昭和32年(1957)の少年犯罪




昭和32年(1957).1.1〔年老いた父親がニート兄弟殺害〕※参考
 千葉県木更津市の自宅で、農業兼屋根職人の父親(68)が4男(36)と6男(23)を殺害した。2人とも無職で重荷となったため、正月の朝4時に就寝中の息子を大ヅチで殴り殺したもの。


昭和32年(1957).1.5〔18歳が人妻と心中〕
 神奈川県川崎市の多摩川で、青森県黒石市の少年(18)と人妻(43)が心中した。人妻が経営していた貸本屋で去年、店員として勤めているうちに愛人関係となり、銀行員の夫(49)にバレたので12.29に家出、ボートでお互いを縛って抱き合ったまま自殺したもの。


昭和32年(1957).1.7〔小4と小3が7件の放火〕
 神奈川県横浜市の民家やゴミ箱が7〜9日まで3日連続6カ所放火され、9日に小学4年生(10)と小学3年生(9)を捕まえた。「消防車が集まるのがおもしろくてやった」と言っている。先月にも民家に放火していたが、すべてすぐに消し止められていた。


昭和32年(1957).1.8〔小2が学校に放火〕
 東京都新宿区の小学校で教室が放火され、ほかの教室でも教師の机が荒らされたり火を付けられたりして、12日に2年生(9)を捕まえた。裕福な執筆業の一人息子だが放任され、これまでも盗みを働いていた。「おもしろくてやった」と言っている。


昭和32年(1957).1.9〔学力低下――立大文学部卒論廃止 毎日新聞引用〕※参考
 立教大学文学部では来年度から英米文学科と社会学科の卒業論文を、購読あるいは演習に換えて単位がとれるようになる。改正の理由は、(1)新制大学生の学力低下、(2)学生数の増加で卒論指導が不十分なこと、(3)後期二年と就職期がかさなり、専門科目の勉学期間が少なくなったの3点。教授間には「大学でツギハギの論文を書くより、購読でがっちり読書した方がためになる。いまの大学は大学ではなく、本当の大学は大学院だ」との考えが支配的。卒論廃止は「ますます学力低下をきたし、文学部の自殺行為でもある」との反対意見もある。
 当の学生たちは「学力が低下しているから卒論を書かせても意味がないという考えは危険で、学生はもっと高いものを求めている。学力を高めるには教育課程そのものにも問題があるが、学生ももっと勉学する雰囲気をつくる熱意がなければ……」と複雑な心境。
 なお、青山学院大英文学科が昭和28年度からこの卒論自由選択別を行っているが、昨年度の卒業生360人中、卒論を書いたものは、わずか26人だけだった。
(以上は毎日新聞1・9の記事を「青少年非行・犯罪史資料」が要約したものを引用)
立大文学部長 管円吉氏「新制大学生の学力低下はいたし方ない。とくに語学力が昔にくらべて非常に劣るから、原書を読破して卒論を書く力がない。新制大学はいわばアメリカのカレッジであり、一般教養に重きをおいているのだから、高校に少し毛の生えたくらいのものだ。だから卒論も昔の学士論文とはちがい、レポート程度でしかない。昔の学士はいまの修士コースに当たるのであり本当に勉学に専念する人は大学院にはいって本格的な論文を提出すればよい。そこで大学でツギハギの論文を書くくらいなら、購読でいい本をガッチリと読んだ方が学生のためになる。立大では特にゼミナールに力を入れており、これで十分に実力はつく。いまの大学は大学ではなく、本当の大学は大学院なのだ。低く扱われたとみる人もあるだろうが、事実はそうなのだ。この点で教授諸氏の頭の切りかえも必要だろう」


昭和32年(1957).1.13〔19歳女子が美空ひばりに塩酸かける〕
 東京都台東区の浅草国際劇場で、女中(19)が客席から上がって舞台脇で出番を待っていた美空ひばり(19)に、塩酸300グラムを浴びせかけた。左顔面、胸、背中に3週間のヤケド。
「ひばりちゃんに夢中になっている。あの美しい顔、にくらしいほど、みにくい顔にしてみたい」と書かれたメモがバックのなかにあった。


昭和32年(1957).1.25〔21歳ニートが友人を強盗殺人〕※参考
 東京都中野区の無職男(21)が、強盗殺人を自供した。去年11.28に友人の無職(20)が母親から金をもらったことを知って、泊まって就寝中に絞殺して7千5百円を強奪、死体を友人の短大生(20)の部屋の床下に埋めたもの。被害者の父親に息子を装って手紙を書いて送金もさせていた。死体を埋められた友人は2ヶ月間まったく気付いていなかった。
 短大卒業後はぶらぶらして麻雀ばかりやっており、そのための資金稼ぎに窃盗を繰り返していた。


昭和32年(1957).1.29〔15歳ニートのブース夫妻強盗殺害事件〕
 神奈川県鎌倉市で、貿易商の親日米人フランク・S・ブース夫妻(76,56)が殺され、現金6500円や指輪などが奪われ、少年(犯行当時15)が2.1に京都で逮捕された。
 裕福な家庭の6人兄弟の3男で、中卒後に家でぶらぶらしていたが、厳格な父親に叱られて家出、関西に旅行がしたくなり深夜に泥棒に入ったが騒がれたため台所の庖丁で夫妻を刺殺したもの。5回の窃盗も働いていた。中学ではマラソン選手で、おとなしい性格だった。
 横浜地裁は無期懲役判決を出した。


昭和32年(1957).1.29〔17歳がタクシー強盗殺人〕
 東京都品川区の路上で、少年(17)がタクシー運転者(50)の肩を刃物で刺して頸動脈と肺にまで達する傷を負わせて殺害、現金を強奪して逃走したが2.17に逮捕された。


昭和32年(1957).2.1〔老人が小学生女子6人連続レイプ〕※参考
 東京都練馬区の無職男(78)が、民家に押し入り病気で就寝中の小学5年生の女の子(11)に猿ぐつわをして両手を縛ってレイプし、3日間の怪我を負わせて8日に逮捕された。2年前から小学生女子6人を襲っていたことを自供。


昭和32年(1957).2.14〔19歳が強盗殺人〕
 島根県益田市の農家で、無職(19)が押し入りマキ割りで夫婦(45,48)を殺害、現金二千円を強奪して逃走したが逮捕された。パチンコで金に困って遠くに行く旅費を得ようとしたもの。死刑が求刑されたが貧困家庭と少年であることを考慮されて、松江地裁は12.12に無期懲役判決を出した。


昭和32年(1957).2.14〔18歳ら大学生4人組が自動車強盗〕
 東京都杉並区荻窪で、明大生2人に日大生、法大生の計4人(18や20)が自動車強盗を働いて捕まった。金に困っての犯行。運転手(25)を車外に連れ出して暴行し、全治10日間の怪我を負わせていた。


昭和32年(1957).2.23〔中3の4人が高校生と竹槍で乱闘〕
 東京都渋谷区の明治神宮近くで、荒川区の中学3年生4人が高校生4人に「なぜ俺の顔を見た」と云われたため持っていた短刀や脇差しでケンカになったが、通行人に留められた。さらに高校生が待ち伏せしていたため今度は柵の竹を抜いて竹槍を作って乱闘となった。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』を観て乱闘をしたくなったと云っている。
 中学生らはみな中流家庭だが、同級生10数人と25件30万円の盗みを働き、中高生の情婦と桃色遊びをしていた。この年の大卒銀行員初任給1万2700円。


昭和32年(1957).2.24〔31歳が幼女レイプ殺人〕※参考
 福岡県糟屋郡で、無職(31)が顔見知りの小学2年生の女の子(8)を墓場に連れ出して猿ぐつわをしてレイプ、喉や胸をナイフで刺して殺害、逃走したが3.6に逮捕された。


昭和32年(1957).2.26〔28歳が幼女をレイプ殺人して死刑〕※参考
 東京都田無町で、土木作業員(28)が小学3年生の女の子(8)を「映画に行こう」と誘拐し、レイプして絞殺した。福島県に逃亡していたが7月に逮捕され、無期が求刑されたが八王子地裁は死刑判決を出した。


昭和32年(1957).2.27〔22歳が幼女をレイプしようとして絞殺〕※参考
 神奈川県相模原市の農業手伝い(22)が、近所の女の子(5)をレイプしようとして絞殺した。横浜地裁は懲役15年の判決を出した。


