少年犯罪データベース 学校関係の事件

※昭和24年以前の年齢表記は数え年のため満年齢にすると1〜2歳低くなる※




昭和2年(1927).2.10〔小学校教師が女子生徒(満13歳)を繰り返しレイプ〕※参考
 埼玉県入間郡で、小学校教師(27)が高等2年生の女子生徒(15)をレイプしていて諭旨免職となった。去年の8月から落第させるぞと脅して繰り返し関係を強要していたもの。教師からの手紙を男子生徒が拾って発覚した。満13歳のときからの関係なので和姦でもレイプになるため警察も捜査開始。妻と娘がいる。


昭和2年(1927).4.29〔女学校1年(満12〜13歳)が小6から教師と付き合って自殺未遂〕
 神奈川県横須賀市の自宅裏山で、船越実科女学校1年生(14)が包丁で喉を突いて自殺を図ったが父親に発見されて病院に運ばれたため2週間のケガで済んだ。小6の時から小学校教師と恋愛関係になり、ラブレターを見られて父親に叱られたため。雑貨商の長女。


昭和2年(1927).4.27〔中4らが校長に反対して大暴れ〕
 千葉県の県立中学校で、4,5年生(18)が寄宿舍の窓ガラス数十枚を割るなど大暴れして逮捕された。校長の自由教育によって水戸高等学校などに1人も合格者を出せなかったため、校長を更迭するように知事に陳情して街中でデモ行進をしようとしたが警官隊に防止されたため激昂したもの。リーダーの5年生5人が退学処分、8人が停学処分。
 軍事教練助手の特務曹長が煽動していたことが発覚し、辞表提出を迫ると校長と教頭に殴りかかった。5年生数十人も校長と教頭に暴行を働こうとして警官に留められた。


昭和2年(1927).5.7〔小学校女教師が体罰で重傷を負わせる〕※参考
 千葉県東葛飾郡の小学校で、女教師(28)が生徒(12)を殴って重傷を負わせた。学校は被害者と和解したと県に報告していたが、父兄は誠意がないと6.8に傷害罪で警察に告発した。


昭和2年(1927).5.17〔小学校高等科1年(満12〜13歳)が学校で下級生殺害〕
 鹿児島県肝属郡の小学校で、高等科1年生(14)が6年生(13)の頭をホウキで殴ってお尻を針で刺し、翌日死亡させた。詰まらないことでケンカしたもの。


昭和2年(1927).6.11〔小4(満8〜9歳)が下級生を橋から突き落とす〕
 千葉県香取郡で、小学4年生(10)が登校中に3年生(9)とケンカして橋の上から川に突き落とし、何百メートルも流されたが、通行人に救助された。


昭和2年(1927).6.17〔小4女子(満8〜9歳)が授業中に同級生女子殺害〕
 東京市本所区(現墨田区)の小学校教室で、4年生女子(10)が授業中に同級生女子(10)の頭をメートル尺で殴り、翌日死亡させた。級長で、被害者の副級長とは日頃から仲が悪く、ケンカしたもの。


昭和2年(1927).9.10〔小4が授業中にケンカ、教師がけしかける〕
 埼玉県比企郡の小学校教室で、4年生(11)が授業中に同級生(12)とケンカをはじめたが、教師(25)は「腕ずくで勝負しろ」と格闘させた。級長(11)がとめようとすると、同級生数十人に殴られたが、教師は見ているだけだった。3人は傷害を負って学校を休み、父兄は怒って同盟休校を決議。


昭和2年(1927).5.28〔小学校教師が体罰で発狂させる〕※参考
 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現渋谷区)の小学校教室で、教師(27)が6年生(12)の頭を殴り、さらに教卓に頭を何度も打ちつけ「帰れ」と怒鳴ると、小6生は泣きながら帰宅したが、発熱して精神異常となった。昨日の下校中に同級生とケンカになって傷害を負わせたことを叱ったが、翌日の遠足に行かないから費用を返してくれと云ったため激昂して体罰を加えたもの。
 医者が殴られたので発狂したと診断したため、父親は訴訟すると怒ったが、教師を転任させて、学校が治療費を払うことで示談となった。


昭和2年(1927).10.24〔慶応大学生が軍事教練中に酔って暴れる〕
 千葉県下志津の陸軍演習場で、慶応大学生350人が1週間の軍事教練を受けていたが、10.24深夜1時に数十名が抜け出して料亭で酔って暴れ、帰り道でも商店の看板を壊して回り、派出所の看板まで投げ捨てたので逮捕、憲兵隊が取り調べ。


昭和2年(1927).10.26〔中5ら100人が学校で暴れる〕
 千葉県山武郡の県立成東中学校で、5年生100人近くが教室、講堂、職員室などの窓ガラス千枚以上を割った。前日の軍事教練や教員排斥への反発で、近所の神社に集合してから、棍棒、竹刀、石などを手に、夜8時に叫びながら学校になだれ込んだもの。通報を受けて警官隊が急行したが引き上げたあとだった。


昭和2年(1927).12.16〔小2(満9〜10歳)が授業中に同級生を刺す〕
 北海道旭川市の小学校の教室で、2年生(11)が授業中に鉛筆削りナイフを借りに来た同級生の腹を刺して動脈切断の重体とした。


昭和3年(1928).1.9〔小学校教師が6年生女子18人に猥褻〕※参考
 東京府豊島郡巣鴨町の小学校の教師(32)が、受け持ちの6年生女子60人のうち女学校進学希望者18人を放課後に受験指導する口実で2ヶ月間に渡って裸にして変態的行為を繰り返し、発覚して免職となった。妻と4人の子供がいる。


昭和3年(1928).3.6〔中5数人が卒業式後に校長殴る〕
 富山県高岡市の県立高岡中学校で、5年生(満17歳前後)数人が卒業式の直後に教員室に押し入り、校長と教師1人を殴った。日頃から校長に素行を注意されていたのを怨み、卒業証書を持ったまま復讐したもの。卒業式の来賓が大勢いた前での犯行。
 3.9には高岡中学校卒業生数人が登校の教師1人を待ち伏せて殴ったが、教師は逆に殴り返して重傷を負わせて中学校に逃げ込んだ。


昭和3年(1928).3.15〔小6(満12〜13歳)が授業中に同級生を刺す〕
 神奈川県横須賀市の小学校の教室で、6年生A(14)が同級生B(13)の胸をナイフで刺して重傷を負わせた。授業中に教師が訪問者と廊下で話しているうちに、BがAの机をナイフで削った。言ってもやめないので反対にAがBの机をナイフで削ると頭を殴られカッとしたもの。


昭和3年(1928).4.5〔中5が教師殴って職員室で大暴れ〕
 福岡県福岡市の県立修猷館中学校で、5年生が職員室で教師を殴って椅子を振り回して窓ガラスを割り机を壊して大暴れした。教師総出で取り押さえようとしたが収まらないので通報で駆けつけた警官隊に逮捕された。福岡高校を目指して猛勉強をして神経衰弱になって、アメリカの大学に提出するという英文論文を書くために前夜学校で徹夜しており、英語の質問をしようとしたが放課後にしてくれと言われてカッとしたもの。


昭和3年(1928).5.7〔高等小学校2年生10数人が卒業式前に暴れる〕
 福岡県大牟田市の高等小学校で、2年生10数人が3月下旬の卒業式前に担任教師への不満から教室で暴れて机や椅子をこわしたことが発覚して市議会で問題となった。教師は辞表を出したが引き留められている。


昭和3年(1928).7.28〔小学校高等科1年が教師に云われてリンチ〕
 茨城県真壁郡の小学校教室で、高等科1年生(14)が同級生30人以上に殴られ傷害を負った。教師が修身の授業に「掃除をさぼった者は殴ってもよい」と云ったため。父兄の間で大問題となった。


昭和3年(1928).9.22〔小4(満9〜10歳)が叱られて自殺未遂〕
 茨城県筑波郡で、小学4年生(11)が学校を飛び出し裏山で帯を使って首吊り自殺を図って意識を失ったが、担任教師が見つけて人工呼吸をして命を取り留めた。音楽担当の女性教師の授業のやり方に抗議したが叱られたため当てつけに死のうとしたもの。


昭和3年(1928).10.5〔小5(満11〜12歳)が教室で同級生を傷害致死?〕
 千葉県東葛飾郡の小学校の教室で、5年生(12)が同級生(12)の腕をナイフで刺して重傷を負わせたが、翌日に余病を併発して死亡した。休憩時間中に些細なことでケンカして机のフタで殴ってきたので、やり返したもの。遺族がケガとは関係なく急性脳膜炎で死んだと主張するので解決。


昭和3年(1928).10.6〔小4クラス全員が女教師に暴行〕
 千葉県香取郡の小学校で、4年生45人が授業のため教室に入ってきた担任の女性教師を机のフタで袋叩きにして額に5センチ以上の傷と打撲傷を負わせた。日頃から厳しいことを恨んで復讐したもの。


昭和3年(1928).10.15〔高等小学校2年生女子(満13〜14歳)23人が体罰に反発してスト〕
 千葉県山武郡の高等小学校で、2年生女子23人全員が同盟休校を決行した。男子30人のクラスに今年から女子が編入されたが、担任教師は女子に厳しく日頃から殴ることがあり、この日はグズ、バカと云われたので、村会議員の長女(15)をリーダーとして結束したもの。学校は説得にあたり、10.18から登校することになった。


昭和3年(1928).10.17〔女性教師(満17〜18歳)が成績苦に自殺未遂〕
 神奈川県鎌倉市の小学校教室で、女性教師(19)が服毒自殺を図って重体となった。担任をしている4年生クラスの成績が振るわず、10.15の運動会でもいい結果が残せなかったことを苦にして、理科室の戸棚を火箸で壊して昇汞水を大量に飲んだもの。横浜女子本科をトップで卒業し、4月に勤めはじめたばかり。責任感が強かった。


昭和4年(1929).1.17〔小学校高等科1年が教師に殴られ重傷〕
 千葉県印旛郡の小学校教室で、高等科1年生(13,14)2人が授業中におしゃべりをしていたため教師にコンパスで頭を殴られたが、針が刺さって2人とも重傷を負った。事件を隠蔽したまま示談にしようとしたが、農民組合県連合会本部は真相究明と責任追及を図る方針。


昭和4年(1929).5.9〔教師が小5(満10〜11歳)を体罰殺人〕※参考
 鹿児島県谷山町の小学校教室で、教師(23)が5年生(12)の目を殴り、倒れたところを左右の肺を蹴り、5.12に死亡させて逮捕された。5人で鉛筆を賭けたジャンケンをしていたため体罰を加えたもの。傷害致死で起訴された。


昭和4年(1929).5.28〔小学校高等2年(満13〜14歳)が学校で刺傷〕
 埼玉県秩父郡の小学校教室で、高等2年生(15)が同級生(15)の下腹部を手工用ナイフで刺して重傷を負わせた。詰まらないことでケンカしたもの。


昭和5年(1930).6.4〔中3(満14〜15歳)が教室で傷害致死〕
 岡山県岡山市の私立関西中学で、3年生(16)が授業中に鉛筆の粉がかかったということで同級生(16)とケンカになり、殴って鼻を折って敗血症で重体とした。学校は1ヶ月以上極秘にしていたが、警察に漏れて7.18に逮捕された。
校長談「ほほう、そんなに悪いのかね、この前見舞いに行った時は大分よいほうだといっていたが、しかし子供の喧嘩じゃないか、大したニュウス・ヴァリューはあるまいよ」(談話は山陽新報引用)
 こののち同級生は死んだが、反省しており学校も自主退学したため、8.1に起訴猶予処分。


昭和5年(1930).6.14〔日大予科生千人以上が学園紛争で大乱闘〕
 東京市神田区の日本大学で、予科生(付属高校生に相当)千人以上が学校に要求を突きつけ全員退学の覚悟で校庭に集結していたが、学校が回答を拒否したため怒って大学部の門を乗り越え押し入った。校舍から花瓶やタンツボを投げてきた者がいるので投石で応酬、大乱闘となり、世耕弘一主事(後の経済企画庁長官。世耕広報担当補佐官の祖父)を袋叩きにし、窓ガラスを割って時計を壊すなど40以上の教室を無茶苦茶に破壊し、警官隊に取り押さえられた。ケガ人多数。
 6.16にも予科生2千人と警官隊数百人が激突、警官隊が投石したので乱闘となって、けが人多数、20人が逮捕された。


昭和5年(1930).6.19〔一高生が寮生総代会で刃物沙汰〕
 東京市本郷区の第一高等学校で、一高寮生総代会中にひとりの生徒はあまりのひどいヤジに激昂、ナイフを抜いて反対派を刺そうとして取り押さえられた。一高と三高の対抗戦で寮生全員が強制的に徴收される応援費一円5銭が毎年問題となっており、この生徒は強制禁止の提案をしていた。生徒たちの嘆願により、停学のみの処分。


昭和5年(1930).6.24〔日本女子大トイレで赤ちゃん死体〕
 東京市小石川区の日本女子大で、妊娠7ヶ月の赤ちゃんの死体がトイレ便器内で発見された。


昭和5年(1930).7.1〔小6が級友7人を毒殺未遂〕
 広島県賀茂郡の小学校で、6年生(13)が同級生7人を殺害するため弁当に劇薬をふりかけたが、異様な臭いのため食べなかったので未遂に終わった。2ヶ月前に盗みをしてから泥棒呼ばわりされ続けたことを恨んで、病院で働く父親から塩化水銀をもらって大量に混入したもの。昼休み前に家に帰ったため怪しまれてすぐに捕まった。


昭和5年(1930).7.23〔19歳(満17〜18歳)花嫁が教師にレイプされた過去を悲観して自殺未遂〕
 和歌山県西牟妻郡で、花嫁(19)が池に飛び込んで自殺を図って意識不明となったが命を取り留めた。医者の長女で、7.20に医者と結婚したが翌日、「11歳の時に担任教師に処女の誇りを奪われた」という遺書を残して行方不明になっていた。
 父親は「世の少女達のため教育界刷新のため娘を犠牲にして血涙を呑んで発表する次第です」と7.29に公表。名指しされた教師(39)は校長になっているので大問題となった。


昭和5年(1930).9.28〔小学校教師が体罰で大問題〕※参考
 京都府京都市の小学校教室で、教師(26)が6年生(13)を殴る蹴る、口に手拭いを押し込むなどの乱暴をして傷害を負わせた。日曜日の中学入試準備補習を休むと届けたが呼び出して体罰を加えたもの。市の視学が調査すると担任をしているクラス42人中39人に体罰を行っており大問題となった。


昭和5年(1930).9.29〔松本高校生が軍事教練中で酔って暴れる〕
 長野県南安曇郡の有明原陸軍演習場で、松本高校生400人が軍事教練を受けたが、到着までの電車内で酒を飲んで騒ぎ、夜も酔って近所の民家で祭の提灯を壊したり燃やしてまわり、兵舍では銃剣で窓ガラスを何枚も割って暴れ、2年生2人は5月に学校で退役大尉教師を殴ったり酔って暴行して停学となっていたため退学処分となった。
 9.30夜には10人が神社で燈籠10以上を壊して暴れて謹慎処分。
 10.1に高校に戻ったが、近所の食堂で12人が下士官兵3人に「軍服を脱いで飲め」「軍国主義を倒せ」などと叫んでケンカになって逮捕、説教だけで翌日釈放された。
『あんそろじい旧制高校  第3巻』の当事者生徒の手記による。


昭和4年(1929).10.21〔小6(満11〜12歳)がケンカで刺傷〕
 千葉県香取郡の小学校で、6年生(13)が5年生(11)の腕をナイフで刺して重傷を負わせて、さらに刺そうとしているところを教師に取り押さえられた。日頃から仲が悪く、校庭でケンカしたもの。
 学務部長談「以前からいがみ合いをしていたもので、学校当局でも相当注意していたものである。加害者の実父は退校させるといっているが前途ある小学児童のこととて学校当局で注意して退校させぬ考えである」(談話は東京日日新聞千葉版引用)


昭和5年(1930).12.24〔小学校校長が妻を保険金殺人〕※参考
 高知県長岡郡の小学校教室で、校長(43)が妻(34)にアヒ酸入りのお茶を飲ませて毒殺した。小料理屋の仲居に入れ上げて1万2千円の借金があり、この仲居を替え玉にして1万5千円の保険金を妻に賭けていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
 大審院で死刑が確定したが、皇太子殿下御誕生恩赦で無期に減刑。


昭和6年(1931).4.30〔16歳(満14〜15歳)が女子校に侵入して女生徒襲う〕
 山口県玖珂郡の実業公民学校で、近所の少年(16)が棍棒と出刃包丁を持って押し入り、教室にいた女子15人に襲いかかり、逃げ遅れた1年生女子(16)を椅子に縛りつけて頭を滅多打ちにして重傷を負わせ、窓ガラスを割って、自分の頭を包丁で刺して重傷を負ったところを逮捕された。


昭和6年(1931).5.5〔慶応大学生が軍事教練で風紀を乱す〕
 群馬県高崎市相馬ヶ原の陸軍演習場で、慶応大学生1200人が4.16〜4.30に軍事教練を受けたが、著しく風紀を乱したので憲兵隊が捜査を開始した。兵舍で酒を飲んで暴れて机や扉を壊し、農家の娘を温泉場のカフェーに連れ出したり、東京から女を呼んでドライブなどしており、温泉旅館の主人が注意しても「我々は銀座で鍛えた腕だ」と云って聞かなかった。


昭和6年(1931).5.22〔中5が修学旅行で他校生刺す〕
 滋賀県大津市発の東海道線列車で、修学旅行帰りの栃木県立中学5年生90人と東京私立海城中学生150人が、席の取り合いから大乱闘、海城中生が栃木県立中学生1人(18)の腹をナイフで刺して重体とした。凶器は修学旅行先の奈良で買ったもの。


昭和6年(1931).6.1〔小学校教師が子供殺害〕※参考
 愛知県西加茂郡の自宅で、小学校教師(28)が長男(2)を水瓶に放り込んで殺害した。妻(22)が母親(66)と仲が悪くて離婚したが、その後に子供を産んだので引き取り、結局再婚、しかしやはり嫁姑の関係がうまくいかないので離婚しようとしたが妻は子供と離れるのは嫌だと離婚を拒否したため、神経衰弱になって子供さえいなければ離婚できると考えたもの。一審二審とも懲役3年となったが、それでは母親が餓死すると血判の減刑上申書を出し、大審院は量刑不当で二審を破棄して再審理を命じた。


