し、女子を取り囲んで「うそつき」などと責めていた。
昭和60年(1985).1.27〔仲間にイジメられると小6女子3人家出〕
和歌山県で仲間にイジメられると小6女子3人家出。
昭和60年(1985).2.5〔中学校で障害もつ子へのイジメ明るみに〕
大阪府で中学校で障害もつ子へのイジメ明るみに。
昭和60年(1985).2.6〔中1少女、イジメ苦に自殺〕
大阪府で中1少女、イジメ苦に自殺。
昭和60年(1985).2.7〔高校運動部1年生10人、上級生のイジメ・シゴキで脱走〕
香川県で高校運動部1年生10人、上級生のイジメ・シゴキで脱走。
昭和60年(1985).2.16〔中3ら女子7人が集団リンチ5時間〕
栃木県足利市で中学3年生の女子3人が中2女子(14)を裏山に連れ込み、「私たちが早く卒業すればいいと言ったのは本当か」と顔などを殴る蹴るの暴行、煙草の火で火傷を負わせた。また、それを見に来ていた中2女子4人に「タイマンをはれ」と、この中2女子を殴らせた。リンチは5時間続き、顔が変形して1ヶ月の重傷。7人は3.13に書類送検。
昭和60年(1985).2.〔中3女番長3人が100万円恐喝〕
中学校在学中に女番長だった無職A子と公立中学2校の番長を名乗るB子、C子(いずれも15歳)の3人は、後輩の女子中学生数10人から現金100万円以上を脅し取って恐喝と暴力行為で逮捕。(大森署、少年第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和60年(1985).3.5〔小4が教師立会いで決闘して内臓破裂〕
京都府宇治市の小学校で、4年生数人が「ばい菌遊び」でいじめをしていたが、A君(10)が止めに入り、B(10)とケンカになった。担任教師(28)は「思い切りケンカすればすっきりして仲直りし、暴力のひどさにもきづくだろう」と立会いの元に決闘させた。しかし、A君は空手をやっているためケガをさせてはいけないと無抵抗で殴られ、内臓破裂で6週間の重傷となった。14日に発覚。
昭和60年(1985).3.10〔中2男子、イジメ苦に自殺〕
香川県で中2男子、イジメ苦に自殺。
昭和60年(1985).3.11〔中3、イジメ苦に自殺〕
茨城県で中3、イジメ苦に自殺。
昭和60年(1985).3.〔優等生がいじめ被害〕
中学1年生の男子(13歳)は、成績も上位でスポーツ万能であったことから「いい子ぶっている」と言われ、同級生に持ち物を隠され、顔をたたかれるなど、約半年にわたっていじめられたため、心因症に陥った(徳島3月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和60年(1985).4.22〔私立高寮で2人が同室の1人を1ヶ月以上も暴行〕
和歌山県で私立高寮で2人が同室の1人を1ヶ月以上も暴行。
昭和60年(1985).4.25〔高3姉が小5弟を刺殺〕
千葉県木更津市の山林で、高3の姉(17)が小5長男(10)を果物ナイフで刺し殺した。姉は当初「弟と自宅近くの山林を散歩していたところ、ナイフを持った男に突然襲われて、弟が連れ去られた」と、嘘の供述をしていた。普段から兄弟仲が悪くいじめていた。
昭和60年(1985).6.22〔イジメに仕返し、中3生徒の母、組員に頼む〕
福島県でイジメに仕返し、中3生徒の母、組員に頼む。
昭和60年(1985).7.30〔高2がいじめ仕返し殺人未遂〕
東京都東大和市の友人宅で、都立高校2年生(17)が高校1年生(17)をナイフで刺して重傷を負わせたが抵抗されて逃走、殺人未遂ですぐに捕まった。留年した1年生とは同級生で、柔道部員で力の強い1年生に日頃から暴力を振るわれており、この日も呼び出されて酒を呑んで寝たあとに首などを10回刺したもの。「いじめられたので殺してやろうと思った」と自供。成績は良かった。
昭和60年(1985).7.〔中学番長グループ7人がいじめ〕
中学時代から卒業後まで「いじめ」を持ち越し、元同級生から1年間に40回約4〜5万円を脅しとっていた旧番長グループ7人を恐喝、傷害などで検挙、補導。(代々木署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和60年(1985).8.29〔小6がいじめっ子の親を脅迫〕
富山県砺波市で、小学6年生(12)が同級生の母親宛に7.31、8.2、8.5の3回も脅迫状を送って、8.29に捕まった。身長が165センチのためいじめられ、金を渡されファミコンのソフトを買って来いと何度も使い走りをさせられ、やめさせてもらおうと「子どもが家の金を盗んでいるのを知っている。2千万円を持って来い。さもないと裸の写真をばらまくぞ」などという手紙を出したもの。
昭和60年(1985).9.20〔小5の5人が集団いじめで重傷を負わす〕
茨城県東茨城郡茨城町の小学校で、昼休みに小学校5年生(10)を同級生の男子5人が体育館に無理やり連れ込んで体操用マットをかぶせ、2メートル近い棚から全員が飛び降り踏みつけた。異常な悲鳴を上げため病院に運ばれたが、背骨が曲がり首の骨がずれ1ヶ月入院、深刻な後遺症が残った。学校は遊びの事故として警察に届けず、また町教育長は被害者の両親に「事件を公表したら中学卒業まで5年あるおたくの息子は友達から指一本ふれられなくなる」と通報しないように話した。
昭和60年(1985).9.25〔中3がイジメで自殺〕
福島県いわき市で、中学3年生(14)が首吊り自殺。給食費を奪われたり殴られたりのいじめを受けており、同級生6人が逮捕されて1人が少年院送りになった。両親はいじめをしていた生徒の両親と市に対して8390万円の損害賠償請求を起こし、いじめた側とは5百万円で示談となり、市はいじめはなかったと争ったが地裁は1109万円の支払い命令を出して確定した。