昭和32年(1957).2.27〔19歳2人が京マチ子を脅す〕
 東京都世田谷区で、法政大1年生(19)と店員(19)が京マチ子(32)に「13万5千円を持ってこい。警察に知らせると硫酸をぶっかけるかダイナマイトで自動車ごと吹っ飛ばす」という脅迫状を出し、脅迫電話も掛けた。京マチ子そっくりの女優が現金を持って指定場所で待っていると、2人で現れたので逮捕された。
 「成功すればその金で家を借り、不良を集めてさらに大々的に有名人を脅迫するつもりだった」と自供。2.10に中日の西沢道夫選手を「十万円よこさないと硫酸かける」と脅して逮捕された無職(26)の記事を読んで、自分ならもっとうまくやると思ったもの。裕福な工場経営者の息子で、月に7千円のこづかいをもらい、風俗店や銀座のバーに通っていたが金には困っていなかった。この年の大卒銀行員初任給1万2700円。





昭和32年(1957).3.1〔16歳が島倉千代子殺害計画〕
 神奈川県横須賀市の無職少年(16)が、国電品川駅で無賃乗車で捕まったが、ナイフを所持しており、島倉千代子(18)を殺すつもりだったと自供した。これまで何十回も電話して自宅まで訪れて逢うように求めたが拒絶されガラス戸をこわしたりしたが、とうとう殺害を計画しナイフを買って上京したところだった。


昭和32年(1957).3.4〔18歳長男が一家7人皆殺し〕
 神奈川県川崎市の民家が深夜2時に全焼し焼け跡から一家7人の遺体が発見されたが、長男(18)が薪割りで殺害してから火をつけたと自供した。
 他の兄弟は成績優秀なのにひとりだけ成績が悪いと父親に叱られノイローゼになって昨年高校を中退して精神病院に入っていたが、先月退院したばかり。父親との仲が悪く発作的に父親(41)、母親(39)、二男(16)、三男(14)、長女(11)、四男(10)、五男(8)を殺したもの。


昭和32年(1957).3.5〔中3がボクシングジムに通って教師に復讐〕
 東京都立川市の中学校で、教師が3年生(15)2人に便所に呼び出されて鼻血が出るまで殴られた。昨年夏にこの3年生の1人がプールに板を投げ込んでこの教師に平手打ちをされて、復讐を誓いボクシングジムに通って機会をうかがっていたもの。
 父親談「先生がビンタをして鼓膜を破って中耳炎になったのに子供ばかり責めるのはひどい。10番の成績だったのにビリになり、朗らかな性格が一変して反抗的になったのもすべて先生の責任だ。慰謝料訴訟を考えたが我慢してきた。子供も悪いかもしれないが、もとは先生の暴力からだ」


昭和32年(1957).3.5〔19歳が強盗殺人布団包み事件〕
 東京都豊島区の下宿自室で、洋服生地販売業(19)が同業者(21)の頭を丸太で滅多打ちにして殺害、着ていた服と70万円の預金通帳を強奪、3.8に被害者の下宿先主人を騙して家裁道具一式も強奪、3.10に死体を布団包みに入れて汐留駅から名古屋駅留めで送り、いったん名古屋駅で受け取ってからさらに福岡駅留めで送った。一審二審とも無期懲役判決。


昭和32年(1957).3.6〔16歳少女が父親を恨み自宅に放火〕
 東京都世田谷区瀬田町の人夫(42)の無職の長女(16)が自宅に放火し全焼させた。昨年、窃盗で少年院に入り、保護観察中であったが、酒癖の悪い父親に「お前は前科者だ。俺の子じゃない。縁を切る」と罵られた上、殴る蹴るの暴行を受けたことを恨んだもの。父親は普段から酔うと少女やその弟に暴力を振るい、母親は父親との不仲が原因で3年前に自殺していた。


昭和32年(1957).3.8〔8歳ら兄弟が泥棒ごっこで友人殺害〕
 北海道苫前郡の自宅で、小学1年生(8)がビニール袋を頭に被せられて紐で首を絞めて手を縛られて殺された。友人(8)が弟とやって来て泥棒ごっこをしていたが、苦しみ出したので逃走、窒息死させたもの。


昭和32年(1957).3.9〔中2ら少女万引団モグラ族グループ〕
 東京都新宿区の無職女子(17)をリーダーとする少女万引団「モグラ族グループ」(14〜19)8人が捕まった。昨年11月にローラースケート場で知り合った家出少女が結成、43件6万円相当を万引。男を3人以上つくるなどの規則があり、リーダーは5人の情夫を持って深夜喫茶などで遊び歩いていた。全員が中流家庭だが放任されていた。


昭和32年(1957).3.11〔女子高生8人が酔って謝恩会に暴れ込む〕
 静岡県島田市の私立女子高で、女子生徒8人が卒業謝恩会に暴れ込み椅子を振り上げガラスを割って、教師2人に乱暴した。8人は謝恩会に出席していた1人の生徒を呼び出して殴っていたが、それを聞いた教師の1人が近所の家で酒を飲んでいたこれらの女生徒を見つけて殴り、その仕返しに乱入したもの。


昭和32年(1957).3.17〔21歳ら愚連隊4人が少女を誘拐監禁集団レイプ〕※参考
 東京都豊島区池袋の映画館・文芸座で、無職(21,22)4人が家出少女(16)を騙して旅館に連れて行き、1週間監禁して集団レイプを続け、その後に飲み屋で働かせて祖父母に身代金を要求し、4.8に逮捕。


昭和32年(1957).3.18〔中3の3人が路上で恐喝〕
 東京都新宿区河田町の路上で、中学3年生3人(いずれも15)が研究所職員(26)をナイフで脅し500円を奪ったがすぐに捕まった。映画を観た後に「金をたかってコーヒーを飲もう」ということになり犯行に及んだ。翌日が卒業式だが、学校にはほとんど行っていなかった。


昭和32年(1957).3.19〔6歳がおもちゃのピストルで4歳を撃って失明〕
 東京都大田区の路上で、6歳がおもちゃのピストルで4歳を撃って、コルクの弾に刺してあった竹が右目を貫き失明した。


昭和32年(1957).3.26〔小3が放火〕
 神奈川県横浜市の民家に、小学3年生(9)が炭俵を持ち込んで放火、すぐに消し止められた。「おもしろいから」と自供。


昭和32年(1957).3.30〔高3ら6人が修学旅行で集団レイプ未遂〕
 栃木県日光市の路上で夜10時、修学旅行に来ていた香川県高松市の尽誠高校3年生6人が少女(17)を集団レイプしようと足を捻挫させるなど1週間の傷害を負わせたところでパトロールの警官に逮捕された。


昭和32年(1957).3.31〔3歳がトラックを発進させて轢き殺す〕
 兵庫県尼崎市の路上で、男子(3)がトラックを発進させて、小学5年生(10)がトラックとコンクリート堤防にはさまれて死亡した。運転手(25)は荷物の積み降ろしをやっていて、側で遊んでいた子供たちが入らないようにドアは鍵を閉めていたが、窓から入り込んだもの。最近までこの男子の父親が所有していたトラックで、運転席でよく遊んでいた。運転手が業務上過失致死で取り調べ。


昭和32年(1957).4.2〔26歳が同性愛から中1を殺害してばらばら〕※参考
 東京都中野区桜山町の自宅で、棋士の長男(26)が中学1年生(12)を殺害した。銭湯から連れ帰り、裸にしようとしたが抵抗されたため、ナタで殺害。2日間徹夜して死体はばらばらにして、熱帯魚用ガラス箱2つ、ガラス瓶2つにホルマリン漬けにした。4日に被害者宅に15万円を要求する脅迫状を郵送したり、7日に被害者を装って無事を知らせる手紙を送っていた。
 昭和28年に明大商科を卒業したが、その後度々精神病院に入院。昨年11月から中野区立図書館の臨時職員として傍目にはまじめに働いていたが、通行中の子供をいきなり抱きしめたり、美少年を自宅に引き込んだりしていたため、近所から嫌われていた。凶暴な所があり、両親は言いなりなっていた。先月20日には男の子をいたずらするために殺そうとして失敗していた。姉も精神病院に入院中。「ついに探し求めていた可愛い男の子をみつけた」などとすべての犯行を5冊のノートに克明に記録していた。
 東京地裁は、残虐な犯行ではあるが精神分裂症の心神耗弱状態であったとして、懲役10年の判決を出した。


