少年犯罪データベース ニート事件

※昭和24年以前の年齢表記は数え年のため満年齢にすると1〜2歳低くなる※





昭和5年(1930).3.1〔中学生(満12〜13歳)ら不良学生80人が私娼街に通い逮捕〕
 東京府南葛飾郡(現墨田区)の私娼街・玉の井で、警視庁が一晩だけで不良学生80人を逮捕。37人が14歳などの中学生、43人が大学や専門学校の学生。これまで警視庁が逮捕した不良学生はほとんどが上流階級の子弟で、高額なこづかいを持ち、35%が性病で、しかも玉の井や亀戸などの私娼街で感染したことが調査で判明したため、玉の井を標的にしたもの。
 今回逮捕した者も有名な教育家の長男など上流の子弟ばかりで、運動部費や修学旅行積み立て費などと騙して親から金をもらい、授業をさぼって遊んおり、警察に呼び出されて親ははじめて知らされて驚いている。なかには高額の仕送りを送ってもらい、地方の親には学校に通っているように装いながら学籍さえないニートもいた。


昭和5年(1930).6.26〔18歳(満16〜17歳)ニートが母と妹殺人〕
 岡山県岡山市の自宅で、次男(18)が自慰行為を見つかり叱られたために就寝中の母親(43)を帯で絞殺した。6.30に妹(9)が母親を慕うので極楽にやるつもりで帯で絞殺、腐乱死体と暮らしていた。7.2に知人宅に侵入して暴れたので逮捕され、翌日死体が発見された。
 岡山一中に進学したが、無口で友人もおらず、過度の勉強で神経症心悸亢進となって関西中学に転校、去年12月に退学した。父親は陸軍少佐だが、精神病で死んでいる。長男は陸軍士官学校に在籍中。取り調べの警官にも殴りかかるなど兇暴性があり、精神鑑定の結果、心神喪失で8.1に不起訴処分。


昭和5年(1930).12.1〔27歳(満25〜26歳)ニートが父親に殺される〕※参考
 東京市京橋区の自宅で、父親(65)が就寝中の無職の次男(27)を殺害した。裕福な化粧品販売商で、真面目な長男と違って次男は働かず、父親がいくら叱っても麻雀やカフェーで遊び回っており、病気になった父親はこのまま自分が死ぬと長男の嫁にも苦労をかけることになるとナイフで喉など3回刺したもの。


昭和5年(1930).12.17〔17歳(満15〜16歳)ニートが幼女レイプ殺人〕
 東京府北豊島郡中新井村で、無職(17)が隣家の女の子(6)を連れ出し林でレイプ、泣きやまないためカッとして手拭いで絞殺し死体を井戸に捨て逃走、12.19に娘を探し回っていた父親が死体を発見し、12.20に練馬村で逮捕された。左官見習いだったが辞めて実家に帰り、探偵小説を読みふけったり不良仲間と遊び歩いてぶらぶらしていた。女の子は日頃から可愛がっていた。


昭和6年(1931).1.28〔良家の男女学生 密会遊戯に耽る 東京朝日新聞引用〕
警視庁不良少年係田中警部は去る十五日以来部下刑事を督励して神田、浅草、新宿をうろつくサボ学生の一掃に努め今日までに既に二百六十三名の男女学生を検挙し附近の交番又は警察署、消防署等へ連れ込んで懇懇説諭の上大部分はその場で放還し一方その父兄を警視庁へ呼だし監督方を忠告して居るがこの学生達はいづれも学校へ通学する如く装って家庭を出でその足でカフェーや活動写真館へ入り浸っていたもので新宿の某大百貨店喫茶室で某家の令嬢が某大学生と武蔵野館へ行く相談中を検挙されたのもあり上流家庭の某中学生のカバンの中から質札が発見されたりしているという有様である
以前はかうした検挙に際し説諭釈放の段になると見るも気の毒な位しょげ返った者が多かったが最近は驚くどころか却って
「あなた方に私達の恋愛に対して文句をいわれる訳はありません」と逆ねじを食わせる女学生もあり係官をして舌を巻かせている
殊に憂うべき傾向はこれ等男女学生は中上流階級の子弟、子女が激増して来たことで女学校三、四年生位から異性と交際を始める者が多くなった、中には上流家庭の子女でも多くの男と交際していることを名誉の如く心得それを得意然としてロ外する者さへあり恋愛遊戯にふけるやうになったことが目立って来たので不良少年係では今後も引続いて検挙を行うことになった


昭和7年(1932).6.7〔明大生ニート(満22〜23歳)がタクシー強盗〕※参考
 東京市本所区の両国国技館前で深夜1時過ぎ、明治大学専門部商科生(24)がタクシーに乗り込み運転手の頭をレンガで殴り付けて金を物色したが、運転手が意識を取り戻したため逃走、すぐに逮捕された。麻布連隊に召集となったが肋膜のため3月に除隊、大学に戻ると嘘をついて叔父から月々30円の学費をもらって学校には行かずに遊び回って使い果たして金に困ったもの。この年の銀行員大卒初任給70円。


昭和7年(1932).12.12〔27歳ニートが母親殺害〕※参考
 東京市小石川区のアパートで、元早稲田実業教師(27)が母親(67)を殺害、12.14に自首した。末っ子で甘やかされて育ち、外語大を卒業して4年間教師をしていたが授業中に生徒からバカにされて辞職、無職で収入がないのに虚栄心の強い母親はお洒落して息子のお酌で酒を飲み、また母子でおかしなことをしている声を隣人が聞いていたが、関係についてはあくまで否定。父親は大正11年に服毒自殺。昭和9年1.3に初公判を直前に控えて刑務所で首吊り自殺した。


昭和8年(1933).3.19〔住職がニートの息子を殺害〕※参考
 神奈川県小田原市の自宅で、住職(65)が次男(23)を絞殺して逮捕された。昨年9月から脊髓カリエスで寝込んでいた息子に牛乳を飲ませようとしたが乱暴したため。日頃から暴れていた。


昭和8年(1933).5.2〔18歳(満16〜17歳)がニートの兄と殺し合い〕
 東京市渋谷区の自宅で深夜、運送店店員の3男(18)が、無職の長男(32)の頭や顔をカミソリで切って4週間の重傷を負わせ、自分も長男に3週間の重傷を負わされた。5人兄妹のなかで長男だけは働かずにぶらぶらしているので日頃からいがみあい、「働いている者と遊んでいる者の待遇を区別してくれ」と3男が云ったことから、両手にカミソリを持ってケンカになったもの。


昭和8年(1933).6.14〔14歳女子(満12〜13歳)ニートが連続放火〕
 大阪府大阪市で朝9時、女子(14)が民家3件に次々放火し捕まった。付近では放火が連続しており、余罪を追及。古物商の3女で、3月に小学校を出てから親がミシン学校を勧めても行かずにぶらぶらしていた。


昭和9年(1934).6.24〔33歳がニートの友人バラバラ殺人〕※参考
 京都府八幡市の煎餠屋で深夜3時、主人(33)が就寝中の居候の無職(36)を出刃包丁で刺殺、ノコギリでバラバラにして3つの石油箱に入れて煎餅焼竈で焼いていて、最後の箱を焼く前に妻(32)の通報で逮捕された。去年の8月に愛媛県今治市からやって来て店をはじめたが、幼なじみの無職が転がり込んで来て、働かずに御飯だけ食べるので怒ったもの。子供が3人いる。


昭和9年(1934).6.25〔45歳(満43〜44歳)が死刑になるため幼児ら4人無差別殺人〕※参考
 岐阜県不破郡の路上で午後2時、無職の若林僊二(45)が1.5キロに渡って通行中の子供ら11人を次々棍棒で殴り付けて、女の子(6)、男の子(8)、女の子(9)、男性(50)の4人殺害、女の子(3)と男の子(13)2人を重体、5人を重傷として、すぐに逮捕された。
 神奈川県高座郡生まれで、20年前に砲兵隊を除隊後に民家に侵入して主婦をレイプしようとして2円を奪ってから警察に追われる妄想に取り憑かれ、庭師の仕事を手伝っていた兄の元から5年前に家出して山中で剣の修行を積んで全国を放浪、ルンペン生活をしていた。前日に挙動不審で警察に連行されており、警察への復讐のため無抵抗な子供を殺して死刑になろうとしたと自供。取り調べには平然と答えて、新聞カメラマンには犯行に使った棍棒を正眼に構えてポーズを取って笑顔を見せた。小学生のときは成績もよく、大人しい性格だった。岐阜地裁は求刑通り無期判決。





昭和10年(1935).2.20〔19歳(満17〜18歳)ニートが老女レイプ殺人〕
 長野県埴科郡で、無職(19)が民家に押し入り、一人暮らしの老女(61)をレイプしながら両手で首を絞めて殺害、逃走したが2.26に逮捕された。
 裕福な家庭で銀行支店長などもいる9人兄妹の7男だが、父親(68)と母親(64)は極めて厳しく吝嗇のため、昨年に松代商業学校を卒業して銀行に勤めたが給料はすべて親が取ってこずかいも与えられず、同僚の金を盗んで年末にクビになってぶらぶらしていた。しかし、外出も禁止されていたため夜中に抜け出し、通行中の女性を30人以上も襲っていたがすべて未遂に終わり、近所の知り合いの老女をレイプ目的で襲ったもの。


昭和10年(1935).6.17〔19歳(満17〜18歳)女子ら兄妹が従兄弟の赤ちゃんを営利誘拐〕
 東京市杉並区西高井戸の米商宅で、主人(27)の従姉妹の看護婦(19)が長男(生後3ヶ月)を抱いたまま姿を消した。「二千円持参すべし。警察または新聞に本事件を通知すると愛児は山林内に死体として葬るべし。 流れ流れてTF生」という速達が5時間後に届いたが、すでに指定時刻を2時間以上過ぎていた。看護婦の兄の無職(22)が妹に命じて誘拐させたものだが、金も手に入らず、「泣いて困るから赤ちゃんを引き取りに来て」と叔父に電話を掛け、急行した警察に兄妹ともすぐに逮捕された。
 両親が5年前に死んでからもう1人の兄に養われていたが、この兄が2月に病死してから無職男は浅草でホームレスとなり、米商にたびたび金の無心をしていた。妹は兄が真面目に働くように支援していた。


昭和10年(1935).6.19〔20歳(満18〜19歳)ニートが働けと言われて父親殺し〕
 岐阜県安八郡の農家で、次男(20)が父親(56)の頭をナタで殴って殺害、逃走したが翌日愛知県で逮捕された。働かずにぶらぶらしていたので、父親に厳しく叱られたため復讐したもの。父親はふしだらな男で同居している兄嫁に言い寄り、おかしな噂を立てられている兄嫁に同情しているうちに愛情を抱くようになり、仕事も手に着かなくなって、一家の犠牲となる覚悟で父親を殺したと自供。4月にも働けと叱られて父親を殴ってケガを負わせている。


昭和10年(1935).8.20〔18歳(満16〜17歳)ニートが女性3人と心中〕
 伊豆大島の三原山で、広島市の無職少年(18)ら男女4人が飛び込んで自殺した。裕福な貿易商の長男で私立簿記学校を中退、向かいの子供洋服店の長女(17)に恋したが相手にされず、この洋服店の後妻(32)が夫が冷たく先妻の子である長女への反発心もあって二女(6)を連れて心中することを決意、女店員(18)に告げると自分も一緒に死にたいと言ったので8.17に4人で家出したもの。後妻は去年にも店員と家出しており、少年への恋愛感情もあったらしい。


昭和10年(1935).10.15〔17歳(満15〜16歳)武器マニアが大量の銃窃盗〕
 東京市赤坂区青山北町の獣医学校1年生(17)が、大量の銃刀を盗んで捕まった。以前通っていた滝野川区の聖学院中等部と獣医学校に夜中に6回侵入、生徒教練の武器庫から三八式歩兵銃4丁、村田銃2丁、短剣3丁、指揮刀2振を盗み、学校には出席せず自室で1日中分解して楽しんでいた。父親は昨年死亡、母親に甘やかされ、武器研究に熱中して成績不振のため聖学院から転校していた。


昭和12年(1937).6.15〔16歳(満14〜15歳)が理由なく美貌の人妻を惨殺〕
 東京市中野区大和町の姉の家で、若妻(20)が殺害され、少年(16)が愛知県に差し掛かった東海道線の車内でその夜に捕まった。
 金沢市の裕福な袈裟衣商の長男で、昨年10月に眼瞼下垂症のため金沢第二中学を2年で中退してぶらぶらしていたが14日に家出して上京、叔父の家を訪ねたが叔父は仕事に出ていて叔母と近所に住むその妹の若妻がいた。書斎の本を読んでいるうちに所持していたナイフを抜いてちょっと刺してみたいような気がし、家の中をうろうろしていると若妻が四つん這いでお尻をこちらに突き出しながら新聞を読んでいるのが目に入った。衝動的にお尻を刺し、家中を逃げ回る若妻を追い掛けて58カ所めった切りにして殺害、35銭入りの財布を盗んで逃走したもの。叔母は30分ほど外出しており、幼い長男が犯行を目撃していた。
 被害者は海軍少将の令嬢で金沢第一高女時代にバレーボール選手として活躍し新聞にも写真が載った美貌の人妻。少年は内気で探偵小説マニア、おしろいや口紅をつける趣味があり、逮捕時に「婦人の美容」という本を持っていた。「カマボコかコンニャクのようにくにゃっとしたもののように見えたので刺した」と自供。少年の理由無き殺人事件として世間に大きな衝撃を与えた。


昭和12年(1937).7.27〔24歳(満22〜23歳)ニートが働けと云われて父親に傷害〕※参考
 東京市牛込区市ヶ谷の自宅で、無職の次男(24)が日雇い労働者の父親(60)の顔にドンブリ鉢を投げつけて10日間の傷害を負わせた。ぶらぶらしていることを叱られてカッとしたもの。


昭和12年(1937).9.12〔21歳(満19〜20歳)ニートが偽中尉になって警官殴る〕
 東京市蒲田区のアパート自室で、男(21)が巡査を軍刀で殴り、2週間の傷害を負わせたが格闘のすえ逮捕された。大連中学卒で士官学校入試に失敗したが周りの者には受かったと話し、航空中尉の制服を着て出歩いていたため官位詐称で取り調べを受けていたもの。


昭和12年(1937).10.2〔22歳(満20〜21歳)ニートが一家7人皆殺しして自殺〕※参考
 東京市下谷区の名簿製作商宅で朝5時、3男(22)が就寝中の父親(64)、兄弟、兄の長男(6)や同居している従兄弟の長女(2)など一家7人をめった切りにして殺害、逃走したが翌日に西武鉄道柳沢駅付近で電車に飛び込み自殺した。裕福な家庭で、家の金を盗んでは遊び回っているので父親が叱ると暴れ、警官に頼んで注意してもらったりしていた。しかし、9.30にも店の集金を遊女に使い果たして父親に激しく叱られていた。


昭和13年(1938).5.14〔17歳ニート(満15〜16歳)が継母刺殺〕
 兵庫県武庫郡の自宅で、無職の長男(17)が継母(43)の背中からナイフで17回めった刺して頸動脈を切って殺害、死体を床下に隠して道具や衣服を売り飛ばして現金にし、東京に逃走したが7.25に神田で家出人として保護され、7.29に身元が判明して逮捕された。高等小学校を卒業してから見習いコックとなったが、カフェーや遊廓などに入りびたって1か月前に辞めていた。父親が不在中に、映画の金をせびったがもらえなかったためカッとしたもの。



昭和13年(1938).5.31〔17歳ニートが働けと云われ父親殺人未遂〕
 埼玉県南埼玉郡粕壁町の自宅で、4男(満17歳)が父親(51)の胸をノミで刺し、倒れたところをさらに顔を何度も刺して重傷を負わせて逃走、すぐに逮捕された。小学校高等科1年で中退して父親の家具製造業の見習いとなったが、最近は仕事をせずに遊んでいるため「おまえのような親不孝者は死んだほうがよい。仕事をしない者は出て行け」と父と次兄(26)に叱られ2人の殺害を計画、妹(7)を負ぶって風呂から出てきたところを待ち伏せして襲い、次兄も殺そうと探したが見つからなかったもの。「殺し切れなかったのは残念です」と話す。無口でおとなしく、近所の評判はよかった。


昭和13年(1938).12.12〔20歳(満18〜19歳)ら2人が強盗殺人で死刑〕
 東京市小石川区の金物商宅で早朝、無職少年(20)と無職男(26)の2人組が押し入り、就寝中の店員(15)を刺殺、女主人(28)の夫(36)を刺殺、女主人に重傷を負わせて逃走、少年は12.13に、男は翌年9.1に逮捕された。更新会(左翼系の貧民支援団体と思われる)に泊まっていて知り合い、故郷の群馬県勢多郡と神奈川県に帰る汽車賃を更新会にもらいながら、少年がかつて働いていた金物商に強盗に入るよう誘い、その店で海軍ナイフを買って夜から庭先に潜んでいたもの。怨みのあった女主人の弟と間違えて夫をめった刺しにし、女主人も殺そうとしたが暗闇の中で同士討ちをしてケガを負ったため金も盗らずに逃げていた。主犯の少年は東京地裁で死刑判決。


昭和14年(1939).4.6〔20歳(満18〜19歳)ニートが母親ら4人刺殺〕
 岡山県岡山市の自宅で、長男(20)が突然母親(40)の喉をナイフで刺して殺害、遊郭に押し入り仲居(34)を刺殺、食堂でコック(33)と女給(33)を刺殺、駆けつけた巡査3人ら大勢を相手に暴れ回りコック2人も重傷としてから逮捕された。父親は工場事務員で、1年前に中学を卒業して高等商業学校の入試に落ちてから神経衰弱となっていた。


昭和14年(1939).4.24〔29歳(満27〜28歳)が母親殺人〕※参考
 東京市瀧野川区の自宅で、無職の長男(29)が母親(67)を包丁と自転車の空気入れで殴って殺害、頭と腹を刺して自殺を図り重体となった。4.10に精神病院を退院したばかり。


昭和16年(1941).10.26〔17歳(満15〜16歳)ニートが一家皆殺しを謀り幼い甥と姪殺人〕
 茨城県真壁郡の農家で深夜3時、4男(17)が就寝中の長兄夫婦(38,27)をナタで殴って重傷を負わせ、次兄(28)の長男(9)と長女(1)の2人を殺害、逃走したが周辺住民総出で警戒中の4時に戻ってまた長兄の頭をナタで殴って逃走、昼に逮捕された。
 小学校では級長も務めており、昨年に小学校高等科(現在の中学に相当)を優秀な成績で卒業したが農作業もせずにぶらぶらして、読書をしながら思索に耽り、創作に熱中、兄に叱られていた。同じ村の少女(17)に恋文を贈ったが相手にされず、10.25の夜に少女に逢おうとして家族に追い返され、深夜0時に友人宅で青年団服を借りてゲートルをつけ、少女と無理心中をするという遺書を書いてから、深夜2時に隣家で日本刀を借りようとして断られている。犯行後の朝6時に少女に逢おうとして家族に怒鳴りつけられナタを投げつけて逃げている。
 祖父から血族結婚が続いているため次兄の次男(3)だけを後継として残し一家断絶にするため、母親(58)、弟(14)を含めた一家皆殺しにして少女と無理心中をする計画で、「世間では自分を早熟だとか変態とかいうかも知れない、また悪鬼の仕業といわれることも覚悟している」と自供。当初は精神異常と考えられたが、検事は取り調べでまったくの正常と判断した。


昭和17年(1942).7.10〔16歳女子(満14〜15歳)ニートが幼女殺害〕
 東京市目黒区の路上で、無職女子(16)が近所の女の子(4)を絞殺、翌日死体が発見され、7.13に逮捕された。いっしょに買い物に行った帰りに女の子がぐずり出したので、泣きやまそうと首を絞めたが力が入りすぎて殺してしまい、草むらに放置したもの。高等小学校1年(現在の中1に相当)で中退し、大工の親の元でぶらぶらしていた。


昭和19年(1944).7.7〔29歳ニートが死刑になるため母親殺害〕※参考
 秋田県江刺郡の自宅で午前4時、4男(満29歳)が炊事中の母親(69)の頭をナタで数回殴り、倒れたのを見て立ち去ろうとしたが兄嫁が母親を連れて逃げようとしたのでさらに数回母親を殴って殺害、駐在所に自首した。
 高等小学校と農学校を卒業して小学校の代用教員を3年勤めていたが虚弱のため退職して昭和13年から部屋に閉じこもり、近所の者だけではなく家族とも接触を避け、自分の不健康は亡き父のためだと仏壇を壊し、母親に暴力を振るっていた。やがて厭世的となり、死ぬために母親を殺害して死刑になろうと計画したもの。中流の農家。弁護士は心神喪失を主張したが、盛岡地裁は心神耗弱のみ認めて懲役15年の判決を出した。





昭和21年(1946).7.9〔19歳ニートら2人組が山小屋で2人殺害で死刑〕
 長野県北安群北アルプス連峰烏帽子岳の山小屋で、神戸市の無職・斉藤和一(満19歳)と広島市の造船工・香川義春(満24歳)が、就寝中の慈恵医大生4人の頭を木の棒で殴って本科3年生(25)と予科3年生(22)を殺害、2人を3ヶ月と3週間の重傷とし、現金、カメラ、腕時計などを強奪して逃走したが、すぐに逮捕された。
 ぶらぶらと遊んで暮らしていたが、登山マニアの造船工が誘って装備も食料もなしに山に来て、大学生たちの豪華な食料を奪うために最初から皆殺しにするつもりで襲ったもの。昭和22年に最高裁で2人とも死刑確定。昭和23年7.13、死刑執行。


昭和21年(1946).9.16〔19歳ニートが母親と妹殺害して死刑〕
 広島県佐伯郡の自宅で、無職の邑神一行(満19歳)が母親(49)と妹(16)を殺害した。自動車会社の金を使い込んでクビとなって2月に実家に帰ったが、田舍の仕事を嫌って働かず、母と妹の内職でかろうじて食べていた家計を圧迫したため冷たくされ、妹に「仕事もせずに遊んでいる者は飯を食べなくてもよい」と云われたことから殺人を計画、深夜1時に就寝中の2人の顔をワラ打槌で殴って死体を井戸に捨てた。翌年1.17、2人が行方不明になったことを不審に思った友人に死体を発見されて逮捕。父親は小4のときに死んでおり、貧しい家庭だった。
 1審無期だったが、2審で死刑判決が出て、死刑は残虐で憲法違反と上訴。最高裁は「一人の生命は、全地球よりも重い」としながらも、死刑は必ずしも残虐とは云えないと上告棄却して死刑が確定した。


昭和21年(1946).12.21〔18歳(満16〜17歳)ニートが兄に嫉妬して祖母殺害〕
 神奈川県川崎市の自宅で、次男(18)が祖母(72)の頭を鈍器で殴ってから絞殺、死体を床下に隠して、長男(22)に祖母は田舍に行ったと騙し、翌朝4時に就寝中の長男を殺そうとバットで殴って重傷を負わせて「おばあさんはこの下にいます」という遺書を残して逃走した。持ち出した母親の服を闇市で1600円で売り、和洋女子専門学校女生徒(16)と逢ったのちに女性(23)をナンパして旅館に泊まり、2人で信州の温泉に逃亡しようとしていたところを12.25に上野松坂屋前で逮捕された。祖母が長男ばかりを可愛がることに嫉妬したもの。
 父親は会社員で、中学を卒業したが成績が悪く進学できずにぶらぶらしていた。警察の留置所では毛布をくれないとハンストすると要求している。


昭和22年(1947).9.9〔21歳(満19〜20歳)ニートが祖母を強盗殺人〕
 兵庫県芦屋市の自宅で、祖母(62)が絞殺され服などを強奪され、25日に孫(21)が逮捕された。犯行の日に知り合った共犯者と2人で盗みに入ったが見つかったため殺害したもの。私立中学を中退して工場に勤めたがすぐに辞めて、銀行員の父親の同僚宅などに盗みに入っていた。


昭和22年(1947).12.18〔17歳ニートが働くのが嫌で強盗殺人して死刑判決〕
 鹿児島県鹿児島市の雑貨商宅で、無職(満17歳)が押し入り、主人(41)、長女(5)の頭を斧でめった打ちにして殺害、妻(31)に瀕死の重傷を負わせ、3千4百円と衣類などを強奪、証拠隠滅のため放火して屋久島に逃走したが逮捕された。
 横浜市の関東学院中等部2年生のときに窃盗で中退、軍属となったが1ヶ月で逃走して窃盗や強盗で満15歳の時の昭和20年7.17に軍法会議にかけられ昭和22年11.23に刑務所を仮出所、見習い工になったが働くのが嫌いで退職し、暖かいだろうという理由で鹿児島に来たがおもしろくないので帰る金を盗ろうとしたもの。裁判長に「働いて旅費を稼ごうとは考えなかったのか」と問われて「働くのは嫌だ」「殺しても悪いと思わぬ」と答える。昭和23年11.29に福岡高裁は死刑判決を出しが、少年法改正に伴い昭和24年4.6に恩赦で無期に減刑された。


昭和23年(1948).2.5〔18歳ニートが告げ口恨んで母子殺害して死刑〕
 和歌山県日高郡の民家で、無職(満18歳)が押し入り主婦(41)を出刃包丁で刺殺、長男(12)をタオルで絞殺、服などを強奪した。元少年航空兵で、終戦後は大工見習い学校に学んだが卒業後も働かずに街で遊び歩いていた。そのことを主婦が両親に告げて叱られたため怨みに思い、金もないので殺害して強奪することを計画、2人暮らしの息子を残しては仇となるので併せて殺害を決意して就寝中に襲ったもの。昭和24年2.15に最高裁で死刑確定。


昭和23年(1948).3.20〔14歳ニートが完全犯罪の実験のため幼女殺害して死体に文字を刻む〕
 神奈川県鎌倉市の自宅で、無職少年(満14歳)が隣家の二女(3)を紐で絞殺、物置に運んで頸動脈を断ち切って家に戻ったが、大人の犯行に見せかけようと裸にして出刃包丁で全身40数ヶ所を切って肋骨が見えている状態にして、お尻から背中にかけて「マタコロスナマイケナ女メ」という文字を刻み付けた。東京に逃走しようとして駅で逮捕。
 中学を2年で中退したばかりで、父親に何度も叱られても聞かずに犯罪雑誌を熱心に読んでおり、2週間前から猫を殺して腹を割いたり自分の太ももを切って研究し、殺人をしても判らない方法を実験しようと考えていたところに女の子が遊びに来たので実行したもの。日頃、この女の子を可愛がっており、「何故あんなことをしたかわからない」とも話す。知能は高いが怒ると見境がなくなるキレやすい性格だった。


昭和23年(1948).11.22〔16歳(満14〜15歳)が隣人を毒殺〕
 東京都文京区の16歳が中退したばかりの中学校の標本室に忍び込み青酸カリを盗んだ。誰でもいいから酔っ払いに飲ませて金を奪おうと池袋で試そうとしたがうまくいかず、隣家の下駄商の隙を見て酒に入れて毒殺した。服を買う金欲しさの犯行。
 被害者は教師をしていたが元少尉のため追放となった人で、犯人の少年をとくに気に掛け善導に努めていた。


昭和24年(1949).9.14〔19歳(満17〜18歳)が覗きで隣りの銭湯一家5人殺害〕
 神奈川県小田原市の銭湯に深夜1時過ぎ、隣家の無職(19)が押し入り、主人(48)、妻(43)、母親(81)、長女(19)をナタでめった打ちにして、次女(7)、長男(4)の首を肉切り包丁で切り、長女を除く5人を即死させた。長女は病院で危篤状態。2月に会社を辞めてからぶらぶらしており、日頃からトラブルが絶えず、3ヶ月前に2階から浴場を覗くので窓をふさいだことに激怒、1ヶ月前から包丁を買って研いでいた。自宅から猟奇小説雑誌が大量に発見された。
 昭和27年に最高裁で死刑が確定したが、その年のサンフランシスコ講和条約恩赦で無期に減刑、昭和45年に仮釈放された。
 昭和59年7.8、53歳になった男は東京都杉並区の路上で、中学3年生(14)と2年生(13)の女子2人を登山ナイフでめった刺しにして逮捕された。小学生の時から2人と交際し、家出中の2年生と横浜市のアパートで同棲していたが別れ話をされて、3年生のせいだと疑って3年生の自宅に押し掛けた。そこにいた友人7人に「歳が違い過ぎる」「おじさん帰れよ」などと言われてケンカして家を出て、激怒して2人とも殺そうと呼び出し首や顔などを刺して2ヶ月と3週間の重傷を負わせたもの。殺人未遂で東京地裁は懲役8年の判決を出した。3年生はシンナー遊びで2回の補導歴がある。


昭和24年(1949).12.6〔20歳(満18〜19歳)ニートが同性愛の愛人を毒殺強盗〕
 東京都中央区銀座のビヤホールで、無職(20)が店員(38)を殺害、ラジオ、オーバーを奪って逃走したが、古物商に売ったため足がつき12.9に逮捕された。10月に日比谷公園で知り合ってごちそうになったり泊まったりしていたが、金目当てに青酸カリ入りの茶を飲ませたもの。山口県阿武郡出身で、去年東京の大学専門部に入学したが今年の4月に中退、その後も郵便局員の母親の仕送りをもらってぶらぶらしていた。母ひとり子ひとりで息子には期待を掛け、「きょうはあなたの誕生日で赤飯をたき、あなたの写真の前へ供えたが食べてくれないのでさびしかった。どうか一生懸命に勉強して下さい」という手紙を一ヶ月前に受け取っていた。東京地裁で無期懲役判決。


