少年犯罪 家庭内暴力事件




昭和12年(1937).5.2〔18歳(満16〜17歳)の家庭内暴力の娘を父親が殺害未遂〕
 東京市大森区大森の自宅で深夜2時、父親(52)が寝ている次女(18)を薪割りで頭などを殴って3週間の傷害を負わせたが病院に運んで自首した。次女は小卒後に女工になったが長続きせずカフェーの女給になり、家では母親(50)を殴ってケガを負わせるなど警察に相談しても暴れ続けるため両親は知人宅に避難していたが、父親は将来を悲観して家に戻って殺害しようとしたもの。
 新聞で報道されると減刑嘆願書や見舞金などが集まり、娘は毎日留置場の父親を見舞って涙を流して非行を悔い真面目に働くことを誓い、父親も「我が身はもうどうなっても」と泣いて喜ぶ美談となった。


昭和32年(1957).7.23〔19歳が家庭内暴力で兄に射殺される〕
 千葉県山武郡の自宅で早朝、次男(19)が父親(60)にカマで襲いかかり、留めようとした長男(25)にもカマを振るったので長男は猟銃で射殺した。次男は日頃から素行が悪いため父親に叱られてカッとしたもの。


昭和33年(1958).8.23〔高3が家庭内暴力を働き父親に殺される〕
 東京都品川区の自宅で、長男の明治学院高校3年生(19)が金をせびり、父親(47)が百円を渡すと「これだけではしょうがない」とカナヅチを振り回して暴れ、いったん寝たが深夜3時にまたカナヅチを持って寝ていた父親に金を要求したので、父親はカナヅチを奪って頭などを何度も殴って寝巻きのヒモで絞殺した。これまでもたびたび小遣いをせびって暴れており、ほかの家族は母親の実家に退避していた。成績は中くらい。父親は執行猶予判決。この年の大卒銀行員初任給1万2,700円。


昭和33年(1958).9.3〔22歳ニートを母親と東大生が絞殺〕※参考
 東京都新宿区の東京教育大教授(54)宅で、母親(48)と次男の東大1年生(20)が、長男の無職(22)を絞殺して自首した。長男は横浜商業高校を1年で中退、高価なものを買えと家庭内暴力を繰り返し、この日も4万円を要求して暴れたため母親が後ろから手ぬぐいで首を絞め、次男も手伝って殺害したもの。次男は「前途ある青年」であるとして異例の不起訴となり、母親も執行猶予判決となった。この年の大卒銀行員初任給1万2,700円。


昭和33年(1958).10.9〔29歳ニートを父親が絞殺〕※参考
 東京都板橋区の自宅で、父親(61)が長男の無職(29)を絞殺して自首した。長男はぶらぶらしながら家の金を持ち出して競馬に使い、父母を殴って骨折させたり家庭内暴力を繰り返し、前日も暴れたため、就寝中に手ぬぐいで首を絞めて殺害したもの。


昭和35年(1960).2.24〔高1の家庭内暴力に父親銃で撃つ〕
 山口県下関市の農家で、高校1年生(17)が母親(39)に小遣いをねだって拒否されると逆上して包丁を振り回して暴れた。父親がとめようとして猟銃で撃ち、重体となった。


昭和35年(1960).3.23〔父親が家で暴れる13歳長男を殺害〕
 神奈川県横浜市の自宅で、会社員の父親(40)が長男(13)を殺害して自首した。学校には行かず、家で家具などをこわして暴れるので、寝ているところを絞殺したもの。


昭和37年(1962).5.7〔19歳が母親に乱暴して無罪判決〕
 神奈川県横浜市の自宅で、昨年に少年(19)が母親に暴行、止めに入った巡査(26)のピストルを奪おうと乱暴したことで暴行と公務執行妨害で起訴されたが、この日に無罪判決が出た。
 「『法律は家庭に入らず』という言葉もある。家庭内の平和や共同生活に危険が無く、また、社会的にみても家庭内の出来事として無視しても差支えない程度のものは、処罰しないのが刑法の精神」というのが横浜地裁の判断(求刑は10月)。これを受けて横浜地検では「やたらに母親が殴られてはたまらない」と控訴する方針。





