昭和2年(1927).1.13〔17歳僧侶が幼女レイプ殺人〕
香川県仲多度郡の寺で、僧侶(満17歳)が近所の女の子(9)を誘い込みレイプしようとしたが抵抗されたため首を絞めて頭を臼に打ち付け血だらけにして失神させてからレイプ、ヒモで絞殺して死体を近所の溝に捨て、1.16に逮捕された。小学生の時は成績優秀の模範生だったが、母親が死んでからグレ出し、窃盗で中学を中退、父親の跡を継ぐためよその寺で小僧になったが、長続きせず実家の寺に戻った。父親は法事のため家を空けることが多く、放任されていた。高松地裁は懲役13年の判決。
昭和2年(1927).1.18〔小学校高等科1年がイジメ自殺〕
茨城県真壁郡の自宅で深夜1時、小学校高等科1年生(12)がカミソリで腹を切り、気づいた父親が医者を呼びに行っているあいだにさらに頸動脈を切って自殺した。足が悪いことを友人にからかわれたため。
昭和2年(1927).1.30〔中3(満17〜18歳)が父親殴り殺す〕
茨城県真壁郡の自宅で深夜1時、中学3年生(19)が病気で寝ている母親に卵を食べさせようとすると、小学校校長の父親(46)が酔って怒ったのでカッとして鉄瓶を額に投げつけ全身を殴って、2.6に死亡させた。病死したと届けたが、2.8に逮捕。母親も同じ小学校の教師だった。
父親が酒乱という事情を考慮されて一審で執行猶予判決が出て確定する予定だったが、3.15に同じ村で少年が父親を殺害して、さらに6.11に隣村でも少年の父親殺しが起こって影響が憂慮されて控訴され懲役3〜5年の不定期刑となった。
昭和2年(1927).2.10〔小学校教師が女子生徒(満13歳)を繰り返しレイプ〕※参考
埼玉県入間郡で、小学校教師(27)が高等2年生の女子生徒(15)をレイプしていて諭旨免職となった。去年の8月から落第させるぞと脅して繰り返し関係を強要していたもの。教師からの手紙を男子生徒が拾って発覚した。満13歳のときからの関係なので和姦でもレイプになるため警察も捜査開始。妻と娘がいる。
昭和2年(1927).2.11〔小学生(満9〜10歳)が槍で友人刺し殺す〕
静岡県志太郡で、男子(11)が友人(11)の額をヤリで刺して殺害した。映画の影響から、家に代々伝わる本物のヤリを持ち出してチャンバラごっこをしていたもの。
昭和2年(1927).2.19〔幼児(満3〜4歳)が友人殺害〕
東京府北豊島郡三河島町(現荒川区)の自宅前で、男子(5)が女の子(6)の頭を1.5メートルの竹棒で殴った。意識不明となり、運ばれた病院で死亡。友達同士で遊んでいたが、些細なことでケンカしたもの。市電乗務員の次男。
昭和2年(1927).3.5〔19歳女子(満17〜18歳)ら母子が父親殺人〕
茨城県結城郡の自宅で、長女(19)、母親(37)、祖母(75)が父親(42)をナタで殺害、3.5に起訴された。長男(13)も取り調べを受けている。
昭和2年(1927).3.7〔小学生(満11〜12歳)が人妻の下着ドロ〕
東京府豊多摩郡代々幡町(現渋谷区)で、小学生(13)が隣家の会社員の妻(35)に何度もラブレターを渡したり、干してある服を盗んで楽しんでいたので、この主婦が警察に届けを出した。
同じ頃、小学生(12)が映画の影響を受け、「となりのおばさんはゲタ屋のおじさんと変です」という投書を警視庁に何度も出して捕まった。また、荏原郡大井町(現品川区)では13歳が映画の影響を受け幼女(8)をレイプして負傷させた。
(読売新聞の記事による)
昭和2年(1927).3.9〔9歳(満7〜8歳)が妹銃殺〕
千葉県香取郡の自宅で、長男(9)が猟銃で遊んでいて引き金を引き、妹(3)の頭を撃って死亡させた。
昭和2年(1927).3.15〔19歳(満17〜18歳)が父親殴り殺す〕
茨城県真壁郡の自宅で夜、長男(19)が就寝中の元小学校校長の父親(63)をマサカリで殴って殺害、逮捕された。父親は教師時代から金貸しで莫大な資産を築いていたがケチで、長男が昨年10月から結核になっても医者にも見せず、「この肺病野郎。金ばかり使いやがって治りはしない。早く死んでしまえ」と罵倒されたので復讐したもの。
1.30に同じ村で19歳の父親殺しが起きており、この村にある同じ学校の前の校長でもあり、この事件に影響を受けたと自供。無期が求刑されたが、少年法により下妻裁判所は懲役5〜10年の不定期刑判決。
昭和2年(1927).4.4〔20歳(満18〜19歳)が父親に塩酸かけて失明させる〕
東京市小石川区の清掃業宅で深夜3時、長男(20)が就寝中の父親(50)の顔に塩酸をかけて両目を失明させた。こずかいもくれずにこき使われてることを怨んだもの。一週間前にも味噌汁にネコイラズを入れて殺害しようとしたが、異臭で飲まなかったため失敗していた。
昭和2年(1927).4.27〔中4らが校長に反対して大暴れ〕
千葉県夷隅郡の県立中学校で、4,5年生(18)が寄宿舍の窓ガラス百数十枚を割るなど大暴れして逮捕された。校長の自由教育によって水戸高等学校などに1人も合格者を出せなかったため、校長を更迭するように知事に陳情して街中でデモ行進をしようとしたが警官隊に防止されたため激昂したもの。リーダーの5年生5人が退学処分、8人が停学処分。
軍事教練助手の特務曹長が煽動していたことが発覚し、辞表提出を迫ると校長と教頭に殴りかかった。5.19には5年生数十人も校長室に乱入して校長と教頭に暴行を働こうとし、教師2人を殴った。
校長は6.11に辞職して最後に生徒を集めて「生徒諸君は今回の事件で理解を失った、言い換えれば動物と同じである。私は去年の今頃着任の際諸君に日本一の中学校とすることを契言した。今同じ日本一でもこんな結果を生んだことは悲しいことだ」と語った。(演説内容は東京日日新聞千葉版引用)
昭和2年(1927).4.29〔女学校1年(満12〜13歳)が小6から教師と付き合って自殺未遂〕
神奈川県横須賀市の自宅裏山で、船越実科女学校1年生(14)が包丁で喉を突いて自殺を図ったが父親に発見されて病院に運ばれたため2週間のケガで済んだ。小6の時から小学校教師と恋愛関係になり、ラブレターを見られて父親に叱られたため。雑貨商の長女。
昭和2年(1927).5.4〔一高1年生4人など7人が不正入試で退学〕
一高生4人、二高、浦和、静岡高校各1人の7人が、3.17の高校入試試験で不正を行ったため退学処分となった。山形、姫路高校など5人が引き続き取り調べ。印刷局技師(43)が盗み出した試験用紙を事前に買ったもの。
昭和2年(1927).5.7〔小学校女教師が体罰で重傷を負わせる〕※参考
千葉県東葛飾郡の小学校で、女教師(28)が5年生(12)を殴って1ヶ月も寝込む重傷を負わせた。女教師がトイレに入っている時に3年生3人が扉を押さえて閉じ込めるいたずらをして逃走したが、たまたまその場にいた5年生がやったと勘違いしたもの。
学校は被害者と和解したと県に報告していたが、父兄は誠意がないと6.8に傷害罪で警察に告発した。
昭和2年(1927).5.14〔女学生が30円でヌード写真を撮らせる〕
山形県米沢市で、米沢高等女学校の生徒750人中200人が、写真館で男装だとかマリア様だとかのコスプレ写真を撮って風紀を乱している。眼科医の令嬢は三十円の報酬をもらって全裸写真を撮らせ、写真家は売りさばいていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和2年(1927).5.17〔小学校高等科1年(満12〜13歳)が学校で下級生殺害〕
鹿児島県肝属郡の小学校で、高等科1年生(14)が6年生(13)の頭をホウキで殴ってお尻を針で刺し、翌日死亡させた。詰まらないことでケンカしたもの。
昭和2年(1927).5.18〔17歳(満15〜16歳)が小学生の時の復讐殺人〕
大阪府大阪市で、男子(17)が小学校時代の同級生(16)の腹をナイフで刺して殺害、自首した。3年前のケンカの復讐をしようと、中河内郡からおびき寄せたもの。
昭和2年(1927).5.27〔中学4年生20数人が野球のことから乱闘〕
京都府八幡市の路上で、八幡中学4年生20数人が八幡専修商業学校2年生4人を襲い、棍棒やレンガで大乱闘となり、ケガ人が多数出た。野球の試合の遺恨から。
昭和2年(1927).5.20〔小学校高等科1年生ら50人が村役場に押し掛け叱った校長の転任を訴える〕
山形県北村山郡の小学校で、高等科1,2年生が植林作業をサボって苗を捨てたため校長が叱り、それに憤激した男女生徒50人以上が村役場に押し掛けて校長の転任を涙ながらに訴えた。翌日も村役場に終結して同盟休校を謀ったが一応登校した。
昭和2年(1927).5.28〔小学校教師が体罰で発狂させる〕※参考
東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現渋谷区)の小学校教室で、教師(27)が6年生(12)の頭を殴り、さらに教卓に頭を何度も打ちつけ「帰れ」と怒鳴ると、小6生は泣きながら帰宅したが、発熱して精神異常となった。昨日の下校中に同級生とケンカになって傷害を負わせたことを叱ったが、翌日の遠足に行かないから費用を返してくれと云ったため激昂して体罰を加えたもの。
医者が殴られたので発狂したと診断したため、父親は訴訟すると怒ったが、教師を転任させて、学校が治療費を払うことで示談となった。
昭和2年(1927).6.2〔継母がハサミで長男の性器を切る〕※参考
静岡県富士郡の自宅で、継母(26)が長男(3)の性器をハサミで根本から切断して重体として逮捕された。いたずらを怒ったもの。
昭和2年(1927).6.11〔19歳(満17〜18歳)が父親斬り殺す〕
茨城県真壁郡の農家で、次男(19)が寝ている父親(49)を日本刀で斬り殺して、刀を持ったまま10キロ離れた警察署に自首した。長男が常に両親を虐待し、父親が一週間前から病気になっても看病もせずに「働くのが嫌で仮病をしている」などと云っているのを見て、いっそ殺したほうが楽になるだろうと考えたもの。真面目で親孝行で表彰もされていた。
昭和2年(1927).6.17〔小4女子(満8〜9歳)が授業中に同級生女子殺害〕
東京市本所区(現墨田区)の小学校教室で、4年生女子(10)が授業中に同級生女子(10)の頭をメートル尺で殴り、翌日死亡させた。級長で、被害者の副級長とは日頃から仲が悪く、ケンカしたもの。
昭和2年(1927).6.23〔中4ら2人が学校放火で冤罪〕
福岡県福岡市の福岡中学校で深夜0時過ぎ、火事が起きて校舍を全焼、同校の4年生(17)と5年生(18)が放火で逮捕された。学期試験の最中でカンニング騒動が起きており、「学校の処分が冷酷で不公平だったから」と自供したが、裁判では自白は強制されたものと一貫して無罪を主張、懲役15年と8年が求刑されたが、一審二審とも証拠不十分で無罪が確定した。なお、現場には火の気がなく、松葉の束やマッチ箱が発見されており、放火は間違いないものと思われる。
昭和2年(1927).6.25〔19歳(満17〜18歳)がなまけ者と云われて父親斬り殺す〕
青森県青森市の山林で、3男(19)が父親(46)の頭や首を山刀でめった斬りにして殺害、逃走したがすぐに逮捕された。一緒に仕事に出掛ける時に「なまけ者」と叱られたのでケンカになってカッとしたもの。知能が低かった。
昭和2年(1927).7.12〔4歳(満2〜3歳)が妹殺害〕
大阪府大阪市の自宅で、長男(4)が次女(3)を縄で絞殺した。長女(7)と3人で映画のマネをしていたもの。
昭和2年(1927).9.10〔小4が授業中にケンカ、教師がけしかける〕
埼玉県比企郡の小学校教室で、4年生(11)が授業中に同級生(12)とケンカをはじめたが、教師(25)は「腕ずくで勝負しろ」と格闘させた。級長(11)がとめようとすると、同級生数十人に殴られたが、教師は見ているだけだった。3人は傷害を負って学校を休み、父兄は怒って同盟休校を決議。
昭和2年(1927).10.24〔慶応大学生が軍事教練中に酔って暴れる〕
千葉県下志津の陸軍演習場で、慶応大学生350人が1週間の軍事教練を受けていたが、10.24深夜1時に数十名が抜け出して料亭で酔って暴れ、帰り道でも商店の看板を壊して回り、派出所の看板まで投げ捨てたので逮捕、憲兵隊が取り調べ。
昭和2年(1927).10.25〔20歳(満18〜19歳)が陸軍要塞で強盗殺人し死刑判決〕
兵庫県津名郡(淡路島)の由良要塞で、人夫(20)が門崎砲台監守舍に押し入って就寝中の軍曹(27)の頭を棍棒でめった打ちにして殺害、軍曹の妻(20)を縛ってレイプして4円18銭を強奪して逃走、犯人捜索隊に加わり軍曹の死体を病院に運んだりしていたが逮捕された。陸軍基地で人夫になったため金には不自由せず映画やエロ本に熱中し、17歳から遊廓通いをしていた。青年団員の郵便貯金集金係として集めた19円を遊びのため使い込んでしまい、盗みを思い付いたもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
深く罪を悔いている様子を見せていたが、11.27の夜10時に洲本刑務所を脱獄した。枕で布団を膨らませ、アルミニュームの弁当箱を頭の代わりにして寝ているように見せかけて、隠し持っていた古釘一本で天井板を破り、天井裏を通って電話線修理用の扉から出たもの。育ての親である叔父宛に「脱獄して大阪に逃走する」という内容の手紙を出してから、小さな漁船を盗んで帆を張って流れの激しい海峡を夜中に渡って和歌山市まで逃走、11.29に捕まった。「一度外へ出てみたくてたまらず、紀州へ上がり活動写真を見たら面白かった」と語る。一審二審とも死刑判決。
昭和2年(1927).10.26〔中5ら100人が学校で暴れ窓ガラス千枚割る〕
千葉県山武郡の県立成東中学校で、5年生100人近くが教室、講堂、職員室などの窓ガラス千枚以上を割った。前日の軍事教練や教員排斥への反発で、近所の神社に集合してから、棍棒、竹刀、石などを手に、夜8時に叫びながら学校になだれ込んだもの。通報を受けて警官隊が急行したが引き上げたあとだった。
昭和2年(1927).10.31〔12歳(満10〜11歳)子守が幼女殺害〕
栃木県河内郡の農家で、子守の男子(12)が主人の孫娘(1)を用水路に投げ込んで殺害、宇都宮市に逃走したが夜に捕まった。福島県若松市出身で家が貧しいため10日前に子守にやられ、主人に叱られ家に帰りたくなったもの。
昭和2年(1927).11.4〔20歳(満18〜19歳)が父親刺傷〕
東京市牛込区の自宅で、大工(20)が父親(41)の腹をナイフで刺して重傷を負わせ、逮捕された。父親の大工は酒乱で母親(39)を虐待するため、母親は親戚宅に退避していたが朝食の支度に帰宅したところを紐で首を絞めて殺そうとしたので、留めるために刺したもの。3人兄弟の長男で、父親が働かないためひとりで家計を支えていた。
昭和2年(1927).11.7〔慶応大学生多数が早慶戦に勝ってカフェーで暴れる〕
東京市京橋区銀座で、慶応大学生多数がカフェー数軒で暴れて13人が逮捕された。早慶戦で勝って酔っぱらい、イスやテーブルを壊し、窓ガラスを割り、客を殴ったりしたもの。説教だけで釈放された。
昭和2年(1927).11.14〔21歳(満19〜20歳)の優等生が父親の目をえぐり取る〕
兵庫県飾磨郡の自宅で深夜3時、工員の長男(21)が父親(42)の頭を出刃包丁で6回もめった刺しにした上に、右目をえぐり取って重態として逮捕された。夜学の青年訓練所では優等生で、教員資格試験の願書も出していたが、窃盗の前科がある父親がいては出世もできないと思い詰め、直前に従兄弟宅に行って今夜は父親を殺すようなことを話してたしなめられていた。その後に父親が泥醉して帰宅したのでケンカとなったもの。父親は「世間を騒がしてなんとも申し訳ありませぬ、もし自分はこのまま殺されようとも可愛い総領息子のことですから、出来ることなら息のあるうちにお上に願ごうて罪にならぬようお願いいたしたいものです」語る。
昭和2年(1927).11.18〔小学校高等科2年生(満13〜14歳)が同級生を殴って意識不明とする〕
兵庫県神戸市で、小学校高等科2年生(15)が下校中に同級生(15)とあだ名のことで殴り合いのケンカとなり、頭を殴って意識不明としたが、学校に担ぎ込んで手当てをすると意識を取り戻した。
昭和2年(1927).11.26〔16歳女子(満14〜15歳)が陰口恨んで毒殺未遂〕
兵庫県神戸市の海産物問屋で、女子店員見習い(16)が同僚男性を殺害しようとお茶にネコイラズを入れて、11.26に殺人未遂で送検された。何度も陰口を云われていたのを恨んだもの。
昭和2年(1927).12.1〔12歳女子(満10〜11歳)がおもしろいから放火〕
兵庫県武庫郡で、女子(12)が近所の民家に放火し、火事の様子を見ながらはしゃいでいたのですぐに捕まった。数日前に酒蔵が火事になったのを見て、火事のおもしろさに夢中になったもの。
昭和2年(1927).12.16〔小2(満9〜10歳)が授業中に同級生を刺す〕
北海道旭川市の小学校の教室で、2年生(11)が授業中に鉛筆削りナイフを借りに来た同級生の腹を刺して動脈切断の重体とした。
昭和3年(1928).1.3〔中3(満15〜16歳)がピストルで女子小学生を撃つ〕
静岡県熱海町の公会堂で、中学3年生(17)が銃撃戦の映画を観ながら所持しているピストルを取り出して友人に自慢し、発射して前方の席にいた小学生の女の子(12)の右腕を貫通させて東京に逃走した。実家が熱海町にあり、東京の中学から帰省していたもの。
昭和3年(1928).1.9〔小学校教師が6年生女子18人に猥褻〕※参考
東京府豊島郡巣鴨町の小学校の教師(32)が、受け持ちの6年生女子60人のうち女学校進学希望者18人を放課後に受験指導する口実で2ヶ月間に渡って裸にして変態的行為を繰り返し、発覚して免職となった。妻と4人の子供がいる。
昭和3年(1928).2.〔21歳(満19〜20歳)が幼女レイプ殺人〕
京都府紀伊郡伏見町で、男(21)が小学6年生の女の子(14)をレイプしてから殺害、10月に白骨死体が発見された。昭和5年5.4に女の子(9)をレイプして逮捕、2年前の殺人を自白した。少女ばかり30人をレイプしていた。
昭和3年(1928).3.6〔中5数人が卒業式後に校長殴る〕
富山県高岡市の県立高岡中学校で、5年生(満17歳前後)数人が卒業式の直後に教員室に押し入り、校長と教師1人を殴った。日頃から校長に素行を注意されていたのを怨み、卒業証書を持ったまま復讐したもの。卒業式の来賓が大勢いた前での犯行。
3.9には高岡中学校卒業生数人が登校の教師1人を待ち伏せて殴ったが、教師は逆に殴り返して重傷を負わせて中学校に逃げ込んだ。
昭和3年(1928).3.15〔小6(満12〜13歳)が授業中に同級生を刺す〕
神奈川県横須賀市の小学校の教室で、6年生A(14)が同級生B(13)の胸をナイフで刺して重傷を負わせた。授業中に教師が訪問者と廊下で話しているうちに、BがAの机をナイフで削った。言ってもやめないので反対にAがBの机をナイフで削ると頭を殴られカッとしたもの。
昭和3年(1928).4.5〔中5が教師殴って職員室で大暴れ〕
福岡県福岡市の県立修猷館中学校で、5年生が職員室で教師を殴って椅子を振り回して窓ガラスを割り机を壊して大暴れした。教師総出で取り押さえようとしたが収まらないので通報で駆けつけた警官隊に逮捕された。福岡高校を目指して猛勉強をして神経衰弱になって、アメリカの大学に提出するという英文論文を書くために前夜学校で徹夜しており、英語の質問をしようとしたが放課後にしてくれと言われてカッとしたもの。
昭和3年(1928).5.7〔高等小学校2年生10数人が卒業式前に暴れる〕
福岡県大牟田市の高等小学校で、2年生10数人が3月下旬の卒業式前に担任教師への不満から教室で暴れて机や椅子をこわしたことが発覚して市議会で問題となった。教師は辞表を出したが引き留められている。
昭和3年(1928).5.20〔少年囚人3人が脱走を謀り仲間を刺傷〕
福岡県久留米市の久留米少年刑務所で、少年囚人3人が脱走を謀り、留めようとした少年囚人3人をノミで刺して重傷を負わせて塀を乗り越え、看守多数と格闘となって看守はピストルを発射、1人は自殺を図って喉や胸をノミで突き重傷となり、3人とも取り押さえられた。
昭和3年(1928).5.23〔中5(満16〜17歳)が教室で同級生刺傷〕
兵庫県明石市の明石中学校で、5年生(18)が昼休み中に教室で歌を歌っていると、自習していた同級生(18)に邪魔だからやめろと云われ、ナイフで胸を刺して重体として自宅へ逃走、逮捕された。
昭和3年(1928).6.17〔小4(満10〜11歳)が友人を刺殺〕
埼玉県北埼玉郡長野村で、小学4年生(12)が工員(14)を刺殺した。4人でクジ引き遊びをしていたが、「ごまかしてはダメだ」と頭を殴ったのでカッとして、所持していた工作用の切り出しナイフで脇を刺し、逃げるのを追っかけて背中から心臓を突き刺したもの。成績は良かったが凶暴性があった。
昭和3年(1928).6.17〔中4(満17〜18歳)がいじめ自殺〕
香川県小豆島で、中学4年生(19)が首吊り自殺した。4月に転校してきた5年生が下級生をたびたび殴るので、同盟を組んで校長に投書しようと動いていたことが発覚し、殴られるのを恐れて寄宿舍を飛び出したもの。
昭和3年(1928).6.18〔慶大生(満18〜19歳)が連続カミソリ通り魔〕
東京市麻布区の鬼子母神縁日で、慶応大学予科3年生(20)が女性6人(15〜19)の腰やお尻をカミソリで切って傷害を負わせて逃走したが、6.23に逮捕された。厳格な家庭のために反発して不良となっていた。
昭和3年(1928).6.20〔小4(満10〜11歳)が弟毒殺〕
石川県金沢市の自宅で、小学4年生(12)が療養中の3年生の弟(10)の水薬にネコイラズを入れて飲ませて毒殺した。父親は海軍主計少佐で、両親が病弱な弟ばかりを可愛がるので弟を亡き者にすれば自分が可愛がられるだろうと考えたもの。「ただ面白半分にやった」とも話す。
昭和3年(1928).6.21〔21歳(満19〜20歳)が父親絞殺〕
高知県幡多郡の自宅で、農業(21)が父親(54)を紐で絞殺、母親(50)も殺害しようとしたができずに駐在所に自首した。両親が病気で生活が苦しく無理心中を謀ったもの。
昭和3年(1928).6.23〔小1(満6歳)ら2人が幼女に硫酸あびせる〕
東京市深川区鶴歩町で、小学1年生(7,8)2人が女の子(5)を材木倉庫に連れ込み、1人が押さえつけて、1人が消火用にビールビンに入れて倉庫に積んでいた硫酸を身体にかけて自宅に逃走した。泣き叫ぶ声を聞いて近所の人が病院に運んだが4週間の重傷。これまでもこの女の子に何度か暴力を振るっていたが、親同士の間に人が入って示談となっていた。女の子の父親は「子どものいたづらにしては度が過ぎる」と激怒。
昭和3年(1928).6.27〔20歳(満18〜19歳)が強盗殺人、さらに隠蔽のため弟殺害〕
東京市世田谷区松沢町上北沢の民家で、東京美術学校彫刻科生の谷口富士郎(20)と日大第二中学4年生の省二郎(18)の兄弟が押し入り、資産家女性(66)を用意していた彫刻用カナヅチで殴ってから電線で絞殺、2円30銭入りのサイフと懐中時計などを強奪して逃走した。この年の銀行員大卒初任給70円。
富士郎は事件隠蔽のため11.11に省二郎を彫刻用カナヅチで殴り殺し、日大第二中学生の三男(17)に手伝わせて玄関に死体を埋め、さらに三男も殺害しようとしたが失敗して精神異常者として無理やり松沢病院に入れ、事件は迷宮入りとなった。中耳炎で死期が近づいた三男は昭和5年に告白、4.24に米国へ恋人と彫刻留学直前の富士郎が逮捕された。
札幌医師会副会長をしている資産家の医学博士の息子で、昭和2年に3兄弟だけで勉学のため上京。家から充分すぎる送金をしてもらっていたが、カフェーの女給数人と遊び回っていたため学費を使い込んで困り、知り合いの資産家女性を襲ったもの。
富士郎も精神異常となって松沢病院に入り裁判は中断したが、昭和10年12.5に大審院(最高裁)で無期懲役が確定した。
昭和3年(1928).7.5〔17歳(満15〜16歳)がいじめ復讐のため毒殺を謀り無関係の老人殺害〕
広島県広島市の菓子製造業宅で、見習い(17)が夕食にアヒ酸を入れ、食べた主人一家4人と見習い4人が重傷となり、7.16に主人の父親(71)が死亡、食中毒として処理されていたが、8.31に家出して実家に帰ったため疑われ、9.20に自白した。2月に勤めはじめ、先輩(18)にいじめ続けられたため毒殺を謀ったもの。
昭和3年(1928).7.28〔小学校高等科1年30人が教師に云われて同級生リンチ〕
茨城県真壁郡の小学校教室で、高等科1年生(14)が同級生30人以上に殴られ傷害を負った。教師が修身の授業に「掃除をさぼった者は殴ってもよい」と云ったため。父兄の間で大問題となった。
昭和3年(1928).9.15〔21歳(満19〜20歳)消防隊員が連続放火〕
兵庫県武庫郡で、手伝い職(21)が民家に放火して警戒中の刑事に逮捕された。昨年末から14件の放火を繰り返し、10数万円の被害を及ぼしていた。雑貨商の長男で、昨年に甲南中学を卒業したが父親の商売がうまくいかなくなって進学できず職を転々として金は遊興費に使い果たして、金持ちに反感を持って大邸宅ばかりを狙っていた。村の消防隊員のため警察の警戒網を熟知して裏をかいていた。
昭和3年(1928).9.16〔21歳(満19〜20歳)が継母殺害〕
愛媛県宇和島市の自宅で、長男(21)が継母(49)の胸をキリで刺して殺害、自首した。5月に母親(45)が死亡したのは継母が呪い殺したからだとケンカが絶えなかった。
昭和3年(1928).9.18〔15歳(満13〜14歳)が弟殺害〕
熊本県熊本市の連隊跡で、兄(15)が弟(7)の頭を棍棒で殴って殺害、すぐに逮捕された。数年前に両親に捨てられ、兄が安来節を歌って弟が踊って暮らしていたが、弟が踊りを嫌って逃げようとしたためカッとしたもの。
昭和3年(1928).9.18〔19歳日系2世が誘拐殺人 ギル少年殺し〕
米国準州ハワイで、日系2世マイルス福永寛(19)が名門プナホウ・スクールからハワイ信託会社副社長の息子(10)を誘拐、身代金1万ドルを要求して父親から直接4千ドルを得たが少年を殺害して死体を遺棄、金を使ったために足がついて23日に逮捕された。山口県からの移民の子としてハワイで生まれ、貧しい両親が信託会社の集金人に侮辱された復讐をして両親を日本に帰すために金を取ったと自供。数千人がリンチにしようと警察署を取り囲み、日系人への感情が極めて悪化。1929年11.19に死刑執行。
昭和3年(1928).9.22〔小4(満9〜10歳)が叱られて自殺未遂〕
茨城県筑波郡で、小学4年生(11)が学校を飛び出し裏山で帯を使って首吊り自殺を図って意識を失ったが、担任教師が見つけて人工呼吸をして命を取り留めた。音楽担当の女性教師の授業のやり方に抗議したが叱られたため当てつけに死のうとしたもの。
昭和3年(1928).9.25〔21歳(満19〜20歳)嫁が姑殺害未遂〕
兵庫県城崎郡の農家で、嫁(21)が姑(59)に殺鼠剤入りの柿を食べさせたが異味に吐き出したため腰紐で絞殺しようとしたが噛み付かれて失敗、大阪に逃走して自殺を図ったが死に切れずに9.27に逮捕された。昨年10月に結婚してから姑に虐待されて、復讐しようとしたもの。
昭和3年(1928).9.29〔女子(満10〜11歳)がいじめ復讐のため殺人未遂〕
東京府荏原郡世田谷町(現在の世田谷区)で、女子(12)が男子(8)を川に突き落としたが通行人に救助され、女子は数日後に補導されたが説教だけですぐに帰された。生まれつきの聾唖者で、いじめられていたので復讐のためにこれまでも同様の事件を繰り返していた。
昭和3年(1928).10.5〔小5(満11〜12歳)が教室で同級生を傷害致死?〕
千葉県東葛飾郡の小学校の教室で、5年生(12)が同級生(12)の腕をナイフで刺して重傷を負わせたが、翌日に余病を併発して死亡した。休憩時間中に些細なことでケンカして机のフタで殴ってきたので、やり返したもの。遺族がケガとは関係なく急性脳膜炎で死んだと主張するので解決。
昭和3年(1928).10.6〔小4クラス全員が女教師に暴行〕
千葉県香取郡の小学校で、4年生45人が授業のため教室に入ってきた担任の女性教師を机のフタで袋叩きにして額に5センチ以上の傷と打撲傷を負わせた。日頃から厳しいことを恨んで復讐したもの。
昭和3年(1928).10.15〔高等小学校2年生女子(満13〜14歳)23人が体罰に反発してスト〕
千葉県山武郡の高等小学校で、2年生女子23人全員が同盟休校を決行した。男子30人のクラスに今年から女子が編入されたが、担任教師は女子に厳しく日頃から殴ることがあり、この日はグズ、バカと云われたので、村会議員の長女(15)をリーダーとして結束したもの。学校は説得にあたり、10.18から登校することになった。
昭和3年(1928).10.17〔女性教師(満17〜18歳)が成績苦に自殺未遂〕
神奈川県鎌倉市の小学校教室で、女性教師(19)が服毒自殺を図って重体となった。担任をしている4年生クラスの成績が振るわず、10.15の運動会でもいい結果が残せなかったことを苦にして、理科室の戸棚を火箸で壊して昇汞水を大量に飲んだもの。横浜女子本科をトップで卒業し、4月に勤めはじめたばかり。責任感が強かった。
昭和3年(1928).10.25〔小学校高等科1年生が同級生刺傷〕
樺太北名好村の小学校のそばで、小学校高等科1年生(現在の中1に相当)が同級生と詰まらないことでケンカしてカッとして胸をナイフで刺して重体とした。
昭和3年(1928).10.28〔日大予科生(満19〜20歳)が巡査をナイフで刺す〕
東京市本郷区の路上で深夜2時、日大予科生(21)が巡査の胸をナイフで刺して逃走、すぐに逮捕された。酔って放歌高吟して歩いていたので連行されそうになって逃げようとしたもの。
昭和3年(1928).12.1〔少年が幼女レイプ殺人して性器に泥を詰める〕
東京府南葛飾郡亀戸町(現江東区)の路上で、17〜18歳の学帽、マント姿の少年が、同級生や妹と遊んでいた小学1年生の女の子(7)を連れ出し、深夜に吾嬬町(現墨田区)の路上でレイプして絞殺、全裸にして性器に泥を詰めて、首には奇麗な帯を二重に結びつけたまま、百メートル離れた池まで引きずって投げ捨てた。翌日、死体発見。
※犯人が捕まったかどうかご存じの方はご教示をよろしく。
昭和3年(1928).12.11〔女子師範学校4年生(満17〜18歳)が寄宿舍放火〕
高知県高知市の女子師範学校で、4年生(19)が放火して寄宿舍を全焼させ、逮捕された。2年前から活動写真の音楽師(20)と交際して妊娠6ヶ月となって、厳格な父親は結婚も赦さないだろうと思い詰め試験が迫っていることもあって自暴自棄になり、住居していた寄宿舍で焼身自殺を図ったもの。裕福な旅館経営者の次女。懲役3年。
昭和3年(1928).12.15〔早実4年生(満17〜18歳)が女中をレイプ殺人〕
東京市四谷区の自宅で深夜3時、早稲田実業本科4年生(19)が就寝中の女中(16)をレイプしようとして絞殺、逃走したが6時に自首した。5年前に代議士の叔父に引き取られ、2年前から住み込んでいた女中に恋するようになった。バスケットの選手。
昭和4年(1929).1.14〔17歳(満15〜16歳)が主人の家族2人を殺人未遂〕
東京府西多摩郡五日市町(現あきる野市)の洋品店で、従業員(17)が主人の甥(16)とケンカして釘抜きで頭を殴って意識不明の重傷を負わせた。殺したと思い、ひとり殺すもふたり殺すも同じと、甥の伯母(50)の首を紐で絞めて重傷を負わせて逃亡、すぐに逮捕された。
昭和4年(1929).1.17〔小学校高等科1年が教師に殴られ重傷〕※参考
千葉県印旛郡の小学校教室で、高等科1年生(13,14)2人が授業中におしゃべりをしていたため教師にコンパスで頭を殴られたが、針が刺さって2人とも重傷を負った。事件を隠蔽したまま示談にしようとしたが、農民組合県連合会本部は真相究明と責任追及を図る方針。
昭和4年(1929).1.20〔小学校高等科1年生(満13〜14歳)が同級生を少年雑誌のことで傷害致死〕
東京府北豊島郡岩淵町(現北区)の路上で、小学校高等科1年生(15)が下校中に同級生(15)と少年雑誌のことでケンカしてカッとして胸を突いて転倒させ、後頭部を強打して1.22に死亡させた。
昭和4年(1929).1.26〔5歳(満3〜4歳)がふざけて猟銃で重傷負わす〕
岡山県邑久郡で、男子(5)が父親に連れられて父親の友人(27)を訪ねたが、友人は狩猟に出掛けるため猟銃を持っており、男子がふざけていきなり引き金を引いて友人の手を撃ち抜いて重傷を負わせた。
昭和4年(1929).2.4〔小6がいじめ殺人〕
北海道上川郡の路上で、小学6年生男子が小学校高等科1年生(現在の中1に相当)女子(13)の肋骨を骨折させ、2.17に死亡させた。気の弱い女子は日頃から同級生や下級生からもいじめられており、そのため学校を休むこともあったが、親は「お前が意気地がないからだ」「先生に言いつければいい」と云って対策を取らなかった。下校時に小6生3人が「弱虫」といじめたが、女子が「いじめると姉さんに言いつけるわよ」と言い返したので「女のくせに生意気だぞ」と倒れた女子を強く蹴ったもの。学校は事件を隠蔽しマスコミの追及にも否認。親も泣き寝入り。
昭和4年(1929).2.9〔20歳女子(満18〜19歳)が母の顔をカミソリで切り裂く〕
鳥取県鳥取市の自宅で、次女(20)が母親の顔をカミソリで十数回切り裂き、重態として逮捕された。姉の腕時計をいじっていたので母親に叱られてカッとしたもの。精神病だが、会社で働く姉の収入だけで暮らしてるため医者に掛かることができなかった。
昭和4年(1929).2.19〔9歳(満7〜8歳)が6歳を猟銃で射殺〕
岡山県御津郡の自宅で、9歳が隣家の6歳を射殺。母親が3時のおやつにモチを出してくれたが、焼き方が悪いとわがままを言って食べなかった。そこへ遊びに来た6歳が「おまえが食べねば、わしが食べてやろう」と食べ出したので怒って、「毒が入っているので死ぬぞ」「撃ち殺すぞ」などと脅したが、「撃ってもよい」と6歳が言い返したので、父親の猟銃で心臓を狙い撃ちしたもの。
昭和4年(1929).2.19〔天長節も知らぬ優秀な職員の卵 呆れた無試験検定の選抜受験者 大阪朝日新聞岡山版引用〕※参考
岡山県の小学校教員無試験検定受験者は約千名あり、一月十八日第一回検定委員会を開き履歴審査の上、約七百名をオミットした残りの三百余名にたいし。さる十二日から十七日まで男子師範学校において実地授業、身体検査、口頭試験などを行ったが某委員の談によると、口答試験で天長節が何月何日であるか判らないものや教育勅語がいつ御下賜になったかも知らず、また一坪の面積がはっきりしないものもあったそうでその没常識に驚いていた(後略)
昭和4年(1929).2.23〔12歳(満10〜11歳)が女子を猟銃で射殺〕
島根県那珂郡で、男子(12)が隣家の女子(13)と遊んでいて、女子の父親の猟銃を持ち出してふざけて撃つと弾が入っていたため頭を撃ち抜き即死した。
昭和4年(1929).3.2〔21歳(満19〜20歳)が幼女レイプ殺人〕
和歌山県和歌山市の元小学校跡トイレで、石炭仲仕(21)が幼稚園児の女の子(8)をレイプしようとして騒がれたので絞殺、3.6に逮捕され翌日自白した。幼稚園から帰宅中の女の子に2銭をやって仲良くなり、トイレに行きたいと案内させて連れ込んだもの。取り調べ中に警察署から飛び降り自殺を図った。
昭和4年(1929).3.6〔女学生らの不良グループ「都島社」〕
大阪府大阪市で、私立女学校生2人らの不良グループ「都島社」20数人が逮捕された。2百軒の借家を所有する資産家の息子などもメンバーで、カフェー荒らしや公衆電話を壊して金を盗んだりしていた。
昭和4年(1929).3.10〔小学生百数十人が映画上映会で死傷〕※参考
朝鮮の鎮海要塞司令部で、日本陸軍が日本人小学生のために陸軍記念日映画上映会を開いたが、映写技師を置かずに兵が操作したこともあってフィルムが炎上、死傷者百数十人となった。多数の父兄が損害賠償訴訟を起こしたが、そのうちのひとりは非常時に陸軍と争うのはよろしくないと昭和8年4.12に取り下げた。
昭和4年(1929).3.11〔15歳(満13〜14歳)が幼女を連れ去り縛り上げる〕
東京府荏原郡入新井町の路上で、少年(15)が1人で遊んでいた女の子(6)を連れ去り両足を荒縄で縛って神社に放置、4.7に女の子(5)を連れ去り両足を荒縄で縛って空き家の縁の下に放り込み、4.13に女の子(4)を連れ去り両足を縛ってゴミ箱に放り込み、4.20に女の子(5)を連れ去り両足を荒縄で縛り、4.22に逮捕された。4人とも心配した家族が近所の人たちと探し回ってその日のうちに発見している。
郵便局電話書記の次男で、小学校高等科を粗暴のため3月に退学させられ、4.6に貯金局給仕として働きはじめたばかり。この頃、小さい子を追いかけて捕まえて縛り上げる「猫と鼠」という鬼ごっこが流行っていたが、やっているうちに幼女を縛り上げることに快感を覚えるようになり、ほかにも何件か犯行を繰り返していた。このあたりの子供達を率いるガキ大将で、2年前に窃盗で取り調べられたことがある。
昭和4年(1929).3.20〔19歳(満17〜18歳)が主人一家と同僚16人皆殺し〕
奈良県奈良市の薬局で、従業員(19)が主人一家10人と雇い人6人の皆殺しを謀り、朝食に塩酸モルヒネを混入して、雇い人1人が重体、残りも重傷となった。主人に疎まれるようになったため、1ヶ月前に薬を盗んで計画していた。
昭和4年(1929).3.25〔女学生23人らが万引きしてレイプされる〕
東京市四谷区新宿のほてい屋百貨店で、掃除夫(27)が1年前から万引き女30人以上を脅して3.25に逮捕された。ほてい屋では万引き犯を地下室に連行して住所氏名を書き取るだけで警察に通報せず帰していたが、掃除夫は名簿を書き写して学校の帰りを待ち伏せるなどして女学生23人、人妻5人などから金を脅し盗ったり木賃宿に連れ込んでレイプ、弱みがあるため届けは出されなかった。3.17に女学生(17)に脅迫状を送っておびき出そうとしたが、万引きしたのは友達で名前を騙っただけだったため通報されて足がついたもの。妻もいて、日給1円70銭をもらっていた。東京地裁は懲役2年判決。
昭和3年の名簿に記載された311人中、男は27人だけで残りは総て女。女の7割は19歳以下でほとんどが女学生、私立校に通う裕福な家庭が多い。全員が警察に取り調べを受け、皆「つい無意識に盗んだ」と云う。ほてい屋は隣りに進出してきた伊勢丹に昭和11年に吸収合併された。
昭和4年(1929).5.9〔教師が小5(満10〜11歳)を体罰殺人〕※参考
鹿児島県谷山町の小学校教室で、教師(23)が5年生(12)の目を殴り、倒れたところを左右の肺を蹴り、5.12に死亡させて逮捕された。5人で鉛筆を賭けたジャンケンをしていたため体罰を加えたもの。傷害致死で起訴された。
昭和4年(1929).4.16〔20歳(満18〜19歳)が友人刺殺〕
東京府北豊島郡尾久町(現荒川区)の路上で、少年(20)が友人(19)の太ももをナイフで刺して殺害した。カフェーで飲んでケンカして、一度はおさまったが帰りにまたケンカしたもの。
昭和4年(1929).5.18〔21歳(満19〜20歳)が幼女猥褻殺人〕
東京府北多摩郡村山村で、男(21)が近所の小学3年生の女の子(9)を麦畑に連れ込み、鎌で殺害、翌日死体が発見されて逮捕された。知的障害者で日頃から幼女らにいたずらを繰り返していた。
昭和4年(1929).5.26〔慶応大生6人が警官袋叩き〕
東京府豊多摩郡渋谷町(現渋谷区)の路上で深夜2時過ぎ、慶応大生6人が酔って商店を壊して暴れていたので巡査が注意すると袋叩きにして1ヶ月の重傷を負わせて、駆けつけた警官隊に逮捕された。
昭和4年(1929).5.28〔小学校高等2年(満13〜14歳)が学校で刺傷〕
埼玉県秩父郡の小学校教室で、高等2年生(15)が同級生(15)の下腹部を手工用ナイフで刺して重傷を負わせた。詰まらないことでケンカしたもの。
昭和4年(1929).6.4〔専門学校生(満19〜20歳)がカフェーで同級生刺殺〕
東京市神田区のカフェー前で、東京手工学校生(21)が同級生(21)の腹など5カ所をナイフで刺して殺害して逃走、翌日逮捕された。不良仲間で、学生からカツアゲした金のことで脅されて、復讐のためカフェーで飲んでいるところを表に連れ出したもの。
昭和4年(1929).6.4〔慶応大生10数人がカフェーで乱闘〕
東京市京橋区銀座のカフェーで、慶応大学生10数人が男性客(27)ら3人を袋叩きにして4週間などの傷害を負わせて逃走した。酔って歌い踊っていて、ケンカとなったもの。慶大生の大半は未成年。
昭和4年(1929).7.2〔専門学校生(満18〜19歳)が人妻と不倫して亭主殺害〕
東京府荏原郡大崎町(現品川区)の自宅で、東京高等工商学校生(20)が同居している会社員(39)の喉を殴って死亡させ、7.19に傷害致死で送局された。会社員の妻(32)と関係を持ってケンカとなったもの。
昭和4年(1929).7.22〔小6(満11〜12歳)がケンカで刺殺〕
千葉県千葉郡の路上で、小学6年生(13)が隣り村の6年生(13)と村自慢のことでケンカとなり、ナイフで胸を刺して殺害した。
昭和4年(1929).7.25〔19歳(満17〜18歳)が新宿で仕込み杖振り回して暴れる〕
東京市四谷区新宿の刀剣店で、無職(19)が仕込み杖を盗んで逃走、追っ掛けてきた店員(20)の太ももを刺し、大工宅に押し入って「1円貸せ」と怒鳴り、隣家でも「1円貸せ」と脅したが、とび職(43)が斬られながらも仕込み杖を奪い、警官に逮捕された。愛知県西加茂郡で三助をしていたが、ヴァイオリンを習い、音楽家になろうと7.17に上京したばかりだった。
昭和4年(1929).7.27〔19歳ら兄弟が異父兄を殺害〕
奈良県磯城郡の自宅で、次男(26)と三男(19)が長男(31)を殺害した。母親は長男を産んだ後に夫と死に別れ、夫の弟と結婚して次男など6人の子を産んだ。新しい夫も亡くなり家長となっていた長男夫婦は母親と折り合いが悪くないがしろにするため、母親は指物職となって別家を構えていた次男にこれ以上長男と同居することはできないと訴えたので、怒った次男は長男夫婦を家から追い出し抵抗するなら殺してしまおうとナイフと目潰しの鉄粉を持って乗り込み、長男と取っ組み合いとなり、三男が長男の首を絞めて動けなくし、次男がナイフでめった刺しにしたもの。
陪審員が次男は殺人、三男は傷害致死と答申をして、事情を考慮したため次男は懲役6年、三男は執行猶予となった。
昭和4年(1929).8.7〔不良狩で暴露された当世職業婦人の内幕 軟派硬派の『悪』より恐しい盛り場を毒す現代女 東京朝日新聞引用〕
警視庁不良少年係では最近検事局と協力して連日の如く欽座、新宿、渋谷、四谷等各方面の盛り場で不良狩りを行ひ毎夜四五十名の不良モボ、モガを検挙し、一応取調べの上不良態度の軽いものには説諭を加えて帰宅を許してゐるがこの総ざらへ的検事の結果係官の眼に映じた不良モボ、モガの傾向は従来のそれとは非常に違ひ、むしばまれてく社会層のある断面が痛切に暴露されるに至つた。
何一つ不自由のないお嬢さんが案内人 ジャズ生活に浸りたい一心 男から男への生活
今日まで網にかゝつた男女の数はほゞ同数位であることも新傾向だが、その内挙げられた女の七割は職業婦人であり、男は若い会社員が全部的であることが分つた。昔日はかうした場合検挙されるものは女は大概職業的売笑婦、男は硬派、若くは軟派と称するいはゆる不良に限られてゐたのだが、今やさうした職業的不良は数において遠く前述のきやう楽主義中心の男女におよびもつかなくなつた、それは職業婦人は外出が自由で多少なりとも経済的独立があつて、お小遺ひに不自由しなく会社から一度は自宅へ帰る、それから濃厚に口紅などつけて銀座その他に出てまるでストリート・ガールのやうな態度で面識もない男に話しかけ、友達となり、華やかな火影に戲るるといふのが現状である、かうした男女の気り合つた動機について係官の取調べたところによると、ほとんど女から能動的に出てゐるに対し、男はやはり平凡で昔も今もあまり変りはなく、昨今の女の変り方は実に著るしく、こびを売るのではないが男から男へただきやう楽中心に渡り歩く、貞操とか結婚とか家庭といふやうな人生の厳しゆくな真実についてはほとんど何んにも考へてゐないやうだと係官は驚いてゐる、一例を挙げると
某商事会社重役の令嬢が今度挙げられたが、この女は家出後、時々実父に面会を強要して三十円乃至五十円の金をせびる、もし金をくれなければ売笑婦になるなどといつて父を脅迫する、そして自分は京橋八丁堀に二間の家を借りてそこに一人で生活し、朝起きればすぐ銀座へ出で男の友達と活動に行つたり、ダンス・ホールに出かけたり、ホテルに泊つたりしてゐた
更に其商館理事の令嬢は親の家を出て常設館の女案内人を何の不自由のない身でありながらしてゐたといふ事実もある、廃たいしきつた彼の女等には家庭の日常生活などは灰色すぎてゐられない、身を女案内人にまで落して、ジヤズ的な悪魔的な空気に浸つてゐたいといふのである。
かうした実例は今度の検挙の中には無数にある、兎に角もつとも堅実な家庭として見られてゐた中流社会の子女が、もつとも多いのも新しい傾向で、かくまで魂が腐つてきてゐるかといふことがわかつてむしろ恐しいと係官は舌を巻いてゐる
デカダン過ぎる最近の世相 ヨリ以上の不良老年 三輪田元道氏の談