昭和25年(1950).3.20〔17歳ニートが弟を毒殺して自殺〕
 静岡県田方郡の自宅で、無職の長男(17)が、母親(47)、祖父(79)、次男(10)の3人に別々に青酸カリ入りのお茶を飲ませて弟を殺害、母親と祖父は異味のため吐き出して重傷となったが命は取り留めた。母親が苦しむのを見てから自分も青酸カリを飲んで自殺。去年、神経衰弱のため県立韮山高校を1年で中退、働かずにぶらぶらしていて冷たくされ、母親と祖父が弟ばかりを可愛がることに怨んだもの。父親と祖母は自分を大切にしてくれたので殺さなかった。


昭和25年(1950).9.23〔19歳が母親殺害〕
 静岡県浜名郡の漁師宅で朝5時、長男(19)が母親(45)に小遣いをねだって断られたため刺身庖丁で胸を刺して殺害した。漁師の仕事はあまりしていなかったため金に困り、これまでもたびたび包丁で家族を脅し、「母親を殺す」と公言していた。


昭和26年(1951).4.2〔30歳ニートが母親殺害し裸で引きずる〕※参考
 京都府京都市の京都大学で、無職(30)が母親(55)の頭部を仏像で殴って殺害、竹棒5本で脳をえぐり出し、全裸にして縄で縛って引きずっているところを逮捕された。1年前に母子で江戸川乱歩邸を訪ねて探偵小説の原稿を見せており、乱歩の推薦で探偵作家クラブに入っていた。京大心理学科卒業。「就職先ができたと偽って連れてきて安楽死させた。一切の秘密は母の肉体に秘められている。母は若返り法を実行していた。凶行場所は高度の医学的集団の連中も手を出せない場所だから選んだ。脳は彼らで作れないから取り出す必要を感じた」などと自供。


昭和26年(1951).4.15〔19歳ニートが父親殺害〕
 埼玉県北足立郡の自宅で、無職(19)が就寝中の父親(54)の顔を薪割りで10回以上めった打ちにして殺害、すぐに自首した。中2で中退してからぶらぶらしており、日頃から仲が悪く、何度も家出していた。会社社長の父親は酔って母親に乱暴することが多く、同情したもの。


昭和26年(1951).6.24〔16歳ニートがカッとして兄をめった刺し〕
 兵庫県神戸市の自宅で、私立高校2年生(16)が兄(22)を追いかけ回してジャックナイフで胸など10数カ所を刺して1ヶ月の重傷を負わせて逮捕された。横になったまま「煙草を取ってくれ」と頼んだが、兄が「自分で取れ」と応えたのでカッとしたもの。学校は半年以上行っておらず、ヒロポン中毒だった。カフェー経営者の次男。


昭和26年(1951).11.4〔22歳ニートがパチンコに入れ上げ父親を火箸で滅多打ち〕※参考
 茨城県猿島郡の自宅で、無職(22)が父親(51)の顔を火箸で滅多打ちにして母親に投げつけて逃走したが、すぐに逮捕された。働かずに家の道具を次々持ち出してパチンコに注ぎ込んでいたが、この日も配給米を売ってパチンコをしたので父親に叱られてカッとしたもの。


昭和26年(1951).11.13〔20歳ニートが死刑囚になりたくて強盗殺人〕※参考
 大阪府守口市で朝4時半、無職(20)がクリーニング店に押し入り、主人(27)をナイフで刺殺、妻(24)に3週間の傷害を負わせて時計を強奪した。ビクトル・ユーゴーの『死刑囚最後の日』を読んで死刑囚にあこがれたもの。死刑が求刑されたが、大阪地裁は無期懲役判決。


昭和27年(1952).5.7〔過大な夢や我がまま 宮職安調査 完全就職を妨ぐ 当世新卒者の気質 毎日新聞栃木版引用〕※参考
宇都宮職安管下中学校三十二校の新卒者の就職状態は男子の求職間口が大きく広がったため平均率は昨年並に八〇パーセントの好調を保っているが、あと未就職者二〇パーセント約六百人のあっせんは求人数が求職者数を上回っているに拘らず難航し、係員の頭を悩ましている。
その原因を各係員にきくと、新卒者側の過大な夢やわがままが原因して適当な就職口も失ってしまい、いたずらにブラブラしている始末で、その他、社会人になる上での心構え、求人者に対する態度など学校当局の教育方針にさえ疑いが持たれるほどひどいのがあるという。
◇実例その一 河内郡藤井村村立中学校出身のA子(一五)は同職安のあっせんで家事見習いを志望して某家へ行ったが、雇主が不審を抱いたほどこれといった理由もないのに働くのがいやになり、ロクな仕事一つせずに七日目で同家を飛び出して行った。同女は同校教頭が太鼓判をおした卒業生だが、わずか十五歳位で雇主のやさしい言葉にも反抗的態度でフテ腐れ戦術を続けた挙句、飛び出してしまったもの。
◇その二 宇都宮市内某校出身のB少年(一五)は市内商店の店員となるべく店主を訪問、雇用を承諾しておきながら、それっきり寄りつかぬ。同人は能力が低いに拘らず大会社就職の夢を捨て切れず、係員のあっせんを素直に受け入れぬ。
◇その三 学校がいかに自校の就職統計数の上昇だけにあくせくして、新卒者の就職あっせんに無責任な扱い方をしていたかの実例が宇都宮市内某中学校にあった。就職あっせんを担当した同校の教官は某少女を頭ごなしに納得させた上、二回にわたる両親の反対意見を無視して個人医院に看護婦見習にあっせんした。ところが赴任のドタン場になって母親が雇主にいきさつを物語って契約を取り消したが、これは校長の指導責任でもあると関係方面から批判されている。また近ごろの新卒者中には勤労意欲が全く欠け、就職を遊び半分に考えている者が多くなったと学校当局へ警告が発せられている。
(毎日新聞栃木版1952.5.7引用)


昭和27年(1952).5.21〔24歳ニートが父親に殺される〕※参考
 埼玉県大里郡の農家で深夜0時前、父親(53)が2男(24)の頭をクワで殴って殺害、すぐに自首した。2男は働かずに昼間は寝て夜は遊び歩き、ヒロポン中毒で暴れ、この日も暴れて父親を殴ったためカッとしたもの。


昭和27年(1952).10.23〔18歳ニートが働けと云われて母子殺害〕
 兵庫県神戸市の毛糸商宅で、主人の従兄弟の無職(18)が毛糸商の妻(21)に女を買うための金を6千円借してほしいと頼んだが「金が欲しかったら自分で働きなさい」と断られ、さらに関係を迫ると罵倒されたため用意していた紐で絞殺、そばで泣く長女(1)も顔を知られているため絞殺して、いったん逃走したが戻って生き返らないように2人の首を包丁で切り、妻の首に包丁を刺したまま強盗の仕業に見せかけるため時計、カメラ、2千円を強奪して妻の下半身をハダカにして多可郡の自宅に逃走、10.25に逮捕された。
 古物商の三男で、高校を1年で中退し、毛糸商の兄の雑貨屋で店員見習いとなったがすぐに辞めてぶらぶらしていた。事件後は背広と靴を新調し、それまでどおりに平然と明石市の自動車学校に通っていた。留置所では「お母ちゃんに逢わせてくれ」「死刑になるでしょうか」と怯えて泣き続けた。毛糸商(28)は年商1千万円と裕福で、妻は妊娠9ヶ月だった。この年の大卒銀行員初任給5,600円。
 強盗殺人で死刑が求刑されたが、神戸地裁は金を盗ったのは強盗に見せかけるためだったとして殺人と窃盗で無期懲役判決を出した。


昭和27年(1952).11.29〔20歳ニートが母親殺害〕※参考
 京都府京都市で、無職の次男(20)が母親(57)をタオルで絞殺してからコンクリートの塊で頭をつぶして千五百円を強奪して逃走、翌日に遊郭で逮捕された。父親の死後に不良化して働かず、恋人と遊ぶ金をねだって叱られカッとしたもの。尊属殺人で死刑が求刑されたが、亡き母も子どもが死刑になることは望まぬだろうし、年少者で思慮がなかった点も理由として、昭和28年6.4に京都地裁は無期懲役判決。


昭和27年(1952).12.10〔16歳の挫折した秀才が罪をかぶせるため友人殺害〕
 福井県敦賀郡の高校1年生(16)が行方不明となり、次の日「自分の罪を他人にかぶせたくない。友人のA君には迷惑かけてすまなかった。自分は死ぬのが一番幸福と思う」という父親宛の遺書が届いた。
 A(16)はエリートコースを進む野望があったが、家庭の事情で9月に高1で中退して土木出張所の臨時雇いとなって理想が崩れ、時計と現金950円の窃盗で11.29に逮捕され保護者に身柄を預けられているところだった。前科があっては将来にさしつかえると考え、気の弱い友人の高1生を待ち伏せして山奧に連れ出し「あの窃盗をやったのはお前だ。俺は試験に受かって警官になることが決まっているのでお前を逮捕する。身体の弱いお前はいつ死ぬかわからないから遺書を書け」と脅し、罪をかぶる手紙を書かせてから腕時計と500円を奪い、両手で絞殺し谷川に突き落としていたことを自供した。
 行方不明の息子を探す被害者の父親を呼び出し、自分の父親と2人の前で「盗みをやったのは彼で自分は罪を被っただけですから自首させてください。放っておくと自殺するかもしれません」などと言っていた。
 貧しい農家の長男で明朗快活、中学では成績優秀で知事賞を受け、生徒会長も勤めて周りから信頼されていた。高1で高3の資格検定に合格するほどで、「俺のような秀才が学校に行けない世の中なんて」と世を嘲笑していた。


昭和27年(1952).12.27〔15歳ニートが叔父を斧で殺人未遂〕
 大阪府守口市で、中学3年生(15)が叔父(56)の頭を斧で殴って重態とし、叔母(52)の頭も殴って10日間の傷害を負わせて、すぐに逮捕された。質店経営の叔父に映画代百円をねだったが断られたので、殺して金を盗る決意をして近所の自宅に帰って斧を持ち出してまたやって来たもの。母親は死んで、父親は米ドル偽造で刑務所に入っており、祖母と兄弟4人で生活保護で暮らし、叔父からも援助してもらっていた。学校はまったく行っておらず、切れやすい性格だった。


昭和28年(1953).4.11〔23歳ニートを父親が殺害〕※参考
 東京都太田区の自宅で、父親(49)が長男(23)を殺害した。長男は働かずぶらぶらしており、ヒロポン中毒者で去年に強盗予備で捕まった不良。昼間ずっと寝ていて、夜中に母親(40)に買い物に行くようにわめき、代わりに行こうとした父親に「早くしろ」と物を投げたため、金づちでめった打ちにしたもの。


昭和28年(1953).5.27〔18歳が不良の兄殺害〕
 東京都新宿区の自宅で朝7時、三男の夜間高校生(18)が会社員の長男(26)を殺害して自首した。兄は働かずに貧しい家の金を持ち出しては遊び回り、母親(46)に乱暴しており、ようやく一ヶ月前に就職したが家に金は入れず、正義感が強い三男が就寝中にカナヅチで20回以上めった打ちにしたもの。昼間は事務員として働いていた。父親(51)は薪炭業で戦時中は憲兵中佐。事情を考慮して、家庭裁判所は殺人犯には異例の不処分とした。


昭和28年(1953).7.5〔18歳ニートが幼女をレイプ殺人して死体を切り裂く〕
 新潟県南魚沼郡で、無職(18)が女の子(5)を山中に連れ出してレイプ、「家の人に云ってやる」と云ったので右手で絞殺、好奇心から子宮を見たいと思い、所持していた羅紗切り用の小刀で腹を割いて内臓をつかみ出し、鼻を切り取り、死体を川に放り込んで逃走、警察隊の山狩りで逮捕された。中流農家の長男で、知能が低く、小学校卒業後はぶらぶらしていた。小学生の時から女性に抱きつくなどしており、6月には群馬県で強姦致傷事件を起して逮捕されていた。


昭和28年(1953).7.11〔20歳ニートが小説執筆のため少女殺害〕※参考
 愛知県名古屋市の田んぼで、夜間高校4年生(20)が中学3年生女子(14)を絞殺。自転車の荷台に乗せて自宅の自分の部屋に運んで床下に隠して家出した。13日に下半身ハダカの死体が発見され、15日に逮捕。
 高校にはほとんど登校せずぶらぶらしており、両親とも口を利かず、自室に閉じこもり、文学に熱中していた。「小説のために殺した。殺さないとどう書いてよいか判らないからだ」と自供。17歳の時に文芸部の同人誌に愛する女を殴る「マゾヒズム」という小説を掲載していた。「人を殺したことが何故悪い。殺してもよい場合がある」「ドフトエフスキーの罪と罰については批判は差し控えるが作者は尊敬する」などとも話す。


昭和28年(1953).7.17〔17歳ニートが祖母殺害〕
 滋賀県甲賀郡で朝6時、長男の無職(17)が祖母(89)を堤防に連れ出して川に突き落として溺死させ、7.22に逮捕された。ささいなことでケンカしたもの。祖母は体が不自由で邪魔者あつかいされて物置で寝かされていたため、母親(56)も監禁の疑いで取り調べ。父親(63)は日雇いと下駄の歯入れで生計を立てている。


昭和28年(1953).7.17〔17歳ニートが爆弾を投げ込む〕
 東京都西多摩郡福生町で、無職(17)が洋裁店の庭に爆弾を投げ込んで、女の子たちが驚いてる様子をニヤニヤ笑って眺めているところを逮捕された。花火50個の火薬を仁丹ビンに詰めたもので15メートル四方にガラス片が飛散したがケガ人はいなかった。軽犯罪法で送検。


昭和28年(1953).7.19〔19歳ニートが養母を射殺〕
 滋賀県野洲郡の農家で夜9時、長男(19)が養母(57)を猟銃で射殺して、自分の腹を撃って自殺した。養母の兄の子で、小学3年生の時にこの家の養子になったが、畑仕事が嫌いで働かず、この日も一日中寝ていた。養父(54)の留守中に、働かないことを養母に叱られてカッとして猟銃を持ち出してきたので、手伝いに来ていた従姉妹(21)が親戚宅へ助けを求めに行ったあとの犯行。


昭和28年(1953).7.23〔高3ニートが警官刺す〕
 長野県東筑摩郡の農協で深夜2時、定時制高校3年生(18)が窃盗のため侵入し、防犯ベルで駆け付けた警官の胸を包丁で刺したが取り押さえられた。学校に行かず遊び歩いており、映画やパチンコのための金が欲しかったもの。


昭和28年(1953).8.3〔17歳ニートがピストル奪うため警官襲撃〕
 東京都新宿区の派出所で深夜2時、無職(17)が休憩室に窓から侵入、寝ていた巡査(21)の頭をバットで殴りつけ出刃包丁で刺してピストルを奪おうとしたが、血だらけの巡査に取り押さえられた。
 探偵小説マニアで「影なき犯罪」をやってみたいと考え、そのためにまずピストルを手に入れようと目つぶしをつかって巡回中の警官をねらったがうまくいかず、今回の襲撃を実行した。


昭和28年(1953).8.7〔17歳ニートがケンカで刺殺〕
 茨城県真壁郡の路上で夜11時、無職(17)が農業男性(23)を刺殺。男(22)、少年(17)ら仲間3人で「粋なかっこうだな」と絡んで口論となり匕首で2回刺したもの。「殺すつもりはなかった。ついカッとして」と自供。中卒後に東京の呉服屋店員となったがすぐに辞めて実家でぶらぶらしており、経済的には恵まれていた。


昭和28年(1953).10.1〔15歳が心中しようと恋人射殺〕
 福岡県柏屋郡の山中で、映画館の次男(15)が女中(16)を射殺した。1年前から自宅に住み込んでいる少女と中3の少年は恋仲となった。中卒後は勉強が嫌で父親の映画館を手伝っていたが、少女が妊娠3ヶ月となって処置に困り、心中するため朝4時に父親の猟銃で2発撃ってから首を絞めて殺害、自分も死のうとしたが薬莢を抜くのに手間取っているうちに夜が明けて少女の死顔を見て怖くなって交番に自首したもの。冷静に自供して留置場でもその日からよく寝ているので警察も驚く。両親はふたりの関係にまったく気付いていなかった。映画マニア。


昭和28年(1953).10.1〔21歳ニートが父親に殺される〕※参考
 岐阜県土岐郡の自宅で、左官の父親(64)が無職の4男(21)の頭を左官のコテで殴って殺害、自首した。5千円を貸してくれと無心して、断ると暴れて殺してやると云ったため。


昭和28年(1953).11.20〔16歳がピストルでタクシー運転手射殺〕
 大阪府大阪市の路上で夜10時、無職(16)がタクシー運転手(43)をピストルで3発撃って殺害、750円を強奪して逃走したが、12.27に高知市で窃盗で逮捕されて自供した。高知市生まれで中卒後に大阪で店員となったが窃盗でクビとなり、高知でぶらぶらしていたが10.23に派出所で拳銃を盗み、11.18に大阪に来て遊んでいたが金が無くなり強盗を思いついたもの。推理小説と西部劇映画のファンで拳銃にあこがれを持っていた。大阪地裁で懲役15年の判決。


昭和29年(1954).2.8〔18歳ニートが両親を窮地に落とし入れるために無差別殺人〕
 静岡県磐田郡の山林で、無職(18)が薪拾いに来た女性(20)の頭や顔をナタで10回以上滅多打ちにして殺害、崖から転落死したと診断され一度は埋葬されたが、死因に不審を抱いた母親が掘り出し鑑定して殺人と判明、2.16に逮捕された。
 小学生の時は不登校で父親が毎日付き添って登校していたが、学校を抜け出し山で弁当を食べ、小卒後は働かずにぶらぶらしていた。14歳だった昭和25年8月に母親に馬乗りとなって殴り骨折で一ヶ月の重傷を負わせ、父親に石を投げて10日間の傷害を負わせて、初等少年院送致。昭和26年10月に退院して保護観察中だった。両親を窮地に落とし入れるには殺人を犯すしかないと計画したもの。


昭和29年(1954).3.2〔24歳ニートが父と兄を刺殺〕※参考
 千葉県因幡郡の自宅で、中央大学法学部2年生(24)が日本刀で父親(72)の首を切り落とし、とめようとした兄(29)の胸を刺して殺害した。神経衰弱のため休学中で、元陸軍少将で厳しい父親に叱責されてカッとしたもの。


昭和29年(1954).5.17〔18歳ニートが半身不随の母親を殺害〕
 東京都江東区の自宅で母親(50)が殺害され、三男(18)が逮捕された。父親が同僚から預かっていた5万円を盗もうとして病気で半身不随の母親に見られた。三男は母親に馬乗りとなって片手で首を絞めて殺した。以前にトイレで母親が倒れたことがあるのを思い出して運んで病死を装い、服を盗んで質入れしていた。少年院を何度も脱走したことのある不良で、働かずぶらぶらしていた。


昭和29年(1954).6.1〔16歳ら3人組自動車強盗殺人〕
 神奈川県川崎市の特殊飲食街で血まみれのタクシーが発見され、6.4に横浜市の川に運転手(32)の死体が浮かんだ。6.16に無職(18,16,16)3人が逮捕。3人とも中流家庭だが、麻雀や女遊びにふけって高校を中退、確実にてっとりばやく遊興費を稼ぐのには自動車強盗と、ナイフで6カ所を刺したうえに脈拍を見て留めを刺し、死体を川に捨て、4100円を奪い、指紋は拭いていた。



昭和29年(1954).6.1〔22歳ニートが通り魔殺人〕※参考
 神奈川県相模原町の路上で夜8時前、無職(22)が帰宅中の女性事務員(20)の胸をいきなりナイフで刺して殺害、すぐに自首した。一面識もなく無意識に刺したと自供。共産党の山村工作隊の一員だったがスパイ容疑で仲間にリンチに遭って脱走、被害妄想となっており、女性が自分に危害を加えると思い込んで殺そうとしたもの。東京地裁は心神耗弱と認め懲役7年の判決。


昭和29年(1954).6.3〔19歳ニートが野球見物のため母親殺害〕
 京都府京都市で、次男(19)が昼寝中の母親(48)の頭をカナヅチで滅多打ちにしてベルトで首を絞めて殺害、死体の懐から千百円入りのサイフを強奪して逃走、逮捕された。大工である父親の元で見習いをしていたが、一ヶ月前から仕事をせずに遊び歩くようになり、母親から働くように厳しく叱られて、またプロ野球観戦の金が欲しかったために就職が決まったと騙して定期券代をもらおうとしたが、嘘を見破られて罵られた。父親に知られると叱られるので殺し、刑務所に行く前にナイターを見物しようと計画したもの。内気で無口な性格だった。


昭和29年(1954).6.19〔32歳ニートがストーカー殺人〕※参考
 東京都墨田区のガラス工場で、経営者の長男(32)が女工(18)を刺殺した。働かずにぶらぶらしており、4月に就職した女工に結婚を迫ったが何度も拒絶されて、出刃包丁で殺して青酸カリで自殺するつもりが怖くなって自首したもの。


昭和29年(1954).6.26〔17歳ら34人の犯罪グループUKクラブ〕
 東京都文京区の後楽園スケート場で知り合った高校生ら少年30人(17〜19)と無職4人(20〜28)4人の不良グループ「UKクラブ」(女子1人)が逮捕された。初めは海の家をクラブで経営して高校生150人を会員にするアルバイトクラブだったが会費を使い込んだり会員をカツアゲをしたので不良だけが残り、バッジを付けて脅迫、傷害、レイプなどを働いていた。会社社長など裕福な家の子弟ばかりで、成績も優秀だった。


昭和29年(1954).7.4〔東大生ニートがタクシー強盗〕※参考
 東京都市ヶ谷駅付近を走行中のタクシーで、東大理2(当時は医学部)2年生(21)が運転手(45)の首を絞めてナイフを突きつけたが、抵抗されたので逃走、すぐに捕まった。長崎県島原市の裕福な市議会議長の3男、県一番の秀才だったが、東京で自信を失って学校には行かなくなり下宿でごろごろして暮らし、金に困ったもの。


昭和29年(1954).8.3〔18歳親孝行の弟がニートの兄を殺害〕
 東京都台東区の自宅で、3男の工員(18)が長男の無職(30)を殺害した。仕事もせずに一日中寝て、貧しい両親から金をせびっている不良の兄が母親をどなりつけているのを見て、匕首で3カ所刺して殺したもの。弟は給料全額を家庭に入れる孝行息子だった。


昭和29年(1954).9.12〔19歳ニートが改造ピストルで自殺〕
 東京都渋谷区の自宅で、無職(19)が自殺。子供の頃、母親(39)がフロに入れた時に水が入って耳が不自由になって恨んでおり、母親とケンカが絶えず、「今までよく生きた。恨みに思う」という遺書を書いて、おもちゃのピストルを改造してかんしゃく玉で釘を発射し、こめかみを撃ち抜いたもの。


昭和29年(1954).10.22〔21歳ニートがレイプ殺人〕※参考
 神奈川県横須賀市の山道で、無職(21)が中学1年生女子(13)をレイプして殺害した。


昭和29年(1954).11.29〔18歳ニートが働けと云われて母親殺人〕
 愛知県知多郡の自宅で、三男(18)が母親(54)を腰紐で絞殺、逃走したが逮捕された。中卒後は工員となったが、先月からパチンコに耽って出勤せずに家の金を持ち出して遊び歩いているので、母親が「会社に行かんような者は家には置いてやらぬ」と叱り、カッとなったもの。父親は古物商。無期懲役確定。


昭和29年(1954).12.16〔19歳が恩人に強盗〕
 長野県小諸市で深夜1時、無職(19)が就寝中の福祉事務所指導係(20)の頭をナタで殴って20日間の傷害を負わせて格闘のすえに逃走、すぐに自首した。11.7に北海道空知郡から家出して小諸市の旅館で自殺未遂、この指導係の世話で立ち直って帰宅したが、12.11に小諸市で写真業をやりたいと指導係を頼ってまたやって来て自宅で居候となり世話を受けていた。「ナタを見たら急に金が欲しくなってやった」と自供。


昭和29年(1954).12.26〔18歳ニートが養父殺人未遂〕
 静岡県磐田郡の自宅で、無職(18)が養父(59)の頭を斧で殴って重態として逃走したがすぐに逮捕された。朝10時過ぎになっても起きないので、養父が「お前のようなやつは死んでしまえ」と云ったことや、小遣いを無心して叱られたことでカッとしたもの。職を転々として5日前に百貨店をクビになっていた。





昭和30年(1955).1.29〔26歳が働けと云われて父親蹴り殺す〕※参考
 栃木県小山市の自宅で、ブリキ職人(26)が父親(72)を投げ飛ばしてから胸を蹴って肋骨6本を折り、2.5に死亡させ、その日に傷害致死で逮捕された。酒を飲んで帰宅すると、家で酒を飲んでいた父親が、「商売もせず遊んでばかりいるから寒空に着物も買えないのだ」と叱ったためカッとしたもの。


昭和30年(1955).1.31〔19歳ニートが自宅放火〕
 宮城県栗原郡の農家で、長男の無職(19)が放火して4棟全焼させ逮捕された。働かずにぶらぶらしていることを父親に叱られており、この日は映画を観て夜中帰宅し家族が寝て戸が閉まっていたためカッとしたもの。


昭和30年(1955).2.9〔27歳ニートが父親に瀕死の重傷を負わされる〕※参考
 福島県大沼郡の農家で、父親(72)が四男(27)の頭をナタで殴って重態として殺人未遂で逮捕された。四男はなまけもので働かず、この日も朝寝をしていたので叱ると「寝ているのは俺の勝手だ」と答えたのでカッとしたもの。去年の3.5にも3ヶ月の重傷を負わせていた。7人家族の中流以上の農家だった。


昭和30年(1955).2.10〔25歳ニートが両親を強盗殺人〕※参考
 東京都足立区の実家で、無職の次男(25)が父親(63)の両手足を紐で縛ってから電気コードで絞殺、母親(55)に気付かれたので翌日同じ方法で殺害、死体を押し入れに隠して3万1千円の預金通帳を強奪した。両親と同居している兄には親戚宅に行ったと嘘をついて温泉で豪遊、2.28に死体が発見されて発覚、警察が自宅に来たため逃走、近くの旅館で睡眠薬自殺した。妻と娘(3)がいるが働かず、日頃から家の物を持ち出して父親とケンカしており、ヒロポン中毒だった。


昭和30年(1955).2.14〔19歳ニートが強盗傷害〕
 栃木県宇都宮市で、無職(19)が質屋に押し入り主人の叔母(57)の頭をナタで滅多打ちにして一ヶ月半の重傷を負わせ、自分が質入れしていたズボンと靴を履いて逃走、翌日自首した。怠け者のため定時制高校を中退、洋服店に勤めたが辞め、1.4に兄の元から家出してダンスや桃色遊技に耽って遊興費欲しさに強盗に入ったもの。両親は小六のときに亡くなっている。


昭和30年(1955).2.21〔中2ニートが心中〕
 青森県三戸郡のリンゴ小屋で、中学2年生(14)が酸素液を飲んで自殺、友人(15)は命を取り留めた。継母を嫌って家出して盗みなどを繰り返しており、落第して学校にはほとんど行っていなかった。友人は去年中学を卒業したが病弱で気弱で、中2生の云うままに遺書を書いて心中の道連れにされようとしたもの。
担任と校長談「親切にめんどうをみてやろうとすればするほど逃げ回るような子供でした。最近は学業がきらいだといって登校しないので親類の家で農作業を手伝わせ勤労を通じて更生の道を開かせようと考えていました」(談話は読売新聞青森版引用)


昭和30年(1955).2.24〔25歳ニートが父親殺害〕※参考
 秋田県雄勝郡の自宅で、無職の長男(25)が父親の首を絞めて殺害、2.26に自首した。両親は5年前に離婚して5人の子供は母親と福島市に住んでいたが、長男は「冷たい父親の性格をなおしてやる」と去年から父親と同居するようになった。結核のため働いておらず、佃煮の行商から帰宅した父親が「遊んでいるなら福島に帰れ」と云ったことからケンカになったもの。


昭和30年(1955).3.4〔15歳が腹いせに放火窃盗〕
 東京都目黒区の八百屋に中学を卒業したばかりの少年(15)が突然上がり込み、部屋に火を付けその隙に現金7百円入りの金庫を盗んだ。少年は継母に冷たくされ弟にも馬鹿にされた腹いせに数十回の空き巣を働いていた。


昭和30年(1955).3.10〔16歳ニートが老人を切り魔銃撃〕
 石川県輪島市の山中で、無職(16)が男性(76)をいきなり猟銃で撃って2ヶ月の重傷を負わせ、翌日逮捕された。聾唖者で、聾学校を窃盗で中退し、父親に叱られたのでムシャクシャしてたまたま通り合わせた老人を撃って腹に散弾30発も命中させ、老人が苦痛にのたうち回って崖から落ちるのを見てから逃走したもの。「倒れたのを見たとき胸がスッとした」と通訳を通じて自供。