昭和40年(1965).4.24〔26歳が小学校で生徒4人を襲う〕※参考
 埼玉県蕨市の小学校校庭に昼休み時間、無職男(26)が侵入し、1年生(6)、4年生(9)、4年生(9)の3人にナタで襲いかかり頭蓋骨骨折の意識不明の重体とし、4年生女子(9)に10日間のケガを負わせた。浦和高校を卒業してからぶらぶらしており、家族に暴力をふるうなど狂暴な性格だった。


昭和42年(1967).9.9〔わが子がこわい 警視庁の少年相談所に急増 母親をなぐる、ける 外ではよい子なのに 朝日新聞引用〕
 外ではよい子なのに、家の中では母親に乱暴をする少年がこの春ごろから目立ってふえてきた。顔や身体にアザやコブをつくって、警視庁少年相談所を訪れる母親、同所の相談の3分の1はこうした乱暴少年のケースだという。
 その1人、杉並区の母親(43)の訴え――長男A君(16)は、都立高1年生。昨年秋ごろから家の中で突然暴力を振い出した。出前のラーメンをどんぶりごと床に投げつけたり、晩ご飯では食卓ごとひっくり返したり、花びんや灰皿を投げつけたり、母親の返事が気にいらないと「バカヤロウ」呼ばわりの悪態をつき、なぐるけるの乱暴。
 しかし学校では、粗暴な振まいは全くなく、性格に暗いところもない。学校の成績はクラスで上位、同級生の受けもいい方。この家族は会社社長の父親(44)、中学1年の妹(13)、小学5年の弟(10)の5人暮らし。
 こうした少年に共通するのは高校1、2年生で、中流家庭の長男、学校の成績は上位、家庭外での非行歴ナシといったところ。心理学者のなかには「戦後、家庭における父親の権威が失墜したこと、しつけや道徳教育の不在」に理由を求めたり、「思春期特有の反抗現象の極端なもの」と説明する。直接面接指導しているカウンセラーたちは「これまでの教育心理学や児童心理学では説明できない。かといって精神病者ほどではない」と首をかしげている。乱暴され片目を失明した母親さえいる。
(朝日新聞 昭和42年9・9)


昭和42年(1967).9.15〔乱暴少年三つのタイプ「よい子」にもある反抗 警視庁の調査 朝日新聞引用〕
 母親にすぐ乱暴する子どもが問題になっているが、警視庁少年相談所ではこのほど、これまでに持込まれた相談をもとに乱暴少年の実態をまとめた結果、乱暴児たちが一応三つのタイプに分けられることが明らかになった。しかし、こうした乱暴児を生んだ原因やその治療法についてはまだ不明な点が多いため、同相談所ではそれぞれの専門分野からの意見を聞き、治療法などを研究するという。
 同相談所では、さる四月からこれまで受理した少年相談の内容を整理、分類してみたところ、乱暴児の訴えが予想外に多く、三十八件もあることがわかった。この中には浅草、新宿、大森、立川の各少年センターや第一線の警察署で受けた相談は含まれていないので、実際の数字はさらに多いとみられる。
 乱暴児の相談内容を調べると、"暴発"するさいの状況や前後の事情、本人の育ってきた過程と家族関係からみて一応三つのタイプに分けてとらえられる。
 第一のタイプは、小さいときから親に非常に大事に育てられ、普通三つ四つのころに出る"ダダっ子現象"があまりみられなかった「よい子」に多く、反抗のかたちに幼児じみたところがあるという。
 第二のタイプは、小中学生のころから「勉強、勉強」と母親にいわれてきた子ども多く、母親のことを"ママゴン"と呼ぶなど半ばおそれながら従っていたのが、高校にはいったころから逆にバカにし出すケースがほとんど。
 第三のタイプは、家庭環境や家族関係には特に問題がなく、いわば「理由なき反抗」ともいえるタイプ。本人の気質の中に、テンカン質やヒステリー性らしいふしもいくぶんみられるという。
 しかし、この三つの型に必ずしもあてはまらない乱暴児の例もかなりあるといい、また教育ママに育てられたからといって必ずこののような乱暴児になるとは限らないので、育ってきた生活環境がどこまで原因につながるものかはっきりしない。
 少年相談所では、これらの"臨床例"からえた資料をもとに、都内の少年相談所や青少年施設、社会福祉、精神医学など各分野の専門家の協力をえて、「問題行動児のケースワーク研究会」を開き、治療法をいろいろな角度から研究したい、といっている。
(朝日新聞 昭和42年9・15)