「慨はしい傾向だと思ひます、一般に最近の世相はテカダンに過ぎる、この世相が意志の弱い青年男女をどんどん不良の徒の中にまき込んでゆくのだ、これは社会共同の連帯責任である、単に家庭とか学校とかだけを責める訳にはゆかない、しかも旧道徳は時代思想に打ちこはされ、しかも新道徳の建設なく、今の若い人達は正にその迷路にさまよつてゐるのだ、権威ある学者によつて時代に副ふ新道徳が提唱される事を吾々は望んでゐる、もし警視庁が不良老年狩りをやれば更に数倍の検挙者をだした事であらう、是等の不良老年が真先に悪い範を垂れる結果は、その家庭にいゝ影響を与へない、要するに社会の環境がかうした不良青少年を生んだので、これは政治家も教育家も社会改良家も共に真面目に考へねばならぬ事だ。」
(東京朝日新聞1929.8.7引用)
昭和4年(1929).8.12〔17歳(満15〜16歳)が連続通り魔〕
大阪府大阪市の路上で、アナゴ屋店員(17)が自転車に乗って女性3人のひじを刃物で切って逃走、8.15に逮捕された。
昭和4年(1929).9.19〔中4(満14〜15歳)が復讐日記に誓って刺傷〕
東京府北豊島郡池袋の路上で、中学4年生(16)が学生(19)の腹をナイフで刺して逃走、翌日逮捕された。8.21に路上でこの学生から金をカツアゲしようとしたが殴られ、復讐してやると日記に書いていた。
昭和4年(1929).10.15〔女学校1年生(満12〜13歳)3人が女優になるため京都へ家出〕
東京市麻布区の東洋英和女学校1年生(14)3人組が、女優になるため家出して10.17に京都駅前の旅館で保護された。3人とも金持ちの娘で、おとなしい性格だった。
昭和4年(1929).10.19〔中3(満13〜14歳)が校庭で同級生刺して重体〕
東京府荏原郡大崎町(現品川区)の中学校校庭で、3年生(15)が同級生(15)の首を絞めたので所持していたナイフで心臓を刺して重体とした。仲が良く、ふざけあっていたもの。
昭和4年(1929).10.21〔小6(満11〜12歳)がケンカで刺傷〕
千葉県香取郡の小学校で、6年生(13)が5年生(11)の腕をナイフで刺して重傷を負わせて、さらに刺そうとしているところを教師に取り押さえられた。日頃から仲が悪く、校庭でケンカしたもの。
学務部長談「以前からいがみ合いをしていたもので、学校当局でも相当注意していたものである。加害者の実父は退校させるといっているが前途ある小学児童のこととて学校当局で注意して退校させぬ考えである」(談話は東京日日新聞千葉版引用)
昭和4年(1929).10.26〔17歳(満15〜16歳)ら2人が路上強盗殺人〕
福岡県八女郡の路上で、無職少年(17)と無職(22)の2人組が、中国人行商人(26)を絞殺、35円入りのサイフと腕時計を強奪して逃走した。翌年1.6に海軍2等機関兵(21)が逮捕、軍隊内で同僚の時計を盗んで軍法会議に掛けられたが逃走して植木商雇い人をやっているときの犯行だとされ、アリバイを主張する家族まで拷問を受けて無期懲役となった。
昭和6年8.27に福岡市のたばこ屋で、無職少年(19)ら少年3人組が押し入り、ピストルで脅して現金40円を強奪して逃走した。翌日逮捕されて、無職少年は2年前の犯行を自供。真犯人2人は無期懲役となり、2等機関兵は再審で中国人殺しは無罪となった。
昭和4年(1929).11.5〔27歳(満25〜26歳)が女性多数を襲う顔切魔〕※参考
大阪府大阪市の路上で夜9時半、自転車に乗った金属加工職人(27)が女性(24)のメガネを奪って逃走したが、すぐに逮捕された。去年1月から若い女性ばかり多数の頬を刃物で切り付けたが人数は覚えていないと自供。近辺では数年前から数十件の路上顔切魔事件が発生している。3月には内務大臣の姪(29)も頬を切られたので、警察は4千人体制で大捜査を展開していた。犯人はおとなしい性格で評判もよく、妻と生れたばかりの子どもがいる。2年前の暮れに顔切り事件が起きたが犯人が捕まらなかったので、自分がやっても大丈夫だろうと思ったと話している。
昭和4年(1929).11.7〔中5(満16〜17歳)ら3人が偽造チケットでダンスホール通い〕
東京市赤坂区のダンスホールで、中学5年生(18)、専門学校2年生(21)ら3人が、偽造チケットで入場しようとして挙動不審から逮捕された。ジャズにはまって毎日通い、金がなくなったので9月に印刷所で千枚偽造して毎日使用していたもの。
昭和4年(1929).11.24〔高等小学校2年生女子(満14歳)が教師に妊娠させられ自殺〕
兵庫県神戸市の須磨海岸で、高等小学校2年生女子(満14歳)が入水自殺した。奈良県磯城郡の小学6年生だったときの担任教師(31)が、高等小学校入学後も自宅などで勉強を教えており、この年の4月から肉体関係を持つようになり妊娠した。教師は妻とふたりの子持ちで、女子を密かに堕胎させようとこの日に家出させ大阪市内を連れ回し、岡山県の姉宅に連れて行く途中で下車、感傷的な言葉を弄して自殺へと追い込み、足を縛るための紐まで渡していた。まったく改悛の情を示さず、自殺教唆と自殺幇助で一審は懲役6年判決。教師は控訴した。女子は成績優秀で、女子師範学校入試のため勉強に励んでいた。
昭和4年(1929).11.27〔中3(満15〜16歳)が鎌で家族皆殺しを謀り、父親に射殺される〕
新潟県中蒲原郡の自宅で、次男の中学3年生(17)が鎌を振り回して家族を皆殺しにしようと暴れたので、父親の退役陸軍大尉(54)がピストルで射殺した。勉強のし過ぎでノイローゼになっていたもの。
昭和4年(1929).12.8〔高1(満16〜17歳)がカンニングで退学となり六高同盟休校〕
岡山県岡山市の第六高等学校で、理科1年生(18)が英語の試験でカンニングをして、翌日退学処分になったが、六高の伝統である自由主義に反する厳罰主義を排撃すると宣言して生徒600人以上が団結して同盟休校に入った。
昭和5年(1930).1.15〔17歳(満15〜16歳)が恩人を殺害〕
大阪府南河内郡藤井寺町で、少年(17)が銀行支店長の妻(53)の頭をカナヅチで滅多打ちにして殺害、自転車を盗んで逃走したが、その日のうちに逮捕された。銀行支店長は資産家で社会事業に打ち込み、不良少年を自費で何人も預かっていたが、この少年も去年の8月に感化院を出てから自宅に同居させて面倒を見ており、更生したので雑貨店を持たせてやろうとしていたところだった。ケンカしてカッとしてやったと自供。
昭和5年(1930).1.25〔小学校高等科2年が女の髷切り通り魔〕
大阪府大阪市東成区の路上で、小学校高等科2年生(現在の中2に相当)が、子供を背負っている主婦(35)に「おばさん頭にゴミがついています払ってあげましょう」と近づき丸髷をつかむとカミソリで根元から切り取りニッと笑って円タクで逃走、翌日に捕まった。
女中もいる裕福な家庭の内縁の妻の連れ子で、活動写真や探偵小説好きの、女の日本髪に慾情する変態性欲者。咋年の夏頃から砂を持ち歩いて擦れ違う女にふりかけて「モシモシ髪に砂がかかっています」と髪に触っていたが、やがて30歳以上の年増女に興味を持つようになり、また触るだけでは満足できなくなり髪を切るようになった。20人以上を襲ったと自供。
昭和5年(1930).1.25〔小学校児童八十余名が突如同盟休校をなす 訓導の殴打を憤慨し鹿児島県下教育界の珍事 鹿児島日日新聞引用〕
鹿児島県姶良郡溝辺村小学校高等科一二年生徒八十余名は二十一日午前九時朝礼が終るとともに突如同盟休校を決行したので同校では非常に驚き狼狽の余り直に父兄を呼出し協議の上、翌二十二日から一応全部出席させる事となって表面は一段落ついた形となって居るが、小学児童がかゝる挙に出る事となった裏面にはいろんな事情が伏在してゐたのである。
右に就き加治木警察署から滝警部補が出張取調べの結果、高等科一年生徒担任福元訓導が去る十五日同郡中津川小学校から転任し間もなく算術の試験を行った際、二三名の生徒が余り不成績であったといふので之を殴打し更に二十一日朝礼の際生徒が行儀が悪かったと云ふので憤慨して又も鞭で生徒数名を殴打したので一二年生徒は遂に同盟休校した事が判明し、学校当局でも容易ならぬ問題として重視して居る、一方父兄側では同訓導排斥運動を起して目下紛争中である。
(鹿児島日日1.25引用)
昭和5年(1930).2.17〔小6ら60人の万引き団〕
広島県安佐郡で、小学校高等2年生(14)をリーダーとする6年生を含む60人の万引き団が捕まった。高等2年生(現在の中2に相当)40人のうち36人がグループに加わっており、付近の店で犯行を繰り返し、アジトには現金25円、鉛筆30ダース、ハーモニカ、運動靴などが隠されていた。
昭和5年(1930).2.21〔20歳(満18〜19歳)タクシー運転手が酔っぱらい運転で轢き逃げ〕
福岡県大牟田市の路上で深夜1時過ぎ、タクシー運転手(20)が男性(43)を轢き殺して熊本県玉名郡の会社まで逃走したが、翌日逮捕された。酔っぱらい運転だった。
昭和5年(1930).2.27〔女学校5年生(満17〜18歳)らが桃色交遊〕
長野県北佐久郡で、小諸高等女学校5年生(19)と小諸高等商業学校5年生(20)が不純異性交遊を繰り返していて退学処分となった。一年前に同級生(20)がこの女子にラブレターを贈っていたが、級長が風紀問題だと女子を脅して横取り、温泉などで関係を続け、怒った同級生が校長に投書したもの。卒業が近いので処分は救済される予定。
昭和5年(1930).3.1〔中学生(満12〜13歳)ら不良学生80人が私娼街に通い逮捕〕
東京府南葛飾郡(現墨田区)の私娼街・玉の井で、警視庁が一晩だけで不良学生80人を逮捕。37人が14歳などの中学生、43人が大学や専門学校の学生。これまで警視庁が逮捕した不良学生はほとんどが上流階級の子弟で、高額なこづかいを持ち、35%が性病で、しかも玉の井や亀戸などの私娼街で感染したことが調査で判明したため、玉の井を標的にしたもの。
今回逮捕した者も有名な教育家の長男など上流の子弟ばかりで、運動部費や修学旅行積み立て費などと騙して親から金をもらい、授業をさぼって遊んおり、警察に呼び出されて親ははじめて知らされて驚いている。なかには高額の仕送りを送ってもらい、地方の親には学校に通っているように装いながら学籍さえないニートもいた。
昭和5年(1930).3.10〔小4ら百人が地主宅に投石〕
山梨県中巨摩郡で、小学4年生百人以上が前村長の地主宅を取り囲んで革命歌を歌いながら投石、駐在所も取り囲んで気勢を上げた。小作争議に影響を受けて、無産少年団を結成したもの。男子60人、女子40人以上。
昭和5年(1930).4.9〔女子新聞記者(満19〜20歳)が教師のスキャンダルネタに恐喝〕
京都府南桑田郡で、大正日日新聞女子新聞記者(21)が村長に対して小学校女性教師との関係を新聞に書くと原稿を見せて150円を要求、4.17に内金50円を受け取って逮捕された。それまでも小学校教師の堕胎や小学校の粉飾をネタにゆすっていたことも自供した。小卒で看護婦になったが、婦人記者になるため家出して東京の女学校や日大夜間部に学んで社会部記者になった。しかし、給料はなく恐喝で金を得るように会社には云われていた。また、婦人参政権運動のための上京費や洋装代を得るため。
大正9年につぶれた有名な大正日日新聞から名前だけが転々と買収されたもので、経営は関係がない。
昭和5年(1930).4.27〔16歳(満14〜15歳)ら2人組が探偵小説に影響され科学的犯罪計画〕
北海道函館市で、少年(16)と無職(20)が雑誌
『新青年』の探偵小説に影響されて科学的犯罪を計画、劇薬を買ってまず猫と子供に飲ませて試験して、資産家を狙おうとしていたところを5.8に逮捕された。
昭和5年(1930).5.9〔農業学校2年生がいじめで傷害〕
北海道旭川市の永山農業学校で、2年生多数が同級生(16)を胴上げして失神させた。同級生は一番年少で身体も小さかったため、21歳が先導していじめたもの。一度は帰宅したが顔が張れ上がって入院し重態となった。
昭和5年(1930).5.31〔中4(満17〜18歳)が修学旅行でナイフで刺す〕
青森県青森市で夜11時、北海中学4年生(19)が青森商業5年生(18)の胸をナイフで刺して重態として逃走、列車内で逮捕された。札幌から京都へ修学旅行に行く途中の列車待ちの時間に、夜店で肩が触れたことから3人対2人でケンカになったもの。
昭和5年(1930).6.3〔寄宿舎を脱出して比島選手と醜行 三輪田高女生等九名 国民新聞引用〕
極東オリンピツク競技会の裏に神宮の神聖を汚し国際的な恥辱を残した女学生の風紀問題について、警視庁並に四谷署ではその後引つゞき調査を行つてゐるが、女学生の頽廃的な、そして大胆な開放的態度は意外に露骨なものがあり、取調べの係官も驚いてゐる、教育界の元老三輪田元道氏を校長とする三輪田高等女学校の寄宿舎生が、ヒリツピン選手と風紀を紊したのを取調べたところ、同校生徒山田はる(18)(仮名)齋藤よしえ(15)(仮名)竹内みち(17)(仮名)と判明三十日午後七時半頃三名は寄宿舎をぬけ出し、神宮外苑でヒリツピン選手と風紀を紊してゐたもので、中には英語で選手にあてた手紙、サインブツク等を持つて居り、選手にあてた手紙は警視庁で押収したが言語に絶する様ないかがはしい事が書いてあり、当局でもあまりの醜熊に驚き、二日午後二時警視庁に本人並に父兄を呼び出して江口捜査課長自ら取調べることになつたなほ教育界の大問題として学校当局に厳重な警告を発することになつた、此のほかにも東京女学館横濱和英女学校、仏英和女学校の生徒各二名づゝ六名も検挙取調べを受けた。
昭和5年(1930).6.4〔中3(満14〜15歳)が教室で傷害致死〕
岡山県岡山市の私立関西中学校で、3年生(16)が授業中に鉛筆の粉がかかったということで同級生(16)とケンカになり、殴って鼻を折って敗血症で重体とした。学校は1ヶ月以上極秘にしていたが、警察に漏れて7.18に逮捕された。
校長談「ほほう、そんなに悪いのかね、この前見舞いに行った時は大分よいほうだといっていたが、しかし子供の喧嘩じゃないか、大したニュウス・ヴァリューはあるまいよ」(談話は山陽新報引用)
こののち同級生は死んだが、反省しており学校も自主退学したため、8.1に起訴猶予処分。
昭和5年(1930).6.14〔日大予科生千人以上が学園紛争で大乱闘〕
東京市神田区の日本大学で、予科生(付属高校生に相当)千人以上が学校に要求を突きつけ全員退学の覚悟で校庭に集結していたが、学校が回答を拒否したため怒って大学部の門を乗り越え押し入った。校舍から花瓶やタンツボを投げてきた者がいるので投石で応酬、大乱闘となり、世耕弘一主事(後の経済企画庁長官。世耕広報担当補佐官の祖父)を袋叩きにし、窓ガラスを割って時計を壊すなど40以上の教室を無茶苦茶に破壊し、警官隊に取り押さえられた。ケガ人多数。
6.16にも予科生2千人と警官隊数百人が激突、警官隊が投石したので乱闘となって、けが人多数、20人が逮捕された。
昭和5年(1930).6.19〔一高生が寮生総代会で刃物沙汰〕
東京市本郷区の第一高等学校で、一高寮生総代会中にひとりの生徒はあまりのひどいヤジに激昂、ナイフを抜いて反対派を刺そうとして取り押さえられた。一高と三高の対抗戦で寮生全員が強制的に徴收される応援費一円5銭が毎年問題となっており、この生徒は強制禁止の提案をしていた。生徒たちの嘆願により、停学のみの処分。
昭和5年(1930).6.19〔小学生女子(満10〜11歳)が女優になるため家出して監禁レイプされる〕
京都府京都市で、小学生女子(12)が女優になるため家出して映画撮影所に向かったが、東亜キネマ撮影技師(25)が女優にしてやると自宅に連れ込み3日間監禁して連日レイプして性病を移し1円を強奪までした。女子が逃げ帰り父親が6.24に警察に通報したため逮捕。それまでも撮影所見物に来た少女を何人も自宅に連れ込みレイプしていたが、誰も届けなかったので発覚していなかった。
昭和5年(1930).6.24〔日本女子大トイレで赤ちゃん死体〕
東京市小石川区の日本女子大で、妊娠7ヶ月の赤ちゃんの死体がトイレ便器内で発見された。
昭和5年(1930).6.26〔18歳(満16〜17歳)ニートが母と妹殺人〕
岡山県岡山市の自宅で、次男(18)が自慰行為を見つかり叱られたために就寝中の母親(43)を帯で絞殺した。6.30に妹(9)が母親を慕うので極楽にやるつもりで帯で絞殺、腐乱死体と暮らしていた。7.2に知人宅に侵入して暴れたので逮捕され、翌日死体が発見された。
岡山一中に進学したが、無口で友人もおらず、過度の勉強で神経症心悸亢進となって関西中学に転校、去年12月に退学した。父親は陸軍少佐だが、精神病で死んでいる。長男は陸軍士官学校に在籍中。取り調べの警官にも殴りかかるなど兇暴性があり、精神鑑定の結果、心神喪失で8.1に不起訴処分。
昭和5年(1930).7.1〔小6(満11〜12歳)が級友7人を毒殺未遂〕
広島県賀茂郡の小学校で、6年生(13)が同級生7人を殺害するため弁当に劇薬を入れたが、異様な味ですぐに吐き出したため未遂に終わった。5月に隣家で1円20銭を盗んでから泥棒呼ばわりされ続けたことを恨んで、病院で働く父親から塩化水銀をもらって致死量以上混入したもの。昼休み前に家に帰ったため怪しまれてすぐに捕まった。
県学務談「感化院に収容する必要があるかも知れぬが何しろ子供であるから何とか将来を考えて騒がれたくないと思うている」(談話は山陽新報引用)
昭和5年(1930).7.6〔小5男女数10人の万引き団〕
岡山県津山市で、小学5年生ら男女数10人が商店や車から文房具、おもちゃ、現金など百数十円を盗んで7.6に捕まった。朝鮮、南京、ニンジンなどのあだ名で呼び合い、山分けして映画や買い食いですべて使い果たしていた。
昭和5年(1930).7.13〔18歳(満16〜17歳)が隣家の人妻をレイプ殺人〕
東京府北豊島郡長崎町(現在の豊島区)で深夜1時、建具職見習い(18)が隣家の工員が仕事に出掛けたのを確かめてから侵入、妻(24)を縛り上げてさるぐつわをして、現金27円と指輪を盗み、絞殺してからレイプ、何喰わぬ顔をしていたが7.27に逮捕された。千葉県君津郡生まれで13歳の時に上京してこの建具職宅に住み込んでいたが、近頃は変態性欲者として近所でも噂になっていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和5年(1930).7.23〔19歳(満17〜18歳)花嫁が教師にレイプされた過去を悲観して自殺未遂〕
和歌山県西牟婁郡で、花嫁(19)が池に飛び込んで自殺を図って意識不明となったが命を取り留めた。医者の長女で、7.20に医者と結婚したが翌日、「11歳の時に担任教師に処女の誇りを奪われた」という遺書を残して行方不明になっていた。
父親は「世の少女達のため教育界刷新のため娘を犠牲にして血涙を呑んで発表する次第です」と7.29に公表。名指しされた教師(39)は校長になっているので大問題となった。
昭和5年(1930).8.5〔18歳(満16〜17歳)がニセ刑事召喚状で女性殺人〕
長野県南安曇郡の神社で夜11時、農業(18)が髪結い女性(24)を帯で絞殺、9.29に逮捕された。警察や探偵に興味があり、新聞でニセ刑事の記事を読んでマネしようと、猥褻密淫被疑者として極秘に取り調べるので出頭せよという長文のもっともらしい召喚状を巡査部長名義で判も捺して松本市の知人の女性に送って誘き出したが、ニセ者だと見破られたため殺害したもの。隣家に放火した前科もあった。長野地裁は懲役12年判決。
昭和5年(1930).8.17〔一高と京大生100人以上が大乱闘〕
京都府京都市の路上で夜11時過ぎ、一高応援団と京都帝大剣道部生100人以上が大乱闘、京大生が仕込み杖を抜いて一高生の腕を斬るなど数人のケガ人を出したが警官隊に取り押さえられて、それぞれの主謀者が逮捕された。京大生が詫び状を書き、説教を受けただけで1時間後に全員釈放。三高との野球の試合で勝った一高応援団が、酔って一高寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」を大声で歌いながら京都市中を練り歩いて、三高卒業の京大生が激昂したもの。
昭和5年(1930).9.7〔樟蔭女学校5年生(満16〜17歳)ら8人が桃色交遊〕
大阪府大阪市で、樟蔭高等女学校5年生(18)ら8人が不純異性交遊を繰り返していて逮捕された。天王寺中学生などを紹介させて次々引き込み、樟蔭生は何十回も関係を持っていた。
昭和5年(1930).9.28〔小学校教師が体罰で大問題〕※参考
京都府京都市の小学校教室で、教師(26)が6年生(13)を殴る蹴る、口に手拭いを押し込むなどの乱暴をして傷害を負わせた。日曜日の中学入試準備補習を休むと届けたが呼び出して体罰を加えたもの。市の視学が調査すると担任をしているクラス42人中39人に体罰を行っており大問題となった。
昭和5年(1930).9.29〔松本高校生が軍事教練中で酔って暴れる〕
長野県南安曇郡の有明原陸軍演習場で、松本高校生400人が軍事教練を受けたが、到着までの電車内で酒を飲んで騒ぎ、夜も酔って近所の民家で祭の提灯を壊したり燃やしてまわり、兵舍では銃剣で窓ガラスを何枚も割って暴れ、2年生2人は5月に学校で退役大尉教師を殴ったり酔って暴行して停学となっていたため退学処分となった。
9.30夜には10人が神社で燈籠10以上を壊して暴れて謹慎処分。
10.1に高校に戻ったが、近所の食堂で12人が下士官兵3人に「軍服を脱いで飲め」「軍国主義を倒せ」などと叫んでケンカになって逮捕、説教だけで翌日釈放された。
※
『あんそろじい旧制高校 第3巻』の当事者生徒の手記による。
昭和5年(1930).10.22〔17歳(満15〜16歳)女子が逃走しようとして刑事殉職させる〕
東京府南葛飾郡の亀戸駅で、女子(17)がホームから線路に飛び込み、護送中の刑事(44)も追い掛けて飛び込んだが、列車に轢かれて刑事は即死、女子は太ももを切断して重体となった。女子は南葛飾郡大島町(現在の江東区)で養父と二人暮らし、小学校では成績優秀だったが今年の春から悪い男友達と付き合うようになって、万引きなどを繰り返し9.22に逮捕、9.28に少年審判所から逃走、10.12頃実家に帰って養父に叱られたが云うことを聞かないので養父が警察に届けて連行中に逃走を図ったか、あるいは自殺しようとしたもの。
昭和5年(1930).11.4〔女学生が京都修学旅行で舞妓をサイン責め〕
京都府京都市で、東京から修学旅行に来ている女学生が舞妓を見せろと一見さんお断りのお茶屋に30人以上の集団で無理やり上がり込んだり、舞妓を取り囲んでサイン責めをしている。
「わてらお座敷へ出がけの忙しいもんをつかまえて厚かましくもプロマイドと万年筆を差し出す女学生の元気にはこっちが顔負けしまっせ、先夜なんか署名すると次ぎは住所も書けとおいいやす、妹の富貴ちゃんなどは、今夜も女学生に取り巻かれたと泣きそうな顔で帰る晩が多い始末どす、中学生にはまだそんな人一人もあらしまへん」(談話は大阪毎日新聞引用)。
昭和5年(1930).11.11〔13歳(満11〜12歳)が隣家の老人殺害〕
秋田県仙北郡で夜11時半、男子(13)が隣家に押し入り、就寝中の老人(65)を山刀で殺害、翌日に逮捕された。老人は精神異常でひとり暮らしだった。
昭和5年(1930).11.25〔19歳ら作家10数人が日本刀などで乱闘〕
東京府豊多摩郡杉並町高円寺で深夜2時、
伊藤貞助(満19歳)ら作家10数人が日本刀などで乱闘、警官隊に取り押さえられた。プロレタリア文学グループ
『文芸戦線』からの脱退者が続出し、また金の問題で揉めたもの。
昭和5年(1930).12.1〔27歳(満25〜26歳)ニートが父親に殺される〕※参考
東京市京橋区の自宅で、父親(65)が就寝中の無職の次男(27)を殺害した。裕福な化粧品販売商で、真面目な長男と違って次男は働かず、父親がいくら叱っても麻雀やカフェーで遊び回っており、病気になった父親はこのまま自分が死ぬと長男の嫁にも苦労をかけることになるとナイフで喉など3回刺したもの。
昭和5年(1930).12.2〔中3ら30人が集団万引き〕
岡山県津山の旧制中学校3,4年生が集団で万引きを繰り返して、すでに30人が捕まったが、最終的には50人以上になると見られている。
昭和5年(1930).12.17〔高商生20数人が集団リンチ〕
和歌山県和歌山市で深夜2時、和歌山高等商業学校生20数人がタクシー運転助(17)を袋叩きにして肋骨を折るなど全治3週間の重傷を負わせてた。カフェーで忘年会をして酔っぱらってタクシーに乗ろうケンカしたもの。
昭和5年(1930).12.17〔17歳(満15〜16歳)ニートが幼女レイプ殺人〕
東京府北豊島郡中新井村で、無職(17)が隣家の女の子(6)を連れ出し林でレイプ、泣きやまないためカッとして手拭いで絞殺し死体を井戸に捨て逃走、12.19に娘を探し回っていた父親が死体を発見し、12.20に練馬村で逮捕された。左官見習いだったが辞めて実家に帰り、探偵小説を読みふけったり不良仲間と遊び歩いてぶらぶらしていた。女の子は日頃から可愛がっていた。
昭和5年(1930).12.24〔小学校校長が妻を保険金殺人〕※参考
高知県長岡郡の小学校教室で、校長(43)が妻(34)にアヒ酸入りのお茶を飲ませて毒殺した。小料理屋の仲居に入れ上げて1万2千円の借金があり、この仲居を替え玉にして1万5千円の保険金を妻に賭けていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
大審院で死刑が確定したが、皇太子殿下御誕生恩赦で無期に減刑。
昭和6年(1931).1.7〔国宝の社寺に張り札や楽書 名前を彫り付けると厳重処罰 読売新聞引用〕
従来神社仏閣に参拝する者が千社札を張ったり名前を堂塔に書きつけたり掘りつけたりする習慣があり、中には国宝指定のものと知らずにべたべたとやたらに札を張り無闇に名前を彫りつける者が多くこのために貴重な国宝が傷つけられるので、今までは敬神崇仏の現れと見て黙認していた文部省もついにたまりかねて、此際断然たる処置に出ることになった。
今後国宝の社寺に記念の署名をしたりすると「国宝を損壊毀棄する者は五ヶ年以下の懲役若は五百円以下の罰金に処す」という国宝保存法第二十一条により厳重処罰される筈来る十六日開催される全国学務部長会議で、田中文相から厳重注意の訓辞をすることになった。
昭和6年(1931).1.13〔高等小学校2年生(満13〜14歳)がイジメ復讐殺人〕
熊本県上益城郡の路上で、高等小学校2年生(15)が同級生(16)の顔や頭を肥後守でめった刺しにして殺害、もう1人の同級生(15)の脇腹を刺して重傷を負わせた。貧しい農家のため弁当を持ってこれないことをからかわれ、呼び出して謝るように迫ったがまたからかわれたためカッとしたもの。幼い兄弟5人の世話や畑仕事もやって両親を助けていた。
昭和6年(1931).1.16〔20歳(満18〜19歳)が幼女レイプ未遂殺人〕
島根県松江市で、印刷工(20)が小学6年生の女の子(13)をレイプしようとしたが抵抗されたので絞殺、死体を川へ遺棄して逃走、1.20に逮捕された。二年前にも小6女子に猥褻行為をしていた。11.6に、猥褻、誘拐、強姦未遂致死で懲役12年判決。
昭和6年(1931).1.28〔良家の男女学生 密会遊戯に耽る 東京朝日新聞引用〕
警視庁不良少年係田中警部は去る十五日以来部下刑事を督励して神田、浅草、新宿をうろつくサボ学生の一掃に努め今日までに既に二百六十三名の男女学生を検挙し附近の交番又は警察署、消防署等へ連れ込んで懇懇説諭の上大部分はその場で放還し一方その父兄を警視庁へ呼だし監督方を忠告して居るがこの学生達はいづれも学校へ通学する如く装って家庭を出でその足でカフェーや活動写真館へ入り浸っていたもので新宿の某大百貨店喫茶室で某家の令嬢が某大学生と武蔵野館へ行く相談中を検挙されたのもあり上流家庭の某中学生のカバンの中から質札が発見されたりしているという有様である
以前はかうした検挙に際し説諭釈放の段になると見るも気の毒な位しょげ返った者が多かったが最近は驚くどころか却って
「あなた方に私達の恋愛に対して文句をいわれる訳はありません」と逆ねじを食わせる女学生もあり係官をして舌を巻かせている
殊に憂うべき傾向はこれ等男女学生は中上流階級の子弟、子女が激増して来たことで女学校三、四年生位から異性と交際を始める者が多くなった、中には上流家庭の子女でも多くの男と交際していることを名誉の如く心得それを得意然としてロ外する者さへあり恋愛遊戯にふけるやうになったことが目立って来たので不良少年係では今後も引続いて検挙を行うことになった
昭和6年(1931).2.6〔16歳(満14〜15歳)ら5人組窃盗団〕
兵庫県神戸市で、県立工業学校生(17)、兵庫県庁給仕(17)、会社給仕(16)など少年5人組窃盗団が逮捕された。1年前に家出して家賃13円の家を借りて同居し、古本屋や雑貨店などで万引きを繰り返して暮らしていた。毎朝、近所の人に礼儀正しく挨拶して模範少年と思われていた。
昭和6年(1931).2.11〔17歳(満15〜16歳)ら3人組が老婆を強盗殺人〕
高知県室戸岬町で深夜、3人組(17,20,22)が菓子店を経営している一人暮らしの老婆(72)宅に侵入、フトン蒸しで窒息死させて、現金、酒、米を強奪して逃走、逮捕された。小遣い欲しさ。
昭和6年(1931).2.19〔小学校高等科1年生(満12〜13歳)が同級生刺殺〕
佐賀県佐賀郡の路上で、小学校高等科1年生(14)が同級生(14)を殺害した。下校中に詰まらないことでケンカしてカッとして手工用小刀で腹部を刺したもの。
昭和6年(1931).3.13〔少年少女の犯罪に 驚くべき新傾向 普通の家の子女で手段も巧に 完成した調査で判明 東京朝日新聞引用〕
昨年から本春にかけて帝都を中心に隣接郡部にわたり満二十歳以下の少年犯罪が著るしく激増し犯行も日増しに理智的傾向を帯びてくるので警視庁当局では従来の取締方針を改める必要に迫られその前提として「少年犯罪調査」をしてゐたが略出来上り近く内務省、検事局を始め感化院、一般保護団体等の参考に供することになつた。昨年中刑法犯で検挙された少年少女は男四千四百六六五名女三百九十名計四千八百五十五名に達し犯罪別に見ると男の方では殺人七件、過失致死六件、放火十件、強盗六十件、窃盗二、八一三件に達し女の方では殺人一件、過失致死四件、放火四件、詐欺恐喝一五件、賭博一五件、窃盗三〇四件といふ数字を示して居る。
女の犯罪として詐欺、恐喝、賭博等の新しい傾向があることは見のがすことが出来ない、一方男の犯罪は例の長崎町の人妻殺しと三田の女謡曲師匠殺しを始め犯行手段はいづれも大人の前科何犯の曲者にも勝る智的犯行であり年齢は十八歳未満者が多い。本年に入つてからは強盗六件、放火四件、その他詐欺横領十一件があるが強盗なども以前は二人か三人で行つたものが最近は単独でやるため捜査も困難といふ状態である。原因は三四年前まではカフエーとか活動写真等の耽溺が多かつたが昨年来は利欲七五八、失業七〇二、貧困三三四等が筆頭となつて居るし、境遇別から児ると従来親のない家庭に多く犯罪が発生したのと反対に父母共現存するもの三,二五四名が第一位で父亡き者、母亡き者の順で継父継母の処にはこれ又犯罪が激減して居る、更に職業別に見ると職無き者三,一九五名がもつとも多く次は商店員その他の奉公人が二,四四五名、学生は一,〇一八名で第三位を占めて居る。
昭和6年(1931).4.1〔父親が赤ちゃん殺人〕※参考
東京市牛込区の自宅で深夜、帝国海上社員(33)が長男(4ヶ月)を毛布で窒息死させ、事故死したと届けたが、殴った跡があったため追及されて殺害を自白した。兄は森茉莉の夫だった山田珠樹という名家の子弟で慶応大の短距離選手、現在は全日本陸上競技連盟幹事。実家の女中(24)と2年前から関係し、子供ができたためやむなく結婚したが、子供が死ねば離婚できると殺害を計画、これまでもたびたび殴って虐待していた。
昭和6年(1931).4.13〔18歳が幼女殺人〕
東京市神田区の公園トイレで、無職(満18歳)が小学3年生の女の子(10)を連れ込んでいきなり頭を十回殴ってから絞殺、4.15に逮捕された。指物職の住み込み見習いをしていたが、仕事を覚えないため半年前に追い出され、実家に戻ったが親に叱られて家出して浮浪者となっていた。10銭でも持っているだろうと殺してから盗もうとしたが、女の子はまったく金を持っていなかった。懲役10年が求刑されたが、東京地裁は無期懲役判決を出した。
昭和6年(1931).4.21〔20歳(満18〜19歳)ら3人組が上演中の歌舞伎座客席にヘビ十数匹投げ込む〕
東京市京橋区の歌舞伎座で、男(20,21)3人組が上演中の客席にシマヘビ十数匹投げ込んで大パニックを引き起こして逃走、威力業務妨害で逮捕された。劇場から金をゆすろうとして失敗した腹いせ。
昭和6年(1931).4.25〔20歳(満18〜19歳)が夫婦ゲンカの仲裁人を殺人未遂〕
千葉県千葉市の畑で、農具修繕人(20)が妻(16)と夫婦ゲンカをしているところに通行人の男(34)が留めに入ってケンカとなり、2人ともナイフを抜いて修繕人も顔を切られたが胸を刺して重体とした。
昭和6年(1931).4.30〔16歳(満14〜15歳)が女子校に侵入して女生徒襲う〕
山口県玖珂郡の実業公民学校で、近所の少年(16)が棍棒と出刃包丁を持って押し入り、教室にいた女子15人に襲いかかり、逃げ遅れた1年生女子(16)を椅子に縛りつけて頭を滅多打ちにして重傷を負わせ、窓ガラスを割って、自分の頭を包丁で刺して重傷を負ったところを逮捕された。
昭和6年(1931).5.5〔慶応大学生が軍事教練で風紀を乱す〕
群馬県高崎市相馬ヶ原の陸軍演習場で、慶応大学生1200人が4.16〜4.30に軍事教練を受けたが、著しく風紀を乱したので憲兵隊が捜査を開始した。兵舍で酒を飲んで暴れて机や扉を壊し、農家の娘を温泉場のカフェーに連れ出したり、東京から女を呼んでドライブなどしており、温泉旅館の主人が注意しても「我々は銀座で鍛えた腕だ」と云って聞かなかった。
昭和6年(1931).5.7〔21歳女子(満19〜20歳)が継父をマキワリで殴って殺人未遂〕
東京市小石川区の自宅で、長女(21)が継父の頭を薪割りで殴って重体とした。10年前に母親が再婚したが、人夫の継父は働かずに酒ばかり飲んでいるためケンカになったもの。
昭和6年(1931).5.12〔小2(満7〜8歳)がいじめ殺人〕
北海道樺戸郡の札的川で、小学2年生(9)が2年生女子(9)2人を突き落とし、1人を溺死させた。下校中に「川の水を飲まないといじめるぞ」と脅し、仕方がないので飲もうとした女子を背中から突き飛ばしたもの。加害者の父親が弔問にも来ないため遺族は怒って、日頃から女子に暴力を振るっているのを知っていたのに放任したのは監督不行届として慰謝料3千円、損害金228円88銭の訴訟を2ヶ月後に起こした。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和6年(1931).5.22〔中5(満16〜17歳)が修学旅行で他校生刺す〕
滋賀県大津市発の東海道線列車で、修学旅行帰りの栃木県立中学5年生90人と東京私立海城中学5年生150人が、席の取り合いから大乱闘、海城中生(18)が栃木県立中学生1人(18)の腹をナイフで刺して重体とした。凶器は修学旅行先の奈良で買ったもので、多数の生徒が所持していた。
昭和6年(1931).6.1〔小学校教師が子供殺害〕※参考
愛知県西加茂郡の自宅で、小学校教師(28)が長男(2)を水瓶に放り込んで殺害した。妻(22)が母親(66)と仲が悪くて離婚したが、その後に子供を産んだので引き取り、結局再婚、しかしやはり嫁姑の関係がうまくいかないので離婚しようとしたが妻は子供と離れるのは嫌だと離婚を拒否したため、神経衰弱になって子供さえいなければ離婚できると考えたもの。一審二審とも懲役3年となったが、それでは母親が餓死すると血判の減刑上申書を出し、大審院は量刑不当で二審を破棄して再審理を命じた。
昭和6年(1931).6.4〔中4ら160人が体罰に反発してスト〕
神奈川県の県立中学校で、4年生160人全員が同盟休校を決行した。物理教師の机の上にヒキガエルを置き、あやまったのに殴ったことへ激昂、寺に集結して教師を辞めさせるまで登校しないと、校長に決議文を提出した。
昭和6年(1931).6.13〔15歳(満13〜14歳)が女中をピストルで撃つ〕
東京府豊多摩郡代々幡町(現渋谷区)の自宅で、3男(15)が女中(21)の下腹部をピストルで撃って4週間の重傷を負わせた。弾を抜いたつもりで1発残っていたもの。父親はセメント企業常務。
昭和6年(1931).6.27〔高2ら5人が学校でリンチ〕
山口県山口市の山口高等学校で、元サッカー部員5人(19〜21)が1年生(23)をバットや棍棒でぼこぼこに殴り、2年生(21)が背中をナイフで刺して瀕死の重傷を負わせた。
山口高は左翼のサッカー部が中心となって去年末に全国の高校で初めて選手制度を廃止したが、この1年生が私設応援団を結成、運動部を再編成して他校との試合を派手にはじめ、選手制度廃止の精神を冒涜していると対立したもの。
検事は「傷害の動機も学生らしい一時の憤激によるもの」と刺した2年生に罰金2百円の求刑で、罰金百円のみの判決。この年の銀行員大卒初任給70円。ほかの4人は不起訴。退学となったが、他校に入り直して全員医者になった。
昭和6年(1931).7.8〔中5(満16〜17歳)が三角関係から刺傷〕
熊本県熊本市の路上で、時習中学5年生(18)2人が男子(19)の腹と太ももをナイフで刺して自首した。ダンサー(18)を巡る三角関係から呼び出して決闘したもの。
昭和6年(1931).7.21〔40歳が迷信のために小1(満6〜7歳)殺人〕※参考
広島県賀茂郡の山中で、開拓業(40)が下校中の小学1年生(8)を絞殺して鎌でバラバラにし、首や胴体は捨てて手足を黒焼きにして業病の義理の父に食べさせて逮捕された。義理の父が梅毒となったが、癩病だという噂が広まり、子供の肉が効くという迷信を信じて計画したもの。無期懲役確定。
昭和6年(1931).8.2〔12歳女子(満10〜11歳)が老女や幼児に乱暴〕
東京府豊多摩郡大久保百人町の路上で、女子(12)が縁台で夕涼みをしていた女性(60)の顔を突然張り飛ばして引き倒して逃走、さらに男の子(5)を突き飛ばしてケガをさせたので近所の人々が追いかけて捕まえ警察に突き出した。南千住の飲食店の3女。
昭和6年(1931).10.14〔18歳(満16〜17歳)が通り魔〕
愛知県豊橋市の路上で、少年(18)が祭のため着飾っていた女工(19)の太ももをキリで突き刺して逃走、窃盗事件で11.16に逮捕された。
昭和6年(1931).10.18〔小学校高等科2年(満14歳前後)が退学恨んで学校に放火〕
大阪府泉北郡の小学校高等科(現在の中学に相当)で、元2年生5人が放火して逮捕された。非行で春に退学になったことを恨んで、10.7に夜道で担任教師を待ち伏せして暴行を加えようとしたが未遂に終わったことも自供。
昭和6年(1931).10.31〔小学生(満7〜8歳)が友人を猟銃で撃つ〕
静岡県浜名郡の農家で、小学生(9)が友人(13)を撃ち、両手を貫通して腹に当たり重体とした。友人が兄の猟銃を持ち出して「撃ってみろ」と云ったので引き金を引いたもの。
昭和6年(1931).11.1〔17歳(満15〜16歳)が同僚32人を皆殺し毒殺〕
愛知県名古屋市の製薬商ノーシン本店で、店員(17)が朝食のみそ汁にアヒ酸を入れ、店員50数人のうち32人が飲んで1人が重体、他も重傷となって、すぐに逮捕された。仕事を怠けるので皆に嫌われ、解雇するよう主人に頼むと聞かされ、復讐のため皆殺しにしようとしたもの。長野県下伊那郡出身。
昭和6年(1931).11.2〔中4(満17〜18歳)が教室で同級生刺傷〕
三重県津市の県立津中学校で、4年生(19)が同級生(18)の脇腹をナイフで刺した。10.31に、授業中に被害者が栗を食べていて教師に叱られ、復讐のため教師の長男の加害者を殴った。さらにこの日、「お前が告げ口したから叱られた」と云って殴ろうとしたため。被害者は柔道と水泳の選手。学校は極秘にしている。
昭和6年(1931).11.4〔20歳(満18〜19歳)が少女をストーカー殺人〕
埼玉県北埼玉郡の路上で、男(20)が下校中の小学校高等2年生女子(14)を待ち伏せて、首を日本刀で斬って殺害、すぐに逮捕された。同じ村の次男で、想いを寄せていたが相手にされなかったため。小学校高等2年は現在の中2に相当。満12〜13歳。
昭和6年(1931).11.21〔小学校教師13人が船内で乱交パーティー〕※参考
佐賀県小城郡の小学校教師13人(うち女教師5人)が、事実視察の名目で釜山旅行に出掛け、船内で乱交をして、たまたま乗り合わせていた釜山署員に逮捕された。翌年1.1付けで校長は依頼退職、9人が三ヶ月間3分の1減棒、3人が譴責の処分。内密にしていたが1.19に発覚。
昭和6年(1931).11.24〔中5(満16〜17歳)がケンカで刺殺〕
東京府豊多摩郡渋谷町道玄坂の路上で、中学5年生(18)が医者の長男(19)の顔などをナイフでめった刺しにして11.29に死亡させて、傷害致死で逮捕された。仲間5人でケンカしたもの。
昭和6年(1931).11.27〔16歳(満14〜15歳)が御乗列車に投石〕
滋賀県犬上郡で、少年(16)が山階宮太妃の御乗列車に投石して逮捕された。御乗列車とは知らずにいたずらしたもの。
昭和6年(1931).12.20〔15歳(満13〜14歳)が強盗レイプ殺人〕
福岡県門司市の郵便局で深夜3時、無職(15)が住み込みの女性事務員(19)をレイプしてから絞殺、服や腕時計、2円入りのサイフなどを強奪して逃走、翌年1.4に逮捕された。名古屋市出身で、下関市でスリ数件を働いて11.22に逮捕されたが、未成年のため起訴猶予となって12.19の18時に釈放され、9時間後に侵入する前に郵便局のベランダに脱糞し、その内容が刑務所の食事と一致したため手配されたが、12.20のうちに朝鮮の釜山市に渡ってその日の夜に民家に窃盗に入って逮捕、未成年のため起訴猶予となって釈放されるところで福岡署に連絡が入ったもの。懲役15年の刑で少年刑務所に入ったが、昭和11年1月に獄死。
昭和6年(1931)..〔小3がいじめ復讐 隆慶一郎『昭和六年のいじめられっ子』引用〕
小学校三年生のころ、私は今でいういじめられっ子だったと思う。昭和六年の昔だって、いじめられっ子はちゃんといた。(中略) 毎日しつこく絡む男の子がいて、まいった。見ぶるいする感じで、決闘するしかないと思った。だがけんかなんかしたことがないからやり方が分らない。(中略) 裸じめのかけ方を教えてくれた。今考えるとむちゃな青年である。(中略)
次の日、私はいじめっ子におずおずと決闘を申しこんだ。(中略) 裸じめが、がっちりかかった。(中略) おちて失神してしまった。私は彼を殺したと信じた。恐ろしくなってわあわあ泣いた。恐ろしかったのは罰ではなくて、人一人殺したという感覚だった。(中略) 弱い者はむちゃをするからこわいという思考だ。虫をこわがる者は残酷に殺す。相手が強ければわら人形に五寸くぎを打つ。
隆慶一郎『昭和六年のいじめられっ子』(
『時代小説の愉しみ』収録)
昭和7年(1932).1.30〔工業学校1年(満19〜20歳)が父親殺害〕
愛知県名古屋市の自宅で深夜0時過ぎ、次男の名古屋高等工業学校1年生(21)が就寝中の父親(49)を殺害し、すぐに逮捕された。遊廓に入れ上げて金が必要になり、父親が死ねば財産が手にはいると、柔道初段の腕で締め上げたもの。
昭和7年(1932).1.31〔嫁(満19〜20歳)が姑殺害〕
愛知県宝飯郡で、農家の嫁(21)が姑(68)を山に連れ出して絞殺、2.2に半狂乱になって帰宅、2.5に死体が発見されて逮捕、2.7に留置所で首吊り自殺した。夫はこれまで3人も嫁を迎えていたが、姑との仲がうまくいかずに次々離婚し、犯人は4人目の嫁だった。殺害したあとに精神異常となったらしく、「婆の生き血は吸ってやったがまだまだいけぬぞ、今度は嫁のみきを殺してやるのだ」と自分を殺すと云っていた。中流家庭の娘で女学校を優秀な成績で卒業、嫁ぎ先も裕福で殺害現場の山もこの農家の所有しているものだった。
昭和7年(1932).2.10〔小6(満11〜12歳)が学校で上級生刺殺〕
鹿児島県肝属郡の小学校校庭で、6年生(13)が高等科1年生(14)を殺害した。昼休みに詰まらないことでケンカしてカッとして同級生の持っていたナイフを奪っていきなり腹部を刺したもの。
昭和7年(1932).2.17〔18歳(満16〜17歳)ら20人以上が人前でいちゃついて乱闘〕
岡山島県児島郡の芝居小屋で、男子(18)ら数人が女子(19)2人といちゃついていたが、二階で見ていた不良が「縄張りを荒らすな」と下駄を投げてケンカとなって、神社で20人以上が乱闘、21歳が青龍刀で斬って3週間の重傷を負わせるなど、10人以上がケガをして逮捕された。
昭和7年(1932).3.3〔19歳(満17〜18歳)が老女を強盗殺人〕
岡山県浅口郡の路上で夜8時、農業(19)が通行中の老女(60)を日本刀で斬って1円入りのサイフを強奪、男性(33)も斬って逃げるのを200メートル以上追い掛けてさらに斬って重傷を負わせて殺したと思って引き返し、老女が起き上がって念仏を唱えているのを見てとどめを刺した。
小学校では成績優秀、読書好きで小説や日記を書いており、失恋したためカフェーに通い詰め女給と恋仲になって金が必要となり、年末に窃盗で逮捕されたが起訴猶予となっていた。父親とケンカが絶えず家出するため金を得ようと雑誌