昭和32年(1957).4.8〔高2が空気銃で友人撃つ〕
 東京都中野区で、高校2年生(16)が空気銃でスズメを撃とうとして友人の高校1年生(15)の胸に当たり3週間の傷害を負わせ、無許可で購入し禁区で撃ったため、過失傷害、狩猟法違反、銃砲不法所持で逮捕。


昭和32年(1957).4.9〔16歳ら7人がケンカして法政大生に刺される〕
 神奈川県川崎市の飲み屋で深夜1時、運転助手(16)、店員(19)ら7人が、法政大学3年生(21)ら2人とケンカして、ジャックナイフで刺されて3人が3週間の傷害を負わせられた。


昭和32年(1957).4.9〔高1ら女子愚連隊が路上強盗〕
 東京都港区の路上で、夜10時過ぎに女子店員(16)と女子高校1年生(15)の2人組が、女性(19)に金を要求して背中をカミソリで切り10日間の傷害を負わせ捕まった。麻布十番の少女愚連隊のメンバー。


昭和32年(1957).4.13〔15,6歳の学生が変造札〕
 東京都昭島市の薬局で、学生服の15,6歳の少年が半分だけでのこり半分はノートの紙の変造百円札で買い物をした。翌日、立川市の小鳥屋で、変造千円札と五百円札でカナリヤを買った。16日にも変造百円札で買い物。


昭和32年(1957).4.13〔14歳らカップルが心中〕
 大阪府大阪市の住吉税務署の小屋で、無職(15)が女子工員(14)と睡眠薬心中を図り女子は死亡した。1年前から交際しており、11日に家出していた。しかし、女子は死後40時間で、男は近くの自宅に戻ってから少量の薬を飲んでおり、心中を装ったと疑われている。靴屋の長男。


昭和32年(1957).4.13〔17歳が運転手刺し青酸カリ自殺〕
 神奈川県横浜市の路上で深夜2時過ぎ、少年(17)が運転手(25)の頭や背中をジャックナイフで刺して3週間の傷害を負わせて逃走、昼12時に山林で青酸カリ自殺しているのが発見された。11日に茨城県那珂郡東海村から家出していた。


昭和32年(1957).4.17〔19歳が母親の愛人殺害〕
 大阪府大阪市の自宅で、長男(19)が母親(39)の愛人(37)の首を絞めて殺害、すぐに自首した。愛人が母親に乱暴をしていたので留めようとしたもの。殺人罪で懲役5年が求刑されたが、殺意はないとして傷害致死で地裁は昭和33年7.1に懲役3年執行猶予3年判決。新聞配達で家計を助ける真面目な少年だった。


昭和32年(1957).4.22〔19歳女子が父親殺害〕
 秋田県北秋田郡の農家で深夜2時、長女(19)が父親(43)の頭や顔をマサカリで滅多打ちにして殺害、自首した。父親は自動車運転手をしていたが家には金を入れず、長女と次女(16)の収入だけで両親と兄弟6人の8人家族の家計を支えており、。防衛の程度を越えており刑事処分相当であるとして検察に送致された。


昭和32年(1957).4.27〔16歳ら2人が小学生に電気ドリル刺す〕
 東京都大田区の工場で、工員(16,36)2人が社長の長男の小学6年生(11)にふざけて電気ドリルを向け、足に刺さって1ヶ月の重傷を負わせ、過失傷害で取り調べ。


昭和32年(1957).4.29〔16歳が注意されて空気銃で通行人撃つ〕
 神奈川県川崎市の路上で、工員(16)が空気銃を撃っていてクリーニング店員(22)に注意されてカッとして頭を撃ち1週間の傷害を負わせて逮捕。


昭和32年(1957).4.29〔高2が空気銃で友人撃つ〕
 東京都中野区で、高校2年生(16)が空気銃でスズメを撃とうとして友人の高校1年生(15)の胸に当たり3週間の傷害を負わせ、無許可で購入し禁区で撃ったため、過失傷害、狩猟法違反、銃砲不法所持で逮捕。


昭和32年(1957).4.30〔高3ら野球部員が集団リンチ〕
 東京都江戸川区の私立関東商工高等学校で夜7時、野球部の3年生(18)らが休日の練習をさぼった1年生5人を詰問すると退部したいと云い出したので怒り、別の1年生数人に次々バットでお尻を殴らせた。殴り方が悪いと、殴り役の1年生もさらに殴った。1年生(16)ひとりは高熱が出て入院二週間。野球部長が加害者を処分するので内密にして欲しいと被害者父兄に頼んで了承されたが口頭注意だけで処置はされず、父兄が騒ぎ出し、警察は傷害容疑で20人を書類送検。学校は野球部を解散させた。





昭和32年(1957).5.7〔18歳が川口松太郎を脅す〕
 東京都文京区の作家の川口松太郎宅に「我々は仁義の世界に住むものだが、社会の流れとともに世のすみに追ひ込まれた。子分たちを見殺しにはできない。現金3百万円を持ってこい。こなければ第一番に貴様の子供、二番目に貴様の命をいただく。三番目には家を時限爆弾で爆破する」という脅迫状が届き、15日に指定場所で待っていると、少年(18)が受け取りに現れたので近くをうろついていた会社員(21)ともども逮捕された。
 主犯の会社員は女との手切れ金欲しさに新聞の長者番付に載っていた川口松太郎を脅すことを思いつき、この日に少年を誘ったもの。


昭和32年(1957).5.7〔ふえるデパート内の少年犯罪 毎日新聞引用〕
 警視庁少年課の調査によると、前年1年間、東京都内主要デパート14店の店内で罪を犯した青少年は4143人(うち女1907人)にのぼり、成人も含めた犯罪の3分の2に達している。内訳は万引4079人、スリ49人、置引10人など。犯罪少年の75%が生徒で、下は小学2・3年生から始まる。盗品は小学生の場合、おもちゃ、文具、菓子、中高生は万年筆や本。一般少年は手袋、靴下、少女では下着、化粧品、アクセサリーが多い。
 華やかな販売競争で少年たちの購買欲をそそり、商品も自由に手で取って見られるため、自制心の弱い少年少女がつい悪に手を染めてしまう。デパート側は顧客本位のため、捕まえた少年たちのうち660人を警察に引き渡しただけで、残りの少年は注意だけで帰宅させている。デパートの被害は300万円という。
(毎日新聞5・7)


昭和32年(1957).5.7〔幼女がレイプ殺人され死体を汲み取り便所に投げ込まれる 浩美ちゃん殺し〕
 広島県広島市の公園で、小学4年生の女の子(10)がレイプ殺害され、公衆トイレ便器内に投げ込まれた。翌日に死体発見。
※昭和32年末時点では犯人不明。犯人が捕まったかどうかご存じの方はご教示をよろしく。


昭和32年(1957).5.13〔18歳ニートが法廷で裁判官に暴行〕
 群馬県前橋市の前橋家庭裁判所で、無職(18)が裁判官の頭に椅子を投げつけ傷害を負わせ、すぐに公務執行妨害で逮捕された。中卒後は職を転々としたが勤労意欲がなく働かずに家でぶらぶらするようになり、窃盗で逮捕されて中等少年院送致の決定を受けたためカッとして、とっさに法廷を混乱させて逃走しようとしたもの。母親はなく、衣類行商の父親に甘やかされていた。なんら反省することなく自己中心的だが、刑事処分にするのはいっそう少年の心情を歪めることになるし、少年には可逆性があるということで、中等少年院送致決定。


昭和32年(1957).5.14〔小6が幼女猥褻殺人〕
 石川県羽咋郡の自宅で、小学6年生(12)が女の子(6)に猥褻行為をしようとしたが抵抗されたため紐で絞殺、自宅裏の空き地に桑で穴を掘って死体を埋めた。行方不明になった女の子の捜索隊に加わって探すふりをしていたが、5.16に学校の天井裏に隠れているところを補導され、自供から死体が発見された。
 父親は農業日雇い、母親は工場に勤めて、兄弟のいない少年は昼間はひとりで放任されていた。小3まで成績は飛び抜けて良かったが、4年生から中の下までさがったが、スポーツは得意でリレーの選手だった。中学生並みの体格で、一年前から幼女に対する猥褻を繰り返していた。


昭和32年(1957).5.15〔20歳大学生がストーカー無理心中〕※参考
 千葉県市川市の日大歯科1年生(20)が、中大法学部4年生女性(22)を絞殺、服毒してナイフで自分の首を突いたが命を取り留めた。片想いで無理心中しようとしたもの。


