昭和2年(1927).1.30〔中3(満17〜18歳)が父親殴り殺す〕
茨城県真壁郡の自宅で深夜1時、中学3年生(19)が病気で寝ている母親に卵を食べさせようとすると、小学校校長の父親(46)が酔って怒ったのでカッとして鉄瓶を額に投げつけ全身を殴って、2.6に死亡させた。病死したと届けたが、2.8に逮捕。母親も同じ小学校の教師だった。
父親が酒乱という事情を考慮されて一審で執行猶予判決が出て確定する予定だったが、3.15に同じ村で少年が父親を殺害して、さらに6.11に隣村でも少年の父親殺しが起こって影響が憂慮されて控訴され懲役3〜5年の不定期刑となった。
昭和2年(1927).3.5〔19歳女子(満17〜18歳)ら母子が父親殺人〕
茨城県結城郡の自宅で、長女(19)、母親(37)、祖母(75)が父親(42)をナタで殺害、3.5に起訴された。長男(13)も取り調べを受けている。
昭和2年(1927).3.9〔9歳(満7〜8歳)が妹銃殺〕
千葉県香取郡の自宅で、長男(9)が猟銃で遊んでいて引き金を引き、妹(3)の頭を撃って死亡させた。
昭和2年(1927).3.15〔19歳(満17〜18歳)が父親殴り殺す〕
茨城県真壁郡の自宅で夜、長男(19)が就寝中の元小学校校長の父親(63)をマサカリで殴って殺害、逮捕された。父親は教師時代から金貸しで莫大な資産を築いていたがケチで、長男が昨年10月から結核になっても医者にも見せず、「この肺病野郎。金ばかり使いやがって治りはしない。早く死んでしまえ」と罵倒されたので復讐したもの。
1.30に同じ村で19歳の父親殺しが起きており、この村にある同じ学校の前の校長でもあり、この事件に影響を受けたと自供。無期が求刑されたが、少年法により下妻裁判所は懲役5〜10年の不定期刑判決。
昭和2年(1927).4.4〔20歳(満18〜19歳)が父親に塩酸かけて失明させる〕
東京市小石川区の清掃業宅で深夜3時、長男(20)が就寝中の父親(50)の顔に塩酸をかけて両目を失明させた。こずかいもくれずにこき使われてることを怨んだもの。一週間前にも味噌汁にネコイラズを入れて殺害しようとしたが、異臭で飲まなかったため失敗していた。
昭和2年(1927).6.11〔19歳(満17〜18歳)が父親斬り殺す〕
茨城県真壁郡の農家で、次男(19)が寝ている父親(49)を日本刀で斬り殺して、刀を持ったまま10キロ離れた警察署に自首した。長男が常に両親を虐待し、父親が一週間前から病気になっても看病もせずに「働くのが嫌で仮病をしている」などと云っているのを見て、いっそ殺したほうが楽になるだろうと考えたもの。真面目で親孝行で表彰もされていた。
昭和2年(1927).6.25〔19歳(満17〜18歳)がなまけ者と云われて父親斬り殺す〕
青森県青森市の山林で、3男(19)が父親(46)の頭や首を山刀でめった斬りにして殺害、逃走したがすぐに逮捕された。一緒に仕事に出掛ける時に「なまけ者」と叱られたのでケンカになってカッとしたもの。知能が低かった。
昭和2年(1927).7.12〔4歳(満2〜3歳)が妹殺害〕
大阪府大阪市の自宅で、長男(4)が次女(3)を縄で絞殺した。長女(7)と3人で映画のマネをしていたもの。
昭和2年(1927).11.4〔20歳(満18〜19歳)が父親刺傷〕
東京市牛込区の自宅で、大工(20)が父親(41)の腹をナイフで刺して重傷を負わせ、逮捕された。父親の大工は酒乱で母親(39)を虐待するため、母親は親戚宅に退避していたが朝食の支度に帰宅したところを紐で首を絞めて殺そうとしたので、留めるために刺したもの。3人兄弟の長男で、父親が働かないためひとりで家計を支えていた。
昭和2年(1927).11.14〔21歳(満19〜20歳)の優等生が父親の目をえぐり取る〕
兵庫県飾磨郡の自宅で深夜3時、工員の長男(21)が父親(42)の頭を出刃包丁で5回もめった刺しにして、右目をえぐり取って重態として逮捕された。夜学の青年訓練所では優等生で、教員資格試験の願書も出していたが、窃盗の前科がある父親がいては出世もできないと思い詰め、直前に従兄弟宅に行って今夜は父親を殺すようなことを話してたしなめられていた。その後に父親が泥醉して帰宅したのでケンカとなったもの。父親は「世間を騒がしてなんとも申し訳ありませぬ、もし自分はこのまま殺されようとも可愛い総領息子のことですから、出来ることなら息のあるうちにお上に願ごうて罪にならぬようお願いいたしたいものです」語る。
昭和3年(1928).6.20〔小4(満10〜11歳)が弟毒殺〕
石川県金沢市の自宅で、小学4年生(12)が療養中の3年生の弟(10)の水薬にネコイラズを入れて飲ませて毒殺した。父親は海軍主計少佐で、両親が病弱な弟ばかりを可愛がるので弟を亡き者にすれば自分が可愛がられるだろうと考えたもの。「ただ面白半分にやった」とも話す。
昭和3年(1928).6.21〔21歳(満19〜20歳)が父親絞殺〕
高知県幡多郡の自宅で、農業(21)が父親(54)を紐で絞殺、母親(50)も殺害しようとしたができずに駐在所に自首した。両親が病気で生活が苦しく無理心中を謀ったもの。
昭和3年(1928).6.27〔20歳(満18〜19歳)が強盗殺人、さらに隠蔽のため弟殺害〕
東京市世田谷区松沢町上北沢の民家で、東京美術学校彫刻科生の谷口富士郎(20)と日大第二中学4年生の省二郎(18)の兄弟が押し入り、資産家女性(66)を用意していた彫刻用カナヅチで殴ってから電線で絞殺、2円30銭入りのサイフと懐中時計などを強奪して逃走した。この年の銀行員大卒初任給70円。
富士郎は事件隠蔽のため11.11に省二郎を彫刻用カナヅチで殴り殺し、日大第二中学生の三男(17)に手伝わせて玄関に死体を埋め、さらに三男も殺害しようとしたが失敗して精神異常者として無理やり松沢病院に入れ、事件は迷宮入りとなった。中耳炎で死期が近づいた三男は昭和5年に告白、4.24に米国へ恋人と彫刻留学直前の富士郎が逮捕された。
札幌医師会副会長をしている資産家の医学博士の息子で、昭和2年に3兄弟だけで勉学のため上京。家から充分すぎる送金をしてもらっていたが、カフェーの女給数人と遊び回っていたため学費を使い込んで困り、知り合いの資産家女性を襲ったもの。
富士郎も精神異常となって松沢病院に入り裁判は中断したが、昭和10年12.5に大審院(最高裁)で無期懲役が確定した。
昭和3年(1928).9.16〔21歳(満19〜20歳)が継母殺害〕
愛媛県宇和島市の自宅で、長男(21)が継母(49)の胸をキリで刺して殺害、自首した。5月に母親(45)が死亡したのは継母が呪い殺したからだとケンカが絶えなかった。
昭和3年(1928).9.18〔15歳(満13〜14歳)が弟殺害〕
熊本県熊本市の連隊跡で、兄(15)が弟(7)の頭を棍棒で殴って殺害、すぐに逮捕された。数年前に両親に捨てられ、兄が安来節を歌って弟が踊って暮らしていたが、弟が踊りを嫌って逃げようとしたためカッとしたもの。
昭和3年(1928).9.25〔21歳(満19〜20歳)が姑殺害未遂〕
兵庫県城崎郡の農家で、嫁(21)が姑(59)に殺鼠剤入りの柿を食べさせたが異味に吐き出したため腰紐で絞殺しようとしたが噛み付かれて失敗、大阪に逃走して自殺を図ったが死に切れずに9.27に逮捕された。昨年10月に結婚してから姑に虐待されて、復讐しようとしたもの。
昭和4年(1929).2.9〔20歳女子(満18〜19歳)が母の顔をカミソリで切り裂く〕
鳥取県鳥取市の自宅で、次女(20)が母親(20)の顔をカミソリで十数回切り裂き、重態として逮捕された。姉の腕時計をいじっていたので母親に叱られてカッとしたもの。精神病だが、会社で働く姉の収入だけで暮らしてるため医者に掛かることができなかった。
昭和4年(1929).11.27〔中3(満15〜16歳)が鎌で家族皆殺しを謀り、父親に射殺される〕
新潟県中蒲原郡の自宅で、次男の中学3年生(17)が鎌を振り回して家族を皆殺しにしようと暴れたので、父親の退役陸軍大尉(54)がピストルで射殺した。勉強のし過ぎでノイローゼになっていたもの。
昭和5年(1930).6.26〔18歳(満16〜17歳)ニートが母と妹殺人〕
岡山県岡山市の自宅で、次男(18)が自慰行為を見つかり叱られたために就寝中の母親(43)を帯で絞殺した。6.30に妹(9)が母親を慕うので極楽にやるつもりで帯で絞殺、腐乱死体と暮らしていた。7.2に知人宅に侵入して暴れたので逮捕され、翌日死体が発見された。
岡山一中に進学したが、無口で友人もおらず、過度の勉強で神経症心悸亢進となって関西中学に転校、去年12月に退学した。父親は陸軍少佐だが、精神病で死んでいる。長男は陸軍士官学校に在籍中。取り調べの警官にも殴りかかるなど兇暴性があり、精神鑑定の結果、心神喪失で8.1に不起訴処分。
昭和7年(1932).1.30〔工業学校1年(満19〜20歳)が父親殺害〕
愛知県名古屋市の自宅で深夜0時過ぎ、次男の名古屋高等工業学校1年生(21)が就寝中の父親(49)を殺害し、すぐに逮捕された。遊廓に入れ上げて金が必要になり、父親が死ねば財産が手にはいると、柔道初段の腕で締め上げたもの。
昭和7年(1932).1.31〔嫁(満19〜20歳)が姑殺害〕
愛知県宝飯郡で、農家の嫁(21)が姑(68)を山に連れ出して絞殺、2.2に半狂乱になって帰宅、2.5に死体が発見されて逮捕、2.7に留置所で首吊り自殺した。夫はこれまで3人も嫁を迎えていたが、姑との仲がうまくいかずに次々離婚し、犯人は4人目の嫁だった。殺害したあとに精神異常となったらしく、「婆の生き血は吸ってやったがまだまだいけぬぞ、今度は嫁のみきを殺してやるのだ」と自分を殺すと云っていた。中流家庭の娘で女学校を優秀な成績で卒業、嫁ぎ先も裕福で殺害現場の山もこの農家の所有しているものだった。
昭和7年(1932).6.1〔19歳女子(満17〜18歳)が父親ナイフで刺す〕
神奈川県横浜市の自宅で、女子(19)が父親(59)の背中をナイフで刺して重傷を負わせ、兄(24)がナイフを取り上げるとさらにホウキで父親を滅多打ちにして逮捕された。7年前に兄妹で家を出たが、父が金を借りに来て兄と殴り合いのケンカになったためカッとしたもの。以前から父を憎んでいた。
昭和7年(1932).8.25〔18歳が遺産争いから祖母一家3人惨殺〕
岡山県浅口郡で深夜2時、精米業者(満18歳)が近所の祖母の家に日本刀を持って押し入り、叔母(満23歳)を10数回めった刺しにし、叔母の長女(生後3日)の首を左右に貫通、逃げる祖母(満59歳)の胸を2回刺して3人を殺害、叔父(30)に3ヶ月の重傷を負わせて、自分の喉を突いて自決しようとしたが死にきれずに逃走、すぐに逮捕された。
元は同居していたが、母と祖母や叔母との関係がうまくいかず2年前に家を建てて別居、父がこの年の1月に死亡して精米業者は9千坪の田畑と3万円の遺産を相続したが、叔母が2千坪の田畑と3千円の財産分与を要求してきて「子供のくせに引っ込んでおれ」と云われたことを恨んだもの。3人兄妹の長男で、極めて無口な性格だった。この年の銀行員大卒初任給70円。
精神障害で、また幼女は殺すつもりはなかったと裁判で争ったが退けられ、大審院で尊属殺および殺人罪で無期懲役が確定した。
昭和7年(1932).12.12〔27歳ニートが母親殺害〕※参考
東京市小石川区のアパートで、元早稲田実業教師(27)が母親(67)を殺害、12.14に自首した。末っ子で甘やかされて育ち、外語大を卒業して4年間教師をしていたが授業中に生徒からバカにされて辞職、無職で収入がないのに虚栄心の強い母親はお洒落して息子のお酌で酒を飲み、また母子でおかしなことをしている声を隣人が聞いていたが、関係についてはあくまで否定。父親は大正11年に服毒自殺。昭和9年1.3に初公判を直前に控えて刑務所で首吊り自殺した。
昭和8年(1933).1.22〔20歳女子(満18〜19歳)ら兄妹が父親毒殺〕
三重県宇治山田市の青物問屋宅で、次女(20)と次男(23)が実の父親(55)を毒殺、2月に母親の違う長男(29)にも薬を飲ませて重体としたが未遂に終わり、6.13に逮捕された。
高等女学校を卒業している長女が、中学を神経衰弱で中退してぶらぶらしている次男に家を継がせようと大阪で薬品を買って風邪薬として飲ませ、重体となった父に看護する親類の目を盗んでさらに何度も毒薬を口に無理やり入れたもの。それまでも薬品入りの酒を繰り返し飲ませており、昨年7月に次男が就寝中の父親の頭をカナヅチで殴って重体としたが、医者が脳出血と誤診したので殺害してもわからないと考えていた。
2人とも成績優秀で薬物や犯罪の専門書を熱心に読んで研究、妹は次男を神だと信じており、「神に代わって父を滅ぼした」「いまやっと父を殺したのは悪かったとハッキリ理屈ではわかりました。しかし私の心中には罪を悲しもうとする本当の涙は湧きません。神様、本当に父殺しの大罪を悲しむ涙を湧き出させて下さい」(大阪毎日新聞名古屋版引用)などと話す。
次男はノイローゼとなり、近所の人に殺害したことを話したり大阪の教会で懺悔したところから発覚。かなりの資産家で、母親は父親に内緒で次男に5千円のこづかいを与え、次男は2千円づつ東京と大阪の新聞社に送って、自分は世界を統一する大英雄だという広告を掲載しようとしたりしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).5.2〔18歳(満16〜17歳)がニートの兄と殺し合い〕
東京市渋谷区の自宅で深夜、運送店店員の3男(18)が、無職の長男(32)の頭や顔をカミソリで切って4週間の重傷を負わせ、自分も長男に3週間の重傷を負わされた。5人兄妹のなかで長男だけは働かずにぶらぶらしているので日頃からいがみあい、「働いている者と遊んでいる者の待遇を区別してくれ」と3男が云ったことから、両手にカミソリを持ってケンカになったもの。
昭和8年(1933).7.5〔16歳(満14〜15歳)が母親殺害〕
大阪府北河内郡庭窪村(現在の守口市)で、男子(16)が母親を殺害して逃走、カミソリで喉を切って自殺しようとしたが死にきれず、近所のワラ小屋でずっと隠れていたが、7.9に空腹で知人宅に現れたところを逮捕された。母親が白痴のため悲観したもの。
昭和8年(1933).7.13〔21歳(満19〜20歳)が家族5人に斬り付ける〕
東京府西多摩郡の自宅で、次男(21)が日本刀で父親(52)、長男(25)、長女(23)、伯父(68)に重傷を負わせ、祖父(72)の額を刺して重体として山林に逃走したが、警官隊と格闘の末に逮捕された。兵隊になることを熱望していたが徴兵検査で補充兵となり、元神職の父親が祈ったせいだと思い込んで6.10から精神がおかしくなっており、祖父が神前に供えようとした刀を盗っていきなり襲ったもの。小学校の成績はよく、青年団幹部も務める働き者の模範青年で、毎日医学の研究をしていた。
昭和8年(1933).8.12〔20歳(満18〜19歳)が父親殺人未遂〕
愛知県名古屋市の農家で夜11時、次男(20)が実の父親(59)を帯で絞殺しようとして目を覚ました母親に留められ、殺人未遂で逮捕された。6歳の時に他家へ養子に行ったが、昨年2月に長男が死亡したため実家に帰るように迫って養父と争いになったので西春日井郡に引っ越したが、実父に探し当てられ怒鳴り込んできたので親子の縁を切ろうとケンカになったもの。
昭和8年(1933).9.9〔20歳(満18〜19歳)が祖母殺害〕
福島県若松市で夜9時半、次男(20)が祖母(74)の胸を出刃包丁で刺して殺害、自首した。祖母は息子夫婦と仲が悪く隣家に別居していたが、たびたび暴れ込んできており、この日も三回もやってきて病気で寝ている父親を罵倒したので、父親を救おうと考えたもの。不良で家出した長男に代わり家業の金魚屋を支え、孝行息子で評判だった。
昭和8年(1933).9.27〔20歳(満18〜19歳)ニートが母親殺害〕
埼玉県入間郡の農家で午前4時、長男(20)が母親(48)の手首を鎌で切り落とし、家の外へ逃げるのを追っ掛けて胸を刺して殺害、留めようとした父親(53)らにも鎌をふるって暴れ、駆けつけた警官隊と格闘のうえに逮捕された。高等小学校を出たあとは農作業も手伝わずに遊んでいて、凶暴で親に対して殺してやると日頃から云っており、昨日夜9時に母親とケンカして暴れたので隣家の親戚宅に避難したが跡を追って来たので親戚がなだめているところだった。2人の妹がいる。山奧の数戸しかない小さな村での事件。
昭和8年(1933).11.26〔19歳女子(満17〜18歳)が盗みの弟殺害〕
徳島県麻植郡で、製糸女工(19)が弟(12)をタオルで絞殺した。弟が窃盗事件を起こし、一家のためと思って殺害したもの。女工は親孝行で評判だった。徳島地裁は懲役2年、執行猶予3年の判決。
昭和8年(1933).12.9〔小学校教師が兄を殺害〕※参考
岩手県九戸郡で、小学校教師(23)が父親の葬式に兄の小学校教師(27)が酔ってやって来たのでケンカとなり、殴って失神させてから井戸に放り込み殺害、翌年3.28に死体が発見されて逮捕された。何食わぬ顔で何ヶ月も授業を続けていた。
昭和9年(1934).1.4〔19歳(満17〜18歳)ら親子3人が長男殺人〕
福岡県三潴郡の瓦製造業宅で、3男(19)、父親(63)、内縁の妻(35)の3人が、長男(35)を縛って瓦製造道具でめった打ちにして殺害、病死として処理されていたが8.31に発覚して逮捕された。日頃から親子ゲンカが絶えず、この日も長男が酔って七輪を投げつけるなど暴れたもの。