『新青年』の探偵小説をヒントに日本刀と鳶口を持って路上強盗を働いたもの。刑務所で自殺未遂を起こし、自ら死刑を望んだが、検事が無期懲役を求刑すると法廷でニヤリと笑った。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和7年(1932).3.4〔小6女子(満12〜13歳)らが鉄道心中〕
大阪府大阪市の線路で夜10時、小学6年生女子(14)と建具商雇人(21)が心中を図り、女子は即死、男は2ヶ月の重傷となった。教科書や筆記具を入れた風呂敷包みを所持していた。
昭和7年(1932).3.18〔女学生10数人が学校で暴動〕
富山県氷見郡の県立氷見高等女学校で、5年生(満17歳前後)10数人が卒業式の前日に蜂起、成績表を破り、教室の窓ガラスを割って回り、机を壊して暴れた。教師数人に怨みがあり、また成績に不満を持って乱暴したもの。学校は謝罪文を書かせただけで事件を隠蔽し、卒業式後の3.21に校長は辞表を出した。
昭和7年(1932).3.20〔商業学校4年生ら4人が教師4人に乱暴〕
長崎県佐世保市で、県立佐世保商業学校4年生3人と卒業生1人が教師の自宅3軒に押し掛けて袋叩きにしたあと、校長の自宅に押し掛け門燈や扉を壊し植木を折るなど乱暴して逮捕された。3人が落第にされたことで教師3人に怨みがあり、校長も教育家としてのあたたかみがないからと自供。
昭和7年(1932).3.29〔東大生11人がカンニングで退学〕※参考
東京市の東京帝国大学で、卒業試験において大規模なカンニングが行われ、容疑が確実な法学部生9人、経済学部生2人が卒業目前で退学、答えを教えた側の3人が6ヶ月の停学処分となった。
昭和7年(1932).4.7〔16歳(満14〜15歳)が幼女惨殺 美智子殺し〕
大阪府大阪市船場の荒物商宅で、従業員(16)が主人の長女の小学2年生(8)を殺害、その日の夜に自白した。せがまれて「幼年倶楽部」を読んでやっているうちに強制猥褻をしようとしたが、「おかあさんにいってやる」と云われたためカッとなって首を絞め、暴れたので傍の火鉢で真っ赤に焼けていた火箸で喉を刺して絶命させたが、生き返ると困るので女の子の母親が脱ぎ捨てていた割烹着でさらに首を絞め、もう1本の火箸を胸に突き刺してから、火鉢で熱していたコテで頭を滅多打ちにしたもの。侵入者がいたと見せかけるために窓ガラスを割り、何喰わぬ顔で他の従業員と事件に驚くふりをして、新聞記者のインタビューにも答えていた。長女とは日頃から仲がよかった。
昭和7年(1932).4.23〔14歳(満12〜13歳)が幼女レイプ〕
東京市深川区で、男子(14)が幼女3人をレイプして逮捕された。白痴で、姉(16,18)2人とも関係を続けていた。
近所で小学3年生の女の子(9)が17歳くらいの男子にレイプされた事件の捜査で発覚したもの。労働者(34)も10歳以下の幼女5人をレイプしていたことを自白して逮捕され、幼女7人レイプを自白した者もおり、この地区は幼女レイプが極めて多いことが判明した。
扇橋署長語る「最初は単なる一つの暴行事件として取調べを開始したのですが目星い容疑者を続続検挙して取調べた結果、深川東大工町より砂町一円にかけて細民階級の間に性道徳と云う観念がなく、全く畜生道に墮ちている事実が判って驚くべき事は暴行された幼児の親達が犯人の自白によって始めてその事実を知り、それでも尚平然としていることです」(談話は国民新聞4.25引用)
昭和7年(1932).5.16〔小6(満11〜12歳)が学校で同級生傷害致死〕
大阪府大阪市の小学校教室で、6年生(13)が休み時間に同級生(13)と野球のことでケンカして雪駄で腹部を殴った。5.19に腹痛で入院して6.10に死亡した。
昭和7年(1932).5.17〔19歳(満17〜18歳)ら女子4人が心中未遂〕
佐賀県三養基郡の田んぼで夜10時、女子(19,19,20,21)4人が睡眠薬自殺を図ったが死ねず、醋酸を飲んだがやはり死ねずに苦しみながらそれぞれ帰宅した。3人は結婚問題で1人は継母で悩んで2月から心中を計画していた。全員農家の娘。
昭和7年(1932).5.20〔小学校高等科1,2年(満12〜14歳)50人のファッショ党「大東X団」〕
山梨県北都留郡の小学校高等科(現在の中学に相当)で、1,2年生50人が「大東X団」を結成して横暴な生徒などに集団でリンチを加えていたことが発覚した。右翼テロ事件続発に影響を受け、服の裏に骸骨のマークを付け、階級によって色を定めていた。
昭和7年(1932).5.30〔19歳(満17〜18歳)が強盗殺人と自慢するため連続通り魔〕
東京府北豊島郡南千住町の路上で夜、理髪師(19)が通行中の工事現場監督(44)の胸をいきなりナイフで刺して殺害、20円を強奪した。6.1に知り合った少年(17)に殺人を吹聴して実演を見せてやると、6.3の深夜0時に路上で工員(25)の胸を刺して重体にして腕時計と11銭を強奪、少年に「すごいだろう」と自慢して、30分後にコック(23)の胸を刺して重体にして逃走したがすぐに2人とも逮捕された。
日本人陸軍大尉と朝鮮人女性の間に私生児として生まれ、4歳の時に父が死んだあと朝鮮で小学校を卒業、叔父の世話で横浜の中学に通い、叔父の理髮店に勤めたが、叔父が店を閉めて僧になったため5.29に横浜から上京した。朝鮮で行方不明の母を探す旅費を稼ごうとしたと自供。
少年は奈良県桜井町生まれで父母と死別して上京、洗濯屋で働いていたが5.28に客の金2円を持ち逃げしていた。
昭和7年(1932).6.1〔19歳女子(満17〜18歳)が父親ナイフで刺す〕
神奈川県横浜市の自宅で、女子(19)が父親(59)の背中をナイフで刺して重傷を負わせ、兄(24)がナイフを取り上げるとさらにホウキで父親を滅多打ちにして逮捕された。7年前に兄妹で家を出たが、父が金を借りに来て兄と殴り合いのケンカになったためカッとしたもの。以前から父を憎んでいた。
昭和7年(1932).6.1〔学生服通り魔〕
東京市麻布区の路上で夕方、学帽に学生服の男が、女中(22)の下腹部を刺して10日間の傷を負わせて逃走した。
昭和7年(1932).6.3〔小学校高等科1年(満12〜13歳)が学校で同級生刺殺〕
東京府大井町鮫洲の小学校高等科(現在の中学に相当)で、1年生(14)が同級生(14)の胸や腕などをナイフでめった刺しにして殺害した。休み時間にケンカして、教科書などを2階の窓から投げ捨てられたのでナイフで脅したが、「切るなら切ってみろ」と云われたためカッとして夢中で刺したもの。警察に捕まったが、その日に家に帰された。古物商の次男でおとなしい性格。この学校では出身小学校別に派閥を作って常に対立していた。
昭和7年(1932).6.6〔小学校主席訓導(教頭)が体罰で排斥運動〕※参考
茨城県真壁郡で、小学校主席訓導(教頭)が児童にズイムシ駆除を命じたが、区長が留守だったため取ったズイムシを買い上げなかったため翌日の作業をしなかった。主席訓導は6年生〜高等科2年生の十人以上を殴り、怒った児童は6.11から同盟休校をして、父兄らを巻き込んで主席訓導の転任を訴え、区長は児童たちに10銭づつをズイムシ代としてあらためて払ったが、主席訓導が区長の娘と婚約していることもあって全員投げ返すなど大騒ぎとなった。
昭和7年(1932).6.7〔小6(満11〜12歳)が授業中に同級生刺傷〕
茨城県那珂郡の小学校で、6年生(13)が同級生(13)と授業中にケンカして、切り出し小刀で左肩を刺して重傷を負わせた。
昭和7年(1932).6.7〔商業学校で校長排斥〕
佐賀県立佐賀商業学校で、4,5年生171人が校長排斥で朝から柔道場に集結してストライキ、夜9時になって校長と会見、生徒たちは「校長を叩き殺せ」と襲いかかろうとしたが立ち会った卒業生30人が必死で留めた。警官隊も廊下で警戒していた。
昭和7年(1932).6.7〔明大生ニート(満22〜23歳)がタクシー強盗〕※参考
東京市本所区の両国国技館前で深夜1時過ぎ、明治大学専門部商科生(24)がタクシーに乗り込み運転手の頭をレンガで殴り付けて金を物色したが、運転手が意識を取り戻したため逃走、すぐに逮捕された。麻布連隊に召集となったが肋膜のため3月に除隊、大学に戻ると嘘をついて叔父から月々30円の学費をもらって学校には行かずに遊び回って使い果たして金に困ったもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和7年(1932).6.13〔20歳(満18〜19歳)がストーカー殺人未遂〕
東京市芝区で、中学予備校4年生(20)が女中(19)の胸と腕をナイフで刺して1ヶ月の重傷を負わせて逃走、栃木県日光市で自殺を図っているところを逮捕された。小学校の時の同級生である女中に結婚を申し込む手紙を出していたが突っ返され、静岡県富士郡から上京したが、不良少年と云われてカッとしたもの。
昭和7年(1932).6.23〔小学校校長ら33人が贈収賄で逮捕起訴 新潟〕※参考
新潟県で、小学校校長の椅子を金で買うための贈収賄事件が発覚し、教師5百人が取り調べられて小学校校長24人と県の教員人事を統括している視学という役職の者9人が逮捕起訴。
昭和7年(1932).6.27〔中4(満19〜20歳)が学校で殺人未遂〕
東京府北豊島郡(現板橋区)の中学校校庭で、4年生(21)が5年生(18)の左胸をナイフで刺して重体とし、もう1人の5年生(18)にもケガを負わせた。去年転校してきた4年生は柔道初段のため上級生に生意気な態度を取り、5年生柔道部員10数人で殴ったのでカッとしたもの。学校は生徒達に箝口令を敷いて警察にも届けなかったたが、翌日、警察が激怒して取り調べ。
板橋署長談「学校内に惹起した事件について校長に監督権はあるが入院を必要とするような重傷者を出した事件を何等報告せずにいることは実に不都合である。前途ある少年等のことであるから傷害罪で問題を大きくする意志は絶対にないがかかる機会に学校内の腐敗が革正されるならよろしく事件を明瞭にして反省をうながしたい」(談話は東京日日新聞6.29引用)
昭和7年(1932).7.7〔小6(満11〜12歳)が事変ごっこで友人撃つ〕
東京府荏原郡入新井町(現大田区)の空き地で、小学6年生(13)3人が独立守備隊、馬占山、便衣隊に別れて「事変ごっこ」をしていたが、便衣隊役が馬占山役の太ももを空気銃で撃って重傷を負わせた。被害者が誰が撃ったか云わないため父親の家畜病院経営者が警察に届け、7.10に犯人が判明、空のはずの空気銃に見物人が勝手に弾を入れたということで警察や学校は処分をせずに示談を勧めたが、黙っていたのはけしらかんと父親はますます怒って見舞いも断り示談も受け付けない。3人とも優等生だった。
昭和7年(1932).7.8〔18歳(満16〜17歳)が主人の妻を殺害して切腹〕
東京市深川区の理髪店で、見習い(18)が主人の妻(51)を包丁で惨殺、捕まりそうになったため自分の腹を刺して3階から飛び降りて自殺した。千葉県市原郡生まれで、兄がこの店で勤めているため3年前に就職したが、3円の給料では足りずに店の金をたびたび盗んで叱られており、この時も主人の妻に盗んでいるところを見られたもの。人造石3階建ての立派な店だった。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和7年(1932).8.14〔一高と三高応援団120人が大乱闘〕
京都府京都市の路上で夜9時過ぎ、一高応援団70人が三高応援団50人と大乱闘、10数人のケガ人を出したが警官隊に留められいったんは収まった。10時過ぎにふたたび路上で乱闘となりそうなところを警官隊に留められ解散した。野球の試合で勝った一高応援団が太鼓を鳴らしながら京都市中を練り歩いていたもの。
昭和7年(1932).8.17〔16歳(満14〜15歳)が嫉妬して同僚刺傷〕
埼玉県北足立郡の洋品店で深夜1時、住み込み店員(16)が女中(15)の首をナイフで切って重傷を負わせ、強盗が入ったと偽って通報したが追及されて自白した。4年前からこの店で働いていたが、5日前に来た女中がよく働くので主人にいつも褒められ、自分は叱られているので嫉妬して、ケガを負わせて働けなくしようと計画したもの。ふたりは恋愛関係にあった。
昭和7年(1932).8.19〔小学生女子(満12〜13歳)が担任教師と関係して出産〕
愛知県瀬戸市の小学生女子(14)が、担任教師(25)と関係して妊娠、14日に出産したが未熟児のため5日で死亡、19日に死亡届を出したため2人の関係がバレて大問題となった。
昭和7年(1932).8.19〔芸者(満17〜18歳)ら4人が乱交バレて心中〕
群馬県前橋市で、芸者(19,20)2人、運転手(22)、運転助手(21)の4人が鉄道自殺した。4人で乱交をしていたことがバレたため会社の車を盗んで新潟県三島郡から家出、パンクしたため4人並んで線路を枕に寝たもの。
昭和7年(1932).8.25〔18歳が遺産争いから祖母一家3人惨殺〕
岡山県浅口郡で深夜2時、精米業者(満18歳)が近所の祖母の家に日本刀を持って押し入り、叔母(満23歳)を10数回めった刺しにし、叔母の長女(生後3日)の首を左右に貫通、逃げる祖母(満59歳)の胸を2回刺して3人を殺害、叔父(30)に3ヶ月の重傷を負わせて、自分の喉を突いて自決しようとしたが死にきれずに逃走、すぐに逮捕された。
元は同居していたが、母と祖母や叔母との関係がうまくいかず2年前に家を建てて別居、父がこの年の1月に死亡して精米業者は9千坪の田畑と3万円の遺産を相続したが、叔母が2千坪の田畑と3千円の財産分与を要求してきて「子供のくせに引っ込んでおれ」と云われたことを恨んだもの。3人兄妹の長男で、極めて無口な性格だった。この年の銀行員大卒初任給70円。
精神障害で、また幼女は殺すつもりはなかったと裁判で争ったが退けられ、大審院で尊属殺および殺人罪で無期懲役が確定した。
昭和7年(1932).9.10〔日大生(満21〜22歳)がキャプテンになれない怨みで刺す〕※参考
東京市神田区の日本大学前路上で、工科1年生(23)が商学部2年生(24)の背中を肉切り包丁で刺して2週間の傷害を負わせて逃走、翌日逮捕された。拳闘部主将になれそうだったのに、部員の2年生に邪魔されてなれなかった怨みと自供。
昭和7年(1932).9.20〔高等小学校2年生(満13〜14歳)が選挙の怨みで毒殺未遂〕
長野県上水内郡の高等小学校(現在の中学に相当)で、2年生(15)が同級生(15)の弁当にネコイラズを入れて毒殺を図って逮捕された。2年前の村会議員選挙で父親が落選して同級生の父親が当選したことを怨み、7.23には同級生宅に放火、8月には子供の手にネコイラズを塗って舐めさせようとしていた。
昭和7年(1932).9.25〔6歳(満4〜5歳)が友人の目を突き刺して重態〕
東京市本所区で、男子(6)が友人(6)の顔や全身をおもちゃの刀で滅多打ちにして、目を刺して意識不明の重態とした。チャンバラごっこをしているうちにケンカになったもの。
昭和7年(1932).9.27〔小6(満10〜11歳)が学校で傷害致死〕
東京府荏原郡荏原町(現品川区)の小学校で、6年生(12)が同級生(12)と休み時間に遊んでいて腹を拳で殴ったが、腹痛を訴えて重体となり9.29に死亡した。
昭和7年(1932).10.28〔20歳(満18〜19歳)八幡小僧が強盗殺人〕
福岡県八幡市で深夜0時前、大工(20,22)2人が民家に押し入り、男性(60)を日本刀で斬り殺して、妻と娘を脅して現金10円を強奪して逃走、翌年12.3の深夜に警官に職務質問をされてナイフで切り掛かったが逮捕された。小遣い銭欲しさに強盗を繰り返して「八幡小僧」と名乗っていた。主犯の20歳は無期懲役。
昭和7年(1932).11.4〔小学校女教師(満25〜26歳)が夜の仕事で窃盗〕※参考
東京市京橋区月島の小学校の女教師(27)が、夜はカフェーの女給として働き、客たちと旅館に泊まっては相手が寝ている隙に枕探しを繰り返し、11.4に学校で逮捕された。佐賀県唐津市生まれで和歌山高等女学校卒、3年前からこの小学校の教師となって1年生を担任、2年前から銀座のカフェーで稼ぎ、それでも足らずに客から10回以上窃盗を働いたが、生活は質素で2千円近い貯金をしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和7年(1932).11.6〔18歳(満16〜17歳)が未亡人に童貞蹂躙倍賞脅迫〕
山口県下関市で、店員(18)が未亡人(38)に3200円を要求する脅迫状を出して逮捕された。8.10に海水浴場で出逢い、資産家で美人の未亡人のほうから誘って関係を続けていたが、最近冷たくなったので「童貞蹂躙倍賞」を要求したもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和7年(1932).11.20〔デパート女子店員(満18〜19歳)ら5人が乱交バレて心中未遂〕
兵庫県明石市の旅館で、デパート女子店員(20,21,22)、デパート店員(22,22)の5人が睡眠薬自殺を図ったが命を取り留めた。乱交をしていたことがバレてデパートをクビになったため家出したもの。
昭和7年(1932).12.12〔27歳ニートが母親殺害〕※参考
東京市小石川区のアパートで、元早稲田実業教師(27)が母親(67)を殺害、12.14に自首した。末っ子で甘やかされて育ち、外語大を卒業して4年間教師をしていたが授業中に生徒からバカにされて辞職、無職で収入がないのに虚栄心の強い母親はお洒落して息子のお酌で酒を飲み、また母子でおかしなことをしている声を隣人が聞いていたが、関係についてはあくまで否定。父親は大正11年に服毒自殺。昭和9年1.3に初公判を直前に控えて刑務所で首吊り自殺した。
昭和7年(1932).12.12〔新宿ムーランルージュのレビュー歌手(満16〜17歳)が心中〕
東京市四谷区のアパートで、
新宿ムーラン・ルージュのレビュー歌手高輪芳子(18)と雑誌
『新青年』などにファッション記事を書いていたモボの代表
中村進治郎(27)がガス自殺を図って女子だけ死亡した。中村は嘱託殺人で逮捕され懲役2年執行猶予3年となり、この心中事件の脚本を書いて自分主演で新宿ムーランルージュにて上演、相手役女優と同棲したり別れたりして、昭和9年11.15に中野区のアパートで睡眠薬自殺した。
嘱託殺人裁判での裁判長との対話。
「処女らしい女学生とも関係があったというのではないか、女学生が四人、女給が二人か、そして昨年の夏頃ある女学生と関係した時の如きサヨナラという電報一本で関係を断っているというではないか、その態度はどうしたんだ。結局女性との関係を遊戯と考えているのか」
「そうじゃありません、家庭の事情なんかで向こうから別れることが多いのです」
「関係した女学生はどんな女か」
「良家の子女です」
「そんな女性をからかうのは無責任ではないか」
「向こうから慕ってきて、また勝手に離れていくんですから仕方ありません」
昭和8年(1933).1.21〔警視庁の車が子供3人轢き殺す〕※参考
東京市麹町区で、警視庁の消防自動車運転技師(25)が、自転車に乗って遊んでいた医師の長男(8)を轢いて病院に運んだが死亡した。警視庁の消防車は1.12にも本郷区で2人の少女を轢き殺していたこともあって、内密に済まそうと被害者に弔意を示さないどころかあんなところで遊んでい子供が悪いと立件せずに被害者の弁護士にまで圧力を掛けようとしたが、2月に表沙汰になって非難を浴びたため謝罪。運転技師は1.24に罷免していた。
昭和8年(1933).1.22〔小5(満11〜12歳)がケンカで友人を殺人未遂〕
宮崎県児湯郡で、小学5年生(13)が同級生(13)の肺を出刃包丁で刺して重体とした。遊んでいるうちに、ミカンのことでケンカになったもの。
昭和8年(1933).1.22〔小5(満11〜12歳)がケンカで友人を殺人未遂〕
熊本県熊本市で、小学5年生(13)が同級生(13)の心臓を肥後の守で刺して重体とした。大勢で遊んでいるうちに、些細なことで殴り合いのケンカになったもの。
昭和8年(1933).1.22〔20歳女子(満18〜19歳)ら兄妹が父親毒殺〕
三重県宇治山田市の青物問屋宅で、次女(20)と次男(23)が実の父親(55)を毒殺、2月に母親の違う長男(29)にも薬を飲ませて重体としたが未遂に終わり、6.13に逮捕された。
高等女学校を卒業している長女が、中学を神経衰弱で中退してぶらぶらしている次男に家を継がせようと大阪で薬品を買って風邪薬として飲ませ、重体となった父に看護する親類の目を盗んでさらに何度も毒薬を口に無理やり入れたもの。それまでも薬品入りの酒を繰り返し飲ませており、昨年7月に次男が就寝中の父親の頭をカナヅチで殴って重体としたが、医者が脳出血と誤診したので殺害してもわからないと考えていた。
2人とも成績優秀で薬物や犯罪の専門書を熱心に読んで研究、妹は次男を神だと信じており、「神に代わって父を滅ぼした」「いまやっと父を殺したのは悪かったとハッキリ理屈ではわかりました。しかし私の心中には罪を悲しもうとする本当の涙は湧きません。神様、本当に父殺しの大罪を悲しむ涙を湧き出させて下さい」(大阪毎日新聞名古屋版引用)などと話す。
次男はノイローゼとなり、近所の人に殺害したことを話したり大阪の教会で懺悔したところから発覚。かなりの資産家で、母親は父親に内緒で次男に5千円のこづかいを与え、次男は2千円ずつ東京と大阪の新聞社に送って、自分は世界を統一する大英雄だという広告を掲載しようとしたりしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).1.25〔小学校校長の妻が子供2人絞殺して切腹〕※参考
三重県鈴鹿郡の自宅で、小学校校長の妻(25)が3女(4)と4女(2)を絞殺、日本刀で切腹して重傷となった。
昭和8年(1933).2.5〔小学校教師が体罰とレイプ〕※参考
岡山県兒島郡の小学校高等科で、教師が級長を殴って3日寝込むケガを負わせたため両親が訴訟すると激怒。教師宅の商店が50銭の勘定をごまかしたと生徒全員が習字の授業で教師の名前と50銭を並べて清書したためカッとしたもの。
岡山県御津郡の小学校高等科の次席訓導(32)が、昨年12月に元の教え子である山陰高女5年生(19)を受験準備のためと旅館に連れ込みレイプ、他の教え子もこの旅館で関係したとの噂があり取り調べ。
昭和8年(1933).2.5〔4歳(満2〜3歳)がチャンバラごっこで友人斬る〕
東京市荏原区で、男子(4)が友人(5)の額をおもちゃの刀で斬って2週間の傷害を負わせた。阪妻と大河内伝次郎をマネてチャンバラごっこをしていたが負けたので、復讐のため1メートルほどの刀を持ち出してきたもの。
昭和8年(1933).2.10〔19歳(満17〜18歳)が書生先で窃盗〕
東京市麻布区の東京帝国大学助教授宅で、少年(19)が去年の9.14と10.30に侵入して現金205円と千円、3万円の貯金通帳と貴金属を盗んで、2.19に貯金を下ろそうとして失敗、自宅で格闘の上に逮捕された。静岡県御殿場町出身で、この助教授宅で去年4月まで書生をしており、金はカフェーやダンスホールで使い果たしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).2.12〔実践女学校専門部2年生(満19〜20歳)が友人2人の三原山自殺を見守る 死の立会人〕
伊豆大島の三原山火口で、実践女学校専門部2年生(21)が飛び込み自殺。同級生富田昌子(21)がすぐそばで見守っており、1.9にも3年生(24)の飛び込み自殺を見守っていたことが発覚、異常なセンセーショナルを呼び起こした。
三原山が大ブームとなり、昭和8年だけで千人近い自殺者がいたと云われている。
昭和8年(1933).2.13〔女学生(満17〜18歳)「全日本不良少女浮気稼業団」が酔ってケンカ〕
東京市牛込区神楽坂の飲食店で深夜0時過ぎ、跡見女学校5年生(19)2人がブランデーで酔っぱらって他の客にケンカをふっかけて逮捕された。電機会社重役と羅紗問屋という良家の次女だが名前を名乗らないので身体検査すると、「全日本不良少女浮気稼業団理事長ノッポのお梅」という名刺を持っていた。ダンス教師(23)3人と着物姿で銀座などで飲み歩いていたもの。警察は説教してすぐに親に引き渡した。
昭和8年(1933).2.16〔小学校教師が生徒の母親と関係して2万円を恐喝〕※参考
兵庫県神戸市で、小学校教師(42)が生徒の母親である財産家の未亡人や、財産家の人妻と次々関係し、そのことをネタに2万3千円を恐喝していて逮捕された。自身も妻がいる。神戸地裁は懲役3年の判決。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).2.18〔中学生(満18〜19歳)ら10数人が教師にリンチ〕
京都府京都市で、中学生12,3人が私立京都中学校教師宅に土足のまま押し入り教師に殴る蹴るの暴行を加えてナイフで頭と唇に10日間の傷害を負わせて逃走、中学3年生(21)と中学生(20)2人が逮捕された。教師への私憤と自供。
昭和8年(1933).2.19〔小学校教師が女教師にセクハラ〕※参考
兵庫県神戸市の墓地で深夜11時、小学校主席訓導(32)と女教師(24)がいるのを怪しんだ警官に逮捕されたが、2年前の秋に上司の立場を利用して温泉に無理やり同行させてから関係していたことが発覚した。女教師の父親の墓前でデートしていたもの。警察は2人の立場を考慮して表沙汰にせずに釈放した。
昭和8年(1933).2.22〔小5(満11〜12歳)が授業中に同級生刺傷〕
東京市赤坂区の小学校で、小学5年生(13)が同級生(13)の腕をナイフで刺して傷害を負わせた。授業中に教師が別のクラスに行ったため、遊んでいたもの。成績は良く級長をしたこともある。模範学校だったため学校は内密にすませようとしていた。
昭和8年(1933).2.22〔18歳(満16〜17歳)が54歳にストーカー殺人未遂〕
広島県比婆郡で、炭焼き手伝い(18)が近所の家に押し入って女性(54)の頭を日本刀で斬って10日間の傷害を負わせて殺人未遂で逮捕された。未亡人である女性が他の男性と交際しているのを知りながら言い寄り、拒否されてもひつこく迫って一回だけ関係を持ったが、その後は拒絶されていた。前日に男性の家から朝帰りしているのを見つけ、嫉妬に狂って盗んだ日本刀で殺そうとしたもの。
昭和8年(1933).3.10〔目黒もらい子殺しで売春女教師逮捕〕※参考
東京市目黒区で、川俣初太郎(33)が赤ちゃん25人を絞殺して養育費を着服し、3.10に逮捕され死刑となったが、小学校女教師(28)が夜になると公園などで男を誘って売春し、川俣がその客50人を恐喝していたことが発覚した。女教師はお茶の水高等師範学校卒、大分県立高女や四日市高女の教師をしていたが男性教師との恋愛問題で辞職して上京、東京女高師教務係(46)と関係して小学校に職を斡旋してもらっていた。
昭和8年(1933).3.18〔小5(満10〜11歳)が連続放火〕
東京市本所区で、小学5年生(12)が3.18〜5.23の間に30軒以上の民家のゴミ箱に火をつけた新聞紙を放り込んで放火、5.26に捕まった。厳重な警戒網を縫ってほとんど連日のように繰り返しており、通っている小学校にも2回放火していた。父親は2歳の時に関東大震災で死亡し、母親は子供を置いて再婚したため、祖母に育てられていた。自宅前に消防署があり、消防ポンプが出動すると「あの火事は○○さんの宅だ」と祖母に話していた。
昭和8年(1933).3.19〔小学校教師が6年生女子レイプ〕※参考
三重県四日市市の自宅で、小学校教師(34)が教え子の6年生女子(14)を高等女学校口頭試験指導のためと連れ込みレイプ、父兄が学校と市学務に訴えたため教師は免許状剥奪、校長は懲戒処分となったが公表せずひた隠しにしている。
昭和8年(1933).3.19〔住職がニートの息子を殺害〕※参考
神奈川県小田原市の自宅で、住職(65)が次男(23)を絞殺して逮捕された。昨年9月から脊髓カリエスで寝込んでいた息子に牛乳を飲ませようとしたが乱暴したため。日頃から暴れていた。
昭和8年(1933).4.2〔小学校教師が児童貯金250円横領して遊郭通い〕※参考
三重県四日市市の小学校で、教師(33)が担任をしていた6年生14人の児童貯金250円を引き出して横領、カフェーと遊郭で使い果たし、4月から別の小学校で主席訓導となったばかりの4.2に逮捕された。この年の銀行員大卒初任給70円。四日市市の小学校では教師による女生徒への猥褻事件も起きている。
昭和8年(1933).4.15〔18歳女子(満16〜17歳)が兄と関係して赤ちゃん殺害〕
滋賀県阪田郡の自宅で、女子(18)が赤ちゃんを産み、兄の会計係(40)と2人で圧殺し、墓地に埋めたが掘り返して琵琶湖に死体を捨て、5.16に自供した。兄は元小学校教師で4人の子どもがいるが、実の妹と関係して妊娠したため処置に困ったもの。妻は2月に死亡している。
昭和8年(1933).4.19〔小1(満6〜7歳)がからかわれてナイフで殺人未遂〕
兵庫県城崎郡の小学校で、小学1年生(8)が4年生(11)の腹を手工用ナイフで刺して重体とした。小1なのに体重が50キロもある肥満児で、日頃からデブデブとからかわれており、友達もおらず1人で校庭で遊んでいたが、4年生にデブ君デブ君と云われたためカッとしたもの。
昭和8年(1933).4.24〔23歳(満21〜22歳)日大生ら11人が母校で教師から恐喝〕
東京市赤坂区の日大第三中学校で、卒業生の日大専門部法科1年生(23)が前校長が困窮しているのはけしからんと因縁をつけて総務から50円を脅し盗った。それから校長を脅して70円を盗るなど、子分を引き連れたびたび押し掛けては授業中の教師を呼び出しジャックナイフを突きつけ8百円を稼ぎ、明大生3人、日本歯科医生2人、東京農大生、法政大生、帝京商業生ら11人が逮捕され9.3に送局された。リーダーの日大生は柔道4段で、代議士を殴って不良のあいだで一目置かれていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).4.28〔小6が教師の体罰に怒ってスト〕※参考
兵庫県津名郡(淡路島)の小学校で、6年生が唱歌帳を買うように云われたので普通のノートではいけないかと答えると唱歌担当教師が男子30人全員を殴った。生徒は怒って翌日同盟休校した。
7月にこの小学校の高等科で朝礼に着物で出てきた1年生に体操服になれと教師が云ったことから怒った生徒たちが結束して大声を上げて教室に立て籠もり、授業料不買運動まで発展して、8.30に以前の体罰事件も発覚して大問題となった。
昭和8年(1933).5.1〔19歳女子(満17〜18歳)らカップルが結婚を待ちきれず心中〕
兵庫県津名郡(淡路島)で、花嫁学校女生徒(19)と関西大学予科2年生(22)が服毒して、女子は死亡、関大生は命を取り留めた。女子は大阪市の大富豪の薬仲買店の娘で、私立樟蔭女学校を今春卒業し、婚約者で自由な交際を許されていた医者の次男の関大生との結婚を切望したが大学卒業まで待つように親に云われていた。派手好きで意志が強く、女子が主導して心中を図ったもの。
昭和8年(1933).5.2〔18歳(満16〜17歳)がニートの兄と殺し合い〕
東京市渋谷区の自宅で深夜、運送店店員の3男(18)が、無職の長男(32)の頭や顔をカミソリで切って4週間の重傷を負わせ、自分も長男に3週間の重傷を負わされた。5人兄妹のなかで長男だけは働かずにぶらぶらしているので日頃からいがみあい、「働いている者と遊んでいる者の待遇を区別してくれ」と3男が云ったことから、両手にカミソリを持ってケンカになったもの。
昭和8年(1933).5.5〔18歳(満16〜17歳)通り魔が女性6人襲って「顔斬日記」〕
大阪府大阪市北新地の路上で夜9時過ぎ、店員(18)が自転車に乗りながら芸妓(20)の首をナイフで刺して10日間の傷害を負わせ、笑い声を上げながら逃走したがすぐに逮捕された。3月から女性6人を襲っており、「顔斬日記」と題したノートに犯行を克明に記録して所持していた。
昭和8年(1933).5.5〔17歳(満15〜16歳)が銀行強盗〕
北海道函館市の銀行で、ブリキ屋見習い(17)がオモチャのピストルを持って押し入り、5百円の札束を強奪しようとしたが、銀行主任(48)と格闘になり逃走、通行人に捕まった。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).5.6〔19歳(満17〜18歳)女装の女給〕
神奈川県横浜市の繁華街で、女給(19)が通行人に「愛してちょうだいよ」と客引きをしていたので逮捕されたが、女装している男だった。大阪生まれで、子供の時から女装させられ16歳からカフェーの女給となったが、同僚とフロに入るとバレるので数日しか勤めず2百軒近い店を渡り歩いていた。客には一度も男とは見破られなかったと自供。
昭和8年(1933).5.11〔17歳(満15〜16歳)が幼女レイプ殺人〕
東京市品川区で、油売り(17)が、女の子(6)に「ナイフをあげる」と空き家に誘い込みレイプしようとして騒がれたので絞殺、トイレの便器に捨てて逃走、7.10に死体が発見され、8.4に逮捕された。茨城県多賀郡生まれで、3年前に小卒で上京、叔父の経営する油屋に住み込んで町中で油の行商をしており、昨年8月にも女の子(8)に「鏡をあげる」とこの空き家に誘い込むなど、顔見知りになった幼女に次々いたずらをしていた。無口で大人しく商売は下手だった。懲役10〜15年が求刑されたが、東京地裁は5〜10年の不定期刑判決を出した。
昭和8年(1933).5.12〔女学校2年生(満13〜14歳)が小学校教師と関係して修学旅行先で出産〕
奈良県奈良市の奈良女子高等師範学校付属実科高等女学校2年生(15)が、修学旅行に来ていた滋賀県大津市の石山寺で産気づいて赤ちゃんを産んだ。大阪府中河内郡の寺の住職の長女で、この寺に下宿して小学校に勤めながら女子の家庭教師もしていた教師(25)と去年の8月から肉体関係を持っていた。師範学校の成績もいい明るいスポーツマンで模範教師と評判もよく、去年の12月に結婚して3月に寺を出て新婚家庭を持ち、容疑を否認していたが5.17に問い詰められて自供、懲戒免職。新婚の妻は半狂乱。小学校校長は監督不行届の責任で辞表を出したが謹慎処分。両親は2人の関係も妊娠もまったく気づいていなかった。
昭和8年(1933).5.15〔小5女子(満10〜11歳)が連続放火〕
東京市小石川区で夜7時過ぎ、小学5年生女子(12)が8軒に放火した。1軒目の騒ぎから人々が戸外に飛び出して警戒しているなかをセーラー服姿で逃走しているのを見つけられて追いかけられながらも25分間逃げ延びてさらに次々火をつけ、自宅前でポケットにマッチが入ったセーラー服を脱ぎ捨てたため追及されて自白した。和歌山県の農家の娘だが、資産家の材木商の叔母に預けられていた。成績は普通で友達はいない。「消防ポンプが出動して大騒ぎになるのが面白くて」やったと自供。自宅の材木店にも放火していた。
昭和8年(1933).5.24〔16歳(満14〜15歳)が嫉妬して友人一家皆殺し未遂〕
愛知県額田郡で、少年(16)が隣りの農家に侵入してお茶に昇汞水を入れ、飲んだ主人(42)が入院、翌日逮捕された。中流家庭だが、隣家はさらに裕福で、友人である隣家の次男(16)が皆の人気者であることを妬んで一家皆殺しを謀ったもの。
昭和8年(1933).5.29〔15歳(満13〜14歳)が連続通り魔〕
静岡県富士郡の路上で、少年(15)が通行中の女性(20)を背後から襲い、抵抗されると鎌で腕を切って3週間の傷害を負わせて逃走、すぐに逮捕された。14歳(満12〜13歳)の時から女性を何人も襲っていた。
昭和8年(1933).5.〔15歳が老女を強盗レイプ殺人〕
愛知県名古屋市で、少年(満15歳)と少年の2人組が民家に押し入り、女性(65)をタオルで絞殺、レイプして3円と宝石を強奪して逃走したが指紋から逮捕された。新潟に働きに行くための旅費を借りようと、一人暮らしの女性宅に押し掛けたが拒否され罵倒されてカッとしたもの。この年の銀行員大卒初任給70円。満16歳未満は死刑にも無期にもできないため主犯の満15歳は懲役15年、従犯の少年は無期となった。
鮎川潤「
少年犯罪―ほんとうに多発化・凶悪化しているのか」に掲載されている事件ですが、新聞記事が見つかりません。掲載紙をご存じの方はご教示をよろしく。
昭和8年(1933).6.4〔19歳(満17〜18歳)ら2人組が主人一家3人皆殺し〕
大阪府大阪市の洋家具製造販売商宅で、住み込み店員(19,20)2人が主人(42)と妻(40)を絞殺、外出したと嘘を付き、犯行を知らずに店員と同室で寝た養子(16)を翌朝7時に起こしてから絞殺、死体を広島県まで運んで遺棄しようとして逮捕された。人使いが荒く、いつも叱られているので、復讐して240円と家財道具を奪おうと5.31から計画したもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).6.11〔女学生10人が出逢い系雑誌会員に〕
東京市滝野川区の郵便局員(29)が、「男女の清き交際をお望みの方は申し込んで下さい 趣味の社交機関楽園社」という広告を新聞各紙に出し、ひとり50銭の会費を取って恋人募集の自己紹介文を多数掲載した冊子を作成して送った。6.11に逮捕され、説教だけで翌日釈放。女学生10人が会員になっていたため警察は家族に注意した。
昭和8年(1933).6.14〔14歳女子(満12〜13歳)ニートが連続放火〕
大阪府大阪市で朝9時、女子(14)が民家3件に次々放火し捕まった。付近では放火が連続しており、余罪を追及。古物商の3女で、3月に小学校を出てから親がミシン学校を勧めても行かずにぶらぶらしていた。
昭和8年(1933).6.24〔女学校4年生(満15〜16歳)ら7人が桃色遊技〕
東京市足立区で、高等女学校4年生(17)7人が不純異性交遊で逮捕された。千住の女学校そばの喫茶店でたむろし、金を出し合って男子(17,19,19)3人に大学生の制服を着せて銀座などを連れ歩いて桃色遊技に耽っていたもの。すぐに釈放し、翌日に父兄に厳重注意。
昭和8年(1933).6.17〔女学生(満16〜17歳)ら41人が上流階級相手の売春〕
東京市京橋区銀座の飲食店で、女主人(49)が家庭教師募集の広告を新聞に出して女学生などを集めて誘い込み、店の二階で議員や華族、会社重役などを客として5円〜20円で売春をさせていたことが発覚し、女学生(18)ら41人が逮捕された。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).6.30〔20歳(満18〜19歳)日大生ら30人が学園紛争で内ゲバ乱闘〕
東京市神田区の日本大学で、学生10数人が密談をしている部屋を覗き込んだ警備員(29)2人を引きづり込んで棍棒で頭を殴って3週間の傷害を負わせて逃走、深夜0時過ぎに戻ってきて、待ちかまえていた学生20人と棍棒で乱闘、3人が重軽傷を負い、20歳ら3人が逮捕された。日大では改革派と学校派が紛争を続けていたが、学校派の柔道部員がさらに二派に別れて内ゲバになったもの。
昭和8年(1933).7.5〔16歳(満14〜15歳)が母親殺害〕
大阪府北河内郡庭窪村(現在の守口市)で、男子(16)が母親を殺害して逃走、カミソリで喉を切って自殺しようとしたが死にきれず、近所のワラ小屋でずっと隠れていたが、7.9に空腹で知人宅に現れたところを逮捕された。母親が白痴のため悲観したもの。
昭和8年(1933).7.9〔女学校3年生(満15〜16歳)らの桃色遊戯グループ「小鳥組」〕
東京市四谷区で夜10時過ぎ、裁縫女学校3年生(17)と無線電信学校1年生(21)のカップルが、簡易旅館に入るところを警官に見つかり逮捕された。この女学校の3年生7,8人は4月に「小鳥組」を結成、「現代女性はすべからく異性と交際して、時代に遅れぬ良妻賢母を心がけねばならぬ」という誓いの元、放課後に新宿の喫茶店などで異性を紹介し合い、また互いに相手を交換までしていた。前髪をカールさせているのが組員の印。
四谷署員談「近代女学生気質をつゆ程も知らず、娘から「古い古い」といわれるばかりに何事も干渉せず又指導もしなかった「親馬鹿」にはあきれる程です。思想問題もさりながら、こうした問題も各家庭において十分考究されなければならない問題です。前記静子さんの如きは同夜新宿ムーラン・ルージュを見物して誘われるままに投宿したというているが平生における女学生生活を調べて見て全く驚きました」(談話は朝日新聞引用)
昭和8年(1933).7.10〔高等小学校校長が女生徒数十人をレイプ〕※参考
愛媛県喜多郡の高等小学校で、校長(44)が赴任した8年前から1,2年生(満12〜14歳前後)の女生徒数十人をレイプしていたことが発覚して逮捕、7.10に辞表を出した。
昭和8年(1933).7.13〔21歳(満19〜20歳)が家族5人に斬り付ける〕
東京府西多摩郡の自宅で、次男(21)が日本刀で父親(52)、長男(25)、長女(23)、伯父(68)に重傷を負わせ、祖父(72)の額を刺して重体として山林に逃走したが、警官隊と格闘の末に逮捕された。兵隊になることを熱望していたが徴兵検査で補充兵となり、元神職の父親が祈ったせいだと思い込んで6.10から精神がおかしくなっており、祖父が神前に供えようとした刀を盗っていきなり襲ったもの。小学校の成績はよく、青年団幹部も務める働き者の模範青年で、毎日医学の研究をしていた。
昭和8年(1933).7.14〔20歳(満18〜19歳)が信号無視で3人轢き殺す〕
東京市浅草区の交差点で、タクシー運転手の朝鮮人(20)がスピードを出し過ぎて赤信号に突っ込み、横断中の通行人5人をはね飛ばして3人を殺害、2人を重傷として逮捕された。
昭和8年(1933).7.26〔16歳(満14〜15歳)が連続放火で赤ちゃん焼き殺す 火の玉小僧〕
東京市王子区の小学校で、少年(16)が放火してすぐに逮捕されたが、小学校16校に放火して28万円の損害を与え、栃木県では民家に侵入し放火してから赤ちゃん(生後70日)が寝ていることに気づいたがそのまま逃走して焼死させていたことが判明した。
広島県山県郡の生まれで、小5の時に気に食わない同級生の持ち物や弁当をたびたび盗んで隠し、教師に叱られたため教師宅に侵入して本や服をずたずたに切り裂いて退学、埼玉県の国立感化院武蔵野学院に入れられたが去年の9月に脱走、宇佐美レヴュー団に入ったがここも2ヶ月で辞めて、各地を放浪しながら放火を繰り返していた。小学校校長だった父親が自分の退学で辞職を余儀なくされ小学校に怨みを抱いたものだが、やがて騒ぎが面白くなったと自供。火の玉小僧と呼ばれた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和12年6.13に八王子少年刑務所を脱獄、翌日逮捕された。
昭和8年(1933).7.28〔小6(満11〜12歳)が成績表燃やすため学校放火〕
静岡県駿東郡の小学校で、6年生(13)が教室に放火した。成績が悪く、学校を焼けば7.30に渡される成績表も燃えてしまうと考えたもの。
昭和8年(1933).8.12〔20歳(満18〜19歳)が父親殺人未遂〕
愛知県名古屋市の農家で夜11時、次男(20)が実の父親(59)を帯で絞殺しようとして目を覚ました母親に留められ、殺人未遂で逮捕された。6歳の時に他家へ養子に行ったが、昨年2月に長男が死亡したため実家に帰るように迫って養父と争いになったので西春日井郡に引っ越したが、実父に探し当てられ怒鳴り込んできたので親子の縁を切ろうとケンカになったもの。
昭和8年(1933).8.14〔小3(満8〜9歳)ら多数が活動カード万引〕
東京市神田区の書店で、小学3年生(10)2人が活動カード(映画スターの写真カード)を万引きして捕まった。同じ日本橋の小学校生徒多数がこの書店で活動カードを大量に万引きしていたことも発覚した。全員が裕福な家庭。
昭和8年(1933).8.20〔小2(満9〜10歳)が3人殺害〕
大阪府北河内郡四条畷町で、小学2年生(11)が、女の子(9)の家でこの娘のこずかい2銭を盗って逃走した。女の子と妹(6)、姉妹の親戚の小学2年生(9)ら3人が追い掛け、返してくれと迫ったが、小2生は返すと騙して池に誘い込んで女の子を突き落とし、男の子の頭を棒で殴って倒してから池に放り込み、逃げる妹を追い掛けて後ろから絞殺して池に投げ入れ、3人とも殺害した。深夜に死体が発見されて警察の取り調べを受けたが、姉(15)が1人でやったと嘘をつき、父と自分の共犯、姉と自分の共犯などと自供を変えたが、8.23になって自分1人でやったと自白した。日雇い人夫の長男。
昭和8年(1933).8.20〔小5女子(満10〜11歳)が級長選挙買収資金のため窃盗〕
東京市中野区の銭湯で、小学5年生女子(12)が50銭入りのサイフを盗って捕まった。成績優秀の級長だが、9月の選挙に向けて級友にノートや鉛筆を渡して買収工作をしており、資金稼ぎのためこの銭湯にあるプールに毎日通うついでに20回以上90円の窃盗を働いていた。気づいた主人がサイフ入りの服をわざと置いて見張っていたもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).8.25〔14歳女子(満12〜13歳)が買春して小学校高等科生(満13〜14歳)が買う〕