昭和60年(1985).10.7〔息子へのイジメ、父が元組員、校長・相手の親脅す〕
福岡県で息子へのイジメ、父が元組員、校長・相手の親脅す。
昭和60年(1985).10.8〔中3の3人、同級生を半年間脅し続け、金奪う〕
大阪府で中3の3人、同級生を半年間脅し続け、金奪う。
昭和60年(1985).10.17〔中2女子11人がいじめリンチ〕
東京都の市立中学2年生女子11人は、転校してきた同級生女子が男子に人気があるのを怨み、公園で殴る蹴るのリンチを加えて4ヶ月の重傷を負わせて逮捕された。これまでもたびたびリンチをしており、1万円も脅し盗っていた。
昭和60年(1985).10.21〔イジメ制裁、生徒の親に頼まれ、無関係の男、中学生に暴行〕
島根県でイジメ制裁、生徒の親に頼まれ、無関係の男、中学生に暴行。
昭和60年(1985).10.23〔文部省、前年度イジメ調査発表〕
文部省、前年度イジメ調査発表、重傷523件、前年度比23%増。
昭和60年(1985).10.26〔中3の女子、イジメ暴行受け転倒、記憶喪失〕
東京都で中3の女子、イジメ暴行受け転倒、記憶喪失。
昭和60年(1985).11.2〔中学生イジメッ子に命令され屋根裏に10日間〕
長野県で中学生イジメッ子に命令され屋根裏に10日間。
昭和60年(1985).11.5〔中3女子4人がいじめリンチ〕
東京都の区立中学3年生女子(14)4人は、前日に3年生女子(14)にバイクを調達させてドライブをして無免許運転で捕まったが、被害者が逃げなかったせいだと腹をたて、「かごめ、かごめ」や「花いちもんめ」を歌いながら1時間もリンチを加え、17日にもさらに暴力をふるって逮捕された。
昭和60年(1985).11.7〔高2ら2人がいじめにむしゃにしゃして小中学生殴り金奪う〕
神奈川県厚木市で、高校2年生(16)2人が8月から小中学生17人を殴り10万円以上奪って逮捕された。静岡県の私立高校に通っているが、殴られるなどいじめを受けており、鬱憤晴らしをしていたもの。
昭和60年(1985).11.20〔中2女子、イジメ強要され、できないと自殺〕
区立中学2年の少女は、「いじめを強制されている」「私が犠牲になってやめさせる」などという遺書を残し、マンション10階のベランダから飛び降り自殺。(全国で8人目)(蒲田署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和60年(1985).11.20〔イジメ苦に女高生自殺〕
大阪府でイジメ苦に女高生自殺。
昭和60年(1985).11.20〔中2の5人ひったくり、イジメ生徒への上納金〕
兵庫県で中2の5人ひったくり、イジメ生徒への上納金。
昭和60年(1985).11.〔中3番長グループ3人がいじめ〕
区立中学3年生の番長グループ3人は、先輩からもらったという「死にいたらないようじっくりいたぶれ」などと書いたメモを持っており、同じ中学の生徒を対象に、たばこの火を手に押しつけたり、腐った牛乳を無理やり飲ませたりの暴行を繰り返し、両手16か所にヤケドを負ったり、体中ミミズばれになった被害少年もいた。 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和60年(1985).11.〔中3ら3人がいじめ〕
区立中3年生ら3人は、クラス全員に無視されたことを根に持ち、仕返しを計画し、仲間の家に連れ込んで正座させ、ジャンケンに勝った者が交代で殴る"ジャンケン遊び"など陰湿ないじめを繰り返していた。 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和60年(1985).12.1〔中3ら2人がいじめ復讐放火殺人未遂〕
千葉県野田市で、3.5に中学3年生2人が民家に放火、中学3年生(14)に第三度の大やけどを負わせて重体とし、殺人未遂で捕まった。番長だった被害者に使い走りをやらされて暴力を受けており、同じ高校に進学することになって、殺そうと深夜2時に部屋に侵入して灯油をまいて火を付けたもの。被害者が吸っていたシンナーが引火したものと思われていたが、高1になっていた6月にスーパーで窃盗をして捕まり自供した。
昭和60年(1985).12.2〔中2生徒、イジメ仕返し、級友宅放火、イジメた12人送検補導〕
福岡県で中2生徒、イジメ仕返し、級友宅放火、イジメた12人送検補導。
昭和60年(1985).12.9〔中2がいじめ自殺〕
青森県上北郡で、中学2年生(14)が首吊り自殺。同級生や卒業生らに半年間も殴る蹴るの暴行を受け、金を脅し取られたりといじめられて、12.6には警察にも相談していた。遺書にはいじめた5人の名前が書かれていた。この学校では校内暴力が続発し、いじめが原因の自殺も相次いでいた。
昭和60年(1985).12.13〔中3がイジメ原因で自殺〕
千葉県富津市の雑木林で、中学3年生(15)が首吊り自殺。同級生から連日のように「バカ」といういたずら電話が掛かってきており、ノートに「電話電話」といくつも書き残していた。
昭和60年(1985).12.21〔中3生徒盗み21回、イジメ生徒に金渡すため〕
石川県で中3生徒盗み21回、イジメ生徒に金渡すため。
昭和60年(1985).12.24〔ジャンケンで交代に殴り、イジメた中学生7人逮捕・送検〕
東京都でジャンケンで交代に殴り、イジメた中学生7人逮捕・送検。
昭和60年(1985).12.〔中・高校生ら不良少年グループ56人がリンチ〕