昭和9年(1934).3.15〔20歳(満18〜19歳)の真面目な長男が何人殺せるか試すため一家皆殺し〕
奈良県北葛飾郡の農家で深夜2時、長男(20)が就寝中の家族5人の頭を斧で殴り、母親(48)、2男(18)、長女(15)、3男(13)を殺害、父親(53)を重体とした。すぐに隣家に押し入り、就寝中の長女(18)の頭を斧で殴り、逃げようとするところを肩と足を切って重傷を負わせ、母親(36)にも切りつけたが斧を奪われ逃走、百メートル離れた線路で列車に飛び込んで自殺した。真面目な働き者の模範少年だったが、数日前に「自分が命を投げ出したら、幾人くらい殺せるだろうか」と話していた。
昭和10年(1935).4.21〔15歳(満13〜14歳)が叔父を刺殺〕
静岡県志太郡の自宅で、少年(15)が叔父を刺殺して自首した。叔父は酒乱で暴れるため縛れており、縄を解いてやろうとしたが、「俺はお前ら親子を皆殺しにしてやるぞ」と云ったため怖くなって包丁で腹を刺したもの。一審は1年半〜3年の不定期刑だったが、二審で殺人としては異例の2年に減刑された。
昭和10年(1935).5.31〔19歳(満17〜18歳)が叱られ叔父を刺す〕
東京市京橋区の路上で、金具製造見習い(19)が雇い主の叔父(36)の顔をナイフで切って重傷を負わせた。仕事をさぼっているのを叱られた恨み。
昭和10年(1935).6.19〔20歳(満18〜19歳)ニートが働けと言われて父親殺し〕
岐阜県安八郡の農家で、次男(20)が父親(56)の頭をナタで殴って殺害、逃走したが翌日愛知県で逮捕された。働かずにぶらぶらしていたので、父親に厳しく叱られたため復讐したもの。父親はふしだらな男で同居している兄嫁に言い寄り、おかしな噂を立てられている兄嫁に同情しているうちに愛情を抱くようになり、仕事も手に着かなくなって、一家の犠牲となる覚悟で父親を殺したと自供。4月にも働けと叱られて父親を殴ってケガを負わせている。
昭和11年(1936).5.31〔16歳(満14〜15歳)が継母殺人未遂〕
東京市目黒区の自宅で、長男(16)が継母(35)の頭をマサカリで殴って重体として自首した。洋服屋に住み込んで働いていたが、結核のため三月に実家に戻って療養、職場に帰ろうとしたが両親がゆるさないので、殴れば家を出られると考えたもの。二歳から育ててもらっている継母への反発もあった。父親は大工。
6.3に意識を回復した継母は「あの子はあんな事をするような子ではありません。なんとかして罪をゆるしてください」と語った。
昭和11年(1936).11.12〔19歳女子(満17〜18歳)が夫と姑毒殺謀る?〕
秋田県仙北郡の農家で、嫁(19)が姑(48)に劇薬を飲ませて、11.27に逮捕された。9.15に相手の顔も知らないまま嫁入りしたが、夫(24)が醜男だったため嫌って風邪薬にネコイラズを入れて9.27に死亡させたことも自供。田畑5万坪などの莫大な資産を手に入れるため姑も無き者にしようとしたもの。
刑務所で何度も自殺未遂を重ねたが、裁判では一転して無罪を主張、さらに何度も証言を変えた。夫の死体を掘り起こした解剖結果も検察側弁護側それぞれの鑑定が対立。夫とは関係を拒んだが実の弟と何年も関係して処女ではないというようなことや、姑の爛れた男関係まで法廷で告白して、また夫の写真を見るとハンサムであるなどおかしな点があり、この資産家の家ではこれまでも不審な死が何人も続いていることもあって異常なセンセーションをもたらした。
姑の尊属殺未遂と夫の殺人罪で無期が求刑されたが、一審は殺人が証拠不十分で無罪、尊属殺未遂だけで懲役3年6ヶ月判決。二審では尊属殺未遂も証拠不十分で、結局まったくの無罪となって確定した。
昭和12年(1937).5.2〔18歳(満16〜17歳)の家庭内暴力の娘を父親が殺害未遂〕
東京市大森区の自宅で深夜2時、父親の工員(52)が寝ている次女(18)を薪割りで頭などを殴って3週間の傷害を負わせたが病院に運んで自首した。次女は小卒後に女工になったが長続きせずカフェーの女給になり、涙を流して注意した母親(50)の顔を殴ってケガを負わせるなど警察に相談しても暴れ続けるため両親は知人宅に避難していたが、父親は将来を悲観して家に戻って殺害しようとしたもの。
5.4に60歳くらいの男が刑事と名乗って訪れ、精神異常ということにすれば釈放できると、診断料と煙草代を要求、重傷の娘を看病していた母親からなけなしの6円を詐取した。新聞で報道されると減刑嘆願書や見舞金5円などが集まり、回復した娘は毎日留置場の父親を見舞って涙を流して非行を悔い真面目に働くことを誓い、父親も「我が身はもうどうなっても」と泣いて喜ぶ美談となり、6.24に起訴猶予で釈放された。
昭和12年(1937).5.18〔19歳(満17〜18歳)が女体に興味を持ち姉殺害〕
東京市深川区亀久町の下宿で、女工(29)が6日から泊まりに来ていた実弟の陸軍糧秣廠臨時工(19)に殺害された。女の身体に興味を持ち、明け方4時に寝ている姉を襲って、匕首で乳下を刺したもの。
昭和12年(1937).7.27〔19歳(満17〜18歳)が不良の弟絞殺〕
東京市荏原区小山町で、印刷工(19)が弟(15)を殺害して自首した。弟は不良で盗癖もあって感化院に入れられていたが、勤めていた印刷所の主人の金を取って逮捕され、説教したが言うことをきかないので両手を縛ってから絞殺したもの。
昭和12年(1937).9.10〔20歳(満18〜19歳)が妹殺害〕
東京市江戸川区の自宅で、兄(20)が妹(14)の頭や顔を円本で殴り、翌日死亡させ、傷害致死で逮捕された。洗濯物についてケンカしたもの。父親は植木職。
昭和12年(1937).9.15〔21歳(満19〜20歳)が父親ナイフで刺す〕
東京市浅草区の自宅で夜7時半、長男(21)が父親(52)の胸をナイフで刺して3週間の傷害を負わせて逮捕された。日頃から酒乱で、灯火管制中に大声を上げたので近所に気兼ねしてカッとしたもの。
昭和12年(1937).10.2〔22歳(満20〜21歳)ニートが一家7人皆殺しして自殺〕※参考
東京市下谷区の名簿製作商宅で朝5時、3男(22)が就寝中の父親(64)、兄弟、兄の長男(6)や同居している従兄弟の長女(2)など一家7人をめった切りにして殺害、逃走したが翌日に西武鉄道柳沢駅付近で電車に飛び込み自殺した。裕福な家庭で、家の金を盗んでは遊び回っているので父親が叱ると暴れ、警官に頼んで注意してもらったりしていた。しかし、9.30にも店の集金を遊女に使い果たして父親に激しく叱られていた。
昭和13年(1938).2.22〔満13歳が育ての親の伯母殺害〕
高知県幡多郡の山中で、男子(満13歳)が伯母の顔や首を肥後の守でメッタ突きにして殺害、何食わぬ顔をしていたが服に血が付いていたため追及されて自白した。幼い時から養育され、伯父がケガで働けなくなり伯母がひとりで農作業をしているので手伝うために1月に高等小学校1年生で中退したが、怠け者で叔母に鍬の柄で殴られたため凶器を用意して数時間後に薪拾いに行く機会に復讐したもの。満14歳未満は刑事責任が問えないので数日で釈放される予定。
昭和13年(1938).5.14〔17歳ニート(満15〜16歳)が継母刺殺〕
兵庫県武庫郡の自宅で、無職の長男(17)が継母(43)の背中からナイフで17回めった刺して頸動脈を切って殺害、死体を床下に隠して道具や衣服を売り飛ばして現金にし、東京に逃走したが7.25に神田で家出人として保護され、7.29に身元が判明して逮捕された。高等小学校を卒業してから見習いコックとなったが、カフェーや遊廓などに入りびたって1か月前に辞めていた。映画の時代劇が好きで、「国定忠治」が観たいので金をせびったがもらえなかったためカッとしたもの。継母には実子以上に可愛がられていた。東京では映画見物で金を使い果たして宇佐美サーカスで働いていたが、仕事がきついので7.23に逃げ出して公園で野宿している時に不審尋問を受けたもの。
昭和13年(1938).5.31〔17歳ニートが働けと云われ父親殺人未遂〕
埼玉県南埼玉郡粕壁町の自宅で、4男(満17歳)が父親(51)の胸をノミで刺し、倒れたところをさらに顔を何度も刺して重傷を負わせて逃走、すぐに逮捕された。小学校高等科1年で中退して父親の家具製造業の見習いとなったが、最近は仕事をせずに遊んでいるため「おまえのような親不孝者は死んだほうがよい。仕事をしない者は出て行け」と父と次兄(26)に叱られ2人の殺害を計画、妹(7)を負ぶって風呂から出てきたところを待ち伏せして襲い、次兄も殺そうと探したが見つからなかったもの。「殺し切れなかったのは残念です」と話す。無口でおとなしく、近所の評判はよかった。
昭和13年(1938).6.25〔東大生(満24〜25歳)が祖母と叔母を殺害して自殺〕※参考
岐阜県加茂郡で、東京帝国大学理学部3年生(26)が祖母(85)と叔母(61)をナイフで惨殺して逃走、川の堤防下で切腹して死亡しているのを翌日発見された。結核になり療養のため祖母と同居していたが、病状悪化で悲観したもの。
昭和13年(1938).7.18〔21歳(満19〜20歳)が父親刺殺〕
東京市牛込区の自宅で、3男(21)が父親(59)の首をジャックナイフで2回刺して殺害、自首した。活字会社社長の父親が7年前に妾を家に置いて母親を虐待したため4年前に死亡したことを恨んでいた。叔父の木綿問屋で住み込み店員をしていたが、この日に父親と同居することになり、妾と別れるように迫ったが相手にされなかったもの。直前にナイフを買って、母親の墓に父親と妾の殺害を誓っていた。無期が求刑されたが、東京地裁は懲役15年の判決。
昭和13年(1938).9.23〔18歳(満16〜17歳)が兄を殺害〕
静岡県熱海市の海岸で、少年(18)が兄(20)を絞殺、死体を海に投棄して逃走したが、9.25に東京駅で逮捕された。東京で勤めていたが無断で故郷に帰って結核療養中の兄と心中しようとして死にきれなかったもの。
昭和14年(1939).3.5〔17歳が祖母を殺害〕
千葉県安房郡の山林で、工員(満17歳)が祖母(65)を崖から突き落とし、さらに石を縛りつけて川に放り込んで溺死させた。家のゴタゴタに嫌気が差した祖母が家を出たあとを追っかけてケンカしてカッとして突き落としたが、死んだと思って隠蔽を謀ったもの。警察には犯行を自供、裁判では一転して無罪を主張したが有罪となり、一審は少年法のため15年の求刑で、懲役10年の判決となった。
昭和14年(1939).4.6〔20歳(満18〜19歳)ニートが母親ら4人刺殺〕
岡山県岡山市の自宅で、長男(20)が突然母親(40)の喉をナイフで刺して殺害、遊郭に押し入り仲居(34)を刺殺、食堂でコック(33)と女給(33)を刺殺、駆けつけた巡査3人ら大勢を相手に暴れ回りコック2人も重傷としてから逮捕された。父親は工場事務員で、1年前に中学を卒業して高等商業学校の入試に落ちてから神経衰弱となっていた。
昭和14年(1939).7.16〔18歳(満16〜17歳)が父親殺人未遂〕
東京市中野区で、長男(18)が父親(42)の妾宅に押し掛け、出刃包丁で妾(31)を刺し殺そうとしたが、父親が留めたためカッとして父親を二階から投げ落として頭蓋骨骨折の重体として逮捕された。父親は工員。
昭和14年(1939).11.23〔18歳(満16〜17歳)ニートが親戚女性2人殺害して自殺〕
大阪府大阪市で朝6時、無職少年(18)が祭日の赤飯を炊いていた従姉妹の女工(20)の胸をいきなりナイフで刺して殺害、逃げようとした従兄弟(31)の妻(24)の背中から心臓を刺して殺害、叔母(55)の胸などを3回刺して重体として逃走、5百メートル離れた空き地で服毒自殺した。小卒後は結核のため仕事に就けず憂鬱症になっていた。大阪市に住んでおり、2日前に叔父宅を訪ねてきて泊まっていたが、昨日は父親の説教を受けていた。動機不明。
昭和14年(1939).12.5〔15歳(満13〜14歳)が父親殺害〕
東京府調布村の自宅で、長男(15)が父親(58)の頭を斧で殴って殺害、近所の親戚に何者かが父を殺したと嘘を付いたが、警察の追及で自白した。病気で寝ている父親と焚き火のことでケンカしたもの。知能が低く放浪癖があるため学校も欠席が多く、現在は小学校4年生。父親は日雇いで、母親は7年前に死んでいる。
昭和15年(1940).3.24〔19歳女子(満17〜18歳)が母親毒殺未遂〕
兵庫県武庫郡の農家で、女中(19)が母親(39)を殺害しようとネコイラズ入りの紅白まんじゅうを「おばさん一人でおあがりください」という手紙と共に無記名で郵送、4女(12)と長男(9)が食べて腹痛を起こし、逮捕された。命に別状はない。神戸市の家に住み込んで働いているが、未亡人の母親に悪い噂があることを知って毒殺を計画したもの。
昭和15年(1940).6.15〔20歳(満18〜19歳)がケンカで兄殺し〕
東京市滝野川区の自宅で夜10時、工員(20)が兄の会社事務員(22)の心臓を切り出しナイフで刺して殺害、すぐに逮捕された。給料をもらったので母親(46)に草履を買いに行かせたが帰りが遅いと言ったため、兄が怒ってケンカになったもの。
昭和15年(1940).8.4〔20歳(満18〜19歳)が父親殺害〕
兵庫県明石郡の農家で、少年(20)が父親(52)をナタで殺害、逮捕された。父親が酒乱だったため。一審、二審とも懲役12年の判決。
昭和16年(1941).6.13〔20歳(満18〜19歳)が父親と妹に傷害〕
東京市滝野川区の自宅で朝5時、次男(20)が就寝中の妹(18)の頭を殴り、留めようとした会社員の父親にナベを投げつけて頭に20日間の傷害を負わせて逃走した。精神異常で監視中だった。
昭和16年(1941).10.26〔17歳(満15〜16歳)ニートが一家皆殺しを謀り幼い甥と姪殺人〕
茨城県真壁郡の農家で深夜3時、4男(17)が就寝中の長兄夫婦(38,27)をナタで殴って重傷を負わせ、次兄(28)の長男(9)と長女(1)の2人を殺害、逃走したが周辺住民総出で警戒中の4時に戻ってまた長兄の頭をナタで殴って逃走、昼に逮捕された。
小学校では級長も務めており、昨年に小学校高等科(現在の中学に相当)を優秀な成績で卒業したが農作業もせずにぶらぶらして、読書をしながら思索に耽って創作に熱中、兄に叱られていた。同じ村の少女(17)に恋文を贈ったが相手にされず、10.25の夜に少女に逢おうとして家族に追い返され、深夜0時に友人宅で青年団服を借りてゲートルをつけ遺書を書いてから、深夜2時に隣家で日本刀を借りようとして断られている。犯行後の朝6時に少女に逢おうとして家族に怒鳴りつけられナタを投げつけて逃げ、カミソリを所持してうろうろしているところを見つけられた。
祖父から血族結婚が続いている血統を断絶するため、次兄の次男(3)だけを後継として残し、母親(58)、弟(14)を含めた一家皆殺しにして少女と無理心中をする計画で、「世間では自分を早熟だとか変態とかいうかも知れない、また悪鬼の仕業といわれることも覚悟している」と自供。父親はすでに死んでいる。当初は精神異常と考えられたが、検事は取り調べでまったくの正常と判断した。
昭和17年(1942).4.3〔21歳(満19〜20歳)が父親殺人未遂〕
茨城県東茨城郡の自宅で、土木作業員(21)が父親(51)を丸太で殴って重体とした。素行の悪さを叱られてカッとしたもの。
昭和17年(1942).4.6〔17歳(満15〜16歳)が祖父を強盗殺人〕
長野県埴科郡の農家で夜10時、少年(17)が押し入って祖父(77)の頭を丸太で滅多打ちにして頭蓋骨を打ち砕いて殺害、貯金通帳を強奪して逃走、4.24に満州国新京で逮捕された。
父親は死んでおり、東京市王子区で母親とふたり暮らし。1年前に高等小学校を卒業して工員となったが不良となって1か月前に家出、各地で窃盗や詐欺を繰り返し、祖父が金を持っていることを知っていたため最初から強盗目的で侵入したもの。
昭和17年3月に施行された戦時刑事特別法で二審のみの裁判となり、強盗は二審だが、尊属殺人は戦時刑事特別法に関係ないと三審請求の訴訟を起こし、大審院(現在の最高裁)で棄却された。
昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続殺人事件〕
静岡県浜松において9人を次々殺害し6人に傷害を負わせた犯人が捕まった。中村誠策(最後の犯行時満18歳)は満17歳だった昭和16年8.18に置屋に侵入して芸妓を刺殺、もう1人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8.20には料理屋に侵入、寝ていた女主人(44)、女中(16)、雇い人(67)を殺害。警察の取り調べを受けながら、9.27には自宅で強盗を装って兄を殺害、兄の妻と子供、父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8.30には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入、両親と姉と弟を殺害し、女性を強姦しようとしたが失敗して逃走、10.12に逮捕され、翌日に犯行を自白した。これとは別に4年前の昭和13年8.22未明に置屋に侵入して女将と芸妓を強姦しようとしたが抵抗したのでナイフで刺して逃走した事件も自供した。
兄弟7人のうち誠策だけが生まれつきの聾唖者で家族から冷たくあつかわれていた。知能は高く聾唖学校で1番の成績、学費を自分で稼ぐためと強姦目的の犯行だった。
家族は誠策が犯人とわかっていたが通報すると殺されるので黙っていた。逮捕直後に父親は世間に申し訳ないと自殺。戦時刑事特別法によって二審だけですみやかに死刑判決が確定し処刑された。