愛知県名古屋市で、小学校高等科生(15)が女子(14)を買春していて2人とも8.25に逮捕された。女子は長野県西筑摩郡から家出して鶴舞公園で売春して少年に貢いでいたもの。この小学校高等科生には2,3日前から50銭で相手をしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).9.9〔20歳(満18〜19歳)が祖母殺害〕
福島県若松市で夜9時半、次男(20)が祖母(74)の胸を出刃包丁で刺して殺害、自首した。祖母は息子夫婦と仲が悪く隣家に別居していたが、たびたび暴れ込んできており、この日も三回もやってきて病気で寝ている父親を罵倒したので、父親を救おうと考えたもの。不良で家出した長男に代わり家業の金魚屋を支え、孝行息子で評判だった。
昭和8年(1933).9.12〔6歳(満4〜5歳)ら20数人の窃盗グループ「マボロシ団」〕
東京市本所区で、小学生が中心で小学校入学前の男子(6)を含む20数人の窃盗グループ「マボロシ団」が捕まった。ジフテリアのタモ(18)がリーダーで、空き家をアジトにして、デパートで蓄音機など、本屋、オモチャ屋で万引きを繰り返して500円の窃盗を働き、クズ屋に売って映画などに使っていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).9.15〔小6(満11〜12歳)がケンカで友人を殺害〕
山口県山口市の寺で、小学6年生(13)が小学校高等科1年生(14)を殺害した。大勢で将棋を指しているうちに、些細なことでケンカになって、八折り雪駄(裏に厚さ2センチほどの板を付けた草履。この頃の小学生がよく履いていた)で頭をめった打ちにしたもの。成績は中の上で、向かいに住んでいる被害者とは仲が良かった。
昭和8年(1933).9.19〔中5(満16〜17歳)10数人が酔って駅でリンチ〕
千葉県木更津市の木更津駅で、木更津中学校5年生10数人が郵便局員(22)に殴る蹴るの暴行を加えて服まで破った。県内陸上大会で優勝してカフェーで祝杯を挙げて酔っぱらい、日頃気に食わないと思っていた郵便局員をたまたま見かけたので殴ったもの。リーダーは村長の3男(18)。
昭和8年(1933).9.27〔20歳(満18〜19歳)ニートが母親殺害〕
埼玉県入間郡の農家で午前4時、長男(20)が母親(48)の手首を鎌で切り落とし、家の外へ逃げるのを追っ掛けて胸を刺して殺害、留めようとした父親(53)らにも鎌をふるって暴れ、駆けつけた警官隊と格闘のうえに逮捕された。農作業も手伝わずに遊んでいて、凶暴で親に対して殺してやると日頃から云っており、昨日夜9時に母親とケンカして暴れたので隣家の親戚宅に避難したが跡を追って来たので親戚がなだめているところだった。2人の妹がいる。山奧の数戸しかない小さな村での事件。
昭和8年(1933).10.1〔児童虐待防止法施行〕※参考
子どもに対するあまりにひどい事件が続発したため、児童虐待防止法施行。
昭和8年(1933).10.11〔白色留学生悩ます・日本娘 時事新報引用〕
東京帝国大学法学部に留学するため来日したドイツ人学生(25)のもとに、到着翌日から恋文が殺到。「何ら理由もなくただ皮膚の白い異性に対する桃色の好奇心から不純な交際を求めるもの」で、かなり大胆な内容のものもあった。女子医学専門学校生、女子大生など、教養ある良家の子女がほとんど。
昭和8年(1933).10.25〔高1ら40人のゴルフ場征伐事件〕
宮城県仙台市のゴルフ場で、第二高等学校1年生(満17歳前後)30数人、2,3年生数人が暴れて小屋を壊し椅子を燃やして、グリーンのカップに脱糞までした。いつも軍事教練を受けてる陸軍射撃場で夜中にコンパを開いていたが、隣のゴルフ場に反感を抱いていたため酔って襲ったもの。翌日、第二師団長の東久邇宮がプレーする予定だったため反皇室事件として追及されたが、学校が憲兵隊の捜査を拒否したため、処分はまったくなかった。※
『あんそろじい旧制高校 第3巻』の当事者生徒の手記による。
昭和8年(1933).11.29〔小学校校長ら45人が贈収賄で逮捕起訴 東京〕※参考
東京市で、小学校校長の椅子を金で買うための贈収賄事件が発覚し、翌年2月までに視学と校長ら45人が逮捕起訴。
昭和8年(1933).11.26〔19歳女子(満17〜18歳)が盗みの弟殺害〕
徳島県麻植郡で、製糸女工(19)が弟(12)をタオルで絞殺した。弟が窃盗事件を起こし、一家のためと思って殺害したもの。女工は親孝行で評判だった。徳島地裁は懲役2年、執行猶予3年の判決。
昭和8年(1933).12.3〔小6(満10〜11歳)が万引〕
東京市荒川区で、小学6年生(12)が文房具店でノート3冊を万引きした。気づいた父親が叱ったが、校長が汚職事件で逮捕されたのに、これくらいのことはなんでもないじゃないかと言い返すので困って、翌日警察署に連れて行った。司法主任が説教して家に帰した。
昭和8年(1933).12.9〔中3(満15〜16歳)が教室でケンカしナイフで刺傷〕
東京市神田区の東京中学校で、3年生(16)が併設されている東京実業学校4年生(16)の胸をナイフで刺し、重体として逃走したが自宅で逮捕された。昼休みに教室でケンカしたもの。
昭和8年(1933).12.9〔小学校教師が兄を殺害〕※参考
岩手県九戸郡で、小学校教師(23)が父親の葬式に兄の小学校教師(27)が酔ってやって来たのでケンカとなり、殴って失神させてから井戸に放り込み殺害、翌年3.28に死体が発見されて逮捕された。何食わぬ顔で何ヶ月も授業を続けていた。
昭和8年(1933).12.13〔商業学校5年生(満16〜17歳)が教室で教師に暴行〕
大阪府堺市の市立商業学校で、5年生(18)が教師を押し倒して黒板で後頭部を強打させ、無期停学となった。英語の試験中に同級生(18)がカンニングをしていたので教師が答案用紙を取り上げようとしたが抵抗したため用紙が破れたのを見てカッとし、相撲部員なので相撲の技を使ったもの。教師は逃げて試験は中止になった。
昭和8年(1933).12.20〔中4(満15〜16歳)ら不良団21人組〕
徳島県徳島市で、徳島中学4年生(17)ら不良団21人組が、預金通帳入りのカバンを拾い、30円をおろして豪遊、カバンだけ交番に届けたためバレて4年生は大阪に逃走した。夏から市内で数々の不良行為を行っていたが、成績は普通で学校で問題になったことはなかった。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).12.25〔21(満19〜20歳)がふざけで銃で幼児3人を殺人未遂〕
宮崎県南那珂郡で、男(21)が友人と山林に猟に行く途中に女の子2人(6,8)と男の子(4)の3人姉弟が通るのを見て悪ふざけで猟銃を撃ったら命中して3人とも重態となった。
昭和8年(1933).12.26〔大学2年生(満18〜19歳)が赤ちゃん殺害遺棄〕
大分県別府市の旅館で、関西大学2年生(20)と恋人の女(25)が赤ちゃんを産んですぐに絞殺、温泉に投げ捨てて12.26に逮捕された。三重県津市出身で、水泳選手などもしていた明朗闊達な性格だった。
昭和8年(1933).12.31〔13歳女子(満11〜12歳)が恋人に貢ぐため窃盗〕
兵庫県神戸市で、小間使い(13)が住込み先の家で服を盗んで12.31に逮捕された。これまでも住込み先から10回以上窃盗を働いて百円以上を男子(13)に貢いでいたと自供。小学校の夜間授業に通う3年生の時に恋人となって、11歳(満9〜10歳)で肉体関係を持つようになり、逮捕時は妊娠7ヶ月だった。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和9年(1934).1.4〔19歳(満17〜18歳)ら親子3人が長男殺人〕
福岡県三潴郡の瓦製造業宅で、3男(19)、父親(63)、内縁の妻(35)の3人が、長男(35)を縛って瓦製造道具でめった打ちにして殺害、病死として処理されていたが8.31に発覚して逮捕された。日頃から親子ゲンカが絶えず、この日も長男が酔って七輪を投げつけるなど暴れたもの。
昭和9年(1934).1.4〔女学生は煙草好き 読売新聞引用〕
女学生に「喫煙時代」来る。これは外国の話ではありません。ニッポンの34年の現実です。(中略)ハンドバッグからちょいと煙草を取り出して、器用な手つきでスパリスパリと(中略)モラール・レボリューション(中略)
「あなたがた、学校はどちら?」記者が突然問いかけると
「しらないわ。」プいっと横を向いて、煙を吐いて、
「ウン、オフロどうする?」
「モチ入って行こうヨ。お正月だもン、大丈夫だヨ。」
記者はまさしく、気の毒みたいにいかれちまった形です。(ちょっとことわりますが、「オフロに入る」とは、最近女学生間に流行っている符牒で、F・ダンスホールに行くことなんです)
(読売新聞引用)
昭和9年(1934).1.6〔小学校高等科1年が友人を猟銃で射殺〕
兵庫県津名郡(淡路島)の海岸で、小学校高等科1年生(現在の中1に相当)が友人の小学6年生(13)を射殺した。男性(42)が沖で鴨猟をするために漁船に立てかけてあった猟銃を小6生が覗き込んだ時に引き金を引いて、顎から頭を貫通したもの。警察で取り調べ。
昭和9年(1934).1.10〔小学校校長が女生徒(満12〜13歳)と関係〕※参考
京都府愛宕郡の小学校校長(44)が、教え子と関係した上に捨てたという投書が府学務部に届き、取り調べに2ヶ月間否認していたが、昭和7年12.25〜12.28に京都市の旅館にこの女生徒(当時14歳。満12〜13歳)と泊まっていたところを警察に逮捕され関係を持ったと自供していたことが発覚した。
昭和9年(1934).1.11〔九大エロ写真事件〕
福岡県福岡市の九州帝国大学で、海外から密輸入したエロ写真の原版を研究室で現像し、会費を取って配布していた。3,4年前から組織的に行われており、カフェーや料理屋にも売り歩くようになって発覚。農学部の助手、学生70人以上が家宅捜査。医学部にも波及する見込み。
昭和9年(1934).1.12〔小学校教師や視学39人が汚職で逮捕 岡山県〕※参考
岡山県で、小学校校長の椅子を得るために教師が県の教育幹部に賄賂を贈っていることが発覚し、教師や視学二百人近くが取り調べられて、1.12に39人が起訴。
昭和9年(1934).1.18〔入隊兵士見送り将棋倒し77人死亡〕※参考
京都府の京都駅で、入隊兵士見送り人5千人が発車間際に殺到したため将棋倒しとなり、在郷軍人や近親者の女性など77人死亡、74人重軽傷。大惨事の中、万歳の声で送られて列車は出発した。憲兵隊や警察も多数警備をしていたが防ぎきれなかった。
昭和9年(1934).1.19〔小6(満9〜10歳)が授業中に同級生刺殺〕
香川県綾歌郡の小学校教室で、6年生(11)が同級生(12)の腹をナイフで刺し、1.26に死亡させた。担任教師が病欠で代わりの教師が隣の教室に行って不在の時に、買ったばかりのナイフを見せびらかせて「よく切れるぞ」と自慢したが、「そんなボロナイフで切れるか」と云われたためカッとしたもの。知能が低かった。被害者は県会議長の孫。
昭和9年(1934).1.20〔中学生41人の大万引き団〕
福岡県直方市の県立鞍手中学校で、生徒41人の大万引き団が逮捕された。6人退学、20人無期停学、15人論示処分。
昭和9年(1934).1.30〔女学生(満13〜14歳)がタカラジェンヌにプレゼントするため援助交際メール〕
兵庫県神戸市で、市立女学校2年生(15)が銀行支店長に「付き合ってください」「私の貞操を30円で提供します」などという手紙を3回も出した。熱狂的な宝塚ファンで、まったく面識のない銀行支店長の名前で30円の洋服を注文して女優にプレゼントしており、その金を稼ごうとしたもの。男(30)に何度もレイプされて脅されて手紙を出したと訴えたので、男を三重県まで捜索して逮捕したが、この男とも面識がなく、創り話だったことを自白。レイプで性病をうつされたと話していたが、性病の知識は詳しかった。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和9年(1934).3.15〔20歳(満18〜19歳)の真面目な長男が何人殺せるか試すため一家皆殺し〕
奈良県北葛城郡の農家で深夜2時、長男(20)が就寝中の家族5人の頭を斧で殴り、母親(48)、2男(18)、長女(15)、3男(13)を殺害、父親(53)を重体とした。すぐに隣家に押し入り、就寝中の長女(18)の頭を斧で殴り、逃げようとするところを肩と足を切って重傷を負わせ、母親(36)にも切りつけたが斧を奪われ逃走、百メートル離れた線路で列車に飛び込んで自殺した。真面目な働き者の模範少年だったが、数日前に「自分が命を投げ出したら、幾人くらい殺せるだろうか」と話していた。
昭和9年(1934).3.15〔19歳(満17〜18歳)が恋人と心中未遂〕
宮城県仙台市の路上で夜8時、小説家佐藤紅緑の4男(19)と女性事務員(21)がカルモチン心中を図ったが命を取り留めた。仙台市の新聞社に勤めており、先月も飛び降り自殺未遂を起こしていて、死を賛美する遺書を残していた。
実兄サトウハチロウ氏の話「困った奴です。死ねば私ばかりでなく親父も助かりますよ」「現代の若者は何か極端へ極端へと走る。我々の時代にはまだ楽しみが少し残っていたが、今はそれが全然ない。そして金を欲しがる。金のない奴は何の楽しみも持たない。ですから私の宅から物を持ち出したりしました」(談話は東京朝日新聞引用)
昭和9年(1934).4.8〔女学生(満14〜15歳)ら20人が桃色交遊秘密結社〕
兵庫県神戸市で、私立神戸成徳高等女学校3年生(16,17)2人、私立神港女子商業学校4年生(16)、県立神戸第二中学4年生(18)など男女生徒20人が不純異性交遊を繰り広げていて逮捕された。裕福な家庭の子女で、豪華な着物を着て飲酒喫煙にふけり、また相手を変えながら不純な関係を結んでいた。
昭和9年(1934).4.23〔教師が修学旅行で15歳女子(満13〜14歳)をレイプ〕※参考
鹿児島県肝属郡で、女子(18)が1年前に産んだ長男の認知を求めて昭和7年に半年間交際していた男性(27)相手に提訴したが、男性は女子には他に何人も男がいる、当時通っていた高等公民学校の教師とも関係していたと暴露した。修学旅行中に担任教師が15歳(満13〜14歳)だった女子の床に忍び入って処女を奪ったことが法廷で証明され、父親が誰か判らないので4.23に鹿児島地裁は認知請求を棄却した。
昭和9年(1934).4.27〔16歳(満14〜15歳)が学校でナイフで刺傷〕
大阪府大阪市の小学校で、少年(16)が高等1年生(14)の太ももをナイフで刺し、同級生に助けられて運ばれていくのを追い掛け肩を2回刺して重傷を負わて逮捕された。校庭で教師の野球大会が開かれており、見物していた卒業生の少年が1年生の冗談にカッとして家からナイフを持って来たもの。
昭和9年(1934).5.3〔18歳(満16〜17歳)がお尻刺し通り魔〕
東京市小石川区の路上で、男子(18)が人妻(26)のお尻を針金(自転車のスポーク)で突き刺し、5.18に逮捕された。4月から自転車に乗って女性10数人のお尻を針金で突き刺していたことを自供。印刷業者の長男で、幼い頃から変質者だった。
昭和9年(1934).5.23〔20歳(満18〜19歳)ら3人組がピストルで脅して校長拉致〕
愛媛県松山市で、私立松山高等商業学校生(20)2人と無職(24)ら3人組が夜9時に校長宅を訪ねて警察部長の名を騙って誘き出しピストルを突きつけ自動車とエンジン付き船舶で10キロ以上沖の睦月島の空き家に拉致して監禁、脅して辞表を書かせて5.27に解放、逮捕された。
無職は4月にこの学校を卒業したが働かずにぶらぶらしており、在学中は無口で人と交わらずに文学とギターに熱中。無職の親戚の幼稚園保母(24)と校長が交際しており、またサーカス見物中に隣の女性の手を握って警官の注意を受けたという風聞を聞いて義憤に駆られたもの。校長は事件の責任を取って辞職した。
昭和9年(1934).6.12〔女子(満16〜17歳)が恋路を裂かれて女主人を殺人未遂〕
愛媛県西宇和郡で、女中(18)が女主人(43)を夜中に蔵に誘い出し紐で絞殺しようとしたが気づかれたため馬乗りになって両手で首を絞めたが噛みつかれて失敗、殺人未遂で逮捕された。
大分県大分郡生まれでこの家で働き、2年前から息子(23)と恋仲になっていたが、女主人が息子を東京にやり、女中に辛く当たってこの日も叱ったので怨んで復讐しようとしたもの。
昭和9年(1934).6.25〔45歳(満43〜44歳)が死刑になるため幼児ら4人無差別殺人〕※参考
岐阜県不破郡の路上で午後2時、無職の若林僊二(45)が1.5キロに渡って通行中の子供ら11人を次々棍棒で殴り付けて、女の子(6)、男の子(8)、女の子(9)、男性(50)の4人殺害、女の子(3)と男の子(13)2人を重体、5人を重傷として、すぐに逮捕された。
神奈川県高座郡生まれで、20年前に砲兵隊を除隊後に民家に侵入して主婦をレイプしようとして2円を奪ってから警察に追われる妄想に取り憑かれ、庭師の仕事を手伝っていた兄の元から5年前に家出して山中で剣の修行を積んで全国を放浪、ルンペン生活をしていた。前日に挙動不審で警察に連行されており、警察への復讐のため無抵抗な子供を殺して死刑になろうとしたと自供。取り調べには平然と答えて、新聞カメラマンには犯行に使った棍棒を正眼に構えてポーズを取って笑顔を見せた。小学生のときは成績もよく、大人しい性格だった。岐阜地裁は求刑通り無期判決。
昭和9年(1934).6.26〔明大ボート部9人が酔って警官隊と大乱闘〕
千葉県銚子市の旅館で、明治大学ボート部9人が酔ってケンカして、留めようとした従業員と市会議員を殴って2週間の傷害を負わせ、警官隊とも大乱闘をして逮捕された。
昭和9年(1934).7.3〔小学校教師が体罰でケガをさせる〕※参考
大阪府大阪市の小学校で、教師(23)が5年生(11)の顔を殴ろうとしたが、生徒が避けて帽子掛けの釘でマブタに2週間の傷害を負った。写生の授業を10数人がサボり、叱ると数人が舌を出して教師をからかったので体罰を加えようとしたもの。
昭和9年(1934).7.8〔高等女学校教師(27)が万引き〕※参考
大分県別府市で、高等女学校の数学教師(27)が洋品店で30円相当を万引きをして逮捕された。これまでも百件以上、数百円相当を万引きしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和9年(1934).7.13〔高等小学校校長が学校で女生徒レイプ〕※参考
岐阜県山県郡の高等小学校の教室で、校長(49)が高等2年生女子(15)をレイプ、近くの建物から目撃した人がいたため問題となったが、県視学はそのような事実はないという調査結果を出して校長の辞表を却下。しかし、7.24になって校長が自白したため懲戒処分となった。
昭和9年(1934).7.21〔18歳(満16〜17歳)が年上の恋人殺害〕
福岡県山門郡で、浪曲語り(18)が恋人の飲食店経営女性(41)を殺害、逃走したがすぐに逮捕された。2月からこの飲食店で同棲していたが、土木工事で働くために朝4時に起きて朝食を食べている時に「友達が日給80銭なので、70銭はくれるだろう」と云うと、女性が「おまえのような子供に誰が70銭もくれるか」とバカにしたのでカッとして包丁で首を切ったもの。
昭和9年(1934).7.26〔女小学校教師4人が同じ日に万引き〕※参考
熊本県熊本市で、女小学校教師(24〜32)4人がデパートなどで別々に万引きをして同じ日に逮捕された。ひとりは夫が小学校校長。熊本県では春に玉名郡の小学校校長が窃盗を働いて問題になっていた。
昭和9年(1934).8.18〔中4(満16〜17歳)が心中〕
東京府武蔵野市の井の頭公園で、青山学院中学部4年生(18)と女中(17)が心中を図って男子は重体となった。女子は千葉県安房郡の農家の長女で文学少女、高等小学校卒で男子の近所の家で女中となり、1年前から交際を始めて親に反対され実家に帰されたが、密かにまた違う家で女中をしており、8.15に2人で家出したもの。男子の父親は三菱社員で、病院に駆けつけて女子に「不良娘」、母親は「畜生畜生」と怒鳴りつけた。
昭和9年(1934).8.20〔一高と三高応援団が大乱闘〕
京都府京都市で深夜0時、三高応援団と京都市民ら数十人が一高野球部員の泊まっている旅館の前でヤジを飛ばして投石で窓ガラスを割った。旅館から出てきた一人を棍棒で袋叩きにしたため大乱闘となり、急行した警官隊数十人とも格闘となって三高生20人が逮捕された。昨日の野球の試合で一高が19対0と大勝して応援団150人が太鼓を鳴らしながら京都市中を練り歩き、三高応援団と小競り合いを繰り返していた。
昭和9年(1934).8.27〔20歳(満18〜19歳)が人妻と別々に心中〕
神奈川県中郡の山中で、男子(20)がカルモチンを飲んで重体となった。海軍少将の次男だが、どうしようもない不良だったため知り合いの神奈川県立園芸場長に預けられ、場長の姪で蒲田区会議長の長女(23)が継母との折り合いが悪く場長の養女となっていたため恋仲となった。女は5月に結婚したが手紙でやりとりし、別々に心中する計画で日光に家出したもの。少将の長男の一高生も昭和6年12.18に自殺している。
昭和9年(1934).8.30〔女学校校長が学校で女生徒レイプ〕※参考
静岡県磐田郡の県立高等女学校で深夜0時前、校長が教護室に侵入して3年生女子(17)をレイプして逃走したが、女子から話を聞いた両親が警察に通報して9.1に任意同行で取り調べ。女子はバレーボール選手で、前日の運動会で胸をケガしたため教護室で寝ていたもの。
昭和9年(1934).9.8〔高等小学校教頭が横領して学校放火〕※参考
東京市渋谷区の高等小学校で深夜1時、現在の教頭に当たる主席訓導(42)が放火して校舍を全焼させて逮捕された。カフェーやバー通いで借金ができ、後援会会計と物品購入係の立場を利用して横領したという投書があって、警察が捜査を開始する直前だった。
昭和9年(1934).9.16〔中2(満13〜14歳)が銀行強盗〕
鹿児島県鹿児島市の銀行で深夜1時、県立中学2年生(15)が侵入して金庫を探しているところを宿直が見つけて通報に駆け付けた警官が格闘の末に逮捕した。カフェー通いで金に困り、ナイフと懐中電灯を持って覆面をして銀行を狙ったもの。
昭和9年(1934).9.20〔中5(満16〜17歳)が学校で同級生を刺傷〕
徳島県徳島市の徳島中学校で、5年生(18)が放課後に同級生(18)の背中を小刀で刺して深さ4センチの傷害を負わせた。別の同級生に「早く帰るとは生意気な」と云われたことからケンカになり、たまたま居合わせた被害者を相手の加勢と間違えたもの。
昭和9年(1934).10.8〔高等小学校教師が体罰で問題化〕※参考
北海道八雲町の高等小学校で、教師が1年生(15)の顔や頭を平手打ちした。掃除をサボったため体罰を加えたもの。泣いて帰ったので、父親は校長に謝罪させた。翌日に頭の痛みがひどくなり、警察が調査開始。
昭和9年(1934).10.29〔高1らの桃色ストライキ事件〕
山口県山口市の山口高等学校で、1年生(満18歳前後)2人が料亭でジンゲル(芸者)をあげて酒を飲み、ジンゲル2人と料亭の娘を連れてタクシーで寮に帰ったが、寮に女を入れたということで2ヶ月の停学となった。うち1人が総務(寮の生徒代表)就任目前だったため不当な弾圧であると生徒が激昂、同盟休校となった。
OBの斡旋も受け入れず、押し寄せた父兄百人以上とも面会を拒んでいたが、11.2の深夜0時に母親50人以上を寮に入れて5時間話してから崩れ、11.3の深夜0時過ぎに籠城を解いた。11.19にリーダー12人が無期停学など、56人が処分。
※
『あんそろじい旧制高校 第3巻』掲載の次期総務だった人の手記によると、ジンゲル遊びは学校公認でまったく問題なかった、校長は左翼弾圧を終えて次は右翼弾圧を狙い、右翼と間違われて自分が標的となったと記しています。
昭和9年(1934).11.19〔高2(満18〜19歳)が教師宅に放火〕
富山県富山市で、富山高等学校2年生(20)が尋常科教師の家に放火して逮捕された。7年制高校で、尋常科は中学に相当し、2年生はこの教師に教えられたことはなく動機不明。刑務所行きを覚悟して放火したと自供。
昭和9年(1934).11.21〔小3ら3人が同級生を火炙り殺人未遂〕
北海道網走郡で、小学3年生3人が下校中に同級生を松林に連れ込んで裸にして木に縛りつけ、火あぶりにしようとしているところを教師に見つかった。授業中に筆を貸さなかったため殺そうと計画して友人2人に手伝わせたもの。
昭和9年(1934).11.26〔16歳女子(満14〜15歳)ら3人が美人局〕
北海道函館市の喫茶店で、女子(16)が商船学校生徒などと仲良くなって外に連れ出し、男子(18,19)2人が「俺の女をどうするのだ」と50人以上から金を脅し盗る美人局を繰り返して逮捕された。商船学校を中退して酒煙草を飲んでぶらぶらしている不良で、喫茶店で知り合って3人で同棲していた。
昭和9年(1934).12.5〔17歳(満15〜16歳)ら7人の少年血盟団事件〕
静岡県清水市興津の西園寺公望邸宅の座漁荘で、東京市荒川区からやって来て執拗に面会を求めた軍需品工場工員(17)を警備の警官が取り押さえたが、短刀と斬奸状を所持していた。「輿国東京神命党」の党首で、血盟団や五・一五事件に共鳴、昭和維新のため政財界首脳を一人一殺で暗殺する計画が発覚し、17,8歳の少年ばかり7人が殺人予備罪で起訴された。
東京の小学校時代の友人たちで党を結成、10月に群馬県の大演習に出席する要人を暗殺しようとするが警備が厳しいため諦め、政友会総裁を狙って駅で三度も試みたが失敗、資金稼ぎのため質屋や銀行、郵便局襲撃をやろうとして失敗、路上強盗もことごとく失敗した。いよいよ追い詰められ12.3に互いの血を啜り誓い合い、西園寺(満84歳)、牧野伸顕(満73歳)、三菱財閥の木村久壽彌太(満69歳)などを標的に決起したが党首の失敗で未然に終わった。
全員が小卒で働いていた。斬奸状は大久保利通を暗殺した島田一郎のものを手本に自ら書いていた。
昭和9年(1934).12.5〔小学校教師が体罰で問題化〕※参考
佐賀県佐賀群の小学校教室で、教師(23)が5年生(11)の顔を8回殴り、胸と顔を2回づつ蹴った。掃除中に同級生とケンカをしたため体罰を加えたもの。
顔を腫らして帰宅した子供に驚き、父親は校長に謝罪を求めたが相手にされなかったので警察に届け、警察が傷害で捜査を始めると校長はあわてて謝罪した。情操教育の模範校で、全国から視察が絶えない学校だった。
昭和9年(1934).12.6〔中1(満12〜13歳)連続通り魔が女性27人を切る〕
岐阜県岐阜市で夜10時前、中学1年生(14)が自転車に乗って、夜学から自転車で帰宅中の女工(17)に近づき「コンチクショウ!」と叫びながら押し倒して、ナイフで顔、首、胸などめった刺しにして重体として逃走した。
翌年2.10の朝6時、民家に侵入して就寝中の女性(23)を出刃包丁で15回めった刺しにして重傷を負わせて逃走したが、女性に指を噛み付かれてケガをしていたためその日に逮捕、警察の威信を賭けた警戒網を嘲笑いながら1年前から路上で女性27人に切りつけて5人に重傷を負わせた連続通り魔事件の犯人であることを自供した。
小学校ではトップクラスの成績だったが、中学入試のため深夜まで猛勉強を続けて神経衰弱となり、探偵実話小説を読みふけった影響もあって、小6の2月に初めての犯行を犯し、女を襲わないと寝られない変質者となった。裕福な家庭の次男で高額なこずかいをもらっており、両親はタンスから血まみれのガーゼなどを見つけていたが、犯行にはまったく気づかず逮捕に茫然としている。
昭和9年(1934).12.7〔小学校校長が贈収賄で逮捕起訴 茨城〕※参考
茨城県で、小学校校長の椅子を金で買うための贈収賄事件が発覚し逮捕起訴され、12.7に二審で、視学2人は懲役6ヶ月、追徴金240円と、懲役3ヶ月、執行猶予2年、追徴金90円。校長は収賄罪の1人が懲役4ヶ月、追徴金110円、贈賄罪の2人は罰金50円づつと、一審どおりの有罪判決となった。
昭和9年(1934).12.19〔小6(満11〜12歳)が学校で同級生を刺傷〕
石川県能美郡の小学校で、6年生(13)が放課後に同級生(13)とケンカになり、ナイフで肩を刺して傷害を負わせた。
昭和9年(1934).12.20〔小学生(6〜7歳)がチャンバラごっこで友人失明させる〕
東京市豊島区で、男子(8)が友人(6)の目を刺して失明させた。チャンバラごっこをしていたもの。被害者の親は警察に告発した。
昭和10年(1935).1.2〔高等小学校校長が女生徒(満14〜15歳)と関係し袋叩き〕※参考
大島の隣りの利島の高等小学校(現在の中学に相当)で、校長(51)が2年生女子(16)と畳敷きの教員室で夜中に明かりもつけずに一緒にいるところを、青年団6人が窓ガラスを割って押し入り殴る蹴るの暴行を加えた。校長と女生徒との関係が噂になっていたので、尾行していたもの。校長は告訴するが、青年団も校長解任を要求。
昭和10年(1935).1.17〔20歳(満18〜19歳)ら6人組不良グループ「猫団」〕
東京市荒川区で、不良グループ「猫団」が逮捕された。親分・二代目白猫(20)と三代目三毛猫(20)などの小猫ら6人。カフェーで無銭飲食を繰り返し、ゆすり、たかり、ケンカなど。全員が右腕に猫の刺青を入れていた。
昭和10年(1935).1.20〔19歳(満17〜18歳)が風俗店代のために放火〕
東京市本所区向島で、工員(19)が放火して捕まった。亀戸魔窟の風俗店に通っていたが金がなくなり、放火して窃盗をしていた犯人が捕まった新聞記事を見て、マネしたもの。
昭和10年(1935).1.24〔19歳(満17〜18歳)ら男女4人が心中〕
兵庫県川辺郡の宝塚駅前の旅館で、工員(19)が喫茶店バビロンルージュの女給3人(18,19,20)とカルモチンを飲んで心中した。3日前からこの旅館に泊まって宝塚歌劇を観たり豪華な食事をしたり明るくはしゃいでおり、「われらは朗らかに笑って死んでゆきます」という遺書を残していた。女給2人と三角関係となり、女が死にたいと云うので同情したもうひとりの女給(20)と共に大阪市から家出したもの。
昭和10年(1935).1.26〔17歳(満15〜16歳)が復讐のため主人宅に放火〕
東京市豊島区で、無職(17)が放火して民家を全焼させて逮捕された。去年の夏にバリカン工場に勤めたが主人夫婦に叱られ1月にクビとなって新潟県の実家に戻った。主人の妻が仕事ぶりなどを非難する手紙を父親に送ってきたため家出、復讐に主人宅に火を付けたもの。東京地裁は懲役3〜5年の不定期刑判決。
昭和10年(1935).1.26〔16歳女子(満14〜15歳)が恋する警官に逢いたくて放火〕
東京市荏原区で、女子(16)が隣家のゴミにマッチで放火、さらに次々と放火して捕まった。1.26に放火があった直後に不審な男を見かけたので交番に届けたが、美男の巡査に恋をして、それから放火をしては交番に届けていた。
昭和10年(1935).1.27〔20歳(満18〜19歳)ら2人が日大相撲部員を日本刀で斬り殺す〕
東京市麹町区の日本大学相撲部合宿所で朝7時、銀座青年同盟員(20,22)2人が押し入り、就寝中の相撲部員3人を日本刀と出刃包丁でめった斬りにして、21歳を殺害、29歳と22歳に4週間の重傷を負わせて逃走した。
2人はこの合宿所の居候だったが、酒癖が悪いので追い出され、昨日の卒業生送別会に押し掛け無理に酒宴に同席させてもらったが、一度は断られたことを怒って暴れ、帰ったが武器を持って復讐にやって来たもの。
昭和10年(1935).1.27〔20歳(満18〜19歳)ら2人が銭湯で日本刀で斬り殺す〕
東京市足立区の銭湯で、柳下組員(20,22)2人が押し入り、入浴中の土木業(27)を日本刀でめった斬りにして殺害、逃走したがすぐに逮捕された。
昨年6.18に柳下組組頭(30)が森川組親分らに斬り殺され、復讐のため親分の弟の通称「猫梅」を狙ったもの。
昭和10年(1935).1.27〔17歳(満15〜16歳)少女が三原山の火口で心中未遂〕
大島の三原山の火口に、少女(17)が飛び込み、70メートル下で死にきれずに助けを求め奇蹟的に救出、全身の骨折と裂傷を負いながら5時間の大手術で命を取り留めた。富山県下新川郡魚津町から昨年4月に上京、待合いの女中をしていたが、従兄弟の運送店店員(22)と心中を図ったもの。従兄弟の死体は見つからなかった。
美貌と奇跡の生還で騒がれ女優の話もあったが3月末に帰郷、カフェーの女給をしていたが、11.18に路上で死体となって発見された。恋人のコック(21)が顔など数カ所を刺して殺害、コックも首つり自殺したもの。
少女は5男3女の5番目で、早熟で嘘つきと評判だった。
昭和10年(1935).1.29〔小2(満9〜10歳)が銃で傷害負わす〕
岐阜県羽島郡の路上で、小学2年生(9)が銃を発射して、男子(14)の胸と男性(28)のお尻にケガを負わせた。男性(44)が自転車に積んでいた猟銃を勝手にいじり、叱ったのにやめずに引き金を引いたもの。2.2に警察に通報され、学校に警告。
昭和10年(1935).2.1〔小5(満10〜11歳)が教室で実弾爆発させ重傷〕
大阪府大阪市の小学校で、5年生(12)が授業中に長さ5センチの実弾で遊んでいて落とし、窓ガラス数枚が割れる大爆発を起こし、本人と同級生1人が顔などに弾の破片が刺さって重傷となった。少年(15)からもらったと自供。
昭和10年(1935).2.2〔小6(満12〜13歳)が鉄道自殺〕
兵庫県神戸市の山陽本線鷹取駅付近で、小学6年生(14)が列車に飛び込み自殺した。会社員の長男で、成績は中位で明るい性格。
昭和10年(1935).2.8〔17歳(満15〜16歳)が同級生バットで殴る〕
愛知県名古屋市の私立名古屋工業学校で、生徒(17)が同級生(17)をバットで殴って10日間の傷害を負わせて逮捕された。学校内の勢力争い。
昭和10年(1935).2.15〔17歳女子(満15〜16歳)が小学校教師と関係して出産〕
大阪府豊能郡の小学校で、高等科補習科2年生女子(17)が陣痛を起こし、自宅に帰って男の子を産んだ。この家に下宿していた小学校教師(28)が2年前から肉体関係があり、昨年11月には他の女性と結婚していた。怒った両親は告訴しようとしたが、赤ちゃんを引き取って学校を辞めることで示談となった。女子は元村会議員の4女で、妊娠には両親も本人も気づいていなかった。
昭和10年(1935).2.17〔16歳(満14〜15歳)が空き巣〕
東京市荒川区の玩具商宅で、少年(16)が空き巣が入り現金5円と衣類90円相当を盗み放火した。また、荒川区の民家にも空き巣に入り一人娘が身売りしたなけなしの金300円を盗んで逃走したが、空き家で寝ていて逮捕された。茨城県生まれで昨年上京してから28件千円の窃盗を働いていたもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和10年(1935).2.20〔19歳(満17〜18歳)ニートが老女レイプ殺人〕
長野県埴科郡で、無職(19)が民家に押し入り、一人暮らしの老女(61)をレイプしながら両手で首を絞めて殺害、2.26に逮捕された。
裕福な家庭で銀行支店長などもいる9人兄妹の7男だが、父親(68)と母親(64)は極めて厳しく吝嗇のため、昨年に松代商業学校を卒業して銀行に勤めたが給料はすべて親が取ってこずかいも与えられず、同僚の金を盗んで年末にクビになってぶらぶらしていた。しかし、外出も禁止されていたため夜中に抜け出し、通行中の女性を30人以上も襲っていたがすべて未遂に終わり、近所の知り合いの老女をレイプ目的で襲ったもの。
昭和10年(1935).2.20〔浪商3年生(満14〜15歳)が足を踏まれて刺殺〕
大阪府大阪市の路上で深夜0時前、浪華商業3年生(16)が大阪市立商業2年生(16)の腹を匕首で突き刺して殺害、東京に逃走したが2.23に大阪に戻って逮捕された。1か月前に夜店で足を踏まれてケンカになって殴られたことを怨み匕首を買って復讐を謀っていたが、たまたま道で出逢ったため仲間6人で相手3人を袋叩きにしてから刺したもの。
昭和10年(1935).2.21〔小3(満11〜12歳)ら3人組窃盗団〕
兵庫県夜津名郡(淡路島)で深夜、小学3年生(11)3人が空き巣に入り、17円と映画ブロマイドを盗んで逃走したが、2.23に捕まった。これまでも窃盗を繰り返していたが説教して家に帰した。
昭和10年(1935).2.22〔小6(満11〜12歳)が教室で同級生を刺傷〕
兵庫県川辺郡川西町の小学校で、6年生(13)が放課後の掃除中に同級生(13)とケンカになり、工作用の小刀で後ろから肩の下を突き刺して動脈を切って重体とさせて、警察に捕まった。
昭和10年(1935).2.24〔小6(満11〜12歳)ら6人組万引団〕
兵庫県姫路市で、小学6年生(13)6人が万引きで捕まった。1月から本屋で何度も本を盗んで古本屋に売って映画代などにつかっていた。
昭和10年(1935).2.26〔19歳(満17〜18歳)女子が赤ちゃんを産み殺す〕
東京市神田区で、印刷業者宅の女中(19)が赤ちゃんを産んですぐに窒息死させ、翌日、橋から神田川に捨て、8.24に死体が発見され逮捕された。茨城県真壁郡の村で男との関係が噂になったため、3月に妊娠したまま上京していた。
昭和10年(1935).2.27〔東郷元帥の孫娘(満17歳)が家出してカフェーで女給〕
東京市麹町区の自宅から、東郷平八郎元帥の孫娘で侯爵の長女である女子学習院3年生(満17歳)が家出、浅草のJL喫茶店というカフェーで女給として17日間働いて、3.15に帰宅した。3月の卒業までに提出しないといけない宿題のことで両親に叱られると思い、また家がおもしろくないことから家出して、青山加津子と偽名を名乗り、学生、とくに慶応ボーイが好きで明るく朗らか上品なサービスをしたため「かつンべい」と呼ばれて学生に人気があり、学生でない者もモテようと学生の振りをして近づいた。新聞に家出人として写真が載ってバレそうになったため円タクで帰ったもの。東郷元帥は1年前の5.30に亡くなっている。
父侯爵しみじみ語る「お金を少ししか持っていきませんでしたから、ダンサーか女給かと考えました、華族といっても若い娘にはそんな階級観念は持っておりません。(中略)今度の事件から私は苦悩と心痛のうちに呼び起こるものは若い者の時代を知れということです、私達は自分の経験から万事割り出して考えますがそれは時代を忘却していると思います。遥かな若い者の時代には親は常に近づいてゆく用意と寛容を持たねばならぬことを教えられました。これからは娘のこともよく聞いて手を取り合うように生きて行くつもりです。華族として世間をお騒がせした責任は重々感じております。謹慎をして子供を導き明るく生きたいと思っています。近代娘は不可解だ、あきれたものだの一点張りではこれからの親は落第です。そんことをしみじみ考えさせられました。世の親たる人は私の子のことをよく見られてお子さん方の導き方に思い当たる節でもありましたらなら私は心から喜ぶ次第です」
府立第一高女校長・市川源三氏談「この事件の詳しい事情は知らないから正確な批判は出来ないが上流家庭の若い女性が無軌道な傾向にある事は事実ですね、この人達は苦労も足りないし、人生というものをジッとみつめることもしない、だからたまたま厳格な束縛にあうと唯それを嫌忌してレビューにあこがれたり、果ては女給をやって見たくなるんでしょう」談話は報知新聞引用。
※カフェーの女給とはどういうものか、管理人による注釈はこちら
昭和10年(1935).3.1〔18歳(満16〜17歳)が幼女レイプ殺人〕
広島県呉市で、左官手伝い(18)が自宅前で遊んでいた女の子(6)を誘拐、抱き抱えて場所を変えながら三回レイプ、泣き叫ぶので手で首を絞めて殺害、逃走した。これまでも幼女ばかり襲っていたので尾行が付いたが、3.31に少女をレイプしようとしていたところを逮捕され、翌日自白した。精神薄弱であることを考慮され、地裁は4〜7年の不定期刑判決。
昭和10年(1935).3.2〔小6(満12〜13歳)が学校で同級生を刺傷〕
樺太鵜城郡の小学校屋内運動場で、6年生(14)が休み時間に同級生(14)とケンカになり、小刀で背中を突き刺し深さ4センチの重傷を負わせた。日頃から乱暴者だった。
昭和10年(1935).3.23〔小学校教師が女子生徒数十人をレイプ〕※参考
岩手県紫波郡の小学校で、教師(31)が、県立女子師範学校進学希望者の女生徒(14)ら数十人を放課後に受験指導する口実でレイプして逮捕された。校長(48)も同校の女性教師(24)と不倫の関係を結んでいた容疑で同時に逮捕された。
昭和10年(1935).3.27〔18歳(満16〜17歳)が同級生宅に脅迫状〕
東京市足立区千住の紙商宅に、工員(18)が「20円を持ってこい。警察に届けたり1分でも遅れると、家に火を付けあなたと妻と子供を殺します。RAB」という脅迫状が届け、指定場所で張り込んでいた警察に捕まった。映画マニアで、この家の長男と小学校の同級生だった。
昭和10年(1935).4.13〔17歳(満15〜16歳)通り魔が女性10人以上を襲う〕
東京市荒川区南千住の路上で深夜、工員(17)が女工(20)を襲ったが大声を出されたので逃走、女工は追い掛け、通行人とともに捕まえた。1.9に深夜の路上で女性(21)の耳たぶを切るなど、女性ばかり10人以上をナイフやキリで襲っていた。「ぼくはどうしてもやめられないんです」と自供。
昭和10年(1935).4.16〔7歳(満5〜6歳)がケンカで幼女の顔をバットで殴る〕
東京市荏原区の路上で、男子(7)が小学1年生の女の子(8)とケンカしてバットで顔を殴って2週間の傷害を負わせた。2針縫って顔に傷が残ったため、女の子の父親は男子の父親の会社員を相手取って、慰謝料と損害賠償金740円の請求訴訟を5.6に起こした。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和10年(1935).4.21〔18歳(満16〜17歳)が主人一家3人惨殺〕
岩手県九戸郡の雑貨店で深夜2時、雇人(18)が侵入して主人(45)、妻(29)、長女(7)を殺害、逃走したがすぐに逮捕された。日頃から妻に虐待されているのを恨み、斧で頭をめった打ちにしたもの。
昭和10年(1935).4.21〔15歳(満13〜14歳)が叔父を刺殺〕
静岡県志太郡の自宅で、少年(15)が叔父を刺殺して自首した。叔父は酒乱で暴れるため縛れており、縄を解いてやろうとしたが、「俺はお前ら親子を皆殺しにしてやるぞ」と云ったため怖くなって包丁で腹を刺したもの。一審は1年半〜3年の不定期刑だったが、二審で殺人としては異例の2年に減刑された。
昭和10年(1935).4.22〔19歳(満17〜18歳)大学生が12歳年上の人妻と心中〕
東京市大森区の日大芸術科生(19)が人妻(31)と家出、24日に福島県の飯島温泉で心中するという手紙が届いて兄が捜索願を出した。岡山県津山市の資産家の4男で、京都の立命館大学生だったときに都市協会役員夫人と恋仲となり、人妻は2人の子供を捨てて年下の恋人を追って上京、兄には友人の姉と嘘をついて10日間3人で同棲していた。「二人の醜い死骸は残しません」と手紙には書かれていた。
昭和10年(1935).4.24〔18歳女子(満16〜17歳)ストーカーが美少年を切る〕
東京市目黒区自由が丘で、女中(18)が青物店に押し掛け、この店の長男の高等小学校夜学部2年生(16)を日本カミソリで切って5日間の傷害を負わせた。近所の魚屋の三女で大工宅の女中をしているが、美少年の男子に云い寄っても相手にされずに「うるさい気狂い」と云われたことから付け狙うようになり、3月末には包丁で後頭部に傷を負わせていた。このままでは殺されると、4.29に男子の父親が警察に届けたため発覚。警察は女中を連行したが「どうしても思い切れません」と云うばかりで、親が厳重監視するという約束ですぐに帰した。
昭和10年(1935).4.25〔高1ら80人がストームで大暴れ〕
山口県山口市で、山口高等学校1年生60人と2,3年生20人の80人が新寮生歓迎のための街頭ストームと称し夜の9時に街に繰り出し、バスを留めて木刀で車体を叩いて乗客を震え上がらせたり商店の看板を壊したり放歌高吟して大暴れした。山口署特高課は総動員で鎮圧につとめたが収まらないので首謀者5名を署に連行した。残りの生徒は署の前に押し掛けて太鼓や石油缶を叩き大声を上げて木刀を振りまわしながら大騒ぎした。生徒は説教だけですぐに釈放された。
4月は新入生歓迎のために街中でストームが続いており、昨日は八木デパートで数名が暴れて警察が学校に注意したばかりだった。同校生徒はこれまでにも桃色ストライキ、泥酔暴行事件などを起こし市民の顰蹙を買っている。
昭和10年(1935).4.27〔18歳女中(満16〜17歳)がなつかない幼児殺害〕
神奈川県高座郡で、農家の女中(18)が主人の3男(3)を殺害、5.29に自白した。なつかないため夜中に寝ていた3男を抱いて池まで運んで投げ込んで溺死させたもの。母親の姪にあたり、被害者とは従兄弟になる。一審は懲役三年の判決だったが、二審で無罪となり、確定した。
昭和10年(1935).5.2〔中4(満16歳前後)十数人が修学旅行で酒とタバコ〕
広島県広島市の広島高等師範学校付属中学校で、4年生78人が5.2〜5.12に九州一周修学旅行をしたが、飲食店で飲酒喫煙をしていた者がいたことが発覚し、5.22に3人が諭旨転学、十数人が無期停学処分となった。風紀に厳しい模範校だが、引率教師は見て見ぬ振りをしていた。