昭和32年(1957).5.16〔17歳が老婆殺害〕
 神奈川県横浜市の豊かな農家で、この家の雇い人(17)が主人の母親(73)を殺害、5.24に自供した。コートを盗もうとしたところを見られたため絞殺したもの。


昭和32年(1957).5.22〔5歳と6歳が殺人〕
 鹿児島県加世田市で、男子2人(5,6)が近所の民家に侵入して、寝かされていた女の子(生後8ヶ月)を縁側まで引きずり出して庭に落とし、荒縄で縛って40メートルほど引きずって溝に落とし殺害、5.24に補導された。


昭和32年(1957).5.24〔高2がレイプ殺人容疑者〕
 熊本県下益城郡の畑で、女子大生(22)がレイプされて殺害された。高校2年生(17)を有力容疑者として取り調べ。


昭和32年(1957).5.31〔貸本屋と不良化 毎日新聞引用〕
 東京都内で貸本屋から借りた本の影響で悪事に走る例が目立っている。怪盗がテーマのマンガ本からヒントを得て、他人の金を盗もうとした中野区の小学4年生(10)、渋谷区の中学生17人と小学生10人の窃盗グループ。小学生3人を含む中学3年生中心のマンガ本窃盗グループなど。他にも婦女暴行や桃色遊びで捕まった少年たちのなかに貸本屋のエロ雑誌に刺激されたと証言する例が多い。このため警視庁少年課では都内貸本屋の実態をまとめ、30日に発表した。
 それによると貸本屋利用者の70%が少年で、俗悪なマンガやいかがわしい内容の雑誌が読まれており、家庭での注意を促している。都内の貸本屋数は1241軒、蔵書冊数186万4286冊。板橋、荒川などの城北地区が290軒で全体の24%を占め、墨東地区が167軒と一番少い。貸本屋がないのは丸の内、日本橋、五日市、大島、新島、三宅島の各署管内だけ。利用状況は1ヶ月延べ111万5515人で、少年73万人、小学生だけで42万人に達する。蔵書内容はマンガ本32.5%、時代小説17.4%、現代小説14.3%、探偵小説7.3%の順。子供たちには家庭で買ってもらえない面白い本が1日5円か10円で借りられる手軽さが魅力となっている。
(毎日新聞5・31)


昭和32年(1957).5.〔音楽喫茶等で形成された桃色グループ事犯〕
 勉学心を失い、娯楽機関への興味をもつようになって音楽喫茶やダンスホールに出入りしているうちに在籍校ごとにグループを作り、それが大きくなって男子高校生40名、女子高校生41名、女子中学生2名等から成る総数93名の集団となって、女子少年は窃盗や暴行を、男子少年は強姦等をしたほかに、市内の有名な喫茶店、ダンスホール、旅館等で桃色遊戯に興じていた事犯。(32年5月大阪府) 警察庁「少年非行」引用。


昭和32年(1957).5.〔高校生の教師殴打事犯〕
 校内規則に再三違反し担任教師から注意された高校2年生が、教師を恨み、授業中の同教師を竹棒で殴打して傷害を与え、更に不穏な状況に驚いて出て来た他の数師をも同様に竹棒で殴打したり所持していたナイフで脅迫した事犯。(32年5月大分県) 警察庁「少年非行」引用。


昭和32年(1957).6.1〔高3が刺殺〕
 東京都中野区の路上で夜11時、高校3年生(18)が会社員(30)を刺殺した。喫茶店で会社員が椅子をがたがたしたので、高3生が「大人が無作法なまねをしてなんだ」と注意したが、そのあと会社員が友人(32)と2人で追い掛けてきたので飛び出しナイフで刺したもの。


昭和32年(1957).6.5〔21歳ニートを父親が絞殺〕※参考
 東京都足立区の自宅で、父親(61)が次男(21)を絞殺した。次男は働かずぶらぶらしており、酒癖も悪いのでケンカしたもの。


昭和32年(1957).6.8〔ふえる大学生の犯罪 知能暴力団の温床 警視庁で厳重摘発 未成年者あやつる 朝日新聞引用〕
 このところ大学生の人殺しや自動車強盗、脅し、たかりなどが目立ってきている。警視庁防犯部の調べでは、東京都内の昨年中の未成年学生の刑法犯は五千六百四十四人だったが、今年は四月末までに、すでに二千五百人に達している。強盗17、婦女暴行13、放火7、傷害13、暴行57、おどし176、窃盗1842、すり36、横領8、詐欺9などとなっている。このような実情に、警視庁小杉刑事部長は「放っておくと知能的暴力団発生の温床となる」として厳重な摘発の方針を取るといっている。

刑事部捜査一課の凶悪犯台帳から最近の大学生の犯罪を拾って見ると、31年11月には国際短大生が殺した死体を寮の床下にかくし、同十二月二十日明治大学文学部演劇科四年生がタクシー運転手を殺し、今年になって二月十四日に明治大学生ら四人が共謀で自動車強盗をやっている。また四月九日には、日本大学芸術科四年生を親分格とする大学生のおどしグループ11人が、15万円の空手形を使った男から数回にわたり、約53万円をおどしとっていた事件も検挙された。
また五月十一日には、立教大学生と日本大学生の三人がビヤホールでけんかし、相手をビールビンでなぐり殺して四谷署に検挙された。犯行の動機は「金」というのが多いが"人を殺して金を盗るなどのことは、以前の学生にはなかったことだ"と当局はいう。この他未成年犯罪者のかげで糸をあやつるものも大学生に多く、防犯部少年課が今年になって補導した三つの大きな不良少年グループには全部成年者の大学生がうしろだてになっていた。

多すぎる学生目がとどかず
文部省稲田次官の話 大学生は物事の是非を判断できる大人なのだから校外生活の面ではまず誇りと責任を持ってもらいたい。学校当局としても学内秩序が保てればこと足れりという態度でなく学校同士で連絡し、学生自治会とも話合って校外活動で世間から非難されないようお互いの連絡、提携が必要だと思う。またこの裏には、文部省が許可した定員よりもはるかに上回る大定員の学生を収容する大学にも責任の一半はある。教育上からも補導上も十分手が回らないような大学に収容されている学生は危い環境にあるわけだ。

評論家 大宅壮一氏の話 学生の犯罪がふえている最大の原因は、大学の学生マスプロだ。定員のなん倍もの学生を入れるので、先生は生徒の顔も知らないというのが現状だ。このような状況ではほんとうの教育も出来ないし、情熱を持って勉強するという空気も薄れ、大量の学生の中には報ぜられているようなヤクザ的なことをする学生も出てくるわけだ。私の考えでは、現在のようなデパート経営的な学校経営がつづき、健全な青春のはけ口もないような社会ではこの種犯罪は当然ふえていくのではないだろうか。
(朝日新聞1957.6.8)


昭和32年(1957).6.10〔中2女子が家の金を盗んだため鎖でつながれ監禁〕
 福岡県粕屋郡の人夫の母親(44)と大工の継父(26)が、家の金を盗む中学2年生の三女(13)を犬の首輪で脚を縛って2階の部屋に50日間監禁した。両親が仕事に出る昼は姉(14)が食事を与えていた。7.25に三女がハサミで紐を切って知り合いの家に駆け込んで救出された。


昭和32年(1957).6.14〔小3が8件連続放火〕
 東京都江東区池袋の旅館で、大学3年生(8)が野球部員が強姦。


昭和32年(1957).6.15〔小3が8件連続放火〕
 東京都江東区で、小学3年生(8)が住宅6軒に放火。18日にも2件放火して、19日に捕まった。中流の会社員の長男で成績優秀。好奇心のため。


昭和32年(1957).6.20〔22歳母親が赤ちゃん殺人未遂で家出〕※参考
 東京都豊島区の自宅で、母親(22)が長男(生後2ヶ月)を水の入ったバケツに入れて家出した。長男は重体。


昭和32年(1957).6.21〔高2女子らが結婚を反対され心中〕
 福島県平市の和光学園高等部2年生女子(16)と、群馬県下仁田町の日本農大4年生(21)が、琵琶湖でモーターボートエンジンを結んで心中。結婚を反対されたため。


昭和32年(1957).6.24〔中3がフトン針通り魔〕
 東京都江戸川区の神社で深夜11時、中学3年生(14)が主婦(32)に抱きつきフトン針をお尻に刺して逃走、7.8に捕まった。同種の事件を3件起こしていた。