中・高校生ら4つの不良少年グループ56人は、「他校の番長グループと親しくするな」と同級生にリンチを加えたり、空き巣やオートバイ盗など128件、1,200万円相当を盗み窃盗、傷害で検挙。(小松川署、少年第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
「警察白書」の昭和60年(1985)事例引用
中学3年生(15)の母親は、顔をはらして帰宅した息子にその原因を問いただしたところ、高校進学を目指して勉強しているのをねたんだ突っ張りグループによってプールに突き落とされたり、殴られるなど、数箇月にわたっていじめられていたことが分かったので、警察に相談した。警察では、直ちに事情を調査し、いじめていた突っ張りグループの少年3人を補導したため、いじめは解消した(警視庁)。
昭和61年(1986).1.8〔女子中学生、イジメ苦に自殺〕
埼玉県で女子中学生、イジメ苦に自殺。
昭和61年(1986).1.9〔中学生イジメグループ13人補導〕
東京都で中学生イジメグループ13人補導。
昭和61年(1986).1.25〔中学生狂言強盗、イジメもうイヤ、同情欲しいと〕
京都府で中学生狂言強盗、イジメもうイヤ、同情欲しいと。
昭和61年(1986).1.27〔イジメのろってやると女子中学生自殺〕
兵庫県でイジメのろってやると女子中学生自殺。
昭和61年(1986).2.1〔中2がイジメで「生き地獄になっちゃうよ」と自殺〕
岩手県盛岡駅トイレで、東京都中野区の中学2年生(13)が首吊り自殺。不良グループのつかいっぱしりで、たびたびリンチを受け、また机の上に花を飾る「葬式ごっこ」では追悼の色紙に担任教師も書き込んでいた。「このままでは生きジゴクになっちゃうよ」という遺書を残していた。16人が傷害で送検、教師は諭旨退職となった。
昭和61年(1986).2.3〔中2がイジメで自殺〕
香川県志度町で、中学2年生(14)が自殺。クラブ上級生のイジメ暴行を受けたため。
昭和61年(1986).2.11〔女子中学生イジメ苦に自殺〕
千葉県で女子中学生イジメ苦に自殺。
昭和61年(1986).2.12〔生徒がイジメで自殺の中学、授業中まだイジメ続く〕
東京都で生徒がイジメで自殺の中学、授業中まだイジメ続く。
昭和61年(1986).2.12〔高2がイジメで自殺〕
長野県長野市で、高校2年生(17)が感電自殺。学校で無視のイジメを受けたため。
昭和61年(1986).2.16〔小学生が放火、イジメられムシャクシャ〕
熊本県で小学生が放火、イジメられムシャクシャ。
昭和61年(1986).2.22〔女子中学生、陰湿なイジメ受け自殺〕
三重県で女子中学生、陰湿なイジメ受け自殺。
昭和61年(1986).2.22〔小学生、イジメから抜けたい、この道しかないと自殺〕
大阪府で小学生、イジメから抜けたい、この道しかないと自殺。
昭和61年(1986).2.〔小5をリーダーとする中学生13人の窃盗グループ〕
小学5年生をリーダー格とする中学生13人の窃盗グループは、ブロック塀などを伝って2階から身軽に忍び込むなど小型"怪盗クモの陣十郎"ばりの盗みで20件、43万円相当をゲーム遊びやいじめっ子に上納して補導。(巣鴨署、少年第二課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和61年(1986).3.1〔イジメで水頭症、小4女児と両親が賠償訴え〕
東京都でイジメで水頭症、小4女児と両親が賠償訴え。
昭和61年(1986).3.5〔中2がイジメで自殺〕
三重県鈴鹿市で、中学2年生(14)が首吊り自殺。殴られたりのいじめを受けていたため。
昭和61年(1986).3.5〔中学生2人、イジメのがれ家出、高知から徳島へ〕
高知県で中学生2人、イジメのがれ家出、高知から徳島へ。
昭和61年(1986).3.5〔保育園でもイジメ、ナイフで手を切れと命令されケガ〕
高知県で保育園でもイジメ、ナイフで手を切れと命令されケガ。
昭和61年(1986).3.28〔中学生、イジメに仕返し、ナイフで逆襲〕
兵庫県で中学生、イジメに仕返し、ナイフで逆襲。
昭和61年(1986).3.〔中3ら3人がいじめで逮捕〕
中学3年の突張りグループ3人は、クラスメートに「生意気だ」と半年以上も使い走りをさせたり、言うことを聞かないと乱暴するなどのいじめを繰り返し暴行で逮捕。(昭島署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和61年(1986).4.〔中学生がいじめ自殺し16人を送致〕
いじめを苦にして自殺した中学校を捜査したところ、暴行、恐喝、傷害など27件も発生しており、16人を書類送致。(中野署、少年第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和61年(1986).5.22〔イジメた生徒、教師に脅され円形脱毛症〕
兵庫県でイジメた生徒、教師に脅され円形脱毛症。
昭和61年(1986).5.30〔中学生2人、イジメの仕返しに放火〕
香川県で中学生2人、イジメの仕返しに放火。
昭和61年(1986).7.6〔高3がいじめ復讐のため駐在所襲って殺人未遂〕
福井県鯖江市の駐在所に、私立高校3年生(17)が「指をケガしたのでテープを貸してほしい」とやって来て、巡査の妻(26)の首と胸を包丁で刺して重体とし、次女(1)の胸を刺し1か月の重傷を負わせ、長女(3)の顔を切って逃走、近所の民家に押し入り、会社員(28)に2週間の傷害を負わせて山に逃げたが逮捕された。学校でいじめにあっており、ピストルを強奪して復讐する計画だった。