昭和47年(1972).9.10〔高2が両親相手に暴れて放火〕
 山形県長井市の自宅で三男の高校2年生(17)が「学校をやめて東京で働きたい」と言い出したので父(51)と母(50)が説得していると、突然暴れ出して小刀やカナヅチを振りまわした。両親、祖母、妹、兄嫁は家の外に逃げて警察に連絡した。警官30人と学校の教師で説得したが「親父を刺してやる。近づくと俺の腹を刺す」などとわめき散らして、父親の部屋に放火、待機していた消防車によってすぐに消し止められたが煙と放水で飛び出してきたところを逮捕された。6月にバイクで転倒して同乗の友人にケガを負わせたため学校をやめたがっていた。成績は普通だった。


昭和48年(1973).1.30〔受験に悩んで暴れる息子、母がしめ殺す〕
 東京都で受験に悩んで暴れる息子、母がしめ殺す。


昭和51年(1976).8.23〔高1が親友を刺殺〕
 山形県天童市の県立高校1年生(16)が、深夜3時に自室で親友の2年生(16)をナイフで20カ所もめった刺しにして殺害、逃走したがすぐに捕まった。成績トップで東大目指して猛勉強をしていたがノイローゼとなって留年、「親友は自分より成績が悪いのに人気者で、中学の時に生徒会長になって自分は落選したからねたんで殺そうと計画していた」と自供。家庭内暴力も激しかった。父親は小学校校長。


昭和52年(1977).10.29〔家庭内暴力の高校生を思いあまって父が殺す〕
 東京都で家庭内暴力の高校生を思いあまって父が殺す。


昭和52年(1977).11.28〔家庭内暴力の高校生を思いあまって父が殺す〕
 東京都で家庭内暴力の高校生を思いあまって父が殺す。


昭和53年(1978).7.2〔家庭内暴力の子を殺した夫を止められなかったと妻自殺〕
 東京都で家庭内暴力の子を殺した夫を止められなかったと妻自殺。


昭和53年(1978).10.〔子どもが親に暴力を振るう「家庭内暴力」が増加〕
 子どもが親に暴力を振るう「家庭内暴力」が増加。 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和54年(1979)..〔中3男子の母親の家庭内暴力の相談〕
 昨年4万円のラジコンを欲しがるので買ってやったところ、新品を買えと言う。家の経済状態を話し我慢するように言うと襖に穴を開けたり、マッチで紙屑に火をつけたり、私を蹴飛したりする。何をされるかわからないので主人に内緒でラジコン代5万円を借金して買うことを約束してしまった(中3男子の母、警視庁)。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和55年(1980).5.25〔高3が大学進学望み父親に射殺される〕※参考
 埼玉県新座市の自宅で、高校3年生(17)が大学進学を希望していたが、勤め先が倒産した父親(45)は就職するよう言い、ケンカとなって父親が息子を猟銃で射殺した。