昭和10年(1935).5.11〔17歳(満15〜16歳)が小学校校長の妻と心中〕
広島県呉市で、少年(17)が小学校校長の妻(26)と心中した。兵庫県有馬郡の農家の長男で、両親は死んでいて少年が戸主、姉と弟がいる。この家に間借りしている小学校校長の後妻と15歳(満13〜14歳)の時から不倫の関係となり、家出して「国防と産業博」を見物してから山林で死のうとしたが、少年だけが死に後れて近くの線路で鉄道自殺したもの。少年は「楽しく天国へ行きます」という遺書を残していた。
昭和10年(1935).5.12〔19歳(満17〜18歳)が西園寺公望宅襲撃〕
静岡県清水市興津の元老・西園寺公望別邸の座漁荘で、少年(19)が石垣を乗り越えて侵入しようとしたが、警備の警官が格闘のすえ逮捕した。4.19に集金5円を横領して愛知県愛知郡から家出、西園寺に面会を申し込んだが断られていた。政界の腐敗やロンドン軍縮会議の失敗は西園寺に責任があるという血書きの斬奸状と五・一五事件の新聞記事を所持していた。
昭和10年(1935).5.13〔16歳(満14〜15歳)がヨットを盗んでシンガポール目指す〕
神奈川県横浜市で、元店員(16)がフランス大使館付き武官大佐のヨットを盗んで出帆したが、15日に漂流しているヨットが発見され悪天候でのびている少年が捕まった。2日に料理店を辞めて貯金10円でシンガポール目指したもの。
昭和10年(1935).5.16〔松本高校生330人が旅館で暴動〕
長野県南安曇郡の中房温泉旅館で深夜、松本高校1〜3年生330人が酒を飲んでストームと称して騒ぎ、窓ガラスを何枚も割り、障子をすべて壊して池に放り込み、廊下は何カ所も踏み抜いて穴を開け、コイを殺して食べ、女中をフトン蒸しにしてその上で飛び跳ねたりして暴れた。毎年恒例の駅伝大会が中止されて一泊旅行に変更されたため反発したもの。十数人が電源を切って暗闇にしてから引率の校長に鉄拳を加えようとしたが、柔道教師に阻まれてできなかった。ほとんどの生徒が旅館の下駄も盗んで履いて帰り、学校は旅館に莫大な損害賠償を払ったが、ひとりも処分されなかった。
※
『あんそろじい旧制高校 第3巻』の教師の手記と、原遥平
『バッキャロー―裸の教師蛭さんの奮闘記』による。
昭和10年(1935).5.28〔29歳(満27〜28歳)が幼女をレイプ殺人〕※参考
東京市大森区の林で、無職(29)が小学3年生の女の子(10)の口にハンカチを詰めてレイプし窒息死させ、5.30に死体が発見された。6.7に窃盗で逮捕、2年前にも幼女(7)にいたずらをしたことがあったので6.22に追及されて自白した。お祭りに来ていた晴着の女の子を折り紙を上げて手懐け連れ出したもの。元印刷工で失業中、閉鎖された元の職場から活字を何度も盗んで金にしていた。地裁は死刑判決。
なお、この事件では附近の不良250人ほどを取り調べたが、全員が1〜5人、中には10人の少女にいたずらをしている者もいた。
昭和10年(1935).5.31〔19歳(満17〜18歳)が叱られ叔父を刺す〕
東京市京橋区の路上で、金具製造見習い(19)が雇い主の叔父(36)の顔をナイフで切って重傷を負わせた。仕事をさぼっているのを叱られた恨み。
昭和10年(1935).6.4〔小学校教師が同僚教師の不倫で恐喝〕※参考
東京市小石川区の高等小学校で、教師(43)が陸軍軍医夫人を恐喝して逮捕された。同僚教師(32)が教え子の母親である軍医夫人と夫の出征中に不倫関係にあることを知って、百円を脅し盗ったもの。自分も高知県の尋常小学校校長だったときに同僚の女性教師と不倫関係になり、4年前に妻子を捨てて上京して同棲していた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和10年(1935).6.17〔16歳(満14〜15歳)が通行人とケンカしてめった切り〕
東京市荒川区の路上で、工員(16)が工員(21)をナイフで22カ所切って1ヶ月の重傷を負わせた。工員(19)と2人で酔っぱらって通行人にからんでケンカしたもの。
昭和10年(1935).6.17〔19歳(満17〜18歳)女子ら兄妹が従兄弟の赤ちゃんを営利誘拐〕
東京市杉並区西高井戸の米商宅で、主人(27)の従姉妹の看護婦(19)が長男(生後3ヶ月)を抱いたまま姿を消した。「二千円持参すべし。警察または新聞に本事件を通知すると愛児は山林内に死体として葬るべし。 流れ流れてTF生」という速達が5時間後に届いたが、すでに指定時刻を2時間以上過ぎていた。看護婦の兄の無職(22)が妹に命じて誘拐させたものだが、金も手に入らず、「泣いて困るから赤ちゃんを引き取りに来て」と叔父に電話を掛け、急行した警察に兄妹ともすぐに逮捕された。
両親が5年前に死んでからもう1人の兄に養われていたが、この兄が2月に病死してから無職男は浅草でホームレスとなり、米商にたびたび金の無心をしていた。妹は兄が真面目に働くように支援していた。
昭和10年(1935).6.18〔小6(満11〜12歳)が学校放火〕
北海道室蘭市の小学校で、6年生(13)がテスト答案が入っていた箱に火をつけ、3時間後にも校舍に火をつけた、6.20に捕まった。勉強嫌いで学校が燃えてなくなれば休校になると考えたもの。
昭和10年(1935).6.19〔20歳(満18〜19歳)ニートが働けと言われて父親殺し〕
岐阜県安八郡の農家で、次男(20)が父親(56)の頭をナタで殴って殺害、逃走したが翌日愛知県で逮捕された。働かずにぶらぶらしていたので、父親に厳しく叱られたため復讐したもの。父親はふしだらな男で同居している兄嫁に言い寄り、おかしな噂を立てられている兄嫁に同情しているうちに愛情を抱くようになり、仕事も手に着かなくなって、一家の犠牲となる覚悟で父親を殺したと自供。4月にも働けと叱られて父親を殴ってケガを負わせている。
昭和10年(1935).7.24〔19歳(満17〜18歳)4人組が水着の女性を襲う〕
兵庫県香枦園の海水浴場で、海外から帰ったばかりの女性(30)が半裸体でスカールボートを操っていたところ、近くでボートに乗っていた大阪の商業学校3年生(19)4人がスカールに飛び乗って襲おうとしたが女性が悲鳴を上げたため急行した警察に逮捕された。女性の挑発的態度にも責任の一端はあるとして生徒は厳重注意のうえ放免された。
昭和10年(1935).8.8〔法政大学応援部員7人が集団リンチ〕
千葉県富浦町の運動会で、法政大学応援部員7人が、立教大学生に因縁をつけて神社に連行して殴る蹴るの暴行を加えた。立教大学3年生(23)が出刃包丁を持って助けに来たが、漁師宅から包丁や棒などを盗み出して、手首を刺して殴る蹴るの暴行を加えた。8.10に逮捕。富浦町の法政大学応援部合宿所で合宿していた。
昭和10年(1935).8.5〔20歳(満18〜19歳)が連続幼女誘拐レイプ〕
東京市城東区の路上で、医療器械店員(20)が、女の子(12)2人に「30円落とした。一緒に探してください」と声を掛けて1人を自転車に乗せて草むらに連れ込んでレイプした。これまでも仕事の外回りの暇に同じ手口で幼女ばかり何人も連れ去っていたが未遂に終わっており、初めてのレイプに良心の呵責を感じて8.7に店を辞め、浅間山で自殺するため登山服を手に入れようとしているところを、この連続幼女誘拐事件を捜査していた警察に8.9に逮捕された。
昭和10年(1935).8.19〔19歳(満17〜18歳)女子が赤ちゃんを産み殺す〕
東京市神田区で、印刷業者宅の女中(19)が赤ちゃんを産んですぐに窒息死させ、翌日、橋から神田川に捨て、8.24に死体が発見され逮捕された。茨城県真壁郡の村で男との関係が噂になったため、3月に妊娠したまま上京していた。
昭和10年(1935).8.19〔一高と三高応援団350人が大乱闘〕
東京市本郷区の第一高等学校で、一高と三高のテニス試合中、三高応援団150人がコートに侵入して座り込んだ。棄権試合で一高勝利となっても居座り続け、3時間後にようやく引き上げようとしたが寮に投石して窓ガラス39枚を割ったため一高応援団200人が怒り、材木やレンガを振り回して大乱闘をはじめて全治4週間などの重傷者9人を出し、駆けつけた警官隊40人に制止された。対抗試合で、三高は野球もボートも破れて、テニスも負けていたため。警察は配慮して、逮捕者は一人も出さなかった。三高応援団長は自主退学したが、半年で復学。
昭和10年(1935).8.20〔18歳(満16〜17歳)ニートが女性3人と心中〕
伊豆大島の三原山で、広島市の無職少年(18)ら男女4人が飛び込んで自殺した。裕福な貿易商の長男で私立簿記学校を中退、向かいの子供洋服店の長女(17)に恋したが相手にされず、この洋服店の後妻(32)が夫が冷たく先妻の子である長女への反発心もあって二女(6)を連れて心中することを決意、女店員(18)に告げると自分も一緒に死にたいと言ったので8.17に4人で家出したもの。後妻は去年にも店員と家出しており、少年への恋愛感情もあったらしい。
昭和10年(1935).8.21〔16歳(満14〜15歳)が11人の少女レイプ〕
兵庫県多紀郡(現篠山市)の寺境内で、少年(16)が遊んでいた少女3人を山に連れ込み「わしの言うことをきかぬと殺すぞ」と脅して次々強姦して逮捕された。去年の7月に15歳の少女をレイプしたのを手はじめに1年間でこのほかにも8件の犯行を重ねていた。
昭和10年(1935).8.25〔中学生(満15歳くらい)ら4人組がタクシー28時間ただ乗り〕
東京市神田区神保町で、15,16歳くらいの学生服の中学生3人と17歳くらいの白がすりの少年の4人組がタクシーに乗り、10円で市内をドライブするように云って、母親や親戚に金を借りると巧みに運転手(27)を騙して各地を28時間も引きずり回してから逃走した。
昭和10年(1935).9.4〔15歳(満13〜14歳)女子が幼女を誘拐殺人〕
東京市中野区の漬物店で、子守女(15)が主人の長女(5)を連れて失踪し、9.12に空腹で草むらに倒れている子守女が捕まり、自供から長女の腐乱遺体が発見された。
三鷹の実家や井の頭公園などを紙芝居や火事を見物しながら連れ歩いたが、9.6に長女が歩けなくなり、杉並区の荻窪駅近くで背負い紐で絞殺して遺棄、大規模な捜索網にもかかわらずその後も死体の近くを6日間も放浪していたもの。
3月にこの家に雇われたが以前の奉公先からもたびたび家出しており、嘘つきで、背負ったまま土手から転げ落ちて死んだと言っていた。反省もなく明るくけろりとしている。10.11に殺人と死体遺棄で送局。
昭和10年(1935).9.4〔小学生女子(満10〜11歳)が級長選挙に落ち学校放火〕
東京市浅草区の小学校で、女子生徒(12)が教室に放火、恐ろしくなって職員室に駆け込んで告げたため消し止められた。主席争いをしている模範生だが、9.2の級長選挙に落ち、成績もさがったのは担任の依怙贔屓のせいだと恨んだもの。学校は内密に済ます決定をしていたが、警察に漏れて取り調べ。
昭和10年(1935).9.5〔17歳(満15〜16歳)がクビの恨みで主人夫婦を切る〕
東京市本郷区駒込の石鹸仲買業宅で深夜0時過ぎ、元店員(17)が押し入り、就寝中の主人(28)の喉を海軍ナイフで切って3週間の傷害、妻(24)にもキズを負わせ、逃走したがすぐに捕まった。千葉県香取郡の農家の息子で、7月に雇われたが8.30に不況のためクビになったことを恨んだもの。
昭和10年(1935).9.13〔17歳(満15〜16歳)が中学校で同級生ナイフで刺す〕
東京市本所区の府立三中で、補習科生(17)が同級生(20)の胸を海軍ナイフで刺して10日間の傷害を負わせて逮捕された。2日前に幾何問題で競争して殴られた復讐。病院で手当を受けてから授業を受けていたが、胸から血を流して教師に発覚したもの。加害者は小5で飛び級で三中に入って今年卒業した優等生。
昭和10年(1935).9.13〔小学生2人が万引きして店員をナイフで刺す〕
東京市淀橋区の文明堂書店で、12歳くらいと9歳くらいの小学生2人が、「銭形平次」「旗本退屈男」など3冊を万引きして逃走した。追っかけた店員(20)の胸と手をナイフで刺して10日間以上の傷害を負わせて、そのまま姿を消した。この店では少年の万引きが多発していた。
昭和10年(1935).10.15〔17歳(満15〜16歳)武器マニアが大量の銃窃盗〕
東京市赤坂区青山北町の獣医学校1年生(17)が、大量の銃刀を盗んで捕まった。以前通っていた滝野川区の聖学院中等部と獣医学校に夜中に6回侵入、生徒教練の武器庫から三八式歩兵銃4丁、村田銃2丁、短剣3丁、指揮刀2振を盗み、学校には出席せず自室で1日中分解して楽しんでいた。父親は昨年死亡、母親に甘やかされ、武器研究に熱中して成績不振のため聖学院から転校していた。
昭和10年(1935).10.28〔大学生4人がリンチ〕
東京市の東京物理学校(現東京理科大学)で、学生4人が、学生(21)を殴る蹴るのリンチにして腹とお尻を刃物でさして重体とした。授業中に歩き回って机に脚を引っかけて大きな音をさせたので、被害者が「チェッ」と云ったため、「顔を貸してくれ」と学校裏に呼び出したもの。
昭和10年(1935).11.4〔19歳(満17〜18歳)がサイパン島で主人殺害〕
サイパン島で、少年(19)が雇い主の日本人を殺害し、死体を海に遺棄、45円を盗んで神奈川県川崎市の父親宅に逃走して逮捕された。沖縄県中頭郡出身で3月からサイパン島に出稼ぎに行っていた。
昭和10年(1935).11.7〔中1(満15〜16歳)がケンカで刺殺〕
福岡県福岡市の小学校校庭で、中学1年生(17)が中学5年生(19)の左胸を小刀で刺し、殺害した。下校中に詰まらないことからケンカして、棒で頭を殴られカッとしたもの。同級生6人の目の前での犯行。
昭和10年(1935).11.15〔17歳(満15〜16歳)の自転車専門窃盗犯〕
京都府京都市で自転車専門窃盗犯の朝鮮生まれの少年(17)が逮捕された。前科3犯で4月に刑務所を出てから大阪、京都、神戸で37台も盗んでいた。
昭和10年(1935).11.16〔17歳(満15〜16歳)の名古屋連続通り魔、女性80人襲い1人刺殺〕
愛知県名古屋市中区の鶴舞公園で、洋服職人(17)が帰宅途中の女性事務員(23)を刺殺、松坂屋女性店員(19)を刺して逃走、12.18に逮捕された。それまでに女性ばかり80人以上を襲っていた。5男3女の4男で、自宅で兄がやっている洋服屋を手伝っており、凶器は別の兄が中国戦線に出征するときに形見としてもらった白鞘の短刀。内気で無口な性格で、まわりの者は笑ったところを見たことがないという。
昭和10年(1935).12.3〔中5(満16〜17歳)がケンカで刺傷〕
長崎県佐世保市の路上で、中学5年生(18)が同級生(18)の腹をナイフで刺し、逃げるのを追い掛けてお尻を刺して瀕死の重傷を負わせた。日頃から仲が悪く、下校中にケンカしたもの。
昭和10年(1935).12.3〔小3(満7〜8歳)がケンカで家出〕
東京市渋谷区の小学校校庭で、小学3年生(9)が同級生とケンカして石を投げてケガを負わせて叱られるのが怖くてそのまま家出、3日後に発見された。
昭和10年(1935).12.7〔20歳(満18〜19歳)ら2人がケンカで刺殺〕
東京市神田区の喫茶店で深夜2時、不良(20,24)2人が押し入り、20歳が喫茶店マダムの弟(24)をナイフで刺殺、その友人(26)に3週間の重傷を負わせて、すぐに逮捕された。不良同士のケンカに20歳が助っ人に来たもの。20歳は官僚の息子。
昭和10年(1935).12.17〔小学校校長や視学多数が汚職で逮捕 兵庫県〕※参考
兵庫県で、小学校校長の椅子を得るために教師が県の教育幹部に賄賂を贈っていることが発覚し、県視学のほとんど全員に近い12人と前県視学1人、学務課員1人、小学校校長などが逮捕。
昭和10年(1935).12.20〔小学校校長や視学31人が汚職で逮捕 青森県〕※参考
青森県で、小学校校長の椅子を得るために教師が県の教育幹部に賄賂を贈っていることが発覚し、校長や視学31人が逮捕、12.20に視学1人だけが起訴され、他の30人は不起訴となった。
昭和10年(1935).12.21〔20歳女子(満18〜19歳)が授業中の小学生女子誘拐〕
福島県相馬郡の小学校で、女子(20)が父親が病気だという母親を騙った手紙を届け、授業中の5年生女子を自動車で誘拐した。列車と車を乗り継いで仙台の口入れ屋で売り飛ばそうとしたが、親権者の証明書がないと断られ、しかたなく連れ帰ったところを誘拐事件として搜査中の警察に逮捕された。同じ村に住む区長の娘を狙ったもの。
昭和10年(1935).12.28〔中2(満13〜14歳)が脅迫状〕
東京市淀橋区で、中学2年生(15)がセメント企業重役宅に、「五円を置いておけ。従わないと主人と令嬢に間接的に危害を加える」という脅迫状を届け、翌日に金を取りに来て捕まった。印刷屋の次男で成績優秀。小遣い欲しさ。出来心だとして書類送局だけで12.31に釈放、学校も何の処分もせず他の生徒にも知らせない処置。
昭和11年(1936).1.6〔18歳女子(満16〜17歳)が心中誓った恋人残して女給と心中〕
東京市神田区の喫茶店で、この店の次女(18)が持っていた青酸カリを女給(23)が客の目の前で受け取って飲み自殺した。次女も直後に店を出て、路上で青酸カリを飲んで自殺。写真屋店員(26)が恋仲の次女と心中するつもりで薬を渡していたが、女給に死なれた次女が驚いて恋人残して跡を追ったもの。
昭和11年(1936).1.10〔日大1年生(満17〜18歳)が路上強盗〕
東京市杉並区の西荻窪駅前路上で夜9時過ぎ、日大歯科1年生(19)が警視庁職員(37)にナイフを突き付けてバス回数券2冊を強奪、翌日に逮捕された。拳闘部員だが、ビリヤードやカフェーに注ぎ込んで金に困って強盗を働いたもの。
昭和11年(1936).2.12〔18歳(満16〜17歳)がケンカで刺殺〕
東京市浅草区の路上で、不良グループのリーダー(18)が敵対するグループのリーダー(17)を殺害した。2日にミルクホールでケンカし、この日に手打ちをしようとしたが態度が気に入らないと被害者が殴ったので、匕首で眼を突き刺したもの。
昭和11年(1936).2.16〔中3が学校で面白半分に放火〕
福岡県三潴郡の県立中学校で、3年生が武道場に放火したが消し止められ、すぐに逮捕された。最近、同級生の柔道着を燃やした時の相手の困った樣子が面白かったので、柔道着5着に火を付け燃を広がったもの。
昭和11年(1936).2.24〔制服少女群喫茶店占領・尖端風景 東京朝日新聞引用〕
近頃の尖端女学生の問では、喫茶店へ行くことが一つの流行となっている。劇場附近とか盛り場の特定の喫茶店をのぞいて見ると、学校帰りの制服少女群が、とぐろを巻いている男学生を尻目に、ドヤドヤ入つて來て瞬く間にテーブルを占領してしまう。更に甚しいものになると、流行の茶房などにも平気で出入りし、青春謳歌に突進している。彼女等の行動をヂッと観察して見ると、まづすんなりと伸びた両脚を組む。これは洋画の女優を真似た姿態だらう。そしてコーヒーを飲みながら、レコードのメロデーにうっとりとし、しばし豪華な思いに浸る。やがてレコードにも聴きあきると、今度は男学生と互に秋波を交換しながら、いづれは映画かレヴューの話だ。こうして他愛もないことを談じ興じて、ゆっくりとその場を引揚げて行く。これが尖端女学生のありふれた道草の食い方だが、ある学校の生徒間では、放課後喫茶店へ行くことは最早一つの常識となっていて、そうしないものは仲間はずれにされるということである。この傾向は敢て東京とは限らず、異国情緒の漂う横浜の女学生間にも見られるので、心ある父兄の中には、これが近代の女学生気質とすれば、娘の教育上何とか考えねぱならないと胸を痛めている向もあるさうだ。何故彼女等は喫茶店や茶房に魅力を感ずるに至ったか? 抑も此現象は何を語るか、学生の校外生活を擁護する保導協会の調査を見ても、喫茶店で誘惑されようとした女学生が相当ある(東京朝日新聞引用)
昭和11年(1936).2.25〔20歳(満18〜19歳)が主人殺して豪遊〕
東京市浅草区の餅菓子屋で深夜3時、雇い人(20)が就寝中の主人(56)を杵で殴り殺し、30円を強奪して逃走、遊女と東京中を遊び歩いていたところを逮捕された。前日夜11時に吉原に行くための金を無心して叱られたためカッとしたもの。埼玉県生まれで3年前からこの店で勤めていた。
昭和11年(1936).3.12〔高等小学校2年生(満14〜15歳)男女4人が家出して夫婦生活夢見る〕
兵庫県神戸市で、高等小学校2年生(16)男女2人づつが家出して家を借りようとしているところを逮捕された。4人とも親戚に育てられているので同情して、学校をさぼって交際するようになり、卒業が近づいたので二組の夫婦になろうとしたもの。すぐに保護者に引き渡された。
昭和11年(1936).3.12〔20歳(満18〜19歳)が刺してひと風呂浴びてからまた刺す〕
東京市浅草区で深夜1時、露天商(20)が同僚(20)に金を無心して断られたので銭湯に行くところを腕をナイフで切って3週間の重傷を負わせてから銭湯に入り、出てきたところを待ち伏せて別の同僚(20)ら2人が殴ってきたので腹をナイフで刺して重体として逮捕された。
昭和11年(1936).3.23〔小学校高等科2年生(満13〜14歳)8人が卒業式で担任教師を袋叩き〕
北海道後志支庁寿都郡の小学校高等科で、2年生(15)8人が卒業式のあとに職員室に乱入して担任教師を袋叩きにし、教師全員の帽子やコートを破って踏みつけ、教室の机47個とストーブを壊し、肝油を黒板に塗りたくるなど暴れた。担任教師が日頃から暴言を吐いて些細なことで体罰を加え、卒業式でも冷たい態度を取ったため憤激したもの。学校は内密にもみ消そうとしたが、発覚。
昭和11年(1936).3.23〔女学生の喫煙あの不態は何事か 読売新聞引用〕
最近女学生が喫茶店に出入りしボックスの陰で煙草をふかしながら盛んに気炎をあげている、(中略)一歩校門を出て家庭に帰るまでの自由時間を、ピチピチした少女達が朗かに楽しむことはみとめるが、しかし、喫茶店に出入りし、男の学生と対抗するの如き体勢をしめしながら両切などの紙巻煙草を吸うに至っては目撃するもの等しく痛憤を感ずる実に苦々しいことだ。そして彼女達が、映画、音楽など毒にも薬にもならぬ話題に気焔を上げ、あるものはスカートの下で長い脚線を組み合せることにより、あちらの映画女優の姿体憧れのレヴューガールのわざとらしいスタイルを真似たつもりであるのだから鼻持ちならね風景だ、だが、小生は、生きとし生ける女性達に禁煙しろというのではない、まだ部屋住みの小娘の分際で、しかも喫茶店などの公衆待合所の如き場所を選んで殊更得意らしく傲然と煙草を吸うその非常識さを、何とかならぬものかと非難するものだ。学校当局は自校生徒のこのように非常識極まる無軌道女学生ぶりを、何とかして弁解するだろうか、映画館出入りどころの問題ではない、未成年者禁煙の日本に女だけ除外するという法律はなかった筈(読売新聞引用)
昭和11年(1936).3.25〔大阪市教育疑獄事件〕※参考
大阪府大阪市で、小学校校長の椅子を金で買うための贈収賄事件が発覚し、市教育部長、視学、市議ら9人が逮捕起訴された。船場や島之内などの中心部の有力小学校の校長になるには3千円、郡部の小学校でも2千円が必要だとされていた。この年の銀行員大卒初任給70円。主犯の視学は大分師範学校出身で、斡旋した校長も大分師範派閥が多かった。
昭和11年(1936).3.27〔小学校校長が教室で女生徒多数をレイプ〕※参考
香川県大川郡の小学校で、校長が教室で女生徒多数をレイプしていたことが発覚して、父兄が激昂し、3.27に辞職した。
昭和11年(1936).3.29〔19歳女子(満17〜18歳)が仮面女学生の末に家出〕
東京市浅草区で、女子(19)が家出していて保護された。大日本海底電信会社重役の次女で、香蘭女学校3年生のときに英語が難しくて付いていけないので転校したいと云ったが、親は赦さなかったため黙って退学し、親には通学しているように2年間装っていたが卒業が近づいたので隠しきれなくなったもの。内気な性格で、以前に家にいたお手伝い(23)を誘って旅館に泊まっていた。
昭和11年(1936).4.1〔21歳(満19〜20歳)が天理教献金のため脅迫〕
神奈川県川崎市の民家に千円を要求する脅迫状が届いた。3日にも「五千圓出して置け。萬一應ぜざる場合は神罰立ち所に現れ一家は全滅の厄に遭うぞよ」という脅迫状が届き、この家に下宿していた二松学舎1年生(21)が捕まった。実家は岡山でも指折りの金持ちだったが天理教に財産をすべて注ぎ込んだため、さらに献金する金を稼ごうとしたもの。
昭和11年(1936).4.4〔18歳(満16〜17歳)が大金持ち逃げ〕
東京市豊島区の靴下製造業で、従業員(18)が会社の小切手を持ち逃げして現金850円に換金、自動車を乗り回したり銀座で豪遊し、伊豆の旅館でいっしょに遊び歩いてた友人とともに捕まった。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和11年(1936).4.8〔20歳(満18〜19歳)がタクシー運転手刺殺〕
静岡県三島町を深夜0時に走行中のタクシーで、乗客の箱職(20)が運転手(31)を刺殺、運転助手(17)に瀕死の重傷を負わせて逃走したが、すぐに捕まった。料金を先に払うか後かでケンカとなって匕首で何回もめった刺しにしたもの。
昭和11年(1936).4.10〔小5(満10〜11歳)が幼児誘拐〕
東京市足立区千住仲町の路上で、小学5年生(12)が3人の子供(6,7,8)に「おじさんが刀を買ってやるから」と誘い、東武鉄道で浅草の松屋に連れて行って刀を買い、活動写真館に入り、「ここで待っているように」と年長の2人に言って6歳児だけを連れて姿を消した。ガレージで寝て、翌日に本屋で6歳児に盗みをさせようとして店員に見つかり、捕まった。
少年保護所から2度脱走したことのある不良で、9日に家の金90銭を盗んで家出していた。学生服に飛行帽、黒マントに茶色のゴム長靴というスタイルだった。
昭和11年(1936).4.16〔18歳(満16〜17歳)の向島幼女連続殺人事件〕
東京市向島区の空き地で、無職少年(18)が赤貧の母子家庭の小学3年生の次女(10)の首を刺して殺害、5.31に近くの海産商宅で長女(3)の首を刺して殺害した。6.6に肉切り包丁を所持して新たな標的を求めてうろついているうちに逮捕され、6.12に犯行を認めた。
北海道生まれで樺太で育ち、小学生のときに家族と共に上京、成績は優秀で2番を通していたが大工の父親が病死したため小卒で就職、仲間に頭の形がビリケンみたいとからかわれて4.8に工場をやめてぶらぶらして強盗を思いついたが、空き地で母親の帰りを待つ女の子を見るといきなり刺殺、海産商宅でも侵入して寝ている女の子を見るといきなり刺殺して何も盗らずに逃げている。「1人で寝ている幼女の姿が恐ろしかったから刺した」と自供。
探偵小説や犯罪記事のマニアで、昨年8月には工場経営者や大店に脅迫状を送って騒ぎが起こるのを喜んでいた。親孝行で近所の評判、祈祷師の母親(42)は「我が子ながらよくできた子供です。あの子に限って大それたことをするはずがありません」と語る。兄と弟がいる。取り調べには平然と答えて捜査官を唖然とさせる。なお、小3生はいたずらをされた形跡があった。
海産商の事件では両親が疑われて、新聞はいかに酷い親だったかとプライバシーを連日書き立てた。東京地裁は無期懲役判決を出したが、不服として控訴。
昭和11年(1936).4.23〔19歳(満17〜18歳)が幼女の首を絞める〕
東京市日本橋区の薬局で、店員(19)が近所の小学3年生の女の子(10)を店内に誘って、包装用の木綿糸を首に巻いて階段下に押し込んだ。窒息寸前の女の子は危うく家に逃げ帰り、大騒ぎとなったので店員は逃走したが、翌日殺人未遂で逮捕された。
昭和11年(1936).4.23〔15歳(満13〜14歳)が連続通り魔〕
京都府京都市で、無職少年(15)が逮捕された。昨年12月の夜に帰宅中の女性店員(22)の背中を小刀で刺すなど、自転車に乗って女性を8人を襲っていた。京都市の飲食店の長男で小卒後にギャング映画に影響されて家出、空家を根城に空巣や通り魔を繰り返していた。
昭和11年(1936).4.24〔17歳(満15〜16歳)が銀行強盗〕
愛知県名古屋市の百五銀行で、少年(17)が押し入り出納係を空気銃で脅して事務室から現金2百円をわしづかみにして逃走したが、すぐに逮捕された。前日に発生した男女アベックギャングの銀行強盗に刺激されて、この朝に銃を買って実行したもの。
昭和11年(1936).4.25〔19歳(満17〜18歳)が主人一家6人惨殺〕
東京市世田谷区の染物業宅で深夜3時、雇人(19)が主人一家を襲ってから台所でガス管をくわえて自殺を謀って倒れていたが命は取り留めた。小学5年生の長男(11)が頭蓋骨骨折の重傷を負いながら派出所に駆け込み通報、警察が急行すると妻(35)と長女(6)はすでに死亡、主人(35)次男(10)二女(4)と雇人(16)が瀕死の重傷で血の海にうめいており病院に運んだが、長男以外の6人全員が死んだ。
6年前から住み込みで真面目に働いていたが、金勘定のことでいつも叱られていた。また妻に対しておかしな態度だと注意され「世の中が嫌になったので全部殺して自分も死ぬつもりだった」と自供。マサカリで寝ている家族を次々襲い、柄が折れるとクワで惨殺したもの。「余り疑ふな。頼まれたからやりました」という遺書を書いていた。殺したもう1人の雇人は従兄弟に当たる。
昭和11年(1936).4.26〔小学校校長や視学ら6人が贈収賄 大阪〕※参考
大阪府で、小学校校長3人が贈賄容疑で逮捕。収賄側の視学ら3人すでに逮捕されている。校長の椅子を金で買ったもの。
昭和11年(1936).5.19〔18歳(満16〜17歳)ら2人組が市議脅迫〕
東京市豊島区西巣鴨で、土木作業員(18)と工員(20)が市参事会員の東京謄写堂社長宅に、「ピストルの火藥を研究してゐる者だが二千圓拜借したい、違背せばみな殺し、リンバーグ事件を知るや 死力團より」という脅迫状を届けた。20日に承諾の合図として工場の火の見櫓に赤旗を掲げたが指定の場所には現れず、翌21日に場所を変更し「應ぜずば有毒無聲の鐵砲、叉は邸内に毒蛇を放つぞ」という速達を届けた。指定の上野公園で防弾チョッキの私服警官隊が待ちかまえていると現れたので逮捕された。
2人で満州行きの資金のため金持ちを狙ったもの。探偵小説マニアで、ピストルなどは持っていなかった。
昭和11年(1936).5.21〔17歳(満15〜16歳)消防士が放火〕
兵庫県武庫郡で、消防士(17)が農家に放火して全焼させた。3月から消防士になり、火事に興奮するようになったため放火して、消火活動をしていた。
昭和11年(1936).5.22〔中5(満17歳前後)数十人が授業中に教師を袋叩き〕
富山県高岡市の県立高岡中学校で、前日に退学になった5年生(満17歳前後)が授業中の教室に押し入って学校批判をした。その言葉を聞いた同級生数十人が授業をしていた教師を袋叩きにし、職員室に押し入り教頭も袋叩き、校長室に押し掛けたが駆けつけた警官隊に逮捕された。この中学では生徒の暴力事件が頻発していた。
昭和11年(1936).5.25〔中2(満13〜14歳)数十人が万引き団〕
宮崎県西諸県郡の県立小林中学校で、2年生(15)60数人が万引きを繰り返していたことが発覚し、12人が退学処分となった。放課後に毎日、遠い都城市まで行ってから文房具屋などを襲っていた。
昭和11年(1936).5.25〔商業学校5年生(満16〜17歳)が人妻に恋して一家皆殺しの脅迫状〕
大阪府大阪市で、商業学校5年生(18)が小学校教師宅へ「貴君の妻女が好きなんだ」云うことを聞かなかったら一家皆殺しにするという脅迫状を送った。その前にも、妻を妾に差し出せという脅迫状を送っており、6.1に逮捕された。妻に片想いしており、この教師が家賃を7ヶ月滞納していることを知って脅迫したもの。弁論部委員長。
昭和11年(1936).5.31〔16歳(満14〜15歳)が継母殺人未遂〕
東京市目黒区の自宅で、長男(16)が継母(35)の頭をマサカリで殴って重体として自首した。洋服屋に住み込んで働いていたが、結核のため三月に実家に戻って療養、職場に帰ろうとしたが両親がゆるさないので、殴れば家を出られると考えたもの。二歳から育ててもらっている継母への反発もあった。父親は大工。
6.3に意識を回復した継母は「あの子はあんな事をするような子ではありません。なんとかして罪をゆるしてください」と語った。
昭和11年(1936).6.3〔小学校校長や教師45人が公金横領 静岡〕※参考
静岡県静岡市の小学校で、公金横領が発覚し、校長26人、元校長6人、教師5人、県の教育課長や視学など合計45人が6.3までに逮捕起訴された。生徒の修学旅行費用や肝油代など7,898円21銭を横領して山分けして遊興費に使っていたもの。この年の銀行員大卒初任給70円。8.3に検閲解除で新聞記事解禁。
昭和11年(1936).6.11〔女学生が墮胎手術を受け女学校トイレで赤ちゃん流産〕
山口県玖珂郡の女学生が、汽車で通っている女学校のトイレで赤ちゃんを流産した。学校は隠蔽していたが、この女学生に墮胎手術を施していた者がいたことが発覚し、7.2から警察が捜査開始。
昭和11年(1936).6.29〔17歳女子(満15〜16歳)が多数の男と関係して三つ子産む〕
山形県北村山郡で、ソバ屋の女中(17)が三つ子を産んだ。男の子は7.3に死んだが、女の子2人は元気。関係した男が大勢いるので、誰に認知してもらうかで揉めている。
昭和11年(1936).7.8〔17歳女子(満15〜16歳)が嫉妬して恋人を殺人未遂〕
神奈川県横浜市のワイシャツ裁縫店で、従業員女子(17)が同僚の少年(17)の顔などを出刃包丁で刺して重傷を負わせた。恋人同士で女の紹介でこの店に勤めていたが、他の少女(17)と仲良くなって冷たくされ、嫉妬に狂って5日に包丁を買ったもの。
昭和11年(1936).7.9〔21歳(満19〜20歳)ストーカーが銭湯で無理心中〕
東京市浅草区の銭湯で、味噌店員(21)が銭湯の女中(19)の首をナイフで切って殺害、自分の胸を刺して自殺を図って重傷となった。恋人だったが、女が冷たくなって数日前に引っ越してまで逃げ、追いかけ回していた。客が10人以上いた脱衣場での事件。
昭和11年(1936).7.21〔女学校4年生(満15〜16歳)が作家修行のため家出してカフェーで女給〕
東京市杉並区の自宅から、麹町女子学院4年生(17)が7.13に家出、横浜市の喫茶店ナポリというカフェーで偽名を名乗って女給として働いていたが、店の主人が怪しんで警察に届けたため7.21に保護された。弁護士の長女で作家志望、いい文学を書くには人生のドン底を経験しないといけないと、女給になりたいと云うと父親はそれもいいだろうと云ったので、どこに行くとも告げずにすぐに家を出たもの。カフェーの現実に嫌気がさして父親に救ってほしいと連絡したところだった。
「最初から二三日のつもりで入ったんですわ、ご主人がとても親切でなかなか暇をくれといい出せなくなっちゃってとても弱っちゃったの…小説はとても好き!なんでも読みますけど一番谷崎潤一郎さんのものが好きです、収穫? 思ったほどのことはなかったわ、もう懲り懲り、学校もやめていい小説を書くことに精進しようと思ってます」
両親談「とても驚いちゃってきょうは御飯も食べられないほどでした、でもこの子は意志の強い子ですから間違いはないと思ってました、私たちは放任主義で栄子の好きなようにさせてきたんです、学校の通信簿も一度だって見たことがありません、文学が好きでよく小説を読んでいますし自分でも何か書いているようです、学校も本人がやめたいというならやめさせて好きな道へ天分をのばしてやりたいと思っています」談話は読売新聞引用。
昭和11年(1936).8.15〔19歳(満17〜18歳)が年上女に操られて大金横領〕
兵庫県神戸市で、店員(19)が主人に命じられて銀行から3千5百円を下ろし、そのまま逃走したが、8.17に逮捕された。チャブ屋(船員や外国人相手の料理店風の風俗店)経営していた女(29)が色仕掛けで操り、2人で有馬温泉で豪遊したあとに女だけすべての金を持って上海に高飛びしようとしたところを逮捕された。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和11年(1936).8.21〔九州帝大講師ら5人が手術中の教授を袋叩き〕※参考
福岡県福岡市の九州帝国大学で、講師(30)ら5人が産婦人科手術中の教授と助手を連れ出し、手術着を被せて動けなくしてからビール瓶などで袋叩きにして意識不明の重傷を負わせた。教授間の派閥争いが激化、別の教授が予定していた手術を被害者教授が横取りしたとして、手術はこの教授が引き継いで無事終えた。講師らは懲戒処分で、教授会を通って文部省に申請中だった博士論文も人格面で却下された。
昭和11年(1936).8.25〔16歳(満14〜15歳)がカッとして放火自殺〕
東京市京橋区で、店員(16)が勤め先の隣家の小料理屋に侵入してシャツに二硫化炭素をかけて放火、火は消し止められたがヤケドと中毒となって逮捕された。栃木県生まれで2年前から勤めていたが、魚の食べ方が悪いと叱られたためカッとして、数軒まとめて燃やして自殺しようとしたもの。
昭和11年(1936).9.8〔青年3百人が盆踊りで隣村同士の娘の奪い合いから大乱闘〕
福島県岩城郡の地蔵堂境内で夜9時、青年3百人が盆踊りで隣村同士の娘の奪い合いから大乱闘となり、重傷者4人などケガ人多数。
昭和11年(1936).9.10〔内務省役人(満17〜18歳)が連続人妻レイプ〕
東京市板橋区で夜8時、内務省会計課員(20)が民家に侵入、主人に取り押さえられた。妻をレイプしようと数日前から狙っていたもの。8.27にも別の民家に侵入して人妻をレイプしようとして殴って逃走するなど、1年前から10数件の容疑がある。
内務省会計課係長だった父親は5年前に死んでいるが、その年金で裕福で、継母は甘やかし、中学生の頃から遊び歩いていた。
昭和11年(1936).9.22〔元小学校校長の府教育会幹事が公金横領して放火 大阪〕※参考
大阪府大阪市の大阪府庁で、元小学校校長の府教育会幹事(43)が放火、9.26に逮捕された。株のために教育会費1万円以上を横領、証拠隠滅を謀ったもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和11年(1936).9.22〔元小学校教師が校長宅にピストル強盗〕※参考
茨城県結城郡で、元小学校教師(32)が小学校校長宅に押し入り、ピストルで脅して65円を強奪、9.25に逮捕された。料亭の女中(19)と関係したため5.31に教師をクビになり、金を奪って女中と逃げていたもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和11年(1936).10.6〔学習院高等科2年生ら10数人が軍事教練で乱闘〕
東京市豊島区の学習院高等科生250人が、富士山麓陸軍演習場で10.9まで軍事教練を受けたが、3年生が2年生に生意気だと鉄拳制裁を加えたことから10数人が乱闘となり、全治1週間などのケガ人数人を出した。東大総長や子爵の息子など。
昭和11年(1936).10.7〔失恋・同棲も経験ずみ あきれた十四娘食堂ボーイとの世帯苦労で早熟令嬢の果・警察へ 報知新聞引用〕
六日朝四谷署へ八円の下宿料不払で突き出された少女と半島生れの青年があつた、この少女は僅か十四歳、兵庫県の資産家の娘で家庭教師を姉と二人で恋し合ひ、姉に負けた腹いせに、家出して最初に知り合つた半島生れの食堂ボーイと無反省の同棲生活を無軟道に送つてゐたことがわかった。
男は朝鮮元山生れ○○君(二八)少女は兵庫県姫路市村長の次女日の本高女二年生たま子さん(十四)(仮名)でたま子さんは豊な家庭で三つ上の姉と家庭教師の教へを受けてゐたが、妻子ある教帥に姉と二人で恋し合ひ結局姉にとられたくやしさから八月二十四日自分の貯金六十五円を持つて大阪へ捨てばちの生活をあこがれて家出した、先づ訪ねたのが大阪市南区松尾町金星館喫茶店だつた。
当時こゝにボーイをしてゐた○○君はたま子さんの年が若過きるからと自分の下宿に連れて行つたがこの○○さんの親切にほだされてこの日から二人の共同生活が始まつた、九月二日には大阪道頓堀でさゝやかな晴れ着をとゝのへ手を取って東京へ上つた、牛込区神楽町に下宿したが、所持品もなくなりたま子さんは神楽坂下のブラジルハウスに同月六日能村勝子(一七)と偽名して喫茶ガールとなり二人の生活費を稼がうとしたが思はしくなく四日間で店をやめた、こゝをやめてからは二人とも職がなく四谷区新宿に下宿してわびしい同棲生活を送つてゐたもの、四谷署ではこの早熟な娘の引取方を姫路の父親に打電したが○○君は誘拐の常習者ではないかと追究取調べてゐる、たま子さんは
○○とは別れますが姉のゐるあの家へはどうしても帰れません、東京で仕事を見つけて自活します
と語つてゐる。
昭和11年(1936).11.12〔19歳女子(満17〜18歳)が夫と姑毒殺謀る?〕
秋田県仙北郡の農家で、嫁(19)が姑(48)に劇薬を飲ませて、11.27に逮捕された。9.15に相手の顔も知らないまま嫁入りしたが、夫(24)が醜男だったため嫌って風邪薬にネコイラズを入れて9.27に死亡させたことも自供。田畑5万坪などの莫大な資産を手に入れるため姑も無き者にしようとしたもの。
刑務所で何度も自殺未遂を重ねたが、裁判では一転して無罪を主張、さらに何度も証言を変えた。夫の死体を掘り起こした解剖結果も検察側弁護側それぞれの鑑定が対立。夫とは関係を拒んだが実の弟と何年も関係して処女ではないというようなことや、姑の爛れた男関係まで法廷で告白して、また夫の写真を見るとハンサムであるなどおかしな点があり、この資産家の家ではこれまでも不審な死が何人も続いていることもあって異常なセンセーションをもたらした。
姑の尊属殺未遂と夫の殺人罪で無期が求刑されたが、一審は殺人が証拠不十分で無罪、尊属殺未遂だけで懲役3年6ヶ月判決。二審では尊属殺未遂も証拠不十分で、結局まったくの無罪となって確定した。
昭和11年(1936).12.7〔16歳(満14〜15歳)がムシャクシャして幼女に通り魔〕
東京市浅草区の路上で、商工学校2年生(16)が小学2年生の女の子(9)を抱き上げ、匕首でお尻を刺して2週間の重傷を負わせて逃走、すぐに捕まった。浅草公園で不良にからまれ殴られムシャクシャしていたが、女の子が微笑み掛けたのが嘲笑われたように受け取って刺したもの。鉄工所経営者の次男。
昭和11年(1936).12.10〔16歳(満14〜15歳)がムシャクシャして幼女に通り魔〕
東京市浅草区の路上で、商工学校2年生(16)が小学2年生の女の子(9)を抱き上げ、匕首でお尻を刺して2週間の重傷を負わせて逃走、すぐに捕まった。浅草公園で不良にからまれ殴られムシャクシャしていたが、女の子が微笑み掛けたのが嘲笑われたように受け取って刺したもの。鉄工所経営者の次男。
昭和12年(1937).1.16〔17歳(満15〜16歳)女工が自殺し、小学校教師が自殺幇助で取り調べ〕
東京市豊島区池袋の旅館で、女工(17)が自殺し、小学校教師(28)が自殺幇助で取り調べを受けたが釈放された。前日に教え子だった女工が小学校を訪れ、女中にしてくれ、さもないと服毒自殺すると迫った。旅館で一泊して説得、朝になって教師はそのまま登校したが、そのあと工場から持ち出していた毒薬を飲んだ。美人で早熟、派手好きで、想っていた教師と自殺を図ったもの。
2.18には同じ小学校の教師(34)がバーで見かけた人妻(26)をつけて路上でレイプして逮捕された。校長は進退伺いを出した。
昭和12年(1937).1.16〔24歳(満22〜23歳)ら兄弟が財産狙って祖父毒殺未遂〕※参考
静岡県富士郡の農家で、孫(24)が郵送してきた日本酒を祖父(83)が飲んだが異味で吐き出し、2.4に孫と兄(26)が逮捕された。神奈川県横浜市の駄菓子屋(59)の長男と次男で、養子である父親が1800坪の田んぼを相続させてもらえないため祖父が早く死ねばいいと常に云っていたことを聞いて、硫酸を酒に入れて毒殺を謀ったもの。父親は犯行を知ってから酒屋に間違って酢を売ったという手紙を書かせていた。
昭和12年(1937).1.19〔19歳(満17〜18歳)が強盗レイプ殺人〕
東京市渋谷区で、工員(19)が民家に侵入して主婦(38)を襟巻きで絞殺、レイプして6円50銭などを強奪し、逮捕された。東京地裁は求刑通り無期懲役判決。
昭和12年(1937).1.22〔小5(満11〜12歳)が万引き〕
東京市豊島区西巣鴨の本屋で、小学5年生(13)3人が「忍術の極意」という本を万引きして捕まった。国防献金のため拾い集めた銀紙が売れたのでお菓子に全部使ってしまい、自分で稼ぐことに喜んで本を万引きしてはクズ屋に売るようになった。全員が中流家庭。
昭和12年(1937).1.27〔早大柔道部員10数人が暴行〕
東京市牛込区のソバ屋で夜10時半、早稲田大学柔道部員10数人が早稲田大学政経学部2年生(22)に殴る蹴るの暴行を加えて重傷を負わせ逮捕されたが、警察は学生のケンカなので表沙汰にはしない方針。柔道部員は学校内のラグビー大会で負けてやけ酒を飲んでいた。
昭和12年(1937).2.8〔16歳(満14〜15歳)ら3人が主人一家皆殺し計画〕