昭和6年(1931).6.4〔中4ら160人が体罰に反発してスト〕
 神奈川県の県立中学校で、4年生160人全員が同盟休校を決行した。物理教師の机の上にヒキガエルを置き、あやまったのに殴ったことへ激昂、寺に集結して教師を辞めさせるまで登校しないと、校長に決議文を提出した。


昭和6年(1931).10.18〔小学校高等科2年(満14歳前後)が退学恨んで学校に放火〕
 大阪府泉北郡の小学校高等科(現在の中学に相当)で、元2年生5人が放火して逮捕された。非行で春に退学になったことを恨んで、10.7に夜道で担任教師を待ち伏せして暴行を加えようとしたが未遂に終わったことも自供。


昭和6年(1931).11.2〔中4(満17〜18歳)が教室で同級生刺傷〕
 三重県津市の県立津中学で、4年生(19)が同級生(18)の脇腹をナイフで刺した。10.31に、授業中に被害者が栗を食べていて教師に叱られ、復讐のため教師の長男の加害者を殴った。さらにこの日、「お前が告げ口したから叱られた」と云って殴ろうとしたため。被害者は柔道と水泳の選手。学校は極秘にしている。


昭和6年(1931).11.21〔小学校教師13人が船内で乱交パーティー〕※参考
 佐賀県小城郡の小学校教師13人(うち女教師5人)が、事実視察の名目で釜山旅行に出掛け、船内で乱交をして、たまたま乗り合わせていた釜山署員に逮捕された。翌年1.1付けで校長は依頼退職、9人が三ヶ月間3分の1減棒、3人が譴責の処分。内密にしていたが1.19に発覚。


昭和7年(1932).2.10〔小6(満11〜12歳)が学校で上級生刺殺〕
 鹿児島県肝属郡の小学校校庭で、6年生(13)が高等科1年生(14)を殺害した。昼休みに詰まらないことでケンカしてカッとして同級生の持っていたナイフを奪っていきなり腹部を刺したもの。


昭和7年(1932).3.18〔女学生10数人が学校で暴動〕
 富山県氷見郡の県立氷見高等女学校で、5年生(満17歳前後)10数人が卒業式の前日に蜂起、成績表を破り、教室の窓ガラスを割って回り、机を壊して暴れた。教師数人に怨みがあり、また成績に不満を持って乱暴したもの。学校は謝罪文を書かせただけで事件を隠蔽し、卒業式後の3.21に校長は辞表を出した。


昭和7年(1932).3.20〔商業学校4年生ら4人が教師4人に乱暴〕
 長崎県佐世保市で、県立佐世保商業学校4年生3人と卒業生1人が教師の自宅3軒に押し掛けて袋叩きにしたあと、校長の自宅に押し掛け門燈や扉を壊し植木を折るなど乱暴して逮捕された。3人が落第にされたことで教師3人に怨みがあり、校長も教育家としてのあたたかみがないからと自供。


昭和7年(1932).3.29〔東大生11人がカンニングで退学〕※参考
 東京市の東京帝国大学で、卒業試験において大規模なカンニングが行われ、容疑が確実な法学部生9人、経済学部生2人が卒業目前で退学、答えを教えた側の3人が6ヶ月の停学処分となった。


昭和7年(1932).5.16〔小6(満11〜12歳)が学校で同級生傷害致死〕
 大阪府大阪市の小学校教室で、6年生(13)が休み時間に同級生(13)と野球のことでケンカして雪駄で腹部を殴った。5.19に腹痛で入院して6.10に死亡した。


昭和7年(1932).6.3〔小学校高等科1年(満12〜13歳)が学校で同級生刺殺〕
 東京府大井町鮫洲の小学校高等科(現在の中学に相当)で、1年生(14)が同級生(14)の胸や腕などをナイフでめった刺しにして殺害した。休み時間にケンカして、教科書などを2階の窓から投げ捨てられたのでナイフで脅したが、「切るなら切ってみろ」と云われたためカッとして夢中で刺したもの。警察に捕まったが、その日に家に帰された。古物商の次男でおとなしい性格。この学校では出身小学校別に派閥を作って常に対立していた。


昭和7年(1932).6.6〔小学校主席訓導(教頭)が体罰で排斥運動〕※参考
 茨城県真壁郡で、小学校主席訓導(教頭)が児童にズイムシ駆除を命じたが、区長が留守だったため取ったズイムシを買い上げなかったため翌日の作業をしなかった。主席訓導は6年生〜高等科2年生の十人以上を殴り、怒った児童は6.11から同盟休校をして、父兄らを巻き込んで主席訓導の転任を訴え、区長は児童たちに10銭づつをズイムシ代としてあらためて払ったが、主席訓導が区長の娘と婚約していることもあって全員投げ返すなど大騒ぎとなった。


昭和7年(1932).6.7〔商業学校で校長排斥〕
 佐賀県立佐賀商業学校で、4,5年生171人が校長排斥で朝から柔道場に集結してストライキ、夜9時になって校長と会見、生徒たちは「校長を叩き殺せ」と襲いかかろうとしたが立ち会った卒業生30人が必死で留めた。警官隊も廊下で警戒していた。


昭和7年(1932).6.7〔小6(満11〜12歳)が授業中に同級生刺傷〕
 茨城県那珂郡の小学校で、6年生(13)が同級生(13)と授業中にケンカして、切り出し小刀で左肩を刺して重傷を負わせた。


昭和7年(1932).6.27〔中4(満19〜20歳)が学校で殺人未遂〕
 東京府北豊島郡(現板橋区)の中学校校庭で、4年生(21)が5年生(18)の左胸をナイフで刺して重体とし、もう1人の5年生(18)にもケガを負わせた。去年転校してきた4年生は柔道初段のため上級生に生意気な態度を取り、5年生柔道部員10数人で殴ったのでカッとしたもの。学校は生徒達に箝口令を敷いて警察にも届けなかったたが、翌日、警察が激怒して取り調べ。
板橋署長談「学校内に惹起した事件について校長に監督権はあるが入院を必要とするような重傷者を出した事件を何等報告せずにいることは実に不都合である。前途ある少年等のことであるから傷害罪で問題を大きくする意志は絶対にないがかかる機会に学校内の腐敗が革正されるならよろしく事件を明瞭にして反省をうながしたい」(談話は東京日々新聞6.29引用)


昭和7年(1932).8.19〔小学生女子(満12〜13歳)が担任教師と関係して出産〕
 愛知県瀬戸市の小学生女子(14)が、担任教師(25)と関係して妊娠、14日に出産したが未熟児のため5日で死亡、19日に死亡届を出したため2人の関係がバレて大問題となった。


昭和7年(1932).9.20〔高等小学校2年生(満13〜14歳)が選挙の怨みで毒殺未遂〕
 長野県上水内郡の高等小学校(現在の中学に相当)で、2年生(15)が同級生(15)の弁当にネコイラズを入れて毒殺を図って逮捕された。2年前の村会議員選挙で父親が落選して同級生の父親が当選したことを怨み、7.23には同級生宅に放火、8月には子供の手にネコイラズを塗って舐めさせようとしていた。


昭和7年(1932).9.27〔小6(満10〜11歳)が学校で傷害致死〕
 東京府荏原郡荏原町(現品川区)の小学校で、6年生(12)が同級生(12)と休み時間に遊んでいて腹を拳で殴ったが、腹痛を訴えて重体となり9.29に死亡した。


昭和7年(1932).11.4〔小学校女教師(満25〜26歳)が夜の仕事で窃盗〕※参考
 東京市京橋区月島の小学校の女教師(27)が、夜はカフェーの女給として働き、客たちと旅館に泊まっては相手が寝ている隙に枕探しを繰り返し、11.4に学校で逮捕された。佐賀県唐津市生まれで和歌山高等女学校卒、3年前からこの小学校の教師となって1年生を担任、2年前から銀座のカフェーで稼ぎ、それでも足らずに客から10回以上窃盗を働いたが、生活は質素で2千円近い貯金をしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。


昭和8年(1933).2.5〔小学校教師が体罰とレイプ〕※参考
 岡山県兒島郡の小学校高等科で、教師が級長を殴って3日寝込むケガを負わせたため両親が訴訟すると激怒。教師宅の商店が50銭の勘定をごまかしたと生徒全員が習字の授業で教師の名前と50銭を並べて清書したためカッとしたもの。
 岡山県御津郡の小学校高等科の次席訓導(32)が、昨年12月に元の教え子である山陰高女5年生(19)を受験準備のためと旅館に連れ込みレイプ、他の教え子もこの旅館で関係したとの噂があり取り調べ。


昭和8年(1933).2.16〔小学校教師が生徒の母親と関係して2万円を恐喝〕※参考
 兵庫県神戸市で、小学校教師(42)が生徒の母親である財産家の未亡人や、財産家の人妻と次々関係し、そのことをネタに2万3千円を恐喝していて逮捕された。自身も妻がいる。神戸地裁は懲役3年の判決。この年の銀行員大卒初任給70円。


昭和8年(1933).2.18〔中学生(満18〜19歳)ら10数人が教師にリンチ〕
 京都府京都市で、中学生12,3人が私立京都中学校教師宅に土足のまま押し入り教師に殴る蹴るの暴行を加えてナイフで頭と唇に10日間の傷害を負わせて逃走、中学3年生(21)と中学生(20)2人が逮捕された。教師への私憤と自供。


昭和8年(1933).2.19〔小学校教師が女教師にセクハラ〕※参考
 兵庫県神戸市の墓地で深夜11時、小学校主席訓導(32)と女教師(24)がいるのを怪しんだ警官に逮捕されたが、2年前の秋に上司の立場を利用して温泉に無理やり同行させてから関係していたことが発覚した。女教師の父親の墓前でデートしていたもの。警察は2人の立場を考慮して表沙汰にせずに釈放した。


昭和8年(1933).2.22〔小5(満11〜12歳)が授業中に同級生刺傷〕
 東京市赤坂区の小学校で、小学5年生(13)が同級生(13)の腕をナイフで刺して傷害を負わせた。授業中に教師が別のクラスに行ったため、遊んでいたもの。成績は良く級長をしたこともある。模範学校だったため学校は内密にすませようとしていた。


昭和8年(1933).3.10〔目黒もらい子殺しで売春女教師逮捕〕※参考
 東京市目黒区で、川俣初太郎(33)が赤ちゃん25人を絞殺して養育費を着服し、3.10に逮捕され死刑となったが、小学校女教師(28)が夜になると公園などで男を誘って売春し、川俣がその客50人を恐喝していたことが発覚した。女教師はお茶の水高等師範学校卒、大分県立高女や四日市高女の教師をしていたが男性教師との恋愛問題で辞職して上京、東京女高師教務係(46)と関係して小学校に職を斡旋してもらっていた。


昭和8年(1933).3.19〔小学校教師が6年生女子レイプ〕※参考
 三重県四日市市の自宅で、小学校教師(34)が教え子の6年生女子(14)を高等女学校口頭試験指導のためと連れ込みレイプ、父兄が学校と市学務に訴えたため教師は免許状剥奪、校長は懲戒処分となったが公表せずひた隠しにしている。


昭和8年(1933).4.2〔小学校教師が児童貯金250円横領して遊郭通い〕※参考
 三重県四日市市の小学校で、教師(33)が担任をしていた6年生14人の児童貯金250円を引き出して横領、カフェーと遊郭で使い果たし、4月から別の小学校で主席訓導となったばかりの4.2に逮捕された。この年の銀行員大卒初任給70円。四日市市の小学校では教師による女生徒への猥褻事件も起きている。


昭和8年(1933).4.19〔小1(満6〜7歳)がからかわれてナイフで殺人未遂〕
 兵庫県城崎郡の小学校で、小学1年生(8)が4年生(11)の腹を手工用ナイフで刺して重体とした。小1なのに体重が50キロもある肥満児で、日頃からデブデブとからかわれており、友達もおらず1人で校庭で遊んでいたが、4年生にデブ君デブ君と云われたためカッとしたもの。


昭和8年(1933).4.24〔23歳(満21〜22歳)日大生ら11人が母校で教師から恐喝〕
 東京市赤坂区の日大第三中学で、卒業生の日大専門部法科1年生(23)が前校長が困窮しているのはけしからんと因縁をつけて総務から50円を脅し盗った。それから校長を脅して70円を盗るなど、子分を引き連れたびたび押し掛けては授業中の教師を呼び出しジャックナイフを突きつけ8百円を稼ぎ、明大生3人、日本歯科医生2人、東京農大生、法政大生、帝京商業生ら11人が逮捕され9.3に送局された。リーダーの日大生は柔道4段で、代議士を殴って不良のあいだで一目置かれていた。この年の銀行員大卒初任給70円。


昭和8年(1933).4.28〔小6が教師の体罰に怒ってスト〕※参考
 兵庫県津名郡(淡路島)の小学校で、6年生が唱歌帳を買うように云われたので普通のノートではいけないかと答えると唱歌担当教師が男子30人全員を殴った。生徒は怒って翌日同盟休校した。
 7月にこの小学校の高等科で朝礼に着物で出てきた1年生に体操服になれと教師が云ったことから怒った生徒たちが結束して大声を上げて教室に立て籠もり、授業料不買運動まで発展して、8.30に以前の体罰事件も発覚して大問題となった。


昭和8年(1933).5.12〔女学校2年生(満13〜14歳)が小学校教師と関係して修学旅行先で出産〕
 奈良県奈良市の奈良女子高等師範学校付属実科高等女学校2年生(15)が、修学旅行に来ていた滋賀県大津市の石山寺で産気づいて赤ちゃんを産んだ。大阪府中河内郡の寺の住職の長女で、この寺に下宿して小学校に勤めながら女子の家庭教師もしていた教師(25)と去年の8月から肉体関係を持っていた。師範学校の成績もいい明るいスポーツマンで模範教師と評判もよく、去年の12月に結婚して3月に寺を出て新婚家庭を持ち、容疑を否認していたが5.17に問い詰められて自供、懲戒免職。新婚の妻は半狂乱。小学校校長は監督不行届の責任で辞表を出したが謹慎処分。両親は2人の関係も妊娠もまったく気づいていなかった。


昭和8年(1933).6.30〔20歳(満18〜19歳)日大生ら30人が学園紛争で内ゲバ乱闘〕
 東京市神田区の日本大学で、学生10数人が密談をしている部屋を覗き込んだ警備員(29)2人を引きづり込んで棍棒で頭を殴って3週間の傷害を負わせて逃走、深夜0時過ぎに戻ってきて、待ちかまえていた学生20人と棍棒で乱闘、3人が重軽傷を負い、20歳ら3人が逮捕された。日大では改革派と学校派が紛争を続けていたが、学校派の柔道部員がさらに二派に別れて内ゲバになったもの。


昭和8年(1933).7.10〔高等小学校校長が女生徒数十人をレイプ〕※参考
 愛媛県喜多郡の高等小学校で、校長(44)が赴任した8年前から1,2年生(満12〜14歳前後)の女生徒数十人をレイプしていたことが発覚して逮捕、7.10に辞表を出した。


昭和8年(1933).12.9〔中3(満15〜16歳)が教室でケンカしナイフで刺傷〕
 東京市神田区の東京中学校で、3年生(16)が併設されている東京実業学校4年生(16)の胸をナイフで刺し、重体として逃走したが自宅で逮捕された。昼休みに教室でケンカしたもの。


昭和8年(1933).12.9〔小学校教師が兄を殺害〕※参考
 岩手県九戸郡で、小学校教師(23)が父親の葬式に兄の小学校教師(27)が酔ってやって来たのでケンカとなり、殴って失神させてから井戸に放り込み殺害、翌年3.28に死体が発見されて逮捕された。何食わぬ顔で何ヶ月も授業を続けていた。


昭和8年(1933).12.13〔商業学校5年生(満16〜17歳)が教室で教師に暴行〕
 大阪府堺市の市立商業学校で、5年生(18)が教師を押し倒して黒板で後頭部を強打させ、無期停学となった。英語の試験中に同級生(18)がカンニングをしていたので教師が答案用紙を取り上げようとしたが抵抗したため用紙が破れたのを見てカッとし、相撲部員なので相撲の技を使ったもの。教師は逃げて試験は中止になった。


昭和9年(1934).1.10〔小学校校長が女生徒(満12〜13歳)と関係〕※参考
 京都府愛宕郡の小学校校長(44)が、教え子と関係した上に捨てたという投書が府学務部に届き、取り調べに2ヶ月間否認していたが、昭和7年12.25〜12.28に京都市の旅館にこの女生徒(当時14歳。満12〜13歳)と泊まっていたところを警察に逮捕され関係を持ったと自供していたことが発覚した。


昭和9年(1934).1.11〔九大エロ写真事件〕
 福岡県福岡市の九州帝国大学で、海外から密輸入したエロ写真の原版を研究室で現像し、会費を取って配布していた。3,4年前から組織的に行われており、カフェーや料理屋にも売り歩くようになって発覚。農学部の助手、学生70人以上が家宅捜査。医学部にも波及する見込み。


昭和9年(1934).1.19〔小6(満9〜10歳)が授業中に同級生刺殺〕
 香川県綾歌郡の小学校教室で、6年生(11)が同級生(12)の腹をナイフで刺し、1.26に死亡させた。担任教師が病欠で代わりの教師が隣の教室に行って不在の時に、買ったばかりのナイフを見せびらかせて「よく切れるぞ」と自慢したが、「そんなボロナイフで切れるか」と云われたためカッとしたもの。知能が低かった。被害者は県会議長の孫。


昭和9年(1934).4.23〔教師が修学旅行で15歳女子(満13〜14歳)をレイプ〕
 鹿児島県肝属郡で、女子(18)が1年前に産んだ長男の認知を求めて昭和7年に半年間交際していた男性(27)相手に提訴したが、男性は女子には他に何人も男がいる、当時通っていた高等公民学校の教師とも関係していたと暴露した。修学旅行中に担任教師が15歳(満13〜14歳)だった女子の床に忍び入って処女を奪ったことが法廷で証明され、父親が誰か判らないので4.23に鹿児島地裁は認知請求を棄却した。