昭和30年(1955).3.18〔21歳ニートら2人が麻雀のため強盗〕※参考
 東京都大田区の中大経済学部3年生(21)と無職(21)の2人が、川崎市の民家に電報配達を騙り入り込み、電線を使い緊縛したうえ、現金4千円と5万7千円相当の衣類を強奪、22日に雀荘で逮捕。麻雀に負けその借金を払うための犯行。


昭和30年(1955).3.20〔21歳が少年殺害〕※参考
 東京都葛飾区の工場で、無職(21)が小学2年生(8)を絞殺し、22日に死体が発見されて逮捕された。甥(4)がいつもいじめられているので、復讐のため映画に連れて行った帰りに殺害したもの。病的性格の精薄児として入院歴があり、少年数人に猥褻行為をしており、小学5年生を殺害した前科もある。


昭和30年(1955).4.14〔17歳ら「力道山グループ」6人組〕
 東京都目黒区で、プロレス好きの愛称「力道山」の無職(17)をリーダーとする中学生や高校生を含む「力道山グループ」6人組が捕まった。「俺の空手チョップを知らないか」と高校生から現金や時計を恐喝するなど20件。全員が中流家庭で、ナイフを持っていた。


昭和30年(1955).4.26〔24歳引きこもりが祖母殺害〕※参考
 富山県富山市の自宅で、長男(24)が祖母(76)に殴る蹴るの暴行を加えてから井戸に投げ込み殺害、翌日逮捕された。子供の頃から成績優秀で性格もおとなしく将来を嘱望され明治大学商学部に進学したが、卒業を前にして神経衰弱となって帰省して引き籠もっていた。今年に入ってから大声で喚くなど異常が目立ってきたが暴力を振るうようなことはなかった。母親はおらず、老齢で躯の不自由な祖母が食事の世話などをしていた。


昭和30年(1955).5.6〔17歳が幼女を誘拐レイプ殺人 三枝子ちゃん殺し〕
 静岡県小笠原郡で、無職(17)が登校途中の農家の二女の小学2年生(8)を自転車で誘拐、1日中連れ廻して浜松の中学校でレイプしたのち夜を明かし、翌日河原でもレイプして荒縄で絞殺、生き返らないように口と鼻に砂利を詰めてから埋めた。誘拐事件として捜索していた警察に殺害直後に逮捕される。
 農家の次男で中卒後に就職したがすぐに辞めてぶらぶらしており、家出して2回自殺未遂を起こしている。人に笑われるからと中学もあまり行っていなかった。友達はおらず、読書と映画が趣味。小学生の時に女の子の兄にいじめられた復讐だと自供。逮捕されても父親(43)は「凶暴性はなくみなさんが心配するようなことはないと思う」と語る。


昭和30年(1955).7.22〔25歳ニートが父親毒殺未遂〕※参考
 岐阜県多治見市の自宅で、無職(25)が父親(54)を毒殺しようと青酸カリ入りの焼酎を飲ませたが異味のため杯3杯しか飲まずに保健所に届けて7.24に尊属殺人未遂で逮捕された。日頃から仲が悪く、繊維会社を設立するための50万円を貸さなかったため恨んだもの。


昭和30年(1955).7.26〔17歳ら6人組が連続レイプ〕
 東京都府中市の神社で、レイプを繰り返していた無職(17)6人組が捕まった。昨年12月から女工(17)など4人を襲ったもの。


昭和30年(1955).8.7〔19歳が父親殺害して自殺〕
 千葉県山武郡の自宅で、無職の3男(19)が父親(57)を殺害して自殺した。病気療養中の3男に父親が嫌味を云ったことでカッとして匕首で胸を刺し、己の胸も刺したもの。


昭和30年(1955).12.8〔19歳ニートが母親殺人未遂〕
 群馬県桐生市の自宅で、次男(19)が母親(49)をマキ割りで滅多打ちにしてから首を絞めて意識不明にして床下に投げ込み重態として逃走、翌日逮捕された。前月に少年院を出てからぶらぶらしており、煙草を吸ってるのを兄(23)に注意されてケンカとなって家を出て、帰宅したところに母親がいたのでカッとしてやったもの。父親が死んでから生まれたために兄と差別されて不満を抱いていた。


昭和30年(1955).12.21〔23歳ニートが幼女殺人〕※参考
 群馬県甘楽郡で、無職(23)が近所の女の子(5)を殺害、死体を隠して逃走したが逮捕された。土蔵に連れ込み催眠術をかけたが泣き出したので口と鼻を押さえて窒息死させたもの。農家の長男で小学校では十番以内の成績だったが乱暴で親の云うことも聞かなかった。五年前から精神異常となってたびたび入院していた。「もう一度やってみたい」と話す。


昭和31年(1956).4.6〔18歳が友人刺殺〕
 東京都品川区の路上で、無職(18)が無職(20)をジャックナイフで刺殺し、男性(21)を重体とし、女性(16)の耳を切った。男性の部屋で酒を飲んでいたが、3千円の借金のことでケンカとなったもの。


昭和31年(1956).5.4〔26歳ニートが母親を殺害未遂〕※参考
 東京都目黒区の自宅で、無職(26)が母親(60)を重体にして逮捕された。食事中にケンカして顔や頭をめった打ちにしたもの。


昭和31年(1956).5.9〔25歳ニートを母親が殺害〕※参考
 東京都墨田区の自宅で、母親(60)が無職の3男(25)を殺害して自首した。3男はヒロポン中毒となって仕事にも行かず、貧しい家で金をせびって暴れるので家族5人で押さえつけて、母親が「生まれ変わって真人間になってくれ」と言いながら紐で絞殺したもの。


昭和31年(1956).5.27〔19歳若いツバメが年上の愛人と心中〕
 東京都中央区日本橋の飲み屋で、女経営者(32)と無職(19)がガスで心中し、男は死亡、女は重体。


昭和31年(1956).5.31〔19歳が金のため友人を絞殺〕
 東京都中野区の自宅で19歳が殺害され、友人(19)が逮捕された。中学の同級生で、先月自衛隊の入隊試験で再会していた。この家のカメラに目を付け、将棋を指しているうちにうしろから首を絞めて殺し、盗んだ品物は質入れして現金にしていた。


昭和31年(1956).7.23〔20歳ニートが線路に石置く〕※参考
 東京都練馬区の無職(20)が、西武新宿線の線路上に70キロと20キロの石を置いて逮捕された。4回も電車妨害を犯していたが、すべて発見されて事故にはならなかった。電車が急停車する音が聞きたかったと自供。


昭和31年(1956).7.30〔19歳ら5人組が少女を監禁、集団暴行して売り飛ばす〕
 東京都豊島区池袋で、無職少年(19)4人と無職(20)の愚連隊5人組が盆踊りを見に来た食堂の女中(15)を脅してアパートに連れ込み、16日間も監禁して連日集団でレイプした。8.15に新吉原の特殊飲食店に2万円で売り飛ばし、また8.24に少女の姉に「2万円を持ってこないと妹の一生は台無しになる」と脅迫電話をかけていた。この年の大卒銀行員初任給5,600円。


昭和31年(1956).8.10〔19歳ニートら5人が監禁レイプ〕
 東京都杉並区のアジトに、7.13にウェイトレス(21)を連れ込み、レイプしようとして翌日まで監禁した、無職(19)、中大3年生(20)、日大2年生(21)、明大4年生(21)、無職(20)の5人がこの日に逮捕された。会社重役、省庁の部課長、大学参事など裕福な家の息子で、小金井一家傘下の愚連隊の一員。
 石原慎太郎・原作、市川崑・監督の映画「処刑の部屋」を観て、主人公が女を薬で眠らせて犯すシーンに刺激を受けたもの。


昭和31年(1956).8.12〔18歳ニートが父親刺す〕
 東京都北区の自宅で朝7時前、無職の次男(18)が父親(65)を登山ナイフで刺して2ヶ月の重傷を負わせて自首した。仕事を辞めてぶらぶらしており、妹とケンカしたのを叱られてカッとしたもの。


昭和31年(1956).9.28〔17歳と19歳ニート兄弟がニセ札〕
 東京都足立区の無職兄弟(17,19)が、通貨偽造行使で捕まった。5百円札をトレースして絵の具を塗って偽札を作り、8.27から3回タクシーに乗って2回は成功してつり銭830円を詐取していた。大病院の事務長の息子で、高校中退と中卒。父親が再婚してからグレて家出、アパートで少女(16)と同棲、路上強盗14件で1万円と時計など強奪、少女を女中として潜り込ませて窃盗させる手口で18件15万円強奪で、すでに逮捕されていた。この年の大卒銀行員初任給5,600円。


昭和31年(1956).9.28〔16歳らニート同士がケンカで刺傷〕
 東京都港区で、店員(16)、無職(17)、無職(19)の3人が無職(16)を呼び出し、ケンカしてナイフで腹を刺して重体とした。同じ中学の卒業生で仲が悪かった。


昭和32年(1957).1.1〔年老いた父親がニート兄弟殺害〕※参考
 千葉県木更津市の自宅で、農業兼屋根職人の父親(68)が4男(36)と6男(23)を殺害した。2人とも無職で重荷となったため、正月の朝4時に就寝中の息子を大ヅチで殴り殺したもの。


昭和32年(1957).1.25〔21歳ニートが友人を強盗殺人〕※参考
 東京都中野区の無職男(21)が、強盗殺人を自供した。去年11.28に友人の無職(20)が母親から金をもらったことを知って、泊まって就寝中に絞殺して7千5百円を強奪、死体を友人の短大生(20)の部屋の床下に埋めたもの。被害者の父親に息子を装って手紙を書いて送金もさせていた。死体を埋められた友人は2ヶ月間まったく気付いていなかった。
 短大卒業後はぶらぶらして麻雀ばかりやっており、そのための資金稼ぎに窃盗を繰り返していた。


昭和32年(1957).1.29〔15歳ニートのブース夫妻強盗殺害事件〕
 神奈川県鎌倉市で、貿易商の親日米人フランク・S・ブース夫妻(76,56)が殺され、現金6500円や指輪などが奪われ、少年(犯行当時15)が2.1に京都で逮捕された。
 裕福な家庭の6人兄弟の3男で、中卒後に家でぶらぶらしていたが、厳格な父親に叱られて家出、関西に旅行がしたくなり深夜に泥棒に入ったが騒がれたため台所の庖丁で夫妻を刺殺したもの。5回の窃盗も働いていた。中学ではマラソン選手で、おとなしい性格だった。
 横浜地裁は無期懲役判決を出した。


昭和32年(1957).3.1〔16歳が島倉千代子殺害計画〕
 神奈川県横須賀市の無職少年(16)が国電品川駅で無賃乗車で捕まったが、ナイフを持っており、島倉千代子を殺すつもりだったと自供した。これまで何十回も電話して自宅まで訪れて逢うように求めたが拒絶されガラス戸をこわしたりしたが、とうとう殺害を計画しナイフを買って上京したところだった。


昭和32年(1957).3.4〔18歳ニートが一家7人皆殺し〕
 神奈川県川崎市の自宅で深夜2時、長男(18)が父親(41)、母親(39)、二男(16)、三男(14)、長女(11)、四男(10)、五男(8)の7人を薪割りで殺害してから放火して全焼させて逮捕された。
 他の兄弟は成績優秀なのにひとりだけ成績が悪いと父親に叱られノイローゼになって昨年高校を中退して精神病院に入っていたが、先月退院したばかり。父親との仲が悪く発作的に殺したもの。


昭和32年(1957).3.6〔16歳少女が父親を恨み自宅に放火〕
 東京都世田谷区瀬田町の人夫(42)の無職の長女(16)が自宅に放火し全焼させた。昨年、窃盗で少年院に入り、保護観察中であったが、酒癖の悪い父親に「お前は前科者だ。俺の子じゃない。縁を切る」と罵られた上、殴る蹴るの暴行を受けたことを恨んだもの。父親は普段から酔うと少女やその弟に暴力を振るい、母親は父親との不仲が原因で3年前に自殺していた。


昭和32年(1957).3.9〔中2ら少女万引団モグラ族グループ〕
 東京都新宿区の無職女子(17)をリーダーとする少女万引団「モグラ族グループ」(14〜19)8人が捕まった。昨年11月にローラースケート場で知り合った家出少女が結成、43件6万円相当を万引。男を3人以上つくるなどの規則があり、リーダーは5人の情夫を持って深夜喫茶などで遊び歩いていた。全員が中流家庭だが放任されていた。


昭和32年(1957).3.17〔21歳ら愚連隊4人が少女を誘拐監禁集団レイプ〕※参考
 東京都豊島区池袋の映画館・文芸座で、無職(21,22)4人が家出少女(16)を騙して旅館に連れて行き、1週間監禁して集団レイプを続け、その後に飲み屋で働かせて祖父母に身代金を要求し、4.8に逮捕。


昭和32年(1957).3.18〔中3の3人が路上で恐喝〕
 東京都新宿区河田町の路上で、中学3年生3人(いずれも15)が研究所職員(26)をナイフで脅し500円を奪ったがすぐに捕まった。映画を観た後に「金をたかってコーヒーを飲もう」ということになり犯行に及んだ。翌日が卒業式だが、学校にはほとんど行っていなかった。


昭和32年(1957).3.17〔21歳ら愚連隊4人が少女を誘拐監禁集団レイプ〕※参考
 東京都豊島区池袋の映画館・文芸座で、無職(21,22)4人が家出少女(16)を騙して旅館に連れて行き、1週間監禁して集団レイプを続け、その後に飲み屋で働かせて祖父母に身代金を要求し、4.8に逮捕。


昭和32年(1957).5.13〔18歳ニートが法廷で裁判官に暴行〕
 群馬県前橋市の前橋家庭裁判所で、無職(18)が裁判官の頭に椅子を投げつけ傷害を負わせ、すぐに公務執行妨害で逮捕された。中卒後は職を転々としたが勤労意欲がなく働かずに家でぶらぶらするようになり、窃盗で逮捕されて中等少年院送致の決定を受けたためカッとして、とっさに法廷を混乱させて逃走しようとしたもの。母親はなく、衣類行商の父親に甘やかされていた。なんら反省することなく自己中心的だが、刑事処分にするのはいっそう少年の心情を歪めることになるし、少年には可逆性があるということで、中等少年院送致決定。


昭和32年(1957).6.5〔21歳ニートを父親が絞殺〕※参考
 東京都足立区の自宅で、父親(61)が次男(21)を絞殺した。次男は働かずぶらぶらしており、酒癖も悪いのでケンカしたもの。


昭和32年(1957).7.23〔18歳女子2人が路上強盗〕
 東京都北区の路上で深夜0時、無職女子(18)2人が女性(30)にカミソリを見せて「顔を切られたくなかったから腕時計を出せ」と脅し、すぐに捕まった。高校を中退して新宿の旅館で寝泊まりしていた。


昭和32年(1957).8.15〔18歳女子や高校教員らが脅し〕
 東京都新宿区の明大中野高校宿直室で、柔道教員(33)、体育教員(32)、明大3年生(20)、無職(20)、女子(18)の5人が酒を飲んで、ダンスホールに行ってボーイを脅してただで入ろうとして逮捕された。


昭和32年(1957).8.17〔小6女子ら少年少女桃色グループ112人補導〕
 東京都世田谷区北沢の、桃色集団「根津山グループ」少年66人、少女46人の112人を補導。高校生や無職、女子中生、女子小学6年生(12)など。ゆすり60件25万円、窃盗125件110万円。桃色遊戯を繰り返していた。中流以下の家庭。


昭和32年(1957).12.7〔22歳が一家4人を強盗放火殺人〕※参考
 京都府京都市の大映製作部長宅で深夜0時、無職(22)が窃盗に入って見つかり、妻(32)、養女(10)、女中(16)を殴って、カメラ、腕時計を強奪して油をまいて放火、長男(4)を含めて4人を焼き殺して逃走、18日に逮捕された。3月に妻に逃げられ自暴自棄となって自殺未遂もしていた。


昭和32年(1957).12.17〔19歳が授業中の小6少女を誘拐殺人 郁恵ちゃん殺し〕
 福岡県田川市の小学校で、無職の久保章(19)が「お母さんが急病だから迎えに来た」と授業中の小学6年生の少女(11)を連れ出し山中に誘拐、少女が悲鳴を上げて逃げ出したので両手や紐で絞殺、「3万円持ってこい。警察に知らせたら娘の命はないものと思え」と身代金要求の脅迫状を届けた。翌日、ズボンを脱がされた少女の死体が発見され、犯人も特定されたが17日間も逃走して翌年1.2に逮捕された。
 家出中で、小遣銭に窮し漫画難誌からヒントを得て、登校中にたまたま見かけた少女を狙ったもの。2回の非行歴がある札付き。昭和35年6月、最高裁で死刑確定。


昭和32年(1957).12.20〔19歳が恋人を刺殺〕
 東京都江東区の簡易旅館で三女(18)が殺害され、泊まり客の無職男(19)が指名手配されたがその日のうちに自首してきた。男は5日に映画館で三女と知り合い、その日に公園で関係して三女の旅館に泊まっていたが、この部屋で5百円が紛失したことから仲が悪くなり、関係を迫った男を三女が拒んだためカッとなってナイフで刺したもの。無期求刑だったが東京地裁は懲役13年の判決。


昭和33年(1958).1.29〔21歳東大浪人生が自殺〕※参考
 東京都練馬区の浪人生(21)が、横浜市の踏切で飛び込み自殺した。東大に2度落ちて3度目の入試直前だった。


昭和33年(1958).1.30〔24歳東大浪人生が自殺〕※参考
 群馬県高崎市の自宅で、浪人生(24)が服毒自殺した。埼玉大と東京教育大を中退しながら、東大に7度落ちて8度目の入試直前だった。


昭和33年(1958).2.9〔22歳ニートがストーカー殺人〕※参考
 東京都北区の会社員宅で、深夜3時過ぎに埼玉県騎西町の無職(22)が押し入り、包丁で長男(28)を刺して重傷を負わせ、長女(19)を刺殺した。長女と交際していたが、異常な性格からふられて復讐したもの。18歳だった昭和28年12月にも殺人を犯している。


昭和33年(1958).3.9〔22歳ニートが父親に殺害される〕※参考
 埼玉県北足立郡の農家で、父親(56)が四男(22)を縛ってから薪割りで殴り殺した。四男は5年前からぐれだして、この日も酔って母親に乱暴したのでカッとしたもの。浦和地裁は懲役4年判決。


昭和33年(1958).3.18〔高3が小学校時代の教師を刺殺〕
 神奈川県川崎市の南部線登戸駅に停車中の通勤ラッシュの電車内で、小学校副校長(40)が背中から心臓をジャックナイフで刺され殺害される。
 逃走した元教え子の高校3年生(18)は、21日に八王子市の竹やぶで、雑誌「アトリエ」に「先生の死を知りました。先生すいません。ぼくは色男でも助平でもない。お父さん、お母さん、姉さん、弟、親孝行が出来なくてすみません」という遺書を書き残して睡眠薬を飲み自殺した。
 ヌードデッサン法が載っている雑誌をとがめられたことを恨んだと推測されるが、2人とも死んだので真相は判らない。美術クラブに所属していた。
 内気で人付き合いが苦手、「おじいちゃん」というあだ名だった。8日に卒業したが極端な無口のため5社の面接試験に全部落ちて就職先が決まっておらず、18日から家出していた。


昭和33年(1958).3.19〔22歳ニートが父親に殺される〕※参考
 埼玉県北足立郡の農家で夜11時、父親(55)が四男(22)の頭を薪割りで殴って殺害、派出所に自首した。県立工業高校を2年で中退してからぶらぶらして酒や女で遊び歩いており、両親に金をせびって暴れたため長男と縛って土蔵に閉じ込めたが、「こんなことをするならあとでぶち殺す」と云ったため。父親は元村長。


昭和33年(1958).3.20〔14歳ニートが45件恐喝〕
 東京都墨田区で、少年(14)が恐喝を繰り返して送検された。不良のため中学を退学させられ大阪の中学に転校したが、去年の12月に舞い戻ってぶらぶらしていた。元の同級生らを脅して45件4400円と万年筆などをカツアゲ、警察に捕まるとお礼参りをしていた。工場経営者の次男。


昭和33年(1958).3.24〔小6が少年愛好癖の22歳に絞殺される〕※参考
 神奈川県横浜市の横浜市大病院のトイレで、スボンを下げたままの少年の絞殺体が見つかった。この日に卒業したばかりの小学6年生(12)。アパート経営者の長男で元人夫(22)が翌日捕まった。
 3日前に父親の補聴器を入質した3千円を持って家出したが金もなくなり、銭湯や映画館で見かけていた少年に目をつけ猥褻行為をし、心中するつもりだったと自供。普段から子供らに小遣いをやってはいたずらしていた。


昭和33年(1958).5.4〔24歳ニートがバス車内でダイナマイト自殺〕※参考
 鳥取県八頭郡を走行中のバスで、無職男(24)がダイナマイト自殺。車掌(27)も死亡した。切符のことで揉めたあとに、車掌にマッチを借りて腹に巻いたダイナマイトに火を付けたもの。3年前にこのバス会社をクビになっており、ヒロポン常用者で、ふられた恋人へのラブレターを持っていた。


昭和33年(1958).5.4〔21歳ニートが新聞広告で女性集め麻酔レイプ〕※参考
 東京都新宿区のアパート自室で、無職男(21)が事務員募集の新聞広告に応募してきた女性(26)に血液検査のためと騙して麻酔を注射、エーテルを嗅がしてレイプしようとしたが、騒がれたため逃走、意識不明になった女性が発見され、14日に大阪府の母親を訪ねた無職男が逮捕された。英語学校の学生と偽って1日にアパートを借りていた。


昭和33年(1958).5.10〔23歳ニートが兄に殺害される〕※参考
 宮城県名取郡の自宅で朝6時、魚商の長男(37)が次男(23)を殺害、逮捕された。次男は窃盗と傷害で少年刑務所に入り、去年の7月に出所してから兄宅に居候していたが、働かずに家の物を持ち出しては毎日酒を飲んで遊んでおり、兄家族に乱暴するので兄嫁は子どもを連れて実家に帰り、兄弟ふたりだけで暮していた。素行を注意するとケンカになって縄を持ち出して「殺してやる」と迫ってきたので奪って首を絞めたもの。兄は真面目だった。


昭和33年(1958).5.28〔19歳がニートの兄を殺害〕
 神奈川県津久井郡の農家で、工員の次男(19)が長男(23)を匕首で刺してナタで首を切って殺害、自首した。長男は4年前に結婚を反対されてからぐれて仕事もせずぶらぶら遊び歩いて「母親を殺す」などと云っており、この日も家族に乱暴していたのでカッとしたもの。次男は真面目で評判がよかった。


昭和33年(1958).5.31〔17歳ニートが恋人の眼の前で自殺〕
 東京都荒川区の簡易旅館で、無職(17)が自殺。恋人(20)がつれなくなったので、眼の前で胸に出刃包丁を刺したもの。


昭和33年(1958).5.〔女生徒を中心とした不良グループの恐喝事犯〕
 女子中、高校生4名、男子高校生5名、無職少年8名、計17名が、簡易アパートの一室を借り受け、そこをたまり場として不良グループをつくり、憲法8ケ条と称する規約を定め、飲酒・喫煙・桃色遊戯などの不良行為にふけり、更に女子グループ員があいくち飛出しナイフを所持して善良な女子学生に暴行を加え恐喝していた事犯。(33年5月茨城県)


昭和33年(1958).6.6〔18歳ニートら2人組がケンカで殺人〕
 東京都江戸川区の路上で夜9時前、高校生(17)と無職(18)の2人組が、会社員(23)とぶつかってケンカとなって殴られ、そばの魚屋の出刃包丁を盗んで4回刺して殺害、逃走したが傷害致死で逮捕された。


昭和33年(1958).6.22〔高2ら4人組が集団リンチ殺人〕
 東京都港区の路上で深夜1時過ぎ、高校2年生(17)や無職(23)など4人組が、店員(22)がぶつかったとからんで集団リンチを加えて殺害、25日に傷害致死で逮捕された。


昭和33年(1958).7.3〔19歳が通り魔殺人〕
 埼玉県北足立郡の路上で、無職(19)が女性(43)に「金を出せ」と脅し、胸や顔に切りつけ、ドブに落ちたあと尻や腕を刺した。30分後に女性(36)の胸など数カ所を刺して殺害、自転車で逃走したがすぐに逮捕された。この日の昼間にも民家に侵入して女性(51)の首を絞めて逃走していた。これまでも夜の一人歩きの女性に抱きついたり首を絞めたりしていたため警察に眼を付けられていた。


昭和33年(1958).8.2〔20歳ニートが人を殺したくて強盗殺人〕※参考
 神奈川県横浜市の民家に、無職(20)が強盗に入り、主婦(25)を包丁で刺してからタオルで絞殺、服と現金2万5千円を強奪して逃走、東京都でその日に逮捕された。新聞カメラマンの撮影にはポーズを決め、「この頃はなんだか人を殺したくってたまらなかった」と語る。


昭和33年(1958).9.3〔22歳ニートを母親と東大生が絞殺〕※参考
 東京都新宿区の東京教育大教授(54)宅で、母親(48)と次男の東大1年生(20)が、長男の無職(22)を絞殺して自首した。長男は横浜商業高校を1年で中退、高価なものを買えと家庭内暴力を繰り返し、この日も4万円を要求して暴れたため母親が後ろから手ぬぐいで首を絞め、次男も手伝って殺害したもの。次男は「前途ある青年」であるとして異例の不起訴となり、母親も執行猶予判決となった。この年の大卒銀行員初任給1万2,700円。


昭和33年(1958).10.9〔29歳ニートを父親が絞殺〕※参考
 東京都板橋区の自宅で、父親(61)が長男の無職(29)を絞殺して自首した。長男はぶらぶらしながら家の金を持ち出して競馬に使い、父母を殴って骨折させたり家庭内暴力を繰り返し、前日も暴れたため、就寝中に手ぬぐいで首を絞めて殺害したもの。


昭和33年(1958).10.13〔16歳がニートの兄を殺害〕
 東京都荒川区の自宅で、三男(16)が長男(27)の後頭部を木槌で三回殴って殺害した。長男は家業のセルロイド玩具加工を手伝っていたが怠け者で働かず、たびたび家の金品を持ち出しては遊び歩いており、父親に乱暴を働いていた。この日も小遣いをせびって断られると父親を殴って窓ガラスを割って暴れ、「こんな家は焼き払ってしまえば気持がさっばりする」などと云ったので、カッとしたもの。三男は中卒後に家業を手伝い、まじめな性格だった。中等少年院に送致。


昭和33年(1958).11.7〔17歳が8件の放火〕
 東京都練馬区の無職(17)が11.7から12.24の間に連続8件の放火をして捕まった。「頭が重くなると、幼いときに焚き火をして胸がスーっとした」のを思い出し、自転車で回って放火、騒ぎを喜んでいた。幼いときに中耳炎を患ってからおかしくなり、11月に工員になったが仲間に馬鹿にされて3日で辞め、そのことで余計に頭がおかしくなっていた。


昭和33年(1958).11.14〔高3ら愚連隊「町かど族」が中高生ゆする〕
 東京都江戸川区小岩町の中学校や高校の運動会・文化祭に押しかけ、女子生徒にいたずらをしたり、男子生徒から腕時計やコートなどを脅し取っていた愚連隊「町かど族」が捕まった。無職(20)、無職少年(17)、私立高校3年生(18)、同(17)の4人。親は放任していた。


昭和33年(1958).11.23〔16歳ひきこもりが自宅アパートに放火〕
 東京都豊島区長崎町の自室で、少年(16)が放火してアパート全焼。中学時代は一番の成績で学者を目指していたが、高校に入ってから飲み屋で働く母親に就職して家計を助けてくれと言われて退学、引きこもってノイローゼ気味だった。


昭和33年(1958).12.1〔21歳ニートが世間を驚かせるため警官毒殺謀る〕※参考
 新潟県新潟市で、無職(21)が派出所前の自転車サドルの上に青酸カリ入りの最中2個を置いて警官毒殺を謀った。巡査が翌日に保管していた最中を迷子の男の子(3)に与えると吐き出したので、自分も食べてみて異味を感じて鑑識に廻され発覚し、12.15に殺人未遂で逮捕された。11.2に西耕原郡の自宅から12万円を持ち出して家出、東京で遊びに使い果たして自暴自棄になって青酸カリ自殺をしようとしたが、どうせ死ぬのなら警官を道連れにして世間を驚かせようとしたもの。


昭和33年(1958).12.3〔21歳ニートが父親に殺される〕※参考
 三重県松坂市の農家で、父親(51)が長男(21)の頭をスコップで殴って殺害、翌日逮捕された。働かずにぶらぶら遊び回って財産分与などを要求していたが、この日も米をバイクで持ち出そうとしたためカッとしたもの。


昭和33年(1958).12.12〔18歳らニート3人が盗難車を無免許運転〕
 東京都杉並区の無職(18,19)3人が、路上で小型トラックを盗み、無免許でドライブして神奈川県藤沢市の片瀬海岸で逮捕。