昭和17年(1942).10.20〔19歳(満17〜18歳)が父親殺害〕
長野県軽井沢町の農家で、次男の土工人夫(19)が父親の頭をカナヅチで殴って殺害、死体を長持ちに入れて東京に逃走したが、別の窃盗容疑で10.26に逮捕され、10.29に自白した。実家に帰省すると、金をせびられケンカになったもの。
昭和18年(1943).3.20〔21歳(満19〜20歳)が祖母殺害〕
東京市城東区の祖母宅で、無職(21)が祖母(71)に毒薬入りの酒を呑ませて殺害、199円50銭を奪って逃走、4.5に千葉の自宅に舞い戻ったところを逮捕された。
昭和18年(1943).4.12〔11歳(満9〜10歳)が妹射殺〕
長野県上水内郡の農家で、長男(11)が次女(4)の頭を猟銃で撃ち抜き殺害した。父親が弾を装填したまま出掛けているうちに、2人で遊んでいたもの。
昭和19年(1944).7.7〔29歳ニートが死刑になるため母親殺害〕※参考
秋田県江刺郡の自宅で午前4時、4男(満29歳)が炊事中の母親(69)の頭をナタで数回殴り、倒れたのを見て立ち去ろうとしたが兄嫁が母親を連れて逃げようとしたのでさらに数回母親を殴って殺害、駐在所に自首した。
高等小学校と農学校を卒業して小学校の代用教員を3年勤めていたが虚弱のため退職して昭和13年から部屋に閉じこもり、近所の者だけではなく家族とも接触を避け、自分の不健康は亡き父のためだと仏壇を壊し、母親に暴力を振るっていた。やがて厭世的となり、死ぬために母親を殺害して死刑になろうと計画したもの。中流の農家。弁護士は心神喪失を主張したが、盛岡地裁は心神耗弱のみ認めて懲役15年の判決を出した。
昭和20年(1945).4.17〔17歳(満15〜16歳)が一家5人を惨殺〕
長野県下伊那郡の農家で、3男(17)が、父親(45)、母親(44)、4男(12)、2女(8)、3女(3)を殺害、3キロ離れた山林で猟銃で自殺した。前日に近所の家から米を盗んで両親に叱られており、就寝中の家族の顔や頭をまずカナヅチで殴り、カナヅチの柄が折れると斧でめった打ちにしたもの。金目の物を物色したあともあった。
昭和21年(1946).7.22〔小学校教師(満20〜21歳)が祖父恨んで毒殺〕※参考
神奈川県足柄上郡の自宅で、小学校教師(22)がすいとんに農薬用の砒酸鉛を入れて食べさせ、祖父(69)を7.28に死亡させ、祖母(69)を軽症、叔父(32)を重態とした。追及され、9.5に自供。川崎市に住んでいたが、去年の4月に両親とともに祖父宅に疎開して同居していた。田畑3千坪などの財産を長男の父親ではなく三男の叔父に譲ろうとしたことで恨んだもの。小学校での評判はよく、同僚は信じられないと云っている。父親も小学校教師。
昭和21年(1946).8.26〔20歳(満18〜19歳)が両親いじめる兄一家4人を惨殺〕
青森県三戸郡の水車小屋で、農家の弟(20)が兄一家4人を殺害した。他県にいた兄一家は1年前に実家に戻ったが、嫁姑の折り合いが悪く、父(70)母(68)に対して包丁を持って追い掛けたり「死んでしまえ」と怒鳴ったりして一家で虐待した。母親は「このままでは殺されるので先に殺したほうがよい」と同居の弟に言ったため、弟は水車小屋で就寝中の兄(43)をナタでめった打ちにして殺害、妻(42)、長女(16)、長男(8)に兄が事故死したと水車小屋に誘き出してナタで惨殺、水槽に投げ入れた。子供が水槽から這い上がろうとしたので丸太で突き落とした。血痕を追及されて28日に自白、懲役15年となったが、サンフランシスコ講和条約恩赦で11年に減刑。殺人教唆の母親は高齢のため不起訴処分。
昭和21年(1946).9.7〔18歳(満16〜17歳)が母親傷害致死〕
神奈川県横浜市の自宅で、次男(18)が母親(48)と夕食中にケンカして、壁に押し付けたりしたが死亡した。警察が取調べ。
昭和21年(1946).9.15〔14歳(満12〜13歳)が父親殺害〕
島根県美濃郡の自宅で、県立農林学校1年の三男(14)が父親(48)の頭をナタで殴って殺害、すぐに捕まった。自宅通学するため中学から転校させられたことに腹を立てての犯行。父親は元陸軍少佐で、躾に厳しかった。6月に復員したばかり。
昭和21年(1946).9.16〔19歳ニートが母親と妹殺害して死刑〕
広島県佐伯郡の自宅で、無職の邑神一行(満19歳)が母親(49)と妹(16)を殺害した。自動車会社の金を使い込んでクビとなって2月に実家に帰ったが、田舍の仕事を嫌って働かず、母と妹の内職でかろうじて食べていた家計を圧迫したため冷たくされ、妹に「仕事もせずに遊んでいる者は飯を食べなくてもよい」と云われたことから殺人を計画、深夜1時に就寝中の2人の顔をワラ打槌で殴って死体を井戸に捨てた。翌年1.17、2人が行方不明になったことを不審に思った友人に死体を発見されて逮捕。父親は小4のときに死んでおり、貧しい家庭だった。
1審無期だったが、2審で死刑判決が出て、死刑は残虐で憲法違反と上訴。最高裁は「一人の生命は、全地球よりも重い」としながらも、死刑は必ずしも残虐とは云えないと上告棄却して死刑が確定した。
昭和21年(1946).12.21〔18歳(満16〜17歳)ニートが兄に嫉妬して祖母殺害〕
神奈川県川崎市の自宅で、次男(18)が祖母(72)の頭を鈍器で殴ってから絞殺、死体を床下に隠して、長男(22)に祖母は田舍に行ったと騙し、翌朝4時に就寝中の長男を殺そうとバットで殴って重傷を負わせて「おばあさんはこの下にいます」という遺書を残して逃走した。持ち出した母親の服を闇市で1600円で売り、和洋女子専門学校女生徒(16)と逢ったのちに女性(23)をナンパして旅館に泊まり、2人で信州の温泉に逃亡しようとしていたところを12.25に上野松坂屋前で逮捕された。祖母が長男ばかりを可愛がることに嫉妬したもの。
父親は会社員で、中学を卒業したが成績が悪く進学できずにぶらぶらしていた。警察の留置所では毛布をくれないとハンストすると要求している。
昭和22年(1947).9.9〔21歳(満19〜20歳)ニートが祖母を強盗殺人〕
兵庫県芦屋市の自宅で、祖母(62)が絞殺され服などを強奪され、25日に孫(21)が逮捕された。犯行の日に知り合った共犯者と2人で盗みに入ったが見つかったため殺害したもの。私立中学を中退して工場に勤めたがすぐに辞めて、銀行員の父親の同僚宅などに盗みに入っていた。
昭和22年(1947).12.2〔17歳(満15〜16歳)が父親を毒殺〕
愛知県名古屋市の自宅で、家具職(17)が父親(44)を毒殺した。母親(42)は12年前に離婚して木工所を経営したり市会議員に立候補したりするやり手だったが、去年から従業員男性(49)が愛人となって子供4人を連れて同棲するようになり、複雑な家庭環境を正すために隣りのプレス工場から青酸カリを盗んで母親の愛人を殺害しようと計画していたが、実父とケンカしてカっとしたため、ビールを半分は自分が呑み、残りに青酸カリを入れに呑ませたもの。尊属殺と愛人への殺人予備で逮捕。
昭和23年(1948).6.11〔18歳小学校教師が叱られたため両親殺害して死刑〕
広島県加茂郡の自宅で、小学校教師(満18歳)が入浴中の母親(53)を「よう虐めてくれたのう」と匕首で刺し、許しを乞うて逃げようとするのをさらに刺して殺害、父親(57)を玄関で待ち伏せして刺殺した。ひとり息子で、2年前に私立中学を卒業して小学校の助教員となった。元少尉で厳格な両親は細かいことでたびたび干渉して殴るため怨んで殺害計画を立てていたが、同僚女性教員(満21歳)と教室で関係して妊娠させ、墮胎させようとしたことでこの日に激しく叱られ殴られたため復讐したもの。昭和25年2月に最高裁で死刑確定。のちに恩赦で無期に減刑。
昭和23年(1948).8.31〔15歳が祖父母強盗殺人〕
福島県石城郡の農家で、この家の孫の無職(満15歳)と仲間の無職(満21歳)が押し入り、祖父(79)と祖母(75)を縛り上げて現金4千5百円と服6千円相当を強奪したが、覆面が取れて孫だということがバレたため、口と鼻を布で覆ってからフトンで全身を巻いて、窒息することが判りながらそのまま逃走、殺害した。母親は3歳の時に、父親は7歳の時に死亡して他家で育てられ、この年の3月に祖父母に引き取られて農業の手伝いをしていたが、おねしょ癖をたびたび叱られて8.25に3百円をもらって家を出た。金を使い果たして茨城県の水戸駅で寝泊まりしているうち8.30に21歳と知り合って強盗に誘い、その日に向かったもの。死刑が求刑され高裁も死刑相当と認定したが、昭和23年7.15に改正されたばかりの少年法により無期となった。
昭和23年(1948).12.6〔中2女子(満13〜14歳)が厳しい母親に反発し一家皆殺し〕
福岡県大牟田市の中学2年生の三女(15)が、夕食の大根雑炊に殺虫剤のアヒ酸を入れ、父母、祖母、姉、妹の家族7人皆殺しを謀る。たまたま食べなかった祖母以外の6人が苦しみ出して、五女(10)と六女(6)が死亡、ほかの4人は重傷だが命に別状はない。三女も食べずに元気だったので疑われてすぐに自供した。
三女は成績も良くバレー部の選手をしていたが、部活で遅くなると遊んでいたのだろうと厳しい母親にたびたび叱られ殴られた。こんなことでは一家皆殺しにしたほうがよいと考えたと、取り調べにも笑顔で話す。バレー部顧問の教師は、ずるい生徒でよくケンカをしており、皆には好かれていなかったと語る。
昭和24年(1949).10.4〔高1が兄を刺殺〕
東京都太田区の路上で、高校1年生(16)が兄(24)とケンカしてナイフで刺し殺した。「予科練あがりの兄の軍隊式の仕打ちに反抗した」と自供。
昭和25年(1950).2.22〔18歳が祖父殺害〕
秋田県北秋田郡の農家で深夜2時、長男(18)が母親(37)と共謀して祖父(56)を殺害、2.25に死体が発見され、3.4に逮捕された。父親が戦死したため戦後に実家に帰って同居するようになったが、祖父は酒乱でたびたび母親を殴ったので2.15に話し合って計画し、前日の旧正月の宴会で酒を飲んで就寝したところを米俵を乗せて動けないようにして、目を覚まして「なにをする、この人殺し」と叫ぶ祖父の頭をバットで滅多打ちにし、母親も十能(炭用のスコップ)で頭や顔を滅多打ちにし、さらに長男が荒縄で首を絞めたもの。死体に服を着せ、リュックまで背負わせて川に捨て、証拠を隠滅して出掛けたと嘘をついていた。長男は農業と大工で家計を支えていた。
事情を考慮されて長男は懲役7年、母親は懲役13年の判決が地裁で出て、そのまま確定した。参考文献・
『秋田県警察史〈下巻〉』
昭和25年(1950).3.20〔19歳女子が舅姑を殺害未遂〕
東京都目黒区の自宅で、嫁(19)が姑(67)をカナヅチでめった打ちにして重態とし、舅(69)の顔を殴って重傷を負わせて逮捕された。四ヶ月前に会社員の夫と見合い結婚したばかりだが、弟と映画に行ったことを叱られ実家に帰り、前日に侘びを入れたがまた叱られたので実家に戻って舅姑2人の殺害計画を立ててカナヅチを持ってやってきたもの。夫は離婚の相談のために家庭裁判所に行っているところだった。
昭和25年(1950).3.20〔17歳が弟を毒殺して自殺〕
静岡県田方郡の自宅で、長男(17)が、母親(47)、祖父(79)、弟(10)の3人に青酸カリ入りのお茶を飲ませて弟を殺害、母親と祖父は重傷となったが命は取り留めた。自分も青酸カリを飲んで自殺した。母親と祖父が弟ばかりを可愛がることに嫉妬したもの。
昭和25年(1950).3.20〔19歳が実姉を殺害〕
東京都新宿区の自宅で、主婦(24)が殺され、実弟の工員(19)と共犯の工員(18)が逮捕された。弟が泊まりこみ、夜中に鍵を外して共犯の男を入れて脅されている演技をしたが、ばれているのではないかと疑って姉を絞殺して金品を奪って逃げたもの。
昭和25年(1950).5.26〔高1が義兄を殺害〕
東京都新宿区の自宅で深夜0時過ぎ、工業高夜間部1年生(16)が同居していた義兄(48)の頭をバットで殴ったうえ胸や喉などをナイフで滅多刺しにして殺害した。内縁の妻である姉(30)をいじめるのを恨んで、綿密に計画を立てていたもの。
昭和24年2.19、中2(15)の時に友人と2人で墓地で小学校時代の女性教師(22)を計画的に待ち伏せして首を絞めて頭を石で殴ってハダカにしようとして猥褻致傷で逮捕され、観察処分となっている。
昭和25年(1950).9.23〔19歳が母親殺害〕
静岡県浜名郡の漁師宅で朝5時、長男(19)が母親(45)に小遣いをねだって断られたため刺身庖丁で胸を刺して殺害した。漁師の仕事はあまりしていなかったため金に困り、これまでもたびたび包丁で家族を脅し、「母親を殺す」と公言していた。
昭和25年(1950).11.19〔10歳女子が弟を殺害〕
石川県鳳至郡で、女子(10)が弟(2)を殺害、行方不明になったことに不審を抱いた警察が追及すると、お腹がすいたとか寒いとか云って困らせるので川に突き落としたと自供し、捜索して12.22に溺死体を発見した。両親とも出稼ぎに出ており、村の民生委員が面倒を見ていた。
昭和25年(1950).11.19〔息子、叱った義母を絞殺〕
東京都で息子、叱った義母を絞殺。
昭和26年(1951).1.30〔中3ら母子三人で父親殺害〕
千葉県因幡郡で、農業の男性(50)が自宅で酒を飲んでいるところを妻(48)が誘い出し、中学3年生の三男(14)が頭部を数回殴り、次男(19)と三人で排水路に落として殺害した。酒癖が悪く暴力をふるう父親を殺そうと三人で共謀したもの。服や現金を奪い、強盗の仕業と見せかけていた。
昭和26年(1951).3.24〔16歳が両親ら3人殺害〕
新潟県南蒲原郡の自宅で夜11時、無職の3男(16)が就寝中の父親(50)、母親(48)、同居している従兄弟(20)の3人をマサカリで頭を殴って殺害、5千円を奪って駅に電話して電車の有無を確かめてから深夜3時の急行で大阪に逃走、さらに長崎まで行って女を買い、3.30に東京都上野公園で逮捕された。中3から精神病で病院に通っていたが治らず、自転車泥棒で逮捕されたため家に軟禁されていた。虐待されたから復讐したと自供。殺人が悪いことだとは認識しているが両親を嫌悪しているので罪の意識はなく、楽しそうに笑い歌っている。取調官は頭が非常によいと判断し、起訴された。
昭和26年(1951).4.2〔30歳ニートが母親殺害し裸で引きずる〕※参考
京都府京都市の京都大学で、無職(30)が母親(55)の頭部を仏像で殴って殺害、竹棒5本で脳をえぐり出し、全裸にして縄で縛って引きずっているところを逮捕された。1年前に母子で江戸川乱歩邸を訪ねて探偵小説の原稿を見せており、乱歩の推薦で探偵作家クラブに入っていた。京大心理学科卒業。「就職先ができたと偽って連れてきて安楽死させた。一切の秘密は母の肉体に秘められている。母は若返り法を実行していた。凶行場所は高度の医学的集団の連中も手を出せない場所だから選んだ。脳は彼らで作れないから取り出す必要を感じた」などと自供。
昭和26年(1951).4.15〔19歳ニートが父親殺害〕
埼玉県北足立郡の自宅で、無職(19)が就寝中の父親(54)の顔を薪割りで10回以上めった打ちにして殺害、すぐに自首した。中2で中退してからぶらぶらしており、日頃から仲が悪く、何度も家出していた。会社社長の父親は酔って母親に乱暴することが多く、同情したもの。
昭和26年(1951).4.18〔20歳が父親の鼻を日本刀で切り落とす〕※参考
長野県篠井町の農家で深夜1時過ぎ、男(20)が父親(50)の鼻を日本刀で切り落とし頭を刺して5週間の重傷を負わせ、火をつけて暴れ回っていたが、駆けつけた警官に逮捕された。日頃から仲が悪く、この日に朝寝坊を叱られてカッとしたもの。
昭和26年(1951).6.6〔8歳が盲目の叔母を殺害〕
愛媛県喜多郡の自宅で、母親(25)に豆の収穫を言いつけられた長男(8)は、同居している父の叔母(72)にやらせようとしたが、盲目で年寄りのためなかなか終わらず怒って青竹で頭を3回殴り殺害した。父親(33)は息子の犯行を隠すために、死体を山に隠して叔母が行方不明になったと届けたが、村人総出の山狩りが連日続いたため、死体を袋に入れて海に捨てた。12.27に発覚し、2人とも捕まった。
昭和26年(1951).6.24〔16歳ニートがカッとして兄をめった刺し〕
兵庫県神戸市の自宅で、私立高校2年生(16)が兄(22)を追いかけ回してジャックナイフで胸など10数カ所を刺して1ヶ月の重傷を負わせて逮捕された。横になったまま「煙草を取ってくれ」と頼んだが、兄が「自分で取れ」と応えたのでカッとしたもの。学校は半年以上行っておらず、ヒロポン中毒だった。カフェー経営者の次男。
昭和26年(1951).7.1〔娘、凶暴な父親を殺す〕
新潟県で娘、凶暴な父親を殺す。
昭和26年(1951).7.7〔19歳がケンカして父親殺す〕
秋田県南秋田郡で、3男(19)が父親(53)とケンカして踏み台で頭を殴って殺害、すぐに自首した。
昭和26年(1951).7.23〔16歳ニートが母親殴り自宅に放火〕
長野県北安曇郡の農家で、長男(16)が母親と些細なことでケンカしてカッとして「死んでしまえ、殺してやる」と叫びながら竹棒で叩き、さらに7.25の深夜0時に自宅に放火して全焼させ山林に逃走、7.27に空腹で村に出てきたところを逮捕された。昨年に中学を卒業してから更級郡の屋根職人の元で見習いをしていたが怠惰なため5月に実家に帰り、両親からたびたび叱られていた。
昭和26年(1951).7.30〔17歳が兄の殺した父親を遺棄する〕