昭和9年(1934).4.27〔16歳(満14〜15歳)が学校でナイフで刺傷〕
 大阪府大阪市の小学校で、少年(16)が高等1年生(14)の太ももをナイフで刺し、同級生に助けられて運ばれていくのを追い掛け肩を2回刺して重傷を負わて逮捕された。校庭で教師の野球大会が開かれており、見物していた卒業生の少年が1年生の冗談にカッとして家からナイフを持って来たもの。


昭和9年(1934).5.23〔20歳(満18〜19歳)ら3人組がピストルで脅して校長拉致〕
 愛媛県松山市で、私立松山高等商業学校生(20)2人と無職(21)ら3人組が夜9時に校長宅を訪ねて警察部長の名を騙って誘き出しピストルを突きつけ自動車とエンジン付き船舶で10キロ以上沖の睦月島の空き家に拉致して監禁、脅して辞表を書かせて5.27に解放、逮捕された。
 無職は4月にこの学校を卒業したが働かずにぶらぶらしており、在学中は無口で人と交わらずに文学とギターに熱中。無職の親戚の幼稚園保母(24)と校長が交際しており、またサーカス見物中に隣の女性の手を握って警官の注意を受けたという風聞を聞いて義憤に駆られたもの。校長は事件の責任を取って辞職した。


昭和9年(1934).7.3〔小学校教師が体罰でケガをさせる〕※参考
 大阪府大阪市の小学校で、教師(23)が5年生(11)の顔を殴ろうとしたが、生徒が避けて帽子掛けの釘でマブタに2週間の傷害を負った。写生の授業を10数人がサボり、叱ると数人が舌を出して教師をからかったので体罰を加えようとしたもの。


昭和9年(1934).7.8〔高等女学校教師(27)が万引き〕※参考
 大分県別府市で、高等女学校の数学教師(27)が洋品店で30円相当を万引きをして逮捕された。これまでも百件以上、数百円相当を万引きしていた。この年の銀行員大卒初任給70円。


昭和9年(1934).7.13〔高等小学校校長が学校で女生徒レイプ〕※参考
 岐阜県山形郡の高等小学校の教室で、校長(49)が高等2年生女子(15)をレイプ、近くの建物から目撃した人がいたため問題となったが、県視学はそのような事実はないという調査結果を出して校長の辞表を却下。しかし、7.24になって校長が自白したため懲戒処分となった。


昭和9年(1934).7.26〔女小学校教師4人が同じ日に万引き〕※参考
 熊本県熊本市で、女小学校教師(24〜32)4人がデパートなどで別々に万引きをして同じ日に逮捕された。ひとりは夫が小学校校長。熊本県では春に玉名郡の小学校校長が窃盗を働いて問題になっていた。


昭和9年(1934).8.30〔女学校校長が学校で女生徒レイプ〕※参考
 静岡県磐田郡の県立高等女学校で深夜0時前、校長が教護室に侵入して3年生女子(17)をレイプして逃走したが、女子から話を聞いた両親が警察に通報して9.1に任意同行で取り調べ。女子はバレーボール選手で、前日の運動会で胸をケガしたため教護室で寝ていたもの。


昭和9年(1934).9.8〔高等小学校教頭が横領して学校放火〕※参考
 東京市渋谷区の高等小学校で深夜1時、現在の教頭に当たる主席訓導(42)が放火して校舍を全焼させて逮捕された。カフェーやバー通いで借金ができ、後援会会計と物品購入係の立場を利用して横領したという投書があって、警察が捜査を開始する直前だった。


昭和9年(1934).9.20〔中5(満16〜17歳)が学校で同級生を刺傷〕
 徳島県徳島市の徳島中学校で、5年生(18)が放課後に同級生(18)の背中を小刀で刺して深さ4センチの傷害を負わせた。別の同級生に「早く帰るとは生意気な」と云われたことからケンカになり、たまたま居合わせた被害者を相手の加勢と間違えたもの。


昭和9年(1934).10.8〔高等小学校教師が体罰〕※参考
 北海道八雲町の高等小学校で、教師が1年生(15)の顔や頭を平手打ちした。掃除をサボったため体罰を加えたもの。泣いて帰ったので、父親は校長に謝罪させた。翌日に頭の痛みがひどくなり、警察が調査開始。


昭和9年(1934).11.19〔高1らの桃色ストライキ事件〕
 山口県山口市の山口高等学校で、1年生(満18歳前後)2人が料亭でジンゲル(芸者)をあげて酒を飲み、ジンゲル2人と料亭の娘を連れてタクシーで寮に帰ったが、寮に女を入れたということで2ヶ月の停学となった。うち1人が総務(寮の生徒代表)就任目前だったため不当な弾圧であると生徒が激昂、同盟休校となった。11.19にリーダー12人が無期停学など、56人が処分。
『あんそろじい旧制高校  第3巻』掲載の次期総務だった人の手記によると、ジンゲル遊びは学校公認でまったく問題なかった、校長は左翼弾圧を終えて次は右翼弾圧を狙い、右翼と間違われて自分が標的となったと記しています。


昭和9年(1934).12.5〔小学校教師が体罰〕
 佐賀県佐賀群の小学校教室で、教師(23)が5年生(11)の顔を8回殴り、胸と顔を2回づつ蹴った。掃除中に同級生とケンカをしたため体罰を加えたもの。
 顔を腫らして帰宅した子供に驚き、父親は校長に謝罪を求めたが相手にされなかったので警察に届け、警察が傷害で捜査を始めると校長はあわてて謝罪した。情操教育の模範校で、全国から視察が絶えない学校だった。


昭和9年(1934).12.19〔小6(満11〜12歳)が学校で同級生を刺傷〕
 石川県能美郡の小学校で、6年生(13)が放課後に同級生(13)とケンカになり、ナイフで肩を刺して傷害を負わせた。


昭和10年(1935).1.2〔高等小学校校長が女生徒(満14〜15歳)と関係し袋叩き〕※参考
 大島の隣りの利島の高等小学校(現在の中学に相当)で、校長(51)が2年生女子(16)と畳敷きの教員室で夜中に明かりもつけずに一緒にいるところを、青年団6人が窓ガラスを割って押し入り殴る蹴るの暴行を加えた。校長と女生徒との関係が噂になっていたので、尾行していたもの。校長は告訴するが、青年団も校長解任を要求。


昭和10年(1935).2.8〔17歳(満15〜16歳)が同級生バットで殴る〕
 愛知県名古屋市の私立名古屋工業学校で、生徒(17)が同級生(17)をバットで殴って10日間の傷害を負わせて逮捕された。学校内の勢力争い。


昭和10年(1935).2.15〔17歳女子(満15〜16歳)が小学校教師と関係して出産〕
 大阪府豊能郡の小学校で、高等科補習科2年生女子(17)が陣痛を起こし、自宅に帰って男の子を産んだ。この家に下宿していた小学校教師(28)が2年前から肉体関係があり、昨年11月には他の女性と結婚していた。怒った両親は告訴しようとしたが、赤ちゃんを引き取って学校を辞めることで示談となった。女子は元村会議員の4女で、妊娠には両親も本人も気づいていなかった。


昭和10年(1935).2.22〔小6(満11〜12歳)が教室で同級生を刺傷〕
 兵庫県川辺郡川西町の小学校で、6年生(13)が放課後に工作室で同級生(13)とケンカになり、工作用の小刀で後ろから肩の下を突き刺して動脈を切って重体とさせて、警察に捕まった。


昭和10年(1935).3.2〔小6(満12〜13歳)が学校で同級生を刺傷〕
 樺太鵜城郡の小学校屋内運動場で、6年生(14)が休み時間に同級生(14)とケンカになり、小刀で背中を突き刺し深さ4センチの重傷を負わせた。日頃から乱暴者だった。


昭和10年(1935).3.23〔小学校教師が女子生徒数十人をレイプ〕※参考
 岩手県紫波郡の小学校で、教師(31)が、県立女子師範学校進学希望者の女生徒(14)ら数十人を放課後に受験指導する口実でレイプして逮捕された。校長(48)も同校の女性教師(24)と不倫の関係を結んでいた容疑で同時に逮捕された。


昭和10年(1935).5.2〔中4(満16歳前後)十数人が修学旅行で酒とタバコ〕
 広島県広島市の広島高等師範学校付属中学で、4年生78人が5.2〜5.12に九州一周修学旅行をしたが、飲食店で飲酒喫煙をしていた者がいたことが発覚し、5.22に3人が諭旨転学、十数人が無期停学処分となった。風紀に厳しい模範校だが、引率教師は見て見ぬ振りをしていた。


昭和10年(1935).5.11〔17歳(満15〜16歳)が小学校校長の妻と心中〕
 広島県呉市で、少年(17)が小学校校長の妻(26)と心中した。兵庫県有馬郡の農家の長男で、両親は死んでいて少年が戸主、姉と弟がいる。この家に間借りしている小学校校長の後妻と15歳(満13〜14歳)の時から不倫の関係となり、家出して「国防と産業博」を見物してから山林で死のうとしたが、少年だけが死に後れて近くの線路で鉄道自殺したもの。少年は「楽しく天国へ行きます」という遺書を残していた。


昭和10年(1935).5.16〔松本高校生330人が旅館で暴動〕
 長野県南安曇郡の中房温泉旅館で深夜、松本高校1〜3生330人が酒を飲んでストームと称して騒ぎ、窓ガラスを何枚も割り、障子をすべて壊して池に放り込み、廊下は何カ所も踏み抜いて穴を開け、コイを殺して食べ、女中をフトン蒸しにしてその上で飛び跳ねたりして暴れた。毎年恒例の駅伝大会が中止されて一泊旅行に変更されたため反発したもの。十数人が電源を切って暗闇にしてから引率の校長に鉄拳を加えようとしたが、柔道教師に阻まれてできなかった。ほとんどの生徒が旅館の下駄も盗んで履いて帰り、学校は旅館に莫大な損害賠償を払ったが、ひとりも処分されなかった。
『あんそろじい旧制高校  第3巻』の当事者生徒の手記と、原遥平『バッキャロー―裸の教師蛭さんの奮闘記』による。


昭和10年(1935).6.18〔小6(満11〜12歳)が学校放火〕
 北海道室蘭市の小学校で、6年生(13)がテスト答案が入っていた箱に火をつけ、3時間後にも校舍に火をつけた、6.20に捕まった。勉強嫌いで学校が燃えてなくなれば休校になると考えたもの。


昭和10年(1935).9.4〔小学生女子(満10〜11歳)が級長選挙に落ち学校放火〕
 東京市浅草区の小学校で、女子生徒(12)が教室に放火、恐ろしくなって職員室に駆け込んで告げたため消し止められた。主席争いをしている模範生だが、9.2の級長選挙に落ち、成績もさがったのは担任の依怙贔屓のせいだと恨んだもの。学校は内密に済ます決定をしていたが、警察に漏れて取り調べ。


昭和10年(1935).9.13〔17歳が中学校で同級生ナイフで刺す〕
 東京市本所区の府立三中で、補習科生(17)が同級生(20)の胸を海軍ナイフで刺して10日間の傷害を負わせて逮捕された。2日前に幾何問題で競争して殴られた復讐。病院で手当を受けてから授業を受けていたが、胸から血を流して教師に発覚したもの。加害者は小5で飛び級で三中に入って今年卒業した優等生。


昭和10年(1935).9.23〔小学校校長夫人が女性教師に硫酸を掛ける〕※参考
 千葉県市川市の小学校校長夫人(45)が、自宅に女性教師(31)を呼びつけて、硫酸を掛けて顔に3週間のヤケドを負わせた。名校長と評判の夫とこの女性教師が不倫関係にあると、反校長派が告げたため。


昭和10年(1935).10.28〔大学生4人がリンチ〕
 東京市の東京物理学校(現東京理科大学)で、学生4人が、学生(21)を殴る蹴るのリンチにして腹とお尻を刃物でさして重体とした。授業中に歩き回って机に脚を引っかけて大きな音をさせたので、被害者が「チェッ」と云ったため、「顔を貸してくれ」と学校裏に呼び出したもの。


昭和10年(1935).11.7〔中1(満15〜16歳)がケンカで刺殺〕
 福岡県福岡市の小学校校庭で、中学1年生(17)が中学5年生(19)の左胸を小刀で刺し、殺害した。下校中に詰まらないことからケンカして、棒で頭を殴られカッとしたもの。同級生6人の目の前での犯行。


昭和12年(1937).1.16〔17歳(満15〜16歳)女工が自殺し、小学校教師が自殺幇助で取り調べ〕
 東京市豊島区池袋の旅館で、女工(17)が自殺し、小学校教師(28)が自殺幇助で取り調べを受けたが釈放された。前日に教え子だった女工が小学校を訪れ、女中にしてくれ、さもないと服毒自殺すると迫った。旅館で一泊して説得、朝になって教師はそのまま登校したが、そのあと工場から持ち出していた毒薬を飲んだ。美人で早熟、派手好きで、想っていた教師と自殺を図ったもの。
 2.18には同じ小学校の教師(34)がバーで見かけた人妻(26)をつけて路上でレイプして逮捕された。校長は進退伺いを出した。


昭和12年(1937).5.19〔中央大学生10数人が教授を袋叩き〕
 東京市神田区の中央大学で、学生10数人が経済学の授業中の教室に叫びながら乱入、アジビラをまいて、教授を袋叩き、血まみれにした。教授間の対立から発生した学園紛争。


昭和12年(1937).11.28〔小学校校長、教員200人が贈収賄〕※参考
 沖縄県那霸市で、県の視学と小学校校長、教員男女2百人を贈収賄で特高が逮捕した。校長10人が依願免職、教員180人が譴責罰棒などの処分。


昭和13年(1938).10.29〔小4女子(満10〜11歳)が小学校で幼女殺害〕
 東京市向島区吾嬬町(現墨田区)の小学校で、小学4年生女子(12)が女の子(4)をトイレに連れ込み棒で頭を滅多打ちにして殺害、教師が死体を発見して逃走しようとした女子を捕まえた。迷子になって泣いていた女の子を連れ歩いたが、云うことをきかないのでやったと自供。工員の長女。


昭和14年(1939).5.〔20歳(満18〜19歳)が書類偽造して大学入学〕
 千葉県川崎市の法政大学で、4月に入学した1年生(20)が中学卒業証明書や成績表を偽造していたことが発覚、除名となって神戸市に逃走したが逮捕された。大阪の中学を2年で退学、働きながら独学で受験に優秀で合格したが、入学資格がないため母校に侵入して用紙や校長の印を盗んでいたもの。


昭和14年(1939).9.18〔18歳(満16〜17歳)ら学生数十人が東京駅で大乱闘〕
 東京市の東京駅で夜9時、中野高等無線電信学校生と東京第一高等無線工科学校生の数10人(18〜20)が大乱闘、1人が匕首で刺されて重傷、5人が2,3週間の傷害、12人が逮捕された。両校は日頃から仲違いしていたが、中国に軍属として旅立つ者を送るため、ホームでかち合ったもの。


昭和16年(1941).2.25〔小学校教師が生徒を体罰で殺害〕※参考
 福岡県筑紫郡の小学校で、教師(35)が5年生(12)の頭を竹鞭で叩いたが、生徒はそのまま倒れて1時間後に死亡、教師はすぐに逮捕された。授業中に同級生の席まで歩いていっていたずらをしたためカッとなって体罰を加えたもの。当初は宿題を忘れたので叱ったが態度が悪かったためと嘘の供述をしていた。学生時代は短距離選手として有名で、無口でおとなしい性格。この小学校の校長の甥だった。成績優秀な生徒で、中学入試合格のために日頃からとくに叱咤激励していたと自供。この生徒の妹(7)が2.22に病死して昨日に葬式を済ませたばかりのことだった。
 傷害致死で懲役3年を求刑されたが、6.13に福岡地裁は教育的熱情と改悛の情は認められると懲役1年6ヶ月の判決。控訴せずに確定。
県学務課長・談「懲罰の意味で児童をしばらくの間立たしておく程度の体罰を加えることは認められるが体を殴るというようなことは絶対にいけない、この旨は校長からも平素よく伝えてあったということである、熱心のあまりとはいえまことに遺憾なことで、同校には一応注意するつもりだ」(談話は福岡日日新聞引用)。


昭和16年(1941).5.23〔足利高女不正入試事件〕※参考
 栃木県足利市の県立足利高等女学校で、教諭3人が贈収賄で逮捕された。
 教諭(47)が保護者16人から現金40円、商品切手145円、その他40円を受け取り、2年間に渡り入試で不正を行い、この日に足利区裁判所で懲役6ヶ月判決を受けた。
 教諭(47)が保護者から現金78円を受け取り、入試で不正を行い懲役2ヶ月執行猶予2年追徴金78円判決。
 斡旋者の主婦(47)も懲役6ヶ月判決。この年の銀行員大卒初任給75円。


昭和16年(1941).10.11〔高等学校教授が裏口入学で賄賂〕※参考
 東京市目黒区の東京府立高等学校で、教授の農学博士(48)が試験委員長だったときに芝区の資産家の次男の入学試験で1200円を受け取り涜職罪で懲役1年が求刑されたが、懲役10月執行猶予2年の判決が東京区裁判所でこの日に出された。府立高等学校では昭和4年の創設以来、入学選考に操作を加える「特殊銓衡」というのが行われていたことも自供していた。この年の銀行員大卒初任給75円。


昭和16年(1941).11.24〔中4(満15〜16歳)が学校放火〕
 新潟県高田市の中学校で、4年生(17)が放火、校舍を全焼させて11.26に逮捕された。試験を逃れようと9.29にも放火していたことを自供した。


昭和16年(1941).11.25〔19歳(満17〜18歳)が学校放火〕
 新潟県南蒲原郡の加茂農林学校で、4年生(19)が放火、12.3に逮捕された。恋愛問題で学校の注意を受けたため卒業が難しくなり、鉄道自殺を図ったが失敗、火を付けて通報することによって汚名返上を計画したが校舍を全焼させてしまったもの。


昭和16年(1941).12.22〔16歳(満14〜15歳)が教室で同級生射殺〕
 大阪府吹田市の紡績工場内青年学校で、本科2年生(16)が同級生(17)の腹を撃って射殺した。軍事教練の訓練銃を教室で手入れしていた時に、銃を突きつけ「撃つぞ」と脅してから撃ったもの。使用済みの空砲を入れたつもりだったと自供。