昭和33年(1958).12.26〔17歳が淡島千景宅に強盗〕
 東京都大田区で、無職(17)が淡島千景(34)の自宅に強盗に入り、女中を脅して現金2千4百円を奪ったが、すぐに逮捕された。24日に岡山県御津郡から上京するも金がなくなり、雑誌で知った女優にめぼしをつけてオモチャの拳銃を使って押入ったもの。


昭和34年(1959).1.23〔17歳ら4人が空巣などをしながら日本一周〕
 神奈川県横浜市の無職(17,18)4人が、空巣、引ったくりなど31件約50万円を稼いで捕まった。盗んだ金で日本一周を目指し、手記を書きながら関西などを巡っていた。俳優のフランキー堺が一家揃ってテレビ出演をする日を狙って留守宅の強盗も計画していた。この年の大卒公務員初任給10,200円。


昭和34年(1959).1.26〔高1ら36人の不良グループが生徒130人をゆする〕
 福岡県福岡市の私立高校で、不良グループ「竜若一家」36人のうち、3年生(22)、停学中の1,2年生8人、退校生2人の計11人が脅し、暴行の疑いで捕まった。アパートを借りて酒やタバコを飲み、桃色遊びをしていた。遊興費は同校生徒を脅すなどして捻出。被害生徒は判明しただけでも130人、被害額は約6万円、時計やコートなども脅し取られていた。警察に届出をしたことへの復讐を恐れて不登校が続出した。この年の大卒公務員初任給10,200円。


昭和34年(1959).1.29〔18歳秋田の通り魔〕
 秋田県秋田市の路上で女店員(21)が顔と手を切られ、10分後に女性(49)も顔を切られて重傷を負い、秋田高校を卒業して受験勉強のやりすぎで精神異常となった18歳が逮捕された。凶器は拾ったスプリングだった。


昭和34年(1959).2.1〔18歳ら2人が女子高生を連れ廻して乱暴〕
 東京都文京区の高校2年生女子(17)に交際を迫ったが断られた無職男(21)と無職少年(18)が、女子高生が家を出たところを無理やりタクシーに押し込み地下鉄大手町駅の入り口で「カタワにしてやる」と殴る蹴るの暴行を加え、旅館などを連れ廻したが3日目になっても言うことを聞かないので「ほかの男と口がきけなくしてやる」と唇の下をナイフで切り、池袋の旅館で乱暴したが、4日に救出された。


昭和34年(1959).2.4〔38歳ニートが父親殺害〕※参考
 神奈川県横浜市の自宅で、無職(38)が父親(65)を殺害して物置に死体を隠したが自首した。3ヶ月前に工場を辞めてから、毎日酒を飲んでぶらぶらしており、父親に怒られてカッとして縄で絞殺したもの。


昭和34年(1959).2.25〔高4の2人組が強盗殺人で死刑判決〕
 長崎県長崎市の家具店で深夜2時過ぎ、私立海星高校定時制4年生(18,19)2人が押し入り、就寝中の主人(50)をノミとナタでめった打ちにして殺害、妻(48)に2ヶ月の重傷を負わせ、3万2千円を強奪して逃走したが逮捕された。中流の旅館と雑貨屋の息子で、商業高校の受験に失敗して同じ定時制に入ったが、半年前に別の暴力事件を起こして退学、また同じ学校に転校して親しくなった。学校にはほとんど行かずダンスやパチンコに耽ったため金が必要になり、1ヶ月働いてクビになったため恨んでいた家具店を狙ったもの。長崎地裁は2人とも死刑判決。


昭和34年(1959).3.5〔21歳ニートが両親刺殺〕※参考
 東京都板橋区の自宅で、3男の無職(21)が出刃包丁で父親(65)と母親(59)を刺殺。去年、工場をやめてから自宅でぶらぶらしていたが、暴力を振るうので両親が精神病院に入れようとして激怒したもの。


昭和34年(1959).4.29〔中2ら19人の犯罪集団「別荘グループ」〕
 東京都世田谷区の空き家を「別荘」と称して盗んだ家財道具と食料でたまり場にして、犯罪を繰り返していた中学2,3年生16人を含む「別荘グループ」19人(13〜18)が捕まった。
 リーダーの無職(17,18)2人は盗んだ金でアパートを借り、1.9にローラースケート場で知り合った中学3年生女子(15)を連れ込んで、中学3年生2人と4人でレイプした。
 中学3年生(15)2人がタバコ屋の赤電話(時価2万円)を盗り、金だけ抜き取りドブ川に捨てる手口で13件、2万円を稼いでいた。
 3.28に中学3年生(15)と中学2年生(14)は盗んだバイクで酒屋に押し入り酒やビールを盗んで別荘で宴会をしていた。


昭和34年(1959).6.4〔33歳ニートが父親に射殺される〕※参考
 三重県鳥羽市の自宅で、父親(59)が長男(33)の頭を猟銃で撃って殺害した。働かずに酒を飲んで家族を殺すと暴れたため。


昭和34年(1959).6.5〔15歳ニートが投げヤリ殺人〕
 東京都世田谷区の路上で、無職(15)が自転車に乗って小学1年生(6)の胸を手製の投げヤリで刺して殺害、6.29に逮捕された。裕福な会社社長の1人息子で、教育熱心な両親から勉強部屋を与えられ家庭教師をつけられて猛勉強をさせられていたが都立高校入試に落ち、私立高校もすぐに辞めてぶらぶらしていた。これまでも子供を木に縛りつけてナイフで脅したり、竹で目を突いてケガを負わせたりしている。友人がおらず家に引き籠もりがちで、テレビを見たりラジオを組み立てたりしていた。父親は「絶対に違う」「気が弱いので、責められるままにいいかげんな話をしたのでしょう」と言う。


昭和34年(1959).6.25〔24歳ニートが父親に殺害される〕※参考
 東京都世田谷区の自宅で、父親(63)が3男(24)を殺害。働かない3男が酔って帰ったためケンカして電気コードで絞殺したもの。東京地裁は執行猶予判決。


昭和34年(1959).8.10〔18歳が老人を殺害〕
 群馬県佐波郡の川で、釣りをしていた老人(76)がスパナのようなもので殴られて殺害され時計を奪われたが、翌日に無職少年(18)が逮捕された。金欲しさの犯行。


昭和34年(1959).9.1〔16歳ニートがピストル製造〕
 静岡県浜名郡の無職少年(16)は昨年から学校の図書館などで情報を得て150メートルは飛ぶ本物に近い性能のピストル4丁を自作、弾も鉛を溶かして造り、友人に売っていたが、買った高校生2人(16)とともに補導された。身体が不自由なため今年高校を中退していた。


昭和34年(1959).9.26〔15歳ニート女子が叔母を殺害未遂〕
 東京都渋谷区の自宅で、無職女子(15)が同居している叔母(33)の首を絞め、ナイフで腹を刺して重体とした。この姪の父親は戦病死し、母親も7歳の時に死んだため小学6年生から会社員の叔父夫婦に引き取られていたが、やがてグレだし不良仲間と遊び歩くようになったために1年間保護施設に入れられ、その後も女工や店員の仕事を1週間で辞めてぶらぶらしていた。「食事のあとかたづけくらい手伝いなさい」と叱られたのを怨んで殺人計画を立てていたと自供。


昭和34年(1959).12.4〔15歳ニートがいじめ自殺〕
 東京都北多摩郡田無町(現在の田無市)の自宅で、少年(15)がガス自殺した。中学の時に地元の未成年不良グループに無理やり加入させられ、抜けようとすると暴力を振るわれたが、教師などが不良と掛け合い脱退して私立高校に進学した。しかし、またこのグループに登校中に付きまとわれるようになって学校に行かなくなり退学、父親の経営する会社に勤めたが、家に引き籠もるようになっていた。


昭和34年(1959).12.11〔17歳ニートが退学を恨んで校長に切りつける〕
 三重県松坂市の県立高校の校長室で、少年(17)が校長(55)にナイフで切りつけ1ヶ月の重傷を負わせた。7月に素行不良のため退学させられ、12.8にも校長宅に押し掛けて脅迫していた。警察に通報したことにカッとしたもの。


昭和34年(1959).12.19〔16歳高校生ら21人の少年万引団〕
 東京都世田谷区や大田区の無職(16)と高校生(16)をリーダーとする少年万引きグループ21人が捕まった。2月から東横線や目蒲線沿線の商店街で、120件22万円相当を盗んでいた。無職少年の母親は止めさせようとして2度も自殺を図っていた。この年の大卒公務員初任給10,200円。


昭和35年(1960).1.7〔中3女が170万円持ち出し家出〕
 東京都千代田区神田の金物問屋の中学3年生の長女(15)が現金170万円を持ってスケート場で知り合った無職男(19)2人と家出、13日に大阪のアパートで保護された。「家も学校も嫌い。干渉されずに生活を楽しみたかった。大金を持ち出して家は困ると思ったが、欲しかったんですもの」と話し反省はしていない。無職2人は窃盗、傷害などで何度も鑑別所に入っている不良で、もう1人の無職(19)とともに未成年者誘拐、窃盗教唆、盗品保管で逮捕送検された。裕福な家庭の家出が増えている。この年の大学卒初任給12,190円。


昭和35年(1960).2.15〔16歳が友人刺殺〕
 広島県呉市の路上で、無職(16)が無職(16)を刺身庖丁で刺殺した。2人は友人で、スマートボールで遊んでいたが、詰まらないことでケンカして「表で勝負しよう」と連れ出したもの。


昭和35年(1960).2.19〔15歳少女が誘拐犯とアベック強盗〕
 東京都台東区で強盗を働いていたアベックが捕まったが、少女(15)は誘拐の被害者だった。13日に大阪府の塾の帰りに少年3人に拉致され連れ込み宿で集団レイプに遭った。そのうちの1人の無職少年(16)が「ほかの奴らは悪い連中だ。一緒に東京に行こう」とやさしく誘った。誘拐事件として大きく報道されていたので家に帰ると怒られると思い、14日に2人で上京、金がなくなったので18日に浅草の工場寮に押し入りナイフで脅して千円を盗み、19日に民家で2千円を強奪したもの。


昭和35年(1960).3.27〔17歳らアベックのタクシー強盗〕
 神奈川県横浜市を走行中のタクシーで深夜1時、無職(18)と無職女(17)のアベックが電気ドリルで運転手を脅そうとしたが、防犯灯で合図を送ったパトカーに捕まった。結婚を反対されたため茨城県土浦市から家出、自殺用の睡眠薬を買う金を強盗しようと渋谷駅からタクシーに乗ったもの。


昭和35年(1960).4.14〔小6ら12人組の犯罪グループ〕
 東京都足立区の無職(16)をリーダーとして小学6年生4人、中学1年生、中学3年生3人を含む少年グループ12人組が捕まった。恐喝27件、窃盗67など103件2万相当を強奪して換金していた。両親は仕事にかまけて放任していた。


昭和35年(1960).7.2〔18歳ら5人が早大野球部とケンカ〕
 和歌山県和歌山市の高校にコーチに来ていた早稲田大学野球部5人に無職(18)ら5人がからんでケンカとなり、商学部2年生(20)がバットで無職(15)を殴りつけて2ヶ月のケガを負わせて、少年らとともに捕まった。


昭和35年(1960).9.3〔中3女子が詐欺犯とダイナマイトで心中〕
 神奈川県藤沢市の旅館で、新潟県中魚沼郡の中学3年生女子(15)と無職男(26)の2人がダイナマイトで心中した。無職男は詐欺で指名手配されており、病気で入院しているときに中3女子と知り合った。


昭和35年(1960).10.16〔16歳がピストルを撃って脅す〕
 東京都杉並区の井の頭線高井戸駅で、ケンカをしている無職(16)が捕まったが、3時間前に目黒区で男性(19)ら5人にピストルを撃って脅したことを自供した。高井戸駅でも2発撃っていた。


昭和35年(1960).11.17〔17歳が幼児を誘拐して殺害〕
 鹿児島県鹿児島市の食料品店の二男(5)が誘拐のうえに殺害され、無職(17)が逮捕された。益田喜頓・主演の映画「刑事物語 小さな目撃者」を見て身代金を奪うことを計画、叔父が勤める店の長男(9)を誘拐しようとしたが失敗、二男を城山公園に連れ出したが泣いたために絞め殺し埋めたもの。子供の頃に父親は死に、中卒後に職を転々とし、窃盗で保護観察中だった。


昭和36年(1961).3.20〔17歳が強盗し小学生殺害〕
 福島県大沼郡会津高田町の中学校教諭(38)宅に無職(17)が押入り、長男の小学5年生(11)を縛って絞殺、170円と貯金通帳等を強奪したがすぐに捕まった。1週間前に家出、持ち出した7千円が底をついたため、強盗を計画したもの。


昭和36年(1961).4.9〔15歳2人組が人のボートで遭難〕
 神奈川県藤崎市江ノ島で、無職2人(15)が人のボートに勝手に乗って遊んでいるうちに強風で漂流し、沖2キロのブイに捕まって溺れかけているところを救出された。


昭和36年(1961).4.29〔21歳ニートが一家毒殺を謀る〕※参考
 佐賀県鳥栖市の自宅で、長男(21)がご飯に青酸ソーダを入れて母親(50)と中学1年生の妹(12)を毒殺しようと謀ったが苦かったので吐き出して未遂に終り、5.4に殺人未遂で逮捕された。三人暮らしで、仕事が嫌で生きる自信を失って一家心中を計画したもの。4.21に北海道の飯場から帰ってぶらぶらしていた。


昭和36年(1961).6.5〔13歳少年が強盗〕
 東京都足立区の民家に、無職少年(13)と7歳のいとこの2人が押し入り、長男(9)が突き飛ばし5400円を強奪して9日に捕まった。神社に賽銭を盗みに行ったが4円しかなかったため、近くの家で強盗を働いたもの。小遣い銭欲しさ。
 少年は4人兄弟の二男。小学校卒業後、韓国学園に入ったが一度も登校せず、ぶらぶらしていた。脅し、盗みで数回補導され、家出を2度していた。


昭和36年(1961).7.6〔16歳が警官刺傷〕
 福岡県のデパートで、昨日少年院を出所した無職(16)が恐喝をして捕まったが、ジャックナイフで警官(23)を8カ所を刺し重傷を負わせて逃走した。30分後に牛乳配達員(18)をナイフで脅し、現金や腕時計を強奪した。


昭和36年(1961).7.13〔中学生が集団家出『大人は理解してくれない』と 毎日新聞引用〕
 近頃、東京立川市で中学生の家出が頻発している。
 12日には、A君(13歳、中学二年生)B子さん(13歳、中学二年生)C君(12歳、中学一年生)D子さん(15歳、武蔵野女子学院2年生)の4名が集団で家出をしたと、警察に届けられた。4名は、近くのプールで知り合ったらしく、現金と、毛布などを持って家を出たらしい。
 また、2日にも、E子さん(14歳、市川市立第一中学三年生)と、E子さんと同じ中学の卒業生であるF子さん(18歳、無職)の2名も、一緒に家出をしている。
 これら少年達は、「大人は私たちを理解してくれない」と周囲に漏らしていたという。
(毎日新聞7.13)


昭和36年(1961).8.4〔高3ら4人の車からホステス転落死〕
 神奈川県で深夜、無職(17,19)、高校3年生(17,18)ら4人の自動車からホステス(19)が転落して死亡した。バーで飲んだ後にドライブをしていたが、5回の補導歴がある無職(17)が猥褻行為をして、逃げようとしたもの。車は盗んだものだった。


昭和36年(1961).8.7〔19歳ら3人がタクシー強盗〕
 東京都墨田区を走行中のタクシーで、自動車助手(19)、無職(19)、無職(19)の3人が、運転手を殴って金を強奪して逃走、すぐに逮捕された。3ヶ月前まで少年院に入っていた。遊ぶ金欲しさ。


昭和36年(1961).9.11〔暴走族「カミナリ部隊」9人がオートバイ盗やレイプ42件〕
 東京都で、無職(16,16,17,19,21)、石工見習い(17)ら暴走族「カミナリ部隊」6人が捕まり、3人が逃走した。盗んだオートバイで暴走し、6.22に女性店員(18)をレイプして腕時計を強奪するなど、傷害、恐喝、窃盗など42件を犯していた。無職(16)がリーダーで、情婦と同棲して手下に指図していた。父親は前科7犯、母親は前科11犯、本人は6回補導。


昭和36年(1961).9.26〔19歳が6件連続放火〕
 東京都豊島区で、無職(19)が6件の放火をやって逮捕された。火を見ると嬉しくなる変質者。


昭和36年(1961).10.25〔18歳女子ら6人が援助交際注意されて恐喝〕
 東京都の女子(18)2人と無職(19〜21)4人の6人が、商事会社課長(42)を脅して逮捕された。女子が援助交際を持ちかけたが、説教された。少年らは「俺の女に何故手を付けた」と男性を脅して何度も現金を盗り、さらには家財道具を無断で売却していた。


昭和36年(1961).11.27〔16歳がレイプして誘拐、さらに警官刺す〕
 千葉県銚子市の寺で、無職(16)が墓参りに来た生け花師範(30)をレイプし、ナイフを突きつけタクシーでドライブして5千円を奪って逃走した。捜索していた警官(24)が、電話ボックスにいたこの少年に職務質問したが、いきなりナイフで腹を刺して逃走し、すぐに逮捕された。


昭和37年(1962).1.25〔18歳が入院先の病院を放火し7人殺害〕
 東京都北多摩郡狛江町の病院で、入院患者(18)が放火し全焼、老人7人が焼死した。手足をかみそりで切って自殺しようとしたが死にきれず、派出所に自首。
 昨年6月から慢性腎臓炎で入院していたが、ラジオでジャズを大音量流し注意されると逆に音量を上げ、寝るように言われると外出するなど普段から態度が悪く、2週間前から「放火して皆殺しにしてやる」と話していた。


昭和37年(1962).2.18〔中3ら5人が睡眠薬を飲んでローラースケート場で暴れる。脅しも〕
 東京都北区や板橋区の中学3年生(15)4人と無職(15)の計5人が、豊島園のローラースケート場で、中学1年生(13)を脅して100円を取るなどして暴れ、捕まった。「睡眠薬を飲んでスケートすると、気が大きくなっておもしろい」と自供。


昭和37年(1962).6.5〔18歳ら3人組がタクシー強盗殺人〕
 神奈川県三浦市で深夜0時、無職(18)、無職(24)、無職(25)の3人が走行中のタクシーで運転手(54)を襲い、有り金5千円と腕時計を出して「妻子がある。命だけは助けてくれ」と命乞いするのを18歳が自分のベルトで絞殺、死体は肥溜めに捨て、タクシーを奪い、一度パトカーに留められたが適当にごまかして逃走した。
 3日に上野駅で知り合い、4日夜にタクシー強盗を計画したもの。少年は14日に山谷のドヤ街で血を売って暮らしていたところを捕まった。「足がつくと思って殺した」と平然と話す。


昭和37年(1962).7.17〔20歳ニートが授業中の女高生を射殺〕※参考
 富山県東砺波郡の県立高校で、無職(20)が猟銃2丁と弾帯を持って授業中の教室に押し入り、教師と生徒18人を黒板の前に整列させて、女子高生(18)に2発撃って殺害、逃走して橋から飛び降りて自殺する計画だったが下を覗いて怖くなって死ねず、橋の中央で銃を構えて追っ手と対峙したが、説得されてすぐに逮捕された。
 3月までこの高校に通っており、殺した女子高生に片思いしていたが相手にされていなかった。農家の6男で、国体で活躍するスキー選手だが、凶暴性があり学校でもたびたび暴力事件を起こし、卒業後はぶらぶらしていた。銃は近所の家から盗んだもの。富山地裁は懲役15年の判決。山奧の小さな村での事件。


昭和37年(1962).9.5〔18歳が偽の誘拐電話で10万円を詐取〕
 東京都港区麻布の会社社長(46)宅に、無職(18)が「娘(13)をあずかっている。10万円持ってこい」という誘拐電話を掛け、母親(40)から指定場所で金を受け取り、手紙を渡して逃走。手紙には「学校に電話せよ」とあったので掛けてみると、娘は誘拐などされていなかった。
 3年前に高知から上京し、被害者の会社の下請けに勤めていたが、兄のアパートからオーバーなど5点を盗んで1日に家出していた。せしめた金でアパートを借り、家財道具を買い揃えていたが、指紋などから7日に捕まった。この年の大卒初任給 17,815円。


昭和37年(1962).10.10〔16歳が赤ん坊を人質に強盗〕
 神奈川県川崎市末広町の会社員(45)宅に、住所不定無職(16)が「水を飲ませてくれ」と上がり込んで台所から出刃包丁を持ち出し、里帰りをしていた長女(25)の子供(8ヶ月)に突きつけ、3千円を脅し取って縛って逃走、13日に捕まった。


昭和37年(1962).11.22〔高2が祖母殺害〕
 三重県南牟婁郡の自宅で、高校2年生が祖母(54)に殴る蹴るの暴行を加えて、肋骨骨折とくも膜下出血で殺害した。精神衰弱で4月から休学して自宅療養をしていたが、翌日精神病院に入院することになり、祖母の頑迷のせいで病気になったと思い込んで恨んでいた。精神分裂症による心神喪失だとして不処分。


昭和38年(1963).2.14〔17歳が強盗用のピストル奪うため警官襲撃〕
 大阪府大阪市北区の人通りの多い繁華街の派出所で、無職少年(17)が「手を上げろ」とピストルを巡査(21)に突きつけた。巡査がピストルを払い落とそうとすると1発撃って椅子に当たった。なおも巡査が向かっていくと少年はスパナで後頭部を殴った。血まみれになりながらも巡査は同僚と2人で格闘して少年を取り押さえた。
 「京都から職探しに来たが金を使い果たしたので強盗を働くために本物のピストルを奪おうとした」と自供した。持っていたのは拳銃マニアの少年がおもちゃを改造したもので、昨年には試射して捕まっている。


昭和38年(1963).3.15〔17歳ニートが同居している従兄弟ニートを殺害〕
 神奈川県横浜市の農家で、無職の長男(17)が同居している無職のいとこ(19)を殺害した。いとこは両親を亡くしたため5歳の時に引き取られていたが、仕事もせずに叔父夫婦から金をせびって遊んでいた。長男も不良だったが日頃から仲が悪く、「金もないのに遊び歩いている」といとこに言われて昼寝しているところを斧で頭を数回殴って殺し、便所に放り込んだもの。1ヶ月以上も経ってから警察が家宅捜査し、5.2にようやく死体を発見、長男を追及するとあっさり犯行を自白した。


昭和38年(1963).5.15〔19歳女が小切手偽造〕
 東京都中央区銀座の通信社経理見習いのOL(19)を主犯とする4人組が、小切手の偽造で捕まった。少女はジャズ喫茶で知り合った愚連隊の少年(19)とその兄貴分の無職青年(22)らと共謀し、勤め先の金庫から小切手3枚と社長印を盗んで合計額面百万円を偽造。バーテン(30)を換金係にし、銀行から現金17万円を引き出したが、3軒目の銀行でばれたもの。
 少女の家は裕福だったが、給料を遊興費に使い果たし、さらに遊ぶ金が欲しかったと自供。失敗した場合に備え、少女が会社の金をおろしに行った帰り、そこを襲わせる狂言強盗も計画していた。この年の大卒初任給19,380円。


昭和38年(1963).5.17〔17歳が近所の小3を殺して隠す〕
 広島県因島市土生町の自宅で、長男(17)が小学3年生(8)を殺害、死体をコウリの中に入れ、40歳ぐらいの見知らぬ男が預ってくれと言ってコウリを置いて行ったと母親(41)に話した。母親は5.20に死体が入っているのに気づき床下に隠したが、5.28に警察に通報、長男は逮捕された。普段からよく遊んでいたが、些細なことからカッとしてタオルで首を絞めたもの。


昭和38年(1963).6.16〔40歳が幼女レイプ殺人で死刑 通江ちゃん殺し〕※参考
 神奈川県横浜市のバス停で、無職(40)が教会帰りの社長の四女の小学3年生(8)に「足が悪いから便所に連れて行ってほしい」とトイレに誘い込んで、首を絞めてレイプ、便器に放り込んで窒息死させた。18日に逮捕。長野県南佐久郡の農家出身で、川崎市の工場で11年前に大やけどをして足が不自由になり福祉施設で暮らしていたが、同室の者とも口を利かなかった。犯行を否認したが、昭和40年12.17に最高裁で死刑確定。


昭和38年(1963).6.27〔中2女子が兄と強盗を働く〕
 東京都板橋区志村中台町の都営団地に住む女性方(36)に、無職男(20)と中学2年生の妹の2人組み強盗がアイクチを持って押入り、すぐに捕まった。
 兄は少年院を出所したばかり。妹は不登校。経済環境は悪くなかったが、全くの放任状態。犯行当日、父親から500円の小遣いを渡されたがもっと遊ぶ金が欲しいと、空巣を計画。被害者宅に入ったものの見付かったため、強盗に変更した。


昭和38年(1963).12.14〔18歳女子が父親毒殺〕
 熊本県上益城郡の農家で、無職の4女(18)が夕飯の煮込みに農薬ポリドールを混入し父親(66)を殺害、逃走したが12.30に北九州市の旅館で逮捕された。中卒後は工場やパチンコ店などで住み込みで働いていたが膀胱炎のため11.21に辞職して実家に戻っていた。家の米を持ち出して金にしたり、姉の結婚資金2万円を盗んだりしており、厳格な父親にバレると叱られるのが怖く、家出しても連れ戻されるだろうと、殺人を計画したもの。知能は少し低いが、精神異常などはなく、小説好きの夢想家。まったく罪の意識がない。特別少年院送致。


昭和39年(1964).1.15〔中3ら2人組が少女のため服盗み、窃盗車で暴走追突血まみれ〕
 神奈川県横浜市で深夜、中学3年生(15)と無職(16)の2人組が盗んだ自動車で雜貨店に乗り付け、スカートやブラウスなど女物の服14点を盗み、帰りはべつのトラックを盗んで暴走、追突して血まみれとなって捕まった。
 一緒に泊まり歩いて睡眠薬遊びなどをしていた高校1年生女子(16)と美容学校女子生徒(16)の少女2人のために、服をプレゼントしようとしたもの。無免許の上に、睡眠薬に酔っぱらって朦朧としていた。


昭和39年(1964).2.3〔中3が車を盗み、白タク開業〕
 東京都練馬区などの中学3年生(15)5人、無職少年(16)2人の自動車窃盗団7人が捕まった。盛り場で知り合い、10台を盗んで無免許で乗り回し、事故を起すと乗り捨てていた。
 1人の中3は貧困家庭で父親(44)が窃盗などで服役中。3ヶ月前に家出して盗んだ車で暮らしながら白タク営業をして稼いでいた。小4の時から無免許運転しており、15回の補導歴がある。他の中3らは中流家庭。


昭和39年(1964).2.15〔19歳が女旅館主殺害〕
 千葉県木更津市の旅館で、無職(19)が女旅館主を殺害。千円の借金を催促されて、丸太で殴り殺して3600円を奪ったもの。翌日、自首。


昭和39年(1964).2.22〔15歳ら2人組が18日間で車12台盗みながら旅行〕
 東京都港区で、無職(15,16)2人組が盗難車で寝ていて捕まった。18日間で車12台を盗んでおり、ガソリンは他の車から抜き取りつつ大阪や日光までドライブして帰ってきたところだった。2人とも肉屋に勤めていたが7千円を持ち逃げして、車で泊まっていた。2人とも無免許。


昭和39年(1964).3.15〔18歳ら2人が強盗殺人〕
 神奈川県横浜市の洋品店に、無職(18,19)2人が押し入り、主任(23)を出刃包丁で刺殺し、次長(63)に1週間の傷害を負わせ、7万円を奪って逃走した。17日に手引きした社員(21)が自首し、殺人を犯したリーダーの18歳が逮捕、6日に練鑑を出たばかりだった19歳は恋人と逃走していたが18日に逮捕された。


昭和39年(1964).3.24〔19歳ニートが近視の救済のためアメリカ大使を刺す〕
 東京都港区のアメリカ大使館内公邸玄関で、無職(19)がライシャワー駐日大使の右腿をナイフで刺し、1ヶ月の重傷を負わせ、その場で逮捕された。1.20には同大使館宿舎に放火もしていた。
 静岡県沼津出身。中学を優秀な成績で卒業。県立商業高校に進学したが、2年生の時に頭痛を訴え、メニエル氏病と診断され、程なくして精神分裂症で入院。退学して家の手伝いをしていたが、自分の眼の悪いことを悩み、近視者の救済を訴えるため、たびたび大使館を訪れて、2.25には大使あてに陳情書を渡していた。
「1)世の中で一般に読書に適した距離は眼前30糎(センチ)というが、それはあやまりで、50糎が適当である。それなのに30糎の距離で本を読ませるから近視になる人がふえ、とくに女性はきれいな人に限って眼を悪くする。近視のために眼鏡をかけなけさばならないことは、ことに女性にとって不幸なことである。男性も今は平和だからよいが、戦争になったら戦地へいって困ってしまう。このことに気づいたのは、新聞なんか少し離すとぼっとしてしまう。その限界が45糎だということに(自分の眼で)気がついたのです。したがって、そこが近すぎるか遠すぎるかの境い目です。30糎は45糎より内側だから、不自然なわけです。
 昔の人はさむらいが姿勢を正して本を読むとか、女子が膝の上でお針をするとかによって、近視がなかったのです。
2)今の勉強方法は毎日毎日の積み重ねであると教えられているが、今の丸暗記の勉強方法は要領のよい勉強方法ではないから、勉強の真の要領をおぼえさせることを学びなさいということ。
3)学校で女子に強制的に海水浴をやらせるけれども、男女が一緒に泳ぐのは風紀をびん乱するからよくないことです。しかし女子も水着を着てもよい。
4)教室での男女の机の配列を男子を前半分、女子を後半分に並べるようにすることで、これは性道徳のための必要なことである。形の上だけで道徳を守のではなく、眼に見えない頭の中での性道徳が大切です。もし女子が前半分にいると、勉強しながら妄想するから、そういうことではいけない。一番良いのは学校を分けることですが、手っ取り早いのは席を今言ったように分けることです。」  8.1に心神喪失で不起訴処分。陳情書は「日本の精神鑑定」引用。