北海道小樽市の少年(17)が函館市で窃盗で捕まったが、去年の12.2に兄(22)が父親(54)を殺害して、死体を川に捨てるのを手伝ったと自供した。日頃から酒乱の父親とケンカして70センチの鉄バリで刺したもの。
昭和26年(1951).9.13〔中2が母親を殺人未遂〕
東京都武蔵野市の自宅で、中学2年生(14)が就寝中の母親の首をカミソリで切ったうえに錐で突いて重傷を負わせて逃走、血だらけになってさまよっているを警官が見つけて逮捕した。2年前に学校でネコの解剖をしてから精神がおかしくなり、母親と一緒に死のうとした発作的な犯行。
昭和26年(1951).9.17〔18歳が父親殺害〕
長野県北佐久郡軽井沢町の自宅で夜10時半、次男(18)が就寝中の父親(58)の頭を薪割りで殴って殺害、継母(42)の頭も殴って重傷を負わせて、金を盗み服を着替えて医者を呼んでくると妹に告げて出掛け、風俗店で馴染みの女と寝ているところを翌朝逮捕された。高校生の頃から風俗店に通うなど素行が悪く3月に退学となり、ホテルの洗濯係りとして働いていた。祖母、兄、妹2人の7人家族。6年前に実母と死別、別荘管理人の父親は厳格で、日頃から仲が悪かった。取調べでも罪の意識はなく、目的を果たした満足感だけがあると自供。
死刑が求刑されたが、地裁は少年であることなどを考慮し無期懲役判決。
昭和26年(1951).9.30〔中3が母親殺人未遂〕
三重県松坂市の自宅で、中学3年生(14)が母親(48)の頭をワラ槌で殴って重体とし、家に帰ったら倒れていたと警察に通報したが追及されて翌日に自供した。音楽学校進学を希望していたが母親は父親(63)の跡を継いで天理教の布教師になれと反対してケンカが絶えず、殺害を謀ったもの。
昭和26年(1951).10.16〔19歳が義姉の婚約者を殺害〕
神奈川県川崎市で工員(19)が義姉(21)の婚約者を薪割りでめった打ちにして殺害し、留めようとした義姉にも重傷を負わせた。親違いの姉弟で日頃から仲が悪かったが、義父から「義姉の結婚費用に四千円入れてくれ。いやなら出ていってくれ」と言われ嫉妬もあって二人が寝るのを待って犯行に及んだもの。
昭和26年(1951).10.28〔19歳女子が一家皆殺し〕
北海道勇払郡の農家で、次女(19)が朝食のみそ汁にヒ素剤殺虫剤ホトナートを入れ、食べた一家5人が苦しみだし、長女の婿(33)は死亡、母親(50)と長女(23)は重体、父親(55)と長女の長男(2)も重傷とした。次女だけがなんともなかったので追及すると、翌年1.16に一家全員を毒殺しようとしたことを自供した。この次女が母親の連れ子で家族のいざこざが絶えなかったため。
昭和26年(1951).12.3〔23歳が10歳の妹をレイプ殺人〕※参考
岩手県上閉伊郡で、土木作業員(23)が妹(10)を小学校から連れ出して神社でレイプしてから縄で絞殺、遺書を残して逃走したが死に切れずに舞い戻ったところを12.7に逮捕された。4歳の時に養子に出され、19歳で養子と知って家出して実の親を探して放浪、昨年9月に再婚していた実の母親を見つけてその家の居候となったが、母親に冷たくされて仕返しのために父親の違う妹の殺害を計画、前日に母親とケンカしたため実行したもの。仙台高裁で懲役15年確定。
昭和26年(1951).12.17〔18歳が殺し屋を雇って義父殺害〕
神奈川県鎌倉市の自宅で、妻の連れ子(18)が殺し屋を雇って財産家の会社社長(71)を猟銃で射殺させ、12.20に追及されて自白した。
3歳で実父と死別、中1の時に母親が社長と再婚したが、自分は籍を入れられず使用人のようにこき使われていた。中学ではトップの成績で学級委員も務め、湘南高校に通う優等生だったが結核で1年休学、復学しようとしたが学費を出してくれず、また母親(41)を虐待する気の荒い義父を怨み、1年前には釘を無数に打ったバットで殴り殺そうとして、家を出されてアパートで独り暮らしをしていた。殺す勇気を得るため仔猫を石で殴り殺したりして計画を練り、家の金庫から5万円の金塊を盗んで銃を買い、麻雀店で知り合った不良(23,22,17)3人をひとりあたり1万円で雇って家に侵入させ、自分は別の部屋にいて、トイレで銃を口に突っ込んでから撃って義父の頭をこなごなに吹き飛ばさせた。3人は告別式にも何食わぬ顔で参列してから逃走したが、12.21に切れた鼻緒を親切に継げてくれたゆきずりの巡査に感激して自首。12.27に母親も直前に計画を聞かされて協力してたことが判明して逮捕。この年の銀行員大卒初任給3千円。
昭和26年(1951).12.31〔18歳が義父殺害〕
兵庫県神戸市の自宅で深夜1時過ぎ、オート三輪運転手(18)が就寝中の母親の内縁の夫(55)を刺身庖丁でめった刺しにして殺害した。義父と母親は日頃から仲が悪く、この日も大ゲンカをしていたので刺したと自供していたが、じつは金の無心を断られたためカッとしたもの。義父は数百万円の貯金を持っていた。裁判では一転して無実を訴えたが、大阪高裁は懲役8年の判決。
昭和27年(1952).3.16〔16歳が叔母を殺害〕
東京都台東区の食品加工器具商から小切手16万を盗んで逃走していた少年(16)が逮捕されたが、2.4にこの家の妻(33)を殺して裏の路地に埋めたことを自供した。少年は父親とともにこの家に住み込んで働いていたが、妻に叱られカッとして自転車のひもで絞殺、裸にして物置に隠したが、夜になって埋めたという。この妻は少年の叔母にあたる。
昭和27年(1952).5.18〔19歳が母親に乱暴〕
千葉県東葛飾郡で、男子(19)が母親(51)に殴る蹴るの暴行を加えて顔などに2週間の傷害を負わせて、5.30に逮捕された。去年の8月に刑務所を出てから不良行為を続け、金をねだったがくれなかったのでカッとしたもの。
昭和27年(1952).5.19〔高3女子が父親を毒殺未遂〕
福岡県八女郡の麦畑で、高校3年生女子(18)が父親(53)にネコイラズ入りのまんじゅうを食べさせて、父親を殺したと自首した。父親は手当を受けて重傷だが命に別状はない。5年前に母子4人が家を追い出されたため復讐の機会を窺い、嘘をついて呼び出して風呂敷で絞殺しようとしたが隙がないので、ネコイラズとまんじゅうを買ってきて毒殺しようとしたもの。「私は決して悪いことをしたとは思っていません。死んだほうが父は幸福です」と語る。
昭和27年(1952).5.21〔24歳ニートが父親に殺される〕※参考
埼玉県大里郡の農家で深夜0時前、父親(53)が2男(24)の頭をクワで殴って殺害、すぐに自首した。2男は働かずに昼間は寝て夜は遊び歩き、ヒロポン中毒で暴れ、この日も暴れて父親を殴ったためカッとしたもの。
昭和27年(1952).5.25〔高校生が酒乱の父親殺す〕
埼玉県北足立郡与野町の自宅で、2男の定時制工業高校生(18)が就寝中の父親(51)の頭を薪割りで2回殴って殺害した。父親は修理業だが酒乱で金を家に一切入れずに日頃からナイフを振り回して暴れ、2男は工員をしながら兄とふたりで家計を支えて近所の評判もよかった。この日も酔って姉を殴ったりしたため、自分が犠牲になって家族を救おうとしたもの。
昭和27年(1952).5.26〔19歳が叔父を殺人計画〕
埼玉県北埼玉郡で、無職(19)が叔父(43)を殺害する計画を立てて鍛冶屋で匕首を作って所持していたため殺人予備で逮捕された。父親は子どものときに亡くなって、母親と二人暮しだが、同じ村に住む叔父が財産を勝手に使っているのに憤激したもの。
昭和27年(1952).7.4〔18歳が妹をナタで殴り殺す〕
山口県厚峡郡の自宅で、炭坑夫(18)が妹(17)をナタで殴って殺害、すぐに自首した。素行の悪い妹に説教してケンカになったもの。真面目で評判の少年だった。
昭和27年(1952).8.22〔18歳が父親を殺人未遂〕
広島県の自宅で朝4時、工員(18)が就寝中の父親をナイフで刺し殺そうとしたが抵抗されたため未遂に終わった。日頃から冷たくされ、叱られたので復讐を計画したもの。
昭和27年(1952).8.24〔21歳の小学校教師、父親を殴り殺して埋める〕※参考
千葉県市川市の自宅で、父親(50)が殺害され夏休みに帰省していた神奈川県の私立小学校教師(21)が9.1に逮捕された。ケンカして父親を殴り殺して庭に埋め、兄弟には入院したと嘘をついていた。
昭和27年(1952).8.26〔19歳少年、ヒロポン中毒の妹の夫を殺す〕
東京都で19歳少年、ヒロポン中毒の妹の夫を殺す。
昭和27年(1952).10.6〔19歳が叱られて父親を殺人未遂〕
兵庫県尼崎市の自宅で深夜0時、無職(19)が就寝中の父親(54)の頭をカナヅチで殴って1ヶ月の重傷を負わせて、尊属殺人未遂で逮捕された。叱られたので殺ろそうとしたもの。求刑は懲役15年だったが、ヒロポン中毒で心身薄弱だったとして、神戸地裁は4〜6年の不定期刑判決を出した。
昭和27年(1952).10.10〔19歳女子が祖母を殺害〕
秋田県北秋田郡の自宅で、女子(19)が祖母(62)の頭や顔をナタで10回以上滅多打ちにして殺害、逃走したがすぐに逮捕された。母親は死亡しており、父親は出稼ぎで、二人暮し。精神異常で、些細なことでケンカしたもの。心神喪失で不処分。
昭和27年(1952).10.11〔少年、母の面倒を見ない父を刺殺〕
千葉県で少年、母の面倒を見ない父を刺殺。
昭和27年(1952).10.15〔ヒロポン中毒の長男、継母殺す〕
東京都でヒロポン中毒の長男、継母殺す。
昭和27年(1952).10.27〔17歳が父親を殺害〕
秋田県北秋田郡の農家で、次男(17)が父親(47)の頭をマサカリで殴って殺害、すぐに逮捕された。父親が酔ってマサカリを振り回しながら母親(41)相手に殺すと暴れていたので、次男が留めようとすると向かってきたためマサカリを奪って反撃したもの。尊属傷害致死で検察官送致。
昭和27年(1952).11.11〔19歳が叱られて兄を刺殺〕
熊本県菊池郡で深夜3時半、工員(19)が兄(26)の心臓を刺身包丁で刺して殺害、すぐに自首した。日頃から仲が悪く、酒を飲んでいることを叱られたのでカッとしたもの。
昭和27年(1952).11.13〔18歳が家庭内暴力で兄に殺される〕
熊本県天草郡の自宅で、少年(18)が父親に「出て来い、勝負をつけてやる」と下駄を振り上げたので、兄のトラック運転助手(22)が留めようとしてケンカとなり、兄が包丁で弟の腹を刺して殺害した。弟は日頃から素行が悪かった。熊本地裁は懲役3年の判決。
昭和27年(1952).11.29〔20歳ニートが母親殺害〕※参考
京都府京都市で、無職の次男(20)が母親を紐で絞殺してから漬物石で頭をつぶして逃走、翌日に遊郭で逮捕された。強盗致傷で4〜6年の不定期刑となって6月に刑務所を出て、母親に金をねだって断られたもの。
昭和27年(1952).12.22〔19歳が保険金狙って両親と妹殺害〕
兵庫県神崎郡の自宅で、長男(19)が就寝中の父親(49)、母親(44)、長女(6)の顔や頭を斧で滅多打ちにして殺害、3男(9)に重傷を負わせ、手を洗ってからナイフでドアを傷付けて部屋を物色して強盗が入ったように偽装して知らない振りをして寝床に入って発見されるのを待っており、翌日追及されて自白した。姫路工大付属高校を3年前に中退して、豆腐屋を経営しながら夜間高校に通っていたが仕事が忙しくなったので2年前に中退、肝臓病で寝たきりの母親の看病もしていた。勉強好きで文学好き、新聞部では論説委員を務め、短歌や俳句に堪能だった。両親が5万円づつの簡易保険に加入したので、これが手に入ると好きな株ができると殺害を計画したもの。両親は弟と妹ばかりを可愛がり、とくに父親とは仲が悪く疎外感もあった。
翌日の取調べ中に心境を書きたいと紙と鉛筆を要求して「五臓六腑に五寸クギ、胸は早鐘血の涙、一時の迷い何故に三千世界を尋ねてもまたと二人となき親を殺せしわが身がにくしや」などと播州音頭調の文章を書いたりしているが、食事も平らげ、危篤状態の弟の容態などもまったく気にかけていない。
昭和27年(1952).12.24〔19歳が一家皆殺し謀り幼い甥2人を毒殺〕
岡山県浅口郡での自宅で、長男(19)がネコイラズ入りの回転焼きを食べさせて、姉の長男(3)と次男(2)を殺害、母親(42)を重態とした。姉は吐き出したため無事だった。本人も食べて重態となったが回復し、家庭の不和のために一家心中をくわだてたと自供した。朝鮮人一家だった。
昭和27年(1952).12.27〔15歳ニートが叔父を斧で殺人未遂〕
大阪府守口市で、中学3年生(15)が叔父(56)の頭を斧で殴って重態とし、叔母(52)の頭も殴って10日間の傷害を負わせて、すぐに逮捕された。質店経営の叔父に映画代百円をねだったが断られたので、殺して金を盗る決意をして近所の自宅に帰って斧を持ち出してまたやって来たもの。母親は死んで、父親は米ドル偽造で刑務所に入っており、祖母と兄弟4人で生活保護で暮らし、叔父からも援助してもらっていた。学校はまったく行っておらず、切れやすい性格だった。
昭和28年(1953).1.5〔小1が投げ玉で母親を失明させる〕
兵庫県芦屋市の路上で、小学1年生(6)が投げ玉で遊んでいて自宅のタバコ屋で店番をしていた母親(37)の目に当たって失明させた。投げ玉とは3枚羽の先に金具がついた玉を投げる遊びで流行っており事故が頻発していた。
昭和28年(1953).3.11〔高2が父親殺す〕
兵庫県赤穂市の自宅で、県立高校2年生(17)が父親(47)の胸を日本刀で刺して殺害、すぐに自首した。父親は酒乱で、NHKラジオ聴取料集金人と口論しているのを見てケンカとなったもの。内気でおとなしい性格で近所の評判もよかった。
昭和28年(1953).4.3〔12歳女子が母親射殺〕
鳥取県東伯郡の農家で、長女(12)が猟銃で遊んでいて、そばにいた母親(35)の胸を誤って撃ち殺害、翌日になって警察に届けた。
昭和28年(1953).4.13〔18歳が父親殺害〕
静岡県の自宅で、工員の長男(18)が父親(50)を縄で絞殺した。父親は働かずに酒を飲んでは暴れるため殺害を計画、この日に「早く勤めに行け。働きもないくせにあまり威張るな」と罵倒されたため。犯行直後の取調べから裁判まで、罪の意識や謝ろうという態度はまったくなく平然としている。特別少年院送致。
昭和28年(1953).5.27〔18歳が不良の兄殺害〕
東京都新宿区の自宅で、三男の事務員(18)が会社員の長男(26)を殺害して自首した。兄は不良で母親(46)に乱暴するため、正義感が強い三男が就寝中にカナヅチでめった打ちにしたもの。父親(51)は薪炭業で戦時中は憲兵中佐。事情を考慮して、家庭裁判所は殺人犯には異例の不処分とした。
昭和28年(1953).9.7〔17歳、自分の家に強盗〕
東京都北区の家に背広で顔を隠した男と素顔の男の2人組の強盗が入り、同家の叔母(60)を脅して金を要求した。叔母が「金はない。うちでは長男が家出して困っている」と泣き出すと覆面の男がビール瓶で殴りつけ、ほかの家族に気づかれたのでなにも取らずに逃走した。すぐに逮捕されたが覆面の男はこの家の家出した長男(17)で、初対面の男(25)に「他人の家には入れないから、俺の家に強盗で入ろう」と持ちかけ実行したもの。自分の話をされたので殴ったという。
昭和28年(1953).11.22〔19歳がナタで養父を殴りつける〕
東京都北多摩郡の学習院大学2年生(19)は盲腸の手術をしてから強度の神経衰弱となっていたが、養父の友人が書いた判じ物を持って外出していろいろ考えてみて「腹に穴が開いて青くなっているのにまだ死ねない」という意味だと結論づけ、バカにしていると憤慨して帰宅してナタで養父の頭を2回殴りつけ2週間のケガを負わせた。近くの警察に自首したが「東京医大に身体全部を寄付します。くれぐれも身体は焼かないでください」という遺書を持っていた。
昭和29年(1954).2.6〔中3が兄を殺害〕
東京都杉並区の自宅で、中学3年生(15)が兄の早稲田大学法学部2年生の頭を斧で殴って殺害、逮捕された。早大生は麻雀やビリヤードにふけって家では朝寝ばかりしており、真面目で評判の弟は日頃から反感を持っており、朝起こそうとして怒鳴られてカッとしたもの。補導委託後に保護観察処分。
昭和29年(1954).2.7〔19歳が叔父と叔母を殺害〕
秋田県平鹿郡で、秋田短大商経科1年生(19)が叔父宅に行って泊めてくれと頼んだが、叔母(53)が断ったためにカッとして喉を殴って気絶させた。逃げようとしたが隣の部屋で寝ていた叔父(59)が異変に目を覚ましたため殺してしまおうと決意、2人の頭を鉄棒で滅多打ちにしてから出刃包丁で首などを何度も刺して殺害、強姦されたように見せるため叔母の下半身を露出して逃走した。叔父は資産家の元町長で、これまでもたびたびこずかいをねだっていた。
翌日に秋田市の自宅に帰って母親(43)に犯行を告げると自首を勧められたが、何食わぬ顔で叔父宅に行って葬式を手伝い、2.27に参考人として警察に呼び出されたため家出、3日後に戻って「どうしても死ねなかった。どんなことがあってもお母さんと一緒に生きたい」と泣くので、母親は旅支度を整えた上に8千円を渡して北海道へ逃がした。この年の大卒銀行員初任給5,600円。女友達(21)に出した手紙から居所がバレて、3.18に函館市の旅館で逮捕された。
動機を訊かれて「何もない、あの時の気持ちをいま考えると不思議に思う」と話す。母親は「性質、学業とも普通で、母親思いだった」と語る。女友達も犯行当日に殺したことを告白されたが、最後まで一切秘密にしていた。母親は警察の追及を受けても嘘をつき、家出した時は自殺したと思って、殺人のためと見られないように女のために死ぬという遺書まで偽装していた。