昭和17年(1942).1.23〔高1(満18歳)が授業中に配属将校殴る〕
 京都府京都市の第三高等学校で、文科甲類1年生(満18歳)が、配属将校の予備役大佐(満54歳)の胸を銃の台尻で殴った。軍事教練中になかなか整列しなかった生徒を大佐が鞘のままのサーベルで何度も殴っているのを見かねて「バカヤロー」と怒鳴り、「誰だ、出てこい」と云われたので「キサマのような軍人はこうしてやる」と突進して殴り、追い掛けられたが学校外に逃走したもの。2.2に退学処分。
 この大佐は昭和12年7月にも配属先の同志社大学予科で、キリスト教と自由主義を排撃するため生徒を煽動してチャペル籠城事件を起こしており、憲兵隊や軍上層部も生徒に同情し、大佐も他校に転属となった。


昭和17年(1942).3.12〔小学校教師が万引き〕※参考
 岩手県盛岡市のデパートで、小学校教師が万引きで逮捕された。昨年の8月から50点、数百円相当を盗んでいたことを自供。3.14に学校を解雇された。


昭和18年(1943).4.23〔中学校入学不正事件大摘発〕※参考
 全国において大学から中学まで入学試験での買収が問題となり司法当局は大規模な摘発を断行した。
 特に受験競争の激化から中学入試が廃止されて内申制度になったため、小学校の内申書や成績簿を偽造する教師が多く、「優」ひとつが何十円と相場が決まっており、禁止されている家庭教師料名目などで当然のようにして大金を受け取っていた。また、有力な父兄の子弟には特別の便宜を図っていた。
 東京都だけで小学校71校131人、中学校と女学校21校68人、父兄2370人が逮捕された。最終的に起訴されたのは極めて悪質な者だけで、収賄側小学校教師30人、中学教師と校長28人の合計58人、贈賄側の父兄や受験ブローカー10人。父兄209人には略式命令により罰金刑が科せられた。起訴猶予となった教師も懲戒免職、諭旨退職などの処分にされた。この年の銀行員大卒初任給75円。


昭和18年(1943).11.9〔高1(満17歳)ら数人が教師を袋叩き〕
 東京都中野区の東京高等学校で、1年生(満17歳)ら数人が記念祭の校庭での盆踊りで、校長や生徒主事(生活指導の教師)、配属将校を暗闇にまぎれて袋叩きにした。軍国主義教育に反発して計画的にやったもの。犯人が追及されたが、殴ってない生徒を含めて50人近くも名乗り出たので、校長の責任問題となるため結局まったく処分されなかった。
 読売新聞社の渡邉恒雄会長が主謀者で、『渡邉恒雄回顧録』でナベツネ本人が語ることには、生徒主事を殴ったうえに飛んだメガネまで踏みつぶして、翌日にはお腹の中では笑いながらしれっと挨拶していた。軍国主義者の級長を呼び出してドスで脅したり、中学時代には軟派の生徒を殴っていじめていたことも語っている。


昭和19年(1944).2.〔小4が授業妨害と暴力〕
 秋田県の小学校で、小学4年生(満9歳)が異常な暴力を繰り返すため感化院に入れられた。1年生の時から教室を歩き回って私語をして授業を妨害し、教師が叱ってもまったく聞かず4年間続けている。盗癖があって、女子に悪ふざけをする。3年生になってからは教師に対してもいたずらをするようになった。時々凶暴になって、「他人を殺傷させることある」(校長の報告書)。材木業の父親は他県で働いており長期不在だが、経済状況は中の上。※「戦前感化・教護実践史」掲載の事例より。


昭和19年(1944).5.〔高2らが校長を殴る〕
 石川県金沢市の第四高等学校で、2,3年生10人が校長排斥の血判状を書き、うち1人が校長宅に押し掛け辞職を迫って殴った。毎年の入寮式で新入生に読み聞かせることになっている伝統の「超然趣意書」は、戦時体制に協力しない声明と誤解されるから自肅するようにと、学校から命令されて激昂したもの。


昭和21年(1946).3.27〔中4(満16〜17歳)が上級生に復讐殺人〕
 秋田県平鹿郡の空地で、中学4年生(18)が5年生(17)の心臓をナイフで刺して殺害、自宅に逃走してネコイラズを飲んで自殺を図ったが命は取り留めた。5年生の半数は予科練などの軍隊帰りで、下級生に対して軍隊調の制裁を日頃から加えており、この日の卒業式でも棍棒で別れのビンタをしたため恨んだ4年生20人以上が卒業生5人を呼び出して仕返ししようとしたもの。5年生たちは学校外でも暴力事件を繰り返し、煙草も平気で吸っていたが、教師は軍隊帰りということで放置していた。


昭和21年(1946).5.4〔中3(満16〜17歳)ら7人のピストル強盗団が学校で銃撃戦〕
 兵庫県神戸市で、神戸一中3,4年生(18)3人と、神戸出身の日大生(18〜21)4人が強盗で逮捕された。神戸一中に保管されていた旧陸軍物資を2月から8回に渡って大量に盗み出し、闇市で売りさばく際に台湾ギャングと組むようになりピストルを手に入れた。学校での盗みは見つかって警官と銃撃戦になったため断念、それからは電気店などに押し入って、合計で50万円以上を稼いでいた。この年の国家公務員大卒初任給540円。
 全員が裕福な家庭で、学校をさぼって外泊を繰り返しても放任されており、金は遊興費ですべて使い果たしていた。3年生は元海軍飛行予科練生で、ラグビー部の先輩に誘われてグループに入っていた。


昭和22年(1947).11.4〔女学校4年生(満15〜16歳)が教師と家出して心中〕
 愛知県瀬戸市で、県立瀬戸高等女学校4年生(17)が遺書を残して担任教師(40)と家出、11.9頃に山梨県の山林で抱き合ったまま青酸カリを飲んで心中、12.15に凍った死体が発見された。教師が交際していた女子にテストの答えを事前に教えていたことがバレて怒った他の生徒全員が白紙答案を出した事件で、教師は11.1にクビになっていた。


昭和22年(1947).11.11〔中5(満16〜17歳)が修学旅行でカツアゲ〕
 京都府京都市で、修学旅行に来ていた愛知県私立名古屋理工中学校5年生(18)7人が、広島商業高校生から現金2百円を脅し盗って逮捕された。前日に奈良でカツアゲされて金が無くなったためマネしたもの。全員が裕福な家庭で、成績も優秀だった。


昭和22年(1947).11.21〔19歳(満17〜18歳)もぐり教師が詐欺〕
 大阪府泉北郡高石町の高等女学校で、社会科教師が当時手に入りにくかった砂糖を手配してやると父兄から10数万円を集めたが品物を渡さない。東京師範学校とチューリッヒ大学を出た24歳と自称していたが、じつは商業学校中退で教員免許もない19歳で、砂糖の詐欺で去年の11月まで少年院に入っていた。
 採用時に身元調査しようとしたときは「高名な学者の安部能成は叔父だ」と本当に安部能成を講演に連れてきて信用させていた。クビにしようとすると参議院議長などから「よろしく頼む」という手紙が届いた。そのうちに姿をくらましたが、21日に東京で逮捕された。この年の銀行員大卒初任給220円。


昭和23年(1948).2.25〔高3(満16〜17歳)が教師に毒まんじゅう〕
 長野県松本市の県立松本工業高校で、機械科3年生(18)が夜にやってきて宿直の教師ら4人にまんじゅう5個をわたして帰った。用務員が食べてみると味がおかしいのでそのまま保管し、見回ってみるとトイレにその3年生が隠れており直後に火事があり校舍など三棟が焼失した。追及すると「実験室のストリキニーネが人にきくかどうかためしてみた」と自供。去年、窃盗罪で不起訴となっているが学校で泥棒あつかいされて恨んでおり、復讐のため殺人と放火を計画したもの。長野地裁は懲役5〜10年の不定期刑判決。


昭和23年(1948).6.11〔18歳小学校教師が叱られたため両親殺害して死刑〕
 広島県加茂郡の自宅で、小学校教師(満18歳)が入浴中の母親(53)を「よう虐めてくれたのう」と匕首で刺し、許しを乞うて逃げようとするのをさらに刺して殺害、父親(57)を玄関で待ち伏せして刺殺した。ひとり息子で、2年前に私立中学を卒業して小学校の助教員となった。元少尉で厳格な両親は細かいことでたびたび干渉して殴るため怨んで殺害計画を立てていたが、同僚女性教員(満21歳)を妊娠墮胎させようとしたことでこの日に激しく叱られ殴られたため復讐したもの。昭和25年2月に最高裁で死刑確定。のちに恩赦で無期に減刑。


昭和23年(1948).6.18〔小6が小学校で友人刺殺〕
 兵庫県神戸市の小学校校庭で、6年生(12)が写生の授業中に友達の5年生(11)とケンカしてナイフで刺殺した。6年生が女子に貸したマンガ本を5年生が破ったために前日にケンカしたが教師に留められた。この日もケンカを教師が留めたが、その時に6年生が投げたナイフが腹に刺さって20日に死亡したもの。日頃から凶暴性があり、罪の意識がまったくないので、傷害致死罪で少年審判所送致にした。


昭和23年(1948).6.28〔中2(満13〜14歳)が学校で硝酸かける〕
 兵庫県神戸市の中学校で、2年生(15)が同級生(15)の顔に所持していた硝酸を掛けて2週間のヤケドを負わせ、近くにいた男女生徒3人にも掛かったため1週間のヤケドを負わせた。ノートにインクをつけたと怒ったもの。


昭和23年(1948).11.21〔小学校教師が教え子7人レイプ〕※参考
 青森県三戸郡の小学5年生の担任教師(34)が女生徒多数を宿直室でレイプして逮捕された。北海道亀田郡の小学校で女生徒3人に猥褻な行為をしてクビとなり、津軽で知り合ったPTA会長の紹介で11.1に採用されたばかりだった。判っているだけでも1週間で7人に乱暴して3人が傷害を負っている。9日には生徒が訴え出て、あわてた校長とPTA会長は11日にこの教師を岩手にやって隠蔽しようとしていた。


昭和24年(1949).9.28〔高1女子が文化祭の心霊術で狂乱〕※参考
 広島県広島市楠木町の私立男子高校の文化祭で、宗教教団で修行している生徒らが指導者を呼んで心霊術の実演をしたが、私立女子高校1年生に掛けた術が解けず、40度以上の熱を出してうなり声を上げたり「わらわは」「父上」などと訳の判らないことを言ったり、3日間も狂乱状態となった。


昭和25年(1950).3.27〔国立大法学部で替玉受験、四人退学〕
 東京都で国立大法学部で替玉受験、四人退学。


昭和25年(1950).4.30〔小学校教師が教え子と心中〕
 群馬県高崎市の小学校の教師が、去年まで教え子だった少女(12)を妙義山に連れ出してアドルム心中を図ったが命を取り留めた。


昭和25年(1950).7.1〔私立大学ラグビー部でリンチ〕
 東京都で私立大学ラグビー部でリンチ。


昭和25年(1950).10.5〔高2が教科書貸せ貸さぬで刺殺〕
 千葉商業高校の体育館で高2生(17)が同級生を刺し殺した。教科書を貸せ貸さぬで被害者がこの高2生を呼び出し殴ったため刺したもの。


昭和25年(1950).10.20〔高3ら10数人が修学旅行で乱闘〕
 滋賀県琵琶湖展望台で、修学旅行に来ていた早稲田実業3年生と高知県の農業高校3年生10数人が乱闘、ナイフや椅子を振り回してけが人を出し、3人(18)が傷害で書類送検。「面を切った」とケンカしたもの。


昭和25年(1950).10.22〔修学旅行の大阪の女高生10数人、泥酔〕
 神奈川県で修学旅行の大阪の女高生10数人、泥酔。


昭和25年(1950).11.13〔小1が学校で同級生刺す〕
 東京都千代田区の小学校校庭で、1年生(8)が1年生(7)の背中をナイフで刺して重傷を負わせた。てんかんの発作で突然やったもの。


昭和26年(1951).3.14〔小学校教師が教え子20人以上にいたずら〕※参考
 東京都下北多摩郡保谷町の小学6年生の女生徒たちが同盟休校を計画、父親が理由を質すと、「担任の先生に汚された」と泣いて訴えた。教師(32)が「先生のするままにしていると顔も白く美しくなり、難しい学科もわかるようになるよ」と女子20数名に猥褻な行為をしていた。14日に事実を認め辞職。


昭和26年(1951).4.7〔小学校教師が体罰で送検〕※参考
 山梨県西八代郡の小学校で、教師(24)が授業中におしゃべりをした5年生(10,11)2人を平手で殴り、1人が椅子に頭をぶつけて10日間の傷害を負わせた。4.19に傷害で書類送検。


昭和26年(1951).4.10〔高2ら男女4人が心中〕
 福島県安積郡の林で、県立高校2年生(16)、3年生(17)と県立女子高校3年生(17)2人の男女4人が睡眠薬心中を図り女子1人が死亡。死んだ女子が調理の時間に酒を飲んで停学になったことに同情し、5日に家出して8日に温泉で保護されて連れ返される途中でまた逃走したもの。


昭和26年(1951).4.15〔小学生が学校で友人撃つ〕
 兵庫県神戸市の小学校校庭で、男子(12)が持っていた空気銃を友達(12)が貸せと言ったことからケンカとなり、カッとした男子は逃げる友達のお尻を撃ち、2週間の傷害を負わせた。傷害で取り調べ。


昭和26年(1951).4.16〔小6が校舍3階からレール投げ殺害〕
 兵庫県神戸市の小学校で、6年生(12)が教室の物置に入れてあった長さ1メートル半の鉄製窓レールを、3階の教室から校庭の友達めがけて「受けてみろ」と投げつけた。たまたま近くを走っていた3年生(11)の頭に8センチ突き刺さり、他の生徒が抜いたが意識不明のまま翌日死亡した。過失致死で取り調べ。


昭和26年(1951).5.28〔高3ら6人が修学旅行で酔って強盗〕
 奈良県奈良市の奈良公園で夜9時、長野県北佐久郡の実業高校3年生(18〜19)6人が、山梨県東山梨郡の高校3年生4人にジャックナイフを突きつけて金を強奪したが、被害者の1人が宿に逃げて教師や生徒10数人を連れてきたため警察に突き出された。修学旅行で泊まっていた宿を抜け出して店でビールを飲んだが思ったよりも金が掛かったため取り戻そうとしたもの。全員が農家の子弟で、3人は脅されて仕方なく仲間に加わっていた。身柄はすぐに教師に返して書類送検。


昭和26年(1951).9.9〔高3が学校で女生徒殺人〕
 大阪府大阪市の府立北野高校で、別の夜間高校3年生(17)がこの学校の夜間部1年女子(15)を殺害、12日に逮捕された。野球大会で来ていて校舍内ぶらついていたのをとがめられ、カッとして「女のくせに生意気言うな」とバットで数回殴り、まだ息があったのに床下の道具入れに放り込んで机を乗せて隠して何食わぬ顔で試合に出場、仲間とうどんを食べて帰宅、翌日からいつものように昼間は区役所の仕事、夜は学校に通っていた。野球部のキャプテンに「指紋を採られると困るから出場していないことにしてほしい」という手紙を渡して怪しまれて追及されると自白した。中流家庭の次男で、明るく音楽好き。


昭和26年(1951).10.31〔修学旅行での乱行 読売新聞引用〕
 戦後の修学旅行はイナゴやネズミの旅行にくらべられるほどひどいもので、児童生徒の交通道徳や社会道徳の欠陥は目に余るらしい。今年は十一月から運賃が値上げになることもあり、九月、十月は例年になく修学旅行が多い。だからというわけでなかろうがひどいもの。十月になっての乱行をチェックすると、
▽熱海駅で高校生が酒を飲んで汽車に乗らず発車を遅らせる。
▽静岡駅では停車中みやげもの屋に二、三十人が殺到して金を払わず逃げる。
▽東京上野のデパートでは釜石の中学三年生七人がおみやげ欲しさに文具などを集団万引。
 また文部省が十月上旬、修学旅行のメッカ、奈良、京都でその実情を調査したところ、
▽宿屋の畳を切ったり、敷布を被く。
▽夜遅く男女生徒が二人で外出。
▽屋外での飲酒、喫煙がふえ、盛り場や娼婦街をうろつく者さえ見られる、等の例。(読売新聞10.31)


昭和26年(1951).11.5〔高2ら30人以上が学校で飲酒して1人転落死〕
 東京都目黒区の都立大学付属高校で、生徒30人以上が4日間の記念祭の打ち上げで夜中に酒盛りをしていたが、2年生(16)が酔って転落死した。教師は飲酒を默認していた。


昭和26年(1951).11.24〔高校教師がふざけて空気銃撃ち生徒が失明の恐れ〕※参考
 東京都渋谷区の富士見丘高校で、教師(24,29)2人がふざけて空気銃を撃つと竹の棒が発射され1年生女子(15)の左目に当たったが、そのまま放置して立ち去った。失明の恐れがある。放課後に文化祭の演劇の練習をしていた最中の出来事。


昭和26年(1951).12.12〔中2が小学生を過失致死〕
 長野県西筑摩郡の中学校校庭で、中学2年生(13)がノックをしていて、誤って小学3年生(10)の頭をバットで殴って死亡させた。


昭和27年(1952).1.10〔中学校教頭が女生徒レイプして妊娠させる〕※参考
 千葉県東葛飾郡で、中学3年生女子(15)が出産した。教頭(46)がレイプしたもので、他の女生徒にも猥褻行為を繰り返していた。教頭は否定したが、辞表を出した。この中学では教師が女生徒と車座になって酒を飲んでいると、以前より村長が訴えていた。


昭和27年(1952).2.12〔49歳が幼女を誘拐レイプ殺人〕※参考
 神奈川県横浜市の小学校校庭で、無職(49)が女の子(4)と男の子(5)を動物園に行こうと連れ出し、途中で男の子だけ置いて女の子を山に連れ込みレイプしようとしたが抵抗されたため絞殺、逃走したが2.15に放火で逮捕されて2.25に自白した。昭和10年に6歳の女の子をレイプするなど前科十犯で刑務所に合計25年間入っていた。