昭和39年(1964).6.6〔15歳ら家出少年少女窃盗グループ「松島組」13人〕
 東京都豊島区を中心にして、自動車20台など74件、1200万円以上の窃盗を働いていた家出少年少女窃盗グループ「松島組」13人が捕まった。リーダーの無職(21)以外は15〜19歳の未成年で、うち女子が3人。逃げるときに「エンヤトットエンヤトット」と掛け声を出す決まりだった。この年の大卒初任給21,190円。


昭和39年(1964).7.15〔19歳ら良家の子息が保釈中に集団レイプ〕
 東京都中央区銀座の路上で、無職少年(19)と店員など6人(20〜22)が帰宅中のホステス(20)を「家まで送ってあげる」と車に乗せ、平和島の空き地に連れて行って集団でレイプし、逮捕された。成人の5人は2月にも銀座で女店員2人をレイプして3年の実刑判決を受けたが控訴して保釈中だった。代議士や会社重役の息子ばかりで経済的には恵まれており、少年は免許もないのに車を買い与えられるなど甘やかされていた。「どうせ刑務所暮らしになるのだからいまのうちに好きなことをしておこうと思ってやった」と自供。


昭和39年(1964).8.14〔18歳がタクシー運転手を射殺して死刑〕
 大阪府八尾市で、無職(18)がタクシー運転手をピストルで撃ち殺し、強盗殺人で逮捕された。福岡県宗像郡出身。大阪地裁は「計画的犯行で反省もない」と死刑判決を出した。


昭和39年(1964).9.3〔19歳ら3人が友人を刺殺しタクシーで死体運ぶ〕
 大阪府高槻市の春日神社で、無職(19)が府立高校定時制1年生の新聞配達(17)を刺殺した。近くのパチンコ店で玉のやり取りをめぐって喧嘩。その後決闘となり、新聞配達はナイフで応戦したが、逆に無職が奪って腹を刺したもの。
 無職と土工(18)と女友達(18)の3人は、新聞配達をタクシーに乗せて病院に向かったが死んだので、3時間走行して生駒山中で死体を崖下に遺棄、タクシー料金5千円を払う際、運転手に「おっさん、あまり人に言わん方がええぜ」と言い残していた。
 しかしその後3人は心細くなり、無職の父親の暴力団組長に付き添われて自首した。4人は盛り場で知り合った遊び仲間。


昭和39年(1964).10.6〔16歳が言葉遣い注意した父殺害〕
 東京都大田区の自宅で、無職の長男(16)が女友達と遊んでいたところ、父親(40)が「女の子に対する言葉遣いが悪い」と注意した。怒った長男は「おもてへ出ろ」と父親を連れ出し殴って内臓破裂で殺害した。





昭和40年(1965).4.9〔25歳ニートが金欲しさに父親殺人〕※参考
 東京都千代田区の自宅で、3男(25)が父親(58)を殺害、逃走したが4.25に自首した。
 父親の倉地武雄は元朝日新聞記者で、言論時代社を設立し政界暴露新聞「マスコミ」で影響力を持ち、ダム汚職の証人として国会喚問されたばかりだった。
 3男は成績優秀な兄弟で1人だけ劣等生で大学受験に失敗してからグレて、父親は自分の後継にしようとしたが働かずに会社の金を持ち出しスポーツカーを乗り回して女と遊び歩いてぶらぶらしていた。金欲しさに父親をアイスピックでメッタ刺しにして現金20万円を強奪、豪遊していた。死刑が求刑されたが、東京地裁はコーヒーの飲み過ぎによる刺激性不安状態にあったとして無期懲役判決。
 映画『金環蝕』はこの事件をモデルとしている。


昭和40年(1965).4.14〔15歳ら2人組が現金輸送列車を襲う〕
 北海道江別市の野幌駅を出発した列車内で夜、無職の少年(17)と工員(15)の2人組が職員3人にナイフを突き付け縛り上げ、現金1600万円を強奪して逃走したが停車した駅の近くで捕まった。あまりの手際のよさから共犯者がいるのではないかと追求したところ、元国鉄荷物掛だった無職(32)が背後で指示していたことが判明した。


昭和40年(1965).4.24〔26歳ニートが小学校で生徒4人を襲う〕※参考
 埼玉県蕨市の小学校校庭で、無職(26)が昼休み時間に侵入し、1年生(6)、4年生(9)、4年生(9)の3人にナタで襲いかかり頭蓋骨骨折の意識不明の重体とし、4年生女子(9)に10日間のケガを負わせた。浦和高校を卒業してからぶらぶらしており、家族に暴力をふるうなど狂暴な性格だった。「家族に迷惑を掛けているので警察に捕まるために子供を襲った」と自供。


昭和40年(1965).5.7〔36歳が連続通り魔猥褻殺人〕※参考
 愛知県名古屋市の路上で、無職(36)が中学生女子(14)にいきなりキスしようとして抵抗されたのでナイフで背中を刺して1ヶ月の重傷を負わせた。5.8、女の子(3)にいたずらしてから殺そうとナイフで性器を刺して1ヶ月の重傷を負わせ、その日に小学生女子(10)にいたずらしてからナイフで性器を刺して1ヶ月の重傷を負わせた。5.9に路上で女性事務員(18)にいきなりキスしようとして抵抗されたのでナイフで胸などをメッタ刺しにして殺害、6.4に逮捕された。神戸市で生まれ育ち、小学生のときに性交を覚えて、小学生女子に強制猥褻を繰り返し刑務所にも入っていた。


昭和40年(1965).6.11〔登校拒否児、全国的にふえる傾向〕
 “登校拒否児"とか“学校無口"などと呼ばれる子どもが、ここ5、6年前から全国的にふえている。対人関係障害で、集団から離れていれば情緒的に安定する一種の神経症。家にいると勉強もするし、テレビも見るが、学校に行くことを徹底して嫌う。家庭にいる時でも「どうして学校に行かないの」と学校の話を持ち出すと、発熱やジンマシンをおこす子さえいる。原因はその子の性格的なもの、歪んだ家庭環境などが入りまじった場合が多い。
 文部省の調べでは小学生1047万人のうち5万4千人、中学生696万人のうち6万5千人の長欠児の約半数は学校ぎらいの登校拒否児ではないか、という。
 千葉県市川市にこの4月から、全国ではじめての登校拒否児専門のベッドスクール(病院学校)が誕生、近くの小・中学校の一クラスとして病院内で加療しながら勉強している。
(朝日新聞 6月11日夕刊)


昭和40年(1965).7.29〔18歳少年ライフル魔〕
 神奈川県座間町で、東京都世田谷区の無職(18)が警官をライフル銃で射殺。奪ったピストルでもう1人の警官に重傷を負わせてから、車を何台もハイジャックして、渋谷の銃砲店で店員3名を人質に130発を乱射し夕方逮捕。山手線もストップ。16人が重軽傷。
 中流家庭で、両親は職をやめてぶらぶらしても何も言わず甘やかしていた。2審で無期から自ら望んだ死刑となり、昭和44年最高裁で確定。


昭和40年(1965).8.25〔19歳がキセルを咎められ駅員を刺殺〕
 千葉県船橋市の京成電鉄船橋駅で、無職少年(19)がキセルを咎められホームの柵を乗り越えて逃げ、駅員2人が追いかけて取り押さえる際に格闘となり、果物ナイフで駅員1人の腹を刺さて殺害した。


昭和40年(1965).8.25〔アパートを根城にした恐喝非行集団〕
 少年ら7名(15〜18才)はアパ一トの一室を借り受け、不純異性交遊にふけるなど不良行為を続けるうち、家賃、飲食代等に窮したところから集団で金員喝取を企て、昭和40年8月25日午後5時ごろ、I駅でA少年(17才)の帰宅途中をとらえて「金を貸せ。」と申し向けて駅便所裏につれこみ、「金がない。」とことわられると「腕時計をみせろ。」と同人の時計をはずして喝取し、これを入質したほか恐喝等10件を行ない、遊興費にあてていた。
 少年のうち6名は無職、1名は高校生であったが、グループでアパートを借り、集団で居住し、非行をくりかえしていた。高校中退者が3名おり、いずれも怠惰的性格で仕事についても長つづきせず、また恐喝の非行歴のあるものが2名あった。家庭は普通の生活をしているものが大半であったが、監護についての関心は十分でなかった。(茨城県) 警察庁「昭和40年の犯罪」引用。


昭和40年(1965).9.2〔17歳ら3人組がアベックの女性を連れまわす〕
 長野県伊那郡の路上で深夜、兵庫県尼崎市の無職(23)、長崎県飯田市の大工見習い(19)、同県伊那郡の無職少年(17)の3人組が、乗用車にいたアベックを襲い、女性だけを監禁して連れ回していたが、9.3朝に国鉄上諏訪駅で逮捕された。金が目的で、女性の恋人をゆすって身代金をせしめる計画も立てていた。少年一人は脅し未遂で指名手配をされており、もう一人も強盗容疑で捕まり保護観察処分中だった。


昭和40年(1965).9.16〔17歳が71件の性犯罪〕
 東京都北区で、無職少年(17)が幼女や女子中高生を標的に強姦9件、強姦未遂11件、強制猥褻51件、計71件の犯行を重ねて少年鑑別所に送られた。理髪店の4人兄弟の末っ子で中学を卒業してからぶらぶらしていた。上記の犯行は過去1年間のものだが、中1から5年間も犯行を犯していたので実際はさらに多いと思われる。被害届は9件だけだった。
 少年はまったく罪の意識がなく、「少年院から出たらまたやるさ」と言っている。


昭和41年(1966).1.25〔18歳アベックが運転手を刺殺〕
 神奈川県中郡伊勢原町で、無職少年(18)と無職の少女(17)がタクシー運転手を刺殺して逮捕された。心中するつもりで熱海に行ったができず、「何かでかいことをしよう」と自動車強盗を思いつき、2人でめった刺しにして3千円を奪ったもの。勤め先で知り合い同棲していた。少年は成績はよかったが飽きっぽく高校を中退、職場を転々としながら傷害で少年鑑別所にも入所していた。


昭和41年(1966).1.26〔20歳ニートが父親殺害して強盗偽装〕※参考
 神奈川県横浜市の自宅で、無職男(20)が会社社長の父親(58)の頭を31回もカナヅチで殴ったうえに首を絞めて殺し、強盗に襲われたように偽装工作、発覚して逮捕された。


昭和41年(1966).2.13〔17歳ニートがピストルで3人殺傷〕
 京都府京都市東山区の路上で夕方6時過ぎ、無職少年(17)が巡査(51)の背中を刺し6ヶ月の重傷を負わせてピストルを奪った。6時40分に1.5キロ離れた自宅裏の民家に侵入、いきなり主婦(33)を射殺、10分後に8百メートル離れた民家で叔母(32)にも無言で発砲して重傷を負わせた。
 2千3百人の警官を動員し、2.14の11時30分に少年としては異例の公開捜査となって氏名と顔写真が公表され、母親(40)が涙ながらにテレビで訴えて、夕方に逮捕。2人から冷たくされたのを恨んで、殺すために肉切り庖丁を盗んだがピストルのほうが確実と警官を襲ったもの。
 定時制高校を中退してから仕事も続かず自宅に引き籠もり、ノイローゼで精神病院に入院しており、睡眠薬自殺を3回試みている。内気でおとなしい性格だった。


昭和41年(1966).2.25〔17歳の無職少年5名の「アイビー・グループ」による連続恐喝事件〕
 S少年らは一定の住居も職業も持たない、いわゆる町の不良であるが、町をはいかいしているうち暴力団M組の構成員Mと知りあいこれを中心として「アイビー・グループ」を作り、主として高校生を狙って、昭和41年2月25日午後5時ごろF駅構内を帰宅途中のA少年ら6名を呼びとめ、「2、3日中に2,000円ずつ作ってNレストランに持ってこい。」と申向け、これに応じないときはどのようなひどい目に会わされるか知れないと畏怖した少年らから現金10,000円を喝取したほか、約6か月の間に60件にのぼる恐喝をはたらき、列車通学の高校生から恐れられていた。
 S少年らはいずれも強姦致傷、窃盗、銃刀法違反、暴行等の非行歴を有し、家庭環境はいずれも両親健在でありながら監護能力を有せず、「刑務所に入れてやってくれ。」と申しでる始末であった。
 また、61件にのぼる恐喝被害者がいずれも報復を恐れて届出をしなかったことが、6か月もの長期にわたってのグループの犯行を容易にしていた。(福岡) 警察庁「少年非行の実態」引用。


昭和41年(1966).4.18〔18歳の当たり屋少年が慰謝料取れぬと殺人〕
 大阪府大阪市生野区の路上で、無職の少年(18)が男性(24)の頭を轢いて殺害した。被害者の運転する車の前に飛び出し、慰謝料を出せと脅迫。その後被害者を殴り殺し、交通事故に見せかけるために轢いて腕時計とラジオを奪っていた。犯人の父は韓国人、母は日本人。粗暴な性格で、4年前に窃盗で少年院に送られていた。


昭和41年(1966).5.31〔16歳ニートが猟銃強盗殺人〕
 兵庫県神戸市で夜11時過ぎ、無職(16)がタクシー運転手(34)を射殺、すぐに自首した。5.29に東京都港区の自宅から猟銃を持って家出、遊んで金がなくなったため強盗を計画したもの。窃盗で保護観察中。神戸地裁は懲役10年の判決。


昭和41年(1966).5.31〔16歳ニートが猟銃強盗殺人〕
 兵庫県神戸市で夜11時過ぎ、無職(16)がタクシー運転手(34)を射殺、すぐに自首した。5.29に東京都港区の自宅から猟銃を持って家出、遊んで金がなくなったため強盗を計画したもの。窃盗で保護観察中。神戸地裁は懲役10年の判決。


昭和41年(1966).8.1〔19歳が愛人と共謀し元トルコ嬢を絞殺〕
 東京都新宿区坂町のアパートで午前3時、無職少年(19)とその愛人の元トルコ嬢(27)が侵入し、就寝中の元トルコ嬢の韓国人(23)を絞殺した。金品を奪い遊び歩いていたが、8.1に自首した。少年は度々被害者から無心、さらに手足を縛って金品を奪ったこともあった。


昭和41年(1966).9.14〔18歳ら二人組が連続で空巣〕
 東京都品川区の無職(21)と渋谷区の少年(18)の2人組が、高級マンションばかりに空巣に入り、9.14に逮捕された。いずれも裕福な家庭の子弟だが、スポーツカーを乗り回すなどの遊興費が小遣いだけでは足りず、空巣を繰り返していた。


昭和41年(1966).9.30〔16歳がニートコンプレックスから連続幼女通り魔〕
 東京都品川区の路上で、無職(16)が遊んでいた女の子(4)の下腹部をカミソリで切るなど、幼女4人に対して傷害、暴行、強制猥褻事件を繰り返し、11.26に逮捕。同様の事件がほかにも10件起きており、少年の犯行ではないかと見られている。父親は元警官の中流家庭。工員を7月に辞めて遊んでおり、「ブラブラしている自分を笑っているような気がしたので刺した」と自供。


昭和41年(1966).10.1〔16歳ニートが父親刺殺〕
 東京都荒川区の京成電鉄ガード下で、次男の無職少年(16)が父親(46)をナイフで刺し殺した。この春に中学を卒業してから遊び歩いており、3日前に家出して友人(16)の家に泊まっていたが、父親がやってきて連れ帰ろうと叱り続けるのに腹を立ててナイフで刺したもの。父親は友人の家族も非難したため、「俺の家に因縁をつけるのか」とナイフを持って友人も追いかけてきたため殺人予備罪で捕まった。


昭和41年(1966).11.28〔17歳の無職少年と中学生による強盗事件〕
 一定の職にもつかず、家庭でぶらぶらしていたT少年(17歳)と、怠学して家庭に寄りつかない中学3年生のM少年(15歳)は、大阪方面に遊びに行く旅費にあてる目的から、かねてから内部事情を知っている質屋に強盗に押入ることを計画、昭和41年11月28日午後8時35分ごろ、0市内のH質店に客を装って侵入、被害者夫妻に刃渡り30センチメートルの柳刃包丁を突きつけて「金を出せ」と脅迫、両名を後手に縛りあげて質蔵の中に閉じ込めたうえ、営業所内の金庫から現金73,000円および男物腕時計2個を強奪した。T少年は、粗暴的な性格で窃盗、家出の補導歴があり、M少年も窃盗、恐喝、家出の補導歴があった。また、両少年とも実母と2人暮しの生活保護受給家庭で放任ざれている状態であり、同じような境遇にある2人が意気投合して交際しているうちに、大阪の方に遊びに行くことに意見が一致したが、その旅費がないところから、費用のねん出策を相談した結果本件犯行を敢行するに至ったものである。(北海道) 警察庁「少年非行の実態」引用。


昭和41年(1966).12.30〔16歳ら3人組が恐喝失敗して仲間割れ刺殺〕
 東京都板橋区の路上で、溶接工(17)と塗装工(16)の2人が友人の無職少年(17)をナイフで刺殺した。3人は埼玉県北足立郡から恐喝するためにやってきたが、通行人が少なくうまくいかず、もう帰ろうと言うと無職少年が怒り出してケンカになったもの。


昭和42年(1967).1.11〔15歳ら二人組が連続強盗殺人〕
 島根県松江市出身の無職少年2人(19と15)が、山口県山口市で老女(68)を刺殺しカメラなどを奪い捕まった。昨年6月にも広島県国鉄三滝駅近くに住む女性(56)を襲い絞殺、現金6千円を奪っていた。2件とも金欲しさの犯行。共に中流家庭で、補導歴あり。15歳少年は婦女暴行で取り調べを受けていたことがある。


昭和42年(1967).4.25〔高3がひかり号爆破未遂〕
 熱海付近を通過中の新幹線下り「ひかり21号」の座席に、『源氏物語』の本をくり抜いてダイナマイトと雷管を仕掛けた時限爆弾があるのを車掌が発見した。箱から本を引き抜くと爆発する仕掛けだったが、たまたま上下を逆にして抜いたため接触不良で爆発はしなかった。
 翌年2.19、窃盗容疑で留置中の18歳の無職少年が「火薬とSFを研究した成果を見るため」「高速で走る新幹線で爆発が起これば大勢の人が死ぬだろうと思った」と犯行を自供した。
 福島県の裕福な農家の末っ子で成績も良かったがSFと爆弾の研究に熱中、工事現場からダイナマイト百数十本と雷管などを盗み、相次ぐ爆弾事件に刺激されて親にアパートを借りてもらい本型の時限爆弾を自作、山中で何度も爆破実験をしていた。高校3年生(17)の修学旅行で東京駅に来たときに新幹線に仕掛けていた。
 研究資金のため盗みをはじめ、1月には学校も退学、自動車を盗んで逮捕され指紋が一致したため追及されて自白したもの。部屋の中からは国会議事堂や警視庁に丸爆印の付けられた地図も発見された。


昭和42年(1967).6.20〔19歳がレイプ強盗殺人〕
 栃木県今市市で、無職(19)が女子工員(20)をナイフで脅して雑木林に連れ込み、農薬を無理やり飲ませた後レイプ、下着で絞殺して現金4千5百円を奪い、酒を飲んで使い果たしたところを捕まった。中卒後に自衛隊に入るも10日で辞め、定職に就かずぶらついていた。


昭和42年(1967).6.27〔21歳がただ殺したいから幼女殺害 ひとみちゃん殺人事件〕※参考
 島根県太田市の路上で、無職(21)が下校中の小学2年生の女の子(7)の首を絞め、雑木林に連れ込んでナイフで刺殺した。7.8に長野県松本市で窃盗で逮捕され、「誰でもよいから一度人を殺してみたかった」と自供。車を運転していて、たまたま目に付いた女の子を理由なく殺したもの。6.25には歩行中の男性を車で轢いてからナイフで胸を刺して殺し、死体を海に遺棄したことも自供した。島根県周吉郡生まれで、中卒後は窃盗を繰り返して逮捕歴もある。学校の成績はよく、おとなしい性格だった。罪の意識はまったくなく、連行時に詰めかけた群衆にも笑顔を見せて平然としていた。


昭和42年(1967).7.12〔39歳中学教師がニート教師を殺害〕※参考
 千葉県船橋市で、中学校教師(39)が同僚教師(45)を殺害、傷害致死で逮捕された。被害者は病弱で酒好きで、前年は半年間病欠し、最近も休んでいたため教師3人で自宅を訪れ、「なぜ休んでばかりいるのか」と殴り、翌日入院して7.15に脳内出血で死亡したもの。


昭和42年(1967).7.24〔18歳が強盗の金で整形手術〕
 埼玉県上尾市の民家で、住所不定無職の少年(18)が押入り、主婦にナイフを突き付け19万円を脅し取って逃走した7.30に逮捕された。奪った金で鼻と二重マブタの美容整形手術をしていた。


昭和43年(1968).2.22〔19歳浪人生が弟を殺害〕
 千葉県佐倉市の自宅で、浪人生(19)が寝ていた三男の中学3年生(14)の喉を小刀で刺して殺害、交番に手を血だらけにしながら「おまわりさん、おまわりさん、いま人を刺してきました」と自首した。
 父親は高校教師、母親は歯科医だったが最初から千葉と長野に別れて住み、学校の休みに父親が長野に来るという変則家族だった。浪人生は母方の祖母(おなじく歯科医)に甘やかされて育ち、父親にはなつかなかった。7年前に千葉の父親の元で家族が暮らすようになったが、すぐに母親と祖母が亡くなり、勉強だけに打ち込んで一流高校に入ったが成績は下がり東工大の受験にも失敗、「俺はこの家の子じゃない。本当の母親は生きている。どこにいるんだ、教えてくれ」などとわめき、精神分裂症として病院に入れられた。退院してからは家でごろごろしていた。三男とは仲が良く、「人間は宇宙に帰らなければいけないんだ。弟は宇宙に送られるのだから幸せだよ」と言って罪の意識はない。父親が勉強の邪魔になるとテレビは家に置いていなかった。


昭和43年(1968).5.22〔21歳2人が〕※参考
 千葉県市川市で、無職(21)2人が盜難車で交通取締中の警官(20)を跳ね、ボンネットに乗った警官を振り落とそうとジグザグ運転の末にタクシーと衝突して警官を死亡させた。


昭和43年(1968).9.9〔中学3年生の少女が家出してフーテン〕
 群馬県下に居住する中学3年生の少女は夏休み中の夜遊び等遊びぐせからぬけきれず9月に入っても登校するのが嫌になって9月9日家出して上京、新宿のグリーンハウスでフーテンの仲間に入り、以後グリーンハウスや深夜飲食店等を転々としていた。(警視庁) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和43年(1968).12.6〔17歳らアベックが心中諦め復讐目的に強盗と誘拐〕
 宮城県名取市の無職少年(18)と無職少女(17)(共に睡眠薬の常用者)が、仙台市郡山のモーテルで会社社長(37)を割ったビール瓶で脅して2万5千円を奪い、不倫関係の人妻(36)を人質に社長の車で逃走。しかし無免許のため運転を誤り八百屋に激突、重傷を負って捕まった。
 結婚を反対され、このモーテルで睡眠薬心中を図るも失敗。「死ねないのなら金と車を手に入れ、結婚を反対した奴らを殺すつもりだった」と話す。少年は補導歴5回。


昭和43年(1968).12.15〔19歳が三億円事件犯人と疑われ自殺〕
 東京都国分寺市の自宅で、少年(19)が青酸カリを飲み自殺した。12.10に三億円事件が発生、警察が取り調べに来たが家族はいないと嘘を付いて追い返した翌日だった。父親は現職白バイ警官。9ヶ月前には現金輸送車を襲う相談を友達にもちかけ、別の友人は今回使われた物と同じ発煙筒を使いスーパーで強盗をしていた。暴走族「立川グループ」の一員。


昭和43年(1968)..〔無職少年等5人がアベック襲って輪姦監禁〕
 自動車でドライブをしていた無職少年等5人(21歳の成人1名を含む)グループが、堤防下に車を止めているアベックを認めるや、これを襲うべく共謀し、車内で雑談中のA男(18歳)を引きずり降ろして殴る蹴るの暴行を加え全治1週間の傷害を負わせたうえ現金、腕時計を強奪し、さらにB女をその場において輪姦したうえ自動車に乗せてら致し、旅館、モーテルなどを転々として3日間にわたって不法監禁した。(埼玉) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和43年(1968)..〔11人集団家出して窃盗〕
 神奈川県下に居住する無職S少年ほか11人は、深夜飲食店等に出入するうち知り合いとなつてグループを作り、物見遊山を兼ねて7月京都へ集団で家出、アパートの一室を借り受けて合宿生活をし左から資金かせぎに、あき巣、自動車盗など40件(被害総額229万2,900円相当)の窃盗を働いていた。(京都) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和44年(1969).2.19〔シンナー乱用で自動車事故〕
 有機溶剤中毒で入院加療中の無職少年E(19歳)は、無断で病院をぬけ出し、乗ったタクシー内等でラッカーシンナーを吸引し、運転手が道を尋ねるために下車した際、無免許で乗り出し、停車中の貨物自動車と衝突した。(44.2.19 栃木) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和44年(1969).2.28〔20歳ニートが社会へ復讐するため幼女殺人して全裸にする〕※参考
 沖縄県北中城村で、無職(20)が下校中の小学5年生の女の子(11)の頭をカナヅチで何度も殴って殺害、車で10キロ離れた松林に死体を運んで全裸にして埋めた。3.13に死体が発見され、その日に逮捕。白人との混血で、本土に集団就職したが窃盗で捕まってクビとなり、沖縄に戻ってぶらぶらしていた。「社会へ復讐したい」と言っていた。


昭和44年(1969).4.8〔玩具ピストル柳刃包丁を使用した強盗致傷事件〕
 被疑少年K(19歳)は、素行不良により、いずれの勤務先も永続きせず、無職放浪中金銭に窮したことから、事情の知ったかつての勤務先の附近で強盗をすることを企図し、昭和44年4月8日午後6時10分頃、焼津市の養鰻業A(55歳)方に押し入り、同人妻(43歳)の脇腹に玩具ピストルを突きつけ、左手で柳刃包丁を示して脅迫し、A夫婦が差し出した5万円余の現金には手もふれず「もっとあるはずだ、50万円出せ」、「家族を外に出すな、命が惜しいならみんなをここに集めろ」等と脅迫、110番によって急行した警察官によって逮捕され未遂に終わったが、その際警察官に対し、玩具ピストルを構え「近づくと撃つぞ」と虚勢を示し逃走しようとして被害者ともみ合い同人に全治1週間の切創を与えた。(44.4.8検挙、静岡) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和44年(1969).5.7〔ボンドを吸引し父親刺す〕
 ボンドを吸引して陶酔状態になった無職少年L(17歳)は、父親に金をせびって断られたのに激こうして所持していた切出しナイフで逃げる父親の背後から10日間の傷害を与えた。(44.5.7 長野) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和44年(1969).5.〔シンナー吸引し窃盗〕
 無職少年R(18歳)等30人は、シンナー、有機溶剤接着剤の乱用によって形成された非行グループであるが、1月から5月までの間、判明しただけでもも144本のセメダインを窃取し、グループ員にわけて乱用していた。少年たちは、このほか傷害、恐喝、窃盗など30余件を犯していた。(44.5警視庁) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和44年(1969).6.6〔ボンド吸引し放火〕
 福岡県無職少年V(16歳)は、実兄とともに1年位前からボンドを乱用していたが、発狂し就寝中の実母に暴行を加えたうえ、台所障子にマッチで放火しようとして警察官に制止され未遂に終わった。(44.6.6福岡) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和44年(1969).7.29〔祭典用木箱の中で3人の少年が集団死亡した事案〕
 歌志内市の無職少年A等5人(16歳2人、17歳1人)は、「仕事を探してくる」「遊びに行ってくる」等といって家を出ておちあい、住友鉱神社において、もと祭典用幟等を収納していた木箱(縦85・、横12.0・、深さ76・)の中に入りラッカーシンナーを乱用しているうちに中毒死した。(44.7.29頃 北海道)
 (注)シンナー等による集団死亡事案としては42年6月11日広島県安芸郡でけい留中の漁船船室内で4人の少年が死亡した例があり、これに次ぐものである。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和44年(1969).8.8〔15歳少女が三角関係の縺れからホステスを刺殺〕
 大阪府大阪市西成区のアパートの自室で、少女(15)が神戸市のホステス(22)を刺殺した。無職男性(30)と同棲していたが、ホステスがやって来て「この部屋の金は私が払った。出て行け」と男と別れることを要求。口論の末、台所の包丁で刺した。中2のころ同級生女子に乱暴して救護院に入れられ、学校には行かないまま去年卒業。被害者と無職男性は7年前からの付き合い。