東京市麻布区新堀町の理髪業宅で、雇い人3人(16,22,28)が飯釜にネコイラズを入れて主人一家6人皆殺しを謀ったが異臭のため食べずに無事だった。1.10に主人(43)が「汚すから家の便所を使うな。外の共同便所を使え」と客の前で叱ったことを恨んで計画していたもの。
昭和12年(1937).2.14〔17歳(満15〜16歳)女子が赤ちゃん殺害〕
東京市淀橋区の洗濯屋で、主人の姪(17)が長男(生後3ヶ月)を着物で窒息死させて逮捕された。千葉県印旛郡で同じ村の男と関係して妊娠したが、怒った両親に追い出されて上京し、12.8に長男を産んだ。男に結婚や認知を迫ったが相手にされず、両親や親戚にも冷たい目で見られたため。
昭和12年(1937).2.18〔小5(満11〜12歳)女子ら兄人妹が心中〕
東京市豊島区の自宅で、長男の府立実科工業夜間部機械科1年生(16)と次女の小学5年生(13)が心中した。東京ガス工員の父親と母親(40)は次女を連れて再婚したが、父親が浮気をするようになると母親は義理の息子の長男をいじめるようになり、成績がさがったこともあって悲観した長男はパンにネコイラズを塗って食べ、同情した義妹も食べたもの。
昭和12年(1937).2.19〔女給(満15〜16歳)と明大生が心中〕
静岡県熱海市の山林で、明治大学予科2年生(21)と女給(17)が服毒心中を謀って重体となった。北海道空知郡の郵便局長の息子で高額な送金をしてもらって芸者や女給と遊んでいた。女子は結婚話を嫌って栃木県那須郡から家出して上京し初台の喫茶店で女給となっていた。子爵の隠し子だと云っている。知り合って1ヶ月だった。
昭和12年(1937).2.19〔19歳(満17〜18歳)が新聞勧誘断られ放火〕
東京市豊島区で、新聞配達店員(19)が民家2件に放火して逮捕された。新聞勧誘を断られた怨み。
昭和12年(1937).2.26〔中5(満17〜18歳)がケンカの仲裁者刺す〕
東京市目黒区の路上で、自由ヶ丘学園中等部5年生(19)が明治学院中等部4年生(18)の腹をナイフで2回刺して重体として逃走したが、学校寄宿舍で逮捕された。喫茶店で自由ヶ丘学園生ら中学生3人が原稿用紙を盗ろうとしたことを咎められたため、表に出ろと友人を連れ出したため、明治学院生が仲裁に入ろうとしたが、「この野郎、生意気だ」といきなり刺したもの。医者の長男。
昭和12年(1937).2.28〔学校よそに男女生徒数十名が桃いろ享楽 神楽坂の巣窟へ断 国民新聞引用〕
神楽坂署保安係では牛込区肴町三三喫茶店「すゞめ」こと井上よし(三五)方に男女学生の出入が激しいのを怪しみ、よしを留置取調べたところ、昨年来「すゞめ」会の名の下に男女学生数十名を集め桃色会を組織、手紙の交換やピクニツク酒の会などと学生にもあるまじき怪しげな交際を楽しんでゐたことが判明したので関係者を続々召喚取調べを続けてゐる。
男子会員は渋谷区代々木大山町一〇六七錦城中学校四年生伊藤隆二(一八)-仮名-他同中学生八名、法政商業生十名、昭和第一商業生十名、同卒業生五名、早稲田中学生一名、順天中学生五名、日大予科生五名、東京歯科医専五名等、女の会員は牛込区新小川町三の六恵助長女日本高女中途退学高田照子(一六)-仮名-他日本女子商業生二名、日本精華高女生三名、千代田高女生五名、同卒業生一名、京華高女五名、日本高女三名及び神楽坂付近の半玉三名、タイピスト三名でこれ等数十名の男女は小グループを作り、昨年春豊島園にピクニツクをしたのをはじめ、同八月には前後三回に亙つて片瀬海岸に海水浴に出かけ、更に十二月廿五日のクリスマスには神楽坂のカフエー「ドンプ」で晩餐会を、本年一月二日には神楽坂のスタンド「ミカド」で新年宴会を開いたりしてゐるが、平常は毎日午後二時から八時まで会員相互の親睦を結ぶといふ名目で酒を飲み莨(たばこ)をふかしなど学校そつちのけの乱痴気振りを発揮してゐた。同署では即時同店の営業停止を命じ、引続き男女学生を召喚説諭を加える。
(国民新聞2.28夕刊引用)
昭和12年(1937).2.28〔18歳(満16〜17歳)女子が綺麗なため自殺〕
東京市渋谷区の建築業宅で、女中(18)が服毒自殺した。美人のためこの家の長女(21)と仲が悪く、前日にもケンカしていた。「きれいだ、きれいだと近所の人から云われたが、私はそのために苦しんだ」と死ぬ前に話していた。
昭和12年(1937).5.2〔18歳(満16〜17歳)の家庭内暴力の娘を父親が殺害未遂〕
東京市大森区の自宅で深夜2時、父親の工員(52)が寝ている次女(18)を薪割りで頭などを殴って3週間の傷害を負わせたが病院に運んで自首した。次女は小卒後に女工になったが長続きせずカフェーの女給になり、涙を流して注意した母親(50)の顔を殴ってケガを負わせるなど警察に相談しても暴れ続けるため両親は知人宅に避難していたが、父親は将来を悲観して家に戻って殺害しようとしたもの。
5.4に60歳くらいの男が刑事と名乗って訪れ、精神異常ということにすれば釈放できると、診断料と煙草代を要求、重傷の娘を看病していた母親からなけなしの6円を詐取した。新聞で報道されると減刑嘆願書や見舞金5円などが集まり、回復した娘は毎日留置場の父親を見舞って涙を流して非行を悔い真面目に働くことを誓い、父親も「我が身はもうどうなっても」と泣いて喜ぶ美談となり、6.24に起訴猶予で釈放された。
昭和12年(1937).5.2〔19歳(満17〜18歳)女が団長の不良グループ「夜嵐団」〕
東京市浅草で女優や女給をやってた美少女・夜嵐お節(19)が団長、踊り子・隼のお静(20)が副団長、朧夜お蔦(18)、文学お柳(19)、男装の運転手・スピード金太(20)の女5人と男3人の不良グループ「夜嵐団」が捕まった。銀座、新宿などで窃盗、詐欺、脅迫などを働いていた。
昭和12年(1937).5.6〔中1(満12〜13歳)がスカート切り魔〕
東京市省線の四谷〜信濃町駅間のトンネルに電車が入った瞬間に女学生のスカートや着物を肥後の守で切っていた中学1年生(14)が捕まった。4.20から10人以上を襲っていた。女学生が泣き出す顔を想像して楽しむ、小学生のときからこういういたずらに興味を持っていたと自供。国家公務員技師の長男。
昭和12年(1937).5.18〔19歳(満17〜18歳)が女体に興味を持ち姉殺害〕
東京市深川区亀久町の下宿で、女工(29)が6日から泊まりに来ていた実弟の陸軍糧秣廠臨時工(19)に殺害された。女の身体に興味を持ち、明け方4時に寝ている姉を襲って、匕首で乳下を刺したもの。
昭和12年(1937).5.19〔中央大学生10数人が教授を袋叩き〕
東京市神田区の中央大学で、学生10数人が経済学の授業中の教室に叫びながら乱入、アジビラをまいて、教授を袋叩き、血まみれにした。教授間の対立から発生した学園紛争。
昭和12年(1937).6.8〔19歳(満17〜18歳)ら少年数人が老女2人殺害して収容所脱走〕
大阪府の不良少年収容所で、少年数人は教誨師が外出している隙に留守番の老女2人にふとんを被せて殺害、金を盗って逃走した。8.2に東京市本所区の木賃宿で、リーダーの少年(19)が捕まった。7月に上京してスリや強盗をしていた。
昭和12年(1937).6.8〔医専女子(満14〜15歳)が天才の重圧にたえかねて自殺未遂〕
京都府京都市のホテルで、医学専門学校女子生徒(16)がカルモチン自殺を図ったが命を取り留めた。歯科医のひとり娘で鹿児島市生まれ、神童と呼ばれ5歳(満3〜4歳)で小学校入学、両親は娘の勉学のため大阪に引っ越し、15歳(満13〜14歳)で高等女学校を優等で卒業、東京女子医専に入学すると両親はまた引っ越して19歳(満17〜18歳)で卒業して博士になるように勉強を強いたが成績が伸び悩み、家出して湯河原の旅館で服毒自殺を図って命は取り留め、帝国女子医専の2年に異例の転校、5月末に学校で教科書を盗み逮捕されて退学となっていた。
昭和12年(1937).6.12〔16歳が強盗殺人で死刑判決〕
高知県高知市の荒倉峠で、少年(満16歳)が通行人の頭を斧で殴って殺害して現金26銭入りのサイフを強奪して逃走した。6.24に高知市の顔見知りの運動具店で、主人の妻(24)の頭をカナヅチで滅多打ちにして重体とし、現金116円を強奪して逃走、逮捕された。
幼い時に母と死に別れ、父は長崎に行ったきり帰ってこず、叔父に育てられて高等小学校を中退してから職を転々としており、父に会いに行く旅費を稼ぐために強盗を繰り返していたもの。一審死刑だったが、二審で無期懲役が確定した。
昭和12年(1937).6.15〔15歳ニートが理由なく美貌の人妻を惨殺〕
東京市中野区大和町の姉の家で、若妻(20)が殺害され、少年(満15歳)が愛知県に差し掛かった東海道線の車内でその夜に捕まった。
金沢市の裕福な袈裟衣商の長男で、昨年10月に万引きや同級生の持ち物を盗んだため金沢第二中学を2年で中退してぶらぶらしていたが14日に家出して上京、叔父の家を訪ねたが叔父は仕事に出ていて叔母と近所に住むその妹の若妻がいた。書斎の本を読んでいるうちに所持していたナイフを抜いてちょっと刺してみたいような気がし、家の中をうろうろしていると若妻が四つん這いでお尻をこちらに突き出しながら新聞を読んでいるのが目に入った。衝動的にお尻を刺し、家中を逃げ回る若妻を追い掛けて58カ所めった切りにして殺害、35銭入りの財布を盗んで逃走したもの。叔母は30分ほど外出しており、幼い長男が犯行を目撃していた。
少年は内気で探偵小説マニア、おしろいや口紅をつける趣味があり、逮捕時に「婦人の美容」という本を持っていた。「カマボコかコンニャクのようにくにゃっとしたもののように見えたので刺した」と自供。
被害者は海軍少将の令嬢で金沢第一高女時代にバレーボール選手として活躍した美貌の人妻。少年はバレーの試合を見に行ったことがあり、また新聞に載った写真も見て一方的に知っていたため当初はストーカー殺人として大々的に報道されたが、特に恋愛感情はないと判り、少年の理由無き殺人事件として世間に大きな衝撃を与えた。
精神鑑定の結果不起訴となり、松沢病院に7ヶ月入院。昭和15年3月、満18歳になった少年は大学受験のため上京、独り暮らしをしながら受験勉強をしていたが、4月に同じアパートに住んでいた子連れの27歳の女と滋賀県大津市で心中を図って死亡した。女は軽症で姿を消した。
昭和12年(1937).6.20〔15歳(満13〜14歳)が主人一家ら3人殺害〕
東京市荒川区三河島町の砂糖商宅で、雇い人(15)が深夜1時に同じ部屋で寝ていた同僚(15)の手足を縛って首に紐を三重に巻いて絞殺、金庫の金を盗もうするところを主人の妻(33)に発見されたため顔や頭を氷砂糖を割るカナヅチで殴って殺害、傍で寝ていた三女(2)を手ぬぐいで絞殺、主人の服を着て150円を盗んで逃走した。主人は娘2人と番頭を連れて砂糖会社招待の慰安旅行に出掛けて留守だった。
写真入りの手配書10万枚が配られ、顔の特徴から「ホクロ少年」と呼ばれて各地で目撃されるたびに新聞で大騒ぎされながらも1ヶ月も逃亡して、7.21に満州国奉天市で捕まった。活動写真見物などに金を使って15円しか残っていなかった。この年の銀行員大卒初任給70円。
少年は主人の従兄弟にあたり、父親が外地を渡り歩く写真師だったため満州国遼陽市で生まれた。父親は1年前に死亡、母親も4歳の時に死んでおり、継母とともに静岡県磐田郡の工場で働いていたが盗みのためクビとなり、2月からこの家で勤めることとなった。
昭和12年(1937).7.3〔16歳(満14〜15歳)が主人一家皆殺し計画〕
東京市神田区鍛冶町の織工業宅で深夜2時、雇い人(16)が寝ている長女(16)の首を絞めたが悲鳴を聞いた主人に捕まりクビになった。5日に遺書を持って自殺するつもりで亀戸を歩いているところを警官に捕まり、主人一家を皆殺しにして金を奪って満州に行く計画を自供した。カナヅチと匕首で殺害するつもりが血を見るのが怖くなって急に変更したもの。3月に新潟から上京して勤めていたが、おたふくと言って馬鹿にする一家を恨んでいた。主人は単なる性的犯行と考えて警察には届けていなかった。
昭和12年(1937).7.27〔19歳(満17〜18歳)が不良の弟絞殺〕
東京市荏原区小山町で、印刷工(19)が弟(15)を殺害して自首した。弟は不良で盗癖もあって感化院に入れられていたが、勤めていた印刷所の主人の金を取って逮捕され、説教したが言うことをきかないので両手を縛ってから絞殺したもの。
昭和12年(1937).8.11〔17歳(満15〜16歳)が空気銃通り魔〕
大阪府大阪市の路上で、工員(17)が女性(20)のお尻を空気銃で撃ち、2時間後に女性(21)を撃って逃走、翌日逮捕された。これまでに若い女性ばかり10人以上を空気銃で撃っていた。
昭和12年(1937).8.11〔15歳女子(満13〜14歳)が窃盗〕
東京市杉並区高円寺の古物商で、女子(15)が6円入りの手提げ金庫を盗って逃走したがすぐに捕まった。これまでにも小学校に忍び込むなど数件50円の窃盗を働いていた。父親の鉄道作業員は月収50円で6人の子供がありながら800円の貯金をしており、充分な生活費を渡さないため困っている母親に、友達からもらったと金を渡していた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和12年(1937).8.19〔20歳女子(満18〜19歳)が内縁の夫を無理心中未遂〕
東京市板橋区のソバ屋で未明、女中(20)が放火して2軒全焼させた。茨城県西茨城郡出身で、3月からこの店に勤め、妻に先立たれた主人の内縁の妻となったが、主人が浮気するため無理心中を謀ったもの。主人は気づいて逃げたので無事だった。
昭和12年(1937).9.2〔20歳(満18〜19歳)ストーカーが逆恨みして傷害〕
東京市蒲田区の牛肉屋で朝4時、向かいの鰻屋の従業員(20)が押し入り、寝ている従業員(19)を日本刀で10数回めった斬りにして3週間の傷害を負わせて放火、鰻割きで自分の首を突いて重体となって病院に運ばれた。5年前に栃木から上京して鰻屋に勤め、牛肉屋の女中(21)に片思いして脅迫していたが、女中が違う店に逃げたのを被害者のせいだと思い込んで恨んだもの。
昭和12年(1937).9.10〔20歳(満18〜19歳)が妹殺害〕
東京市江戸川区の自宅で、兄(20)が妹(14)の頭や顔を円本で殴り、翌日死亡させ、傷害致死で逮捕された。洗濯物についてケンカしたもの。父親は植木職。
昭和12年(1937).9.12〔21歳(満19〜20歳)ニートが偽中尉になって警官殴る〕
東京市蒲田区のアパート自室で、男(21)が巡査を軍刀で殴り、2週間の傷害を負わせたが格闘のすえ逮捕された。大連中学卒で士官学校入試に失敗したが周りの者には受かったと話し、航空中尉の制服を着て出歩いていたため官位詐称で取り調べを受けていたもの。
昭和12年(1937).9.14〔19歳(満17〜18歳)駅員が駅長を日本刀で斬り殺す〕
東京市南多摩郡の中央線日野駅で深夜0時半、駅員(19)が駅長を日本刀で斬り殺して逃走したが立川で逮捕された。叱られてカッとしたもの。
昭和12年(1937).9.15〔21歳(満19〜20歳)が父親ナイフで刺す〕
東京市浅草区の自宅で夜7時半、長男(21)が父親(52)の胸をナイフで刺して3週間の傷害を負わせて逮捕された。日頃から酒乱で、灯火管制中に大声を上げたので近所に気兼ねしてカッとしたもの。
昭和12年(1937).10.2〔22歳(満20〜21歳)ニートが一家7人皆殺しして自殺〕※参考
東京市下谷区の名簿製作商宅で朝5時、3男(22)が就寝中の父親(64)、兄弟、兄の長男(6)や同居している従兄弟の長女(2)など一家7人をめった切りにして殺害、逃走したが翌日に西武鉄道柳沢駅付近で電車に飛び込み自殺した。裕福な家庭で、家の金を盗んでは遊び回っているので父親が叱ると暴れ、警官に頼んで注意してもらったりしていた。しかし、9.30にも店の集金を遊女に使い果たして父親に激しく叱られていた。
昭和12年(1937).10.5〔15歳(満13〜14歳)が幼女百人以上誘拐しレイプ殺人〕
兵庫県武庫郡の路上で、米店員(15)が小学1年生の女の子(8)を自転車で誘拐、芦屋の山林に連れ込んでレイプしようとしたが、抵抗したので口にハンカチを詰めて窒息死させ、翌日に手足を縛られた全裸死体が発見された。
翌年1.8に神戸市の路上で、下校中の小学2年生の女の子(8)を無理やり自転車に乗せて誘拐しようとしたが通行人に見られたので女の子を突き落として逃走。1.9に御影町の路上で、小学3年生の女の子(10)を無理やり自転車に乗せて走っているところを昨日の誘拐事件を捜索していた刑事に逮捕され、2.15に先の殺人を自白した。
1年前に中学1年で中退して実家の米店を手伝いながら、小学1〜3年生の女の子百人以上をおかしを与えるなどして誘拐してレイプ、殴ったりもしていた。
昭和12年(1937).10.31〔24歳(満22〜23歳)が幼女(満11〜12歳)ら2人をレイプ殺人〕※参考
兵庫県明石郡の山林で、鉄工員(24)が女の子(13)の顔を鎌で刺してからスカートを切ってそれで絞殺、一緒にいた女の子(14)が負ぶっていた妹(2)をおしめで絞殺、女の子もスカートの紐で首を絞めた上に頭を石で殴って1ヶ月の重傷を負わせて仮死状態となったが、百五十人で捜索していた村人に翌日発見されて奇蹟的に蘇生したためその証言から11.6に逮捕された。キノコを取りに来ていた女の子たちをたまたま見てレイプしようとしたが抵抗されたため殺害したもの。
死刑が求刑されたが、心神耗弱という精神鑑定を採用して一審は無期判決
昭和12年(1937).11.17〔18歳(満16〜17歳)がピストル自殺〕
東京市淀橋区の自宅で、蘭文化協会事務員(18)がピストル自殺した。知人宅で留守中にピストルをいじって発射させてしまい、自宅に戻ってからすまないという遺書を書いていた。
昭和12年(1937).11.28〔小学校校長、教員200人が贈収賄〕※参考
沖縄県那霸市で、県の視学と小学校校長、教員男女2百人を贈収賄で特高が逮捕した。校長10人が依願免職、教員180人が譴責罰棒などの処分。
昭和12年(1937).12.15〔学生15人が南京陥落祝賀で将棋倒し〕※参考
東京市の参謀本部前で、南京陥落祝賀のため学校から引率された生徒達の旗行列が万歳三唱して帰ろうとしたところ群衆に押されて将棋倒しとなり、安田商業1年生(15)が重体、櫻蔭女学校5年生(17)が3週間の打撲傷など、中学生や女学生15人が負傷した。
昭和13年(1938).1.2〔少年が幼女(満5〜6歳)を誘拐殺人して文字を刻み付ける 諏訪山幼女惨殺事件〕
兵庫県神戸市新開地の映画館で、17歳くらいの学帽学生服の少年が、小学3年生の女の子(9)と一緒に来ていた正月の晴れ着の女の子(7)を連れ出し、諏訪山の林で腰ひもで絞殺、顔2カ所を刃物で切り、性器から腹にかけて10センチ以上を切り裂き、さらに腹に文字を刻み付けた。翌日に死体が発見され、1.6に新聞記事の女の子の写真を貼り付けて「コノ少女ヲ殺シタノハ自分ダ。コレカラ先キマタ殺スカモ知レナイカラ注意セヨ」という脅迫状が警察署に送られてきて、死体の文字と筆跡が一致した。
付近では昨年10.3から毎週日曜日に若い男が幼女の顔を切る通り魔事件が7件起きており、同一犯人と思われる。文字はカタカナ3文字で、どの新聞にも内容の記載はないが、かなりひどい言葉らしい。
※犯人が捕まったかどうかご存じの方はご教示をよろしく。
昭和13年(1938).1.3〔18歳(満16〜17歳)が連続通り魔〕
東京市麻布区の青山墓地で、工員(18)が子供(3)をおぶった主婦(25)の腹などをナイフで4回刺して重体として逃走、翌日目黒区の自宅で逮捕された。3年前から青山墓地で若い女性ばかり次々襲い、金がない時は金を強奪して2回感化院に入っていた。
昭和13年(1938).1.3〔20歳くらいの連続通り魔が女性7人襲う〕
東京市城東区亀戸町(現在の江東区)の路上で夜8時、20歳くらいの学生帽の男が、女性(21)の腰をナイフで切って10日間の傷害を負わせ、30分後に女工(18)のお尻に2週間の傷害、9時過ぎに少女(14)に1ヶ月の重傷、9時半に女中(22)のお尻に1週間の傷害、女性(26)のお尻に2週間の傷害を負わせて逃走した。正月の晴れ着を着ている女性ばかりを狙ったもの。
2.6に本所区向島で夜8時、同じ犯人らしい学帽と学生服の男が、主婦(23)のお尻に2週間の傷害、女工(18)の太ももに2週間の傷害を負わせて逃走した。
昭和13年(1938).1.14〔浦和高校2年生(満18〜19歳)が強盗未遂〕
埼玉県浦和市の喫茶店で、浦和高校2年生(20)が店主(43)に百円を要求してナイフで脅して逃走、その日のうちに王子区の自宅で逮捕された。ラグビーの練習で頭を打ってからおかしくなっていた。
昭和13年(1938).1.18〔高等小学校2年生(満14歳)が老婆を強盗殺人〕
高知県高岡郡で深夜0時、高等小学校2年生(満14歳)が菓子店を経営している一人暮らしの老婆(64)宅に侵入、見つかったので頭を包丁でメッタ突きにして殺害、60円を強奪して高知市に逃走、服を買って映画を見てから旅館に泊まっているところを逮捕された。この年の銀行員大卒初任給70円。
石材販売業の長男で5人の弟妹がおり、小学生の時は成績もよく級長を勤めていたが、商業学校生になってから家の金を盗んで映画や喫茶店に入りびたって中退して高等小学校に入りなおし、この日も50銭を盗んで厳しい父親に叱られていた。懲役12年判決。
昭和13年(1938).1.30〔18歳(満16〜17歳)が墓を暴いて女性の死体を弄ぶ〕
神奈川県高座郡で、人夫(18)が墓を暴いて女性(24)の遺体を自転車で杉林に運んだ。満月の月明かりの下、裸にして木に縛りつけて撫で回して眺めた。さらにナイフで腹を割いて内臓を手で掴み出して臭いを嗅いだ。墓の盛土の様子が変わっているのに気づいた遺族が掘り返して遺体が盗まれたことが発覚して無惨な姿の遺体が発見され、すぐに逮捕。村一番の美人で女子青年会長もしていた女性が2日前に病死したと聞いて、「あんなにきれいなキクさんの腹の中はどんなになっているんだろう」と思ったと自供。指紋を隠すために手袋をして遺留品を残さないように細心の注意を払っていた。友達もおらず、無口で暗い性格。少年の猟奇事件としてセンセーショナルに報道された。
昭和13年(1938).2.10〔商業学校生(満15〜16歳)20人の万引き団〕
東京市品川区の、商業学校生(17)ら3人が逮捕され、同じ商業学校20人の万引き団の存在が判明した。昨年夏から新宿、銀座などで犯行を繰り返して、「犯罪日誌」をつけて所持していた。警視庁の追及が厳しくなったので熱海温泉で窃盗を働き警官隊に断崖まで追い詰められて捕まったもの。サイパン島への逃走も計画していた。
昭和13年(1938).2.15〔不良学生狩りで8百人摘発〕
東京市で、警視庁が不良学生を一斉摘発、2.16までの2日間で8百人を捕まえた。弁当を持って登校するように見せかけて、そのまま麻雀店、映画館、喫茶店などであそんでいた大学生、中学生、女学生など。銀座のスタンドバーで飲んでいた女子も。「非常時と学生の心構え」について説諭してその日に帰した。
昭和13年(1938).2.21〔19歳(満17〜18歳)女子が浮気相手の妻を毒殺未遂〕
東京市足立区の青物仲買業宅で、女子(19)が草団子、最中、食パンを届けて、自分も食べて安心させながら主人(29)の妻(25)に食べさせた。具合が悪くなったので警察に届け、毒が入っていることが判明したので翌日逮捕。主人と交際していたが、妻がいることを知って殺害を謀ったもの。
昭和13年(1938).2.22〔満13歳が育ての親の伯母殺害〕
高知県幡多郡の山中で、男子(満13歳)が伯母の顔や首を肥後の守でメッタ突きにして殺害、何食わぬ顔をしていたが服に血が付いていたため追及されて自白した。幼い時から養育され、伯父がケガで働けなくなり伯母がひとりで農作業をしているので手伝うために1月に高等小学校1年生で中退したが、怠け者で叔母に鍬の柄で殴られたため凶器を用意して数時間後に薪拾いに行く機会に復讐したもの。満14歳未満は刑事責任が問えないので数日で釈放される予定。
昭和13年(1938).2.25〔小学校高等科2年生(満14〜15歳)が校長をナイフで刺す〕
秋田県南秋田郡の小学校で、高等科2年生(16)が校長の手の甲をナイフで刺して傷害を負わせた。雪の下の薪掘りを数人の生徒がなまけたので校長に叱られた怨み。凶暴で学校からマークされている生徒だった。
昭和13年(1938).3.1〔小学生(満8〜9歳)が連続放火〕
東京市蒲田区で深夜1時過ぎ、小学生(10)が民家7軒のゴミ箱に放火、朝に捕まった。クズ屋の子供で、成績はよいが映画好きで、2.27に映画を見て父親に叱られ翌日から家出していた。騒ぎが起こるのがおもしろくて、他にも3件の放火をしていた。
昭和13年(1938).3.30〔女学生 家郷への報告書 美貌の留学生をめぐってアパートに描く桃色行状 読売新聞引用〕
こんどは不良女学生が警視庁の槍玉にあがつた 制服女学生十数名がアパートの一室に満洲国の一留学生を中心に情痴の世界をくりひろげてゐたものである、警視庁外事課亜細亜係で検挙し野方著に留置取調中の大連市外周水子南山金家屯一出身、中野区沼袋常磐寮止宿、法大専門部経済科ニ年生金倍宝が此桃色遊戯のリーダーで金の自供によると一昨年十一月新宿伊勢丹のスケート場で知り合つた豊島区西巣鴨千代田女子高等女学校生徒佐藤ゆり(19)仮名を誘つて夕食を共にしたり映画見物の末アパートに連れ込み自分に妻子あるのをかくして結婚すると同棲こそしないが夫婦同様の生活を続け、昨年三月杉並区堀ノ内女子経済専門学校付属女学校生徒瀬川時子(18)仮名を伊勢丹スケート場でスケートのコーチをしてやると誘惑し同十月四谷区左門町原初子(19)文化洋裁女学院生徒高山はな子(18)さらに本年一月昭和女子薬学生徒岡元某(19)いづれも仮名等とスケート場で知り合つて誘惑してゐたもので、誘惑された彼女らは時には三人一緒に金のアパートに泊るといふ無軌道ぶりに取調の中条警部も唖然としてゐる有様だ
これ等の女学生の大半は下宿生活をしてゐるもので中には姉妹が金の毒牙にかゝつたものもある、外事課では取調終了を待つて金を本国に送還することになつてゐるが、同時に此れ等女学生達の父兄を呼んで警告を発することになつてゐる。
(読売新聞1938.3.30夕刊引用)
昭和13年(1938).4.8〔20歳(満18〜19歳)が親戚3人を斧で殴り殺す〕
高知県幡多郡で、少年(20)が親戚3人を斧で殴り殺し、1人に重傷を負わせた。両親が養子に入った家から縁を切ることになったが、財産分与訴訟で負け、この親戚のせいだと怨んだもの。無期懲役判決。
昭和13年(1938).4.13〔20歳(満18〜19歳)女子ら医大生が心中未遂〕
東京市滝野川区のアパート自室で、日本医大3年生(24)と東洋女子歯科医専2年生(20)が服毒心中を図ったが命を取り留めた。女子は大分県速見郡の医師の長女。2年前から交際しており、卒業後の結婚を親に許されていたが、待ちきれなかったもの。
昭和13年(1938).4.25〔小4(満11〜12歳)が父親の給料盗んで温泉旅館に家出〕
東京市大森区で、小学4年生(13)が父親の給料を会社でもらってそのまま家出した。2月にも父親の給料を持って家出して、熱海の温泉旅館に泊まっているところを見つけられて連れ戻されていた。
昭和13年(1938).4.25〔18歳(満16〜17歳)がケンカで同僚刺す〕
東京市小石川区の理髮店で夜10時前、店員(18)が同僚(20)の顔をカミソリで切って1ヶ月の重傷を負わせて逮捕された。浪曲好きの少年と洋楽好きの同僚がラジオの音でケンカしたもの。
昭和13年(1938).4.29〔19歳(満17〜18歳)が幼女レイプ殺人〕
高知県長岡郡で、少年(19)が隣家の小学5年生の女の子(12)をレイプして絞殺、翌日に全裸死体が発見され、自宅床下に隠れていたところを5.1に逮捕された。美人で評判の女の子が晴れ着で学校の天長節式典に出席したあとの下校中に襲ったもの。懲役12年判決。
昭和13年(1938).5.3〔16歳(満14〜15歳)女子が連続放火〕
東京市葛飾区で朝6時半、髪結い女子(16)が民家に放火して半焼させ、5.6と5.8にも放火、5.10に逮捕された。群馬県前橋市出身で、10歳の時に両親を亡くして上京していた。騒ぎが起こるのがおもしろくて犯行を犯した。
昭和13年(1938).5.6〔20歳(満18〜19歳)の女装の男が心中未遂〕
栃木県日光町で、セルロイド工場女工(20)と同僚女工(18)2人が心中を図ってうろついているところを保護された。20歳は生まれた時から女として育っており戸籍も女だったが、じつは女装の男で、それまで同性の友達だと思っていた18歳に好きだと告白し、18歳も飛び込み心中を決意したもの。断髪の洋服姿でハイヒールをはいていた。
昭和13年(1938).5.13〔6歳女子(満4〜5歳)が隣家の幼女殺害〕
秋田県南秋田郡で、女子(6)が隣家に遊びに行って、嬰詰(東北のゆりかご)に寝かされていた女の子(2)の顔を棍棒で滅多打ちにした。家人が帰宅して手当てをしたが、5.20に死亡。
昭和13年(1938).5.13〔高等小学校2年生(満13〜14歳)が鬼ごっこで過失致死〕
兵庫県神戸市の高等小学校で、2年生(15)が休み時間に廊下で鬼ごっこをしていて、同級生(15)を突き飛ばして転倒させ頭を強打させた。同級生は早引けしたが倒れて翌日死亡した。警察が過失致死で取り調べ。
昭和13年(1938).5.14〔17歳ニート(満15〜16歳)が継母刺殺〕
兵庫県武庫郡の自宅で、無職の長男(17)が継母(43)の背中からナイフで17回めった刺して頸動脈を切って殺害、死体を床下に隠して道具や衣服を売り飛ばして現金にし、東京に逃走したが7.25に神田で家出人として保護され、7.29に身元が判明して逮捕された。高等小学校を卒業してから見習いコックとなったが、カフェーや遊廓などに入りびたって1か月前に辞めていた。父親が不在中に、映画の金をせびったがもらえなかったためカッとしたもの。
昭和13年(1938).5.22〔中5(満17歳?)が父親の愛人と三角関係の末に心中〕
神奈川県大磯町の旅館で、東京市杉並区の中学5年生と女性(23)が服毒心中を図り女性だけが死亡した。女性は弁護士事務所のタイピストだったが、弁護士の妾となって正妻のいるその家に入った。弁護士の4男である中5生と関係ができて妊娠、家を出たが怒った弁護士に2人とも殴られ、金ももらえなくなって困窮していた。
昭和13年(1938).5.26〔小1ら10人が墓荒らし〕
東京市品川区の墓地で、小学1年生〜高等小学2年生(9〜15)ら10人が岩倉具視の墓の鉄柵の飾りを2百個ももぎ取って盗み捕まった。皇軍慰問国防献金のために各学校で廃物利用運動がはじまっており、鉄くずが売れることを教師に教えられて、売って映画を見るなどしていた。
昭和13年(1938).5.31〔17歳ニートが働けと云われ父親殺人未遂〕
埼玉県南埼玉郡粕壁町の自宅で、4男(満17歳)が父親(51)の胸をノミで刺し、倒れたところをさらに顔を何度も刺して重傷を負わせて逃走、すぐに逮捕された。小学校高等科1年で中退して父親の家具製造業の見習いとなったが、最近は仕事をせずに遊んでいるため「おまえのような親不孝者は死んだほうがよい。仕事をしない者は出て行け」と父と次兄(26)に叱られ2人の殺害を計画、妹(7)を負ぶって風呂から出てきたところを待ち伏せして襲い、次兄も殺そうと探したが見つからなかったもの。「殺し切れなかったのは残念です」と話す。無口でおとなしく、近所の評判はよかった。
昭和13年(1938).6.21〔不良学生狩りで130人摘発〕
東京市で、警視庁が不良学生を一斉摘発、銀座では130人を捕まえ、説諭して誓約書を書かせその日に帰した。
中野では、子爵の養子と偽って借金や取込詐欺をして不純異性交遊をしていた大学2年生(20)が逮捕された。母親の金で長崎から上京して、演劇映画学科に通っていた。
昭和13年(1938).6.23〔早大生6人が警官を袋叩き〕
東京市京橋区の喫茶店で夜8時、早稲田大学生6人がケンカをはじめて椅子を投げテーブルを壊して暴れ、警官を袋叩きにして1週間の傷害を負わせて逃走したが逮捕された。酔っぱらって来店し、入店を断られていたが裏口から入ったもの。説教を受けただけで5人はその日に帰されたが、ターザンというあだなの1人は最近銀座のカフェーで客を殴って3週間の傷害を負わせて警察に一晩留置されたことがあるためそのまま留置。
昭和13年(1938).6.23〔明大生(満23〜24歳)が無賃乗車〕※参考
東京市中野区の中野駅で、明治大学生(25)が定期を持っているように見せかけて改札を通ろうとし、駅員(25)に見つかったため投げ飛ばして10日間の傷害を負わせて、民家のなかを土足で横断するなどして逃走したが格闘のすえに逮捕された。
昭和13年(1938).6.25〔東大生(満24〜25歳)が祖母と叔母を殺害して自殺〕※参考
岐阜県加茂郡で、東京帝国大学理学部3年生(26)が祖母(85)と叔母(61)をナイフで惨殺して逃走、川の堤防下で切腹して死亡しているのを翌日発見された。結核になり療養のため祖母と同居していたが、病状悪化で悲観したもの。
昭和13年(1938).7.10〔18歳(満16〜17歳)が主人一家ら9人殺人未遂〕
東京市目黒区のペンキ屋で深夜1時、住み込み従業員(18)が、就寝中の主人夫婦をナタで殴って1ヶ月の重傷を負わせ、子供たち(18〜4)6人と同僚従業員(16)に1,2週間の傷を負わせ、台所に油をまいて放火、「人殺し、人殺し」と叫びながら自分の頭をカナヅチで殴って自殺を図っているところを逮捕された。主人の妻の従兄弟で、2年前から勤めていたが、2月から勤め出した同僚が働き者で主人にかわいがられているのを恨んだもの。無口な性格だった。
昭和13年(1938).7.18〔21歳(満19〜20歳)が父親刺殺〕
東京市牛込区の自宅で、3男(21)が父親(59)の首をジャックナイフで2回刺して殺害、自首した。活字会社社長の父親が7年前に妾を家に置いて母親を虐待したため4年前に死亡したことを恨んでいた。叔父の木綿問屋で住み込み店員をしていたが、この日に父親と同居することになり、妾と別れるように迫ったが相手にされなかったもの。直前にナイフを買って、母親の墓に父親と妾の殺害を誓っていた。無期が求刑されたが、東京地裁は懲役15年の判決。
昭和13年(1938).7.27〔早実生(満16〜17歳)が2人がケンカで刺傷〕
東京市牛込区神楽坂の貸しボート場で夜9時過ぎ、早稲田実業5年生(18,19)2人が帝国商業5年生(19)の背中をナイフで刺して4週間の重傷を負わせて逃走、翌日学校で逮捕された。顔を見たと因縁を付けてケンカになったもの。
昭和13年(1938).7.30〔18歳(満16〜17歳)が主人一家4人殺人未遂〕
東京市本所区の自動車部品業宅で深夜3時、元従業員(18)が侵入、部品を盗んで、台所のガス栓を開けて就寝中の主人夫婦と子供2人の殺害を謀り、小型トラックで逃走しようとしたが豪雨のため発進できず、臭いに起きた他の従業員に捕まえられた。最近クビになっていた。千葉県出身。
昭和13年(1938).8.7〔15歳(満13〜14歳)が空気銃で撃たれる〕
神奈川県横須賀市の山林で、少年(15)が友達と遊んでいて、空気銃で胸を撃たれて重傷を負った。
昭和13年(1938).8.9〔商業学校生(満15〜16歳)ストーカーが少女襲う〕
兵庫県神戸市の路上で、商業学校生(17)が顔見知りの女子(14)にナイフを突きつけてレイプしようとしたが悲鳴に人が来たため逃走、すぐに逮捕された。去年末からつけ回していたもの。
昭和13年(1938).8.11〔17歳(満15〜16歳)ら6人が集団リンチ殺人〕
大阪府大阪市東区の保護施設で深夜、少年6人(19歳5人、17歳1人)が少年(19)を10分間殴る蹴るのリンチを加えて殺害、ベッドに寝かせて自分たちも知らぬふりして寝たが発覚した。
昭和13年(1938).8.30〔17歳(満15〜16歳)が主人の子供殺人未遂〕
東京市滝野川区の洋服店で、店員(17)が大腸カタルで寝込んでいる主人の長男(3)の薬に消毒薬を入れ、飲んだ長男は吐いて、殺人未遂で逮捕された。長野県出身で、この日に主人に叱られ復讐したもの。
昭和13年(1938).9.15〔19歳(満17〜18歳)が自動車で暴走〕
千葉県印旛郡で、運転手(19)が灯火管制中の夜中に消防団員の警告も無視してライトを照らして猛スピードで暴走、手車に追突して逮捕された。東京市日本橋区の自動車店に勤務しており、女給2人を乗せていた。
昭和13年(1938).9.21〔警視庁がサイン収集を禁止〕※参考
東京市で、警視庁がサインを求めることを禁止した。女学生のあいだでサインを集めることが大流行しており、宝塚や映画俳優、スポーツ選手だけではなく、海外からの観光客や水兵などを大勢で取り囲んで嬌声を上げながらサイン責めにする光景は風紀を乱すと大問題になっていた。
昭和13年(1938).9.23〔18歳(満16〜17歳)が兄を殺害〕
静岡県熱海市の海岸で、少年(18)が兄(20)を絞殺、死体を海に投棄して逃走したが、9.25に東京駅で逮捕された。東京で勤めていたが無断で故郷に帰って結核療養中の兄と心中しようとして死にきれなかったもの。
昭和13年(1938).10.15〔20歳(満18〜19歳)が同僚刺殺〕
東京市本所区の工場で、工員(20)が同僚(26)の胸をナイフで刺して殺害、逮捕された。日頃仲が良かったがケンカしたもの。
昭和13年(1938).10.29〔小4女子(満10〜11歳)が小学校で幼女殺害〕
東京市向島区吾嬬町(現墨田区)の小学校で、小学4年生女子(12)が女の子(4)をトイレに連れ込み棒で頭を滅多打ちにして殺害、教師が死体を発見して逃走しようとした女子を捕まえた。迷子になって泣いていた女の子を連れ歩いたが、云うことをきかないのでやったと自供。工員の長女。
昭和13年(1938).11.2〔大学予科1年生(満15〜16歳)が同級生刺傷〕
東京市小石川区の空き地で、大学予科1年生(17)が同級生(18)の胸を匕首で刺して重体として逮捕された。ケンカしたもの。
昭和13年(1938).11.20〔21歳(満19〜20歳)が猟銃で撃つ〕
神奈川県都筑郡で、横浜市の男(21)が狩猟をしていて、通行中の男性(21)を誤って撃って片足切断の重傷となった。
昭和13年(1938).12.12〔20歳(満18〜19歳)ら2人が強盗殺人で死刑〕
東京市小石川区の金物商宅で早朝、無職少年(20)と無職男(26)の2人組が押し入り、就寝中の店員(15)を刺殺、女主人(28)の夫(36)を刺殺、女主人に重傷を負わせて逃走、少年は12.13に、男は翌年9.1に逮捕された。更新会(左翼系の貧民支援団体と思われる)に泊まっていて知り合い、故郷の群馬県勢多郡と神奈川県に帰る汽車賃を更新会にもらいながら、少年がかつて働いていた金物商に強盗に入るよう誘い、その店で海軍ナイフを買って夜から庭先に潜んでいたもの。怨みのあった女主人の弟と間違えて夫をめった刺しにし、女主人も殺そうとしたが暗闇の中で同士討ちをしてケガを負ったため金も盗らずに逃げていた。主犯の少年は東京地裁で死刑判決。
昭和13年(1938).12.26〔19歳(満17〜18歳)が同居の従兄弟を強盗殺人〕
東京市品川区の自宅で朝5時半、工員(19)が就寝中の従兄弟の会社員(37)を帯で絞殺、マサカリで頭を滅多打ちにして死体を床下に隠してボーナス120円を強奪し、さらに被害者の印を持って会社を訪れ給料を盗ろうとして失敗して逃走、翌年1.5に死体が発見され、翌日、王子区で逮捕された。5月から下宿していたが、会社員は病気の妻と3人の子供が故郷鹿児島県にありながら愛人2人を持っていることに反感を抱き、12.24に叱られたためと自供。
昭和14年(1939).2.16〔7歳(満5〜6歳)幼女が鉄道大臣を訴ったえる〕※参考
東京市世田谷区で、朝鮮人の女の子(7)が鉄道大臣に訴訟を起こした。昨年3.12、朝鮮に帰るために山陽線の列車に乗り、トイレに行こうとした時にトンネルに入ったが車掌が明かりを点けなかったため暗闇にびっくりして線路に転落、頭蓋骨骨折と左足を切断したため11,134円38銭の損害賠償請求したもの。
昭和14年(1939).3.5〔17歳が祖母を殺害〕
千葉県安房郡の山林で、工員(満17歳)が祖母(65)を崖から突き落とし、さらに石を縛りつけて川に放り込んで溺死させた。家のゴタゴタに嫌気が差した祖母が家を出たあとを追っかけてケンカしてカッとして突き落としたが、死んだと思って隠蔽を謀ったもの。警察には犯行を自供、裁判では一転して無罪を主張したが有罪となり、一審は少年法のため15年の求刑で、懲役10年の判決となった。
昭和14年(1939).3.7〔17歳(満15〜16歳)が主人に強盗〕
東京市下谷区のカフェーで、従業員(17)が女主人を包丁で脅して10円を強奪して逃走、3.15に浅草のビヤホールで逮捕された。
昭和14年(1939).4.1〔20歳(満18〜19歳)が書類偽造して大学入学〕
千葉県川崎市の法政大学で、4.1に受験して入学した1年生(20)が中学卒業証明書や成績表を偽造していたことが発覚、除名となって神戸市に逃走したが逮捕された。大阪の中学を2年で退学、働きながら独学で合格したが、入学資格がないため母校に侵入して用紙や校長の印を盗んでいたもの。
昭和14年(1939).4.6〔20歳(満18〜19歳)ニートが母親ら4人刺殺〕
岡山県岡山市の自宅で、長男(20)が突然母親(40)の喉をナイフで刺して殺害、遊郭に押し入り仲居(34)を刺殺、食堂でコック(33)と女給(33)を刺殺、駆けつけた巡査3人ら大勢を相手に暴れ回りコック2人も重傷としてから逮捕された。父親は工場事務員で、1年前に中学を卒業して高等商業学校の入試に落ちてから神経衰弱となっていた。
昭和14年(1939).4.14〔旧制浪速高等学校生83人がレストランで大暴れ〕
大阪府大阪市難波のレストランで、旧制浪速高等学校(現在の大阪大学)の生徒83人が暴れて逮捕された。新入生歓迎会で羽目を外して店員の制止も聞かなかったもの。一時間の説教で釈放。
昭和14年(1939).4.30〔女子医専生(満17〜18歳)がパーマネント叱かられ自殺〕
大阪府大阪市の自宅で、女子医学専門学校1年生(19)が服毒自殺した。医者の父親は厳格で、パーマネントをかけた長女を叱った直後。
昭和14年(1939).5.1〔16歳(満14〜15歳)がカッとして同僚刺殺〕
大阪府大阪市の八百屋で、店員(16)が同僚の腹を菜切り包丁で刺して殺害した。詰まらないことでケンカしてカッとしたもの。
昭和14年(1939).5.9〔17歳女子(満15〜16歳)らカップルが餓死心中未遂〕
群馬県高崎市の観音山断崖で、東京市本所区のおでん屋の5女(17)と千葉県千葉市の住職の長男で大正大学予科3年生(21)の2人が餓死自殺を図っていたが、発見されて命を取り留めた。結婚を反対されたもの。
昭和14年(1939).6.17〔15歳(満13〜14歳)が幼女2人連続殺人死体レイプ〕
千葉県印旛郡の路上で、工員(15)が小学2年生の女の子(9)をいきなり絞殺、死体を小学校裏の林に運んでレイプした。6.18に死体が発見されたが、この日に同じ村の小学4年生の女の子(11)を絞殺、死体を神社の裏山に運んでレイプしてからナイフで腹から胸まで割いて内臓が見える状態で放置、6.19に死体が発見された。6.21に警官に見つかり逃走したがすぐに逮捕。知能が低く、子供たちにも日頃からかわれており、3月には少女(16)を襲っていた。
昭和14年(1939).6.21〔商業学校5年生(満16〜17歳)ら2人が決闘で殴り殺す〕
兵庫県尼崎市の広場で、此花商業5年生(18)と男子(19)の2人が、尼崎中学5年生(17)の頭や顔をバットで殴って翌日死亡させて、傷害致死で逮捕された。この2人が尼崎中学4年生を殴ったため、バットと下駄で決闘をしたもの。
昭和14年(1939).6.24〔16歳(満14〜15歳)女子が同級生毒殺?〕
福岡県大牟田市の病院で、看護婦(22)が同僚看護婦を毒殺しようと弁当に昇汞をふりかけたが異臭のために食べずに失敗に終わり、この日に殺人未遂で逮捕された。好意を持っていた医者と同僚が親しくなったのを嫉妬したもの。
昭和8年10.11、病院付属産婆学校生徒の16歳だったときに、同級生女子(17)を毒殺したことも自供した。産婆検定試験に自分だけ落ちると体裁が悪いので亜砒酸をうどんにかけて食べさせたもの。急性肺水腫による病死として処理されていた。
ところが、1年後の裁判になると自供は強要されたものだと一転して否認、一審で懲役8年判決が出たが、二審では最初の毒殺は無罪、殺人未遂だけで懲役3年が確定した。
昭和14年(1939).7.4〔17歳(満15〜16歳)が主人を殺人未遂〕
東京市江戸川区の機械工場で深夜0時、工員(17)が主人(31)の頭や背中を小刀でめった刺しにして重体として自首した。多数の従業員の中で自分一人がいつも叱られることを恨んだもの。
昭和14年(1939).7.16〔18歳(満16〜17歳)が父親殺人未遂〕
東京市中野区で、長男(18)が父親(42)の妾宅に押し掛け、出刃包丁で妾(31)を刺し殺そうとしたが、父親が留めたためカッとして父親を二階から投げ落として頭蓋骨骨折の重体として逮捕された。父親は工員。
昭和14年(1939).7.30〔17歳(満15〜16歳)がズロース覆面強盗〕