昭和27年(1952).2.14〔小3がケンカして女子を死なせる〕
 神奈川県横浜市の小学校で、3年生(9)がケンカして3年生女子(9)を突き飛ばし、ポケットに入れていたハサミが胸に刺さって死亡した。


昭和27年(1952).4.30〔高2女子が学校で出産〕※参考
 埼玉県深谷市の県立女子高で、2年生(16)が苦しみ出して運ばれた保健室で赤ちゃんを産んだ。去年の夏休みに知らない男にレイプされ、隠していたので誰も妊娠に気付いていなかった。


昭和27年(1952).5.10〔小学女教師、警官の夫殺す〕※参考
 東京都で小学女教師、警官の夫殺す。


昭和27年(1952).5.31〔中2女子が妊娠〕※参考
 埼玉県幸手町の中学校で、2年生女子(14)が妊娠3ヶ月であることが健康診断で判明した。何も話さないため経緯は不明。成績は普通。学校とPTAは取り扱いを検討中。


昭和27年(1952).8.17〔小5が教師の濡れ衣体罰で自殺未遂〕
 福岡県門司市の小学校で、教師(29)が別の教師の現金4千8百円を盗んだと疑って受け持ちの5年生(12)を三尺棒で殴った。翌日も棒で頭を殴って1週間の傷害を負わせたので、5年生は盗んだ金を自宅に隠したとウソをつき、教師は生徒宅まで行って探したが見つからないのでまた殴ろうとすると、5年生は自宅井戸に飛び込んで自殺を図って救助された。8.19に教師は傷害罪で逮捕。この日に窃盗は5年生女子の仕業だと判明した。5年生は成績が悪いので犯人だと決めつけたもの。


昭和27年(1952).8.24〔21歳の小学校教師、父親を殴り殺して埋める〕※参考
 千葉県市川市の自宅で、父親(50)が殺害され夏休みに帰省していた神奈川県の私立小学校教師(21)が9.1に逮捕された。ケンカして父親を殴り殺して庭に埋め、兄弟には入院したと嘘をついていた。


昭和27年(1952).9.11〔16歳ら3人組が小学校にラムネ弾を投げる〕
 岡山県倉敷市の小学校で、製氷店店員(16,16,19)3人組が校庭にラムネ弾を投げて逃走、すぐに爆発物取締法違反で逮捕された。このころラムネビンを使ったラムネ弾を過激派がよく使用しており、新聞に載った製造法を見てマネたもの。


昭和27年(1952).9.29〔中3ら2人が同級生を殴り殺す〕
 熊本県玉名郡の中学校で、3年生AB(14)2人が同級生C(15)の頭などを青竹で滅多打ちにして殺害、翌日に逮捕された。運動会の予行練習中にAがCの悪口を云い、それをBが見ていたのが気に入らないとBを4回殴ったため、放課後に2人で復讐したもの。


昭和27年(1952).10.12〔16歳がケンカ殺人〕
 熊本県荒尾市の中学校で、男子(16)が炭坑夫(17)の太ももをナイフで刺して殺害、逃走したがすぐに逮捕された。日頃から仲が悪く、中学校運動会見物で出会ってケンカしたもの。


昭和27年(1952).10.15〔小学校教師が男子に女子を殴らせる〕
 大阪府三島郡の小学校で、教師(23)が運動会練習に集まらない6年生女子を殴ってでも連れてこいと男子に命じ、男子が殴ったために女子数名が傷害を負って学校を休んで大問題となった。教師は殴れとは云っていないと否定しているが、父兄は学校が反省しないのなら人権擁護委員会に提訴すると強硬姿勢。


昭和27年(1952).10.24〔中2のケンカで父兄が殴る〕
 熊本県阿蘇郡の中学校で、2年生A(14)が同級生Bの頭を殴った。10.27にBの父親と兄の2人が、復讐のため校庭でAを殴った。他にも恐喝や暴力事件が多発していることが発覚したため、校長や教師18人全員を更迭して校風刷新を図るように村会議員が村教育委員長へ要望した。


昭和27年(1952).10.29〔高3が修学旅行中に列車でふざけて転落死〕
 熊本県熊本市の鹿児島本線を走行中の列車で、京都商業高校3年生(18)がデッキから転落して鉄橋で頭を打って死亡した。生徒139人と教師5人で修学旅行中。島原航路の船内で同じく修学旅行中の他の女子高生徒と仲良くなり、平行してバスで走行中の女子高生とミカンやリンゴを投げ合ってふざけていたもの。熊本では前日にも、山野線を走行中の列車から修学旅行中の高校生が転落して重傷を負っていた。
乗客専務車掌の話「汽車の中の修学旅行団の態度はまるでフザケ半分で、統制など全くとれていないのが多い。中には降車の際に” 自分達の乗った臨時列車は自分達の手できれいにしよう”といって掃除して行く学生(鹿児島)もあったがこのようなのは例外中の例で大半は引率教官の注意も聞こうとはせず、殊に女学生と乗り合わせた場合など目立って悪い。これでは早晩事故が起ると思っていた。」 熊本市内某旅館主の話「関西方面の高校生は全くデタラメだ。旅館で酒をのんで騒ぐのも珍しくない。先生も注意はするが、生徒の方は聞こうとはしない。私が市電で案内中、繁華街の真中で車外へ飲物の空ビンを捨てた生徒がおり、私が注意してもケロリとしていた。」
(談話は熊本日日新聞引用)


昭和28年(1953).2.2〔私立女子高校でパーマあてた生徒を処分〕
 東京都で私立女子高校でパーマあてた生徒を処分。


昭和28年(1953).2.8〔中3ら3人が学校で強盗レイプ未遂〕
 兵庫県神崎郡の中学校で、他校の中学3年生(15〜16)3人が侵入し、ピアノの練習をしていた卒業生の高校1年生女子(16)を匕首で脅して120円を強奪、松林に連れ込んでレイプしようとしたが騒がれたため逃走、すぐに逮捕された。


昭和28年(1953).2.10〔国立大付属中、先生の子弟は無試験入学〕
 東京都で国立大付属中、先生の子弟は無試験入学。


昭和28年(1953).3.26〔いわゆる混血の学齢児童数、厚生省発表では二九三人〕
 いわゆる混血の学齢児童数、厚生省発表では二九三人。


昭和28年(1953).5.20〔高3が長髮を切るように云われ教師殴る〕
 熊本県天草郡の農業高校で、3年生(17)が教師(43)を何度も殴って1週間の傷害を負わせ、逮捕された。2日前に長髮を切るように云われ、「注意する資格がない」と食って掛かっており、この日の夜8時過ぎに教師の自宅に押しかけて「顔を貸せ」と学校まで連れて行って、他の教師の前で殴ったもの。3.3には同級生3人組で他の高校寄宿舍に押しかけて3年生(17)をナイフで刺して10日間の傷害を負わせていたことも自供した。諭旨退学処分。


昭和28年(1953).6.17〔車走らせ特飲街参り 東京に修学旅行の高校生 読売新聞引用〕
 修学旅行シーズン最盛期の五月、地方から東京に修学旅行に来た一部高校生が華やかな盛り場の雰囲気で解放的になってか、目に余る行動に出る。浅草新吉原特飲街に夜九時ともなると、制服、制帽をボストンバッグにしまい込んだ地方高校生がタクシーや輪タクで乗りつけてくる。そして夜遅くまで脂粉と矯声の中を酔ったように歩き回っている。たまたま登楼したある高校生が、近くに住む知り合いに見つかったという事実も話題になっている。
 五月中旬、四国からの高校生五人(いずれも十五、六歳)が夜十時ごろ、浅草龍泉寺の居酒屋にタクシーで乗りつけ、ビール半ダースをあけ、外国タバコをふかし、あげくの果ては同席の女性(21)にふざけかかった。また、浅草六区の書店では、上京中の生徒によるエロ本の立ち読みがあとを絶たない。店主が注意すると「本を買いさえずればいいんだ。文句をいうな」と食ってかかる始末。このほか、あくどい広告につられストリップ劇場を軒並み見て歩くものも。このような傾向は地方の生徒ほど強く、とくに農村の生徒たちは性に対し極端に大胆になる。
 では、東京の高校生の修学旅行ぶりはどうか?都教育庁の話では「特に風紀問題では万全」とのことだが、この年の九月、東京渋谷のA高校生十数名が修学旅行の途中、上野駅まで見送りに来た女学生の一人にキッスを強要、補導される事件が起きている。(読売6.17)


昭和28年(1953).10.1〔高3が修学旅行でピストル所持〕
 京都の盛り場で修学旅行中の埼玉県立高校3年生(18)を警官が職務質問すると、ピストルとジャックナイフ2本を持っていた。旅に出るときに友達が護身用に貸してくれたという。


昭和28年(1953).11.1〔高3が体育祭のために小犬殺害〕
 愛知県名古屋市の旭丘高校で、3年生が体育祭の仮装行列の出し物のために、ぼろぼろの服に「死とは」と書かれた紙を貼った扮装をして、学校で飼われていた小犬を殺して死体を縄で引き擦り、苦しげに倒れる演技をした。犬を可愛がっていた生徒たちや見学のPTAからも非難されたが、とくに処分はされなかった。
 「目的のためには手段をえらばないという現代の十代の世相をみせつけられるようでいやでした(千種区主婦)」(談話は中日新聞11.22引用)


昭和28年(1953).12.16〔目黒の中学、六学級の大量カンニング発覚〕
 東京都で目黒の中学、六学級の大量カンニング発覚。


昭和29年(1954).1.25〔高2の48人が左翼教育に反対して教師を脅す〕
 群馬県伊勢崎市の市立高校で、2年生48人が5日間の同盟休校を強行した。左翼偏向教育に反対して教師と討論会を開くよう要求したが却下されたため。さらに校長に対して「生徒を処分すると日本刀で斬る」と脅し、教師の家まで押し掛けて脅迫した。
 1人の教師が「彼らは赤色グループだ」と実名をあげた文章を発表したことが始まりだったが、県教育委員会は特に左翼偏向教育は無かったと結論づけた。


昭和29年(1954).3.13〔高2ら10人が修学旅行で路上強盗〕
 奈良県奈良市の奈良駅で、北海道苫前郡から修学旅行に来ていた高校2年生10人が、別の高校2年生(17)2人に暴力をふるって腕時計を奪った。


昭和29年(1954).4.19〔21歳の幼女レイプ殺人 鏡子ちゃん事件〕※参考
 東京都文京区の小学校のトイレで、2年生の女の子(7)が授業中にレイプされて口に下着を詰め込まれたまま絞殺され、5.1に坂巻修吉(21)が逮捕された。静岡県の結核療養所に入院していたが友人を訪ねて近くの小学校でたまたま女の子を見かけていたずらしようとしたもの。ヒロポン中毒者で、この事件を契機に覚醒剤取締法が厳罰化された。「鏡子ちゃん事件」として世間で大きく騒がれた。昭和31年10月死刑確定。昭和32年6月22日死刑執行。


昭和29年(1954).5.4〔小1が学校で同級生を刺し殺す〕
 北海道旭川市の小学校の廊下で、1年生の女の子(6)が胸を刺されて大量に血を吐いて死亡した。工作の授業中にトイレに行った帰りで、一緒にトイレに行った男子の持っていたハサミに血が付いていたので、走ってぶつかったためと考えられたが、上着とシャツ4枚を通して深さ7センチの傷を付け、抜いた上に刺したことを黙っており、たんなる事故としては不自然なことが多いが、あくまで過失として処理された。


昭和29年(1954).5.30〔小1が学校でレイプされる〕
 北海道室蘭市の小学校のトイレで、1年生の女の子(7)がレイプされて1週間の傷害を負った。運動会の最中で、犯人は学生服姿の20歳くらいの男だった。


昭和29年(1954).7.7〔高3が家出して警視庁で飛び降り自殺〕
 東京都の警視庁で、島根県益田市から家出してきた高校3年生(18)が自分でやって来て少年課に保護されたが、巡査の眼の前で5階の窓から飛び降り自殺した。学校で生徒同士のリンチ事件が起き、学校と生徒が対立して委員会議長になったが調停がうまくいかず悩んでいた。


昭和29年(1954).10.6〔高3が学校で他校生殺害〕
 東京都中央区の私立高校で、3年生(18)が早稲田学院3年生(18)を殺害した。「強いと威張ってるが口ほどのことはない」と言ってるのを聞いて呼び出し、あやまっているのに一発殴ると、そのまま倒れて死んだもの。柔道部員で非行歴はない。


昭和29年(1954).10.21〔高3ら50人が修学旅行先で大乱闘〕
 京都府京都市の旅館前で夜9時、修学旅行に来ていた山梨県立高校3年生と東京都立高校3年生50人が木刀やビール瓶で大乱闘となり、警官隊に逮捕された。直前に土産物屋で東京都立高校生(17)が山梨県立高校生(17)をカツアゲしようとしたため、酒を飲んだ30人が復讐に殴り込みをかけたもの。


昭和29年(1954).11.26〔中3が連続放火〕
 東京都豊島区の中学3年生(15)が連続17件の放火で逮捕された。民家より学校のほうが消防ポンプがたくさん出動するのがおもしろくて学校ばかりを狙っていた。


昭和30年(1955).2.3〔小6が切腹ごっこで重態〕
 東京都大田区の小学校で、小学6年生(12)が休み時間の教室で「腹を切るときはこうするのだ」とナイフで切腹のマネをしていたが、机にぶつかって倒れて刺さり、重態となった。


昭和30年(1955).2.23〔中2がプロレスごっこで死亡〕
 神奈川県横浜市の中学2年生(13)が同級生(13)とのプロレスごっこがエスカレートして校庭で血まみれになって殴り合い負傷、学校を休んでいたが翌月2日に死亡した。同級生は傷害致死の容疑で取り調べを受けている。この学校ではプロレスごっこが流行っていた。


昭和30年(1955).3.3〔19歳浪人生女子が偽の大学入試通知を友人に出す〕
 新潟県長岡市の新潟大学教育学部で、受験生の女子3人が大幅に遅れて来たため入試を受けられなかったが、時間が午後に変更になったというニセの通知ハガキを受け取っていた。追及すると3人のうちの浪人生女子(19)がガリ版刷りでハガキを偽造したことを自供した。親友の浪人生女子(19)と合格を誓い合っていたが、自分だけが落ちたらどうしようと悩み、友人の高校3年生女子(18)に入試時間変更のことを訊かれると困るので合わせて送ったもの。公文書偽造で書類送検。


昭和30年(1955).3.6〔24歳が10歳少女をレイプ殺害〕※参考
 埼玉県熊谷市の古物商従業員(24)は小学4年生の女の子(10)を小学校のトイレに連れ込みレイプし、口を塞いで窒息させ、死体を便器に捨てた。翌日に自首。女の子とは顔見知りで、いっしょに映画を見に行った帰りの犯行だった。


昭和30年(1955).3.19〔21歳教師が学校で強盗殺人〕※参考
 北海道北見市の小学校で、教師(21)が銀行から全職員の給料を下ろしてきた用務員(49)をスコップでめった打ちにして殺害、61万円入りのバッグを強奪、死体を見つけたと通報したが追及されて自白した。この年の大卒銀行員初任給5,600円。


昭和30年(1955).5.6〔17歳ニートが幼女を誘拐レイプ殺人 三枝子ちゃん殺し〕
 静岡県小笠原郡で、無職(17)が登校途中の農家の二女の小学2年生(8)を自転車で誘拐、1日中連れ廻して浜松の中学校でレイプしたのち夜を明かし、翌日河原でもレイプして荒縄で絞殺、生き返らないように口と鼻に砂利を詰めてから埋めた。誘拐事件として捜索していた警察に殺害直後に逮捕される。
 農家の次男で中卒後に就職したがすぐに辞めてぶらぶらしており、家出して2回自殺未遂を起こしている。人に笑われるからと中学もあまり行っていなかった。友達はおらず、読書と映画が趣味。小学生の時に女の子の兄にいじめられた復讐だと自供。逮捕されても父親(43)は「凶暴性はなくみなさんが心配するようなことはないと思う」と語る。


昭和30年(1955).6.4〔高3が長髪禁止などに反発し同盟休校〕
 栃木県宇都宮市の私立男子高3年生340人が同盟休校。キリスト教の礼拝を強制、高いノートを購入させられる、ワイシャツの着用や長髪禁止などの問題を話し合うことを学校側が認めないため。
 6日に学校側は生徒代表と会合し、ワイシャツ着用容認、ノート類値下げ、長髪は教育上と経済上から禁止、「朝の祈り」はキリスト教の強制ではなく英話教育の一環という方針を出し、8日に生徒は同盟休校を中止した。東京周辺では長髪が広がっている。


昭和30年(1955).6.30〔18歳女子大生が不良教師との失恋で焼身自殺〕
 東京都港区青山の洋画家宅で、次女の東洋大学1年生女子(18)が石油をかぶって焼身自殺した。今春まで通っていた都立三田高校の教師(28)と在学中から関係を持っていたが、教師がほかの教え子と婚約したため。この教師は女生徒8人に手を出しており、1人は1月に睡眠薬自殺を遂げ、1人は自殺未遂。学校図書館から160冊を盗んで金にしていたので横領で逮捕されたが、微罪のため不起訴処分となった。
 教師の父親が地元の有力者で校長(52)と親しかったためこれまで見過ごされていた。東京教育大卒で成績優秀。7.17に校長はガス自殺を図ったが、命を取り留めた。


昭和30年(1955).7.4〔高2が決闘立会人を刺す〕
 東京都葛飾区の都立高校の校庭で、夜間部2年生(16)が夜間部3年生(17)と決闘、3年生が日本刀を持ち出したため逃走したが、止めようとした立会人の夜間部3年生(18)の腹部を登山ナイフで刺して重傷を負わせた。ダンスパーティーチケットのトラブルから対立したもの。


昭和30年(1955).7.25〔高3ら9人組が校内でカツアゲ繰り返す〕
 東京都三鷹市の私立高校の3年生(17)2人をリーダーとした9人組が、日本刀などを使って同校の生徒相手にカツアゲ36件12万7千円を働き捕まった。2人は6月に退学になっていたが、その後も犯行を続けていた。リーダーの1人は去年、教師(28)に掃除をさぼっているのを注意され、「生意気だ。焼きを入れてやる」と殴り歯を折る1ヶ月の重傷を与えたが警察には届けていなかった。この高校では他に「出っ歯グループ」2年生3人が6件数万円、「拳闘グループ」4人が5件数万円など多数の不良グループがカツアゲを繰り返していたが、学校はなんの対策も取っていなかった。