昭和61年(1986).7.17〔中2がいじめの逆襲で刺す〕
埼玉県大宮市の中学校の教室で、2年生(13)が違うクラスの2年生(13)を果物ナイフで刺して2週間の傷害を負わせた。1年前からいじめられており、この日もマンガを買えと殴られたため仕返しをしたもの。
昭和61年(1986).7.23〔中3生徒イジメられ全身にヤケド、イジメた生徒を刺す〕
兵庫県で中3生徒イジメられ全身にヤケド、イジメた生徒を刺す。
昭和61年(1986).8.17〔中3がいじめ復讐殺人未遂〕
埼玉県川口市の公園で、中学3年生(14)が同級生(14)の頭をドライバーで刺そうとしたが軽傷を負わせただけで逃げられ、すぐに交番に自首した。1年前から殴られるなどいじめられており、この日も千円を持ってくるように命令されて、金を渡した隙に殺害しようとしたもの。ナイフも持っており、殺人未遂で逮捕。
昭和61年(1986).8.30〔中2がバカにされた恨みで2人刺す〕
栃木県下都郡の学習塾に中学2年生(13)が出刃包丁を持って向かっているところを中学3年生(15)が見咎めて、「そんな物をどうするんだ」と訊くと「馬鹿にしたAを刺す」と言いながら中3生の腹を刺して重傷を負わせた。そのあと塾の教室に叫びながら押し入り、大勢の生徒の前で中学2年生のA君(13)の胸などをめった刺しにして重体にした。
すぐに外に出ると車を無理に止めて血まみれの包丁を見せながら「人を刺した。警察に行ってくれ」と乗り込み、警察署で自首した。
酷いいじめをするので停学処分となっており、この塾にもたびたび来ていたずらをしていた。17日から家出をしていたが、A君が悪口を言っていると聞いて包丁を買って復讐したもの。
昭和61年(1986).10.21〔16歳がいじめ訴訟を起こしホームで殺害されかかる〕
東京都西多摩郡羽村町の中学を卒業した少年(16)が、中学時代にいじめを受けて登校拒否になったことに対して損害賠償請求訴訟を起こしていたが、青梅線羽村駅のホームで40代のスーツ姿の男5人に取り囲まれて「何百万も取って終わりにしたのに訴訟を起こすとはなんだ」と蹴飛ばされ、電車がやってくる直前に背中を押されたが、危うく線路に転落することはなかった。3年生で生徒会副会長になってからたびたびリンチを受けていた。
昭和61年(1986).10.29〔中3の2人、イジメの仕返しで同級生を刺す〕
埼玉県で中3の2人、イジメの仕返しで同級生を刺す。
昭和61年(1986).10.30〔小2の児童、イジメ注意され仕返し、8歳女児けがさす〕
和歌山県で小2の児童、イジメ注意され仕返し、8歳女児けがさす。
昭和62年(1987).3.9〔中学生、イジメ告げ口したとリンチされケガ〕
大阪府で中学生、イジメ告げ口したとリンチされケガ。
昭和62年(1987).4.23〔中2女子がいじめ自殺〕
長野県長野市で、中学2年生女子(13)が自殺。「なぜいじめがあるのか」という遺書を残していた。女子は担任教師にイジメを訴えたが、「彼女のどこが嫌か」をクラス全員に書かせていた。
昭和62年(1987).5.26〔中学の1クラスの給食に農薬混入、43人が入院〕
愛媛県で中学の1クラスの給食に農薬混入、43人が入院。5/28 女生徒イジメに堪えかねて。
昭和62年(1987).6.17〔中3がいじめ自殺〕
北海道札幌市のマンションで、中学3年生(14)が飛び降り自殺。いじめを受けていたと遺書を残していた。
昭和62年(1987).12.10〔中学生3人が障害者の家に押しかけ殴る蹴るのイジメ、補導〕
和歌山県で中学生3人が障害者の家に押しかけ殴る蹴るのイジメ、補導。
昭和62年(1987).12.27〔大韓航空機事件から朝鮮人生徒へのイジメ続発〕
朝鮮総連発表、大韓航空機事件から朝鮮人生徒へのイジメ続発。
昭和63年(1988).2.12〔慢性病の子を差別、うつるからと仲間外れ、結局転校〕
東京都で慢性病の子を差別、うつるからと仲間外れ、結局転校。
昭和63年(1988).3.13〔中2がイジメの仕返し刺傷〕
兵庫県尼崎市の中学校校庭で、2年生(14)が3年生(15)を刺して1ヶ月の重傷を負わせて逮捕された。日頃からいじめられており、この日も呼び出されて何度も蹴られて、持ってきていた果物ナイフで復讐したもの。2人とも補導歴がある。
昭和63年(1988).3.17〔小6がいじめ復讐のため教室で同級生を刺す〕
大阪府東大阪市の小学校の教室で、1時限目が始まる前に、6年生(12)が同級生(12)のももを刺して3週間の傷害を負わせた。体の大きい同級生に日頃からいじめられており、この日も乱暴されたので護身用に持っていた果物ナイフで仕返ししたもの。卒業式前日だった。
昭和63年(1988).4.11〔入学直後の高校生自殺、イジメから対人恐怖に〕
大阪府で入学直後の高校生自殺、イジメから対人恐怖に。
昭和63年(1988).5.20〔中2女子がいじめられて目の前で自殺〕
新潟県南魚沼郡の中学校で、2年生女子(13)が教室ベランダから飛び降り自殺した。両親が私立探偵に捜査させて、翌年12.27に同級生女子3人を自殺関与罪で告発。秘密を男子にバラしたといじめ、「飛び降りればゆるしてやる」と迫って、目の前で自殺させてたというもの。
昭和63年(1988).9.26〔中2が「ネクラ」と言われ友人殺害〕
奈良県北葛城郡河合町で、中学2年生(14)が友人(13)を殺害した。無口のため「ネクラ」「もっとしゃべれ」と言われて殺害を計画、待ち伏せしてバットで10数回めった打ちにし、溝に投げ入れたもの。29日に捕まった。