川崎市に住んでいた従兄弟(24)が2.25に逮捕されて深夜に及ぶ厳しい取調べのため秋田に来たこともないのに犯行を自供して起訴されるところだったが、まったく無関係と判明して3.20に釈放された。
死刑が求刑されたが一審は無期判決、「有期懲役を期待していたのに無期懲役とは意外だった」と即日控訴したが、二審で控訴棄却となり確定した。
昭和29年(1954).2.8〔18歳ニートが両親を窮地に落とし入れるために無差別殺人〕
静岡県磐田郡の山林で、無職(18)が薪拾いに来た女性(20)の頭や顔をナタで10回以上滅多打ちにして殺害、崖から転落死したと診断され一度は埋葬されたが、死因に不審を抱いた母親が掘り出し鑑定して殺人と判明、2.16に逮捕された。
小学生の時は不登校で父親が毎日付き添って登校していたが、学校を抜け出し山で弁当を食べ、小卒後は働かずにぶらぶらしていた。14歳だった昭和25年8月に母親に馬乗りとなって殴り骨折で一ヶ月の重傷を負わせ、父親に石を投げて10日間の傷害を負わせて、初等少年院送致。昭和26年10月に退院して保護観察中だった。両親を窮地に落とし入れるには殺人を犯すしかないと計画したもの。
昭和29年(1954).3.2〔24歳ニートが父と兄を刺殺〕※参考
千葉県因幡郡の自宅で、中央大学法学部2年生(24)が日本刀で父親(72)の首を切り落とし、とめようとした兄(29)の胸を刺して殺害した。神経衰弱のため休学中で、元陸軍少将で厳しい父親に叱責されてカッとしたもの。
昭和29年(1954).4.19〔18歳ニートが一家7人を皆殺しを計画して妹毒殺〕
長崎県北松浦郡の自宅で、無職の次男(18)が一家7人を皆殺しにするためにうどんにホリドールを入れ、次女(9)が食べて死亡、すぐに逮捕された。素行が悪いことを親にたびたび叱られたことを怨んだもの。
昭和29年(1954).5.17〔18歳が半身不随の母親を殺害〕
東京都江東区の自宅で、三男(18)が母親(50)を殺害、逮捕された。父親が同僚から預かっていた5万円を盗もうとして病気で半身不随の母親に見られたため、母親に馬乗りとなって片手で首を絞めて殺した。以前にトイレで母親が倒れたことがあるのを思い出して運んで病死を装い、服を盗んで質入れしていた。少年院を何度も脱走したことのある不良。
昭和29年(1954).6.3〔19歳ニートが野球見物のため母親殺害〕
京都府京都市で、次男(19)が昼寝中の母親(48)の頭をカナヅチで滅多打ちにしてベルトで首を絞めて殺害、死体の懐から千百円入りのサイフを強奪して逃走、逮捕された。大工である父親の元で見習いをしていたが、一ヶ月前から仕事をせずに遊び歩くようになり、母親から働くように厳しく叱られて、またプロ野球観戦の金が欲しかったために就職が決まったと騙して定期券代をもらおうとしたが、嘘を見破られて罵られた。父親に知られると叱られるので殺し、刑務所に行く前にナイターを見物しようと計画したもの。内気で無口な性格だった。
昭和29年(1954).7.24〔18歳が祖父を強盗殺人未遂〕
群馬県で深夜0時前、農業手伝い(18)が覆面をして自宅敷地内の祖父宅に押し入り、就寝中の祖父(48)の頭をマキ割りで滅多打ちにして2ヶ月の重傷を負わせて、匕首や煙草を強奪して逃走、逮捕された。家の道具を持ち出して質に入れて風俗店に通うなどしていたが、小遣い欲しさに祖父を殺害する計画を立てたもの。裕福な農家だった。特別少年院送致。
昭和29年(1954).8.3〔18歳親孝行の弟がニートの兄を殺害〕
東京都台東区の自宅で、3男の工員(18)が長男の無職(30)を殺害した。仕事もせずに一日中寝て、貧しい両親から金をせびっている不良の兄が母親をどなりつけているのを見て、匕首で3カ所刺して殺したもの。弟は給料全額を家庭に入れる孝行息子だった。
昭和29年(1954).9.1〔18歳同性の恋人が父親殺害〕
青森県青森市の自宅で、無職の二女(20)と無職の少女(18)が父親(54)を殺害した。少女が「金が欲しい」と言うと、二女が「それならうちの親父を殺せばいい」と国鉄を退職したばかりの父親の退職金30万円を奪うことに話がまとまった。二女が父親に出刃包丁を突きつけて口論している隙に少女が後ろから紐で首を絞め殺した。二女も大勢の犯行に見せかけるため死体をめった刺しにして石炭箱に投げ込んで、懐中時計と5百円を奪って逃げた。退職金は長女が保管していたので見つけられなかった。発見されるまで数度家に戻って死体に手を合わせて詫びたが、4日に逮捕。翌日、留置所で少女はネコイラズ自殺を図ったが命を取り留めた。青森地裁で、二女は尊属殺と強盗で懲役15年、少女は5〜10年の不定期刑判決。
二女は中学3年生のとき強盗殺人で、少女は強盗未遂で少年院に入ってそこで知り合って同性愛関係となった。退院後も男装して2人で遊び歩き、遊興費が必要になったもの。この年の銀行員大卒初任給5,600円
昭和29年(1954).9.6〔19歳が父親殺害し無罪〕
宮城県仙台市の農家で、家出した父親が12年ぶりに帰ってくるなり、女の手切れ金10万円を要求したが、家族に断られて帰った。次の日にまたやって来て財産分与を要求し、ジャックナイフで2人の弟を刺し、12年間逢っていなかった実の次男(17)にも重傷を負わせ、長男(19)も襲おうとしたが、長男はバットで父親の頭をめった打ちして殺害した。逮捕されたが嘆願書が集まり、正当防衛で無罪となった。
昭和29年(1954).10.12〔21歳ニートが母親刺して7人殺傷〕※参考
東京都荒川区の自宅で、無職(21)が母親(46)をジャックナイフで刺して重体とし、外に出て通行人の男性7人(19〜60)を次々と襲って1人重体、ほかは1ヶ月の重傷を負わせて逮捕された。強盗で刑務所に入っていたが2月に仮釈放、母親に邪魔者あつかいされたため1ヶ月前から殺意を抱き、酔ってケンカしたもの。「すべての人間が憎かった」と自供。家具屋の長男
昭和29年(1954).10.15〔中2が叔母を殺害〕
東京都北多摩郡の自宅で、主婦(19)が殺害され、同居している甥の中学2年生(13)が「ぼくが叔母を殺しました。大変悪いことをしました」と犯行を自供した。中2生はパン代45円をねだったが断られたため台所で夕食を作っていた叔母の頭をナタでめった打ちにして殺し、強盗の仕業に見せかけるため井戸に放り込んで、金庫から1万6千円を盗んだ。さらにアリバイ工作のため電車で国分寺駅に行き、金を埋めて隠した。そして、なにごともなかったかのように駅で叔父を迎えていっしょに帰宅していた。
千葉県で両親とともに住んでいたが8月に自動車を盗んで警察に捕まり、そのとき自分が捨て子だったことを知ってからは両親の手に負えなくなり、9.30から弟夫婦に預けられていた。しかし、ここでも捨て子だから冷たくされていると思い込んでいた。
昭和29年(1954).10.22〔18歳が姉の夫殺害〕
東京都江東区の洋服仕立て業宅で、主人(30)が殺害され、妻(26)の弟(18)が自首した。兄の酒癖が悪くて夫婦ゲンカが絶えないためジャックナイフで胸を刺したもの。この家に住み込みで働いていた。
昭和30年(1955).2.22〔19歳が盲目の姉の子を絞殺〕
東京都江東区の荒川の土手で、工員(19)が姉の長男(1)を絞殺、死体を抱いたまま派出所に行って自首した。同居している姉の子は生まれつき盲目で、工員は日頃から不敏に思っていた。子供が原因で姉夫婦がケンカしているのを見て、この子を殺して自分も姿を消すのが一番良いと決心したもの。「お姉さまお許しください。この子の幸福はこの世から去ることです」と書かれた手紙を持っていた。
昭和30年(1955).3.6〔17歳女子が弟を毒殺〕
群馬県群馬郡で、17歳の女子が中学1年生の弟(13)を毒殺して逮捕された。少女は昨年の11月から2月まで病気で自宅で寝ていたが、弟に邪険にされたため殺害を計画、4日に近所の子供にネコイラズを買ってこさせて夕食の雑炊に混入し食べさせて、弟は2日間苦しんだ末に死亡した。両親は離婚して炊事婦の母親と三人暮らしだった。
昭和30年(1955).7.10〔17歳が椅子で父親殺害〕
東京都世田谷区の自宅で、3男(17)が父親(56)を殺害、逃走したが19日に逮捕された。ケンカして「出ていけ」と言われたことに激昂して頭部に椅子を何度も打ち付けたもの。
昭和30年(1955).8.7〔19歳が父親殺害して自殺〕
千葉県山武郡の自宅で、無職の3男(19)が父親(57)を殺害して自殺した。病気療養中の3男に父親が嫌味を云ったことでカッとして匕首で胸を刺し、己の胸も刺したもの。
昭和30年(1955).8.23〔16歳が日本刀で父親殺害〕
埼玉県北足立郡の自宅で、工員(16)が父親(54)を殺害した。働かずに酒ばかり飲んでいる父親が、酔っぱらって母親とケンカしているのを見てカッとして日本刀で刺したもの。
昭和30年(1955).11.3〔17歳が不良の兄と友人を刺す〕
東京都墨田区の自宅で、三男(17)が兄弟ゲンカのすえ次男(19)の下腹部を匕首で刺し重傷を負わせた。三男は直後に近所のお好み焼き屋に向かい次男の友人に「兄がぐれたのはおまえがいるからだ」と外に連れ出し、友人も肉切り庖丁を手に斬り合い、2人とも負傷した。
昭和30年(1955).11.25〔19歳が冷たい父を殺害〕
東京都荒川区の自宅で60歳の父親が殺害され、5千円や服などが盗まれたが、京都で次男(19)が逮捕された。同居を拒むなど冷たくされたため、口論のあげくタオルで首を絞めたもの。
昭和31年(1956).3.9〔19歳女子が結婚に邪魔な家族4人を皆殺し〕
東京都江戸川区で、家族が一家心中したと女子(19)が隣家に駆け込んだ。母親と小学校1年生の三男はすでに死亡。工員の長男(17)と中学2年生の次男が苦しんでおり、間もなく病院で死亡した。
「おまえは飲まなくていいよ」と母親が言ってから弟たちとジュースを飲んだと女は証言したが、追及すると勤め先の工場から拾ってきた青酸ソーダをジュースに入れて殺害したことを自白した。
昨年の夏に母親の勤め先の理髪店で知り合った青年に結婚を申し込んだが、「扶養家族が多いのは嫌だ」と断られた。そこで一家皆殺しを計画、家族でケンカをしたとき三男がジュースを飲みたいと言ったので、「それじゃ、ケンカの仲直りに」と毒入りジュースを飲ませたもの。
女は犯行が発覚しても顔色ひとつ変えず、留置されるとわかってはじめて泣き出した。父親は5年前に病死していた。
無期懲役が求刑されたが、母親とケンカしての発作的犯行であり、未成年であるため、東京地裁は懲役15年の判決を出した。
昭和31年(1956).5.4〔26歳ニートが母親を殺害未遂〕※参考
東京都目黒区の自宅で、無職(26)が母親(60)を重体にして逮捕された。食事中にケンカして顔や頭をめった打ちにしたもの。
昭和31年(1956).5.9〔25歳ニートを母親が殺害〕※参考
東京都墨田区の自宅で、母親(60)が無職の3男(25)を殺害して自首した。3男はヒロポン中毒となって仕事にも行かず、貧しい家で金をせびって暴れるので家族5人で押さえつけて、母親が「生まれ変わって真人間になってくれ」と言いながら紐で絞殺したもの。
昭和31年(1956).8.12〔18歳ニートが父親刺す〕
東京都北区の自宅で朝7時前、無職の次男(18)が父親(65)を登山ナイフで刺して2ヶ月の重傷を負わせて自首した。仕事を辞めてぶらぶらしており、妹とケンカしたのを叱られてカッとしたもの。
昭和31年(1956).8.14〔高2が継母など2人殺人未遂〕
東京都中野区の高校2年生(17)が、6.2に継母(43)を殺害するためネコイラズ入りの団子を台所に置いたが、継母は異臭のため食べなかった。8.2には貸したトランペットを返せと言ってきた同級生を殺害するため朝5時に畑に呼びつけ背中をナイフで刺して2ヶ月の傷害を負わせたが、人が来たため時計を強奪して逃走した。警察に届けがなかったので発覚しなかったが、立川市の路上で男性(21)が殺害された事件の容疑者として逮捕されて自供したもの。製図師の長男。
昭和32年(1957).3.4〔18歳ニートが一家7人皆殺し〕
神奈川県川崎市の自宅で深夜2時、長男(18)が父親(41)、母親(39)、二男(16)、三男(14)、長女(11)、四男(10)、五男(8)の7人を薪割りで殺害してから放火して全焼させて逮捕された。
他の兄弟は成績優秀なのにひとりだけ成績が悪いと父親に叱られノイローゼになって昨年高校を中退して精神病院に入っていたが、先月退院したばかり。父親との仲が悪く発作的に殺したもの。
昭和32年(1957).6.26〔17歳が父親の後妻を刺殺〕
東京都渋谷区の国鉄職員寮で、助役の妻(40)が首と腹を刺されて殺害され、日光市の店員(17)が血まみれの手のまま交番に自首してきた。店員は助役の先妻の子だが、父親からの送金が最近途絶えて生活が苦しくなり、母親が上京したが後妻に追い返されていた。これを聞いた店員は動物園を見に来たと泊まり、父親が出掛けた隙にナイフで刺し殺したもの。
昭和32年(1957).7.13〔中3が父親を殺害〕
秋田県南秋田郡で、中学3年生の4男(14)が父親(52)を殺害した。手伝いに畑に行こうとしたところ父親に「お前なんか役に立たない」と言われカッとして「この野郎ぶっ殺してける」とナタで首を3回切り、母親と弟に留められナタを取り上げられると他のナタを持ち出してさらに喉に数回切りつけたもの。日頃おとなしいが切れると激昂する性格だった。
昭和32年(1957).7.23〔19歳が家庭内暴力で兄に射殺される〕
千葉県山武郡の自宅で早朝、次男(19)が父親(60)にカマで襲いかかり、留めようとした長男(25)にもカマを振るったので長男は猟銃で射殺した。次男は日頃から素行が悪いため父親に叱られてカッとしたもの。
昭和32年(1957).8.10〔高2が叔父を殺害〕
東京都練馬区の自宅で定時高校2年生(17)が同居している叔父を一升瓶で殴り、割れたビンを投げて腹に突き刺し殺害した。叔父は酒癖が悪く、この日も朝から飲んでののしり続けたためカッとなってやったもの。
昭和32年(1957).8.31〔16歳が家で暴れて父親に殺害される〕
埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町の農家で、二男の工員(16)が父親(52)に5千円をせびったが拒絶されたため「皆殺しにする」とナタや木刀を振り回して暴れ、ナイフで刺そうとしたため、父親がナイフを奪って腹を刺して殺害、自首した。この年の大卒銀行員初任給12,700円。
昭和32年(1957).11.11〔19歳が心中しようと妹殺害〕
大阪府大阪市で、工員(19)が妹の小学6年生の少女(12)を川に突き落として殺害、翌日自首した。両親がおらず生活が苦しいため心中しようとしたが死にきれなかったもの。兄(24)は家出、末の妹(9)は養女に出して行方が判らず、精神的に追い詰められていた。小6少女は成績もよく生徒会副会長も勤める明るい性格だった。
昭和32年(1957).11.21〔中1が勇気を得るため幼女を殺害〕
兵庫県神戸市の雑木林で、中学1年生(13)が同居している従兄弟の女の子(5)を殺害、翌日に発見者を装って通報したが、12.6に家出して警察に保護され、追及されて12.8に自供した。友人の中学2年生(14)2人に「殺人をすると勇気が持てる」と言われ、誰を殺せと指定はされていないのに、折り紙を盗むために幼稚園の塀を乗り越えようとしているところを女の子に見られ、厳しい祖父に叱られることを恐れたこともあって山に誘い出し、探偵小説で知った方法で絞殺、アリバイ工作もしていた。中2生は殺人教唆で取り調べ。父親は戦死、母親は米軍人と結婚して米国に行ってしまい、祖父母に育てられていた。成績は悪く、内気な性格で、学校も休みがちだった。
昭和32年(1957).11.24〔高3が思い通りにしてくれない母親を殺害〕
神奈川県厚木市の自宅で、定時高校3年生(18)が母親を殺害し現金千4百円を奪って逃走したが、翌日逮捕された。「母が思い通りにしてくれなかったので殺した」と自供した。工業用の大ハンマーで後頭部を殴って殺したもの。
昭和32年(1957).12.4〔高2が酒乱の父親殺害〕
大阪府堺市の自宅で、定時高校2年生(17)が父親(42)の頭を鉄の花瓶で殴って、母親(37)と2人で紐で絞殺、逮捕された。父親は3年前に仕事をやめて酒を飲んでは暴れ、この日も「殺してやる」と包丁を手にしようとしたため留めようとしたもの。
昭和32年(1957).12.16〔9歳が弟を射殺〕
鹿児島県熊毛郡の農家で、兄(9)が猟銃で遊んでいて弟(7)の眼を撃ち抜いて殺害、山に逃げた。
昭和33年(1958).1.3〔19歳が両親を殺人未遂〕
神奈川県川崎市の工員寮で、父親(61)と母親(61)が夫婦ゲンカをはじめたので二男の工員(19)が留めたがケンカをやめないので、台所のナタで顔や頭に切りつけて両親に重傷を負わせた。日頃から酒を飲んで妻子に乱暴を働く父親にカッとして、ひとおもいに殺そうとしたと自供。
昭和33年(1958).1.28〔小3が猟銃で妹射殺〕
福岡県田川市の自宅で、小学3年生(9)が妹(4)に猟銃を突きつけふざけているうちにこめかみを撃ち抜いて殺害した。弾が入ってないと思ったと自供。
昭和33年(1958).2.9〔16歳ら兄弟が父親を殺害〕
山口県吉敷郡の自宅で、人夫(20,16)兄弟が父親(43)を殺害して自首した。父親は酒乱で日頃から暴力を振るい、この日も暴れたために棍棒でめった打ちにしたもの。評判のいい兄弟だった。