昭和30年(1955).7.28〔女子中学生36人が水泳講習中に溺死〕※参考
 三重県津市の海岸で、女子中学生が水泳講習中に溺れて36人水死。校長ら引率教師3人が起訴され、一審は執行猶予つきの有罪、二審は全員無罪となって確定した。


昭和30年(1955).8.1〔小6が教師恨んで教室放火〕
 東京都で、小学6年生(11)が小学校の教室に放火して捕まった。6月に肝油玉千個を盗んで教師に叱られたことへの復讐。


昭和30年(1955).8.〔小学校で社会科の調査〕※参考
 文部省が全国5百の小学校で社会科の調査。児童の大半が大化の改新という言葉を知らないと答えた学校40.6%。明治維新という言葉を知らないと答えた学校10.7%。


昭和30年(1955).8.〔小学校で社会科の調査〕※参考
 文部省が全国5百の小学校で社会科の調査。児童の大半が大化の改新という言葉を知らないと答えた学校40.6%。明治維新という言葉を知らないと答えた学校10.7%。


昭和30年(1955).9.5〔高2が映画「暴力教室」見て友人刺す〕
 東京都豊島区の私立本郷学園高校で二学期の始業式の朝、2年生が飛び出しナイフで友人の2年生を刺して10日間の傷害を負わせて逃走したが逮捕された。2人はハリウッド映画「暴力教室」をマネてふざけていたもの。
 「暴力教室」は9日に千葉県の映画館全館が上映拒否、13日に文部省が「教育上問題があり、適切な措置を講ずるように」と通達。


昭和30年(1955).11.21〔小6が教室で小5を跳び蹴り殺害〕
 群馬県前橋市の小学校で、小学6年生(12)が教室を覗いていてドアを閉められ怒って5年生(11)に跳び蹴り、23日に内出血で死亡した。傷害致死で取り調べ。この小学校ではプロレスごっこが流行っていた。


昭和31年(1956).3.1〔高3らが15人が卒業式で教師に乱暴〕
 大阪府松原市の私立高校で、卒業式の直後に3年生(18,19)15人が教師(24)を袋叩きにして2週間の傷害を負わせ、タンカで運ばれる教師をさらに殴り、ほかの教師もつるし上げ、石を投げて教室の窓50枚近くを割って警察に捕まった。
 愛知県の高校では、卒業生30人が集団で教師に暴行。


昭和31年(1956).3.3〔17歳人妻が高校入学で大騒動〕※参考
 東京都江東区で、人妻(17)が都立高校の入試に合格した。2年前に静岡県の中学を卒業したが親は高校進学を許さず、去年の夏に中学の時の教師(29)と結婚した。夫が葛飾区の中学に転勤となって上京した。人妻の入学は昼間高校では初で、他の生徒への悪影響を心配して高校は都教育庁とも相談したが、人妻の入学を拒否する法的根拠がなく受け入れた。「高校を出てから結婚してもと言われるかもしれないが、私たちの場合はほかに方法がなかった。兄妹ということにしておくとか、在学中は子供を産まないとか、方法は必ずあると思う」と夫は話す。


昭和31年(1956).3.7〔19歳が少年院で放火を自慢し捕まる〕
 東京都豊島区巣鴨の小学校が放火され、教室3室、校舎の新築工事事務所が全焼した。少年(19)が「教室が古くて汚く、子供らがかわいそう。焼ければ新しい教室が立つだろう」と石油を含ませた布を置いて火を付けたもの。別の事件で八王子少年院に収容され、そこで放火の自慢話をしたことから6.14になって事件の詳細が判明した。


昭和31年(1956).5.7〔暴力教室統計発表〕
 警察庁は、昭和30年1月から昭和31年3.20までに警察に届けられた学校での暴力事件データを国会に提出した。
 教師への暴行、傷害、脅迫を起こした生徒は、高校生13校86人、中学生6校16人、小学生0人、合計104人。送検は高校生6人。被害教師、高校26人、中学8人、合計34人。
 生徒への暴行、傷害を起こした教師は、高校15校16人、中学51校53人、女教師うち1人、小学校40校41人、女教師うち3人。被害生徒、高校生17人、女生徒うち1人、中学生329人、女生徒うち103人、小学生248人、女生徒うち6人、合計594人。


昭和31年(1956).6.12〔中3が教室でチャンバラごっこをして友人刺し殺す〕
 青森県西津軽郡の中学校の教室で、3年生2人が20センチの針金でチャンバラごっこをしていたが、横で見物していた同級生(14)の目に刺さって脳まで達し、14日に死亡した。


昭和31年(1956).7.7〔中学教師が幼女レイプ〕※参考
 群馬県吾妻郡草津町の路上で、中学教師(30)が女の子(9)をレイプし1週間の傷害を負わせて現行犯で逮捕された。東京都台東区の中学の慰安旅行で来ており、酔っていた。


昭和31年(1956).8.6〔浪商野球部とボクシング部が不祥事〕
 大阪府大阪市東淀川区の淀川堤防で、浪華商高のボクシング部員4人が歩いていて、そのうちの国体選手1人が女性(20)に抱きつきレイプしようとしたとして逮捕されたが、レイプではなく通常の暴行罪で送検された。ボクシング部は国体出場を辞退。同校では野球部でリンチ事件が起こり、高野連から1年間の出場禁止処分が出たばかりだった。


昭和31年(1956).9.23〔高校で三度の大暴動〕
  熊本県荒尾市の県立高校で運動会の後に男女の生徒たちがファイヤーストームをはじめた。教師がやめさせようとすると怒った生徒2百人は校舍のガラスを割り投石しピケを張り大暴れした。深夜0時前に教師が謝罪していったんは治まった。
 25日、校長は反省を促したが生徒たちはあくまで教師の非を唱えて不穏な様子になった。校長は下校命令を出したが生徒は従わず、講堂に集結して教師を閉じ込め吊し上げをはじめた。講堂の照明を誰かが消したことをきっかけにまたもや生徒4百人が暴徒化、ガラスを割り投石し教師5人を殴ってケガを負わせた。校長が通報して60人の武装警官が駆けつけ20分以内に解散するよう警告して午後11時前にようやく治まった。
 3日間の臨時休校の後に授業は再開され、警察も介入せず、PTAも穏便に済ませる方針で、生徒会も反省文を提出して正常化したように見えたが、11.5に学校側は突如として全校生徒870人のうち退学者4人を含む437人の処分を発表した。納得行かない生徒は集結し、またもや3日間の臨時休校になったがそのまま居残り、一部が暴徒化して大暴れした。学校に非難が集中し、処分の軽減と校長の退職、全教師への行政処分で収拾された。


昭和31年(1956).11.19〔小5女子が学校に放火〕
 東京都葛飾区の小学校と民家4件で放火があり、同校の5年生女子(11)を捕まえた。9月に8教室と民家7軒が全焼した放火など8件を自供した。
 「おもしろくてなんとなくやった」と言っている。服装検査のときはセーターの脇の下にマッチを隠していた。


昭和31年(1956).12.21〔長欠児いまだ26万人 朝日新聞引用〕
 長欠児童生徒は、不良化、人身売買など犯罪と深いつながりがあり、関係当局は不就学および長欠児童生徒対策をたてているが、まだ“六・三制の暗い谷間”であるこの問題を解消するまでに至っていない。だが減少傾向にあることは確か。この30年度の長欠者は文部省の調査によると、小学校11万4264人(うち女子5万5548人)、中学校14万5823人(うち女子7万2738人)で計26万87人、欠席率にすると1.46%で、昨年に比べ1万5876人減少している。
 この理由は、小学校では病疾異常によるもの(男子50.4%、女子47.4%)、中学校では家庭の無理解によるもの(男子26.1%、女子29.1%)がトップ。家庭の無理解による欠席は着実に減っている。この無理解による欠席者を地域別にみると、小学校では北海道、福島、北関東各県、奈良、徳島、長崎、中学校では北海道、青森、岩手、福島、栃木、茨城、滋賀などの各県が平均より上回っている。なお、長欠児童・生徒とは、公立の小・中学校で学年の初めから終りまでの1年間連続または断続して50日以上欠席した者をいう。
(朝日新聞12・21夕刊)


昭和32年(1957).1.9〔学力低下――立大文学部卒論廃止 毎日新聞引用〕※参考
 立教大学文学部では来年度から英米文学科と社会学科の卒業論文を、購読あるいは演習に換えて単位がとれるようになる。改正の理由は、(1)新制大学生の学力低下、(2)学生数の増加で卒論指導が不十分なこと、(3)後期二年と就職期がかさなり、専門科目の勉学期間が少なくなったの3点。教授間には「大学でツギハギの論文を書くより、購読でがっちり読書した方がためになる。いまの大学は大学ではなく、本当の大学は大学院だ」との考えが支配的。卒論廃止は「ますます学力低下をきたし、文学部の自殺行為でもある」との反対意見もある。
 当の学生たちは「学力が低下しているから卒論を書かせても意味がないという考えは危険で、学生はもっと高いものを求めている。学力を高めるには教育課程そのものにも問題があるが、学生ももっと勉学する雰囲気をつくる熱意がなければ……」と複雑な心境。
 なお、青山学院大英文学科が昭和28年度からこの卒論自由選択別を行っているが、昨年度の卒業生360人中、卒論を書いたものは、わずか26人だけだった。
(以上は毎日新聞1・9の記事を「青少年非行・犯罪史資料」が要約したものを引用)
立大文学部長 管円吉氏「新制大学生の学力低下はいたし方ない。とくに語学力が昔にくらべて非常に劣るから、原書を読破して卒論を書く力がない。新制大学はいわばアメリカのカレッジであり、一般教養に重きをおいているのだから、高校に少し毛の生えたくらいのものだ。だから卒論も昔の学士論文とはちがい、レポート程度でしかない。昔の学士はいまの修士コースに当たるのであり本当に勉学に専念する人は大学院にはいって本格的な論文を提出すればよい。そこで大学でツギハギの論文を書くくらいなら、購読でいい本をガッチリと読んだ方が学生のためになる。立大では特にゼミナールに力を入れており、これで十分に実力はつく。いまの大学は大学ではなく、本当の大学は大学院なのだ。低く扱われたとみる人もあるだろうが、事実はそうなのだ。この点で教授諸氏の頭の切りかえも必要だろう」


昭和32年(1957).3.5〔中3がボクシングジムに通って教師に復讐〕
 東京都立川市の中学校で、教師が3年生(15)2人に便所に呼び出されて鼻血が出るまで殴られた。昨年夏にこの3年生の1人がプールに板を投げ込んでこの教師に平手打ちをされて、復讐を誓いボクシングジムに通って機会をうかがっていたもの。
 父親談「先生がビンタをして鼓膜を破って中耳炎になったのに子供ばかり責めるのはひどい。10番の成績だったのにビリになり、朗らかな性格が一変して反抗的になったのもすべて先生の責任だ。慰謝料訴訟を考えたが我慢してきた。子供も悪いかもしれないが、もとは先生の暴力からだ」


昭和32年(1957).3.11〔高3女子8人が酔って謝恩会に暴れ込む〕
 静岡県島田市の私立女子高の卒業謝恩会に女生徒8人が暴れ込み椅子を振り上げガラスを割って、教師2人に乱暴した。8人は謝恩会に出席していた1人の生徒を呼び出して殴っていたが、それを聞いた教師の1人が近所の家で酒を飲んでいたこれらの女生徒を見つけて殴り、その仕返しに乱入したもの。


昭和32年(1957).3.30〔高3ら6人が修学旅行で集団レイプ未遂〕
 栃木県日光市の路上で夜10時、修学旅行に来ていた香川県高松市の尽誠高校3年生6人が少女(17)を集団レイプしようと足を捻挫させるなど1週間の傷害を負わせたところでパトロールの警官に逮捕された。


昭和32年(1957).5.〔高校生の教師殴打事犯〕
 校内規則に再三違反し担任教師から注意された高校2年生が、教師を恨み、授業中の同教師を竹棒で殴打して傷害を与え、更に不穏な状況に驚いて出て来た他の数師をも同様に竹棒で殴打したり所持していたナイフで脅迫した事犯。(32年5月大分県) 警察庁「少年非行」引用。


昭和32年(1957).6.24〔高3ら20人の暴力恐れて臨時休校〕
 静岡県伊東市の県立高校の3年生20人(全員17)が授業妨害、生徒への暴力などを繰り返し、5人が退学、4人が無期停学、11人が訓戒となったが、処分に不満な者が仲間に呼びかけて下級生を殴り教師を脅迫したため、教師たちは報復を恐れて翌日を臨時休校にして私服警官がパトロールすることになった。
 昭和30年頃から中高校での暴力事件が続発している。


昭和32年(1957).7.4〔中2が女教師を殴ってバットを振り上げ追い回す〕
 千葉県因幡郡の中学校で、2年生(14)が女教師(25)を殴り、逃げる教師をバットを振り上げ追い回した。1時間前の隣のクラスのテストを妨害したため、このクラスのテストでこの生徒には用紙をくばらなかったことに激昂したもの。教頭は「小さなことだ。内向性の強い生徒なので、カッとなってやったと言っている」と話す。


昭和32年(1957).7.4〔17歳が授業中の中2女子を誘い出し誘拐〕
 栃木県宇都宮市の中学校で、「母親が交通事故に遭って右足切断の重体」という電話が掛かり授業中の2年生女子(13)が誘い出されて車で誘拐された。3時間後にガソリンスタンドで助けを求めて保護され、運転していた店員(17)は逃走したがすぐに捕まった。
 北海道空知郡出身で、千葉県少年院を6.20に出て、青果店で勤めていたが2日にライトバンとフトンを盗んで逃げていた。拾ったノートから少女の住所と名前を知り、誘拐して仙台で売り飛ばそうと計画したもの。


昭和32年(1957).7.5〔中学教師が中3を撲殺〕※参考
 東京都港区の私立芝中学校で、体育教師(26)が3年生(14)を撲殺した。授業中に隣のクラスの生徒らが大声で騒ぎながら扉を開けて生徒に声をかけた。「入代り立代りなのでいかにも自分をバカにしているようで腹が立ち、抑えきれなくなった。最後に来た生徒に怒りが爆発してしまった。夢中でやったことなので死ぬとは思わなかった」と自供。無抵抗の生徒の頭を何度も板壁に打ち付け、足払いをするなどして、翌日くも膜下腔出血で死亡させたもの。2年前に日本体育大学を卒業後して同中学に着任していた。
 東京地裁は懲役3年の判決を出した。


昭和32年(1957).7.8〔中3が叱られて教師を殴る〕
 広島県呉市の中学校で、3年生が教師(43)の顔や胸を殴って3週間の傷害を負わせ逮捕。日頃から素行が悪いため叱られてカッとしたもの。


昭和32年(1957).8.15〔18歳女子や高校教員らが脅し〕
 東京都新宿区の明大中野高校宿直室で、柔道教員(33)、体育教員(32)、明大3年生(20)、無職(20)、女子(18)の5人が酒を飲んで、ダンスホールに行ってボーイを脅してただで入ろうとして逮捕された。


昭和32年(1957).9.19〔共学嫌い三人娘の就学拒否する父親に有罪 毎日新聞引用〕※参考
 「男女共学は子供を不良にする」と三人娘を小・中学校に通学させなかった父親が最高裁で有罪となった。この父親は新潟県の機械工具ブローカーMさん(51)で、「私の長女(21)、次女(19)は親を捨て現在行方不明になっている。この原因は男女共学で不良になったからだ。私が有害な場所と信じているところにどうしても行かせられない」と三女(15)、四女(13)、五女(10)、の娘三人を30年11月から翌年7月の間、通学させなかったもの。
 新潟県教委の再三の勧告を無視したために告発され、一審の地裁で罰金1000円、執行猶予2年の判決を受け控訴、二審の東京高裁で棄却され最高裁に上告していた。児童の就学義務違反事件を最高裁にまで持ち込まれたのはこれが初めて。
(毎日新聞9・19夕刊)


昭和32年(1957).9.29〔中3不良グループが暴れ回る〕
 東京都足立区立中学の教師(26)が、「生徒たちの暴行で一教師が負傷した。私も生命の危険にさらされている。なんとかしてください」という匿名の投書を東京都教育庁に出し、荒れる中学の実態が明らかになった。3年生(15)をリーダーとする10人の不良グループは2年生の時から上級生にまで暴行を加え、他校生とケンカを繰り返し、9.1の始業式には「1年のとき殴られた復讐だ」と生徒の前で投書の教師を棒で殴ってケガを負わせ、酔って職員室に押し掛けバットを振り回してガラスを割るなど暴れ回り、授業も妨害していた。


昭和32年(1957).11.1〔高3修学旅行生22人が集団万引き〕
 神奈川県川崎市の法政二高校3年生22人が、修学旅行に来ていた博多駅の売店で土産物37点や雑誌、果物など3万円分を集団万引きし書類送検された。品物は列車の窓から捨てたりしていた。


昭和32年(1957).11.16〔高校生58人が大乱闘で決闘罪〕
 大阪府大阪市で、府立工業高校と私立高校58人が大乱闘、全員が決闘罪で12.2に逮捕された。


昭和32年(1957).12.17〔19歳が授業中の小6少女を誘拐殺人 郁恵ちゃん殺し〕
 福岡県田川市の小学校で、無職の久保章(19)が「お母さんが急病だから迎えに来た」と授業中の小学6年生の少女(11)を連れ出し山中に誘拐、少女が悲鳴を上げて逃げ出したので両手や紐で絞殺、「3万円持ってこい。警察に知らせたら娘の命はないものと思え」と身代金要求の脅迫状を届けた。翌日、ズボンを脱がされた少女の死体が発見され、犯人も特定されたが17日間も逃走して翌年1.2に逮捕された。
 家出中で、小遣銭に窮し漫画難誌からヒントを得て、登校中にたまたま見かけた少女を狙ったもの。2回の非行歴がある札付き。昭和35年6月、最高裁で死刑確定。