昭和63年(1988).11.9〔中1が校舎に放火、いじめられて〕
長崎県で中1が校舎に放火、いじめられて。
昭和63年(1988).11.21〔いじめ苦に中学生、鉄塔から飛び降り自殺〕
広島県でいじめ苦に中学生、鉄塔から飛び降り自殺。
昭和63年(1988).12.21〔中1女子がいじめ自殺〕
富山県富山市の自宅で、中学1年生女子(12)が飛び降り自殺。「いじめ憎い」の手記が見つかった。
平成1年(1989).1.4〔16歳ら4人が女高生コンクリート詰め殺害事件〕
東京都足立区綾瀬の自宅で、無職少年(16〜18)4人が高校3年生女子(17)をリンチして殺害、コンクリート詰めにして江東区の埋め立て地に遺棄した。暴力団下部組織「極青会」のメンバーで昨年11.25に埼玉県三郷市で誘拐、40日間監禁してレイプやリンチを繰り返していた。別のレイプ事件で逮捕されて1.29に自供。
女子に「心配しないで」などと自宅に電話をかけさせていた。また、監禁していた16歳の家の親は女子の存在に気づいていたが家に帰るように言っただけだった。
リーダー(18)は私立高校で悪質ないじめを受けて中退。暴走族に属し、家庭内暴力を繰り返し、暴力団とも関係するようになってシンナーも吸っていた。懲役20年の判決。
平成1年(1989).4.25〔中3の3人がいじめを受け母子殺しと逮捕されたが、冤罪〕
東京都足立区綾瀬のマンションで、昨年11.16に母親(36)と長男(7)が殺害され8万円を強奪され、当時、中3だった工員(15,16)3人がこの日に逮捕された。中2のころから不登校となり、1人のアパートに毎日たむろして遊んでいたが、別の5人グループにいじめられるようになり、リンチを受けては金を巻き上げられ、こづかい欲しさにやったと犯行を自供したが、家庭裁判所では否認に転じた。アリバイなどがあったため3人とも無罪。
平成1年(1989).5.15〔15歳工員がいじめる同僚を殺人未遂〕
愛知県稲沢市の機械部品メーカーの寮で、工員(15)が、同僚(16)を果物ナイフで刺し、4週間の傷害を負わせ、殺人未遂で逮捕された。仕事が遅い、動作が鈍いと馬鹿にされ暴行を受けたため上司に言いつけたが、また殴られると恐れて刺したもの。
平成1年(1989).6.11〔いじめの仕返し、中学生が同級生を刺す〕
大阪府でいじめの仕返し、中学生が同級生を刺す。
平成1年(1989).10.2〔中3がいじめ自殺〕
岡山県鴨方町で、中学3年生(14)が自殺。殴られたり金を脅し盗られたりのいじめを受けていた。
平成2年(1990).7.〔中3ら6人が傷害致死〕
千葉県松戸市の中学校で、2,3年生6人が柔道部の練習中に1年生(12)を投げ飛ばして頭を打ち付け2日後に死亡させ、傷害致死で逮捕。両親は5千万円の損害賠償訴訟を起こした。
平成3年(1991).5.22〔17歳ら暴走族4人が仲間をリンチ殺人〕
茨城県岩井市長谷で、土木作業員(21)2人、少年(17)2人の4人が、定時制高校1年生の電気工事店員(19)を殺害した。暴走族仲間だったが、電気工事店員が少年をいじめたため、復讐しようと利根川河川敷に連行し、裸にして殴る蹴るの暴行を数時間も加えたもの。
平成3年(1991).9.1〔中2女子がいじめ自殺〕
東京都町田市で、中学2年生女子(13)が自殺。いじめを受けていた。
平成3年(1991).10.28〔18歳ら2人がいじめるカップルを復讐殺人〕
広島県佐伯郡大野町の渡ノ瀬ダム近くで、自動車運転手(18)と大工(20)が、会社員(18)と恋人の少女(18)の2人を殺害した。このカップルに日頃から馬鹿にされ暴力を振るわれていたため、復讐を計画して誘い出し、模造刀や棒で殴ったり刺したりして男性を殺害、少女を絞殺して両手を縛ってコンクリートブロックをくくりつけ、ダムに投棄したもの。
平成3年(1991).11.15〔中3の4人が養護学級少女をいじめ殺人〕
大阪府豊中市の中学校校庭で、3年生4人(男女各2人)は、3年生女子(15)に30分間にわたって殴る蹴るのリンチを加えて死亡させ逃走した。養護学級の生徒だったが普通学級に学んでおり、たびたびいじめを受けていた。
平成4年(1992).11〔中3がいじめ自殺〕
北海道苫小牧市で、中学3年生(15)が自殺。いじめられていた。
平成5年(1993).1.13〔中1らがいじめマット殺人〕
山形県新庄市の中学校体育館用具室で、1年生(13)がマットに巻かれた逆立ち状態で窒息死した。日頃からいじめられており、1,2年生(12〜14)7人が傷害致死で逮捕。3人が無罪となり、4人が有罪で少年院などへ送られた。両親は7人と市に対して1億9300万円の損害賠償訴訟を起こし、平成17年9.7、最高裁は7人に5760万円の支払い命令を出して確定。
平成5年(1993).1.25〔中3がいじめ自殺〕
愛媛県松山市で、中学3年生(14)が自殺。いじめられていた。
平成5年(1993).1.〔中学生2名による傷害致死事件〕
中学3年生2名(いずれも14歳)は、かねてから「いじめ」の対象にしていた被害者に対し、プロレスあるいは柔道と称し、「四の字固め」、「大外刈り」等の技を掛け、さらに足蹴りするなどして暴行を加え、脳挫傷等により死亡させた。(1月、大阪) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成5年(1993).3.2〔中2がいじめ自殺〕
栃木県栃木市の中学校体操部部室で、中学2年生(13)が首吊り自殺。いじめられていた。
平成5年(1993).5.6〔高1がいじめ自殺〕
秋田県合川町で、高校1年生(15)が自殺。いじめられていた。