昭和33年(1958).5.11〔18歳が職場で兄を殺害〕
東京都文京区の東大工学部の工事現場で、とび職(18)がとび職の兄(21)に遅刻を叱られ丸太で頭を殴り、翌日に死亡して傷害致死で逮捕。
昭和33年(1958).5.21〔18歳が甥を誘拐殺人〕
愛知県碧南市の小学校内の貯水池で、4年生が腐った子供の足首を釣り上げ、水をかい出してみると幼児(6)の死体が発見された。昨年の12.16に誘拐され「60万円よこせ」という脅迫状が何通も届いており、死体に重しとして結びつけられていた鉄棒が幼児の叔父(18)のものだったため逮捕された。
昨年6.17、雪村いづみに脅迫状を送り、金を受け取りに現れたところを逮捕され、7月に少年鑑別所を出所していた。中2の時にこの池で溺れていた子供を救助して表彰されていたが、助けたのは発見者の4年生だった。
昭和33年(1958).6.15〔13歳ら姉妹が酒乱の父を絞殺〕
東京都足立区の自宅で、廃品回収業の父親(44)が長女(16)と次女(13)にヘコ帯で絞殺された。弟(5)は足を押さえていた。仕事もせずに酒を飲んで乱暴を働くので母親は家出していた。減刑運動が起こり、異例の保護処分となった。
昭和33年(1958).6.15〔中1が継母を刺す〕
東京都豊島区の自宅で、長男の中学生(13)がママ母(56)の首を刺身庖丁で切りつけ2週間の傷を負わせた。継子あつかいがひどく、母親に足蹴にされたため。
昭和33年(1958).6.22〔17歳ら兄妹3人が父親殺人〕
福島県安積郡の農家で、長男(21)、次男(19)、長女(17)の3人が父親(45)の首を絞めて殺害、尊属殺人で逮捕された。父親は愛人宅に住んで畑仕事は子供たちにさせて収穫代金だけ巻き上げており、この日も押し掛けてののしったため思いあまって殺害したもの。地裁は事情を考えて死刑か無期しかない尊属殺人ではなく傷害罪で懲役3年執行猶予付きの判決を長男に出した。
昭和33年(1958).7.9〔5歳が父親を殺す〕
東京都足立区の自宅で、木炭商(33)が長男(5)と遊んでいて、ブリキの刀で首を強く叩かれショック死。
昭和33年(1958).7.12〔中3が母親を殺す〕
愛知県守山市の自宅で、中学3年生(14)が母親(42)とケンカして、足払いで転倒させ、翌日に脳内出血で死亡させた。授業料を出してもらえなかったため。
昭和33年(1958).8.20〔18歳ら姉弟3人が父親殺人〕
京都府京都市の自宅で、次女(24)、三女(20)、長男(18)の3人が父親(53)の首を絞めて骨を折って殺害、殺人で逮捕された。小学校校長を退職して現在は浴場を経営しているがてんかんの発作でたびたび暴れて乱暴するため手足を縛って死ぬかも知れないと思いながら首を絞めたもの。
昭和33年(1958).8.23〔高3が家庭内暴力を働き父親に殺される〕
東京都品川区の自宅で、長男の明治学院高校3年生(19)が金をせびり、父親(47)が百円を渡すと「これだけではしょうがない」とカナヅチを振り回して暴れ、いったん寝たが深夜3時にまたカナヅチを持って寝ていた父親に金を要求したので、父親はカナヅチを奪って頭などを何度も殴って寝巻きのヒモで絞殺した。これまでもたびたび小遣いをせびって暴れており、ほかの家族は母親の実家に退避していた。成績は中くらい。父親は執行猶予判決。この年の大卒銀行員初任給1万2,700円。
昭和33年(1958).8.24〔高2が酒乱の兄を絞殺〕
東京都西多摩郡の自宅で、家出していた長男(31)が酔っぱらって帰ってくるなり「一家皆殺しにする」と暴れたため、五男の定時高校2年生(19)が麻縄で絞殺した。
昭和33年(1958).9.3〔22歳ニートを母親と東大生が絞殺〕※参考
東京都新宿区の東京教育大教授(54)宅で、母親(48)と次男の東大1年生(20)が、長男の無職(22)を絞殺して自首した。長男は横浜商業高校を1年で中退、高価なものを買えと家庭内暴力を繰り返し、この日も4万円を要求して暴れたため母親が後ろから手ぬぐいで首を絞め、次男も手伝って殺害したもの。次男は「前途ある青年」であるとして異例の不起訴となり、母親も執行猶予判決となった。この年の大卒銀行員初任給1万2,700円。
昭和33年(1958).10.9〔29歳ニートを父親が絞殺〕※参考
東京都板橋区の自宅で、父親(61)が長男の無職(29)を絞殺して自首した。長男はぶらぶらしながら家の金を持ち出して競馬に使い、父母を殴って骨折させたり家庭内暴力を繰り返し、前日も暴れたため、就寝中に手ぬぐいで首を絞めて殺害したもの。
昭和33年(1958).10.13〔16歳が兄を殺害〕
東京都荒川区の自宅で、長男(20)が父親に小遣いをせびって口論中に、カッとした三男(16)がいきなり木槌で長男を後頭部を殴って殺害した。
昭和33年(1958).12.5〔中3がおやつのケンカで兄を刺殺〕
東京都杉並区阿佐ヶ谷の自宅で、高校2年生(17)の長男と中学3年生(14)の次男がおやつのことでケンカとなり、兄が弟のパンを取って殴ったので弟が庖丁で兄を刺し殺した。
昭和34年(1959).1.5〔高2が祖母を空気銃で射殺〕
茨城県稲城郡の自宅で、高校2年生(17)が空気銃で祖母を射殺。弾が入っていないと思い込んで引き金を引き、頭を撃ったもの。
昭和34年(1959).1.12〔2歳女子がガスをいたずらして祖母と次女殺害〕
京都府京都市の会社員宅で、長女(2)がガスで祖母(68)と次女(1)が中毒死させ、長女も重体となった。日頃からガス栓を開けてシューという音を聞くいたずらをしていた。
昭和34年(1959).2.4〔38歳ニートが父親殺害〕※参考
神奈川県横浜市の自宅で、無職(38)が父親(65)を殺害して物置に死体を隠したが自首した。3ヶ月前に工場を辞めてから、毎日酒を飲んでぶらぶらしており、父親に怒られてカッとして縄で絞殺したもの。
昭和34年(1959).4.8〔16歳が義妹を殺害し捨てる〕
北海道野付郡の自宅で、長男(16)が義妹(6)を板きれで殴って殺害、セーラー服を着せランドセルを背負わせて登校途中に倒れたようにみせかけて1キロ離れたヤブに捨てた。4.18に死体が発見され自供。出産のため両親が不在。女の子は母親の連れ子で、全身に無数の傷や、手のひらにやきごての跡があった。
昭和34年(1959).4.28〔16歳が父親を射殺〕
鳥取県八頭郡の自宅で、長男(16)が父親(58)を殺害した。父親が酔って母親に乱暴して猟銃を向けて脅したので猟銃を奪って弾を込めてから頭を撃ったもの。そばにいた母親にも当たって2ヶ月の重傷を負わせ、派出所に自首した。中卒後に家業の鳥肉商をしていた。
昭和34年(1959).9.14〔17歳が父母に強盗〕
長野県安曇郡の自宅で、夫婦が強盗に襲われ重傷を負ったが、長男(17)が犯行を自供した。理髪店で住み込みをしていたがたびたび両親の元に金をせびりに行ったためいい顔をされないので強盗を思いついたもの。
昭和34年(1959).9.26〔15歳ニート女子が叔母を殺害未遂〕
東京都渋谷区の自宅で、無職女子(15)が同居している叔母(33)の首を絞め、ナイフで腹を刺して重体とした。この姪の父親は戦病死し、母親も7歳の時に死んだため小学6年生から会社員の叔父夫婦に引き取られていたが、やがてグレだし不良仲間と遊び歩くようになったために1年間保護施設に入れられ、その後も女工や店員の仕事を1週間で辞めてぶらぶらしていた。「食事のあとかたづけくらい手伝いなさい」と叱られたのを怨んで殺人計画を立てていたと自供。
昭和35年(1960).2.16〔16歳が父親を撃ち殺す〕
和歌山県東牟婁郡の農家で父親(46)が殺害され、次男(16)が捕まった。石垣積みを手伝わされたが怠けていたので叱られ、恨みに思って家に帰って村田銃で撃ち殺したもの。2年前に窃盗で少年院に入ったことがある。
昭和35年(1960).2.24〔高1の家庭内暴力に父親銃で撃つ〕
山口県下関市の農家で、高校1年生(17)が母親(39)に小遣いをねだって拒否されると逆上して包丁を振り回して暴れた。父親がとめようとして猟銃で撃ち、重体となった。
昭和35年(1960).2.27〔高2が酒乱の父親殺害〕
大分県豊後高田市の自宅で、高校2年生の長男(17)が父親を殺害した。父親が酔って母親に乱暴を振るうのをとめて寝かし付けたが、深夜に起きて物干し竿で竹ヤリを2本作って長男を起こして1本を渡し、「おまえとは親子の縁を切る。決闘しよう」と突いてきた。長男は背負い投げをしたが父親が耳を噛むので絞め技を掛け、窒息死させたもの。
昭和35年(1960).3.23〔父親が家で暴れる13歳長男を殺害〕
神奈川県横浜市の自宅で、会社員の父親(40)が長男(13)を殺害して自首した。学校には行かず、家で家具などをこわして暴れるので、寝ているところを絞殺したもの。
昭和35年(1960).3.23〔17歳が兄殺害〕
福島県東白川郡で、少年(17)が兄を殺害して、すぐに逮捕。
昭和35年(1960).4.28〔中3が父親を毒殺〕
大阪府貝塚市の自宅で、父親(59)がウイスキーを飲んで死に、三男の中学3年生(14)が毒殺したことを自供した。前夜に姉とテレビのチャンネル争いでケンカして父親に叱られた。「入院でもすればうるさくなくてすむ」と野犬狩り用の劇薬をウイスキーに入れたもの。
昭和35年(1960).6.18〔高2が父親を刺殺〕
東京都品川区の自宅で、二男の高校2年生(16)が父親(47)を殺害し、自首した。朝に本を読みながら菓子屋の店番していて父親に叱られ、家を飛び出し国会デモに参加して深夜に帰宅したが、カギが掛けられていたため逆上して寝ていた父親を登山ナイフでめった刺しにしたもの。昨年に母親が死んでから父親はよく二男に当たるようになったため、今月初めにナイフを買って殺害を計画していた。
昭和35年(1960).7.13〔16歳が父親殺害〕
福島県郡山市で、少年(16)が父親を殺害して、翌日逮捕。
昭和35年(1960).7.27〔18歳がカッとして父親殺害〕
北海道釧路市の自宅で、高校3年生(18)が父親(54)を数回殴って脳内出血で殺害した。炭坑夫の父親は酒乱で、母親に乱暴したり、「金を掛けて学校にやっているのに生意気だ」と唾をかけられたりしてカッとしたもの。真面目でおとなしい性格だった。
昭和36年(1961).1.21〔19歳が姉を殺害〕
千葉県野田市の小学校校長宅で、同居している姪の元小学校女教師(25)が殺害され、弟(19)が逃走先の横浜で逮捕された。
昭和36年(1961).6.18〔18歳工員が2人の妹の殺害を図る〕
群馬県富岡市の自宅で、工員(18)が、就寝中の中学2年生(13)の少女と小学4年生(10)の少女の姉妹をマサカリで殴り、1,2ヶ月の重傷を負わせた。4千円を手に山中で3泊した後、東京に出て上野動物園を見物。前橋に戻って映画を観たあと、高崎市内に来て捕まった。
昨年に父母、兄が病気で死亡。残された40アールの田畑を耕作しつつ、工員をして働くも生活は苦しく、「足手まといの妹たちを殺してよそへ行きたい」との思いで犯行に及んだ。
昭和36年(1961).7.12〔17歳が兄を刺殺〕
神奈川県横浜市の理髪業の三男(17)が兄(26)を殺害した。兄が酒乱のため刺身庖丁とナタでめった刺しにしたもの。
9.4には北海道紋別郡の看護婦(21)が妊娠8ヶ月の中学生の妹(15)にクレゾール液を注射して殺害し自分もクレゾール液を飲んで自殺しようとしたが死に切れずに自首してきた事件が起きている。
昭和36年(1961).7.25〔高1が兄を刺殺〕
東京都杉並区の下宿で、会社員の次男(24)が三男の高校1年生(18)に殺害された。三男は広島の高校に通っていたが交通事故で遅れたため退学して東京の私立高校に入学、しかし学校をさぼって遊び歩いていたため先に上京して働いていた長男と次男が説教したが三男が口答えしたため次男が殴った、カッとした三男は果物ナイフで次男の胸を刺したもの。
昭和36年(1961).11.10〔18歳理容師が不良の義兄を撲殺〕
東京都荒川区の理容師(18)が、江戸川区の母親宅に住む姉(22)の内縁の夫(22)を殺して自首した。被害者は素行が悪く、窃盗や恐喝で4回も捕まり、姉以外の家族にも乱暴していたため、まじめで家族思いの少年が、就寝中にレンガで頭を滅多打ちにしたもの。
昭和36年(1961).12.11〔19歳が父を殺害す〕
東京都葛飾区の自宅で父親(45)が会社員の長男(19)に殺害された。昨年母親が死亡して3ヶ月後に後妻を迎えたが、長男と次男は子供よりも継母を大事にする父親が気に入らなかった。また、長男は都立校を卒業してから二度大学受験に失敗して経済的理由から進学をあきらめるように言われていたこともあって、ささいなケンカからカナヅチで顔面を数回殴ったもの。
昭和37年(1962).4.9〔20歳が父親毒殺しようとして近所の幼児2人殺害〕※参考
栃木県宇都宮市の農家で、長男(20)が仕事でこき使う父親(49)を殺すために庭先に置いた農薬入りジュースを近所の人が拾って帰り、その家の長男(9)と長女(4)が飲んで死亡した。駄菓子屋や薬局に行ってジュースや毒薬を売らなかったという証明書を書いてくれと頼んだり、新聞社に「俺が犯人だ」などと捜査を撹乱するため送った手紙の筆蹟が一致したためバレたもの。
昭和37年(1962).5.7〔19歳が母親に乱暴して無罪判決〕
神奈川県横浜市の自宅で、昨年に少年(19)が母親に暴行、止めに入った巡査(26)のピストルを奪おうと乱暴したことで暴行と公務執行妨害で起訴されたが、この日に無罪判決が出た。
「『法律は家庭に入らず』という言葉もある。家庭内の平和や共同生活に危険が無く、また、社会的にみても家庭内の出来事として無視しても差支えない程度のものは、処罰しないのが刑法の精神」というのが横浜地裁の判断(求刑は10月)。これを受けて横浜地検では「やたらに母親が殴られてはたまらない」と控訴する方針。
昭和37年(1962).9.1〔19歳女が病気の妹を殺害〕
宮城県玉造郡の自宅で六女(13)が四女(19)に殺害され、四女はダムに飛び込んで自殺した。六女は頭の病気で中学校に行けず、不敏に思ってマフラーで首を絞めたもの。
昭和37年(1962).9.15〔19歳がケンカして父親殺害〕
秋田県の林の中で、三男(19)が父親を殺害した。日頃から仲が悪く、ケンカして絞殺したもの。家族が警察に捜索願を出したが、三男も何食わぬ顔で捜索に加わり、発見者となって死体を家まで運んでいた。
昭和37年(1962).9.29〔15歳が父親をマサカリで惨殺〕
秋田県大館市の自宅で、日雇い人夫(15)が父親(43)を殺害した。父親は日頃から酒乱で、この日も暴れたため、カッとしてマサカリで頭をめった打ちにしたもの。おとなしい性格だった。
昭和37年(1962).11.22〔高2が祖母殺害〕
三重県南牟婁郡の自宅で、高校2年生が祖母(54)に殴る蹴るの暴行を加えて、肋骨骨折とくも膜下出血で殺害した。精神衰弱で4月から休学して自宅療養をしていたが、翌日精神病院に入院することになり、祖母の頑迷のせいで病気になったと思い込んで恨んでいた。精神分裂症による心神喪失だとして不処分。
昭和38年(1963).1.9〔高1がノイローゼで兄を刺す〕
東京都新宿区の自宅で、高校1年生(16)が兄の高校3年生(18)をナイフで胸など3回刺して3週間の傷害を負わせた。成績に悩んでノイローゼとなったもの。ナイフは海軍技術士官だった父親の形見。
昭和38年(1963).2.10〔16歳が両親刺傷〕
北海道函館市の自宅で、朝食中に親子ゲンカをはじめて3男(16)が出刃包丁で母親(57)を刺殺。父親(63)の顔を刺して2週間のケガを負わせた。
昭和39年(1964).2.〔少年が父親を殺害〕
島根県江津市の自宅で、少年が父親を殺害した。母親に小遣いをねだっているのを叱られ殴られたためカッとして包丁で腹を刺したもの。昭和37年2.1に小学6年生(12)に悪口を言われてカッとして殺そうとナイフで背中を刺して重傷を負わせて、間脳性てんかん病と診断されて医療少年院に入り、昭和38年5月に退院して自宅で農業をしていた。心神喪失で不処分となり、精神病院に入れられた。
昭和38年(1963).3.15〔17歳ニートが同居している従兄弟ニートを殺害〕
神奈川県横浜市の農家で、無職の長男(17)が同居している無職のいとこ(19)を殺害した。いとこは両親を亡くしたため5歳の時に引き取られていたが、仕事もせずに叔父夫婦から金をせびって遊んでいた。長男も不良だったが日頃から仲が悪く、「金もないのに遊び歩いている」といとこに言われて昼寝しているところを斧で頭を数回殴って殺し、便所に放り込んだもの。1ヶ月以上も経ってから警察が家宅捜査し、5.2にようやく死体を発見、長男を追及するとあっさり犯行を自白した。
昭和38年(1963).3.18〔中2が父親襲うことを依頼〕
福岡県大牟田市の中学2年生(14)が「親父の頭を殴って気絶させてくれ。その間に俺が金を盗み出して千円をおまえにやる」と知り合いの中学2年生(14)に依頼した。「よし」と承諾した中2生は樫の棒を持ってこの家に行き父親(56)の頭を5,6回殴った。2週間のケガを負いながら、父親はこの中2生を捕まえた。名古屋への旅費欲しさのための犯行。
昭和38年(1963).12.〔19歳女子が父親毒殺〕