昭和44年(1969).9.4〔16歳が150件空巣と老女絞殺〕
 埼玉県浦和市で、少年(16)が民家に押し入り老女(75)を絞殺、300円を盗んで12.3に逮捕された。8月には同県与野市で小2(8)が失神するまで首を絞め6万7千円を盗む(この事件のみ無職少女(18)と共謀)等、150件、250万円を稼ぎキャバレーで豪遊していた。秋田県在住時の小2のころに材木店に放火して補導され、家族と上京してからは空巣、強盗を繰り返し、少年院や施設に合わせて8年入っており、少年院では脱走しようとガラスの破片で教官を刺していた。4人兄弟の末っ子。


昭和44年(1969).9.10〔19歳が幼児誘拐殺人 正寿ちゃん誘拐殺人事件〕
 東京都渋谷区恵比寿の質店の小学1年生の長男(6)が登校途中、無職(19)に友達2人の眼の前で誘拐、殺害された。長崎県油町出身で、大金欲しさにテレビ映画「ザ・ガードマン」や吉展ちゃん事件を元に犯行を計画。誘拐後すぐに公衆便所で小刀で刺殺、死体入りのカバンを渋谷駅に預け「5百万円用意しろ。警察に知らせるとカタワにするか生きちゃいないぜ」という脅迫電話をかけていたが、11日に簡単に捕まった。
 当初女優の誘拐を計画。200人の名簿を作成し、身代金取得後の使い道を事細かにメモしていた。高校をいじめで中退。格闘技を身に着けていじめた相手に復讐する計画も立て、50人の名簿を作成していた。5人兄弟の末っ子。できのいい兄に対してコンプレックスがあった。この事件以前にも脅迫、放火、少年(17)の誘拐未遂をしていた。
 昭和53年1月、死刑確定。


昭和44年(1969).11.19〔17歳含む7人組が大学生2人を殺害〕
 東京都新宿区歌舞伎町で、住所不定無職少年(17)、北里大2年(19)、国士舘大2年の5人の「国士舘グループ」7人組が、東京経済大学空手部の主将と副主将(共に20)を刺殺した。花園神社で祭を見物後、深夜に被害者らと知り合い酒を呑んだが、被害者らは無一文だったことから争いになり、無職少年は脇差で刺し、ほかの6人も暴行を加えていた。


昭和44年(1969).12.29〔19歳ニートが医師2人を刺殺〕
 大阪府大阪市の病院で、無職(19)が院長(41)を刺身包丁で刺殺、すぐそばの病院でも院長(41)を刺殺、またべつの病院でも女性院長(64)を殴り自転車で逃走、自宅ですぐに逮捕された。飛田新地の風俗店で淋病になり、大病院で治療を受け完治したが治っていないものと思い込み梅毒恐怖症となって病院を渡り歩き、気のせいと一向に治してくれない医者を怨んだもの。失業中の父親の三男で、中卒後に職を転々として、今年3月には時津部屋に入門していた。


昭和45年(1970).3.9〔19歳が強盗殺人致傷〕
 窃盗、強盗など3回の非行歴をもち、少年院に3回(初等少年院に1年4か月、中等少年院に1年、特別少年院に1年)収容され、44年11月に仮退院して保講観察に付されていた少年(19歳無職)が、保護観察官との面接のないのを幸いに無断で居所を飛び出し、45年3月4日午前3時30分ころ、北九州市内のホテルに侵入して宿泊客の1名を刺殺(所携のくり小刀で)、1名に2週間の傷害を与え、これを緊縛して現金、背広などを強奪して逃走、さらに3月8日午前4時ころ、久留米市内の旅館に侵入し、子供連れで宿泊していた主婦を縛りあげて現金51,350円を強奪した。(45.3.9 福岡検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和45年(1970).9.26〔16歳の2人が脅され殺人犯人の身代り〕
 東京都八王子市で、無職少年(16)2人が9.26に殺人で自首したが、暴力団員に脅されて罪をかぶっていたことが判明した。実際は、暴力団員(21)が自分の恋人に「あいつとつきあうのはよくない」と言った無職少年(17)を殺そうと計画、9.24に暴力団員(20)と2人で頭をビンで殴った上に少年らに蹴らせて殺害、未成年なら罪が軽くなるからと言い含め自首させていた。


昭和46年(1971).2.〔成人向き週刊誌や映画に刺激され女子高校生をモーテルに連れこみ強姦した無職少年〕
 17歳の無職少年は、親の離婚等から父母に反抗し、成人向き週刊誌や映画等を見るようになり、セックス場面等から性的に著しく刺激されていたところ、駅で中学生等時の同級生の17歳の女子高校生を認め、ドライブに誘いモーテルに連れこみ、抵抗する同女の首をしめるなどして強いて姦いんした。(三重2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和46年(1971).4.〔保護観察中少年らの広域機動窃盗事件〕
 中等少年院を仮退院し、保護観察中の無職少年(18歳)2人が正業をきらって家出し、生活資金、遊興費を得るため車を盗んで足がわりにし、高知、大分等、四国、九州の7県下にわたり事務所荒らし等13件(133万円相当)の窃盗を敢行していた。(鹿児島4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和46年(1971).4.〔無職少年らの自動車利用広域窃盗事件〕
 正業をきらい、喫茶店等をたまり場にけんか、たかり等の非行をくり返していた無職少年5人組(18歳、19歳)が、警察の動きを察知して家出し、旅費がないので自動車を盗み、これを足にして大阪、兵庫、岡山、山口等の各府県下において窃盗10数件を敢行していた。(和歌山4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和46年(1971).4.〔非行少年グループの広域窃盗事件〕
 中学時代の非行グループらが、卒業後も正業をきらいパチンコ店、喫茶店等をたまり場にボンド遊びや不純異性交友をくり返すうち9人のグループ(16歳〜17歳)にふくれあがり、遊興費に窮し盗んだ車を利用して大阪、広島、福岡等9府県下において窃盗等103件(417万円相当)を敢行していた。(大阪4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和46年(1971).5.11〔16歳ニートが弟を虐待殺人〕
 宮崎県児湯郡の農家で、無職の兄(16)が小学2年生の4男(7)を殺害した。1か月前から嫌がる弟を空手の相手にして、投げ飛ばして頭を打って脳内出血にさせたもの。内蔵破裂と肋骨骨折もしていた。


昭和46年(1971).5.〔盛り場を根城にした輪姦グループ〕
 名古屋駅前の盛り場をはいかいしていた無職少年20人の不良グループが、シンナー乱用、窃盗の非行を重ねるかたわら、盛り場に集つた家出少女ら7人をアパートヘ連れ込み輪姦したうえ、グループ員に加え組織の拡大をはかつていた。(愛知5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和46年(1971).5.〔外国バンドマンを追って家出した少女乱交グループ〕
 外国楽団のバンドマンにあこがれた少女約20人が家出をし、大阪、東京、九州など、公演地を転々と追いかけてはバンドマンと乱交したり、歓心を買うため街頭に立って売春を行なってはバンドマンに貢ぎ、性病患者となった少女も見受けられた。(大阪5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和46年(1971).7.21〔中2が友達欲しいと放火〕
 東京都保谷市の中学校で、2年生(14)が放火して10の教室が全焼、7.23に逮捕された。「少年院に入って友達をつくるためにやった」と自供。両親は離婚してホステスの母親と高給マンションに住み、学校にはまったく行っていなかった。


昭和46年(1971).9.〔留守家庭をたまり場として乱用していた中学生グループ〕
 中学生9人(うち女1人)と無職少年2人は、少年らの留守家庭をたまり場に、帰校途中もしくは怠学して市内書店から買ってきた接着剤の乱用にふけっていた。(北海道9月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和47年(1972).1.2〔中2女子らフーテン4人が乱暴して復讐される〕
 東京都新宿区の新宿駅で、無職(19,20,21)、中学2年生女子(14)のフーテン4人が、千葉県から上京したばかりのコック(23)にリンチを加えて前歯を折った。コックは復讐するため地下で4人を見つけ、小刀で切りつけて19歳を殺害、20歳を重体、21歳と中2女子に傷害を負わせた。


昭和47年(1972).1.〔シンナーで昏酔させた強盗強姦事件〕
 無職(15歳)H少年は、中学当時シンナー遊びで知り合ったK少年(14歳)と家出中に、通行中のA女(20歳)を認めるや劣情を催し、シンナーを浸した脱脂綿を口鼻に押しつけて昏酔させて姦淫したうえ所持金品を奪った。(福岡1月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和47年(1972).2.〔ボンド乱用グループを広め、その資金ぐりに非行〕
 無職少年(17歳)O少年ら4人は、ボンド遊びに興じ、これら少年と交際を深めた他の少年5人もその影響を受け、集団で乱用をくり返すようになり、資金に窮して強窃盗など21件におよぶ非行を重ねた。(福島2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和47年(1972).3.4〔18歳卒業生が中学教師を復讐殺人〕
 兵庫県城崎郡の中学校保健室で、無職(18)が教師(35)を殺害、すぐに逮捕された。在学中の3年前にブラスバンド部員だったが、友人にトランペットを借りて練習していると「借りてまで練習することはない」とみんなの前で友人と2人とも殴られ、復讐の機会を窺っており、この日に殺害を計画してナイフを買って訪ねたもの。中卒後に工員となったが1週間ほど前に辞めていた。


昭和47年(1972).4.〔17歳の無職少年、深夜酔払いと口論の末、登山ナイフで刺殺〕
 17歳の無職少年、深夜酔払いと口論の末、登山ナイフで刺殺(目黒) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和47年(1972).6.13〔小6が父親に叱られ自殺〕
 北海道札幌市で、小学6年生(11)が首吊り自殺した。登校拒否をしており、放浪癖があり、父親に叱られたため。継母だった。


昭和47年(1972).8.〔シンナー乱用常習者による強姦致傷事件〕
 無職(19歳)K少年は、ボーリング場の便所内でシンナーを吸入中、気が大きくなり女子便所から出てきた女性(22歳)を姦淫せんと暴行を加えたが、同女の強い抵抗によって目的をとげなかったが、K少年はこれまでにシンナー乱用で10数回補導されていた。(岩手8月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和47年(1972).11.14〔中1が1人で育てていた弟を折檻殺害〕
 大阪府摂津市の自宅で、中学1年生の長男(13)が妹(1)をいじめる次男(2)をせっかんして殺害した。父親(39)は先月蒸発、継母はホステスとして働きに出て家に帰ってこないために、長男が学校に行かずに継母との間にできた子供2人を育てていた。妹のおもちゃを取り上げて泣かせるので、弟の顔や腹に殴る蹴るの乱暴を働いたもの。


昭和47年(1972).11.〔窃盗、家出癖のある17歳少女の爆破予告〕
 無職少年(17歳)の少女は、市内の病院に入院中、爆破予告の犯人があがらない新聞記事を見て、警察が犯人をあげるかどうかを確かめるため、国鉄延岡駅に対し、爆破するという内容の脅迫文を投函した。(宮崎11月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和47年(1972).12.〔19歳の少女シンナー中毒死〕
 無職19歳の少女、ラッカーシンナーをビニール袋に入れ、押入れで吸入、中毒死す(八王子)
 本年中のシンナーを接着剤による中毒死は少年4人、成人2人、計6名をかぞえる 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和48年(1973).3.15〔18歳ら2人が幼児誘拐殺人〕
 神奈川県横浜市で、コック見習い(18)と無職(22)が男の子(6)を車で誘拐、身代金要求の電話を掛けたが留守だった。顔を見られたために、その日のうちに包帯で絞殺、死体を港に捨てた。翌日発見され、4.10に逮捕。18歳は会社社長の息子。高校中退してシンナー販売や自動車窃盗で前科がある。スナック開店資金を稼ぐために計画したもの。


昭和48年(1973).3.17〔29歳ニートに悲観して父親が殺人未遂〕※参考
 北海道赤平市の自宅で、父親(59)が就寝中の長男(29)の頭をマサカリで殴って1ヶ月の重傷を負わせていたが目覚めた長男にマサカリを取り上げられ、妻(55)の頭を鉄針で殴って1ヶ月の重傷を負わせて殺人未遂で逮捕された。2年前に定年退職して退職金で暮らしていたが、長男が働かずにぶらぶらしているので将来を悲観して2人を殺害して自殺しようとしたもの。


昭和48年(1973).4.4〔19歳が恋人を未必の故意殺人〕
 大阪府守口市のアパートで、無職(19)が滞納していた家賃を請求されるのを恐れて、妊娠して衰弱していた同棲中の女子(18)を部屋に置き去りにして鍵をかけて家出、女子が死亡した。死ぬかもしれないと思っており、未必の故意の殺人罪として、大阪地裁は懲役2年6ヶ月の判決。


昭和48年(1973).7.〔保護観察中のバーホステスをリーダーとする高校生らの桃色グループ〕
 保護観察中のバーホステスA(18歳)と無職B(16歳)の少女2名は、不良性を帯びた高校生らを次々に誘惑して13名からなる不良グループを形成し、自分らの居住するアパートを提供して、飲酒、喫煙等を行ったり、不純異性交遊にふけるなど不良行為を重ねていた。(石川7月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和48年(1973).8.〔遊び仲間を傷害していたシンナー乱用常習少女3人組〕
 無職少女3人(いずれも19歳)は、シンナー乱用の常習者であるが、中学時代からシンナー乱用の仲間であったA子(無職17歳)の部屋を訪れ「ボンドを吸え、俺達のボンドが吸えないか」といんねんをつけ、スリッパ等で同女の頭部、顔面を殴打し、全治10日間の傷害を与えたほか、中学時代の遊び仲間のB子(バーホステス18歳)に対しても「友達づきあいが悪い」等の理由をつけ、煙草の火を押しつけ、あるいは髪を切る等の暴行、傷害を加えていた。(岩手8月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和48年(1973).9.〔シンナー乱用に伴う無職少年の実父殺害〕
 少年(無職19歳)は、ボンド等乱用により精神病院入院歴のあるものであるが、平素から注意され強い不満の念を抱いている実父に当日も叱責されたことに憤慨し、同人の頭部、顔面等を電気アイロンで殴打し、更にアイロンのコードで首を締めて殺害し、更に死体にシンナーをかけ点火して逃走したが自然消火し放火未遂に終った。(青森9月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和49年(1974).4.9〔中3が教室で集団レイプ〕
 大阪府大阪市住吉区の中学校で、3年生12人が同級生の女生徒5人を放課後の音楽準備室で6回も集団レイプしていたことがわかり逮捕された。すでに3月に卒業しているが全員が無職。


「警察白書」の昭和49年(1974)事例引用
 無職少年(16)が家庭の不和を苦に無一文で家出し、当初は食費を得るため空き巣ねらいをはたらいていたが、予想外の成功に自信を持ち、発見保護されるまでの約2箇月間に空き巣ねらい10件、学校荒らし20件の非行を重ねていた(京都)。





昭和50年(1975).1.〔19歳がトルエン吸って交通事故〕
 19歳の無職少年は、トルエンを乱用して乗用車を運転中、運転を誤り、タンクローリーに衝突させ、同乗者3名に重軽傷を与えた。(1月、愛知) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和50年(1975).2.18〔28歳が預かった3児殺す〕※参考
 千葉県千葉市で深夜0時過ぎ、無職(28)が預かって育てていた長男(5)、長女(4)、次女(2)の3人を殺害、逮捕された。父親(42)と母親(26)はそれぞれ愛人をつくって昨年末に家出、3年前から居候になっていた無職が内縁の妻のトルコ嬢(25)と2人で育てていたが、夜泣きにカッとして裸にして蹴飛ばしたり木刀でめった打ちにして、全身打撲と内臓破裂で死亡させて、外出しているうちに何者かに殺されたと偽装していた。


昭和50年(1975).8.21〔16歳ひきこもりが母親に同棲させられる〕
 北海道札幌市で、カップルが万引きで捕まった。少年(16)はIQ130だが勉強嫌いで成績も悪く、今春中卒後は親に勧められても高校には進学せず仕事にも行かず家でひきこもっていた。母親は結婚すれば勤労意欲が湧くだろうと、アパートを借りて高価な家財道具を月賦でそろえてやり、勉強嫌いで高校を1ヶ月で中退した家事手伝い少女(16)をそそのかして家出させて息子と同棲させた。しかし、少年はアパートに1日中ひきこもって、家財道具を質入れしたり少女にホステスをやらせて暮らしていた。母親は未成年に淫行をさせる罪で逮捕された。少女は妊娠3ヶ月。


昭和50年(1975).8.〔18歳がトルエン吸って交通事故死〕
 18歳の無職少年は、トルエンを吸入しながら普通乗用車を運転中、運転を誤ってコンクリート橋に衝突させ、自己は死亡、同乗者の友人4名には重軽傷を与えた。(8月、埼玉) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和50年(1975).9.3〔高1が口うるさい祖母を絞殺〕
 埼玉県越谷市の自宅で、二男の高校1年生(15)が祖母(60)を殺害した。成績は良かったがガリ勉とからかわれ友達もいないことから学校に行かなくなり、祖母から「勉強しなくちゃだめ」と強く叱られた。「口うるさいし、いっそのこと殺してやれば心配させなくてすむ」と祖母を紐で絞殺、死体を洋服ダンスのなかに隠した。家族が行方不明になった祖母を捜し回っているのを尻目に死体のある部屋で寝ていたが、2日後に自首したもの。無口でおとなしい真面目な性格だった。


昭和50年(1975)..〔18歳少女が家出して売り飛ばされる〕
 無職少女(18)が、遊び癖から家出し、喫茶店で知り合った暴力団員に「芸妓として働け」と強制され、前借金22万で芸妓置屋に売り渡された。(愛知) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


「警察白書」の昭和50年(1975)事例引用
 無職少年(17)は、シンナーを吸入しながら普通乗用車を運転して走行中、運転を誤って岸壁から海中に転落し、同乗していた男女3人の少年とともに死亡した(千葉)。


昭和51年(1976).1.11〔19歳が県庁破壊〕
 徳島県徳島市の徳島県庁に、無職(19)がガラスを割って暴れ込み、知事室など10の部屋に押し入ってテレビを破壊するなど滅茶苦茶にして捕まった。「県政は貧乏人の声を無視している」などと大声で主張。


昭和51年(1976).1.24〔16歳が友人の姉をレイプ殺人〕
 東京都台東区の自宅で、経理学校の女生徒(18)が刺されて重体となり、無職少年(16)が捕まった。女生徒は友人(16)の姉で、レイプしようと覆面して押し入り、手を縛ったが抵抗されたので用意していた牛刀で胸を刺したもの。
 傷害、恐喝などの補導歴があり、弟からもナイフで脅して現金やレコードなどを巻き上げていた。


昭和51年(1976).4.8〔19歳2人が同窓生19人を脅して金を奪う〕
 神奈川県横浜市で、無職少年(19)と私立大学2年生(19)が、中学のときの級友19人を恐喝し、学生ローンから金を引き出させ、317万を脅し取っていたとして逮捕された。この年の大卒初任給91,700円。


昭和51年(1976).5.28〔25歳ニートが母親殺害〕※参考
 埼玉県大里郡の農家で、無職の長男(25)が母親(50)の頭を農具で突き刺して殺害、父親(57)をツルハシで殴って重体として逃走、すぐに逮捕された。精神病院に入院歴があり、シンナーを吸ってぶらぶらしていた。


昭和51年(1976).10.26〔24歳母親、絞殺した子の死体をカートに詰め旅行〕※参考
 埼玉県の無職女(24)が長女(11ヶ月)と心中しようと各地を転々として福岡県で絞殺したが、自分は死ねずに子の死体をショッピングカートに詰めて旅行。28日に名古屋で自首した。男は妊娠を知ると逃げ出した。


昭和51年(1976).10.30〔35歳ニートが父親刺殺〕※参考
 東京都葛飾区の自宅で、無職の長男(35)が父親(68)を殺害、逮捕された。働かずに酒ばかり飲んでいるので家族でトラブルが絶えなかったが、酔っぱらって小遣いを要求して父親に叱られたためカッとして包丁で心臓を何度も刺したもの。


昭和52年(1977).3.12〔17歳がシンナー中毒で人質事件〕
 東京都杉並区のマンションに、無職(17)が包丁を持ってやって来て窓ガラスを割り「出てこい」と叫んだ。返事がないと隣の部屋に押し入り男性(39)の胸を刺して1ヶ月の重傷を負わせ、さらに他の部屋に押し入り男性(48)の顔を切って10日の傷害を負わせて人質として訳の判らないことを言いながら立て籠もったが、1時間ほどすると「どうもすいません」と言って部屋を出て、警察に捕まった。シンナー常習者でウイスキー1本を飲んで泥酔していた。


昭和52年(1977).3.16〔5歳から13年間監禁されていた少年発見〕※参考
 大阪府大東市で、無職(56)が長男(18)を納屋の檻の中に13年間監禁しているのを、近所の小学4年生が発見して通報した。妻と離婚して、代わりに育てていた祖母が死んだため閉じ込め、栄養失調のため小学3年生程度の体格で歩行困難、言葉も一言も喋れない。大地主で裕福な家だった。


昭和52年(1977).5.27〔集団リンチ受けた女子高生、自宅で感電自殺〕
 大阪府松原市の自宅で、高校2年生女子(16)がタイマーを使用して感電自殺した。2週間前に同級生女子に「あんたは字がへたや」と言ったことから、女子7人にチェーンで殴られるなどの集団リンチ受け、登校拒否となっていた。


昭和52年(1977).5.30〔26歳東大生ニートが金閣寺自殺しようとして隣人刺殺〕※参考
 東京都文京区のアパート自室で、東京大学工学部建築学科4年生(26)が放火、留めようとした隣室の男性(44)の脇腹を果物ナイフで刺して殺害、すぐに逮捕された。三島由紀夫『金閣寺』のように自殺しろという神のお告げを聴いたと自供。1年前から精神が不安定となり休学、独り暮らしで医者には行っていなかった。


昭和52年(1977).7.3〔17歳の男2人が『男組』あばよ心中〕
 埼玉県入間郡の畑で、高校生(17)と無職(17)の少年2人が鎮痛剤を飲んで心中した。マンガ『男組』の「五家法連」をマネたグループの友人に「レーサーになるなら俺の代わりに頼むよ。あばよ」「勉強にすべてにがんばれよ。あばよ」「もう、俺は疲れた。あばよ」という遺書を遺していた。黒いスーツで正装していた。


昭和52年(1977).8.28〔17歳女子ニートが甥をせっかん殺人〕
 神奈川県横須賀市の自宅で、無職女子(17)が姉の長男(1)の頭を2回殴って殺害、遺書を残して家出した。秋田県男鹿市の私立高校を中退して春から姉と同居、姉がホステスの仕事をしている時は子どものお守りをしており、日頃から泣くと折檻していた。


昭和53年(1978).1.〔トルエン乱用常習の無職少年、乱用中誤って窒息死〕
 トルエン乱用常習の無職少年、乱用中誤って窒息死。(練馬) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和53年(1978).2.14〔中2ら7人が学校で覚醒剤乱用〕
 京都府宇治市の中学3年生(15)2人と2年生(14)5人の男女7人が、覚醒剤を乱用していて捕まった。先輩の無職(19)に密売所を紹介され、自宅や学校のトイレで注射器を使って打っていたもの。中流家庭の子弟ばかり。


昭和53年(1978).3.1〔中1が祖母を殴り殺す〕
 埼玉県川口市の自宅で、長男の中学1年生(13)が祖母(67)を殺害した。中1生の両親は離婚して父親と同居していたが食事は祖父母の家で面倒見てもらっていた。友人と電話していたが「そんな悪い友達とつきあうのはやめなさい」と祖母がネギを持った手で中1生を引っ張ったため白いセーターが泥で汚れた。日頃から「お前が悪いから母親が逃げたんだ」と言われていたこともあって、カッとして殴る蹴るの乱暴をくわえて内臓破裂で死亡させたもの。学校は欠席がちで担任が毎日迎えに行っていた。


昭和53年(1978).4.27〔中3が入院中の友人を刺殺〕
 福岡県福岡市の病院で、中学3年生(15)が高校1年生(15)を刺殺。いじめのためノイローゼとなって1年間休んで留年しており、3.31に「いじめの仕返しをするので助けてくれ」と元の同級生だった高1生を騙して誘い出し、路上で刺して2週間の傷害を負わせて補導されており、その時の傷で入院中の高1生を訪れ登山ナイフでめった刺しにしたもの。


昭和53年(1978).9.4〔高2ら2人が老女標的にひったくり〕
 東京都太田区で、無職(16)と高校2年生(16)の2人が、老女(64)から現金1万7千円入りの手提袋をひったり、1週間の傷害を負わせた。バイクのガソリン代欲しさ。


昭和53年(1978).9.6〔高1ら7人が老女標的にひったくり〕
 東京都杉並区の無職や高校1年生(15〜16)7人のグループは、生活保護を受けている老女(81)から現金9千円入りの手提袋や老女(77)から現金2万2千円入りの手提袋をひったくったのをはじめ、2ヵ月間に老女ばかりを標的に18件11万円相当のひったくりを犯していた。「追い掛けてこないのでお婆さんばかりを狙った」と自供。ゲーム代や遊ぶ金欲しさで、自転車を使って、1人が失敗すると別の者が再度ひったくる手口。


昭和53年(1978).10.〔17人の少年から現金を恐かつしていた無職少年を補導〕
 少年補導員と欺称し、17人の少年から現金を恐かつしていた無職少年を補導。(丸の内) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和54年(1979).2.12〔17歳女子が刑務所入るため通り魔殺人〕
 大阪府大阪市ミナミの地下街のトイレで、無職女子(17)が側の洋品店の女性店員(25)を殺害した。「誰でも殺せば刑務所に入ることができて家に帰らずにすむ」と刺身庖丁を買い、「女子トイレなら鏡に向かってじっと立っているので思いっ切り刺せる」と背中から刺したもの。
 母親は幼い頃に家出して、父親と兄と3人家族。中卒後に職を転々としてたびたび家出、2年前には覚醒剤乱用の前科がある。3ヶ月前に祖父が亡くなってからおかしな言動をするようになり、覚醒剤の影響があるものと見られている。


昭和54年(1979).4.29〔高1ら登校拒否治療の男女心中〕
 福岡県福岡市の病院で、県立高校2年生(18)と私立女子高校1年生(17)が飛び降り自殺。男子は名門高校で成績優秀、読書好きのスポーツマンだったが、登校拒否となって1年間休学、女子も明るい性格だったが登校拒否となり、治療のためにこの病院に入院して知り合ったもの。


昭和54年(1979).4.〔銀行を脅迫し、1,000万円を脅しとろうとした無職少年を補導〕
 遊ぶ金欲しさから、「時限爆弾を仕掛けた」と銀行を脅迫し、1,000万円を脅しとろうとした無職少年を補導。(丸の内) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和54年(1979).5.〔ゲーム代欲しさに強盗や盗みを重ねていた無職少年を補導〕
 インベーダーのゲーム代欲しさに、団地、マンションなどで強盗や盗みを重ねていた無職少年を補導。(西新井) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和55年(1980).2.〔中2が不登校で父親の折檻受け自殺〕
 男子中学2年生(14歳)は、小学校就学前に机から落ち右腕を骨折したが、家族の治療で済ましたため、腕がくの字に変形し、中学生になってから約半年間入院治療したが完治せず、また、学業も遅れて授業についていけず、家は毎日出るが登校しない日が続いた。このため心配した担任教師が保護者に連絡したことから、父親が少年を叱って殴る、蹴るの暴行を加えたため、それらを苦にして海岸の断崖から飛降り自殺した(沖縄、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和55年(1980).5.23〔19歳がむしゃくしゃして通り魔〕
 神奈川県座間市の路上で、無職(19)が小学3年生(8)の脇腹を包丁で刺して重体として、すぐに逮捕された。父親の金を持ち出してパチンコをしたため母親に叱られ、むしゃくしゃして10人以上で集団登校していた小学生に襲いかかったもの。


昭和55年(1980).6.29〔18歳がシンナー中毒で母親に殺害される〕
 無職少年(18歳)は、1年前からシンナー吸入を繰り返していたが、本年6月ごろから眼が見えなくなり、大小便をたれ流すなど廃人同様となったため、母親が添寝をして身体をさするなどの介抱につとめていたが、母親の「シンナーをやめるように」との再三の注意も聞き入れないため、わが子の将来を悲観した母親が文化包丁で殺害した。(6月、大阪) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和55年(1980).8.30〔中2女子が酒乱のニート叔父を刺殺〕
 和歌山県和歌山市の自宅で、中学2年生女子(13)が叔父(46)の心臓を包丁で刺して殺害した。叔父は2年前からこの兄の家に居候していたが、働かずに酒を飲んで家族に乱暴を繰り返しており、この日も遊びに来た義兄(24)に殴る蹴るの暴行を加えていたのでカッとしたもの。無口で目立たない性格だった。