平成5年(1993).5.27〔中2がいじめ自殺〕
福岡県行橋市で、中学2年生(13)が自殺。いじめられていた。
平成5年(1993).7.8〔中1女子がいじめ自殺〕
北海道苫小牧市で、中学1年生女子(13)が鉄道自殺。いじめられていた。
平成5年(1993).11.20〔中2がいじめ自殺〕
滋賀県湖東町で、中学2年生(14)が自殺。いじめられていた。
平成5年(1993).11.〔中学生による電車往来危険罪事件〕
中学3年生(14歳)は、学校でいじめられたり、成績が悪くて先生に叱られたことから、電車を転覆させてうっぷんを晴らそうとJR高崎線の線路上にチューブ(重さ20.5キロ、長さ18.6メートル)1巻を放置した。(11月、埼玉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成6年(1994).5.30〔中3がいじめ自殺〕
岡山県総社市で、中学3年生(14)が首吊り自殺。殴られたり金を脅し盗られたりのいじめを受けていた。いじめた7人が保護観察処分。
平成6年(1994).6.3〔高1がいじめ自殺〕
愛知県安城市で、高校1年生(15)が飛び降り自殺。いじめを受けていた。
平成6年(1994).7.5〔中3がいじめ自殺〕
東京都江戸川区で、中学3年生(14)が自殺。いじめを受けていたという遺書を残す。
平成6年(1994).7.15〔中2がいじめ自殺〕
神奈川県津久井町の自宅で、中学2年生(14)が首吊り自殺。転校して来てから、いじめを受けていた。
平成6年(1994).8.26〔高2がいじめ自殺〕
福島県相馬市で、高校2年生(16)が自殺。金を脅し盗られるなどいじめを受けていた。
平成6年(1994).9.5〔中2がいじめ自殺〕
岡山県倉敷市で、中学2年生(14)が自殺。いじめを受けていた。
平成6年(1994).11.27〔中2がいじめ自殺〕
愛知県西尾市で、中学2年生(13)が首吊り自殺。殴られたり金を脅し盗られたりのいじめを受けていた。いじめた11人のうち4人が恐喝で少年院などへ送られた。
平成6年(1994).12.13〔中1がいじめ自殺〕
愛知県岡崎市で、中学1年生(13)が自殺。いじめを受けていた。
平成6年(1994).12.14〔中3がいじめ自殺〕
福島県石川町で、中学3年生(15)が首吊り自殺。いじめを受けており、遺書に同級生3人の名前を書いていた。
平成7年(1995).2.〔中学2年生の首吊り自殺〕
中学2年生(14歳)は、自宅2階において首を吊り自殺した。同中学生は以前同級生から暴行を受け学校の調査によりー応解決が図られたが、その後、同級生に無視されたり、「チクリマン」と呼ばれるなどの新たないじめを受けており遺書にもいじめを受けていたことが書かれていた。(2月、茨城) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成7年(1995).4.7〔中2女子がいじめ自殺〕
愛媛県松山市で、中学2年生女子(13)が鉄道自殺。いじめを受けて半年間登校拒否をしていた。
平成7年(1995).4.16〔中2がいじめ自殺〕
福岡県豊前市の自宅で、中学2年生(13)が首吊り自殺した。遺書には、継続的に暴行をしていた上級生や同級生9人の名前と「これは自殺じゃない他殺だ」と書かれていた。
平成7年(1995).4.27〔中2がいじめ自殺〕
奈良県橿原市で、中学2年生(13)が首吊り自殺した。いじめられていた。
平成7年(1995).4.28〔中2女子がいじめ自殺〕
長崎県長崎市の中学校校舎屋上で、2年生女子(13)が飛び降り自殺した。いじめられたと遺書を残し、同級生男子に連日「臭い。汚い。バッチイ」と言われていたことが判明した。
平成7年(1995).5.1〔専修学校生がいじめ自殺〕
大阪府寝屋川市で、専修学校生(15)が首吊り自殺した。膠原病でいじめられていた。
平成7年(1995).11.28〔中学生1年生の首吊り自殺〕
中学1年生(13歳)は、自宅駐車暢のバスケットボールのゴールにロープを掛けて首を吊り自殺した。遺書には、無視したりいじめられている等と書かれており、調査の結果、同級生から「無視される。服を脱がされる。」等のいじめをを受けていたことが判明した。(11月、新潟) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成8年(1996).1.8〔高校生の飛び込み自殺〕
高校1年生(16歳、女子)は、踏切の遮断機をくぐり抜けて電車に飛び込んで自殺した。遺書には、「暴力のいじめではなく、態度のいじめである」と書かれていた。(1月、兵庫) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成8年(1996).1.23〔中学生の首吊り自殺〕
中学3年生(15歳、男子)は、水門の梯子にロープを掛けて首吊り自殺した。遺書には「蹴られたり、お金を要求されて30万円取られた。」等と書かれていた。捜査の結果、同級生2人を恐喝で送致した。(1月、福岡) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成8年(1996).1.25〔中学生の首吊り自殺〕
中学2年生(14歳、女子)は、自宅で洋服タンスにスカーフを掛けて首吊り自殺した。中学生は、母親に、「男子生徒が馬鹿、ブス、汚いなどというので学校に行きたくない。」と話していた。(1月、愛媛) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成8年(1996).1.〔中学生によるいじめの仕返し目的の放火事件〕