昭和32年(1957).12.19〔19歳が国籍偽って東大合格〕
 静岡県静岡市の高校を去年卒業して東大に落ちた浪人生(19)は、この春に乙種外国人試験を受けて東大教養学部に合格、入学して半年間通っていたが高校の同級生に見つかって学歴詐称が発覚、この日に入学取り消し処分を受けた。父親が韓国人で母親が日本人だが日本国籍で県立高校を卒業、韓国の高校の卒業証明書を手に入れて外人登録をして、私費留学生として38人中8人合格の特別入試を受けたもの。


昭和32年(1957).12.20〔中3が女教師に暴力〕
 東京都府中市の中学校で、授業中に3年生(15)が女教師(23)を「点数が悪い」と蹴飛ばして1週間の傷害を負わせ、逃げた教師を連れてくるように言って同級生を殴り、他の教室に行って生徒を殴った。番長でこれまでにも教師をたびたび脅していた。柔道初段。


昭和32年(1957).12.〔中学生の受持教師殴打事犯〕
 暴行、恐喝などの非行歴のある中学3年の少年が、以前受持教師にパン代を借りようとして断られたことを恨んで復しゅうを決意し、授業時間中教室を出たり入ったりするなど不真面目なことをして教師を怒らせ、注意されると猛然と襲いかかり拳で同教師の顔面を殴りつけて、前上歯一本を折損させた事犯。(32年12月福島県) 警察庁「少年非行」引用。


昭和33年(1958).1.2〔小学校教師が教え子の4年生レイプ〕※参考
 東京都品川区のアパート自室で、小学校教師(48)が担任の4年生女子(10)を連れ込んでレイプした。懲役3年が求刑されたが12.11に東京地裁は懲役1年の判決。刑が重すぎると控訴し、翌年5.7に高裁で控訴棄却。


昭和33年(1958).1.8〔中1女子が教師と心中〕
 愛知県東春日井郡の中学音楽教師(25)と教え子の1年生女子(13)が、浜松市の旅館で睡眠薬心中した。結婚の約束をしたが女子の父親に反対されて、3日に学校で最後のピアノを2人で弾き家出していた。


昭和33年(1958).1.11〔中3が教師の眼の前でリンチ〕
 東京都足立区の中学校で、3年生不良グループ11人が隣の教室に押し入り、教師の制止も聞かず対立グループ5人を木刀等で暴行、重傷を負わせ、通報で駆け付けた警官に捕まった。これまでも生徒をリンチしたり、教師を蹴飛ばしたりしていた。


昭和33年(1958).1.13〔中3が教師を殴る〕
 東京都府中市の中学校で、3年生が職員室に押し入り、「気に喰わぬ奴だ」と教師の顔を何度も殴った。授業をサボって叱られた復讐。


昭和33年(1958).1.24〔中学生の“暴力教室” 読売新聞引用〕
 東京都内の校長たちの間ではよるとさわると生徒の暴力問題が話題にのぼる。しかもこの話がでるとメシものどを通らなくなるノイローゼぶり。なかには「少年院送りとまでいかない暴力少年だけを集めて教育する特殊学校をつくっては……」との悲鳴も聞かれるほど。
 最近の主な“暴力教室”事件をあげると、
▽東京府中四中――3年生の男子生徒が、悪い点をつけた女教師の腰を蹴って負傷させ、さらに後日、サボっているところを見咎めた教師を職員室までおしかけて殴る。
▽茨城・平磯中――教室で騒いでいた生徒に「外に出て遊べ」と注意した教師がビンタをくらい1週間の傷。
▽東京・足立八中――“八中の番長”と自称する札つき生徒10数人が、彼らのハデな服装をふり返って見た同じ3年生2人に「ガンをつけた」と校内でリンチ、さらに授業中の教室に木刀やストーブの鉄棒などを持って殴り込みをかけ5人を袋叩き。担任教師は手がつけられず警官を呼んでやっと収拾。叩かれた生徒の1人は重傷。
▽東京・中野第二中――生徒5人が授業中、校庭で喫煙、これを見つけて注意した巡査(25)を取り囲み「オイ、制服を脱げよ。やるなら相手になってやるぜ」とすごむ。通行人の通報で中野署員がかけつけて騒ぎをしずめる。同校では暴力生徒に昨年4月からガラス約1000枚(7万円相当)が壊されている。
(読売新聞1・24)


昭和33年(1958).1.25〔継母が誘拐装い小2娘殺害〕
 大阪府吹田市の小学校校庭で、遊んでいた2年生の女の子(8)が若い男に連れ去られ、翌日に畑で絞殺死体が発見された。継母(29)が鉄道員(19)に頼んで連れ出して殺害したことが鉄道員の届け出で判明、28日に逮捕された。


昭和33年(1958).1.30〔高校生が他校に愚連隊を押し掛けさせる〕
 東京都大田区の都立高校で、前日に他校の高校生が3年生4人にからんできたため取った学帽を取り戻そうと仲間の愚連隊7人がやって来て、教師に学帽を返すように要求し、生徒にナイフを見せて脅した。2.7に無職(20)らが逮捕。


昭和33年(1958).2.5〔高校生の学力低下 基礎学力で既に劣る 学校や家庭側にも責任 朝日新聞引用〕
ちかごろよく「高校生にもなってろくに字も書けない」「うちの子は女子高校生なのに、ゆかた一枚も満足にぬえない。あれではおよめにもやれない」という母親のなげきも少なくはないようだ。第四回全国高校教育研究集会が一日から三日まで山形県上山市で開かれたが、この集会でも第二部会で「高校生の学力」について討論が重ねられた。高校生の学力低下の原因、実態などをこの第二部会を通してさがしてみよう。

ちかごろの高校生がどうしてこうも学力が低いのか悩んでおり、それをつきとめようとして多くの高校でいろいろ調べているが、原因は三つあるようだ。その一つはすでに中学生の時に学力が低く、そういう子供が大勢入っていることらしい。富山県下の九校で各学年の担当教師が成績順位の低い生徒の調査を持ちよって検討したところ、ほとんどが高校へ入学した時すでに成績がわるい者だった。つまり高校教育をうけるのに必要な「基礎学力」が不足している生徒だ。
高校へ入学して間もなくどこの学校でもこの「基礎学力」の検査をする。たとえば新入生に「一万円の商品を二割まけてもらうと支払額はいくらか」といった間題で試験をしても、正解者は五割しかいなかったという商業高校もある。また北海道のある高校では国語の基礎学力の検査として、実用的な手紙を書かせたところ満足に書けたものは、ほとんどいなかった。英語も同様で、やさしい英作文を出したところ正解者はわずか一割六分という始末。つまり国語にしろ英語にしろ、字はよめても、書けなかったり、文章をまとめる力が不足しているのだ。
成績の悪い生徒はまた予習や復習の時間がきわめて少ないというのも特徴らしい。読んでいる本も「まんが本」富山県の調査では成績不振の者で予習も復習も全然してこないのが四割四分、定時制と農業課程では六割にものぼってた。こうして学力不足の原因は本人が中学時代からすでに成績が悪いうえ、高校へ入ってもやる気がないということにもよるが、学校の設備不足のことや教員がたりないことにもある。相変らずどこの高校でも五十人以上のすし詰め教室だし、教師はいそがしく生徒をよくみてやるひまもない。また図書を買う予算も少なく「生物」につかう顕微鏡などの実験用具も足りないし、家庭科では「衣服」の時間に電気せんたく機をつかいたいと思っても、それもないので生徒は学習の意欲がなくなってしまう。
学力をはばんでいるももう一つは、家庭の無理解と「非協力な態度」もみのがせないようだ。ことに農村などは親たちは子供が勉強をするよりも家のことを手伝う方が喜ぶので、農繁期になると勉強そっちのけで手伝いに一日を過してしまう。
ではいったいどうしたら生徒の学業不振が解決されるのだろう。悪い子は最初から受付けない方がいいのじゃないかというきびしい意見もでたり、また北海道の若い教師は「クラスの中で知能別にして教えたら成調があがるだろう」という。たとえば英語ならクラスの生徒を成績に応じて四班にわけ、四人の先生で教える。その場合一番優秀な教師が一番できの悪い班をうけもつのだ。そうして実験してみると、英語のできない組は期待したほどよくはならないが、それでもクラス全体の英語のレベルは上ったという。しかしこの知能別学級にはまだ多くの教師が首をかしげていた。「学校によっては逆効果になるかもしれない。成績不振班はかえって劣等感をいだくばかりで、ひいては非行生徒を生みださないともかぎらない」といっていた。それよりも「大事なのは中学、高校の教科内容をもう一度よく検討してみる必要がある」という意見だ。というのは中学の場合など教えることが多すぎるし、それにむずかしく、また実社会ではあまり役に立たないことも教えている。中学の教科内容をもっと整理したうえで高校の方も考えなおした方がいいという。
教科書にしてもそうだ。「原稿を書き終えてから三年ぐらいたたないと教師や生徒の手にわたらない。これでは時代的にずれてしまって生徒は学習の興味を失ってしまう」と女教師が訴えていた。そのほか試験の方法としてアチーブ式がいいかわるいかも検討したらどうだという意見も多い。
とにかく高校生の学力不振を解決するには小、中、高、大学の教師がいっしょになってもう一度全部の教科の内容をみなおして整理すること。次にはすし詰め学級や設備の不足を解消して生徒が楽しくまなぶように工夫すること、また教員の定数を確保して、教師ができない生徒を個人的に身を入れて指導できるようにすること、さらに大事なのは家庭だ。「学校の先生にすべてを一任してある……」などといわないで、あたたかい愛情で子供をはげましてやることはなんといっても大きな力だということである。
(朝日新聞1958.2.5)


昭和33年(1958).2.27〔中3が教室で女子生徒をリンチ〕
 東京都北多摩郡の中学校で、3年生男子(15)が3人の仲間を引き連れて「殴り込みにきた」と教室に入り、女子生徒(15)の髪をつかんで引きずり倒して殴る蹴るの暴行を加えた。ほかの女子生徒(14)が留めようとすると頭を何度も殴りつけ、倒れたところを腹を蹴って、頭部内出血で重体となった。
 前日のホームルームの時間に女子生徒が「私の名前をつけたラブレターを書いていたずらしている」と発言したことに腹を立てての犯行。


昭和33年(1958).2.〔暴力団背景の高校生の粗暴事犯〕
 組織的暴力団の暴威を背景に、同暴力団幹部の次男、三男の両少年が、高校2年生約20名を主体として粗暴グループを組識し、校内で常習的に賭博をし、わいせつ図画を販売するとともに校外では窃盗、恐喝等をくりかえしていた事犯。(33年2月大阪府) 警察庁「少年非行」引用。


昭和33年(1958).3.12〔中3ら12人が他校に殴り込み〕
 東京都板橋区の中学校で、他校の中学3年生12人が殴り込みをかけた。仲間が殴られた復讐だったが、相手は殴ってないと言うので手打ちとなり、おさまらないので暴れて校舍を破壊、捕まった。


昭和33年(1958).3.18〔高3が小学校時代の教師を刺殺〕
 神奈川県川崎市の南部線登戸駅に停車中の通勤ラッシュの電車内で、小学校副校長(40)が背中から心臓をジャックナイフで刺され殺害される。
 逃走した元教え子の高校3年生(18)は、21日に八王子市の竹やぶで、雑誌「アトリエ」に「先生の死を知りました。先生すいません。ぼくは色男でも助平でもない。お父さん、お母さん、姉さん、弟、親孝行が出来なくてすみません」という遺書を書き残して睡眠薬を飲み自殺した。
 ヌードデッサン法が載っている雑誌をとがめられたことを恨んだと推測されるが、2人とも死んだので真相は判らない。美術クラブに所属していた。
 内気で人付き合いが苦手、「おじいちゃん」というあだ名だった。8日に卒業したが極端な無口のため5社の面接試験に全部落ちて就職先が決まっておらず、18日から家出していた。


昭和33年(1958).3.21〔高1女子らが教師解任要求し自決謀る〕
 神奈川県海老名町の県立高校1年生の女子生徒50人が、授業がいいかげんでえこひいきも酷い洋裁教師(28)の解任を要求、20人は要求を死守するため睡眠薬を買って8錠づつ所持していたが察知した学校側が没収して大事には至らなかった。


昭和33年(1958).4.4〔高3ら長髪禁止反対ストで退学は問題と法務局勧告〕
 茨城県筑波郡の県立上郷高校で、昨年6月に長髪禁止反対ストがあり3年生10人が退学などの処分を受けた事件に対して、水戸地方法務局は「長髪禁止は人権侵害のおそれがある」と、生徒への取り調べや処分の行き過ぎや、禁止そのものの問題を県教育庁に勧告した。


昭和33年(1958).4.8〔ネサヨ運動広まる〕※参考
 神奈川県鎌倉市の腰越小学校ではじまったネサヨ運動が広まる。「そんでネ。こうしてサ。だからヨ」という言葉を追放するため、言葉を書き込んだネサヨ人形を燃やす。


昭和33年(1958).5.5〔高3が酔ってバスを無免許運転〕
 埼玉県越谷市の県立高校の定時制3年生(18)が修学旅行に来ていた奧多摩湖で酔っ払い、運転手の首を絞めてバスを乗っ取り、5百メートル無免許運転して道路の中央で留まって大渋滞を引き起こした。警察に捕まったがすぐに釈放された。


昭和33年(1958).5.8〔明大空手部が集団リンチ〕
 東京都杉並区の明治大学で、1年生(18)が空手部を退部しようとして、10人以上の部員に1時間に渡ってリンチを受け、髪を切られた。大学は空手部を解散させた。


昭和33年(1958).5.21〔18歳が甥を誘拐殺人〕
 愛知県碧南市の小学校内の貯水池で、4年生が腐った子供の足首を釣り上げ、水をかい出してみると幼児(6)の死体が発見された。昨年の12.16に誘拐され「60万円よこせ」という脅迫状が何通も届いており、死体に重しとして結びつけられていた鉄棒が幼児の叔父(18)のものだったため逮捕された。
 昨年6.17、雪村いづみに脅迫状を送り、金を受け取りに現れたところを逮捕され、7月に少年鑑別所を出所していた。中2の時にこの池で溺れていた子供を救助して表彰されていたが、助けたのは発見者の4年生だった。


昭和33年(1958).5.26〔教師が修学旅行で中3殴り告訴される〕
 静岡県熱海市の旅館で、修学旅行に来ていた大阪府大阪市の中学3年生(15)が深夜2時に騒いでいて教師に顔を殴られ5日間の傷害を負わされ、5.29に親が教師を告訴した。


昭和33年(1958).6.1〔中3が勉強嫌いのため学校放火〕
 栃木県那須郡の中学校で、3年生(15)が放火、校舍を全焼した。勉強嫌いのため石油を撒いて火を付けたもの。


昭和33年(1958).8.17〔18歳の小松川女高生殺害事件〕
 東京都江戸川区の小松川高校屋上で、定時制2年生女子(16)が暴行され絞殺。同1年生(18)の犯行で、完全犯罪をもくろみ新聞社や警察に電話したり、被害者宅に遺品を郵送するなど異常事件として騒がれた。4.20にも近くの女性(24)を暴行殺害。36.8最高裁で死刑確定、37.11刑執行。


昭和33年(1958).9.29〔高校生の勤評デモ引用 毎日新聞〕
 全学連では勤務評定反対を推し進めるため、15日には各大学でストライキを行い、さらに学期末試験のボイコットを決定した。また東京都内の高校生で組織する勤評反対高校生行動委員会は6日、50人(うち女高生15名)で銀座通りをデモ。しかし無届けデモだったため責任者4人が連行された。これに抗議する仲間は京橋警察署前に座り込み気勢をあげた。解散の説得に応じる気配がないため、同夜10時すぎ、警官が実力行使で排除し解散させた。高校生たちは顔がわかると退学させられることを警戒し、手拭いでホオかむりをしたり、ハンカチで顔をかくしたり。高校生だけの集会に警察が実力行使したのは都内ではじめて。この高校生グループは都立大付属高校や教育大付属駒場高校ら都内の12校の生徒が中心となる個人加入の組織。
 また都立新宿高校では25日の全学連の勤評反対デモに参加した3年生男子2人を、学校が禁止している対外活動をした理由で1週間の自宅謹慎処分にした。勤評反対闘争で高校生の処分は全国でこれがはじめて。このデモには都内の高校生約40人が参加していた。
(毎日新聞9・29夕刊)


昭和33年(1958).10.6〔高2が授業中にピストル自殺〕
 東京都品川区の高校の授業中に定時制2年生(18)が胸を撃って自殺を図ったが2週間の傷だった。運動競技用のピストルを改造し、真鍮棒を弾丸としたもの。「孤独から逃れなかった」という手記を持っていた。


昭和33年(1958).10.30〔中3の不良グループが愚連隊とつるんで恐喝を働く〕
 東京都江東区の中学校で、3年生(14)がリーダーの不良グループ6人が、生徒50人以上から金を脅し取り、氏名と金額をメモ帳に書き込んでいた。1件あたり10円前後だったものが卒業生の工員(18)ら愚連隊に上前をはねられるようになってから1000円にまで膨らみ、4万円以上を稼いで酒やタバコ、派手な服などを買っていた。被害者は家から金を持ち出していた。
 不良グループの家庭はほとんどが貧しく、親は放任。愚連隊が授業中にやって来るので教師が注意すると「生意気だ」と棒で殴り、パトカーが出動する騒ぎもあった。この年の大卒銀行員初任給1万2,700円。


昭和33年(1958).10.31〔中2がコンクリートぶつけて重体〕
 東京都港区の中学校の校庭で、中学2年生(14)が投げたコンクリートが同級生(13)の頭に当たって頭蓋骨骨折の重体となり、過失傷害で取り調べ。昼休みに頭くらいの大きさの塊で砲丸投げ遊びをしていたもの。


昭和33年(1958).11.3〔高2ら10数人が修学旅行で乱闘〕
 京都府京都市の旅館で、修学旅行に来ていた埼玉県鴻巣市の県立高校の2年生と、埼玉県の別の高校2年生10人以上が乱闘、逮捕された。繁華街でケンカした決着を付けに押し掛けたもの。