昭和55年(1980).12.30〔官庁幹部の父、息子にバットで殺される〕
 神奈川県で官庁幹部の父、息子にバットで殺される。


昭和55年(1980).12.30〔叱った父、次男を刺殺〕
 兵庫県で叱った父、次男を刺殺。


昭和55年(1980).12.〔中3が家庭内暴力のすえに放火〕
 学校では目立たない男子中学3年生(15)は、教育熱心な公務員の家庭で育てられたが、成績の良かった兄とことごとに比較されていやけがさし登校を拒否するようになり、それを注意する母親に殴る、けるの暴力を振るうようになった。12月の朝、母親に喫煙を発見されて言い争っているうち、少年は激高して自宅応接間に灯油をまいて放火し、家を全焼させた。母、子とも全身火傷で、母親は重傷を負い、少年は入院中に死亡した。(大阪) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和56年(1981).5.2〔家庭内暴力の高1を父親が絞殺〕
 男子高校1年生(15歳)は、中学2年ごろまでは成績もよかったが、3年生になると急に勉強をしなくなり、登校を拒否するようになった。これを注意する母親に対し、殴る、ける等の暴行を振るい、中学3年の秋ごろからさらにエスカレートして、玄関のガラスや襖等を椅子を振り上げて破ったり、食器類等を投げっけるなどの行為が続いた。犯行の前日、少年が「お前ら夫婦は別れろ。別れなければ俺がお前(母親)を殺してやる」と言って、電気コードで頸を絞めるような格好をしたので、父親は「もうだめだ、息子は人間社会に生きていけないだろう、息子を殺して自分も死のう」と決意、寝込んでいる息子の頸に革紐を巻きつけて絞め殺した。(東京、5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和56年(1981).9.6〔16歳が非行と家庭内暴力で父親に殺されかける〕
 千葉県船橋市の自宅で、無職の長男(16)が食事のことで母親(38)をののしったため、空きビン回収業の父親(40)が灰皿で頭を数度殴り33針のケガを負わせた。病院で父親は看病していたが、その日の深夜に近所の店でナイフを買い、就寝中の長男に馬乗りになって首を2回刺して重傷を負わせ、殺人未遂で逮捕された。自動車窃盗、ケンカ、シンナーなど繰り返し、中3の時に少年院に入って保護観察中。母親への暴力を続けていた。「このままでは家庭を壊されるので殺そうとした」と自供。


昭和57年(1982).1.5〔高2が家庭内暴力繰り返し父に殺される〕
 青森県青森市の自宅で、高校2年生(17)がステレオを買えと母親(52)を追い回して首を絞めた。父親の時計修理工(55)は留めようとしたが締める手を離さず母親の胴も脚で締め上げたため、高2生の首を絞めて殺害した。正当防衛で不起訴。高2生は両親や姉に対して家庭内暴力を繰り返していた。


昭和57年(1982).4.27〔高1がひきこもりと家庭内暴力のはてに父親刺殺〕
 新潟県新潟市の自宅で、高校1年生(16)が父親(53)を殺害した。内向的な性格で中学時代から親友もなく、趣味もなく家にとじこもりがちで孤独であったが、高校に入学してから登校拒否を続け、両親との口論が絶えず、家庭内暴力を振るようになった。犯行当日、母親が少年を精神衛生センターに連れていこうとしたところ、これを拒否して障子戸や襖を破るなどして暴れ、午後6時ころ帰宅した父親にそのことで厳しく注意されたことから、カッとなって先を鋭く研いだ曲尺で父親の胸を刺して殺したもの。