中学2年生(13歳、14歳)の3人は、いじめの仕返しのため、加害少年宅に灯油をかけ、ライターで、あるいはヘアースプレーをガスバーナー状にして火を放ち、家屋を半焼させるなどした。(1月、滋賀) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成8年(1996).4.26〔中2女子がいじめ自殺〕
茨城県関城町で、中学2年生女子(13)が首吊り自殺した。遺書にはいじめた同級生男女3人の名前が書かれていた。
平成8年(1996).9.〔中学生の首吊り自殺〕
中学3年生(14歳)は、公民館の鉄製梯子にベルトを掛けて首吊り自殺した。遺書には「同級生に殴られたり、金を要求された。」等と書かれていた。捜査の結果、同級生等6人を暴行で送致した。(9月、鹿児島) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成9年(1997).5.25〔中3がいじめ仕返し殺人〕
兵庫県相生市で、中学3年生(15)が中学時代から自分をいじめていた土木作業員(16)に金を要求されて殴られたことから、バットで頭を殴打して殺害、死体をビニール袋で覆い、空き地に遺棄、翌日逮捕された。
平成9年(1997).6.9〔高2が殺人〕
大阪府東大阪市の近鉄奈良線八戸ノ里駅の改札口で、奈良県の高校2年生(16)が同級生(16)と口論、殴り合いとなり、ナイフで胸部を刺して殺害した。ナイフはいじめを受けるため護身用に持っていたもの。
平成10年(1998).3.〔中学生による首吊り自殺〕
中学2年生(14歳)は、自宅倉庫内で首吊り自殺した。遺書には、「先輩に脅されて8万円払った。あと4万円が払えない。ぼこぼこにされるなら死んだほうがましだ」等と書かれていた、捜査の結果、中学時代の野球部先輩の無職少年(17歳)らを恐喝未遂で逮捕した。(3月、千葉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成10年(1998).3.〔中学生によるいじめの仕返しによる殺人事件〕
中学1年生(13歳)は、以前、同級生に対して粗暴な行為や嫌がらせをしたため、相手にされなくなり、逆に因縁をつけられるなどの「いじめ行為」を受けるようになり、当日も中学生(13歳)から机の上に足をのせるなどの行為をされたため、いじめの仕返しとして所携の折りたたみナイフで胸を刺して殺害した。(3月、埼玉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成10年(1998).12.26〔高2が脅され自殺〕
福岡県嘉穂郡の自宅で、私立高校2年生(16)が首吊り自殺。25日のクリスマスパーティーに女性を紹介するよう5人の少年に命令されたが連れてこなかったため、60万円払えと脅迫されていた。首謀者の同級生が翌年1.17に逮捕。
平成10年(1998).12.〔中学生によるいじめ事案〕
中学1年生(12歳〜13歳)3人は、同級生(13歳)に対して学校内のベランダ、トイレ等で些細なことに因縁をつけ謝れ、土下座しろと強要したり、腹部等に殴る、蹴るの暴行を加えた。(12月、茨城) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成10年(1998).12.〔中学生による首吊り自殺〕
中学1年生(13歳)は自宅の物置で首吊り自殺した。遺書には、「ぼくはもうたえられない。さようなら。」と走り書きしてあった。調査の結果、同級生(12歳〜13歳)3人を、自殺者に対する暴行の事実等で児童相談所に通告した。(12月、茨城) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成11年(1999).3.〔中学生による恐喝事件〕
中学3年生(15歳)5人は、平成10年10月から平成11年2月にかけて、遊ぶ金欲しさから同級生(15歳)を脅迫し、前後10回程度にわたり、現金約250万円を喝取した。(3月、香川) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成11年(1999).10.〔女子高校生等による恐喝事件〕
定時制高校3年生女子(17〜19歳)3人、無職少年女子(15歳)の4人は、平成10年12月上旬、同級生の定時制高校3年生女子(17歳)に因縁をつけて脅迫し、数回に分けて現金73万円を喝取した。(10月、東京) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成12年(2000).1.14〔高3が1千百万円恐喝〕
岩手県盛岡市の高校3年生(18)は、同級生(18)を脅して昨年6月からの半年間で、20数回にわたり現金約1,100万円を恐喝した。
平成12年(2000).4.13〔高3が同級生宅放火〕
千葉県警木更津市の県立高校3年生(17)が同級生の家に放火して逮捕された。「馬鹿にされて頭に来たから仕返しした」と自供。玄関扉に油をまいて火を付けたが、すぐに消火された。
平成12年(2000).4.25〔中3らが5千万円恐喝〕
愛知県名古屋市の中学3年生(15歳)ら10数人は、同級生(15歳)から、9ヶ月間、約130回にわたり現金約5,000万円を恐喝して捕まった。殴って肋骨を折るなどしており、母親が亡き父親の生命保険金などを出していたもの。
平成12年(2000).5.6〔中2ら4人が殺人と死体遺棄〕