昭和33年(1958).11.4〔女教師、宿題忘れた生徒の教科書焼く 毎日新聞引用〕
 東京足立区の東淵江小学校5年生のクラスで、10月28日、半数以上の生徒が宿題を忘れたのを怒った担任K女教諭が、廊下に立たせ「宿題を忘れるようなずるい気持ちを直してやる」と忘れた生徒の教科書とノートを取り上げて破り、バケツの中で実験用アルコール・ランプに火をつけ燃やしはじめた。宿題をしてきた生徒は燃やすのを手伝わされ、約2時間にわたり、「こうされても口惜しくないのですか」「見せしめのためにするのです」などと怒りながら、宿題を忘れた28人分の教科書とノートを焼き捨てた。
 これを聞いて驚いた父兄が「教育者として許せない行為」と抗議すると、K教諭は「宿題を忘れるのは家庭のしつけが悪いからです」と逆になじる程。K女教諭は埼玉大を卒業、3年前から同小学校で教鞭をとっていたが、一部の話ではこれまでも授業中にタバコを吸ったり、教壇に花がかざってないと生徒に八つ当たりするなど好ましくない行為もあったという。父兄らはK女教諭に休職勧告を決議した。
(毎日新聞11・4夕刊)


昭和33年(1958).11.6〔高3の2人がレイプして甲子園出場辞退〕
 栃木県宇都宮市の作新学院野球部部員3年生2人が、映画館で知り合った女性(18)を神社でレイプして逮捕された。作新学院野球部は秋季関東大会で優勝しており甲子園選抜大会に推薦されることは確実だったが出場を辞退、栃木県の全校も辞退することになった。


昭和33年(1958).11.14〔高3ら愚連隊「町かど族」が中高生ゆする〕
 東京都江戸川区小岩町の中学校や高校の運動会・文化祭に押しかけ、女子生徒にいたずらをしたり、男子生徒から腕時計やコートなどを脅し取っていた愚連隊「町かど族」が捕まった。無職(20)、無職少年(17)、私立高校3年生(18)、同(17)の4人。親は放任していた。


昭和33年(1958).11.15〔19歳ら200人が日教組委員長襲う〕
 高知県吾川郡の高校で、日教組委員長(52)が勤務評定反対の50日の同盟休校問題で教員などと会議中に、父兄ら2百人が押し掛け「ソ連に行け」などと言いながら椅子を投げつけ、殴るなどの乱暴を働き20日の傷害を負わせた。ブリキ工(19)、農業(19)ら8人逮捕。


昭和33年(1958).11.25〔中2が教室に放火〕
 神奈川県川崎市の中学校で、2年生(13)が教室に放火したがすぐに消し止められた。教師に叱られたため。


昭和33年(1958).12.16〔小学校講堂でストリップ・ショー 朝日新聞引用〕※参考
 東京台東区の田中小学校講堂で12月10日夜開かれた「東竜太郎と自由労働者の集い」でストリップ・ショーが演じられ、近所の児童が100人ほど見ていたため問題になる。同校の教師は翌日、これを見た男の子から「恥ずかしかったけど面白かった」とストリッパーの真似を見せられ仰天。ある先生は「勤評問題などで父母との懇話会などに教室も貸さないのに……」と憤慨。同校校長がプログラムの検討もせずOKしたらしいのだが、近所の電柱には「蛇と舞うストリップ」「お色気長編裸ショー」の広告ビラがペタペタ。東氏は話のあとすぐに帰り、このことは全く知らなかったとのこと。
(朝日新聞12・16)


昭和33年(1958).12.23〔中2の2人が教室で刺殺〕
 福島県会津若松市の中学校の教室で2年生(13,14)2人が登山ナイフで別のクラスの2年生(14)を刺し殺した。14歳が腰を、13歳が左肺を同時に刺したもの。グループ同士の対立で4人がナイフで相手2人を刺す計画を立てていたが、もう1人は隙がなく刺せなかったという。


昭和34年(1959).1.26〔高1ら36人の不良グループが生徒130人をゆする〕
 福岡県福岡市の私立高校で、不良グループ「竜若一家」36人のうち、3年生(22)、停学中の1,2年生8人、退校生2人の計11人が脅し、暴行の疑いで捕まった。アパートを借りて酒やタバコを飲み、桃色遊びをしていた。遊興費は同校生徒を脅すなどして捻出。被害生徒は判明しただけでも130人、被害額は約6万円、時計やコートなども脅し取られていた。警察に届出をしたことへの復讐を恐れて不登校が続出した。この年の大卒公務員初任給10,200円。


昭和34年(1959).1.26〔小6が教室放火〕
 大阪府枚方市の小学校で、6年生(12)が12.26に教室を放火し、捕まってこの日に自供した。農家の3男で、教師の机の引き出しにマッチがあったので、人が騒ぐだろうと火を付けたもの。成績が悪く友達もいなかった。


昭和34年(1959).1.29〔高校教師が娘をせっかん死〕※参考
 神奈川県川崎市の自宅で、成城高校理科教師(42)と妻(32)が長女(5)をせっかん殺害した。おもらししたのを怒って何度も殴ってフロに沈め、硬脳膜下出血で死亡させたもの。3年前に養女にして、手足の爪を全部はがすなど、せっかんを繰り返していた。東大理学部卒。


昭和34年(1959).2.8〔喫煙と少年犯罪 読売新聞引用〕
 たばこ吸いたさに強盗や窃盗を働く少年が最近目立っていると警察庁がその実態をまとめた。喫煙が動機となった主な事例をあげると、
▽小学4年生のとき不良少年に喫煙を教えられた15歳の少年は、小遣い銭欲しさに海軍ナイフで脅し5000円を強奪(群馬県)
▽高校2年生が小銭をためていた老人を薪割りで殴り現金9000円を奪う(中部地方)
▽関東地方のある中学校では、2年生28人のうち26人が喫煙、1人10円づつ出し合ってたばこを購入、吸いがらを校舎の節穴にいれるうち校舎一棟を全焼した。少年たちは喫煙することが“大人への完成"のシンボルと考え、この傾向が年々激増している。昨年補導された少年70万人のうち、約半数が喫煙常習者だという。
(読売新聞2・8)


昭和34年(1959).2.11〔小5、欠勤教師を訴えるビラ配布 読売新聞引用〕
 東京北区の小学校5年生のクラスで、欠勤がちな担任教師(32)を訴えるガリ版刷りのビラがクラスの家庭に配られた。
「生徒より――(1) 先生は1週間に2、3回休みます。今日は試験があって、ぼくたちは習っていないところがでました。よその組が115ページなのに、ぼくたちはまだ54ページなのです。(2) 時間中に絵ばかり書かせていて、先生はたばこをすったり、小説ばかり読んでいます。それでは勉強が遅れてしまいます。それでこのことについてお母さん方で相談して先生によく伝えてください。お願いします」と、児童の不満が結集し幼いチエをしぼり出しての自衛行動に出たわけ。小学校の先生が受持ちの児童から“勤評"されたのは国の教育史上でもめずらしい。
(読売新聞2・11夕刊)


昭和34年(1959).3.6〔27歳教師が同僚殺人未遂と学校放火〕※参考
 秋田県平島郡の中学校で朝5時、教師(27)が職員室に放火、宿直室で寝ていた教師(23)の頭をカナヅチで殴って10日の傷害を負わせてからフトンに火を付けて逃走。すぐに殺人未遂と放火で逮捕。殺してから学校を燃やして自分も死ぬつもりだったと自供。まじめな性格だった。


昭和34年(1959).3.19〔中3の15人組が卒業式の集団暴行〕
 東京都足立区の中学校の卒業式で、中学3年生15人組が卒業生5人を校庭に連れ出し、大勢の生徒が見ている前で殴る蹴るの暴行を加えて1人に瀕死の重傷を負わせた。問題校のため卒業式に私服警官が配備されて警戒態勢が取られているなかの出来事だった。


昭和34年(1959).4.16〔19歳がフェンシングで過失致死〕
 東京都千代田区神田の中央大学で、フェンシング部の練習中に2年生(19)の折れた剣が3年生(20)の胸に30センチ刺さり死亡。2年生が過失致死で書類送検。


昭和34年(1959).5.22〔15歳ら不良卒業生を恐れ、中学生が集団下校〕
 千葉県松戸市馬橋の中学校で、卒業したばかりの不良グループ7,8人から一枚200円のパーティ券数10枚を売りつけられ、「放課後に代金を裏山に持って来い」との脅しが発覚、生徒は教師付き添いで集団下校し、少年が捕まった。男子生徒100人以上が金を取られたり、殴られたりしていた。


昭和34年(1959).6.16〔中2ら2人がピストル強盗〕
 千葉県佐原市の小学校に中学2年生(14と15)2人組が押し入り、ピストルとナイフを突きつけ女子事務員(15)を脅して380円を奪って逃走したが逮捕された。ピストルはほかの中学2年生から脅し取ったと自供。


昭和34年(1959).9.12〔高2が教室で刺殺〕
 埼玉県熊谷市の定時制高校の教室で、2年生A(16)が4年生B(18)をナイフで刺し殺した。前日にAの友人が別の4年生と給食のことでケンカになりAに助けを求めた。Aはナイフを取り出したため4年生は逃げてBに助けを求めた。翌日にBは教室に来てAを殴り、さらに椅子で殴ろうとしたため、いきなりナイフで刺したもの。


昭和34年(1959).9.22〔中学生数十人が乱闘〕
 東京都目黒区の中学校で、世田谷区の中学3年生20人が殴り込みをかけ、同校の3年生10数人と棒で殴り合った。以前から2校で抗争があり、運動会の練習をからかったことからケンカになったもの。


昭和34年(1959).11.26〔19歳大学生が他校の教授を撲殺〕
 東京都豊島区の立教大学構内で、大東文化大学2年生(19)が酔って侵入、立教大学教授の米人宅の窓ガラスを割って大声でわめき立てた。驚いた米人教授が「君は誰か」と言うと大東文化大生は教授を引きずり出し、駆けつけた友人が留めるのも聞かずに空手で顔や頭を何回も殴って殺害した。ふだんはおとなしいが酒を呑むと凶暴になる性格。米人教授は死ぬ前に「まだ若い学生だし、酔っているようだから、警察に許すように言ってくれ」と告げたという。地裁で懲役3年(求刑5年)の判決。


昭和34年(1959).12.11〔17歳が退学を恨んで校長に切りつける〕
 三重県松坂市の県立高校の校長室で、少年(17)がナイフで切りつけ校長(55)に1ヶ月の重傷を負わせた。7月に素行不良のため退学を命じられ、8日にも校長宅に押し掛けて脅迫していた。警察に通報したことにカッとしたもの。


昭和35年(1960).1.19〔中3ら17人が女生徒多数を繰り返しレイプ〕
 京都府京都市の中学校の生徒と卒業生が去年の4月から半年以上も同校の女生徒多数に対してグラウンドや裏山でレイプや淫らな行為を繰り返し、3年生10人と卒業生7人を強姦、強制猥褻容疑で19日に送検、35人を不純異性交遊で家裁送りにした。妊娠した被害者の父親が加害者から金を脅し盗ろうとして、困った生徒が教師から金を借りるという事件も起こり、校長(50)は19日に首吊り自殺。道徳教育のモデル校だった。


昭和35年(1960).1.25〔高校生が組合教師とともに校長着任拒否〕
 高知県香美郡の県立高校の新任校長は県教組教師と生徒に反対され1ヶ月間も学校に入れなかったが、父兄と賛成派生徒3百人が力ずくで着任させようとし、教師と反対派生徒3百人がピケを張って防止しようとして校門で対峙した。警官隊60人が出動し反対派生徒を排除、校長はいったん校内に入ってすぐに帰った。生徒15人がケガ。


昭和35年(1960).2.22〔中3の進学組と就職組が乱闘して殺害〕
 福岡県福岡市の中学校で、道徳の授業中の3年生のふたつのクラス同時に進学組5人が押し入り就職組8人と乱闘。進学組の3年生(15)の頭に椅子が当たり死亡した。数日前に就職組が進学組3人を殴ったため、匕首、竹槍、木刀、チェーンを持って復讐したもの。


昭和35年(1960).3.1〔高校卒業生が教師を池に放り込む〕
 岐阜県岐阜市の県立商業高校の卒業式の後に、卒業生が教師(27)を殴って池に投げ込んだ。指導を恨んでいたもの。10人が警察に捕まった。


昭和35年(1960).3.3〔中学で進学組と就職組が乱闘〕
 福岡県田川郡の中学校で進学組と就職組20人がスコップで乱闘。警察が駆けつけ、治まった。


昭和35年(1960).3.11〔中3が他校に殴り込み〕
 東京都江戸川区小岩の中学校に別の中学の3年生10人が押し掛け、体育授業中の3年生(15)に殴る蹴るの乱暴を働き5日間のケガを負わせた。急行した警察に6人が捕まったが、4人は校舍のガラスを投石で割って逃走した。2月の高校受験会場で中3生がこの学校の生徒を殴った復讐に襲ったもの。


昭和35年(1960).3.14〔中3が卒業送別会で殺人〕
 東京都品川区の中学校の卒業送別会で3年生(15)と別のクラスの3年生(15)がケンカとなり、ナイフで胸を刺して殺害した。被害者に以前脅されたことを恨んでいた。


昭和35年(1960).4.7〔高3が修学旅行で同級生殺害〕
 京都府京都市の旅館で修学旅行に来ていた長野県立高校の3年生(17)が同級生に頭を蹴られて脳内出血で死亡した。うるさいと隣室からやって来て、寝ている高3生に暴行を働いたもの。


昭和35年(1960).4.28〔高3の10数人が退学撤回求め校長に集団暴行〕
 埼玉県秩父市の県立高校の校長室に3年生10数人が殴り込み、校長と4人の教師を石入りのハンカチで殴ったり椅子を投げつけたりして10日のケガを負わせた。他校生や下級生に暴行を働いたため3年生4人が前日に退学となったが、撤回を要求したもの。


昭和35年(1960).5.26〔阿蘇山で修学旅行の高校生大乱闘〕
 熊本県阿蘇山に修学旅行に来ていた大阪私立高校3年生が東京都立高校2年生から金を脅し盗ったことを切っ掛けとして、ホテル前で50人が竹やスコップを武器に大乱闘を繰り広げてケガ人が出た。


昭和35年(1960).6.1〔中3の修学旅行が集団万引き〕
 福島県磐梯町に修学旅行に来ていた千葉県の中学3年生28人がみやげもの屋で数十点1万円分を万引きして捕まった。


昭和35年(1960).11.12〔中2が教師をナイフで刺す〕
 東京都板橋区の中学校の校庭で体育の授業中、2年生(13)が果物ナイフで教師(26)刺して2週間のケガを負わせた。11日の学内弁論大会で前の席に詰めるように叱られ頭を叩かれたのを恨み、ナイフを買って機会をうかがっていたもの。裕福な家の一人息子で放任されており、成績は中くらいだった。


昭和35年(1960).12.6〔中3の5人組が学校で同級生刺殺〕
 兵庫県神戸市の中学校の階段の踊り場で3年生(14)が3年生(14)を刺殺した。サッカー部員5人がバスケット部の被害者をからかったため決闘となったもの。殺人容疑で5人が逮捕された。


昭和35年(1960).12.10〔高2が学校で同級生刺殺〕
 大分県直入郡の定時制高校で2年生(17)が同級生(17)とケンカして、家から持ってきた庖丁で刺殺した。


昭和36年(1961).1.1〔小学校新年祝賀式後、児童将棋倒し10人圧死〕※参考
 岩手県で小学校新年祝賀式後、児童将棋倒し10人圧死。


昭和36年(1961).1.28〔塾経営者、批判的な中学校教師に乱暴〕※参考
 大阪府で塾経営者、批判的な中学校教師に乱暴。


昭和36年(1961).1.31〔中3番長が学校で暴れる〕
 東京都足立区の中学校で3年生(15)が椅子を振り回して暴れ回り、教師を殴って1週間のケガを負わせた。10人以上の手下を従えた番長で、生徒から金を巻き上げて暴力団の先輩に上納していた。次期番長への権力委譲で手下と揉めているのを教師に叱られ恨んだもの。


昭和36年(1961).2.8〔中3が学校で花札賭博〕
 奈良県五条市の中学校で、3年生30人が花札賭博を開帳、10円から20円の掛け金で、3000円もの現金が動くこともあった。儲けた金はおやつに使ったり、マンボズボンや革靴を買っていた。


昭和36年(1961).2.9〔中3少女が教室で服毒自殺〕
 神奈川県川崎市の中学校で、授業が始まる直前、中学3年生の少女(15)が教室で自殺した。「これは毒薬だ。飲んで死ぬ」と叫んだため、友人らは慌ててビンを取り上げたが既に飲んだ後だった。家庭も性格も問題は無く、受験による疲労からの発作的な行動と見られている。


昭和36年(1961).5.10〔高校3年生11人が修学旅行で婦女暴行〕
 高知県高知市の路上で、少女(17)が高校3年生4人に殴られいたずらされた。2時間後の夜10時半に高校3年生7人が1人の女性を取り囲んで脅迫し、11人の高校生は婦女暴行で捕まった。全員が東京都の私立高生で、修学旅行で高知に来ていた。


昭和36年(1961).6.4〔教師が生徒の「体罰賛成」アンケート結果で体罰〕※参考
 兵庫県出石市の小学校で、授業中に小学3年生(9)が騒ぎ、教師(31)がバットで頭を殴って絶対安静となった。3年生は3年前に木から落ちて脳内出血を起こし、頭を殴ったりしないように医者から言われ、教師も聞いていた。3月に別の教師が生徒を殴って問題となった際、この教師は「体罰是非」のアンケートを生徒から取り、一票差で体罰賛成の結果を得ていた。


昭和36年(1961).6.5〔中3修学旅行生22人が乱闘〕
 京都府京都市で修学旅行に来ていた横浜市の中学3年生13人と大分市の中学3年生9人が乱闘となり、棍棒やナイフで1人(14)が重傷となった。肩がふれたことからケンカとなったもの。


昭和36年(1961).6.14〔中3番長グループが校庭で決闘〕
 東京都墨田区寺島の中学校校庭で、中学3年生の不良グループが別の中学の番長グループと凶器を所持して決闘しようとした事件があった。度胸付けに睡眠薬を飲んでいた。
 同様の事件は5月末