東京府北多摩郡の小学校で深夜、少年(17)が女生徒のズロースで覆面をして押し入り、宿直の教師をナイフで脅して現金を強奪した。4時間前に素顔で現れた時には青年学校の生徒だと思った教師が宿直室に上げて1時間も話し込んでおり、覆面をしても服装が同じだったため教師はすぐに先ほどの少年だと気づいていた。8.1に立川町の信用組合に侵入して4円を奪い、8.2に飲食店に押し入って強盗未遂を起こして逃走し、すぐに逮捕された。
昭和14年(1939).8.16〔20歳(満18〜19歳)ら3人組が警官殺人して留置所脱走〕
大阪府豊中市の警察署で、窃盗容疑で留置されていた3人(20,56,59)が警官(29)を絞殺して脱走、8.27までに逮捕された。主犯の死刑と無期、20歳は懲役8年の判決。
昭和14年(1939).9.18〔18歳(満16〜17歳)ら学生数十人が東京駅で大乱闘〕
東京市の東京駅で夜9時、中野高等無線電信学校生と東京第一高等無線工科学校生の数10人(18〜20)が大乱闘、1人が匕首で刺されて重傷、5人が2,3週間の傷害、12人が逮捕された。両校は日頃から仲違いしていたが、中国に軍属として旅立つ者を送るため、ホームでかち合ったもの。
昭和14年(1939).9.18〔20歳(満18〜19歳)が宇垣大将暗殺未遂〕
北海道岩見沢町で、聖戦貫徹同盟員(20)が宇垣一成大将の暗殺を計画して特高に逮捕された。7.28に樺太視察の帰りに岩見沢を通った宇垣大将の列車にナイフを持って同乗したが未遂に終わっていた。宇垣大将が国家革新と聖戦遂行を邪魔していると考えたもの。
昭和14年(1939).9.25〔21歳(満19〜20歳)が同僚殺人〕
東京市牛込区の蓄音機針工場で、工員(21)が同僚(20)を殴って殺害、逮捕された。新入りの同僚が主人にかわいがられているのを恨んで酔ってケンカしたもの。
昭和14年(1939).10.24〔18歳(満16〜17歳)がカッとして隣家の奧さん殴り殺す〕
岩手県釜石市の釜石製鉄所社宅で、無職(18)が隣家の妻の頭を鉄棒で殴って10.27に死亡させ、傷害致死で逮捕された。弟と妹のケンカからカッとしたもの。
昭和14年(1939).10.25〔18歳(満16〜17歳)が面白半分で丸太を置いて列車転覆謀る〕
千葉県君津郡の踏切で、少年(18)が丸太を置いて、10.27に逮捕された。灯火管制で真っ暗なので、列車が転覆して面白いだろうと考えたもの。
昭和14年(1939).10.29〔17歳(満15〜16歳)が同僚殺人〕
東京市蒲田区の機械製作所で、見習い工(17)が同僚(16)の頭を木刀で殴って殺害、逮捕された。ケンカしたもの。
昭和14年(1939).10.30〔20歳(満18〜19歳)が同僚を殺人未遂〕
東京市浅草区の紙箱商店で、従業員(20)が同僚(20)の頭や胸をナイフで刺して重体として逮捕された。
昭和14年(1939).11.23〔18歳(満16〜17歳)ニートが親戚女性2人殺害して自殺〕
大阪府大阪市で朝6時、無職少年(18)が祭日の赤飯を炊いていた従姉妹の女工(20)の胸をいきなりナイフで刺して殺害、逃げようとした従兄弟(31)の妻(24)の背中から心臓を刺して殺害、叔母(55)の胸などを3回刺して重体として逃走、5百メートル離れた空き地で服毒自殺した。小卒後は結核のため仕事に就けず憂鬱症になっていた。大阪市に住んでおり、2日前に叔父宅を訪ねてきて泊まっていたが、昨日は父親の説教を受けていた。動機不明。
昭和14年(1939).11.26〔高等医学校2年(満19〜20歳)がケンカ刺殺〕
大阪府大阪市の路上で、大阪高等医学校2年生(21)が関西大学専門部2年生(20)をナイフで刺して殺害、逃走したが翌日逮捕された。女給を連れて歩いていると15人連れの関大生にからかわれてケンカとなったもの。一審二審とも懲役8年。
昭和14年(1939).11.28〔女学生(満13〜14歳)が出産して兄(満18〜19歳)と母親が赤ちゃん殺人〕
京都府京都市の自宅で、同志社高等女学校3年生(15)が、この日に病死した父親(59)の通夜の席で陣痛を起こして男の子を産んだ。驚いた母親(45)が赤ちゃんの口を塞ぎ、長男の同志社本科1年生(20)が窒息死させて遺体を父親の棺桶に入れたが、翌日の火葬中に作業員が発見して逮捕された。女学生は成績優秀でスポーツも得意、妊娠には学校も母親も本人も気づいていなかった。父親は京大講師も勤めていた医学博士の開業医で、体調がおかしいという娘を診察していたが、やはり妊娠には気づいていなかった。
昭和14年(1939).12.1〔4歳(満2〜3歳)が火箸を持って追っ掛け自分の顔に刺して死ぬ〕
山形県北村山郡の自宅で、3男(4)が隣家の女の子(7)がいたずらをしたと怒って、鉄火箸を持って追っ掛け回したが、つまずいて転んで火箸を頬に刺して12.4に死亡した。
昭和14年(1939).12.1〔女子師範学校1年生(満16〜17歳)ら2人が厳しい規律に反発して寮から家出〕
埼玉県浦和市の女子師範学校で、第一部5年生(20)と第二部1年生(18)が寮から家出、奈良や京都を見物して所持金を使い果たして京都駅待合室で途方に暮れているところを12.15に保護された。2人とも派手な性格で、学校と寮の厳格な規律に反発したもの。
昭和14年(1939).12.2〔同志社高等女学校3年生ら28人の桃色遊戯団〕
京都府京都市で、同志社高等女学校3年生13人と中学4年生15人の桃色遊戯団が逮捕された。喫茶店で集まってラブレターの交換などをしていたもの。教育者など中流以上の家庭ばかり。この日夜の京都府警による一斉不良狩りにより、京都帝大生、三高生、中学生、女学生などが大量に捕まって発覚した。同志社女学校生2人は退学処分。
昭和14年(1939).12.5〔15歳(満13〜14歳)が父親殺害〕
東京府調布村の自宅で、長男(15)が父親(58)の顔を斧で殴って殺害、近所の親戚に何者かが父を殺したと嘘を付いたが、警察の追及で自白した。病気で寝ている父親と焚き火のことでケンカしたもの。知能が低く放浪癖があるため学校も欠席が多く、現在は小学校4年生。父親は日雇いで、母親は7年前に死んでいる。
昭和14年(1939).12.6〔19歳(満17〜18歳)が路上で殺人〕
北海道函館市の繁華街路上で、列車食堂コック(19)が男性の左胸を肉切り包丁で刺して殺害、逃走したがすぐに逮捕された。
昭和14年(1939).12.8〔通り魔が少女の顔を刺す〕
宮城県志田郡の路上で夜10時前、20歳くらいの男が自転車に乗って、女中(20)の顔を刃物で刺して1ヶ月の重傷を負わせて逃走した。
昭和15年(1940).1.20〔小5(満11〜12歳)ら朝鮮人通り魔不良団7人組が女性数十人を殴る〕
大阪府大阪市で、小学5年生(13)3人、6年生(14)2人、工員(14,15)2人の7人組朝鮮人不良団が逮捕された。1.18に女工(23,24)2人を襲うなど、年末から毎日のように路上で若い女性数十人を殴っていた。他に映画のただ見や、電車の無賃乗車など。小6が団長。
昭和15年(1940).1.27〔24歳が女性の性器を刺す連続通り魔〕※参考
福岡県若松市の路上で夜9時、メッキ工(24)が主婦(23)の下腹部を匕首で刺して21日の重傷を負わせ、1.30の夜8時に女性(17,21)2人の下腹部を刺し重傷を負わせ、3.2と3.5には佐賀県大町駅前、4.27には福岡県戸畑市、11月には築上郡、翌年5月には直方市、長崎県などで女性の下腹部を次々刺して逃走した。昭和15年9月に覆面をして顔見知りの女性(22)に匕首を突きつけたが抵抗したため覆面が取れて顔を見られてしまい、慌てているうちに匕首を奪われて警察に行こうと云われたが、頼んで匕首を返してもらい逃げ帰ったことが発覚し逮捕された。
2年前に5歳年上の情の深い未亡人の女性教師と夫婦になったが、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまい、遊郭などでは性的満足が得られないので性器を刺すことにした。実直で真面目で温厚な小男で評判は非常に良かったが、被害者たちが刺されたことに気付かず下腹部を殴られたショックで生理になって出血しているだけと思って平然と立ち去り、自分も満足できるので「これはいいことを思い立った」と、大手企業の派遣で各地に仕事に訪れるたびに犯行を重ねたもの。
昭和15年(1940).1.28〔19歳(満17〜18歳)が職場で殺人〕
東京市板橋区の富士光学で、工員(19)がナイフで工員(21)の腹を刺して殺害、逮捕された。休憩室でケンカしたもの。
昭和15年(1940).2.1〔16〜17歳が連続カミソリ通り魔〕
兵庫県神戸市の路上で夜9時、16〜17歳くらいの学生服の少年が女工(20)の顔をカミソリで切って2週間の傷害を負わせて逃走、20分後に少女(19)を、さらに20分後に主婦(24)の顔をカミソリで切って2週間の傷害を負わせて逃走した。
昭和15年(1940).2.17〔18歳(満16〜17歳)ら4人組通り魔が少女刺殺〕
東京市渋谷区の路上で夜8時過ぎ、運送屋運転手(18)、電気工(19)、新興キネマ小道具係(20)、運送屋店員(21)の4人組が、洋裁学校女生徒(19)の太もも動脈をナイフで刺して殺害、1時間後に英語学校女生徒(22)に無言で切りつけて脣に3センチの傷をつけて逃走、3.27に逮捕された。主犯は1月に宮城県から勉学のために上京、新宿の喫茶店で他の3人と知り合い、路上強盗などを繰り返していたが、女性2人からは何も盗らずにただ刺している。
昭和15年(1940).3.3〔学帽マスク通り魔が女性切る〕
大阪府大阪市の路上で、学生帽にマスクの男が、女性事務員(21)の左胸を刃物で刺し、顔を切って逃走した。
昭和15年(1940).3.11〔少年通り魔が女性襲う〕
東京市新宿区の新宿駅改札口で、15〜16歳の中学生風の少年が、女性の服を刃物で切って逃走した。
昭和15年(1940).3.19〔幼児の猟奇殺人死体発見〕※参考
兵庫県神戸市の諏訪山裏の山林で、7歳くらいの男の子の死体が頭だけ出して埋められている状態で発見された。首に紐が三重に巻きつけられ絞殺されており、両腕が手首で切断されているが服には一滴の血痕もなく、死んでから服を着替えさせて死体を運んだらしい。死後一ヶ月ほど経っている。現場には絵本3冊とグリコの箱が置かれていたが身元不明。顔2カ所に傷付けられた跡があったため、昭和13年.1.2の諏訪山幼女惨殺事件との関連も考えられたが、迷宮入りとなった。
※犯人が捕まったかどうかご存じの方はご教示をよろしく。
昭和15年(1940).3.24〔19歳女子(満17〜18歳)が母親毒殺未遂〕
兵庫県武庫郡の農家で、女中(19)が母親(39)を殺害しようとネコイラズ入りの紅白まんじゅうを「おばさん一人でおあがりください」という手紙と共に無記名で郵送、4女(12)と長男(9)が食べて腹痛を起こし、逮捕された。命に別状はない。神戸市の家に住み込んで働いているが、未亡人の母親に悪い噂があることを知って毒殺を計画したもの。
昭和15年(1940).4.8〔中3(満14〜15歳)2人組が映画マネて連続盆栽切り〕
大阪府大阪市で、私立中学3年生(16)2人組が民家の庭の盆栽をいくつも切り取り、「風流に戯れる者は、この通りの天罰が当たる。われは赤頭巾の神様なり」という脅迫状を残して逃走、逮捕された。映画「赤頭巾」の影響を受けて、これまでも何件も同様の犯行を繰り返していた。
昭和15年(1940).4.17〔20歳(満18〜19歳)が無免許で幼女轢き殺す〕
東京市芝区の路上で、自動車修理工(20)が無免許で運転をしていて女の子(6)をはねて即死させた。
昭和15年(1940).4.17〔19歳(満17〜18歳)が嫉妬から職場で殺人〕
東京市向島区の鉄工場で、工員(19)がカナヅチで工員(16)の頭を滅多打ちにして殺害、自分の頭もカナヅチで殴って血まみれになり、30歳くらいの男にやられたと偽装した。重体となって入院したが、4.24に自白。年下なのに腕が良くて収入が多い同僚に嫉妬したもの。
昭和15年(1940).4.23〔16歳(満14〜15歳)が嫉妬して従姉妹の着物切り裂く〕
兵庫県神戸市の自宅で、長男(16)が離れに間借りしている三越百貨店勤務の従姉妹(24)の着物や羽織など18点360円相当を刃物でずたずたに切り裂いて逮捕された。従姉妹の許婚が戦地から帰ってくると聞いて嫉妬して、女性の「手足を切り落としてやる代わりに着物を切ってやった」と自供。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和15年(1940).4.29〔少年通り魔が女学生を空気銃で撃つ〕
大阪府大阪市の路上で夜8時、中学生風の15,16歳の少年が女学校5年生(19)の腹を空気銃で撃って1週間の傷害を負わせ逃走した。
昭和15年(1940).5.7〔商業学校3年生(満16〜17歳)2人が刺傷〕
東京市中野区の中野駅前で、昭和第一商業3年生(17,18)2人が日大二中生(17)の右腕をナイフで切って2週間の傷害を負わせて逃走したがすぐに逮捕された。日大二中生2人が通行中に「変な奴だナ」と云ったことにカッとしていきなり切りつけたもの。
昭和15年(1940).5.13〔20歳(満18〜19歳)が主人を殺人未遂〕
兵庫県神戸市の飲食業宅で深夜2時、従業員(20)が金を盗ろうと包丁2本を持って就寝中の主人(51)の部屋に侵入、主人が起きてきたため包丁で頭を刺して重体とし、駆けつけた隣人に取り押さえられた。
昭和15年(1940).6.14〔16歳(満14〜15歳)通り魔が主婦襲う〕
東京市中野区の路上で夕方6時半、少年(16)が主婦(22)の顔をカミソリで切って2週間の傷害を負わせて逃走したが、すぐに逮捕された。洗濯屋の3男。
昭和15年(1940).6.15〔20歳(満18〜19歳)がケンカで兄殺し〕
東京市滝野川区の自宅で夜10時、工員(20)が兄の会社事務員(22)の心臓を切り出しナイフで刺して殺害、すぐに逮捕された。給料をもらったので母親(46)に草履を買いに行かせたが帰りが遅いと言ったため、兄が怒ってケンカになったもの。
昭和15年(1940).6.25〔18歳(満16〜17歳)主婦が妊娠中に近所の幼女殺人〕
東京市城東区で、女工(18)が自宅裏の家に侵入して金目のものを物色中に、昼寝していた小学1年生の女の子(8)が目を覚まして顔を見られたため後ろ手に縛ってから帯で絞殺、何も盗らずに逃走、引っ越した千葉県銚子市の自宅で7.25に逮捕された。工員(21)の内妻で妊娠7ヶ月だが、夫が病弱で仕事を休みがちなので出産費用に困り、裕福な家を狙ったと自供。これまでも近所の家や職場の同僚から窃盗を繰り返していた。
昭和15年(1940).6.29〔21歳(満19〜20歳)警官が強盗〕
東京市淀橋区で夜10時、少年警官(21)が元の勤務先である会社に押し入り、宿直事務員に睡眠薬を染み込ませたガーゼで口をふさいだが叫んだため十手で殴って傷害を負わせて逮捕された。勤務中に色街に通い、性病となったため治療費を稼ごうとしたもの。東京地裁は懲役5年判決。少年警官とは昭和13年秋に警視庁に採用され昭和14年より勤務に就いた巡査の補助機関で執行権はない。
昭和15年(1940).6.30〔8歳(満6〜7歳)が小学校放火〕
兵庫県神戸市の小学校で、少年(8)が放火して校舍を全焼、7.17に捕まった。これまでも近所の民家に火を付けたりしていた。
昭和15年(1940).7.15〔女学生(満16〜17歳)ら10人の桃色グループ「ハートクラブ」〕
東京市淀橋区で、女学生(満16〜17歳)ら男女5人づつの桃色グループ「ハートクラブ」が逮捕された。男子学生のアパートを中心に遊び回っていたが、ひとりの女学生が男といるところを学友に見られてバレのを恐れ脱会を申し出ると相手の男子が顔に傷をつけてやると脅迫状を送っていた。親はまったく気づいていなかった。
昭和15年(1940).7.25〔19歳(満17〜18歳)が強盗殺人で死刑判決〕
奈良県吉野郡で、少年(19)が鉱山会計係男性を惨殺して1500円を強奪し逮捕された。徳島県出身で大阪府布施市に住んでいた。奈良地裁で求刑通り死刑判決。
昭和15年(1940).7.29〔私立工学校4年(満15〜16歳)が路上カナヅチ殺人〕
大阪府大阪市の路上で、私立工学校4年生(17)が中学4年生(16)の頭をカナヅチで殴って殺害した。7.23に夜店でケンカし、この日にたまたま会って中4がカナヅチで威嚇したので奪って逆襲したもの。
昭和15年(1940).8.1〔21歳(満19〜20歳)が恋人を列車から突き落とす〕
東京市の東北本線荒川鉄橋で夜10時前、国鉄駅員(21)が走行中の列車デッキから恋人(19)を突き落としたが、たまたまボート遊びをしていた男性に救われて命は助かり、翌日、勤務中の下十条駅で殺人未遂で逮捕された。妊娠したため別れたいと思い、浅草公園でのデートの帰りに殺害を謀ったもの。
昭和15年(1940).8.4〔20歳(満18〜19歳)が父親殺害〕
兵庫県明石郡の農家で、少年(20)が父親(52)をナタで殺害、逮捕された。父親が酒乱だったため。一審、二審とも懲役12年の判決。
昭和15年(1940).8.30〔17歳(満15〜16歳)が叱られ主人の妻を刺傷〕
東京市杉並区の建具職宅で、雇い人(17)が主人の妻をノミで刺して重傷を負わせて逃走したが、翌日逮捕された。仕事中におしゃべりをしていて叱られたためカッとしたもの。
昭和15年(1940).9.4〔20歳(満18〜19歳)がストーカー殺人未遂で自殺〕
京都府久世郡の農家で、京阪電車改札員(20)が4女(17)の帰宅を待ち伏せして頭を鈍器で殴り、父親(58)も何度も殴って逃走、路上でナイフを胸に刺して自殺した。2年前から片想いをして結婚を迫ったが相手にされず、無理心中を謀ったもの。
昭和15年(1940).10.〔中3(満15歳)5人が教師に石を投げつける〕
東京市の学習院中等科で、3年生(満15歳)5人が廊下を歩いていた化学教師に投石し、教師が倉庫に逃げ込むとさらに石を投げて倉庫の窓ガラスを何十枚も割った。全員が伯爵や子爵の子息。学習院院長だった野村吉三郎海軍大将は「なかなか元気のいいことをやったな」と一言云っただけで、1週間の停学処分となった。
首謀者の千家紀彦(青柳淳郎)は、祖父が東京府知事、司法大臣で出雲大社教創始者の千家尊福男爵。父親は大学教授で後の出雲大社管長。中2で煙草を吸って退寮処分となり、その後も授業をさぼって喫茶店でたむろするなど不良となっていたので化学教師に注意されて怨んでいたもの。自伝の
『背徳の家の子』に詳しい。同じ頃に、兄も厳しい父親に反発して中学退学で家出、親戚の三兄弟とともに銀座のミルクホールを拠点に毎日ケンカを繰り返す愚連隊となっていた。
昭和15年(1940).10.23〔小6(満11〜12歳)が鉄道自殺〕
東京市の田端駅付近で夜、小学6年生(13)が列車に飛び込み自殺。
昭和15年(1940).11.4〔女子医専生(満17〜18歳)が母親毒殺して自殺?〕
東京市芝区の自宅で深夜、帝国女子医学専門学校1年生(19)と母親(42)が服毒自殺した。医者だった父親は10年以上前に死亡して、遺産でふたりで暮らしていたが、非常に仲が悪く、昨晩も激しく口論していた。
昭和15年(1940).11.5〔19歳(満17〜18歳)が主人の妻を毒殺未遂〕
京都府京都市の薬剤師宅で、使用人(19)が主人の妻(44)の食事に劇薬を入れたが、異臭のため食べずに未遂に終わった。寝タバコをしているのを叱られて復讐に殺害しようとしたもの。
昭和15年(1940).11.11〔小学生が教師宅で詐欺〕
東京市牛込区の教師宅で、高等小学生の制服を着た14歳くらいの少年が訪ねて、校長の妻の葬式のため香典を届けるようにと教師から頼まれたと教師の妻(24)に告げて、5円を詐取して逃走した。
昭和15年(1940).11.25〔21歳(満19〜20歳)が老女強盗殺人〕
大阪府泉南郡で、工員(21)が工場警備員の妻(61)を誘き出して匕首で殺害、2円40銭を強奪、11.28に逮捕された。工場の経営者だと勘違いしたもの。
昭和15年(1940).12.19〔少年通り魔が少女刺す〕
東京市牛込区の路上で夜9時前、学生帽の17歳くらいの少年が、姉と歩いていた少女(17)の足を刺して3週間の傷害を負わせて逃走した。
昭和15年(1940).12.19〔16歳(満14〜15歳)が斧で強盗殺人〕
大阪府大阪市で、少年(16)が民家に押し入り、就寝中の工員(31)を斧で殴り殺して逃走、12.28に逮捕された。広島県出身。
昭和16年(1941).1.7〔19歳(満17〜18歳)がケンカで刺殺〕
東京市江戸川区の路上で無職(19)が鳶職とケンカし、短刀で刺殺して逃走したが翌日逮捕された。前科4犯。
昭和16年(1941).1.8〔21歳(満19〜20歳)ら2人が同居人めった切り〕
東京府八王子市で男性(18)が全身をめった切りにされて重体となり、姿を消した同居人の30歳と21歳の2人の男が指名手配となった。
昭和16年(1941).1.27〔21歳(満19〜20歳)の改札員が酔った乗客を傷害致死〕
東京市の省線の亀戸駅で深夜1時30分、改札員(21)が酔っぱらった千葉県市川市の保険外交員(47)に顔を殴られ、カッとして腹を蹴って殺害した。
昭和16年(1941).1.28〔18歳(満16〜17歳)ら4人が脱走〕
東京市杉並区の日本少年指導会で、収容されていたスリ常習犯の18歳ら4人が脱走した。
昭和16年(1941).1.29〔18歳(満16〜17歳)ら学生5人がケンカでナイフで刺す〕
東京市本所区の路上で、18,9歳の学生服の5人組が予備校生4人とケンカとなり、予備校生(18)をナイフで刺して2週間のケガを負わせた。
昭和16年(1941).2.1〔中4(満16〜17歳)ら4人組がケンカで刺殺〕
東京市中野区の路上で夜9時30分、中学4年生(18)4人組が日大二中4年生(18)とケンカとなり、ナイフで頭を刺して日大二中生を殺害、翌日逮捕された。
昭和16年(1941).2.7〔19歳女子(満17〜18歳)が親戚に刺傷〕
東京市世田谷区の鹿児島県選出の山元亀次郎代議士宅で深夜3時過ぎ、就寝中の女中(17)が顔と首を肉切り包丁で切られた。強盗の仕業と思われたが、じつは同じ部屋に寝ていた親戚の女(19)が病気を悩んで発作的に犯した犯行だと判明した。
昭和16年(1941).2.15〔19歳(満17〜18歳)が子供はねる〕
東京市小石川区で、店員(19)が運転を誤ってオート三輪が屋台に突っ込み、さらに小学3年生の女の子(11)とおんぶしていた背中の子供など、数人をはね飛ばした。
昭和16年(1941).2.25〔小学校教師が生徒を体罰で殺害〕※参考
福岡県筑紫郡の小学校で、教師(35)が5年生(12)の頭を竹鞭で叩いたが、生徒はそのまま倒れて1時間後に死亡、教師はすぐに逮捕された。授業中に同級生の席まで歩いていっていたずらをしたためカッとなって体罰を加えたもの。当初は宿題を忘れたので叱ったが態度が悪かったためと嘘の供述をしていた。学生時代は短距離選手として有名で、無口でおとなしい性格。この小学校の校長の甥だった。成績優秀な生徒で、中学入試合格のために日頃からとくに叱咤激励していたと自供。この生徒の妹(7)が2.22に病死して昨日に葬式を済ませたばかりのことだった。
傷害致死で懲役3年を求刑されたが、6.13に福岡地裁は教育的熱情と改悛の情は認められると懲役1年6ヶ月の判決。控訴せずに確定。
県学務課長・談「懲罰の意味で児童をしばらくの間立たしておく程度の体罰を加えることは認められるが体を殴るというようなことは絶対にいけない、この旨は校長からも平素よく伝えてあったということである、熱心のあまりとはいえまことに遺憾なことで、同校には一応注意するつもりだ」(談話は福岡日日新聞引用)。
※戦前の学校では体罰が絶対禁止だったことについての、管理人による解説は
こちらをご覧ください。
昭和16年(1941).3.1〔20歳(満18〜19歳)ら2人組が強盗〕
東京市四谷区で、2.26に盗んだ自動車で強盗を繰り返していた映画ライト係(20)と店員(26)の2人組が3.1に逮捕された。2.27に銀行から出てきた女性を狙ってドライバーで頭を刺して1ヶ月の重傷を負わせてハンドバッグを盗むなど、窃盗や空き巣数十件、1万円を稼いでいた。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).3.2〔18歳(満16〜17歳)が勲章偽造して見せびらかせる〕
千葉県の千葉駅前で、挙動不審の山武郡の農家の三男(18)を職務質問すると、大勲位勲章とモーニング服を風呂敷に包んで持っていた。2日間取り調べると昨年の6月に軍医中将の子息であると騙して彫刻師に制作させて友人に自慢していたことを自供した。また、6百円を横領して11月に勤め先をくびになっていた。
昭和16年(1941).3.14〔18歳(満16〜17歳)ら5人組がケンカで刺殺〕
東京市杉並区の路上で、運転手や工員(28〜22)と工員(18)の5人組が、日頃から対立していた工員とケンカとなってナイフで刺殺してすぐに捕まった。
昭和16年(1941).3.17〔17歳(満15〜16歳)ら4人組がケンカで同級生殺人未遂〕
兵庫県神戸市の路上で夜9時半、青年学校生徒4人(17〜19)が同級生(17)を殴って脳底骨折の重体とした。下校中にケンカしたもの。
昭和16年(1941).3.26〔26歳が18歳(満16〜17歳)少女を1ヶ月監禁して殺害〕※参考
熊本県飽託郡の農家で、男(26)が刑事と偽って訪れて、のぞき犯の確認をしてもらいたいと3女の電話局員(18)を連れ出し誘拐した。熊本市の物置小屋に1ヶ月監禁、一度もフロに入らせずに連日レイプし、4.26に薪で頭を殴って殺害、路上に死体を捨てた。警察の全戸ローラー作戦で5.24に逮捕。少女は評判の美人だった。
1.13には農家に押し入って娘を強姦して母親から98円を強奪するなど、レイプ事件を繰り返し、昨年12.8には中尉と偽って兵舍に侵入し、兵隊77人を深夜に叩き起こして叱り付けて貴重品を取り上げて逃走するという事件も起こしていた。この年の銀行員大卒初任給75円。昭和18年死刑執行。
昭和16年(1941).3.29〔20歳(満18〜19歳)がケンカで同僚刺殺〕
東京市世田谷区で、工員(20)が同僚(21)とケンカしてナイフで腹を刺して殺害した。
昭和16年(1941).4.4〔子供が丸太置き列車脱線させる〕
東京府南多摩郡の国鉄横浜線で、子供が線路上に丸太を置き、列車が脱線した。死傷者はなし。
昭和16年(1941).4.8〔東大入学式で父兄同伴〕※参考
東京市の東京大学で、40年ぶりに入学式が執り行われたが、新入生2千人に対して、2千人の父兄が同伴して出席した。
「新入生が春陽を受けて三々五々父母や兄姉に付添われて正門をくぐる風景はちょっと国民学校入学式と似かよった感じである」(東京日日新聞引用)
昭和16年(1941).4.9〔18歳(満16〜17歳)が駅で強盗〕
東京市京橋区の地下鉄京橋駅で、無職(18)が切符売り場の係員(18)を脅して12円を奪って逃走、4.12に逮捕された。
昭和16年(1941).4.13〔18歳くらいの少年が路上で詐欺〕
東京市麻布区の路上で、18歳くらいの学生服の少年が、漬物屋で買い物した帰りの女子(15)に店員だと名乗って小銭が必要だから両替させてくれと5円を詐取して姿を消した。
昭和16年(1941).4.15〔不良団「立川防犯青年倶楽部」40人逮捕〕
東京府立川市で、不良団「立川防犯青年倶楽部」40人(うち女子4人)を逮捕。窃盗、暴行、傷害など。
昭和16年(1941).5.4〔20歳(満18〜19歳)ら父子がケンカで傷害〕
東京市向島区の路上で、無職(20)が隣の家のゴム工員(24)と弟(21)とケンカになって、無職の父親(45)がカナヅチで頭を殴って兄弟に重傷を負わせた。
昭和16年(1941).5.5〔21歳(満19〜20歳)ふられた女給と無理心中図る〕
東京市芝区の喫茶店で夜11時前、工員(21)が女給(19)の心臓をナイフで刺して殺害、自分の腹を刺して自殺しようとしたが命を取り留めた。恋人だったが数日前にふられて逃げられ、追い掛けてきたもの。
昭和16年(1941).5.7〔18〜19歳が小学生女子に通り魔〕
兵庫県神戸市の路上で夜9時、18〜19歳くらいの学生服の少年が女の子(12)のお尻を刃物で切って10日間の傷害を負わせて逃走した。
昭和16年(1941).5.8〔20歳くらいの通り魔が女性襲う〕
神奈川県横浜市の路上で、20歳くらいの男が女給(25)を襲って猿ぐつわをかまそうとしたが通行人が来たため逃走した。
昭和16年(1941).5.18〔18歳(満16〜17歳)がケンカで刺傷〕
東京市板橋区の会社で、工員(18)が同僚(24)の腹をノミで刺して重傷を負わせてすぐに逮捕された。詰まらないことからケンカしたもの。
昭和16年(1941).5.20〔14歳(満12〜13歳)ら女学生9人が不純異性交遊や援助交際〕
東京市杉並区高円寺のピンポン倶楽部店で、女学生(14〜18)7人、女学校卒業生(18)、喫茶店女給(17)ら女子9人が、1月に慶応、明治、日大ら大学生9人、中学生11人、会社員など男25人と知り合い、半年近く不埒な交際を続けていて男女全員逮捕された。女学生(18)は学校を休んで5日も大学生のアパートに泊まり、女学校1年生(14)ら5人は高円寺の帽子店経営者(60)や土地ブローカー(58)に小遣いをもらって何度も身をまかせるなど外泊を繰り返していたが、「お友達の家に泊まる」と嘘をついて両親も学校もまったく気づいていなかった。男女とも裕福な家庭の子女ばかり。警察への投書で発覚。
村松翼賛会国民生活動員本部長談「(前略)その一つの問題に私は男女間の交際の基準の欠如ということをあげたい、新しい日本的な男女交際の作法、国民訓練の基準が、たてられていない所にあると思う、成程、男女交際は一般的には今なお禁止されている形になっているが実際はつきあっているというのが現状だ」
補導協会常務理事藤岡眞一郎氏談「不良化の第一歩は登校や帰宅の時間が区々になって来ることです、所定の時間に帰って来ぬ日が出始めたら、親達は十分気をつけて戴きたい、「友達のところへ泊った」と称して盛んに外泊したとのことですが、どうして親がその点をもっと注意して監督しなかったのでしょうか、年頃の娘が時々他所の家に泊まって来る…これに不審を抱かぬ親は余程暢気な親です(後略)」(談話は東京朝日新聞引用)
青少年専門の心理学者・青木誠四郎氏談「いままではともすれば常軌を逸しがちな甘い考えの娘たちを社会や親がきびしく監督することで辛うじて支えていたのだが、近ごろは忙しいのか自信を失ったのか社会も親も若い人たちを監督することがたしかにおろそかになっている」(読売新聞引用)
昭和16年(1941).5.23〔足利高女不正入試事件〕※参考
栃木県足利市の県立足利高等女学校で、教諭3人が贈収賄で逮捕された。
教諭(47)が保護者16人から現金40円、商品切手145円、その他40円を受け取り、2年間に渡り入試で不正を行い、この日に足利区裁判所で懲役6ヶ月判決を受けた。
教諭(47)が保護者から現金78円を受け取り、入試で不正を行い懲役2ヶ月執行猶予2年追徴金78円判決。
斡旋者の主婦(47)も懲役6ヶ月判決。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).5.28〔銀座の不良狩 朝日新聞引用〕
築地署では27日夜6時から12時迄、銀座の不良青少年の一斉取締を行った、捕まった不良は48人、兇器は西洋剃刀唯一つという意外さだが、学生の風紀は依然悪く、婦女子を追いかけていたもの、泥酔して喧嘩していた者等15名が検束され、銀座の不良の三分の一は学生と云う面白からぬ数字が出た、また女学生、未成年者の喫煙者は22名で最高、13名が留置された(朝日新聞昭和16年5.28引用)
昭和16年(1941).6.3〔拓大生13人が縄張り争いで傷害〕
東京市豊島区の路上で、拓殖大学生13人が不良同士の縄張り争いで2人を日本刀で切って3週間の傷害を負わせて6.5に逮捕された。
昭和16年(1941).6.7〔14歳(満12〜13歳)ら不良少年団50人以上が逮捕〕
東京市荒川区で、工員(16)をリーダーとする不良少年団(14〜18)50人以上がゆすりや傷害で逮捕された。国民学校高等科生(現在の中学生に相当)や工員などで、国民学校で傷害事件を起こして発覚したもの。
昭和16年(1941).6.12〔職工学校2年(満13〜14歳)がケンカ仲裁者を刺殺〕
兵庫県神戸市の路上で夜8時、職工学校2年生(15)が少年(17)の胸を小刃で刺して殺害、逮捕された。別の友達とケンカしているのを少年が仲裁しようとしたもの。
昭和16年(1941).6.13〔教師(満31〜32歳)が生徒を体罰で殺害〕※参考
福岡県筑紫郡の小学校で、教師(33)が生徒を体罰で殺害し、傷害致死で懲役3年を求刑されたが、6.13に福岡地裁は情状酌量の余地があると懲役1年6ヶ月の判決。
昭和16年(1941).6.13〔20歳(満18〜19歳)が父親と妹に傷害〕
東京市滝野川区の自宅で朝5時、次男(20)が就寝中の妹(18)の頭を殴り、留めようとした会社員の父親にナベを投げつけて頭に20日間の傷害を負わせて逃走した。精神異常で監視中だった。
昭和16年(1941).7.4〔中1(満11〜12歳)が日本刀盗む〕
神奈川県横浜市の金沢文庫で、中学1年生(13)が展示されていた日本刀2本を盗んで刀剣店で90円で売り、横浜駅で別の日本刀を所持しているところを逮捕された。宮城県伊具郡から家出していた。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).7.11〔僧侶(満19〜20歳)が芸妓殺し〕
富山県上新川郡で、僧侶(21)が料亭に強盗のため押し入り、芸妓(20)を出刃包丁で殺害、もう1人の芸妓(20)に重傷を負わせて、8.23に巡査に捕まったが、隙を見て手錠のまま逃走、翌日に自宅で逮捕された。富山地裁では心神喪失を主張したが、検事は懲役12年求刑。
昭和16年(1941).7.16〔28歳(満26〜27歳)が女に振られて連続通り魔殺人〕※参考
和歌山県和歌山市の路上で夜10時半、男(28)が風呂帰りの主婦(31)の顔や胸など5ヶ所を匕首で滅多刺しにして2ヶ月の重傷を負わせて逃走した。9.26の夜11時半に路上で、料理屋仲居(34)の目の上を刺して2週間の傷害を負わせ、40分後に宿屋女中(33)の首や顔など15ヶ所を滅多刺しにして殺害、20分後に芸妓(26)の首や顔など6ヶ所を刺して3週間の傷害を負わせて逃走、翌日逮捕された。5年前に別の料理屋仲居に結婚を迫ったが拒絶して姿を消したため女は人を騙す悪いものだと思い込んだもの。
昭和16年(1941).7.28〔17歳(満15〜16歳)がケンカで刺傷〕
東京市麹町区の路上で夜10時過ぎ、少年(17)が少年(18)とケンカして胸を刺して重傷を負わせて逃走した。
昭和16年(1941).8.3〔少年が偽刑事詐欺〕
東京市渋谷区の東横百貨店で、16〜17歳の学生服の少年が、少年(15)に「刑事の父親を手伝って犯人を捜している」と住所と貯金額を訊き出し、翌日、世田谷区の自宅にやってきて、郵便局で貯金82円を引き出させて取り調べると詐取して逃走した。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).8.22〔通り魔が姉妹襲う〕※参考
東京市世田谷区の路上で夜10時過ぎ、20歳前後の男が、映画から帰宅中のタイピスト(25)と妹(20)の胸を刺して傷害を負わせた。
昭和16年(1941).8.24〔17歳(満15〜16歳)がデパートで飛び降り自殺〕
東京市豊島区巣鴨の白木屋百貨店で、見習い工(17)が5階から飛び降りて重体となった。
昭和16年(1941).8.26〔中2(満13〜14歳)が空気銃で無差別に撃つ〕
東京市渋谷区道玄坂で、中学2年生(15)が通行中の博士夫人(41)と娘(17)を空気銃で撃って、腕と額に傷害を負わせて逮捕された。オモチャ屋の次男で、店の2階から通行人を無差別に何人も撃っていた。警察署で説教されただけで、その日のうちに家に帰された。
昭和16年(1941).9.13〔少年が路上強盗〕
東京市板橋区の路上で夜11時前、15〜16歳の学生服の少年が、主婦(42)に「金を出せ」と脅したが、悲鳴を上げると顔を殴って逃走した。
昭和16年(1941).9.15〔17歳(満15〜16歳)がケンカで刺傷〕
東京市目黒区のミルクホールで、少年(17)と大工(18)とケンカして、匕首で腹を刺して1週間の傷害を負わせて逃走、すぐに逮捕された。靴屋の長男。
昭和16年(1941).9.21〔15歳(満13〜14歳)ら2人が路上強盗〕
東京市渋谷区の路上で夜8時、少年(15)と男(21)の2人組が、中学2年生(15)の顔を殴って50銭と腕時計を強奪して逃走、9.26に逮捕された。深川区の司法少年事業服業治産会から脱走していた。
昭和16年(1941).9.21〔少年が偽刑事詐欺〕
東京市上野駅前の路上で、15〜16歳の少年が、中学生2人に「刑事の父親に君たちを取り調べるから連れてこいと言われた」と4円20銭入りのサイフを詐取して逃走した。
昭和16年(1941).10.3〔19歳(満17〜18歳)ら20人以上が祭で乱闘、1人刺殺〕
神奈川県相模原町の神社で夜9時、少年(19)ら20人以上が祭で足を踏んだことから大乱闘となり、工員(25)が男(21)を刺殺、全員逮捕された。
昭和16年(1941).10.6〔子供達が電車に投石〕
京都府京都市で、子供達が電車に投石して、乗客の教師(32)の頭に1週間のケガを負わせた。
昭和16年(1941).10.10〔20歳(満18〜19歳)がケンカで同僚刺殺〕
東京市城東区の飲食店で深夜0時、店員(20)が、同僚(20)を刺殺、逮捕された。詰まらないことでケンカして、調理場の包丁で大腿部を刺したもの。
昭和16年(1941).10.10〔20歳(満18〜19歳)日向の殺人鬼3人殺害〕
宮崎県児湯郡都農町で、鍛冶職人(20)が強盗に入り、寝ていた主人を殺害し長男(19)に重傷を負わせて現金60円と通帳を盗って逃走、23日には同じ町内の農家に押し入り、寝ていた夫婦をクワで殴り殺し現金50円と通帳を盗って逃走、11.6に長崎で逮捕された。勤め先の金を使い込み、バレないように穴埋めしようと、故郷で強盗を働いたもの。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).10.10〔中学生がスパイ活動〕
兵庫県神戸市で、中学生が機密を外国に売ろうとして憲兵に国防保安法違反で逮捕された。資産家の一人息子だが、16歳から色街に出入りして金に困り、映画や小説の影響もあってスパイで金を稼ごうと、5月より大阪の中学からたびたび神戸にやって来ていた。一人息子で甘やかされていた。
昭和16年(1941).10.11〔高等学校教授が裏口入学で賄賂〕※参考
東京市目黒区の東京府立高等学校で、教授の農学博士(48)が試験委員長だったときに芝区の資産家の次男の入学試験で1200円を受け取り涜職罪で懲役1年が求刑されたが、懲役10月執行猶予2年の判決が東京区裁判所でこの日に出された。府立高等学校では昭和4年の創設以来、入学選考に操作を加える「特殊銓衡」というのが行われていたことも自供していた。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).10.12〔小学校校長が万引き〕※参考
茨城県久慈郡の額縁屋で、多賀郡の小学校校長(50)が額入りの風景画(3円50銭相当)を万引き、自転車で逃走したが店主に取り押さえられた。10.10にもこの店で風景画を盗んで自宅に飾っており、醤油一升も盗んでいた。月給八百円をもらい、妻とふたりの息子も教師なので裕福だったが、無賃乗車もしていたことを自供。精神異常が疑われたが正常と判明し、時局がら教育への影響を考えてその日に釈放された。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).10.26〔17歳(満15〜16歳)ニートが一家皆殺しを謀り幼い甥と姪殺人〕
茨城県真壁郡の農家で深夜3時、4男(17)が就寝中の長兄夫婦(38,27)をナタで殴って重傷を負わせ、次兄(28)の長男(9)と長女(1)の2人を殺害、逃走したが周辺住民総出で警戒中の4時に戻ってまた長兄の頭をナタで殴って逃走、昼に逮捕された。
小学校では級長も務めており、昨年に小学校高等科(現在の中学に相当)を優秀な成績で卒業したが農作業もせずにぶらぶらして、読書をしながら思索に耽って創作に熱中、兄に叱られていた。同じ村の少女(17)に恋文を贈ったが相手にされず、10.25の夜に少女に逢おうとして家族に追い返され、深夜0時に友人宅で青年団服を借りてゲートルをつけ遺書を書いてから、深夜2時に隣家で日本刀を借りようとして断られている。犯行後の朝6時に少女に逢おうとして家族に怒鳴りつけられナタを投げつけて逃げ、カミソリを所持してうろうろしているところを見つけられた。
祖父から血族結婚が続いている血統を断絶するため、次兄の次男(3)だけを後継として残し、母親(58)、弟(14)を含めた一家皆殺しにして少女と無理心中をする計画で、「世間では自分を早熟だとか変態とかいうかも知れない、また悪鬼の仕業といわれることも覚悟している」と自供。父親はすでに死んでいる。当初は精神異常と考えられたが、検事は取り調べでまったくの正常と判断した。
昭和16年(1941).10.29〔少年通り魔が女性襲う〕
東京市世田谷区の路上で夜7時、自転車に乗った18〜19歳の少年が、女中(20)の喉を切って2週間の傷害を負わせた。
昭和16年(1941).11.8〔17歳(満15〜16歳)が警官2人襲う〕
東京市渋谷区の路上で深夜2時、少年(17)が警官(24)に不審尋問されるといきなりナイフで背中を刺して1ヶ月の重傷を負わせて逃走、捜索の警官(26)に見つかってナイフで背中を刺して1週間の傷害を負わせたが逮捕された。川崎市の興亞院に収容されていたが10.1に脱走、時計7個と現金230円を持っていた。
昭和16年(1941).11.8〔日大2年生(満18〜19歳)がケンカで刺殺〕
東京市神田区の路上で昼12時、日本大学2年生(20)が日本大学専門部3年生(22)の腹を匕首で刺して殺害、すぐに逮捕された。詰まらないことでケンカしたもの。
昭和16年(1941).11.9〔学生強盗〕
神奈川県川崎市の病院で、20歳くらいの学生服の男が押し入り、女中(18)の胸や手を刺して1ヶ月の重傷を負わせて逃走した。
昭和16年(1941).11.10〔17歳(満15〜16歳)が故郷に帰りたくて放火〕
東京市豊島区の飲食店で、この店の女中(17)が放火、2階を半焼して逮捕された。ホームシックによるもの。
昭和16年(1941).11.24〔中4(満15〜16歳)が学校放火〕
新潟県高田市の中学校で、4年生(17)が放火、校舍を全焼させて11.26に逮捕された。試験を逃れようと9.29にも放火していたことを自供した。
昭和16年(1941).11.25〔19歳(満17〜18歳)が学校放火〕
新潟県南蒲原郡の加茂農林学校で朝4時、4年生(19)が放火、12.3に逮捕された。女学生に恋文を送ったことがバレて5日間の謹慎処分を受けたため卒業が難しくなり、鉄道自殺を図ったが失敗、火を付けて通報することによって汚名返上を計画したが校舍を全焼させてしまったもの。父親は元青年学校教師、母親も元小学校教師で、ささいなことでよく叱れていた。成績は最下位で、友達はいなかった。懲役8年が確定。
昭和16年(1941).12.1〔18歳(満16〜17歳)が職員切りつけ脱走〕
埼玉県浦和市の保護施設・埼玉自彊会で、少年(18)が職員(20,23)2人に刃物で切りつけて重傷を負わせて脱走、穴蔵に隠れていたが刑事と格闘のすえに12.3に逮捕された。
昭和16年(1941).12.3〔19歳(満17〜18歳)が強盗〕
神奈川県横浜市の会社員宅で、工員(19)が押し入り主人に刃物を突きつけて現金7円を強奪して逃走したが、その日のうちに逮捕された。酒や風俗店に通い詰めて金に困ったもの。
昭和16年(1941).12.4〔明大生3人が路上強盗〕
東京市四谷区の路上で夜10時過ぎ、明治大学生3人が早稲田大学3年生(23)に「金を貸せ」と顔を匕首で切って2週間の傷害を負わせた。
昭和16年(1941).12.22〔16歳(満14〜15歳)が教室で同級生射殺〕
大阪府吹田市の紡績工場内青年学校で、本科2年生(16)が同級生(17)の腹を撃って射殺した。軍事教練の訓練銃を教室で手入れしていた時に、銃を突きつけ「撃つぞ」と脅してから撃ったもの。使用済みの空砲を入れたつもりだったと自供。
昭和16年(1941).12.31〔35歳(満33〜34歳)が遊郭で6人斬り〕※参考
兵庫県神戸市の福原遊郭で夜8時半、手伝人夫(35)が通行中の男性客(20,21)2人の背後からいきなり日本刀で10ヶ所切って瀕死の重傷を負わせ、遊女屋に押し入って従業員男性(22)、従業員女性(38)、主人(41)、従業員男性(27)を滅多切りにして重傷を負わせたが、最後に切った従業員男性に日本刀を奪い取られて表に逃げ、植木鉢などを投げて暴れているところを駆け付けた警官に逮捕された。二年前にこの遊女屋の遊女から金を脅し盗って恐喝罪で捕まったことを怨み、最近神経痛になって生活も苦しくなり自暴自棄になったもの。最初に切られた男性客と従業員女性は生命危篤。