熊本県の自宅で、無職の4女(19)が煮込みに農薬ポリドールを混入し父親(52)を殺害、北九州市に逃走したが逮捕された。中卒後はパチンコ店などで住み込みで働いていたが病気のため11月に辞職して実家に戻っていた。家の米を持ち出して金にしたり、姉の結婚資金2万円を盗んだりしており、バレると父親に叱られ、家出しても連れ戻されるので殺人を計画したもの。まったく罪の意識がない。
昭和39年(1964).5.13〔高3が母親殺害して放火〕
新潟県北魚沼郡の自宅で、高校3年生の次男(18)が母親(46)を殺害、放火して家を全焼させた。成績も良く夜遅くまで大学受験の勉強をしていたが、夜中の2時に「もう寝なさい」と母親に注意され、「こんなに一生懸命勉強している俺の立場がわからないのか」と帯で首を絞めて殺し、死体に石油をまいて火を付けて逃走、カミソリで手首を切ったが死にきれずに聖書を手に茫然と立ちつくしているところを捕まったもの。
昭和39年(1964).6.22〔16歳が叔父をナイフで切り付け、反対に20歳が3人刺殺〕
大阪府堺市の工場経営者(39)宅で、甥の工員(16)が詰まらないことでカッとしてナイフで工場経営者の手を刺した。その場にいた工員(20)がナイフをもぎ取って甥を刺し殺し、留めようとした工員(27,24)の2人も刺殺、2人に傷害を負わせて駆けつけた警官に逮捕された。この家に住み込んでいる工員で、酔っぱらっていた。
昭和39年(1964).7.15〔エリート一家の高校生弟殺害事件〕
東京都三鷹市の自宅で、慶応志木高校3年の長男(18)が2年の次男(16)をナタで惨殺、逃走したが2日後に捕まった。「3人組が侵入して自分はクロロホルムをかがされて自由を失い弟は殺された。犯人のことを言うと自分も殺される」という詳細な筋書きを綴ったノートを持っていたが、じつは兄弟とも野球チームリーダーで人気のある弟をねたんでナタで頭を20数回も殴ったもの。父親は大学教授、母親は日本初の女性検事で少年問題の専門家。
昭和39年(1964).8.4〔高3女が祖父殺害〕
宮城県桃生町の農家で、祖父(79)が高校3年生の孫娘(17)に殺害された。夏休みの旅行のために無断で祖父の貯金から4万3千円を引き出したが、見つかってしまったため遺書を書かせてから祖父の首を手ぬぐいで絞め殺し、自殺に見せかけたもの。
昭和39年(1964).10.6〔16歳が言葉遣い注意した父殺害〕
東京都大田区の自宅で、無職の長男(16)が女友達と遊んでいたところ、父親(40)が「女の子に対する言葉遣いが悪い」と注意した。怒った長男は「おもてへ出ろ」と父親を連れ出し殴って内臓破裂で殺害した。
昭和39年(1964).10.10〔小5がプロレスごっこで弟死なせ自殺〕
鳥取県倉吉市の自宅で小学校4年生の三男(9)がプロレスごっこで小学校5年生の次男(11)に首を絞められて死に、次男も首を吊って自殺した。「おかあさん、ぼくは悪い子です。おとうさんのところにいきます」という遺書とプロレスの星取り表が残されていた。
昭和40年(1965).4.1〔17歳女子と母親が義理の父親殺害〕
東京都足立区の自宅で深夜0時、母親(45)と次女(17)が内縁の夫の工員(47)を殺害して自首した。7年前に2人の子供を連れて同棲するようになったが、籍は入っていなかった。酒を飲んで暴れたため帯で絞殺したもの。
昭和40年(1965).4.15〔中3が父親殺人〕
鹿児島県谷山市の自宅で、中学3年生(15)が父親(49)を殺害して自首した。無職の父親が酒を飲んで暴れたため薪で殴ったもの。傷害致死で逮捕。
昭和40年(1965).4.17〔33歳が父親殺人〕※参考
神奈川県横浜市の自宅で、洋品店主(33)が父親(65)を殺害して自首した。店のことで揉めて登山ナイフで胸を刺したもの。
昭和40年(1965).4.24〔26歳が小学校で生徒4人を襲う〕※参考
埼玉県蕨市の小学校校庭に昼休み時間、無職男(26)が侵入し、1年生(6)、4年生(9)、4年生(9)の3人にナタで襲いかかり頭蓋骨骨折の意識不明の重体とし、4年生女子(9)に10日間のケガを負わせた。浦和高校を卒業してからぶらぶらしており、家族に暴力をふるうなど狂暴な性格だった。
昭和40年(1965).4.26〔23歳が父親殺人〕※参考
東京都墨田区の自宅で、工員(23)が父親(50)を殺害して自首した。結婚を反対されてカッとしてくり小刀で胸などをメッタ刺しにしたもの。
昭和40年(1965).4.9〔25歳ニートが金欲しさに父親殺人〕※参考
東京都千代田区の自宅で、3男(25)が父親(58)を殺害、逃走したが4.25に自首した。
父親の倉地武雄は元朝日新聞記者で、言論時代社を設立し政界暴露新聞「マスコミ」で影響力を持ち、ダム汚職の証人として国会喚問されたばかりだった。
3男は成績優秀な兄弟で1人だけ劣等生で大学受験に失敗してからグレて、父親は自分の後継にしようとしたが働かずに会社の金を持ち出しスポーツカーを乗り回して女と遊び歩いてぶらぶらしていた。金欲しさに父親をアイスピックでメッタ刺しにして現金20万円を強奪、豪遊していた。死刑が求刑されたが、東京地裁はコーヒーの飲み過ぎによる刺激性不安状態にあったとして無期懲役判決。
映画「金環蝕」はこの事件をモデルとしている。
昭和40年(1965).5.12〔高1が父親刺殺〕
岩手県柴波郡の自宅で、私立高校1年生(15)が父親(41)を刺殺した。学校での非行の犯人扱いされて東京の学校に転校したいと相談したが素っ気ない返事だったのでカッとしてナイフで胸を刺したもの。裕福な農家の3人兄弟の長男で甘やかされて育ち、父親は過干渉で、家出や飲酒喫煙を繰り返していた。
昭和40年(1965).9.〔17歳が母親祖母と協力して酒乱の義父殺害〕
新潟県の農家で、長男(17)が母親(43)や祖母と3人で義父(30)を殺害した。実父は昭和26年に病死、父の弟と再婚したが、酒乱で家族にたびたび暴力を振るい、この日もノミを振り回して暴れたため帯で絞殺したもの。中卒後は農業に従事していた。
昭和41年(1966).1.26〔20歳ニートが父親殺害して強盗偽装〕※参考
神奈川県横浜市の自宅で、無職男(20)が会社社長の父親(58)の頭を31回もカナヅチで殴ったうえに首を絞めて殺し、強盗に襲われたように偽装工作、発覚して逮捕された。
昭和41年(1966).6.5〔16歳が母親絞殺〕
東京都品川区の工員(16)が無断欠勤して4日に福島県白河の実家に帰り母親(38)に「寂しくて嫌になった。一緒に暮らしたい」と言ったが反対された。腹を立てた工員は翌日未明に寝ている母親の首を絞めて殺害、東京に戻って4日間部屋にこもっていたが9日に自首してきた。
昭和41年(1966).6.27〔高3が母親刺殺〕
神奈川県川崎市の高校3年生(18)が出刃包丁で母親(49)を刺し殺した。自衛隊への入隊を希望していたが、大学に進学するよう言われて反対されたため。
昭和41年(1966).10.1〔16歳ニートが父親刺殺〕
東京都荒川区の京成電鉄ガード下で、次男の無職少年(16)が父親(46)をナイフで刺し殺した。この春に中学を卒業してから遊び歩いており、3日前に家出して友人(16)の家に泊まっていたが、父親がやってきて連れ帰ろうと叱り続けるのに腹を立ててナイフで刺したもの。父親は友人の家族も非難したため、「俺の家に因縁をつけるのか」とナイフを持って友人も追いかけてきたため殺人予備罪で捕まった。
昭和42年(1967).8.18〔19歳が警官の父親殺害〕
福岡県三潴郡の駐在所で、長男の浪人生(19)が父親の巡査(42)を殺害、傷害致死で逮捕された。ノイローゼで、いきなり胸や腹を包丁で刺したもの。
昭和42年(1967).8.28〔中3が祖父殺害〕
福井県坂井郡の中学3年生(14)が「祖父を殺した」と自首してきた。祖父(73)は中風で半身不随だったが、テレビを見ていると「やかましい」と怒鳴ったり、母親にあたりちらしていた。夕食のときに祖父が「まずい」と言ったのに腹を立て、深夜に寝ているところを紐で首を絞めたもの。すぐ横で寝ていた両親や弟も犯行に気付いていなかった。成績は良く、素直でやさしい性格と近所でも評判がよかった。
昭和42年(1967).9.9〔わが子がこわい 警視庁の少年相談所に急増 母親をなぐる、ける 外ではよい子なのに 朝日新聞引用〕
外ではよい子なのに、家の中では母親に乱暴をする少年がこの春ごろから目立ってふえてきた。顔や身体にアザやコブをつくって、警視庁少年相談所を訪れる母親、同所の相談の3分の1はこうした乱暴少年のケースだという。
その1人、杉並区の母親(43)の訴え――長男A君(16)は、都立高1年生。昨年秋ごろから家の中で突然暴力を振い出した。出前のラーメンをどんぶりごと床に投げつけたり、晩ご飯では食卓ごとひっくり返したり、花びんや灰皿を投げつけたり、母親の返事が気にいらないと「バカヤロウ」呼ばわりの悪態をつき、なぐるけるの乱暴。
しかし学校では、粗暴な振まいは全くなく、性格に暗いところもない。学校の成績はクラスで上位、同級生の受けもいい方。この家族は会社社長の父親(44)、中学1年の妹(13)、小学5年の弟(10)の5人暮らし。
こうした少年に共通するのは高校1、2年生で、中流家庭の長男、学校の成績は上位、家庭外での非行歴ナシといったところ。心理学者のなかには「戦後、家庭における父親の権威が失墜したこと、しつけや道徳教育の不在」に理由を求めたり、「思春期特有の反抗現象の極端なもの」と説明する。直接面接指導しているカウンセラーたちは「これまでの教育心理学や児童心理学では説明できない。かといって精神病者ほどではない」と首をかしげている。乱暴され片目を失明した母親さえいる。
(朝日新聞 昭和42年9・9)
昭和42年(1967).9.15〔乱暴少年三つのタイプ「よい子」にもある反抗 警視庁の調査 朝日新聞引用〕
母親にすぐ乱暴する子どもが問題になっているが、警視庁少年相談所ではこのほど、これまでに持込まれた相談をもとに乱暴少年の実態をまとめた結果、乱暴児たちが一応三つのタイプに分けられることが明らかになった。しかし、こうした乱暴児を生んだ原因やその治療法についてはまだ不明な点が多いため、同相談所ではそれぞれの専門分野からの意見を聞き、治療法などを研究するという。
同相談所では、さる四月からこれまで受理した少年相談の内容を整理、分類してみたところ、乱暴児の訴えが予想外に多く、三十八件もあることがわかった。この中には浅草、新宿、大森、立川の各少年センターや第一線の警察署で受けた相談は含まれていないので、実際の数字はさらに多いとみられる。
乱暴児の相談内容を調べると、"暴発"するさいの状況や前後の事情、本人の育ってきた過程と家族関係からみて一応三つのタイプに分けてとらえられる。
第一のタイプは、小さいときから親に非常に大事に育てられ、普通三つ四つのころに出る"ダダっ子現象"があまりみられなかった「よい子」に多く、反抗のかたちに幼児じみたところがあるという。
第二のタイプは、小中学生のころから「勉強、勉強」と母親にいわれてきた子ども多く、母親のことを"ママゴン"と呼ぶなど半ばおそれながら従っていたのが、高校にはいったころから逆にバカにし出すケースがほとんど。
第三のタイプは、家庭環境や家族関係には特に問題がなく、いわば「理由なき反抗」ともいえるタイプ。本人の気質の中に、テンカン質やヒステリー性らしいふしもいくぶんみられるという。
しかし、この三つの型に必ずしもあてはまらない乱暴児の例もかなりあるといい、また教育ママに育てられたからといって必ずこののような乱暴児になるとは限らないので、育ってきた生活環境がどこまで原因につながるものかはっきりしない。
少年相談所では、これらの"臨床例"からえた資料をもとに、都内の少年相談所や青少年施設、社会福祉、精神医学など各分野の専門家の協力をえて、「問題行動児のケースワーク研究会」を開き、治療法をいろいろな角度から研究したい、といっている。
(朝日新聞 昭和42年9・15)
昭和43年(1968).2.20〔中3が叔母をレイプしようとして従兄弟の幼児殺害〕
福島県須賀川市で、中学3年生(15)が隣家に押し入り、叔母(26)をレイプしようとして抵抗されたため包丁で顔や手に切りつけ10日間の傷害を負わせたが、叔母は逃げて助かった。その前に犯行に邪魔な叔母の長男(2)を外に連れ出そうとしたが戻ってくるので絞殺して2百メートル離れた池に死体を捨てていた。盗んだ自転車で宇都宮駅まで逃走、大宮行きの切符を持っていたが、夜に逮捕された。父親が3年前に死亡している貧困家庭の3人兄妹の2男。学校は休むことが多く、成績も悪く、内気で友達もいなかった。自宅にテレビが無いので隣家で見せてもらっていたが、先月から叔母が見せてくれなくなったため、母親と叔父が上京して留守だった機会に仕返しとしてやったと自供。医療少年院に入った。
昭和51年(1976).6.15、24歳になった男は、千葉県銚子市の民宿で主人の妻(24)をレイプしてコードで絞殺、長女(生後1ヶ月)が泣いたために絞殺、逮捕された。土木作業員をやっており、近所の工事のため仲間4人で泊まっていて、この女性が中学の時の初恋の相手に似ていたため深夜に1人で抜け出して襲ったもの。昭和55年3.11、最高裁で死刑確定。
昭和43年(1968).2.22〔19歳浪人生が弟を殺害〕
千葉県佐倉市の自宅で、浪人生(19)が寝ていた三男の中学3年生(14)の喉を小刀で刺して殺害、交番に手を血だらけにしながら「おまわりさん、おまわりさん、いま人を刺してきました」と自首した。
父親は高校教師、母親は歯科医だったが最初から千葉と長野に別れて住み、学校の休みに父親が長野に来るという変則家族だった。浪人生は母方の祖母(おなじく歯科医)に甘やかされて育ち、父親にはなつかなかった。7年前に千葉の父親の元で家族が暮らすようになったが、すぐに母親と祖母が亡くなり、勉強だけに打ち込んで一流高校に入ったが成績は下がり東工大の受験にも失敗、「俺はこの家の子じゃない。本当の母親は生きている。どこにいるんだ、教えてくれ」などとわめき、精神分裂症として病院に入れられた。退院してからは家でごろごろしていた。三男とは仲が良く、「人間は宇宙に帰らなければいけないんだ。弟は宇宙に送られるのだから幸せだよ」と言って罪の意識はない。父親が勉強の邪魔になるとテレビは家に置いていなかった。
昭和43年(1968).3.22〔19歳大学生がカインとアベルをまねて小学生の弟を殺害〕
北海道滝川市の自宅で深夜1時、長男の大学1年生(19)が三男の小学校3年生(9)を殺害した。二男の中学生が物音で眼を覚ましたので「お前はあっちに行け」と隣の部屋に追い立ててからの犯行。
大学生は両親に可愛がられている三男を日頃から妬んでおり、旧約聖書のカインとアベルの話を読んでから弟を殺さないと兄の権利が奪われると思い5,6年前から機会を狙っていた。春休みのため東京の大学から帰省中で、両親が留守の隙に針金で首を絞めて殺害したもの。
昭和43年(1968).5.20〔19歳少年が自宅を療養仲間に強盗させる〕
福岡県余像郡の病院に療養中の少年(19)が療養仲間2人(20と23)に同県北九州市の八幡製鉄社宅の自分の家を強盗させた。仲間2人が押入った後、少年が現金を強奪する手筈だったが、交通費の持ち合わせが無かったことから同行を断念。短刀2本を持たせ、向かわせた。犯行の日は父の給料日だったことから決まったもの。父は入院中。母は継母。少年は6回の補導歴があった。2人は現金14万円を盗み、姪を縛って服を切り裂いたが、戻ってきた母に見つかり捕まった。
昭和43年(1968).12.25〔19歳浪人生が本当の気持ちを伝えるために母親を刺殺〕
山口県下関市の自宅で、浪人生(19)が母親(40)を出刃包丁で刺し殺し、留めようとした水産大学校助教授の父親(46)にも2週間の傷を負わせた。
「お母さんとはよく話していたが、自分の本当の気持ちが理解してもらえなかった。台所で言い争いになったが本当の気持ちを訴えるつもりで刺した」と自供。一人息子でこの春に神戸大学の受験に失敗、夜遅くまで熱心に勉強していた。高校時代の成績は中程度で、柔道部に属する陽気で人に好かれる性格だった。
昭和44年(1969).5.7〔ボンドを吸引し父親刺す〕
ボンドを吸引して陶酔状態になった無職少年L(17歳)は、父親に金をせびって断られたのに激こうして所持していた切出しナイフで逃げる父親の背後から10日間の傷害を与えた。(44.5.7 長野) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和44年(1969).5.10〔15歳がアルコール中毒の父の殺害を幇助〕
神奈川県鶴見区の自宅で、飲食店経営の母(52)が日頃家族に暴行を働くアルコール中毒の夫(42)に愛想を尽かし殺害を計画。三男(15)に命令して寝ていた父を抑え、母が腰紐で絞殺した。
昭和44年(1969).5.16〔18歳運転手がアルコール中毒の父を刺殺〕
群馬県桐生市で、運転手(18)がアルコール中毒の父(47)を、8ヶ所をめった刺しにして殺した。家族に対しての暴力が絶えなかった為。
昭和44年(1969).6.6〔ボンド吸引し放火〕
福岡県無職少年V(16歳)は、実兄とともに1年位前からボンドを乱用していたが、発狂し就寝中の実母に暴行を加えたうえ、台所障子にマッチで放火しようとして警察官に制止され未遂に終わった。(44.6.6福岡) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和44年(1969).9.4〔19歳が両親をめった打ちして殺害〕
