事件詳細
昭和41年12月13日
愛知県豊橋市の会社員宅において、妻Aさん(24歳)の首を絞め、さるぐつわをはめ乱暴、その上現金2万円を盗む。臨月であったA子さんの遺体は、半分ほど水のはられた浴槽にまっさかさまに投げ込まれていた。
現場からは犯人の指紋と絞殺に使った荒縄のほか、被害者の口中に猿ぐつわとして使われたタオルが遺留されていた。
昭和41年12月27日
午後2時30分頃、千葉県東葛飾郡の職員宅に忍び込み、6畳間で物色中、外出先から帰った妻Bさん(28歳)にナイフを突きつけ「騒ぐな金を出せ」とおどし、両手で細ヒモで縛り布で目かくしと猿ぐつわをかまわた上から二重、三重に絆創膏をはり、現金2万4千円を奪った上で乱暴、事件の発覚を恐れ、同3時半頃帯しめで首を絞め窒息しさせた。隣室には生後3か月のB子さんの赤ちゃんがいた。
昭和42年1月16日
山梨県甲府市の職員Cさん宅において、同人の三女Dさん(25歳)の首を絞め、さるぐつわをはめ乱暴、その上現金を盗む。少年は遺体を全裸のまま床の間の鴨居にかけたアイロンコードを首にかけつりあげていた。
昭和42年1月23日
午後0時35分、千葉県柏市において逮捕。ナイフやドライバーに現金14万4千円あまりを所持。
昭和46年10月15日
18歳未満としては異例の死刑を求刑されたが、千葉地裁は無期懲役判決を出した。
平成1年4月12日
拘置所と刑務所合わせて22年の拘禁の後に、38歳で仮釈放された。
事件の動機
少年は昭和25年、駐留していた米黒人兵と日本人女性との間に生まれた。母は、翌年別の米国人(白人)と結婚、少年を残して渡米、少年は母の実家の祖父母に育てられた。
小学校の時、友達と違った"ちじれっ毛"混血児に気がついてからひねくれ出したという。中学に進んでから再三盗みを働いて補導され、教護施設に移された。
1年前に施設を卒業した後、自動車修理工として働いたが、無断欠勤が多く、盗み癖が直らずクビになりブラブラし、現金ばかりを狙った十数件の連続空き巣を働いて仙台南署に捕まった。このとき赤痢にかかり、入院、退院しておじの家に帰った直後姿を消していた。「若い女性は私をあざ笑うので憎かった」と供述していた。
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