昭和17年(1942).1.1〔17歳(満15〜16歳)が親戚老婆を強盗殺人〕
兵庫県氷上郡の雑貨屋で午前4時、少年(17)が女性経営者(67)を木槌で殴り殺し、現金26円を強奪して逃走、1.3に朝来郡の自宅で逮捕された。12.29に20円のカメラを買ったが支払に困り、親戚の女性を訪ねて泊まって襲ったもの。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和17年(1942).1.22〔少女を襲う少年通り魔〕
東京市向島区の路上で、少女が18歳くらいの丸刈り頭、国防色の職工服の少年に小刀のようなものでお尻を刺され、10日間のケガを負った。
昭和17年(1942).1.23〔高1(満18歳)が授業中に配属将校殴る〕
京都府京都市の第三高等学校で、文科甲類1年生(満18歳)が、配属将校の予備役大佐(満54歳)の胸を銃の台尻で殴った。軍事教練中になかなか整列しなかった生徒を大佐が鞘のままのサーベルで何度も殴っているのを見かねて「バカヤロー」と怒鳴り、「誰だ、出てこい」と云われたので「キサマのような軍人はこうしてやる」と突進して殴り、追い掛けられたが学校外に逃走したもの。2.2に退学処分。
この大佐は昭和12年7月にも配属先の同志社大学予科で、キリスト教と自由主義を排撃するため生徒を煽動してチャペル籠城事件を起こしており、憲兵隊や軍上層部も生徒に同情し、大佐も他校に転属となった。
※秦郁彦
『旧制高校物語』や、
『あんそろじい旧制高校 第3巻』に詳しい。
昭和17年(1942).1.28〔17歳(満15〜16歳)が強盗殺人〕
愛知県額田郡で深夜1時、少年(17)が近所の農家に侵入、就寝中の女性(61)の頭をカナヅチで滅多打ちにして殺害、逃走したが3.3に逮捕された。金遣いが荒く、近所で窃盗を繰り返していたが、若いということで大目に見られて誰も警察に届けていなかった。女性宅にも金目当てで押し入ったが、動いたので起きたと思って襲ったもの。
昭和17年(1942).2.2〔17歳(満15〜16歳)が友人殺害〕
東京市城東区の路上で、鋳物工が友人の鋳物見習い工(17)と銭湯に行った帰りに遊びの誘いを断って口論となり、レンガのようなもので頭を殴られ殺害された。見習い工はすぐに逮捕された。
昭和17年(1942).3.3〔17歳(満15〜16歳)が窃盗放火〕
富山県富山市の病院で深夜3時、少年(17)が侵入、入院患者の持ち物や医療器械を盗み、犯行を隠すために放火して逃走、患者が気づいて消火したためケガ人は出ず、すぐに逮捕された。薬屋の5男で、小学校高等科2年で中退、遊興費のために窃盗を繰り返していた。
昭和17年(1942).3.12〔小学校教師が万引き〕※参考
岩手県盛岡市のデパートで、小学校教師が万引きで逮捕された。昨年の8月から50点、数百円相当を盗んでいたことを自供。3.14に学校を解雇された。
昭和17年(1942).4.3〔21歳(満19〜20歳)が父親殺人未遂〕
茨城県東茨城郡の自宅で、土木作業員(21)が父親(51)を丸太で殴って重体とした。素行の悪さを叱られてカッとしたもの。
昭和17年(1942).4.6〔17歳(満15〜16歳)が祖父を強盗殺人〕
長野県埴科郡の農家で夜10時、少年(17)が押し入って祖父(77)の頭を丸太で滅多打ちにして頭蓋骨を打ち砕いて殺害、貯金通帳を強奪して逃走、4.24に満州国新京で逮捕された。
父親は死んでおり、東京市王子区で母親とふたり暮らし。1年前に高等小学校を卒業して工員となったが不良となって1か月前に家出、各地で窃盗や詐欺を繰り返し、祖父が金を持っていることを知っていたため最初から強盗目的で侵入したもの。
昭和17年3月に施行された戦時刑事特別法で二審のみの裁判となり、強盗は二審だが、尊属殺人は戦時刑事特別法に関係ないと三審請求の訴訟を起こし、大審院(現在の最高裁)で棄却された。
昭和17年(1942).5.29〔18歳(満16〜17歳)が雇い主の妻殺害〕
東京市荒川区の薬局調剤室で、雇人(18)が主人の妻を殺害、逮捕された。新潟県の農家の四男で、この家の主人の従兄弟に当たる。食事の不満から台所の出刃包丁で頭をめった切りにしたもの。
昭和17年(1942).7.5〔18歳(満16〜17歳)が強盗〕
東京市杉並区の民家で深夜3時過ぎ、少年(18)が押し入って主人を脅したが、機転を効かせた妻が交番に通報してすぐに逮捕された。仲間(33)と2人で杉並を荒らし回っていたもの。
昭和17年(1942).7.10〔16歳(満14〜15歳)女子ニートが幼女殺害〕
東京市目黒区の路上で、無職女子(16)が近所の女の子(4)を絞殺、翌日死体が発見され、7.13に逮捕された。いっしょに買い物に行った帰りに女の子がぐずり出したので、泣きやまそうと首を絞めたが力が入りすぎて殺してしまい、草むらに放置したもの。高等小学校1年(現在の中1に相当)で中退し、大工の親の元でぶらぶらしていた。
昭和17年(1942).7.30〔19歳(満17〜18歳)が幼女レイプ殺害〕
兵庫県美嚢郡別所村(現在の三木市)で、少年(19)が小学6年生の女の子(13)をレイプして絞殺した。翌年2.10に逮捕。知的障害のためまともな自供を得ることができなかったが、慎重な取り調べの結果、少女11人を強姦していたことが明白となり4.1に送局。
昭和17年(1942).8.5〔20歳(満18〜19歳)らが自分の店から大量窃盗〕
神奈川県中区伊勢佐木町のいさみ屋呉服店で、店員(20〜30)6人が蒲田、上野支店から銘仙錦沙など750点(1万5千円相当)を盗み出し、売った金で豪遊していて逮捕された。のちに蒲田、上野支店の主任も5千円相当を盗み出して金にしていたことが判明した。
昭和17年(1942).8.27〔16歳(満14〜15歳)が殺人〕
東京市品川区の工場の寄宿舍で、見習い工(16)が同僚(17)と些細なことからケンカしてナイフで胸を刺して殺害した。
昭和17年(1942).8.31〔警視庁不良少年狩り〕
東京の警視庁は青少年犯罪の増加に対応するため不良少年の一斉取締を行い、2万2千人を検挙し1857人を送致、押収した凶器は千前後となった。傾向としては○凶器所持の増加。○浮浪者より有職者に多い。○不良少女の増加。○1,2歳の年齢低下。○匕首などは買ったものより自製が多い。○時勢から少年工員が急増しているが、これが自分の金を好きに使い家庭の監督も届かなくなり不良化の最大の原因となっている。
昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続殺人事件〕
静岡県浜松において9人を次々殺害し6人に傷害を負わせた犯人が捕まった。中村誠策(最後の犯行時満18歳)は満17歳だった昭和16年8.18に置屋に侵入して芸妓を刺殺、もう1人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8.20には料理屋に侵入、就寝中の女将(44)、女中(16)、雇い人(67)を殺害。警察の取り調べを受けながら、9.27には自宅で強盗を装って兄を殺害、兄の妻、父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8.30には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入、女性と両親と弟を殺害。10.12に逮捕され、翌日に犯行を自白した。これとは別に4年前の昭和13年8.22未明に置屋に侵入して女将と芸妓をナイフで刺して重傷を負わせ逃走した事件も自供した。
兄弟7人のうち誠策だけが生まれつきの聾唖者で家族から冷たくあつかわれていた。知能は高く聾唖学校で1番の成績、学費を自分で稼ぐためと強姦目的の犯行だった。
逮捕直後に父親は世間に申し訳ないと自殺。戦時刑事特別法によって二審だけですみやかに死刑判決が確定し処刑された。
※少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』で、この事件の詳細を解き明しています。
昭和17年(1942).10.20〔18歳(満16〜17歳)ら4人組が辻強盗〕
帝都各所で、無職の4人組(21,20,19,18)が辻強盗を働き逮捕された。6月末から毎夜のように出没して主なものだけでも14件1万円を稼いでいた。
昭和17年(1942).10.20〔19歳(満17〜18歳)が父親殺害〕
長野県軽井沢町の農家で、次男の土工人夫(19)が父親の頭をカナヅチで殴って殺害、死体を長持ちに入れて東京に逃走したが、別の窃盗容疑で10.26に逮捕され、10.29に自白した。実家に帰省すると、金をせびられケンカになったもの。
昭和17年(1942).10.21〔秋葉原駅で連続カミソリ通り魔〕※参考
東京市神田区の秋葉原駅で朝7時30分頃、何者かがホームで電車を待っていた女学校4年生(16)の腰を制服の上からカミソリで切り3週間の傷害を負わせて逃走した。10.22の朝7時20分頃、何者かがドレスメイカー女学校生(19)の太ももを切って逃走した。朝のラッシュ時で大勢の乗客にまぎれた犯行。
昭和17年(1942).10.23〔中2(満13〜14歳)がピストルで幼児射殺〕
神奈川県川崎市で、中学2年生(15)がピストルで小鳥を撃っていて、見物していた近所の男の子(6)を誤って射殺した。家にあったモーゼルを持ち出したもの。
昭和17年(1942).10.26〔3人組が傷害〕
東京市豊島区巣鴨の路上で、通行中の男性(19)が学生服姿の20歳前後の3人組にからまれ、刃物で後頭部に8センチ、眼の下に3センチの重傷を負わされた。
昭和17年(1942).10.28〔2人組が傷害〕
東京市本所区の路上を通行中の郵便局員が17,18歳の2人組に暗がりに連れて行かれ、いきなり刃物で腹部を刺されて重傷を負わされた。
昭和17年(1942).11.10〔17歳(満15〜16歳)が学校寄宿舍で刺殺〕
東京市中野区の中野高等無線学校寄宿舍で、生徒(17)が同校生徒(19)とケンカになりナイフで胸を刺して殺害、逃走したが翌日に捕まった。
昭和17年(1942).12.1〔17歳(満15〜16歳)が学校放火〕
新潟県佐渡郡の中学校で、無職(17)が放火、校舍を全焼させて12.11に逮捕された。この中学に通っていたが1年生の時に窃盗のため退学、東京で工員となったが肋膜炎のため11月に実家に帰り、かつての同級生たちにたびたび「泥棒」と云われてバカにされたので、復讐しようとしたもの。
なお、この学校では11.10に海軍兵学校に入る同級生のために5年生が送別会で酒を飲んで、無期停学2人など20人以上が処分を受けたため、その仕返しだと疑われていた。
昭和17年(1942).12.18〔19歳(満17〜18歳)ら5人がレイプ殺人の冤罪で拷問死〕
香川県小豆島の路上で、女性(25)が投火管制下に両親の薬を持ち帰るために歩いていて、空き家に連れ込まれてレイプされ4円70銭を強奪されて絞殺された。工員(19〜23)5人が戦時強盗強姦殺人で逮捕され、拷問で3人(19,20,21)が留置所で死亡、残った2人(23)が自供して高松地裁で死刑判決が出たが、昭和21年9.1に最高裁で無罪となった。
昭和17年(1942).12.28〔仙台教育疑獄事件〕
宮城県仙台市で、9月に教育疑獄が発覚し、仙台一中校長、仙台二中校長、仙台第一高等女学校校長、仙台第一高女教諭の4人が逮捕起訴され、12.28に予審で有罪となったので検閲で差し止められていた新聞記事が解禁となった。教諭が生徒の入学や教員の人事を斡旋して校長3人に220円から900円の金品を渡していたもの。また、この教諭は相続税などの口利きもして仙台財務局県税課長に7千800円の金品を渡していたことも発覚したので合わせて逮捕起訴された。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和18年(1943).2.3〔20歳(満18〜19歳)らが教室で殺人〕
東京市京橋区の全国漁業組合連合会付属学校の教室で、1年生(19)が勉強していたところ1年生(22)とケンカになりナイフで胸を刺され、またもう1人の1年生(20)に木刀で頭を殴られ死亡、2人はすぐに逮捕された。
昭和18年(1943).2.4〔19歳(満17〜18歳)女子が産んだばかりの赤ちゃん殺人〕
高知県高知市の商工会議所前で、女給(19)が赤ちゃんの死体を遺棄して逮捕、3.8に自供した。神戸市のカフェーで働いており、乾物商(36)と関係して赤ちゃんを産んだが始末に困って絞殺、旧正月の帰省のさいに捨てたもの。
昭和18年(1943).2.5〔高2(満18〜19歳)が恋人殺人〕
高知県高知市の鏡川河原で、高知高等学校理科2年生(20)が恋人(25)の頭を突然鉄棒で殴り、逃げようとするのを肥後の守で頸動脈を切って惨殺、2.7に逮捕された。大阪の資産家の息子で、2年前にこの女性の家に下宿した時から関係を持っており、別れようと下宿を転々としたが必ず見つけられて妊娠したからと結婚を迫られていたため、前日に凶器を用意して誘き出したもの。
一審は懲役7年だったが、犯行時は体質性神経衰弱だったとして二審では懲役2年執行猶予5年となって確定した。
校長談「毎年入学式の際には父兄も一緒に列席して貰いその際自分は生徒を学校に任せきりでは十分指導監督出来ないので父兄の方、特に母親が時々学校や下宿を訪ねて十分生徒を指導してくれとお願いするのですが、これを実行してくれる人々が少ないので残念に思います(後略)」(談話は朝日新聞高知版引用)。
昭和18年(1943).2.8〔少年3人組が傷害〕
東京都世田谷区の路上を通行中の少年(17)が教練服姿の学生風3人組に「金を出せ」と脅され、刃物で頭部を刺され2週間のケガを負わされた。
昭和18年(1943).2.18〔16歳(満14〜15歳)が一家3人強盗殺人して放火〕
北海道留萌郡で、少年(16)が近所の農家に押し入り、主人(45)、妻(43)、娘(7)の3人を薪割りで殺害、放火して列車で逃走中に逮捕された。林業労働者の3男で知能が低く、父親とケンカして函館に家出する旅費を奪おうとしたもの。
昭和18年(1943).2.18〔17歳が女性殺害して時効と間違え自白〕
神奈川県横浜市の路上で、少年(満17歳)が女事務員(23)の頭部をレンガで殴って殺害した。迷宮入りとなったが、昭和32年12.6に32歳になった男は大阪で窃盗で逮捕され、昭和17年に殺人を犯したと1年間違えて自白した。すでに時効になったと勘違いして、時効2ヶ月前に告白したもの。
昭和18年(1943).2.23〔少年5人組が傷害〕
東京市品川区の路上で職工が17,8歳5人組にケンカを売られ、カミソリのようなもので顔を切られて3週間のケガを負わされた。
昭和18年(1943).3.11〔20歳(満18〜19歳)が殺人〕
東京市王子区の路上で、職工(20)が男性(20)とケンカになり刃物で腹を刺して殺害、すぐに逮捕された。
昭和18年(1943).3.18〔少年通り魔が女性3人襲う〕
東京市板橋区の路上で、16,7歳の少年が女性(22)の顔をカミソリのようなもので切って2週間のケガを負わせた。10分後には女性(21)の顔を切って2週間のケガ、さらに30分後には女性(23)に3週間のケガを負わせた。
昭和18年(1943).3.20〔21歳(満19〜20歳)が祖母殺害〕
東京市城東区の祖母宅で、無職(21)が祖母(71)に毒薬入りの酒を呑ませて殺害、199円50銭を奪って逃走、4.5に千葉の自宅に舞い戻ったところを逮捕された。
昭和18年(1943).3.25〔17歳(満15〜16歳)が連続放火〕
千葉県安房郡で、男子(17)が民家に放火、4.1まで次々に放火したが、4.4に逮捕された。変質的性格で村中から白い目で見られていたことへの復讐。
昭和18年(1943).3.27〔深夜に乗り遅れた17歳少年〕
東京市上野駅で夜11時半ごろ、終電に乗り遅れた神奈川県高座郡の17歳の少年に20歳くらいの国民服の男が近づき「俺は警察の見張り員だが、困るなら俺の家に泊めてやろう」と連行、現金23円入りの財布を奪って逃走した。
昭和18年(1943).4.12〔11歳(満9〜10歳)が妹射殺〕
長野県上水内郡の農家で、長男(11)が次女(4)の頭を猟銃で撃ち抜き殺害した。父親が弾を装填したまま出掛けているうちに、2人で遊んでいたもの。
昭和18年(1943).4.21〔15歳(満13〜14歳)がノコギリ通り魔〕
兵庫県姫路市の山陽電車ガード下で夜8時過ぎ、少年(15)が通行中の女性(22)の顔をノコギリで切った。翌日に逮捕。
昭和18年(1943).4.23〔中学校入学不正事件大摘発〕※参考
全国において大学から中学まで入学試験での買収が問題となり司法当局は大規模な摘発を断行した。
特に受験競争の激化から中学入試が廃止されて内申制度になったため、小学校の内申書や成績簿を偽造する教師が多く、「優」ひとつが何十円と相場が決まっており、禁止されている家庭教師料名目などで当然のようにして大金を受け取っていた。また、有力な父兄の子弟には特別の便宜を図っていた。
東京都だけで小学校71校131人、中学校と女学校21校68人、父兄2370人が逮捕された。最終的に起訴されたのは極めて悪質な者だけで、収賄側小学校教師30人、中学教師と校長28人の合計58人、贈賄側の父兄や受験ブローカー10人。父兄209人には略式命令により罰金刑が科せられた。起訴猶予となった教師も懲戒免職、諭旨退職などの処分にされた。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和18年(1943).6.17〔路上強盗〕
東京都豊島区の路上で、通行中の男性(20)が国防色姿の20歳くらいの男に刃物で脅され、腕時計と現金1円を奪われた。
同じ日に東京市淀橋区の路上を通行中の学生(21)が学生風2人組に殴られ10日間のケガを負わされた。
昭和18年(1943).7.19〔19歳(満17〜18歳)戸畑の通り魔3人殺し事件〕
福岡県戸畑市の通り魔5人殺傷事件で鉱山会社給仕(19)が逮捕された。5.19に路上で女性事務員(19)を刺殺。5.20に路上で工員(19)2人の腹を刺して重傷を負わせてから、数分後に専門学校生徒(21)を刺殺。7.17深夜2時に民家に侵入して寝ている専門学校図書館員(19)を刺殺。
女性事務員と図書館員は学校時代の同級生で2人からいつもバカにされていたので復讐し、他の3人は面識がないが道で擦れ違ったときに自分を笑ったように思ったから刺したと自供。
昭和18年(1943).7.21〔少年の路上強盗〕
東京都小石川区の路上で、通行中の女性(28)が丸刈りの15,6歳くらいの少年に「金を貸せ」と脅されたが断ったところ、刃物で胸を刺され2週間のケガを負わされた。
昭和18年(1943).10.7〔5人組が傷害〕
東京都浅草区の路上で、通行中の16歳と18歳の職工が学生服の20歳くらいの2人組に刃物で刺されて2人とも3週間のケガを負わされた。
昭和18年(1943).10.15〔少年の路上傷害〕
東京市杉並区の路上で、学生(20)が杉並中学の学帽を被った18,9歳くらいの少年に呼び止められ、いきなり刃物で腹を刺され重傷を負わされた。
昭和18年(1943).11.5〔20歳(満19〜20歳)が殺害〕
東京都大森区の寮で、職工(20)が職工(20)とケンカになり海軍ナイフで喉などを刺して殺害、逃走したが間もなく逮捕された。
昭和18年(1943).11.6〔18歳女子(満16〜17歳)が銀行から現金奪う〕
栃木県宇都宮市の足利銀行宇都宮支店で、女子事務員(18)が暮れの徹夜営業中の1.1深夜1時に金庫から現金20万円を奪い、1.4に盗まれたことが発覚、11.6に逮捕された。半分をトランクに詰めて山に隠し半分をミカン箱に詰めて自宅の庭に埋めていたが、茸狩りに山に入った人に見つけられ足がついたもの。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和18年(1943).11.9〔高1(満17歳)ら数人が教師を袋叩き〕
東京都中野区の東京高等学校で、1年生(満17歳)ら数人が記念祭の校庭での盆踊りで、校長や生徒主事(生活指導の教師)、配属将校を暗闇にまぎれて袋叩きにした。軍国主義教育に反発して計画的にやったもの。犯人が追及されたが、殴ってない生徒を含めて50人近くも名乗り出たので、校長の責任問題となるため結局まったく処分されなかった。
読売新聞社の渡邉恒雄会長が主謀者で、
『渡邉恒雄回顧録』でナベツネ本人が語ることには、生徒主事を殴ったうえに飛んだメガネまで踏みつぶして、翌日にはお腹の中では笑いながらしれっと挨拶していた。軍国主義者の級長を呼び出してドスで脅したり、中学時代には軟派の生徒を殴っていじめていたことも語っている。
昭和18年(1943).12.1〔20歳くらいの男が銀行で詐欺〕
東京都京橋区銀座の銀行で預金5千円全額払い戻しのため186番の支払番号を受け取ったが、20歳くらいの男が168番の支払番号票を出して名前を騙り「番号が間違ってる」と言って全額詐取して逃走した。
昭和18年(1943).12.1〔3人組が路上強盗〕
東京都渋谷区の路上で、通行中の男性が20歳くらいの3人組に殴られ3千円入りの財布を奪われた。
昭和18年(1943).12.15〔2人組が路上強盗〕
東京都小石川区の路上で、通行中の英語学校生徒(19)が18,9歳くらいの2人組に短刀で脅され45円入りの財布を奪われた。
昭和18年(1943).12.26〔学生服の強盗〕
東京都荏原区の民家に18,9歳くらいの学生服の男が押し入り、16歳の少女に布をくわせさせて刃物で2週間のケガを負わせ、手提げ金庫を奪って逃走した。
昭和19年(1944).2.2〔18歳(満16〜17歳)ら3人組が看守を惨殺して少年院脱走〕
長野県松本市の松本少年刑務所で、服役中の少年3人(18〜19)が看守の帯剣を奪い取ってめった切りにして殺害、脱走したが翌日に逮捕された。
昭和19年(1944).2.〔小4が授業妨害と暴力〕
秋田県の小学校で、小学4年生(満9歳)が異常な暴力を繰り返すため感化院に入れられた。1年生の時から教室を歩き回って私語をして授業を妨害し、教師が叱ってもまったく聞かず4年間続けている。盗癖があって、女子に悪ふざけをする。3年生になってからは教師に対してもいたずらをするようになった。時々凶暴になって、「他人を殺傷させることある」(校長の報告書)。材木業の父親は他県で働いており長期不在だが、経済状況は中の上。※
「戦前感化・教護実践史」掲載の事例より。
昭和19年(1944).3.20〔少年が詐欺〕
東京都杉並区の配給所でお菓子を買った女の子(10)が帰宅途中、12歳くらいの少年が「君のお菓子は間違ってるよ。袋はボクが持っているからお母さんを呼んでおいでよ」と言った。女の子はお菓子と通帳と現金21銭が入っている手提げ袋を渡してうちに帰り、母親と一緒に戻ってみたが少年の姿は消えていた。
昭和19年(1944).5.〔高2らが校長を殴る〕
石川県金沢市の第四高等学校で、2,3年生10人が校長排斥の血判状を書き、うち1人が校長宅に押し掛け辞職を迫って殴った。毎年の入寮式で新入生に読み聞かせることになっている伝統の「超然趣意書」は、戦時体制に協力しない声明と誤解されるから自肅するようにと、学校から命令されて激昂したもの。
昭和19年(1944).7.29〔中4(満16〜17歳)が同性愛の果てに友人一家3人殺害〕
神奈川県足柄上郡の友人宅で、東京都大森区の旧制中学4年生(18)が深夜1時過ぎに中学1年生の友人(14)を殺害、友人の祖父と祖母も殺害し、母親に重傷を負わせ、放火して裏山に逃走したが家が全焼したことに安心して降りてきたところを捜査中の警官に逮捕された。
近所に住み同じ中学校に通っていた中1生と同性愛の関係になったが、中1生が家庭の事情から祖父母と同居するようになって遠距離恋愛となってしまった。逢えないことに悩み、それならいっそ彼をこの世にないものにしてしまおうと、出刃包丁とナイフを用意して遊びに行って泊まり、就寝中に襲ったもの。一度逃走したが、証拠隠滅のため戻って放火したと自供。伯爵の孫。
死刑が確定したが、昭和23年10月に恩赦で無期懲役に減刑された。
※黒澤長登『風俗犯捜査要領』(
『男色の民俗学 (歴史民俗学資料叢書・第二期)』再録)に詳しい。
昭和19年(1944).7.7〔29歳ニートが死刑になるため母親殺害〕※参考
秋田県江刺郡の自宅で午前4時、4男(満29歳)が炊事中の母親(69)の頭をナタで数回殴り、倒れたのを見て立ち去ろうとしたが兄嫁が母親を連れて逃げようとしたのでさらに数回母親を殴って殺害、駐在所に自首した。
高等小学校と農学校を卒業して小学校の代用教員を3年勤めていたが虚弱のため退職して昭和13年から部屋に閉じこもり、近所の者だけではなく家族とも接触を避け、自分の不健康は亡き父のためだと仏壇を壊し、母親に暴力を振るっていた。やがて厭世的となり、死ぬために母親を殺害して死刑になろうと計画したもの。中流の農家。弁護士は心神喪失を主張したが、盛岡地裁は心神耗弱のみ認めて懲役15年の判決を出した。
昭和19年(1944).8.1〔19歳の松平子爵令嬢誘拐事件〕
鉄道機関助手の樋口芳男は昭和18年から毎月ひとりを誘拐する「悲願千人切り」と題する手帳を付け、満19歳だった昭和19年8.1に松平子爵令嬢、女子学習院付属初等科5年生(12)を「お父さんに渡す大切なお金を渡すから一緒に来てください」と電車に乗せて誘拐した。8.3に逮捕され、少女ばかり7件の誘拐罪で3年の刑を受けて八王子少年刑務所に入っていたが昭和20年7.31に脱走、合計で16人の少女を誘拐することになる。
昭和21年9.17に横浜市で住友本家令嬢の白百合高女付属初等科6年生の女の子(12)が帰宅途中、「警察の者ですが、お宅で重大事件が起きましたから一緒に来てください」と言う男に連れ去られたが、数日経っても脅迫状も届かなかった。
この年の3月に日本帝国工業専務令嬢、日本女子付属初等科5年生(11)が誘拐されて7月に脅迫状が届き警察の尾行がつきながらも1万5千円を奪われ令嬢は半年ぶりに家に戻るという事件があったが、手口と人相が似ていたため同一犯と断定、樋口芳男(22)を指名手配し、22日に岐阜県で逮捕、住友令嬢も無事に戻った。
性的変質者だが紳士的な態度で少女たちは皆恐がりもせずについていったという。
昭和19年(1944).10.5〔警視庁の不良学生狩り〕
東京の警視庁は10日間に渡り不良狩りを行った。検挙者は不良行為3925名、怠業6559名、犯罪行為8033名の計11317名。身柄送局は528名、書類送局は753名。大組織で窃盗やたかりを繰り返していたり、徴用された工場をさぼって街の不良となっていた不良学生、不良工員、一般不良青少年など。
昭和19年(1944)..〔小5のいじめを描いた小説『長い道』〕
富山県下新川郡の小学校で、芥川賞作家の柏原兵三が小学5年生(満11歳)の時に疎開し、同級生たちから無視やからかい、リンチなどの激しいいじめを連日受けた。優等生で大人たちから評判のいい級長がリーダーとなって、いじめの指揮をしていた。いじめは疎開してきた余所者に対してだけではなく、級長が気に入らない相手に向けられ、怯えた級友は貢ぎ物をするなど媚びへつらっていたが、やがて級長もリンチやいじめを受けるようになる。
柏原兵三は
『長い道』で、事実に忠実に小説化している。藤子不二雄Aが
『少年時代』というタイトルでマンガ化、同タイトルで
映画化もされた。
昭和20年(1945).2.4〔18歳(満16〜17歳)女子が強盗〕
東京都渋谷区で、女子(18)が知人女性宅を訪ねて帰ったが、女性が出掛けると忘れ物をしたと戻って、女性の長男(11)をナタで切って現金1050円を強奪、夜に四谷区のホテルで逮捕された。
昭和20年(1945).2.4〔17歳(満15〜16歳)ら空襲下に火事場泥〕
空襲が激しくなってきた帝都において、混乱をいいことに盗みを働く不埒者が増えている。特に少年と無職者が多い。17歳は空襲警戒中の東急渋谷駅の精算所に侵入して現金や時計を盗んだ。19歳は罹災者が避難している国民学校の講堂に見舞いを装って忍び込み罹災者の現金や腕時計を盗んだ。17歳の工員は酒類配給所で清酒3升を盗んだ。などなど。
昭和20年(1945).4.17〔17歳(満15〜16歳)が一家5人を惨殺〕
長野県下伊那郡の農家で、3男(17)が、父親(45)、母親(44)、4男(12)、2女(8)、3女(3)を殺害、3キロ離れた山林で猟銃で自殺した。前日に近所の家から米を盗んで両親に叱られており、就寝中の家族の顔や頭をまずカナヅチで殴り、カナヅチの柄が折れると斧でめった打ちにしたもの。金目の物を物色したあともあった。
昭和20年(1945).6.17〔8歳(満6〜7歳)が線路に置石〕
長野県西筑摩郡の中央線で、男子(8)がコブシ大の石数十個を線路に置いた。線路工が発見し、警察が捜査して捕まえた。
6.11にも東筑摩郡の洗馬駅と日出塩駅の間で、子供が線路に石を置いて事故が起きている。
昭和20年(1945).8.15〔専門学校3年生(満19歳前後)5人ら「国民神風隊」が首相暗殺のため官邸襲撃〕
神奈川県横浜市で、東京警備軍横浜警備隊隊長の佐々木武雄大尉(40)が、首相を暗殺して降伏を阻止するため一個大隊を率いて上京しようとしたが、従ったのは一小隊のみで、川崎の軍需工場に勤労動員されていた後輩である横浜工業専門学校応用化学科3年生5人を加えて40人の「国民神風隊」を結成、深夜1時に自動車で出動、4時過ぎに首相官邸で機関銃を発砲してから押し入り重油をまいて放火、小石川区の首相私邸も放火し全焼させ、和平派と見られていた平沼騏一郎枢密院議長宅に放火して逃走した。首相は直前に避難して無事だった。
正午の天皇玉音放送の後、夕方に憲兵隊に自首したが軍人は不問にされ、学生5人を含む民間人7人だけが警察に逮捕され、懲役5年の判決。1年半で釈放されたが、学生のひとりは獄中で病死している。首謀者の大尉は時効まで身を隠して逃げ切った。
映画
『日本のいちばん長い日』 と、半藤一利によるその
原作本で、この事件は詳しく描かれています。
少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の著作第二弾。
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!これぞ、21世紀の道徳感情論!
少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の本が出ました。
『戦前の少年犯罪』
戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!
少年刑法犯の主要罪名別検挙人員 (戦前)
西暦 | 年次 | 殺人 | 強姦 | 放火 | 強盗 | 窃盗 | 傷害 | 詐欺 | 横領 | 賭博 | 猥褻 | その他 | 総数 |
1936 | 昭和11年 | 153 | 197 | 266 | 311 | 29,570 | 2,555 | 3,297 | 3,491 | 1,425 | 76 | 5,209 | 46,550 |
1937 | 昭和12年 | 155 | 172 | 272 | 310 | 29,783 | 2,631 | 3,006 | 3,269 | 1,307 | 79 | 5,062 | 46,046 |
1938 | 昭和13年 | 161 | 211 | 279 | 302 | 32,503 | 2,596 | 2,973 | 3,207 | 1,355 | 88 | 5,258 | 48,933 |
1939 | 昭和14年 | 123 | 217 | 291 | 310 | 31,409 | 3,073 | 2,787 | 2,801 | 1,639 | 87 | 5,630 | 48,367 |
1940 | 昭和15年 | 146 | 230 | 263 | 475 | 35,999 | 2,901 | 2,361 | 2,485 | 2,072 | 188 | 5,928 | 53,048 |
1941 | 昭和16年 | 107 | 255 | 256 | 436 | 36,954 | 2,979 | 2,028 | 2,111 | 2,188 | 180 | 5,215 | 52,709 |
1942 | 昭和17年 | 126 | 328 | 213 | 406 | 47,267 | 3,106 | 2,184 | 4,028 | 2,121 | 361 | 6,448 | 66,588 |
1943 | 昭和18年 | 94 | 335 | 204 | 377 | 45,113 | 2,998 | 1,552 | 1,358 | 2,941 | 439 | 5,955 | 61,366 |
1944 | 昭和19年 | 177 | 294 | 215 | 442 | 54,852 | 2,968 | 1,767 | 1,148 | 5,765 | 417 | 7,599 | 75,314 |
1945 | 昭和20年 | 149 | 218 | 92 | 455 | 42,818 | 1,746 | 1,044 | 603 | 2,637 | 308 | 4,690 | 54,783 |
|
1950 | 昭和25年 | 369 | 1,538 | 470 | 2,897 | 111,526 | | 6,368 | 3,148 | 2,346 | 447 | | 158,426 |
1960 | 昭和35年 | 438 | 4,407 | 605 | 2,762 | 110,752 | 16,268 | 2,388 | 1,655 | 329 | 1,265 | | 196,682 |
1970 | 昭和45年 | 198 | 2,212 | 469 | 1,092 | 106,359 | 10,211 | 722 | 1,107 | 322 | 1,208 | | 148,022 |
1980 | 昭和55年 | 49 | 984 | 478 | 788 | 172,842 | 9,068 | 556 | 12,612 | 90 | 720 | | 219,956 |
1990 | 平成2年 | 71 | 348 | 181 | 594 | 130,802 | 9,376 | 623 | 25,998 | 137 | 510 | | 182,328 |
2000 | 平成12年 | 105 | 311 | 210 | 1,668 | 92,743 | 11,502 | 535 | 29,412 | 22 | 501 | | 152,813 |
2005 | 平成17年 | 73 | 153 | 245 | 1,172 | 84,483 | 6,902 | 1,062 | 35,767 | 27 | 472 | | 144,255 |
西暦 | 年次 | 殺人 | 強姦 | 放火 | 強盗 | 窃盗 | 傷害 | 詐欺 | 横領 | 賭博 | 猥褻 | その他 | 総数 |
警察庁『犯罪統計書』による。戦前の少年法は満18歳未満が対象だが、警察は戦前も少年犯罪統計として満20歳未満のデータを発表していた。
昭和10年以前の少年のみの統計は存在しない。戦前も戦後もすべて13歳以下の触法少年を含む。
昭和20年〜45年は沖縄の事件を含まない。昭和45年以降の総数は交通関係を除く。
昭和20年の犯罪統計は不正確らしい。
「その他」には、「暴行」「脅迫」「恐喝」などを含む。
2人以上が共謀した強姦は昭和33年から非親告罪となったのでその年から急増している。現在も非親告罪なので、昭和32年以前との比較は注意が必要。特に戦前は強姦の検挙率が100%でほとんど親告がなかったらしい。
近年の少年犯罪の増加は「横領」(放置自転車の乗り逃げ)がほとんどを占めていることがわかる。
昭和36年度版「犯罪白書」と総務庁統計局・監修「日本長期統計総覧」では、戦前の数値が微妙に違い、警察庁「犯罪統計書」とは別系統の資料があるらしい。しかし、総務庁統計研修所の研究専門職の方に調査していただいたところ、すでに元の資料を破棄しており、典拠を確認することができないということなので、典拠のはっきりしている警察庁「犯罪統計書」を元にするのが正しいと思われる。
少年刑法犯の主要罪名別検挙人員の人口比 (戦前)
西暦 | 年次 | 殺人 | 強姦 | 放火 | 強盗 | 窃盗 | 傷害 | 詐欺 | 横領 | 賭博 | 猥褻 | その他 | 総数 |
1936 | 昭和11年 | 1.05 | 1.35 | 1.82 | 2.13 | 202.30 | 17.48 | 22.56 | 23.88 | 9.75 | 0.52 | 35.64 | 318.46 |
1937 | 昭和12年 | 1.04 | 1.15 | 1.82 | 2.07 | 198.91 | 17.57 | 20.08 | 21.83 | 8.73 | 0.53 | 33.81 | 307.53 |
1938 | 昭和13年 | 1.05 | 1.38 | 1.82 | 1.97 | 212.30 | 16.96 | 19.42 | 20.95 | 8.85 | 0.57 | 34.34 | 319.61 |
1939 | 昭和14年 | 0.79 | 1.39 | 1.86 | 1.98 | 200.48 | 19.61 | 17.79 | 17.88 | 10.46 | 0.56 | 35.94 | 308.72 |
1940 | 昭和15年 | 0.93 | 1.46 | 1.67 | 3.01 | 228.23 | 18.39 | 14.97 | 15.75 | 13.14 | 1.19 | 37.58 | 336.32 |
1941 | 昭和16年 | 0.67 | 1.60 | 1.60 | 2.73 | 231.44 | 18.66 | 12.70 | 13.22 | 13.70 | 1.13 | 32.66 | 330.12 |
1942 | 昭和17年 | 0.78 | 2.03 | 1.32 | 2.51 | 292.48 | 19.22 | 13.51 | 24.92 | 13.12 | 2.23 | 39.90 | 412.04 |
1943 | 昭和18年 | 0.57 | 2.05 | 1.25 | 2.31 | 275.85 | 18.33 | 9.49 | 8.30 | 17.98 | 2.68 | 36.41 | 375.23 |
1944 | 昭和19年 | 1.07 | 1.78 | 1.30 | 2.67 | 331.47 | 17.94 | 10.68 | 6.94 | 34.84 | 2.52 | 45.92 | 455.12 |
1945 | 昭和20年 | 0.90 | 1.32 | 0.56 | 2.76 | 260.04 | 10.60 | 6.34 | 3.66 | 16.01 | 1.87 | 28.48 | 332.70 |
|
1950 | 昭和25年 | 2.14 | 8.91 | 2.72 | 16.78 | 645.87 | | 36.88 | 18.23 | 13.59 | 2.59 | | 917.50 |
1960 | 昭和35年 | 2.15 | 21.68 | 2.98 | 13.59 | 544.88 | 80.04 | 11.75 | 8.14 | 1.62 | 6.22 | | 967.60 |
1970 | 昭和45年 | 1.17 | 13.07 | 2.77 | 6.45 | 628.53 | 60.34 | 4.27 | 6.54 | 1.90 | 7.14 | | 874.70 |
1980 | 昭和55年 | 0.28 | 5.71 | 2.77 | 4.57 | 1003.04 | 52.62 | 3.23 | 73.19 | 0.52 | 4.18 | | 1275.70 |
1990 | 平成2年 | 0.38 | 1.88 | 0.98 | 3.20 | 705.75 | 50.59 | 3.36 | 140.27 | 0.74 | 2.75 | | 981.20 |
2000 | 平成12年 | 0.74 | 2.20 | 1.49 | 11.82 | 657.27 | 81.51 | 3.79 | 208.44 | 0.16 | 3.55 | | 1086.90 |
2005 | 平成17年 | 0.58 | 1.95 | 2.07 | 13.72 | 731.57 | 67.22 | 5.34 | 321.39 | 0.25 | 3.95 | | 1265.30 |
西暦 | 年次 | 殺人 | 強姦 | 放火 | 強盗 | 窃盗 | 傷害 | 詐欺 | 横領 | 賭博 | 猥褻 | その他 | 総数 |
昭和25年〜平成12年は法務省『犯罪白書』による。
それ以外は
総務省統計局サイトの「第3表 年齢(5歳階級及び3区分),男女別人口」を元に独自に算出したもの。
昭和19年〜21年は数え年11歳〜20歳の人口で計算している。昭和20年は犯罪統計と同じく沖縄の人口を除いた数字を元にしている。
昭和16年〜18年の年齢別人口推計は当時も現在も存在しないため、昭和15年〜19年まで直線的に少年人口が増加したと仮定して試算した。あくまで参考で、引用・転載する場合はこの期間のデータを除くか、この註を必ず添えること。
※『戦前の少年犯罪』の初版の末尾付録P28に掲載している「少年人口(10〜19歳)10万人当たりの少年刑法犯比率」の、平成17年(2005)に平成15年のデータが紛れ込んでしまったため、殺人以外のすべての数値が誤っておりました。ここに掲載のものが正しい数値です。検挙人数のほうには間違いはございません。すでにご購入いただいたみなさまには、私の不注意で多大のご迷惑をお掛けいたしまして、まことに申し訳ございません。伏してお詫び申し上げます。
なお、2刷以降は正しく訂正しております。
註釈
昭和18年12月23日に兵役法改正となり、徴兵適齢が満20歳から満19歳に引き下げられた。また、海軍の予科練や陸軍少年飛行兵学校を中心として、それまで毎年の入隊が1万人程度だった志願制の少年兵も、同じ頃に一挙に10万人以上に増員された。
軍人の犯罪は憲兵が取り扱って警察は一切手出しできず、また陸海軍刑法が適用されて、戦前の犯罪統計では一般と完全に区別された。現在の成人も含めた全体の犯罪統計では軍人も加算されているが、上記の少年犯罪統計にはおそらく軍人は含まれていないと思われる。この点に詳しい方は教えてください。
昭和17年3月21日より昭和21年1月15日まで戦時刑事特別法が施行され、銃後に不安を及ぼす昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続殺人事件〕などの事件は厳罰を持って裁かれ、統計上も通常の刑法事件とは完全に区別された。現在の全体の犯罪統計では合わせて集計されているが、上記の少年犯罪統計にはおそらく含まれていないと思われる。この点に詳しい方は教えてください。
昭和20年の少年犯罪統計が資料によって違うのはこの2点の調整の可能性がある。
昭和36年度版犯罪白書には「(少年犯罪は)昭和一五年まではほぼ増加の傾向にあり,昭和一六年以降は一進一退を示しながら増勢を示し,戦後の昭和二一年に至って急激に増加している。しかし,戦争直後の昭和二〇-二三年の統計は,必ずしも正確なものとはいい難いようである。しかし,付録-3表でわかるように,未成年者の第一審有罪人員は,昭和一八年および昭和二一年において急増しており,刑事処分に付せられる者が激増したことをうかがうことができる。」との記述があり、上記の検挙人数とは違う傾向があるようなので、合わせて参照されたい。
戦時中は銃後に不安を与える事件の報道は検閲され、「浜松9人連続殺人事件」や「戸畑の通り魔3人殺し事件」などは犯人が逮捕されるまで一切報道されず、「松平子爵令嬢誘拐事件」は戦後に再度犯行を犯すまで完全に伏せられた。
そもそも、戦時中の新聞は紙不足のためページ数がほとんどなく戦局記事が大半を占めるので、犯罪記事は極めてわずかで一段程度しかない。
明治時代の少年犯罪は「明治の読売新聞」が詳しい。
このページの参考文献
「新聞集成昭和編年史」大正昭和新聞研究会 「新聞集成昭和史の証言」本邦書籍
「朝日新聞縮刷版」 「読売新聞縮刷版」
「昭和史全記録 1926~1989」毎日新聞社
「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 社会思想社
「実録・福岡の犯罪 上下」 フクオカ犯罪史研究会 葦書房
「事件・犯罪大事典 明治・大正・昭和」事件犯罪研究会編 東京法経学院出版
「値段史年表 明治・大正・昭和」週刊朝日編 朝日新聞社
「教育事件・論争史資料」
「難件八十殺人犯検挙の端緒」 小坂良輔 巌翠堂 昭和8年 (タイトルはいかがわしいですが名古屋地方検事が司法省の命令で各地方検事資料を元にまとめた研究書です)
「殺人と性的犯罪 近代犯罪科学全集 第11篇」 加藤寛二郎 荒木治義 武侠社 昭和5年 (タイトルはいかがわしいですが警視庁医務課長と技師(精神鑑定などを担当)の医学博士が執筆しているまじめな本です)※復刻版はこちら
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