昭和32年(1957).6.24〔高3ら20人の暴力恐れて臨時休校〕
 静岡県伊東市の県立高校の3年生20人(全員17)が授業妨害、生徒への暴力などを繰り返し、5人が退学、4人が無期停学、11人が訓戒となったが、処分に不満な者が仲間に呼びかけて下級生を殴り教師を脅迫したため、教師たちは報復を恐れて翌日を臨時休校にして私服警官がパトロールすることになった。
 昭和30年頃から中高校での暴力事件が続発している。


昭和32年(1957).6.26〔17歳が父親の後妻を刺殺〕
 東京都渋谷区の国鉄職員寮で、助役の妻(40)が首と腹を刺されて殺害され、日光市の店員(17)が血まみれの手のまま交番に自首してきた。店員は助役の先妻の子だが、父親からの送金が最近途絶えて生活が苦しくなり、母親が上京したが後妻に追い返されていた。これを聞いた店員は動物園を見に来たと泊まり、父親が出掛けた隙にナイフで刺し殺したもの。


昭和32年(1957).6.〔組織的暴力事犯〕
 高校2、3年生7名を交えた20名の不良少年が「青龍会」と称するグループを作り、会員以外の者に対して暴行、傷害、恐喝等計30件を働いていた事犯。(32年6月大阪府) 警察庁「少年非行」引用。


昭和32年(1957).6.30〔2歳が映画館でモモ切り魔〕
 徳島県那賀郡の映画館で、男子(2歳7ヶ月)が小学5年生の女の子(11)の太ももを安全カミソリで切って10日間の傷害を負わせて逃走しようとしたが映画館経営者に捕まった。映画上映中に男子が座席の前を通って女の子の友だちの足を踏んだために女の子が「いやらしい子ね」と云うと走り去ったが、10分後に戻って来ていきなり襲ったもの。父親は服役中で、いたずらがひどく、近所でも困っていた。無職の母親はこの時に昼寝をしており、「カミソリはどこかで拾ってきたのでしょう」と云っている。





昭和32年(1957).7.1〔19歳が毒入りウイスキーで4人殺害?〕
 奈良県山辺郡の農家で、昨年5.27に農薬のニッカリン入りウイスキーを飲んだ男性4人が死んだが、熊本県で強盗致傷未遂で逮捕された役者(20)が、劇団が村を訪れた時に殺意を持ってウイスキーを渡したとこの日に自供した。しかし、つじつまの合わないこともあるので狂言か。
 ※同じ村で同じニッカリンで女性5人が死んだ名張毒ぶどう酒事件が起きたのは昭和36年。上記の事件では5日前にもニッカリン入りウイスキーで死人が出ているので犠牲者も同じ5人。


昭和32年(1957).7.4〔中2が女教師を殴ってバットを振り上げ追い回す〕
 千葉県因幡郡の中学校で、2年生(14)が女教師(25)を殴り、逃げる教師をバットを振り上げ追い回した。1時間前の隣のクラスのテストを妨害したため、このクラスのテストでこの生徒には用紙をくばらなかったことに激昂したもの。教頭は「小さなことだ。内向性の強い生徒なので、カッとなってやったと言っている」と話す。


昭和32年(1957).7.5〔中学教師が中3を撲殺〕※参考
 東京都港区の私立芝中学校で、体育教師(26)が3年生(14)を撲殺した。授業中に隣のクラスの生徒らが大声で騒ぎながら扉を開けて生徒に声をかけた。「入代り立代りなのでいかにも自分をバカにしているようで腹が立ち、抑えきれなくなった。最後に来た生徒に怒りが爆発してしまった。夢中でやったことなので死ぬとは思わなかった」と自供。無抵抗の生徒の頭を何度も板壁に打ち付け、足払いをするなどして、翌日くも膜下腔出血で死亡させたもの。2年前に日本体育大学を卒業後して同中学に着任していた。
 東京地裁は懲役3年の判決を出した。


昭和32年(1957).7.7〔19歳くらいの通り魔〕
 大阪府大阪市の路上で夜10時、19歳くらいの少年が会社員女性(24)の右胸を刃物で刺して重体として逃走した。


昭和32年(1957).7.8〔高1がケンカの仲裁者を刺す〕
 神奈川県藤沢市の寺で、私立高校1年生(16)が同級生(16)をナイフで刺して1ヶ月の傷害を負わせて逮捕。別の同級生(16)がテストの結果を見せろとしつこく迫ってケンカとなって、被害者が留めようとして脇腹を刺されたもの。


昭和32年(1957).7.8〔中3が叱られて教師を殴る〕
 広島県呉市の中学校で、3年生が教師(43)の顔や胸を殴って3週間の傷害を負わせ逮捕。日頃から素行が悪いため叱られてカッとしたもの。


昭和32年(1957).7.11〔18歳が手製ピストルで射殺〕
 東京都立川市の自宅で、工員(18)が下宿人の進駐軍職員(35)を射殺した。部屋代のことで姉と被害者が口論となって殴られそうになったため、工業高校生だった3月に自作してフトンの下の隠して寝ていた35口径ピストルで頭を撃ったもの。


昭和32年(1957).7.11〔15歳少女ら8人の桃色遊戯グループ〕
 東京都新宿区の簡易旅館に泊まっていた、桃色遊戯グループ少女6人(15〜18)と少年2人が捕まった。中流家庭だが家出して、少女は売春、少年はかつあげで宿泊代を稼いでいた。


昭和32年(1957).7.13〔中3が父親を殺害〕
 秋田県南秋田郡の農家で、中学3年生の四男(14)が父親(50)を殺害した。畑に手伝いに行こうとしたところ酒を飲んでいる父親に「お前なんか畑に行ったってクソの役にも立たない」と云われ、カッとして「この野郎ぶっ殺してける」とナタで首を3回切り、母親(53)と弟に留められナタを取り上げられると他のナタを持ち出してさらに倒れている父親の喉に数回切りつけたもの。7人家族の中流家庭で生活に不自由はなかったが、父親は毎日酒を飲んで小言を云うため不満が鬱積していた。内向的で日頃おとなしいが切れると激昂する性格。初等少年院送致。


昭和32年(1957).7.13〔中3ら2人が路上強盗〕
 東京都文京区の路上で、中学3年生(14,15)2人が女性(23)のみぞおちを殴って金を要求したがすぐに捕まった。


昭和32年(1957).7.13〔自衛隊員が上官を射殺〕※参考
 青森県八戸市の自衛隊駐屯地で、陸士長(23)が2等陸曹(27)を射殺した。門限に遅れて上官に叱られ、カービン銃で復讐したもの。青森地裁は懲役12年の判決。


昭和32年(1957).7.19〔19歳機関士が船長を殺害〕
 兵庫県の神戸港沖で、船が沈没し船長が水死体で発見され、機関士(19)が逮捕された。船長(34)に叱られてカッとして、割ったビールビンを手に追い回してロープで身体を縛り、「命だけは助けてくれ」と泣いて頼む船長の首に碇を巻きつけ海に投げ込んだもの。「ただ、叱られるのが怖かった」と自供。


昭和32年(1957).7.19〔19歳ら2人が老女レイプ殺人で11年目に無罪〕
 八丈島で、昭和21年4.4に女性(66)がレイプされ殺害されて、店員(19)と農業手伝い(20)が1審2審とも有罪となったが、この日に最高裁で無罪が確定。令状なしで逮捕され、1ヶ月以上も拷問を受けて自白したもの。


昭和32年(1957).7.19〔高2ら11人が三つどもえの乱闘〕
 東京都渋谷区の東急会館裏で、工員4人(16〜19)が高校生3人からカツアゲしようと脅し、留めに入った法政二高2年生(16)4人と三つどもえの乱闘、棒や石で殴って捕まった。


昭和32年(1957).7.23〔18歳女子2人が路上強盗〕
 東京都北区の路上で深夜0時、無職女子(18)2人が女性(30)にカミソリを見せて「顔を切られたくなかったから腕時計を出せ」と脅し、すぐに捕まった。高校を中退して新宿の旅館で寝泊まりしていた。


昭和32年(1957).7.23〔19歳が家庭内暴力で兄に射殺される〕
 千葉県山武郡の自宅で早朝、次男(19)が父親(60)にカマで襲いかかり、留めようとした長男(25)にもカマを振るったので長男は猟銃で射殺した。次男は日頃から素行が悪いため父親に叱られてカッとしたもの。