昭和57年(1982).8.18〔父、家庭内暴力の息子を刺殺〕
 兵庫県で父、家庭内暴力の息子を刺殺。


昭和58年(1983).1.7〔17歳が家庭内暴力、祖父が孫を殺害〕
 無職少年(17歳)は、高校3年に進級したころから登校拒否を続け、家族が注意するとこれに反発して暴力を振るうようになった。2学期に入り高校を自主退学し、トラック助手として、アルバイトを始めたが、家族への暴力はますますエスカレートし、午前11時ころ少年が起床し、朝食後、そのまままた寝たため、祖父(77歳)が注意したところ、少年が反発したことから思いあまった祖父は将来を悲観し、くい打ち用の木ヅチで少年を殴打。死亡させた。(1月秋田) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和58年(1983).5.〔高1が叔父家族襲う〕
 男子高校1年生(16歳)は、中学校の教員が進路指導を誤ったために自分が希望する高校に入学できなかったと思いこみ、4月下旬から登校拒否するようになった。たまりかねた母親は、父親が単身赴任中で不在のため、父親の弟(叔父)に注意してもらったところ、これを逆恨みし、切り出しナイフを持ち、全身に灯油をかぶったまま、父親の弟(叔父)方を訪れ、居あわせた同妻(叔母)に「おじさんは俺の悪口を言っているだろう。こうなったら、俺はやるしかない。」などと怒鳴り、持っていたナイフをかざして、同妻に襲いかかり、こぜりあいになり、近くにいた同妻の次男(いとこ、3歳)の胸部を刺し全治2か月の重傷を与えた。(愛知、5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和59年(1984).2.1〔中3が暴力を振うので母親が心中未遂〕
 東京都大田区蒲田で、母親が中学3年生の長男を文化包丁で刺したが娘にとめられ自首した。勉強もせず店の金を持ち出して夜遊びを繰り返し、注意すると家庭内暴力を振るうので、将来を悲観して死んだ夫に申し訳けないと命日に心中をはかったもの。


昭和59年(1984).2.〔高1女子が母親に暴行〕
 一人娘で両親の過保護下で育った女子高校1年生(15歳)は、不良グループと交際するうち知り合った18歳の無職少年と同棲を始め高校も中退し、その後、生活費が無くなる度に自宅に戻り母親に無心ていたが、母親が注意したり、無心を断わると大声で罵声をあげながら髪を引っぱるなどの暴力を加え、次第にエスカレートしていき、ついには母親に殴る、蹴る等の暴力を加え、肋骨骨折させたうえ、沸騰した湯を浴せて火傷させるなどの暴力を振った。(山形、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和59年(1984)..〔家庭内暴力の数〕
 昭和59年中に少年相談や補導活動等を通じて警察が把握した家庭内暴力少年は第59表のとおり1,131人で、前年に比べ266人(19.0%)減少した。学職別にみると、中学生が427人(37.8%)で最も多く、次いで無職少年333人(29.4%)、高校生が247人(21.8%)の順となっており、前年に比べ、有職少年が32.7%減、中学生が28.1%減、高校生が21.1%減とそれぞれ大幅に減少したのが目立っている。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」昭和59年版引用。


昭和60年(1985).3.9〔19歳浪人生が母親を殴殺〕
 神奈川県横浜市の自宅で浪人生(19)が母親(43)を石で殴り殺した上、「明治天皇が殺せと命令している。指令が聞こえるか」と言いながら高校2年生の妹(17)にも包丁で顔や手など10数カ所に3週間の傷を負わせたが、妹はとっさに「聞こえますお兄ちゃん。明治天皇が110番しなさいと言っているよ」と答えると、自分で警察に通報した。受験のストレスによる犯行。


昭和60年(1985).3.28〔高1ら4人組が女子高生を誘拐監禁レイプ〕
 京都府京都市の私立高校1年生(16)とこの高校の寮監(22)、OBの店員(17)、少年(17)の4人組が、雑誌で知り合った文通相手の神奈川県横浜市の高校1年生女子(16)を去年の10.21に誘拐して車で連れ去り、10時間以上に渡って車内で繰り返しレイプして京都で放り出し、この日に逮捕された。
 家庭内暴力や登校拒否の生徒を寮生活させるスパルタ高校で、体罰の激しさに脱走する生徒が多く、この日も逃走した生徒を連れ戻すため車で横浜に行った帰りに女子高生を呼び出したもの。


昭和60年(1985).7.8〔15歳が両親を殴殺〕
 北海道札幌市で、無職の長男(15)が、父親(42)と母親(41)を斧で殴殺、中2の長女(13)も重体となった。就職せずにいる事を咎められての犯行。両親はしつけが厳しく、反発して中学に入ってから家庭内暴力を続けていた。