埼玉県大宮市で左官の父(60)と母(57)が殺され、左官の次男(19)が逮捕された。3日夜に仕事から帰ってきたとき食事の用意ができていなかったことに腹を立て、翌朝、寝ている両親を角材で殴り、縛り上げてから2百メートル離れたゴミ捨て場に運んでさらに頭をめった打ちにして殺害したもの。枯れ草が被せられていたが、死体は5日に発見された。日頃から父親に仕事のことで叱られていて、母親からも「怠け者」と言われ恨んでいた。以前にも母親を突き飛ばしてケガを負わせている。
4.19には愛知県海部郡で盗んだ車で事故を起こして入院中の元工員(20)が見舞いに来た母親に叱られてガーゼで絞殺、10万円を奪って逃走、5.26には空き巣に入ったところに中学2年生の少女が帰宅したため強姦して絞殺、1350円を奪った事件も起きている。
昭和45年(1970).1.10〔17歳女子ら3人が愛人2人をコンクリート詰め殺人〕
大阪府北河内郡四条畷町でコンクリート詰め殺人を犯した無職男(40)、女(22)、女子(17)の3人が、逃走先の北海道江別市の旅館で逮捕された。
昨年8.17に兵庫県姫路市で女性(59)と共同経営していた店が倒産すると、この女性の三男の妻である女と、女性の姪の女子と、女性の従姉妹の内妻(48)の4人の女を連れて姪の父親の車を盗んで逃走、女性が病気になって邪魔なので女たちに命じて殺害して琵琶湖に車ごと死体を捨てた。内妻がノイローゼとなって犯行がバレそうになったため2人の女に命じて虐待して12.1に殺害、コンクリート詰めにさせたもの。一族の女4人を愛人として操っていた。
昭和45年(1970).10.9〔ボンド乱用し尊属殺人未遂ならびに公務執行妨害事件〕
中学2年生当時からシンナー遊びを覚え、その後常習者となり精神病院に入ったことのある少年(16歳)が、9月20日午後11時ころ、自宅で接着剤プラボンドを吸引しているところを父親に発見され、再入院させると注意されたことに逆上し「皆殺しにしてやる」と刀渡り75センチのナイフを振りかざして襲いかかり、さらに急を聞いてかけつけた警察官に対し、木片等を投げつけたうえナイフで突きかかり、けん銃の威嚇射撃によって制圧逮捕された。(45.10.9京都検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970).11.26〔16歳女が父親を絞殺〕
埼玉県児玉郡の自宅で二女(16)が酔って寝ていた無職の父親(58)を殺害した。二女は23日に少年(18)と泊まりがけでドライブに行ったが、「娘が傷ものにされた」と怒って20万円の慰謝料を要求した。10ヶ月の月賦で払うことになったが、怒りのおさまらぬ父親が二女の晴着を焼いたため、腹を立てて首を絞めて殺したもの。
昭和45年(1970).12.4〔少年、病院行き迫られ、義父を殺す〕
大阪府で少年、病院行き迫られ、義父を殺す。
昭和46年(1971).4.〔ボーイフレンドと実家に押入り実母を殺害して金品を強奪した事件〕
被害者の2女(19歳)は、不良交友、窃盗を重ね中等少年院に収容されたが退院後も素行が改まらず、バンドマン(18歳)と不純交遊を重ね遊興費に窮したことから、被害者(実母)方に両名で押入り帯ヒモで絞殺の上現金、衣類等を強奪した。(札幌4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和46年(1971).5.11〔16歳が弟を虐待殺人〕
宮崎県児湯郡の農家で、無職の兄(16)が小学2年生の4男(7)を殺害した。1か月前から嫌がる弟を空手の相手にして、投げ飛ばして頭を打って脳内出血にさせたもの。内蔵破裂と肋骨骨折もしていた。
昭和46年(1971).5.26〔中2女子が酒乱の父を絞殺〕
兵庫県神戸市の自宅で、中学2年生女子(13)が、父親(36)を殺害した。働かずに酒を飲んでは暴れ、この日も朝から飲んで酒を買ってこいと言ったためケンカとなり、祖父(71)の首を麻縄で絞めようとしたため女子が取り上げたが、さらに手で締めようとしたため、麻縄を三重にまいて祖父と2人で絞殺したもの。母親は幼い時に離婚。生活保護を受けていた。
昭和46年(1971).6.1〔2歳女子が妹2人にビニールかぶせて殺害〕
和歌山県和歌山市の自宅で、長女(2歳7ヶ月)が双子の2女と3女(生後55日)の顔にビニールを1枚づつかぶせて窒息死させた。母親(25)が赤ちゃん2人に掛かりっ切りとなったために嫉妬して、これまでもタオルを顔にかぶせていじめており、何度叱ってもやめなかった。
昭和46年(1971).9.13〔高1がいじめる祖父を殺害〕
千葉県四街道町の自宅で祖父(76)が殺され、高校1年生の孫(16)が自首した。祖父がいつも「お前は頭が悪い」といじめるので、テレビを見ている祖父を後ろからカナヅチで20数回殴り、逃げようとするところを首を絞めて殺したもの。
昭和47年(1972).3.〔14歳の中学生、酒乱の父のガス殺しをはかるが、未遂に終る〕
14歳の中学生、酒乱の父のガス殺しをはかるが、未遂に終る(西新井) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和47年(1972).4.〔両親を脅迫した小学校5年生の女子〕
小学校5年生(11歳)の女子は、両親が共稼ぎで放任されているところから、自分がかまってもらえないため、両親にあて紙片に「100万円よこせ、あす午前11時NHK裏までこい、さもないと殺す」と脅迫文を自宅の玄関戸口に置いて脅迫した。(北海道4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和47年(1972).9.3〔18歳が犬を買ってくれない母親を殺害〕
東京都国分寺市の自宅で、長男(18)が母親(62)を殺害した。犬を買うための8万円をねだったがもらえなかったため、追いかけまわして果物ナイフで胸を刺したもの。長男は脳軟化病で養護学校に通っていた。
昭和47年(1972).9.4〔高2が教育ママを殺害〕
神奈川県厚木市の自宅で、母親(43)が殺され、上野公園をうろついていた長男の高校2年生(16)が犯行を自供した。母親はPTAの役員をつとめるなど教育熱心で、成績が下がった長男を叱咤激励したため長男はノイローゼとなり病院に通っていた。前日家出して4日に帰ってきたのだが、「ノイローゼの薬を飲みなさい。家出なんかしないで勉強したら」と叱られたため、庭に建てたプレハブの勉強部屋で母親の首を絞めて殺害したもの。
昭和47年(1972).9.10〔高2が両親相手に暴れて放火〕
山形県長井市の自宅で、三男の高校2年生(17)が「学校をやめて東京で働きたい」と言い出したので父(51)と母(50)が説得していると、突然暴れ出して小刀やカナヅチを振りまわした。両親、祖母、妹、兄嫁は家の外に逃げて警察に連絡した。警官30人と学校の教師で説得したが「親父を刺してやる。近づくと俺の腹を刺す」などとわめき散らして、父親の部屋に放火、待機していた消防車によってすぐに消し止められたが煙と放水で飛び出してきたところを逮捕された。6月にバイクで転倒して同乗の友人にケガを負わせたため学校をやめたがっていた。成績は普通だった。
昭和47年(1972).9.〔19歳少女が姉を包丁で刺し、殺人未遂〕
姉と不仲がこうじて包丁で腹を刺し、殺人未遂で19歳の少女つかまる(板橋) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和47年(1972).11.12〔4歳の姉が邪魔な弟をバケツに閉じ込め殺害〕
宮崎県宮崎市の祖母宅で、高さ60センチのポリバケツの中で孫の男の子(2)が窒息死した。姉(4)が友達の女の子(4)と外に遊びに行こうとしたが、弟がじゃまになり、バケツに無理やり入れてフタを被せて廻転させて開かないようにして遊びに出掛け、30分後に祖母が発見したがすでに死んでいた。8月に母親が家出したため、祖母の家に預けられて、父親とも離れて暮らしていた。
昭和47年(1972).11.14〔中1が1人で育てていた弟を折檻殺害〕
大阪府摂津市の自宅で、中学1年生の長男(13)が妹(1)をいじめる次男(2)をせっかんして殺害した。父親(39)は先月蒸発、継母はホステスとして働きに出て家に帰ってこないために、長男が学校に行かずに継母との間にできた子供2人を育てていた。妹のおもちゃを取り上げて泣かせるので、弟の顔や腹に殴る蹴るの乱暴を働いたもの。
昭和48年(1973).1.30〔受験に悩んで暴れる息子、母がしめ殺す〕
東京都で受験に悩んで暴れる息子、母がしめ殺す。
昭和48年(1973).6.17〔19歳がアル中の父親殺害〕
東京都中野区の自宅で、予備校生の次男(19)が石工の父親(52)を殺害した。アル中で、この日も酔って暴れて次男の勉強部屋で寝たため、カッとして紐で絞殺したもの。
昭和48年(1973).9.〔シンナー乱用に伴う無職少年の実父殺害〕
少年(無職19歳)は、ボンド等乱用により精神病院入院歴のあるものであるが、平素から注意され強い不満の念を抱いている実父に当日も叱責されたことに憤慨し、同人の頭部、顔面等を電気アイロンで殴打し、更にアイロンのコードで首を締めて殺害し、更に死体にシンナーをかけ点火して逃走したが自然消火し放火未遂に終った。(青森9月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和48年(1973).10.15〔中3女が叔母を刺殺〕
静岡県富士市の自宅で、中学3年生女子(14)が養母(42)を殺害した。1日に家出し14日に保護されて帰宅したが、説教にカッとして台所の庖丁で15カ所をめった刺しにしたもの。
生まれてすぐに母親が亡くなり父親も行方不明となって3歳から叔父夫婦に育てられていた。これまでも二度の家出と自殺未遂をしている。「説教してうるさいから消した。これで意見する者がいなくなってせいせいした」と平然としている。
昭和50年(1975).3.29〔高2女が父親に頼まれ殺害〕
香川県綾歌郡の自宅で、高校2年生の長女(17)が父親(49)を殺害した。父親は胃潰瘍で療養中だったが胃ガンで長くないと思っており「2,3日の命だ。早く楽にしてくれと父親に頼まれたため、日頃から勉強中も用事を言いつけられてうるさく思っていたこともあってとっさに殺そうと決意した」と自供。手斧で頭を数回殴ってストッキングで首を絞めたもの。目立たないおとなしい性格だった。
昭和50年(1975).5.3〔高1が勉強の邪魔と母を殺害〕
長崎県佐世保市の自宅で、高校1年生の長男(15)が母(37)を殺害した。酒好きの母親が酒を買って帰ったのでいつものように勉強の邪魔をされると思いケンカになり、将棋盤で頭を2,3回殴って腹を蹴ったもの。
昭和50年(1975).9.3〔高1が口うるさい祖母を絞殺〕
埼玉県越谷市の自宅で、二男の高校1年生(15)が祖母(60)を殺害した。成績は良かったがガリ勉とからかわれ友達もいないことから学校に行かなくなり、祖母から「勉強しなくちゃだめ」と強く叱られた。「口うるさいし、いっそのこと殺してやれば心配させなくてすむ」と祖母を紐で絞殺、死体を洋服ダンスのなかに隠した。家族が行方不明になった祖母を捜し回っているのを尻目に死体のある部屋で寝ていたが、2日後に自首したもの。無口でおとなしい真面目な性格だった。
昭和50年(1975).12.29〔18歳孫娘が祖母を殺害して死体と2ヶ月同棲〕
北海道河西郡で一人暮らしの老女が行方不明となり、その家に孫娘(18)と元自衛官の男(21)が同棲して老女の預金を引き出すようになったことに不審を抱き捜査したところ、12.29に押入からカチカチに凍った老女の遺体が発見された。
10.30に2人は老女宅を訪ねて金を貸して欲しいと頼んだが断られたため、寝ているところを縛り上げて金を奪おうとしたが抵抗したので、また結婚を反対されていたこともあって、孫娘がまな板で頭を殴り、男にナタで殺害させたもの。
孫娘は幼いときに両親が亡くなり叔父の養女となったが叔父も死に、10年前に祖母に引き取られていた。家を出て男と同棲していたが2人とも仕事をやめたため金に困っていた。
昭和51年(1976).1.6〔高1ら兄弟と母親が酒乱の父親殺害〕
東京都江東区の自宅で、高校3年生の長男(18)、高校1年生の次男(16)、母親(44)の3人が、酒乱の父親(45)を懲らしめようと殴る蹴るの暴行を何時間も加えて、内臓破裂とくも膜下出血で死亡させた。東京地裁は執行猶予判決。
昭和51年(1976).4.5〔高1が祖父を絞殺〕
静岡県御殿場市の自宅で、祖父(81)が孫の高校1年生(15)に殺害された。寝転がってテレビを見ていると「テレビばかり見ていて勉強しない」と祖父に叱られ、カッとしてナタで殴り殺したもの。3年前に母親が病死して祖父、父との3人暮らしだった。
3.23には大阪市生野区で2年間浪人中の長男(21)が両親と祖母(70)の3人をナイフで刺した上に鈍器で殴って惨殺。4.8には神奈川県横浜市で長男(20)が祖母(86)を「いつも馬鹿にするから」とバットで殴り殺している。
昭和51年(1976).5.28〔25歳ニートが母親殺害〕※参考
埼玉県大里郡の農家で、無職の長男(25)が母親(50)の頭を農具で突き刺して殺害、父親(57)をツルハシで殴って重体として逃走、すぐに逮捕された。精神病院に入院歴があり、シンナーを吸ってぶらぶらしていた。
昭和51年(1976).8.23〔高1が親友を刺殺〕
山形県天童市の県立高校1年生(16)が、深夜3時に自室で親友の2年生(16)をナイフで20カ所もめった刺しにして殺害、逃走したがすぐに捕まった。成績トップで東大目指して猛勉強をしていたがノイローゼとなって留年、「親友は自分より成績が悪いのに人気者で、中学の時に生徒会長になって自分は落選したからねたんで殺そうと計画していた」と自供。家庭内暴力も激しかった。父親は小学校校長。
昭和51年(1976).10.30〔35歳ニートが父親刺殺〕※参考
東京都葛飾区の自宅で、無職の長男(35)が父親(68)を殺害、逮捕された。働かずに酒ばかり飲んでいるので家族でトラブルが絶えなかったが、酔っぱらって小遣いを要求して父親に叱られたためカッとして包丁で心臓を何度も刺したもの。
昭和51年(1976).11.9〔高2がアル中の母親殺す〕
神奈川県横浜市の自宅で、私立高校2年生(17)が母親(43)を殺害、逮捕された。アル中の母親が明るいうちから酔っぱらっていたためケンカとなって、激昂して引き倒して引きずって何回か蹴飛ばしたもの。
昭和51年(1976).12.27〔中1が義父を刺殺〕
東京都小金井市の自宅で、一家4人がケーキを食べているときに父親(33)が長男の中学1年生(13)に「お前は親類や俺の実家に行っても行儀が悪く俺の顔は丸つぶれだ。電話の受け答えもできない情けないやつ」とこづいた。「いつも文句ばかり言ってやがる」と言い返したので父親は殴った。カッとした長男はケーキを切った包丁で父親の胸を刺して殺害した。「殺すつもりはなかった」と泣きじゃくっている。
母親は10年前に離婚して3年前にいまの父親と再婚したが長男は入籍を認められずに親戚に預けられていた。今年になって引き取られたが父親とはうまくいっていなかった。夫婦のあいだには2歳の妹が生まれていた。成績は普通で性格にも問題はなかった。
昭和52年(1977).5.27〔中3が父親殺害して仲間と相談〕
兵庫県神戸市の自宅で、中学3年生(14)が父親(43)を殺害した。煙草をくわえながら女友達と電話中に父親が「また煙草を吸ってる」と殴った。カッとした中3生は「ちょっと待ってくれ」と電話で告げてから台所の庖丁で父親を刺し「いま親父を殺してやった」と言ったが相手が信じないので電話で父親のうめき声を聞かせた。それから風呂場に連れて行って心臓を刺して殺害、死体を寝袋に入れた。
女友達を含めた同級生の仲間8人(男3人、女5人)に連絡を取り集合して死体を前に相談をした。皆は自首をすすめたが、「自首をするなら死ぬ」と言ったため警察には連絡せずに翌朝全員が学校に登校、中3生は「父親がいなくなった」と教師に言い、2人で自宅に向かっている途中に警官を見て山に逃走した。腹を空かして女友達に電話で食料を頼んで取りに行こうとして捕まった。
父親は10年前に離婚、母親がいないのでとくに躾には厳しくしていた。「父親は釣りなどで遊んでいるのにボクのしつけにはうるさく身勝手だ。就職したかったのに高校に行けと言われた」と自供。仲間は血まみれの死体を見ても平然としていた。
7.12には東京都新宿区で4浪の長男(23)が「東大なんて生意気」と言った東京母親大会連絡会事務局長の母親を殴り殺している。
昭和52年(1977).10.13〔2歳女子がカミソリで赤ちゃんの顔を切り刻み殺害〕
岩手県東磐井郡の農家で、長女(2)が三女(生後2ヶ月)の顔をカミソリでずたずたに切り裂いて殺害した。
母親(29)が顔剃りに使っているカミソリのため、マネをしただけだという分析もあったが、祖父が気づくまで異常な泣き声を上げている赤ちゃんに17回も切り付けており、残虐性があると考えたほうが自然であろう。
この日に父親(27)が出稼ぎにでかけて、ほかの家族も畑仕事に忙しくて相手にされていなかった。赤ちゃんのことはお人形のように可愛がっていた。
昭和52年(1977).10.27〔5歳が泣きやまない赤ちゃん殺害〕
神奈川県の自宅で、長男(5)が弟(0)にフトンをかぶせて窒息死させる。「赤ちゃんが泣きやまないから。赤ちゃんはちっとも可愛くない」と自供。
昭和52年(1977).10.29〔家庭内暴力の高校生を思いあまって父が殺す〕
東京都で家庭内暴力の高校生を思