昭和32年(1957).7.〔相手の弱点につけ込んだ中学生の輪姦事犯〕
 エロ雑誌に刺戟された中学3年生の少年(15才)が、かねて知り合いの中学2年生の少女(14才)を強姦したところ、これを知った少年の友人14名は、その少女の宅を訪問したり、通行中を待ちうけて「校内で吹聴する」と脅迫したり詐言を用いて、前後14回にわたり数人で輪姦した。(32年7月京都府) 警察庁「少年非行」引用。


昭和32年(1957).8.2〔中2が狂言強盗を働く〕
 東京都品川区平塚の中学2年生(13)が狂言強盗を働く騒ぎがあった。臨海学校に参加したかったが成績不良を理由に父親に反対されため、スリラー映画をヒントに家の中を荒らして、腕をカミソリで切って座布団に血をつけて強盗の仕業に見せかけ、兄(17)の貯金箱から800円を盗り、映画や祭見物に行ったもの。深夜に草むらに隠れているところを見つかった。父親は会社課長。


昭和32年(1957).8.3〔高3がキャンプ場で女を争い殺人未遂〕
 長野県白樺湖畔のバンガローで、東京都北多摩郡の高校3年生9人が東京都からやってきた女工4人を誘って同じく東京都からきた会社員7人と乱闘になり、会社員(21)がナイフで何度も刺されて重体。


昭和32年(1957).8.3〔海水浴場で4百人補導〕
 神奈川県警は湘南の海水浴場で、男376人、女52人、計428人補導。未成年の喫煙140、飲酒38、桃色遊戯48、けんか18、凶器所持2。大学生3人、高校生81人、中学生30人、小学生7人。


昭和32年(1957).8.3〔父親が夫婦げんかに逆上して赤ちゃん投げ殺す〕※参考
 千葉県佐倉市の自宅で、会社員(29)が妻から「酒ばかり呑んではミルク代にも困る」と言われて逆上して、長男(生後6ヶ月)を2階から外に投げ落として殺害した。


昭和32年(1957).8.10〔高2が叔父を殺害〕
 東京都練馬区の自宅で、定時高校2年生(17)が同居している叔父(45)を一升瓶で殴り、割れたビンを投げて腹に突き刺し殺害した。叔父は酒癖が悪く、この日も朝から飲んでののしり続けたためカッとなってやったもの。


昭和32年(1957).8.10〔19歳がタクシー強盗殺人2年後に自首〕
 東京都墨田区の警察署に無職(21)がやって来て、昭和30年5月に大阪府大阪市でタクシー運転手をナイフで刺殺して4千円を奪って逃走したと自供。


昭和32年(1957).8.10〔18歳が神父を殺人未遂〕
 神奈川県横浜市の教会で、少年(18)が神父(47)のノドを肉切り包丁で切り重傷にして逮捕。母親の住み込み先で、神父がいろいろ仕事をさせるので怒ったもの。


昭和32年(1957).8.15〔18歳女子や高校教員らが脅し〕
 東京都新宿区の明大中野高校宿直室で、柔道教員(33)、体育教員(32)、明大3年生(20)、無職(20)、女子(18)の5人が酒を飲んで、ダンスホールに行ってボーイを脅してただで入ろうとして逮捕された。


昭和32年(1957).8.17〔小6女子ら少年少女桃色グループ112人補導〕
 東京都世田谷区北沢の、桃色集団「根津山グループ」少年66人、少女46人の112人を補導。高校生や無職、女子中生、女子小学6年生(12)など。ゆすり60件25万円、窃盗125件110万円。桃色遊戯を繰り返していた。中流以下の家庭。


昭和32年(1957).8.19〔家出の19歳娘に警官が特飲店勤め勧める〕
 東京都で、家出の19歳娘に警官が特飲店勤め勧める。


昭和32年(1957).8.28〔19歳東大生が娼婦を殺人未遂〕
 東京都新宿区の特殊飲食店(現在の特殊浴場と同じく表向き飲食店の風俗店)で東京大学教養学部理科一類2年生(19)が女給(24)の首を絞めて殺そうとして逮捕され、サービスの悪さに怒り殺害しようとしたと自供した。成績は良かった。


昭和32年(1957).8.30〔デパートで買える宿題――昆虫標本 朝日新聞引用〕※参考
 近年、東京都内の各デパートでは子供たちの夏休みが半ば過ぎる頃になると決って昆虫標本を売り出す。この夏は内外の珍しいものに混じって、モンシロチョウ、アブラゼミなど身近な昆虫標本まで陳列、これが飛ぶような売れ行きという。これに対し日本科学標本協会の志賀卯助さんは「子供たちの宿題の昆虫標本を金で買って間に合わすようなずるいことはさせないでほしい」と文部省に善処を申し入れた。標本の値段はアゲハチョウ60〜70円、モンシロチョウ25円、アブラゼミ30円、玉虫100円といったところ。
(朝日新聞8・30)


昭和32年(1957).8.31〔16歳が家で暴れて父親に殺害される〕
 埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町の農家で、二男の工員(16)が父親(52)に5千円をせびったが拒絶されたため「皆殺しにする」とナタや木刀を振り回して暴れ、ナイフで刺そうとしたため、父親がナイフを奪って腹を刺して殺害、自首した。この年の大卒銀行員初任給12,700円。





昭和32年(1957).9.1〔中2ら5人の少女売春窃盗グループ〕
 東京都で19歳から中学2年生(14)までの少女売春窃盗グループ5人が逮捕された。会社重役(50)など被害届を出しにくい中年を旅館に誘って売春するかたわら隙を見て現金を盗み、20件15万円を稼いでいた。また、昼間は商店20店で万引きもしていた。


昭和32年(1957).9.6〔15歳ら恋人が交際叱られ心中〕
 長野県上高地中ノ瀬で、山梨県甲西町の高校4年生(17)と少女(15)が心中。親に交際を叱られたもの。


昭和32年(1957).9.8〔高3ら12人組が女の対立で殴り込み〕
 東京都豊島区の少年(17)宅に、高校3年生(18)ら少年12人組が殴り込みを掛けて捕まった。8.18に高3生は恋人(18)と喫茶店にいるところを対立グループに「アニキの女を取った」と脅され、後日の談合で仲間が殴られケガをしたため、木刀を持ってタクシー3台で押し掛けたもの。


昭和32年(1957).9.8〔2歳が両親をピストルで撃つ〕
 アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン市の自宅で、男子(2)が就寝中の母親の腹と、父親の背中を1発づつ撃ち、重傷を負わせた。早朝に起きて両親の寝室に入り込み、枕元にあったピストルを発射、父親はピストルを取り上げて電話の受話器を握ったところで失神、母親が隣家に助けを求めたもの。


昭和32年(1957).9.9〔2歳が妹殴り殺す〕
 香川県高松市の自宅で、三男(2歳6ヶ月)が長女(生後19日)を裸にしてから額を竹製の1尺物差しで殴って殺害した。妹を可愛がっていたが、10日前には口一杯にラッキョウを詰め込んだりもしていた。無口な性格。母親が洗濯をしている間の出来事。


昭和32年(1957).9.10〔16歳が脱走して少年院教護師刺す〕
 東京都台東区の路上で、少年(16)が少年院教護師(30)の腹と手をナイフで刺して重態として逃走、9.14に自宅に舞い戻ったところを逮捕された。8.29に少年院を脱走して自宅に帰り、教護師に連れ戻されそうになって逃れようとしたもの。


昭和32年(1957).9.11〔高2ら20数人の暴力グループ〕
 千葉県の法政大1年生(21)をリーダーとする高校生20数人の暴力グループが逮捕された。法政大生のアパートに対立する高校生グループ7人を監禁、裸にして6時間もベルトでめった打ちにしたり、高校中退の情婦(18)に手を出した子分の高校2年生(17)に制裁するなどのリンチを加えて現金3万円以上や腕時計を奪う暴力事件を何件も繰り返していた。


昭和32年(1957).9.12〔小5が同級生をバットで殴り重傷負わす〕
 東京都中野区のグラウンドで、野球の練習をしていた小学5年生(11)が友人(11)にからかわれてカッとしてバットで頭を殴り、2ヶ月の重傷を負わせた。