昭和55年(1980).12.〔中3が家庭内暴力のすえに放火〕
 学校では目立たない男子中学3年生(15)は、教育熱心な公務員の家庭で育てられたが、成績の良かった兄とことごとに比較されていやけがさし登校を拒否するようになり、それを注意する母親に殴る、けるの暴力を振るうようになった。12月の朝、母親に喫煙を発見されて言い争っているうち、少年は激高して自宅応接間に灯油をまいて放火し、家を全焼させた。母、子とも全身火傷で、母親は重傷を負い、少年は入院中に死亡した。(大阪) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和56年(1981).2.4〔校内暴力で丸坊主処分の中学生、登校拒否、ついに転校〕
 大阪府で校内暴力で丸坊主処分の中学生、登校拒否、ついに転校。


昭和56年(1981).3.9〔登校拒否の中学生のわが子殺し、母も自殺〕
 和歌山県で登校拒否の中学生のわが子殺し、母も自殺。


昭和56年(1981).3.28〔母親が娘に手伝わせて幼女殺す〕
 福岡県筑紫郡の自宅で夜10時、母親(32)が叱っても三女(5)が飛び跳ねるのをやめないためカッとしてカナヅチで背中を何回も殴り、長女(10)、次女(8)、四女(3)に手足を押さえさせて、口をふさいで窒息死させた。子供達に手伝わせて空き地に穴を掘って埋め、家出したと嘘をついて子供達にも口留めしていたが4.4に逮捕された。長女と次女を前の夫に、三女を施設に預けて再婚したが四女が産まれたあとに離婚、自分で育てたいと半年前に子供達を引き取ったが、三女がなつかないので殺したと自供。無職で生活保護を受けていた。


昭和56年(1981).4.〔17歳女子が恐喝〕
 女子無職少年(17歳)は、遊びぐせから家出し、友人宅等を転々と泊り歩いていたが、小遣銭欲しさから恐喝することを企て、友人2名の少女と共謀し、公衆便所において待ち伏せ、同所に入ってきた女子高校生を脅迫して現金4,500円のほか、化粧品等を喝取し、さらに同人を手拳で殴打するなどの暴行を加え、2週間の治療を要する傷害を与えた。(神奈川、4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和56年(1981).5.2〔家庭内暴力の高1を父親が絞殺〕
 男子高校1年生(15歳)は、中学2年ごろまでは成績もよかったが、3年生になると急に勉強をしなくなり、登校を拒否するようになった。これを注意する母親に対し、殴る、ける等の暴行を振るい、中学3年の秋ごろからさらにエスカレートして、玄関のガラスや襖等を椅子を振り上げて破ったり、食器類等を投げつけるなどの行為が続いた。犯行の前日、少年が「お前ら夫婦は別れろ。別れなければ俺がお前(母親)を殺してやる」と言って、電気コードで頸を絞めるような格好をしたので、父親は「もうだめだ、息子は人間社会に生きていけないだろう、息子を殺して自分も死のう」と決意、寝込んでいる息子の頸に革紐を巻きつけて絞め殺した。(東京、5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和56年(1981).7.16〔18歳がピアノうるさいと隣家の老夫婦を刺殺〕
 兵庫県竜野市の無職(18)が、深夜3時に隣家に押し入って老夫婦(72,68)の胸を包丁で刺して殺害、とめようとした嫁(36)に10日のケガを負わせた。裸足で上半身ハダカのまま交番に向かって自首。
 登校拒否となり4月に高校中退。自宅で大検を受けるための勉強をしていたが、ピアノがうるさいと隣家に何度も苦情を言っていた。


昭和56年(1981).9.6〔16歳が非行と家庭内暴力で父親に殺されかける〕
 千葉県船橋市の自宅で、無職の長男(16)が食事のことで母親(38)をののしったため、空きビン回収業の父親(40)が灰皿で頭を数度殴り33針のケガを負わせた。病院で父親は看病していたが、その日の深夜に近所の店でナイフを買い、就寝中の長男に馬乗りになって首を2回刺して重傷を負わせ、殺人未遂で逮捕された。自動車窃盗、ケンカ、シンナーなど繰り返し、中3の時に少年院に入って保護観察中。母親への暴力を続けていた。「このままでは家庭を壊されるので殺そうとした」と自供。


昭和56年(1981).11.24〔25歳ニートが母親に刺殺される〕※参考
 覚せい剤事犯の前歴を有する無職の男(25)は、10月ころから再び覚せい剤を乱用するようになり、仕事にも行かず、覚せい剤の購入資金を母親に無心して、渡さないと殴り掛かるなどの乱暴をするようになった。母親は、「このままでは他人に迷惑を掛けるかもしれない。」と将来を悲観し、11月24日、出刃包丁で息子を刺殺した(三重) 「警察白書」引用。


昭和57年(1982).2.13〔19歳ニートが遺産相続めぐり祖父を殴り殺す〕
 大阪府門真市の自宅で、無職(19)が祖父(80)の頭をカナヅチで滅多打ちにして殺害、すぐに逮捕された。2年前に私立高校を卒業して電気店に勤めたが辞めてぶらぶらしており、遺産相続のことでケンカしたもの。土地など莫大な資産があった。


昭和57年(1982).4.27〔高1がひきこもりと家庭内暴力のはてに父親刺殺〕
 新潟県新潟市の自宅で、高校1年生(16)が父親(53)を殺害した。内向的な性格で中学時代から親友もなく、趣味もなく家にとじこもりがちで孤独であったが、高校に入学してから登校拒否を続け、両親との口論が絶えず、家庭内暴力を振るようになった。犯行当日、母親が少年を精神衛生センターに連れていこうとしたところ、これを拒否して障子戸や襖を破るなどして暴れ、午後6時ころ帰宅した父親にそのことで厳しく注意されたことから、カッとなって先を鋭く研いだ曲尺で父親の胸を刺して殺したもの。


昭和57年(1982).7.4〔国立大名誉教授、孫に殺される〕
 京都府で国立大名誉教授、孫に殺される。制止の警官も殺され、母も刺される。


昭和57年(1982).7.4〔29歳通り魔が幼女など3人刺殺〕※参考
 佐賀県武雄市の路上で、無職(29)が主婦(29)の首をナイフで刺して重体とし、傍の寺に侵入して住職の妻(25)に重傷を負わせ、長女(5)、次女(3)、お手伝い(21)の3人を刺殺、すぐに逮捕された。「何をしたのか判らない」と自供。精神分裂病で昨年の3月まで入院していた。


昭和57年(1982).9.〔中3が校長脅して卒業証書を出させる〕
 中学3年生(14歳)は、暴力団事務所に出入りするシンナー常習者で、学校にもほとんど登校しなかったが、授業に出ないで卒業しようと考え、シンナーを吸って校長室に入り、テーブルを蹴る等して暴れながら校長等に対し「週3日で卒業させろ、承諾書を書け」などと強談判し、校長をして「週3日登校すれば卒業証書を授与する」旨の承諾書を作成させた。(神奈川、9月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和57年(1982).10.25〔小5登校拒否1ヶ月、母思い余って殺し、自殺〕
 神奈川県で小5登校拒否1ヶ月、母思い余って殺し、自殺。


昭和58年(1983).1.7〔17歳が家庭内暴力、祖父が孫を殺害〕
 無職少年(17歳)は、高校3年に進級したころから登校拒否を続け、家族が注意するとこれに反発して暴力を振るうようになった。2学期に入り高校を自主退学し、トラック助手として、アルバイトを始めたが、家族への暴力はますますエスカレートし、午前11時ころ少年が起床し、朝食後、そのまままた寝たため、祖父(77歳)が注意したところ、少年が反発したことから思いあまった祖父は将来を悲観し、くい打ち用の木ヅチで少年を殴打。死亡させた。(1月秋田) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和58年(1983).2.2〔中1が1600万円盗んで豪遊〕
 東京都渋谷区千駄ケ谷の路上で、中学1年生(13)が車をドライバーで開けて通帳を盗み銀行で1千6百万円を下ろした。デート嬢(18)とホテルに泊まるなど豪遊して、3.7にサウナで捕まった。裕福な家庭だったが父親の経営している会社が倒産して両親は別居、学校には行かず遊び歩いていた。この年の大卒初任給109,100円。


昭和58年(1983).5.6〔働きなさいと祖母に叱られ、15歳少女が絞殺〕
 大阪府で働きなさいと祖母に叱られ、15歳少女が絞殺。


昭和58年(1983).5.〔高1が叔父家族襲う〕
 男子高校1年生(16歳)は、中学校の教員が進路指導を誤ったために自分が希望する高校に入学できなかったと思いこみ、4月下旬から登校拒否するようになった。たまりかねた母親は、父親が単身赴任中で不在のため、父親の弟(叔父)に注意してもらったところ、これを逆恨みし、切り出しナイフを持ち、全身に灯油をかぶったまま、父親の弟(叔父)方を訪れ、居あわせた同妻(叔母)に「おじさんは俺の悪口を言っているだろう。こうなったら、俺はやるしかない。」などと怒鳴り、持っていたナイフをかざして、同妻に襲いかかり、こぜりあいになり、近くにいた同妻の次男(いとこ、3歳)の胸部を刺し全治2か月の重傷を与えた。(愛知、5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和58年(1983).8.18〔登校拒否は私の責任、小学生のわが子殺し、母自殺〕
 大阪府で登校拒否は私の責任、小学生のわが子殺し、母自殺。


昭和59年(1984).2.〔高1女子が母親に暴行〕
 一人娘で両親の過保護下で育った女子高校1年生(15歳)は、不良グループと交際するうち知り合った18歳の無職少年と同棲を始め高校も中退し、その後、生活費が無くなる度に自宅に戻り母親に無心ていたが、母親が注意したり、無心を断わると大声で罵声をあげながら髪を引っぱるなどの暴力を加え、次第にエスカレートしていき、ついには母親に殴る、蹴る等の暴力を加え、肋骨骨折させたうえ、沸騰した湯を浴せて火傷させるなどの暴力を振った。(山形、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和59年(1984).6.13〔閉じこもり気味の小6の娘の将来を悲観、父が殺し、自殺はかる〕
 大阪府で閉じこもり気味の小6の娘の将来を悲観、父が殺し、自殺はかる。


昭和59年(1984).6.24〔18歳ニートが金属バットで祖父殺害〕
 北海道千歳市の自宅で、無職(18)が祖父(67)を殺害した。借金のことでケンカとなって「出ていけ」と言われてカッとして、金属バットでめった打ちにしたうえ、包丁で背中や両手首を切り、ポケットから現金1万円を奪って逃走、スナックで酒を飲んでいるところを捕まった。札幌地裁は5〜10年の不定期刑判決。


昭和59年(1984)..〔家庭内暴力の数〕
 昭和59年中に少年相談や補導活動等を通じて警察が把握した家庭内暴力少年は第59表のとおり1,131人で、前年に比べ266人(19.0%)減少した。学職別にみると、中学生が427人(37.8%)で最も多く、次いで無職少年333人(29.4%)、高校生が247人(21.8%)の順となっており、前年に比べ、有職少年が32.7%減、中学生が28.1%減、高校生が21.1%減とそれぞれ大幅に減少したのが目立っている。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」昭和59年版引用。





昭和60年(1985).1.9〔16歳ニートが車内で老人に暴行〕
 東京都の営団地下鉄千代田線車内で、無職少年(16)が友人(19)と大声で歌を歌ったり座席に寝そべったりしていたので、男性(65)が注意したところ殴る蹴るの暴行を加えて1週間の傷害を負わせ、逃走したが25日に逮捕された。これまでも煙草を捨てたことを注意した駅員を殴ったり、万引きなど12回の補導歴があり、保護観察中。中学卒業以来ぶらぶらして家には帰らず新宿の会員制友人紹介サークルで知り合った友人のアパートなどを泊まり歩いていた。
 この頃、電車やバス車内での暴力事件が続発し、乗客が見て見ぬ振りをすることと合わせて大きな社会問題となっていた。


昭和60年(1985).2.1〔19歳ら4人が学長拉致監禁殺害〕
 東京都港区のマンションで、不動産ブローカー(31)と元暴走族の無職(20)2人の3人組が宅配便を装って押し入り、長野経済短大学長(72)を殴って木箱に入れ、2千万円以上の宝石を強奪し、無職少年(19)運転の車で自宅に拉致監禁、死んでしまったのでコンクリート詰めにして遺棄しようとセメントを買い込んだ9日に逮捕された。昨年、学長の家を勝手に販売して手付け金を騙し取っていたが、買い手に家を引き渡すように迫られたため殺して乗っ取ろうとしたもの。無職少年は強盗殺人幇助罪。


昭和60年(1985).2.〔中3女番長3人が100万円恐喝〕
 中学校在学中に女番長だった無職A子と公立中学2校の番長を名乗るB子、C子(いずれも15歳)の3人は、後輩の女子中学生数10人から現金100万円以上を脅し取って恐喝と暴力行為で逮捕。(大森署、少年第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和60年(1985).3.9〔19歳浪人生が母親を殴殺〕
 神奈川県横浜市の自宅で、浪人生(19)が母親(43)を石で殴り殺した上、「明治天皇が殺せと命令している。指令が聞こえるか」と言いながら高校2年生の妹(17)にも包丁で顔や手など10数カ所に3週間の傷を負わせたが、妹はとっさに「聞こえますお兄ちゃん。明治天皇が110番しなさいと言っているよ」と答えると、自分で警察に通報した。受験のストレスによる犯行。


昭和60年(1985).3.28〔高1ら4人組が女子高生を誘拐監禁レイプ〕
 京都府京都市の私立高校1年生(16)とこの高校の寮監(22)、OBの店員(17)、少年(17)の4人組が、雑誌で知り合った文通相手の神奈川県横浜市の高校1年生女子(16)を去年の10.21に誘拐して車で連れ去り、10時間以上に渡って車内で繰り返しレイプして京都で放り出し、この日に逮捕された。
 家庭内暴力や登校拒否の生徒を寮生活させるスパルタ高校で、体罰の激しさに脱走する生徒が多く、この日も逃走した生徒を連れ戻すため車で横浜に行った帰りに女子高生を呼び出したもの。


昭和60年(1985).4.〔15歳が無免許暴走で警察官轢く〕
 今春中学校を卒業した無職少年(無免許運転)は、仲間とオートバイを乗り回し暴走をくり返していたが、現場に急行した警察官の制止を振り切り、はねて逃走し、公務執行妨害、業務上過失傷害、無免許運転で逮捕。(池上署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和60年(1985).5.〔17歳が29件の放火〕
 金を貸してくれなかったり、振られた女の子が近くに住んでいるので腹いせに火をつけ、3か月の間に杉並、武蔵野地区で29件の放火を行った無職少年17歳を現住建造物放火で逮捕。(杉並、武蔵野署、捜査第一課) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和60年(1985).7.8〔15歳ニートが両親を殺害〕
 北海道札幌市の自宅で、無職の長男(15)が、父親(42)と母親(41)を斧で殴殺、中2の長女(13)も重体となった。就職せずにいる事を咎められての犯行。両親はしつけが厳しく、反発して中学に入ってから家庭内暴力を続けていた。


昭和60年(1985).8.17〔15歳が祖母を殴殺〕
 北海道上川支庁で、無職の少年(15)がまさかりで祖母(64)の頭を殴殺。20日に2本の包丁を隠し持ち、逃走している所を逮捕された。今月の初めから祖父母と同居していた。


昭和60年(1985).10.4〔28歳ニートがエスパーから逃れるため幼女殺害〕※参考
 神奈川県横浜市で、無職(28)が登校のため自宅を出た小学2年生の女の子(7)を待ち伏せして肉切り包丁で胸を刺して殺害、悲鳴で飛び出した父親(38)に1週間の傷害を負わせて逮捕された。「女の子は自分の心を読むエスパーで逃れるために殺した」と自供。法政大学法学部を卒業したが、幻覚症状のため働かずにぶらぶらしており、向かいの自宅から女の子を殺害する機会をうかがっていた。心神喪失で不起訴。


昭和60年(1985).10.22〔15歳らニート5人組が面白半分にホームレス襲撃〕
 東京都板橋区の荒川河川敷で、無職少年(15〜19)4人と無職(20)の5人グループが、ホームレス(42)を金属バットやバールで袋だたきにして6ヶ月の重傷を負わせて橋の下に放置、11.9に傷害で逮捕。ぶらぶらして遊んでくらしており、「浮浪者いじめ」を計画したもの。他人の名前で寿司を注文して食べて詐欺で捕まり、自供した。


昭和61年(1986).1.〔17歳家庭内暴力長男を母親が絞殺〕
 48歳になる母親は、長男の無職少年(17歳)の家庭内暴力(朝早く、もちを焼けと命じ、焼いて届けた母親の顔にもちを押しつけ、さらにバリカンで母親の髪を刈ろうとする長男の暴力)に対し「殺される」と逆襲し電気コードで絞殺。(小松川署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和61年(1986).6.11〔17歳が父親を保険金殺人〕
 岡山県和気郡の自宅で、長男の土木作業員(17)が父親(46)を連れ出して車の中で絞殺、交通事故を装って道路脇の溝に捨てて逃走したが、すぐに逮捕された。父親が暴力を振るい、サラ金の借金もあるので殺害して保険金を取ろうと雇い主の解体業者(32)に持ちかけて、4千万円の保険をかけてから実行したもの。母親(42)は1月に家出、中学3年生の長女(15)は登校拒否で去年9月に狂言強盗事件を起こしていた。


昭和61年(1986).8.〔シンナー中毒の1人息子を殺した母親に温情判決〕
 家庭内暴力を続けるシンナー中毒の1人息子(無職少年)の首を絞めて殺し、殺人罪に問われていた母親に、「生きることが償い」と温情の猶予判決。(東京地裁) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和61年(1986).9.10〔19歳が車買うのを反対され祖母殺害〕
 千葉県千葉市小中台町の自宅で、女性(80)が殺害され、孫の無職(19)が捕まった。車を買うため預けていた自分名義の預金通帳を返してもらおうとしたが、反対されて、カッとして金属バットで頭をめった打ちにしたもの。


昭和61年(1986).9.〔31歳ニートが幼児殴り通り魔〕※参考
 無職31歳の男は、半年以上にわたり、登下校途中などの小学校児童や幼稚園児ばかりを狙って、200人以上にいきなり無言のままこぶしで頭などを殴りつけては自転車、バイクで逃走(ぶん殴りおじさん、ゴツンコおじさん)し暴行で逮捕。(恥かかされ、子供嫌い〜動機)(小平署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。


昭和61年(1986).10.21〔16歳がいじめ訴訟を起こしホームで殺害されかかる〕
 東京都西多摩郡羽村町の中学を卒業した少年(16)が、中学時代にいじめを受けて登校拒否になったことに対して損害賠償請求訴訟を起こしていたが、青梅線羽村駅のホームで40代のスーツ姿の男5人に取り囲まれて「何百万も取って終わりにしたのに訴訟を起こすとはなんだ」と蹴飛ばされ、電車がやってくる直前に背中を押されたが、危うく線路に転落することはなかった。3年生で生徒会副会長になってからたびたびリンチを受けていた。


「警察白書」の昭和61年(1986)事例引用
 無職少年(15)ら2人は、遊興費欲しさに、顔見知りの1人暮らしの高齢者(69)宅に侵入し、タンス等を物色中、同人に発見されたためこれを殺害した上、現金等を強取した(鹿児島)。


昭和62年(1987).4.12〔18歳がストーカー殺人〕
 東京都台東区浅草のマンション自室で、継母(32)が絞殺され、長女(18)と交際していた無職少年(18)が15日に逮捕された。2年前から交際していたが、長女が去ったため寄りを戻そうと押し掛けて激昂したもの。


昭和62年(1987).5.10〔16歳2人が児童相談所職員殺し少女連れ去る〕
 青森県の児童相談所で、無職少年(16)2人が侵入し、中学2年生の少女(13)をレイプするため連れ出そうとしたが、当直の職員に気付かれたため、暴行を加え、内臓破裂により殺害した。


昭和62年(1987).6.16〔高校生、登校するよう注意され母を刺す〕
 大阪府で高校生、登校するよう注意され母を刺す。


昭和62年(1987).7.1〔無職の17歳少年、16歳少女をダシに恐喝〕
 兵庫県で無職の17歳少年、16歳少女をダシに恐喝。


昭和63年(1988).2.26〔中3ら6人組がスカッとするためホームレス襲撃〕
 東京都台東区山谷地区の路上で深夜2時、中学3年生2人、高校1年生2人、無職少年(16)2人の6人組が、日雇い人夫(46)をナイフで刺して2週間の傷害を負わせ、直後に公園で寝ていたホームレス(53)を看板で殴って2週間の傷害を負わせ、3.16に逮捕。暴走族にからまれてむしゃくしゃして、「スカッとするため」と自供。


昭和63年(1988).2.29〔中3の2人が賭博の借金返せないとニート刺殺〕
 大阪府大阪市福島区の自室で、無職少年(15)が殺害された。野球部の後輩だった中学生3年生(15)2人がトランプバクチの借金を返せないと、ネクタイで首を絞め、ナイフで30数回めった刺したもの。被害者は親にアパートを借りてもらって賭博を繰り返し200万円を要求、中3らは後輩などを脅して金を作って返していたが、追いつかなくなったもの。


昭和63年(1988).4.22〔16歳女子が父親毒殺未遂〕
 栃木県真岡市の自宅で朝5時、長女の無職女子(16)が就寝中の父親(45)の口に農薬を流し込んで殺害しようとし、重傷となった。会社員の父は日頃から家族に暴力を振るっていたが、住み込みで働きたいと相談すると殴る蹴るの暴行を受けて殺人を計画、数日前に農薬を買って隠していた。


昭和63年(1988).7.22〔中1ら3人が母蒸発の家で幼い妹せっかん殺害〕
 東京都豊島区のマンションで、押入から次男(生後数ヶ月)の死体が発見され、次女(2)も殺害されていることが発覚した。母親(40)は離婚して他の男の元へ走り、仕送りはしていたがまったく家に帰っていなかった。子供達は出生届も出さず、小学校にもまったく行っていない長男(14)が自炊して長女(3)と次女を養っていた。
 長男の友人の中学1年生2人が自分たちのラーメンを食べたとして、次女を持ち上げ何度も床に落とし、長男にもやるように強要して、次女は死亡、秩父の山に遺棄した。次男は殺していないと自供。





平成1年(1989).1.4〔16歳ら4人が女高生コンクリート詰め殺害事件〕
 東京都足立区綾瀬の自宅で、無職少年(16〜18)4人が高校3年生女子(17)をリンチして殺害、コンクリート詰めにして江東区の埋め立て地に遺棄した。暴力団下部組織「極青会」のメンバーで昨年11.25に埼玉県三郷市で誘拐、40日間監禁してレイプやリンチを繰り返していた。別のレイプ事件で逮捕されて1.29に自供。
 女子に「心配しないで」などと自宅に電話をかけさせていた。また、監禁していた16歳の家の親は女子の存在に気づいていたが家に帰るように言っただけだった。
 リーダー(18)は私立高校で悪質ないじめを受けて中退。暴走族に属し、家庭内暴力を繰り返し、暴力団とも関係するようになってシンナーも吸っていた。懲役20年の判決。


平成1年(1989).4.17〔”不登校”だった少年、入学の日焼死〕
 大阪府で”不登校”だった少年、入学の日焼死。


平成1年(1989).4.25〔中3の3人がいじめを受け母子殺しと逮捕されたが、冤罪〕
 東京都足立区綾瀬のマンションで、昨年11.16に母親(36)と長男(7)が殺害され8万円を強奪され、当時、中3だった工員(15,16)3人がこの日に逮捕された。中2のころから不登校となり、1人のアパートに毎日たむろして遊んでいたが、別の5人グループにいじめられるようになり、リンチを受けては金を巻き上げられ、こづかい欲しさにやったと犯行を自供したが、家庭裁判所では否認に転じた。アリバイなどがあったため3人とも無罪。


平成2年(1990).1.12〔19歳スリが女装刑事に捕まる〕
 神奈川県川崎市の無職(19)は、11日に東急田園都市線の車内で女子大生(20)から3万円入りの財布をスリ取り、記されていた番号に電話を掛けて呼び出して交際を迫ろうとしたが、やって来たのは女装した刑事で逮捕された。


平成2年(1990).1.24〔17歳が妹刺殺〕
 千葉県市川市のマンション自室で、長男の無職少年(17)が小学6年生の長女(12)を殺害した。果物ナイフで妹の首を数回刺したもの。精神科に通院していた。母親(43)と3人暮らし。


平成2年(1990).2.2〔17歳が男子小学生にいたずらして殺害〕
 福岡県太宰府市で、無職(17)が小学1年生の男の子(7)を殺害、2.13に殺人と略取誘拐で逮捕。高校受験の帰りに下校中の男の子に声を掛け、1時間半にわたって連れ回し、殴ってから絞殺したもの。いたずらをしていた。14歳の時に女の子(8)を山中に連れ込んで猥褻行為をして少年院に入っていた。5〜10年の不定期刑判決となって少年刑務所に10年間入って平成12年12月に出所した。
 平成15年5月から翌年7月までに福岡県と佐賀県で、男女14人(6〜10)にナイフで脅す猥褻目的誘拐、強姦致傷を繰り返して、福岡地裁は懲役16年判決。


平成2年(1990).3.17〔18歳が父親殺害、兄がショックで自殺〕
 大阪府寝屋川市の自宅で、次男(18)が父親(79)を殺害した。母親(59)とささいなことケンカし、仲裁に入った父親の頭を何度もステッキで殴ったもの。精神病院に通院歴がある。翌日、長男(23)が山林の車中で排ガス自殺。弟の父殺しにショックを受けたものらしい。


平成2年(1990).8.25〔19歳浪人生が両親殺害〕
 山梨県甲府市の自宅で、浪人生の二男(19)が父親(49)と母親(47)を殺害した。私立高校を卒業して東京の大学入試に2年落ちて自宅で受験勉強をしていた。「いつも小言を言われて、両親の顔を見るのも嫌だった」と自供、寝ていた両親を起こして、追い回してナイフで刺殺したもの。高校時代は野球部に属しており、近所の人にも挨拶するおとなしい性格。


平成2年(1990).9.11〔16歳がシンナーを吸って仲間殺人〕
 大阪府門真市栄町のアパートで深夜12時、無職(16)が店員(20)の胸をパン切りナイフで刺して殺害、オートバイで逃走したがすぐに捕まった。8人でシンナーを吸っていたが、「若いのに生意気や」と云われてケンカとなったもの。


平成2年(1990).12.9〔27歳が幼女をいたずらして殺害〕※参考
 愛知県名古屋市のパチンコ店で、無職(27)が両親に連れられて来ていた女の子(3)を誘って中古車置き場でいたずら、発覚を恐れて口を塞いで窒息死させ、遺体を自転車の前カゴに入れていて翌日逮捕された。名古屋地裁は知能や不幸な境遇を配慮して懲役11年の判決。


平成3年(1991).1.7〔高2の少年、母親を絞殺〕
 福岡県春日市の自宅で、高校2年生の長男(17)が母親(55)を殺害して自分で110番した。長男は首と右胸を刺して自殺を図り入院。幻覚症状があり学校を休んでいたが、母親に学校に行くように言われて絞殺したもの。


「警察白書」の平成3年(1991)事例引用
 無職少年2人(いずれも16歳)は、ナイフや包丁で信用金庫の女性窓口係員を脅迫して、カウンター内の現金255万円を強取し、そのうち指名手配された1人は、逃走先のマンションの1室で、逮捕を免れるため同所にいた少年6人を人質にして立てこもった(大阪)。


「警察白書」の平成3年(1991)事例引用
 無職少年(18)は、女性アナウンサーが居住するマンションの屋外で帰宅を待ち伏せ、マンション内の廊下において、部屋に入ろうとした同女を背後から襲い、ナイフで顔面、胸部等を突き刺して殺害した(北海道)。


平成4年(1992).1.29〔17歳ニートが父親殺人〕
 1月29日、無職少年(17)は、飲食店で飲酒中、実父(39)と口論となり、殴るけるの暴行を受けたことに立腹し、自宅から包丁を持ち出し、飲食店前の路上で実父の腹部を刺して殺害した。翌日逮捕(福島)。 「警察白書」引用


平成4年(1992).2.6〔17歳女子が他人の家に押し掛けて幼女殺害〕
 大阪府大阪市のマンション12階で、無職女子(17)が突然押し入り、主婦(37)が留めるのを振り切って次女(1)をベランダから投げ落として殺害した。精神病で入院歴がある。


平成4年(1992).5.8〔18歳が同居人を柔道で重体とする〕
 愛知県名古屋市名東区の自宅で、無職少年(18)が同居している会社員(29)とケンカになり、柔道の「浮腰」で20回も投げ付け意識不明の重体とし、殺人未遂逮捕された。


平成4年(1992).9.7〔18歳が嫉妬で殺人未遂〕
 茨城県笠間市の公園で、無職(19)が自動車クリーニング業の男性(23)の胸を果物ナイフで刺して3週間の傷害を負わせ、殺人未遂で逮捕された。恋人(19)が以前にこの男性と交際していたことを聞いて殺害しようとしたもの。