昭和61年(1986).1.〔17歳家庭内暴力長男を母親が絞殺〕
 48歳になる母親は、長男の無職少年(17歳)の家庭内暴力(朝早く、もちを焼けと命じ、焼いて届けた母親の顔にもちを押しつけ、さらにバリカンで母親の髪を刈ろうとする長男の暴力)に対し「殺される」と逆襲し電気コードで絞殺。(小松川署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和61年(1986).8.〔シンナー中毒の1人息子を殺した母親に温情判決〕
 家庭内暴力を続けるシンナー中毒の1人息子(無職少年)の首を絞めて殺し、殺人罪に問われていた母親に、「生きることが償い」と温情の猶予判決。(東京地裁) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和61年(1986)..〔中学生が家庭内暴力と放火〕
 男子中学生(14歳)は皮膚炎(アトピー)が原因で、日頃からイライラが続き、その気分を晴らすため両親に暴力を振るっていた。ある日両親が叱責すると立腹して、自宅押入れの毛布に火をつけ同家を半焼させた。(三重) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。





平成1年(1989).1.4〔16歳ら4人が女高生コンクリート詰め殺害事件〕
 東京都足立区綾瀬の自宅で、無職少年(16〜18)4人が高校3年生女子(17)をリンチして殺害、コンクリート詰めにして江東区の埋め立て地に遺棄した。暴力団下部組織「極青会」のメンバーで昨年11.25に埼玉県三郷市で誘拐、40日間監禁してレイプやリンチを繰り返していた。別のレイプ事件で逮捕されて1.29に自供。
 女子に「心配しないで」などと自宅に電話をかけさせていた。また、監禁していた16歳の家の親は女子の存在に気づいていたが家に帰るように言っただけだった。
 リーダー(18)は私立高校で悪質ないじめを受けて中退。暴走族に属し、家庭内暴力を繰り返し、暴力団とも関係するようになってシンナーも吸っていた。懲役20年の判決。


平成1年(1989).2.26〔母に乱暴の18歳を父が刺し殺す〕
 大阪府で母に乱暴の18歳を父が刺し殺す。


平成2年(1990).8.25〔19歳浪人生が両親殺害〕
 山梨県甲府市の自宅で、浪人生の二男(19)が父親(49)と母親(47)を殺害した。私立高校を卒業して東京の大学入試に2年落ちて自宅で受験勉強をしていた。「いつも小言を言われて、両親の顔を見るのも嫌だった」と自供、寝ていた両親を起こして、追い回してナイフで刺殺したもの。高校時代は野球部に属しており、近所の人にも挨拶するおとなしい性格。


平成12年(2000).8.9〔17歳が家庭内暴力で逮捕〕
 福岡篠栗町の無職少年(17)が家庭内暴力により、傷害罪で捕まった。中学3年生のころから両親、弟、祖母(83)にまで暴行を働いていた。直接の容疑は兄弟ケンカをとめようとした母親に20回以上殴る蹴るの暴力をふるったもの。



※タイトルと本文が同じ短いデータはすべて「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。※



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『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
 9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代




少年犯罪データベース

13歳以下の犯罪

異常犯罪

戦前の少年犯罪


少年犯罪統計データ

少年の殺人統計グラフ

少年のレイプ統計グラフ

親殺し統計グラフ


子どもの犯罪被害データーベース



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主要参考文献

〔年表〕子どもの事件 1945-1989

戦前の少年犯罪

戦後死刑囚列伝

新聞集成昭和史の証言

新聞集成昭和編年史

日本の精神鑑定

日本長期統計総覧

年表 昭和の事件・事故史

昭和史全記録 1926〜1989

値段史年表 明治・大正・昭和

事件・犯罪大事典 明治・大正・昭和

20世紀にっぽん殺人事典

青少年非行・犯罪史資料1-3

教育事件・論争史資料

朝日新聞縮刷版

読売新聞縮刷版

毎日新聞縮刷版

警察白書

犯罪白書





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少年犯罪データベースが参考文献として掲載されています。



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