昭和32年(1957).9.19〔共学嫌い三人娘の就学拒否する父親に有罪 毎日新聞引用〕※参考
 「男女共学は子供を不良にする」と三人娘を小・中学校に通学させなかった父親が最高裁で有罪となった。この父親は新潟県の機械工具ブローカーMさん(51)で、「私の長女(21)、次女(19)は親を捨て現在行方不明になっている。この原因は男女共学で不良になったからだ。私が有害な場所と信じているところにどうしても行かせられない」と三女(15)、四女(13)、五女(10)、の娘三人を30年11月から翌年7月の間、通学させなかったもの。
 新潟県教委の再三の勧告を無視したために告発され、一審の地裁で罰金1000円、執行猶予2年の判決を受け控訴、二審の東京高裁で棄却され最高裁に上告していた。児童の就学義務違反事件を最高裁にまで持ち込まれたのはこれが初めて。
(毎日新聞9・19夕刊)


昭和32年(1957).9.21〔中1と小3の兄弟がロケット製造で爆発失明〕
 神奈川県横浜市の自宅で、中学1年生(13)と小学3年生(9)の兄弟がかんしゃく玉の火薬でロケットを造ろうとして爆発、2人とも右目を失明、顔にヤケドを負った。


昭和32年(1957).9.21〔少年少女23人が深夜喫茶で桃色遊戯〕
 東京都の警視庁少年課は、深夜11時から翌朝6時まで、新宿の深夜喫茶26店を一斉手入れ、飲酒や桃色遊戯にふけっていた少年23人を補導した。うち少女2人。


昭和32年(1957).9.22〔17歳ら3人組女子が路上強盗〕
 神奈川県川崎市の路上で、17歳ら3人の女子が女工(18)2人に殴る蹴るの暴行を加えて現金95円とコートを強奪、すぐに捕まった。同様の路上強盗を3回繰り返していた。


昭和32年(1957).9.23〔16歳ら3人組強盗〕
 東京都中野区の会社員宅に深夜3時前、住所不定無職の3人組(19,18,16)が強盗に押し入り、主婦(29)に日本刀を突きつけ現金千3百円とカメラなどを強奪、逃走したが25日に捕まった。自動車5台(5百万円相当)も盗んでいた。この年の大卒銀行員初任給12,700円。


昭和32年(1957).9.25〔高3の桃色グループ〕
 和歌山県の高校3年生は9月の盆踊りでアベックの高校生にからみ2年生女子を連れ込んでレイプした。同じ高校の女子2人とむりやり関係を持っていたことも発覚、この3年生をリーダーとする12人(女子2人)の不純異性行為を繰り返していた桃色グループが退学処分となった。穏便な処置で更正させようと他の教師を説得していた校長は9.25に飛び込み自殺した。


昭和32年(1957).9.29〔中3不良グループが暴れ回る〕
 東京都足立区立中学の教師(26)が、「生徒たちの暴行で一教師が負傷した。私も生命の危険にさらされている。なんとかしてください」という匿名の投書を東京都教育庁に出し、荒れる中学の実態が明らかになった。3年生(15)をリーダーとする10人の不良グループは2年生の時から上級生にまで暴行を加え、他校生とケンカを繰り返し、9.1の始業式には「1年のとき殴られた復讐だ」と生徒の前で投書の教師を棒で殴ってケガを負わせ、酔って職員室に押し掛けバットを振り回してガラスを割るなど暴れ回り、授業も妨害していた。


昭和32年(1957).9.30〔中3不良グループが暴れ回る〕※参考
 東京都台東区の路上で、22,3くらいの男が自転車に乗って女性(18)の顔にいきなり硫酸を浴びせて2週間の傷害を負わせた。


昭和32年(1957).10.6〔小6が自殺〕
 北海道亀田郡の自宅裏で、小学6年生(12)が首つり自殺した。9.9に女の子にいたずらして泣かせたが、教師(30)が運動会の祝い酒に酔っていたこともあって「殺してやる」と云いながら10回以上も殴り、鼻血を出す十日間のケガを負わせ、それから学校に行くのを嫌がっていた。「学校に行きたくない」という遺書も残していたため両親は学校の責任を追及、学校は殴ったことは事実だが自殺の原因は家庭にあると対立、翌日、児童福祉司の調査などで4年生のときから死にたいと云っていたことなどから厳しい家庭に原因があると結論を出した。


昭和32年(1957).10.15〔父親が幼い息子を保険金殺人〕※参考
 福島県伊達郡で、露天商(42)が次男(10)に青酸カリを飲ませて毒殺した。自分が上顎ガンの再発の恐れがあり生活が苦しいこともあって百万円の生命保険を掛けて詐取しようと、妻の実家で実行したもの。自殺するため茶碗に入れた青酸カリを次男が飛びついて飲んだので自分が殺したのではないと主張したが、福島地裁は懲役10年の判決。


昭和32年(1957).10.16〔中3が教師殴る〕
 東京都の中学校で、3年生(14)が酒を飲んでからバットを持って職員室に押し入り教師を襲おうとしたが他の教師数人に留められ、カッとして物を投げつけて黒板を割ったり暴れて逮捕された。9.2には同級生とふたりで「てめいに怨みがある。仕返しをする」と云って教師(26)の股などを掃除用ブラシの柄で殴り、学校は保護者を呼び出して厳重注意をしていた。10.3には同級生5人で別の教師を殴ろうとしたが未遂に終っている。
 父親(52)は製紙原料商で130坪の仕切り場を所有して10人の収集人を使ってそれらの家族を含めて40人の住居も貸している。三男がこの中学に在籍中、修学旅行で校長を殴っている。


昭和32年(1957).10.24〔24歳駒大生が補導会員を悪用して少女にいたずら〕※参考
 東京都新宿区下落合の駒沢大学文学部4年生(24)が、不良少年善導組織ビック・ブラザーズ・アンド・シスターズ(BBS会)の会員という立場を利用して少女らにいたずらを繰り返し逮捕された。小学4年生の女の子(9)に補導手帳を示して「悪いことをしてはいけないよ。私と一緒に遊ぼう」と騙してトイレに連れ出してレイプ、女子中学生3人にもいたずらしていた。言いなりにならなかった女子高校生には不良行為を学校に連絡し、2人が転校などの処分になっていた。
 BBS会は法務省保護観察所の指導下で保護司の補助として働く青年組織。


昭和32年(1957).10.24〔女子高生が同情して心中〕
 千葉県川崎市の京浜東北線で、東京都葛飾区の会杜員(19)と女子高生(18)が飛び込み自殺。女子が男の病気を同情して。


昭和32年(1957).10.28〔高2が強盗殺人未遂〕
 長野県南安曇郡の民家で深夜、高校2年生(17)が押し入り、就寝中の男性(47)の頭を薪割りで殴り、現金9百円を強奪して逃走した。10.31に意識不明の男性が発見され、11.12に逮捕。成績優秀だったが、不良と交わって喫煙と遊びに授業料を使い込み、成績は最低になって学校にはほとんど行っていなかった。





昭和32年(1957).11.1〔高3修学旅行生22人が集団万引き〕
 神奈川県川崎市の法政二高校3年生22人が、修学旅行に来ていた博多駅の売店で土産物37点や雑誌、果物など3万円分を集団万引きし書類送検された。品物は列車の窓から捨てたりしていた。この年の大卒銀行員初任給12,700円。


昭和32年(1957).11.4〔中1ら2人がレイプ未遂〕
 東京都足立区で夜11時、中学1年生2人(12,13)が近所の会社員宅へ押し入り、就寝中の長女(16)をレイプしようとしたが騒がれたため未遂に終わり、すぐに補導された。縄とナイフを用意していた。


昭和32年(1957).11.11〔大学生、ホステス殺し金品奪う〕
 東京都で、大学生、ホステス殺し金品奪う。


昭和32年(1957).11.11〔19歳が心中しようと妹殺害〕
 大阪府大阪市で、工員(19)が妹の小学6年生の少女(12)を川に突き落として殺害、翌日自首した。両親がおらず生活が苦しいため心中しようとしたが死にきれなかったもの。兄(24)は家出、末の妹(9)は養女に出して行方が判らず、精神的に追い詰められていた。小6少女は成績もよく生徒会副会長も勤める明るい性格だった。