埼玉県入間市の公園で、アルバイト少年(16)、無職少年(16)、高校2年生女子(16)、中学2年生(13)の4人が、高校2年生(16)の頭や腹などを何十回も殴って殺害、狭山市の雑木林に遺体を捨てていたが、13日に捕まった。少年2人と被害者は中学の同級生で、当時からいじめていた。
平成12年(2000).5.〔無職少年による恐喝事件〕
無職少年(17歳)は、高校時代の同級生(17歳)から約1年3ケ月の長期にわたり、現金約80万円を恐喝した。(5月、愛媛) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成12年(2000).5.〔中学生による同級生に対する恐喝事件〕
中学3年生2人(14歳、15歳)は、それぞれ平成11年12月から平成12年5月までの間、同級生(14歳)から数回にわたり現金約80万円を恐喝した。(5月、山形) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成12年(2000).6.14〔高2ら5人が恐喝、被害者自殺〕
福岡県太宰府市の私立高校2年生(16〜18)5人が、3人から30万円を恐喝して逮捕された。殴る蹴るの暴行も働いており、被害者の1人の同級生(16)は4.28に自殺している。
平成12年(2000).6.21〔高3が金属バットで母親殺害〕
岡山県邑久郡の高校で、3年生(17)が、野球部の後輩にいじめを受けて殴られ、復讐するため殺害しようと、部員4人を金属バットで殴打し、2年生(17)に頭蓋骨骨折の重傷を負わせた。
殺人を犯したと思い込み、母親(42)に心配をかけないためには殺すしかないと決意、自宅に戻って母親の頭部を金属バットで殴打して殺害した。自転車で逃走したが、7.6に秋田県で逮捕された。
平成12年(2000).9.〔高校生による教師殺人未遂事件〕
高校3年生(17歳)は、同級生(18歳)から日常的に恐喝等の傷害を受けていたため、人を殺せば少年院等に入り友人から逃れられると考え、通学する高校の教師(51歳)に対し、切り出しナイフで頸部を突き刺したが、傷害を負わせたに止まり、その目的を遂げなかった。(9月、愛媛) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成13年(2001).3.〔暴走族構成員による傷害致死事件〕
暴走族構成員8人(16歳〜18歳)は、有職少年(18歳)、無職少年(18歳)らが構成している暴走族連合を脱退したことから抗争に発展し、有職少年等の身体に危害を加えることを企て、同人等に対して金属バット等で頭部を殴打するなどの暴行を加え、有職少年を外傷性ショックにより死亡させ、無職少年に傷害を負わせた。(3月、愛知) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成13年(2001).4.〔高校生等による傷害致死事件〕
高校1年生(15歳、犯行時中学3年生)、有職少年(17歳)は、高校1年生(16歳)を懲らしめるため、同人の頭部等を殴るなどの暴行を加え、急性硬膜下血腫により死亡させた。(4月、滋賀) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成13年(2001).4.〔中学生による殺人未遂事件〕
中学2年生3人(いずれも13歳)、中学1年生(12歳)は、中学3年生(13歳)が悪口を言ったなどとして憤慨し、殴るなどの暴行を加えたところ、顔面出血等したことから犯行の発覚を恐れ同人を殺害することを企て。ナイフで全身を切りつけ、さらに金槌で頭部を殴打したが、傷害を負わせたに止まり、その目的を遂げなかった。(4月、大阪) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成13年(2001).5.〔専門学校生等による殺人未遂事件〕
専門学校生(16歳)、無職少年2人(いずれも16歳)は、高校2年生(17歳)が原動機付自転車に3人乗りをしているところを発見し、ヤキを入れるため停止させたところ、同人は中学校時代に同専門学校生をいじめていた者であったことから同人を殺害しようと企て、包丁で腹部等を刺したが、傷害を負わせたに止まり、その目的を遂げなかった。(5月、東京都) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成13年(2001).5.〔無職少年等による集団傷害事件〕
無職少年2人(いずれも女子、15歳)、女子中学2年生(13歳)は、女子中学3年生(14歳)の日頃の態度等が気に入らないため、約5時間半にわたって殴るなどの暴行を加え、さらにたばこの火を押しつけるなどして傷害を負わせた。(5月、静岡) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
※タイトルと本文が同じ短いデータはすべて「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。※
少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の著作第二弾。
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!これぞ、21世紀の道徳感情論!
少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の本が出ました。
『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!