平成4年(1992).9.22〔15歳ら4人が集団リンチ殺人 殺人未遂〕
 群馬県多野郡の空き地で、無職少年(15〜18)4人が中学3年生(14)を意識不明の重体として殺人未遂で捕まった。後輩である中3生の態度が気に入らないと呼び出して集団リンチしたもの。


平成4年(1992).9.30〔18歳が嫉妬から学校で殺人未遂〕
 京都府城陽市の府立高校の廊下で、3月に退学した少年(18)が、3年生(18)の背中をナイフで刺して重傷を負わせ、殺人未遂で捕まった。女性関係のトラブル。


平成5年(1993).1.〔無職少年らによる強盗監禁、致傷事件〕
 無職少年2名(18歳、17歳)は、軽自動車に乗り、たまたま通りかかった二人乗りのバイクにわざと接触転倒させ、運転手に暴行したうえ、同乗の少女を批致して車両内に監禁し、更に車両内で休んでいた男性2名を襲って傷害を負わせ車ごと拉致した。(1月、佐賀) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成5年(1993).1.〔無職女子少年らによる逮捕監禁致傷、脅迫事件〕
 無職少女(18歳)とスーパー女店員(18歳)は、遊興費欲しさから、非行グループであった被害者を呼び出し、売春を強要したところ、拒否されたため同女を約8時問にわたり監禁し、殴る蹴るの暴行を加えて売春を承諾させ、テレホンクラブ遊客を相手に売春をさせて、その対償2万円を1喝取した。(1月、北海道) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成5年(1993).4.17〔24歳ニートが振られて刑務所に入るため警官殺害〕※参考
 東京都台東区の上野駅前で、無職(24)が警官(59)の背中を包丁で刺して殺害した。女に振られて思いを断ち切るために刑務所に入ろうと考え、警察官を殺せば長く入れると計画したもの。東京地裁は懲役15年の判決。


平成5年(1993).5.1〔シンナー乱用少年よる傷害致死事件〕
 無職少年(16歳)は、グループが溜り場としているマンション駐車場でシンナーを吸っていたところ、同マンション住人の被害者(59歳)から注意されたことに激昂し、暴力団員(23歳)とともに、被害者を殴り倒し死亡させた。(5月、兵庫) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成5年(1993).5.12〔18歳ら6人が殺害死体遺棄〕
 福岡県北九州市で、無職少年(18)ら6人は無職男性(23)を金属バットで殺害し、遺体を車のトランクに入れて路上に放置した。


平成5年(1993).5.〔無職女子少年らによる教師恐喝事件〕
 無職女子少年(15歳)は、交際中の男(26歳)と共謀し、中学在籍中に肉体関係を持った教諭から金員を喝取することを企て、同教諭に対して「関係を他人にばらされたくなければ金を出せ」と脅迫して、前後3回にわたり合計226万円を喝取した。(5月、栃木) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成5年(1993).7.31〔27歳が幼女誘拐レイプ殺人〕※参考
 岡山県津山市で、無職(27)が遊んでいた小学2年生の女の子(7)を自宅に誘い込み、レイプしようとしたが抵抗されたため胸や腹を踏みつけて釘抜きで頭を殴って出血多量で殺害し、畑に死体を埋め、8.2に逮捕された。岡山地裁は懲役10年の判決。


平成5年(1993).9.27〔19歳が昔の恨みで女性殺害〕
 大分県別府市で、無職少年(19)が温泉管理人女性(56)を殴り殺し、逮捕された。女性は昔、少年の家でお手伝いをしていたが、その時の恨みを晴らすため殺したと自供。


平成5年(1993).9.28〔19歳がケンカで殺人〕
 東京都国立市の駐車場で、無職少年(19)が、通行人に「ガンをつけたな」と因縁をつけ暴行していたところ、仲裁に入った消防士(23)と口論となり、殴られたことに憤慨し、ナイフで腹部を突き刺し殺害した。(9月、東京都) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成5年(1993).10.20〔17歳が肩が触れて殺人〕
 埼玉県大宮市の大宮駅で、無職少年(17)は通行中の会社員(28)と肩が触れたことから口論となり、会社員は立ち去ったが、少年は後を追い、路上で果物ナイフで男性の首を刺して殺害、すぐに捕まった。


平成6年(1994).3.11〔中3がいじめる兄殺害〕
 宮崎県宮崎郡の自宅で、中学3年生(15)は、日頃から暴力を振るう無職の兄(17)に「何故、頼んでいた本を買って来ない」と言われたことに逆上し、ナタで背後からメッタ切りにして殺害した。兄は風呂場で首を吊っている状態で発見されたが、その点については「何も知らない」と話す。明るい性格だった。


平成6年(1994).4.7〔20歳ニートが幼女殺人〕※参考
 岐阜県羽島市で、無職(20)が下校中の小学2年生の女の子(7)を絞殺、死体を自室に運んでから4.9に公園に捨て、4.30に逮捕された。中2から自室に引き籠もり、母親にたびたび暴力を振るっていた。岐阜地裁は懲役18年の判決。犯人の父親が1700万円の賠償金を払っている。


平成6年(1994).4.16〔17歳がバットで父親を殴る〕
 福岡県築上郡の自宅で、無職の長男(17)が父親(52)を金属バットで殴り、あばら骨や顔の骨を骨折させる重傷を負わせ、殺人未遂で捕まった。庭でバーベキューをしたあとにテレビを見ようとしたが故障していたため、「修理していなかったからだ」と父親とケンカとなったもの。


平成6年(1994).4.21〔16歳ら5人が集団リンチ殺人事件〕
 福岡県瀬高町で、土木作業員(17)、整備工(17)、鉄筋工(16)、鉄筋工(20)、無職(20)の5人は、シンナーを吸って女友達にいたずらした遊び仲間の無職少年(17)に腹を立て、両手を粘着テープで縛って車で連れ廻し、集団で金属バットやビンで顔や頭を殴打して死亡させた。


平成6年(1994).8.〔無職少年による伯父殺人事件〕
 無職少年(18歳)は、財産相続を巡って対立していた伯父を殺害しようと、早朝押しかけてガソリンを庭先に撒き火をつけて誘い出し、所携の刃物で頸部などを刺し、殺害した。(8月、宮崎) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成6年(1994).9.28〔木曽川・長良川連続リンチ殺人事件〕
 9月28日、大阪府大阪市中央区の路上で無職少年(19歳3人、18歳1人)の4人は、通行中の2人に因縁を付け、携帯電話等を強取し、逃げ遅れた無職男性(26)を近くのアジトとして使用しているビルに連れ込み、殴る蹴るの暴行を加え、ロープで首を絞めて絞殺し、車のトランクに詰めて高知県山中に遺棄した。
 10月6日、愛知県尾西市の木曽川堤防で、この4人と無職少女(16)2人、無職(21歳、20歳)らは、解体工(22)がレイプ事件を警察に通報すると言ったことから殺害することを企て、殴る蹴るのリンチを加えて殺害した。
 10月7日、愛知県稲沢市のボウリング場で3人に因縁を付けて車で拉致し、岐阜県輪之内町の長良川河川敷で鉄パイプでリンチを加え、会社員(20)とアルバイト(19)の2人を殺害した。
 2005年10.14、名古屋高裁は無職少年3人に死刑判決。


平成6年(1994).12.14〔38歳が幼女レイプ殺人〕※参考
 兵庫県加古川市で、無職(38)が同じ団地の階下の部屋に侵入、小学1年生の女の子(7)をレイプしようとして絞殺、翌日逮捕された。女の子が1人でいる時間を計画的に狙ったもの。


平成7年(1995).1.14〔18歳が母親と姉を殺人未遂〕
 奈良県橿原市の自宅で、無職少年(18)がハンマーで母親(51)と姉(20)の頭を何度も殴り、3週間と1週間の傷害を負わせ、殺人未遂で捕まった。ひとり暮らしを反対され激昂したもの。


平成7年(1995).2.〔無職少年等によるリンチ傷害致死事件〕
 無職少年(17歳)は、貸したオートバイで事故を起こしながらも弁償に応じない遊び仲間の無職少年に立腹し、遊び仲間の高校生(17歳)等2人と共謀して自宅に呼び出し、殴る蹴るの暴行を加え、硬膜下血腫により死に至らしめた。(2月、大分) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成7年(1995).4.7〔17歳が肩が触れたと殺人未遂事件〕
 千葉県印旛郡の路上で、無職少年(17)は、自転車で通行中に高校3年生(17)と肩が触れたことで口論となり、ナイフで左胸を刺して1か月の傷害を負わせた。


平成7年(1995).4.7〔中2女子がいじめ自殺〕
 愛媛県松山市で、中学2年生女子(13)が鉄道自殺。いじめを受けて半年間登校拒否をしていた。


平成7年(1995).7.7〔15歳ら2人が強盗殺人〕
 大阪府大阪市淀川区の駐車場で深夜0時、工員(23)と無職少年(15)が会社員(35)の現金3万円入りバッグを強奪して刺殺し、19日に逮捕された。会社員が大声を上げてつかんだため、ナイフで8カ所刺してバイクで逃走したもの。


平成7年(1995).8.〔無職少年等7人による公衆電話ボックス爆破事件〕
 無職少年(17歳)等7人は、花火の火薬を使ってダイナマイトと称する爆発物をつくり、それを道路脇の公衆電話ボックス内で建発させて電語ボックスを損壊し、公共の危険を生じさせた。(8月、新潟) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成7年(1995).10.〔少年3人によるホームレスに対する傷害致死事件〕
 無職少年(17歳)等3人は、公園のベンチに寝ていた被害者(69歳)に対し、「向こうに行け。」「無視するとは何事だ。」などと言いがかりを付け、頭部、顔面、腹部等を足蹴りするなどの暴行を加え、膵臓破裂による出血性ショックにより死に至らしめた。(10月、東京都) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成7年(1995).11.〔女子高校生による実母殺人事件〕
 高校2年生女子(18歳)は、学校をさぼるなど日頃の生活態度の乱れを実母(38歳)から厳しく叱責されたことに激怒し、実母の頚部を刃物で切り付けて殺害した。(11月、神奈川) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成7年(1995).12.8〔19歳2人が脅されて友人殺害〕
 愛知県名古屋市西区のアパートで、専門学校2年生(19)と無職(19)が、専門学校2年生(21)をナイフで数十回刺して殺害した。17日に死体が発見され、18日に殺人で2人が逮捕。「呼び出されて、自殺を手伝わないと殺すと言われた」と自供。


平成8年(1996).1.17〔16歳がクラクションでカッとして殺人未遂〕
 群馬県前橋市の駐車場で朝4時、無職(16)が男性2人の頭を金属バットで殴って頭蓋骨骨折で1カ月の重傷を負わせた。仲間3人と乗用車に乗っているときに、後ろからクラクションを鳴らされたことに腹を立てたもの。強盗致傷で12.20にも逮捕されていた。


平成8年(1996).1.〔無職少年による実兄に対する傷害致死事件〕
 無職少年(17歳)は、金銭のやりとりをめぐって実兄(22歳)と口論となり、所携のカッターナイフで左大腿部を突き刺し出血多量により死に至らしめた。(1月、栃木) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).3.〔無職少年による実父殺人事件〕
 無職少年(18歳)は、実父(44歳)から夜間外出をとがめられたことで口論となり、護身用に持っていた刃物で右胸部、左頸部等を刺し殺害した。(3月、北海道) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).3.〔無職少年による自宅への放火事件〕
 無職少年(18歳)は、大学受験に失敗し浪人中であったが、生活態度等について両親から叱責されたことに憤激し、勉強机に灯油を撒いて火を放ち、自宅を全焼させた。(3月、大分) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).4.〔無職少年による殺人事件〕
 無職少年(17歳)は、自分の悪口を言いふらしているとの噂を耳にして立腹し高校生(15歳)を路上に呼び出し、同所で顔面、頭部等を殴打し殺害した。(4月、大阪) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).4.〔無職少年による殺人未遂事件〕
 無職少年(15歳、17歳)の2人は、同じく無職の少年(16歳)が虚偽の恐喝事件を警察に申告したとして憤慨し、殺意をもってナイフで背部を刺し、全冶1か月の傷害を負わせた。(4月、埼玉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).4.〔無職少年による傷害致死事件〕
 無職少年(16歳)等4人は、友人10数人とバイクで集団走行中にすれ違った高校生(16歳)等4人を追跡し、逃げ遅れた高校生を公園に達れ込み集団で暴行を加え傷害を負わせ、さらに、所携のバタフライナイフを用い、右大腿部、右前腕部等に切傷を負わせ敗血症により死に至らしめた。(4月、東京) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).4.〔無職少年等による傷害致死事件〕
 無職少年(16歳)等4人は、無職男性(21歳)と共謀の上、無職男性(25歳)が暴走族の名を勝手に利用したことに憤慨し集団で殴る、蹴るの暴行を加え、外傷性脳傷害等により死に至らしめた。(4月、宮城) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).7.2〔17歳が冷たくなった恋人殺害〕
 茨城県伊奈町戸茂の自宅で、高校2年生女子(17)が交際している無職少年(17)に殺害された。態度が冷たくなったことに立腹しモンキースパナで頭を殴打し、紐で絞殺したもの。


平成8年(1996).7.〔無職少年による実父殺人未遂事件〕
 無職少年(19歳)は、別居中の実父と口論となり、殺意をもって台所にあった果物ナイフで腹部を刺し全治1か月の傷害を負わせた。(7月、栃木) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).7.〔無職少年による実父傷害致死事件〕
 無職少年(17歳)は、酒に酔って帰宅して小言を言う実父の態度に憤激し手拳等で顔面等を殴ったり、蹴ったりし内臓破裂などにより死に至らしめた。(7月、青森) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).9.6〔17歳女子が警察に捕まるために赤ちゃん殺人〕
 宮城県多賀城市で、無職女子(17)が会社員宅に侵入、長男(生後6ヶ月)を連れ出して庭のくみ取り式トイレ便漕に投げ込んで殺害した。この長男の子守をしたことがあり、「警察に捕まりたかった」と自供。


平成8年(1996).10.〔無職少年による女子中学生傷害致死事件〕
 無職少年(17歳)は、ホテルの客室内において、交際中の女子中学生(15歳)から「他の男と交際している。」と言われたことに憤激し胸部等を殴打し内臓破裂により死に至らしめた。(10月、神奈川) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成8年(1996).11.〔無職少年等による殺人事件〕
 無職少年(16歳)、成人(20歳、23歳)の3人は、共謀の上、無職少年(19歳)が最近付き合いが悪くなったことに立腹し同人を呼び出して漁船に乗せて湖に連れ出し首や手足をロープで縛り、湖に投げ込み殺害した。(11月、静岡) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成9年(1997).1.〔有職少年等による傷害致死事件〕
 有職少年(17歳)、無職少年(16歳、17歳)2人、高校1年生(16歳)の4人は公園で野宿していたホームレス(46歳)に対し「ケラチョ狩り」と称して集団で殴る、蹴るの暴行を加え、外傷性くも膜下出血により死に至らしめた。なお少年の供述によれば「ケラチヨ」とは「虫けらっちょ」の略。(1月、東京) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成9年(1997).5.28〔16歳が母親に灯油かけ殺人未遂〕
 愛知県名古屋市の自宅で、無職(16)が就寝中の母親(43)に灯油をかけてライターで火をつけようとしたが逃げたので失敗し、灯油をまいて放火して自宅を焼いた。中卒後に進学も就職もせずに引きこもって猫と遊んで過ごしており、母親と毎日ケンカしていたため殺そうと思ったと自供。


平成9年(1997).9.14〔18歳が警察官を強盗殺人〕
 群馬県桐生市境野町の古本、ビデオ販売店に、無職少年(18)が窃盗目的で侵入し、緊急通報により現場に駆けつけた警察官(31)に発見され、胸部を包丁で刺して殺害した。


平成9年(1997).12.〔19歳無職が刺殺〕
 大阪府大阪市西成区の踏切で、守口市内の無職少年(19)が軽ワゴンに乗った東大阪市の会社員(27)を刺殺、逮捕された。





平成10年(1998).1.8〔19歳シンナー常習者が通り魔殺人〕
 大阪府堺市宮下町の路上で、無職少年(19)が、幼稚園児(5)とその母親(35)、女子高校生(15)の背中などを包丁で刺し、幼稚園児を殺害するとともに、他の2人に傷害を負わせた。シンナー常習者だった。


平成10年(1998).1.18〔18歳が刺殺〕
 神奈川県小田原市の自宅で、無職少年(18)が知人(29)の胸や背中を包丁で刺して殺害した。


平成10年(1998).3.6〔19歳が恋人の女子中学生殺人〕
 愛知県日進市自宅で、無職少年(19)が、交際中の女子中学生(15)を独占するため、枕カバーで首を絞めて殺害した。


平成10年(1998).3.13〔17歳が91歳老人を強盗殺人〕
 鹿児島県鹿屋市で、無職少年(17)が、独居老人(91)を殺害して金を奪おうと計画し、トイレを貸りる口実で上がり込み首を絞めて殺害、通帳や印鑑をを強取したのち、死体を山林に遺棄した。


平成10年(1998).3.〔中学生による首吊り自殺〕
 中学2年生(14歳)は、自宅倉庫内で首吊り自殺した。遺書には、「先輩に脅されて8万円払った。あと4万円が払えない。ぼこぼこにされるなら死んだほうがましだ」等と書かれていた、捜査の結果、中学時代の野球部先輩の無職少年(17歳)らを恐喝未遂で逮捕した。(3月、千葉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成10年(1998).4.〔無職少年による実姉殺人、放火事件〕
 無職少年女子(18歳)は、日頃から恨んでいる実姉(会社員、20歳)を殺害するため自宅に放火して焼死させた。(4月、愛知) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成10年(1998).6.17〔15歳ら姉弟が祖父殺人〕
 北海道千歳市の自宅で、無職女子(16)、無職少年(15)の姉弟は、同居の祖父(69)から日頃の生活態度に対して叱責されることから殺害を共謀し、弟がモンキーレンチで頭部を殴打し、姉がネクタイで首を絞めて殺害し、死体を車で運んで山林に埋めて遺棄した。


平成10年(1998).8.24〔16歳ら2人がリンチ殺人〕
 千葉県印西市のコンビニエンスストアに買い物に来ていた中学2年生(14)に、無職少年(16)、アルバイト(16)の2人は「ガンをつけた」と因縁を付け、付近の公園で殴る、蹴るの暴行を加え現金を奪い、利根川河川敷きで鉄棒で頭部や背部を殴り殺害した。


平成10年(1998).8.〔無職少年による傷害致死事件〕
 無職少年女子(17歳)は、同居している姪(3歳)が言うことを聞かないことに立腹し、殴る、蹴るの暴行を加え、頭部打撲等の傷害を負わせ死亡させた。(8月、茨城) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成10年(1998).9.〔無職少年等による傷害致死及び死体遺棄事件〕
 無職少年(16歳、18歳)、中学2年生(13歳)の3人は、一緒にガス遊びをしている時ガスがなくなり、中学生(14歳)に万引きしてくるように指示したが、中学生が万引きに失敗したことに立腹し殴る、蹴るの暴行を加え、頸胸部圧迫による窒息により死亡させ、死体を駐車場に放置し、もって遺棄した(9月、山梨) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成10年(1998).10.2〔19歳が男児突き落とし殺人未遂〕
 兵庫県西宮市で、無職少年(19)が、通りがかった小学1年生(6)を死ぬかどうか試すため、マンション6階から1階植え込み付近に投げ落として傷害を負わせ、殺人未遂で逮捕された。


平成10年(1998).10.〔中学生等による傷害致死事件〕
 中学2年生(14歳)、中学3年生(14歳)2人、無職少年女子(16歳)2人の5人は、共謀のうえ、交遊している中学生(14歳)が仲間から離反することに憤慨し、制裁を加えることを企て、空き地に呼び出して、殴る、蹴る、の暴行を加え、硬膜下血腫により死亡させた。(10月、埼玉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成10年(1998).10.〔無職少年等による集団乱闘による傷害致死事件〕
 無職少年(17歳、18歳)2人有職少年(17歳、18歳)3人高校3年生(18歳)の6人は、路上で酒盛りをしていて、通行中の店員(26歳)と些細なことから喧嘩となり、双方入り乱れて殴り合いとなった際、ブロック片で頭部を殴り、頭蓋骨骨折の傷害を負わせ死亡させた。(10月、長野) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成11年(1999).1.21〔16歳が主張を訴えるため小3を人質〕
 東京都港区台場で、無職少年(16)は、小学3年生(9)に包丁を突き付けて人質にして、警察官に対し「マスコミを呼べ、全国に放送しろ」と要求した。2時間後に逮捕。汚職を厳罰化しなければならないという主張を訴えるための犯行。


平成11年(1999).2.8〔16歳ら男女2人が郵便局強盗〕
 佐賀県鳥栖市元町の郵便局で、無職少女(16)がトイレ借用と偽って下見をし、無職少年(19)がタオルで覆面をして押し入り、局員(26)に果物ナイフを突き付けて脅迫し、現金258万円を強奪した。車で逃亡したがすぐに2人とも逮捕。借金に困ったための犯行。


平成11年(1999).3.14〔19歳が父親を刺す〕
 山口県下関市内の自宅で、無職少年(19)が父親(48)の左胸を刺し身包丁で刺して重傷を負わせた。実家の隣の祖父宅でひとり暮しをしており、訪ねてきた父親とケンカになったもの。


平成11年(1999).8.9〔17歳ストーカーが女子高校生殺人〕
 愛知県西尾市志籠谷町で、無職少年(17)が元同級生の高校2年生女子(16)を登校日に待ち伏せして、果物ナイフで胸や背中を刺して殺害した。好意を抱いて2年前からつけ回していたが、他の男性と交際しているのを知って殺そうと計画したもの。


平成11年(1999).9.8〔23歳ニートが通り魔殺人〕※参考
 東京都豊島区池袋の路上で、無職(23)が女性(29,66)2人を包丁で刺殺、6人負傷させて逮捕された。社会に復讐するため2日前に包丁とハンマーを買っていた。最高裁で死刑確定。


平成11年(1999).12.2〔19歳ら4人の栃木リンチ殺人事件〕
 栃木県市貝町の山林で会社員(19)が殺害され、被害者の同僚(19)、無職(19)、無職(19)、都立高校1年生(16)の4人が12.5に逮捕された。9.29に拉致し、2か月間連れ回し毎日熱湯シャワーを浴びせ、殺虫剤のスプレーにライターで火を付け火炎を浴びさせたりしながら消費者金融や友人から借金させた700万円を巻き上げ、12.2にネクタイで首を絞め殺害。遺体を埋め、コンクリートを流し込んで遺棄したもの。


平成11年(1999).12.〔無職少年による殺人事件〕
 無職少年(18歳)は、被害者(22歳)からバイク走行を注意され殴られたことに憤慨し、河川敷に呼出し、タイマンと称する一対一の決闘を行い、あらかじめ準備した果物ナイフで胸部を刺して殺害した。(12月、埼玉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).4.15〔17歳父親が乳児殺人、死体遺棄〕
 神奈川県川崎市で、無職少年(17)が恋人の高校1年生女子(16)が自宅で出産したばかりの乳児を山林に置き去りにして凍死で殺害した。中絶する費用がなかったため。家族は妊娠に気付いていなかった。


平成12年(2000).4.〔無職少年らによる傷害致死事件〕
 無職少年3人(18歳、17歳、15歳)、女子高校1年生(15歳)、中学1年生(13歳)は、中学3年生(15歳)の日頃の態度が気に入らないことなどから制裁を加えることを企て、下線において正座せて暴行を加えるなどして低体温症を発症させ、同傷害に起因する心停止により死亡するに至らしめた。(4月、埼玉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).5.5〔17歳が高速バス乗っ取り、1人殺害〕
 佐賀県佐賀市の無職少年(17)は、走行中の高速バスにおいて乗客に対し牛刀を突きつけ人質にして乗っ取り、女性(68)を殺害、4人に傷害を負わせた。広島県で警官隊が突入して逮捕。


平成12年(2000).5.6〔中2ら4人が殺人と死体遺棄〕
 埼玉県入間市の公園で、アルバイト少年(16)、無職少年(16)、高校2年生女子(16)、中学2年生(13)の4人が、高校2年生(16)の頭や腹などを何十回も殴って殺害、狭山市の雑木林に遺体を捨てていたが、13日に捕まった。少年2人と被害者は中学の同級生で、当時からいじめていた。無職少年は高校を中退して家でぶらぶらしていた。


平成12年(2000).5.15〔17歳女子2人が女性を監禁、耳たぶ切る〕
 茨城県北茨木市で、無職女子(17)2人は、アルバイト仲間だった無職女性(26)が悪口を言ったとして、4.4に男友達(22)家に連れ込みハダカにして監禁、両耳たぶをはさみで切り落とすなどのリンチを加え、全治6ヶ月の重傷を負わせ5.15に逮捕された。


平成12年(2000).5.〔中学生による小学校教師脅迫事件〕
 中学3年生(15歳)は、小学校の時に女性教師(42歳)に叱責されたことが登校拒否の原因になったものと思い込み、同人等に対する恨みを晴らすことを企て、神戸の、小学生殺人事件を模倣したビラを小学校等に貼付し脅迫した。(5月、滋賀) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).6.8〔15歳ら2人が殺人〕
 沖縄県那覇市の墓地で、無職少年(15)と高校2年生(17)は、無職少年(15)が約束を守らないことに腹を立て、ブロックで殴打するなど暴行を加え、殺害した。昨年9月にこの被害者の指を骨折させ、警察に通報されたため恨んでいた。


平成12年(2000).6.19〔16歳が百数十万円恐喝〕
 沖縄県宜野湾市で、無職少年(16)が、後輩の中学生3人呼び出し殴ると脅し、18万4千円を恐喝した。総額は百数十万円になると見られている。


平成12年(2000).6.〔無職少年による放火事件〕
 無職少年(15歳)は、家族のことなどでむしゃくしゃしていたことから、その欝憤を晴らすため、民家の物置に放火した。(6月、岩手) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).6.〔無職少年による自宅放火事件〕
 無職少年(15歳)は、家族を困らせてやろうと考え、自宅に放火した。(6月、岡山) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).7.28〔18歳が警察官舎で花火〕
 山口県岩国市の警察官舎で深夜4時、無職少年(18)が侵入、ロケット花火13本を束ねて火を付けて破裂させ、住居侵入容疑で逮捕された。


平成12年(2000).7.〔無職少年らによる乳児等殺人事件〕
 無職少年(17歳)は、長女(1歳)が泣きやまないことに激昂し、殺意を持って、同人の顔を枕に抑えて窒息させ殺害し、妻(31歳)とともに地中に埋めて遺棄した。(7月、栃木) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).7.〔無職少年によるインターネット利用詐欺事件〕
 無職少年(18歳)は、インターネット上のオークション等を利用して、パソコン等販売名下に金品を詐取しようと企て、購入を希望してきた会社員ら15人に対し、真実は商品を発送する意思がないのにあるように装い、虚偽の事実を申し向け、現金合計約140万円を騙取した。(7月、東京) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).8.〔無職少年らによるiモードを利用した児童ポルノ販売事件〕
 無職少年、高校2年生(いずれも17歳)2人は、携帯電話のiモードを利用し、インターネットの掲示板に、児童ポルノビデオの販売広告を掲載して申し込みを受け、児童ポルノビデオを宅配販売していた。(8月、京都) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).11.〔無職少年による強盗殺人事件〕
 無職少年(16歳)は、金品窃取目的で老女(86歳)方に侵入したところ、同女に発見されたことにより殺害して、金品を強取しようと決意し、同女に暴行を加えて殺害したうえ、現金在中の財布を強取した。(11月、大分) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成12年(2000).12.〔無職少年らによるタクシー運転手強盗殺人事件〕
 無職少年(16歳)、女子高校1年生(16歳)は、タクシー運転手を殺害し金員を強取しようと企て、タクシー営業所に架電し、タクシー運転手49歳)が運転するタクシーを呼び寄せて乗車した上、カッターナイフで同人の頸部を切りつけ殺害し、乗車売上金約1万5千円を強取した。(12月、兵庫) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


平成13年(2001).10.21〔16歳ニートが父親殺人〕
 北海道空知郡で、無職(16)が父親(55)の頭部をスコップで殴って殺害した。愚弄されたことなどから殺意を抱いたもの。中等少年院送致。
 22歳になった男は、平成20年5.22に東京都新宿区のマンション駐輪場で母親(57)を殴り殺して5.24に逮捕された。姉の住んでいるマンションで待ち伏せしたもの。「俺をこの世に出した親が悪い」と自供。



※タイトルと本文が同じ短いデータはすべて「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。※



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2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
 9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代




少年犯罪データベース

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主要参考文献

〔年表〕子どもの事件 1945-1989

戦前の少年犯罪

戦後死刑囚列伝

新聞集成昭和史の証言

新聞集成昭和編年史

日本の精神鑑定

日本長期統計総覧

年表 昭和の事件・事故史

昭和史全記録 1926〜1989

値段史年表 明治・大正・昭和

事件・犯罪大事典 明治・大正・昭和

20世紀にっぽん殺人事典

青少年非行・犯罪史資料1-3

教育事件・論争史資料

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警察白書

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少年犯罪データベースのデータが引用されています。