昭和32年(1957).11.16〔高校生58人が大乱闘で決闘罪〕
 大阪府大阪市で、府立工業高校と私立高校58人が大乱闘、全員が決闘罪で12.2に逮捕された。


昭和32年(1957).11.16〔35歳が無差別殺人〕※参考
 神奈川県厚木市で、無職(35)がナタで6人を次々滅多打ちにして殺傷、翌日逮捕された。


昭和32年(1957).11.20〔19歳ニートが姉ら三人殺害〕
 愛知県北設楽郡の自宅で、無職(19)が姉(32)と姉の長女(11)長男(4)を殺害。


昭和32年(1957).11.21〔中1が勇気を得るため幼女を殺害〕
 兵庫県神戸市の雑木林で、中学1年生(13)が同居している従兄弟の女の子(5)を殺害、翌日に発見者を装って通報したが、12.6に家出して警察に保護され、追及されて12.8に自供した。友人の中学2年生(14)2人に「殺人をすると勇気が持てる」と言われ、誰を殺せと指定はされていないのに、折り紙を盗むために幼稚園の塀を乗り越えようとしているところを女の子に見られ、厳しい祖父に叱られることを恐れたこともあって山に誘い出し、探偵小説で知った方法で絞殺、アリバイ工作もしていた。中2生は殺人教唆で取り調べ。父親は戦死、母親は米軍人と結婚して米国に行ってしまい、祖父母に育てられていた。成績は悪く、内気な性格で、学校も休みがちだった。


昭和32年(1957).11.21〔高2ら27人の愚連隊「黒百合会」〕
 兵庫県神戸市で、高校2年生(17)ら高校生8人、中学生2人、工員(17)ら工員17人、うち女子2人からなる愚連隊「黒百合会」が逮捕された。窃盗20件、暴行3件、傷害、強姦など1件。リーダーの高2生は父親が会社重役で放任されており、元教師の母親は「警察が息子を脅迫して事件をでっちあげたに違いない」と話す。メンバーのほとんどが中流家庭で、「暴力は万事に優先する」「裏切り者には制裁を加える」などの掟を誓い合っていた。


昭和32年(1957).11.21〔17歳が無免許轢き逃げで16人死傷〕
 神奈川県横浜市で、工員(17)が小型トラックで暴走して16人をはね飛ばし、菓子店に突っ込み隣りの家と2軒を大破させた。女の子(3)、小学2年生(8)、小学5年生(11)の3人が死亡、5人が危篤状態、5人重傷、3人に軽傷を与えて逃走、翌日逮捕された。無免許運転で会社の車を無断で遊びで乗り回して、ブレーキとアクセルを踏み間違えたもの。横浜地裁は重過失致死傷罪で求刑通り禁固1〜2年の不定期刑判決。生き残った被害者も失明の恐れなど後遺症がひどく、一部の被害者は少年と会社を相手取って200万円の損害賠償請求訴訟を起した。少年の父親は織工で損害賠償にはとても応じられないと云い、会社も責任はないと争う姿勢。


昭和32年(1957).11.24〔高3が思い通りにしてくれない母親を殺害〕
 神奈川県厚木市の自宅で、定時高校3年生(18)が母親を殺害し現金千4百円を奪って逃走したが、翌日逮捕された。「母が思い通りにしてくれなかったので殺した」と自供した。工業用の大ハンマーで後頭部を殴って殺したもの。





昭和32年(1957).12.1〔高2が酒乱の父親殺害〕
 東京都中央区銀座の路上で、高校生(16)ら10人が通行中の女子(15,16,17)3人を無理やり車に乗せて江東区の簡易旅館に連れ込み、脅迫して集団レイプした。早稲田、慶応、明治、日大の附属高校の生徒で中流以上の家庭の子息が銀座で結成した「強姦グループ」の一員で、同様の手口で集団レイプを繰り返していた。


昭和32年(1957).12.4〔高2が酒乱の父親殺害〕
 大阪府堺市の自宅で、定時高校2年生(17)が父親(42)の頭を鉄の花瓶で殴って、母親(37)と2人で紐で絞殺、逮捕された。父親は3年前に仕事をやめて酒を飲んでは暴れ、この日も「殺してやる」と包丁を手にしようとしたため留めようとしたもの。


昭和32年(1957).12.5〔高2が部落差別のため心中〕
 滋賀県比叡山で、大阪府泉北郡の高校2年生女子(16)が恋人の同級生(17)と睡眠薬自殺を図って死亡、男子は生き残って殺人幇助で取り調べ。結婚の約束をしたが、女子が被差別部落出身のため男子の両親が反対し、さらに父親の勤める高校に転校するよう強要したため心中を決意したもの。


昭和32年(1957).12.7〔22歳が一家4人を強盗放火殺人〕※参考
 京都府京都市の大映製作部長宅で深夜0時、無職(22)が窃盗に入って見つかり、妻(32)、養女(10)、女中(16)を殴って、カメラ、腕時計を強奪して油をまいて放火、長男(4)を含めて4人を焼き殺して逃走、18日に逮捕された。3月に妻に逃げられ自暴自棄となって自殺未遂もしていた。


昭和32年(1957).12.10〔19歳満州国皇帝の姪が心中 天城山心中〕
 静岡県天城山で、元満州国皇帝の姪で学習院大学2年生の愛親覚羅慧生(19)が、級友の青年(20)と拳銃で心中した死体となって発見された。自分たちの交際が認められなかったことや、少女の母親が政略結婚であったことへの反発などが原因とされている。


昭和32年(1957).12.11〔19歳が同僚2人を殺人未遂〕
 東京都北区の洋品店で、住み込み店員(19)が、同僚(25,17)2人をナタと包丁で切って1人重体とし、自分の腹を刺して3週間のケガを負った。新入りなのでいじめられ、復讐のため殺害して自殺するつもりだったと自供。


昭和32年(1957).12.16〔18歳が甥を誘拐殺人〕
 愛知県碧南市で、無職(18)が兄の息子(6)を誘拐して絞殺、小学校内の貯水池に沈めてから「60万円よこせ」という脅迫状が何通も出したが、警察の警戒が厳重で金を受け取ることはできなかった。翌年5.21に小学4年生が腐った子供の足首を釣り上げ、死体を発見、重しとして結びつけられていた鉄棒が無職のものだったため逮捕された。
 6.17に雪村いづみに脅迫状を送り、金を受け取りに現れたところを逮捕され、7月に少年鑑別所を出所。風俗嬢と結婚する資金を得るため、石原慎太郎・主演の映画「危険な英雄」にヒントを得て、誘拐してすぐに殺害してから身代金を取る計画を立てたもの。警察は最初から無職が犯人だと睨んでいたが証拠がなく、兄は絶対に違うとかばい続けていた。中2の時にこの池で溺れていた子供を救助して表彰されていたが、助けたのは発見者の4年生だった。


昭和32年(1957).12.17〔19歳が授業中の小6少女を誘拐殺人 郁恵ちゃん殺し〕
 福岡県田川市の小学校で、左官見習いの久保章(19)が「お母さんが急病だから迎えに来た」と授業中の小学6年生の少女(11)を連れ出し山中に誘拐、少女が悲鳴を上げて逃げ出したので両手や紐で絞殺、その後に「3万円持ってこい。警察に知らせたら娘の命はないものと思え」と身代金要求の脅迫状を家に届けた。翌日、ズボンを脱がされた少女の死体が発見され、犯人も特定されたが17日間も逃走して翌年1.2に逮捕された。
 家出中で、小遣銭に窮し漫画難誌からヒントを得て、登校中にたまたま見かけた少女を狙ったもの。2回の非行歴がある札付き。昭和33年8.22、精神鑑定のため留置されていた九州大学付属病院精神科病棟から脱走、自転車を盗んで逃走したが、2時間後に田んぼで巡査と格闘して捕まった。昭和35年6月、最高裁で死刑確定。


昭和32年(1957).12.17〔18歳息子の喫煙で父親起訴される〕
 山梨県で、18歳息子の喫煙で父親起訴される。


昭和32年(1957).12.18〔18歳ら大学生が心中未遂〕
 愛媛県松山市の旅館で、学習院大学2年生(19)と学習院短大1年生女子(18)が睡眠薬を飲んで手首を切って心中を図って重体となったが命を取り留めた。11.1に修学旅行先で集団万引きをした法政二高の校長の長男で、父親が九州にお詫びに行った14日に家出していた。夏休みに2人で北海道旅行をしたことを親に注意され、万引き事件や天城山心中の影響。


昭和32年(1957).12.19〔19歳が国籍偽って東大合格〕
 静岡県静岡市の高校を去年卒業して東大に落ちた浪人生(19)は、この春に乙種外国人試験を受けて東大教養学部に合格、入学して半年間通っていたが高校の同級生に見つかって学歴詐称が発覚、この日に入学取り消し処分を受けた。父親が韓国人で母親が日本人だが日本国籍で県立高校を卒業、韓国の高校の卒業証明書を手に入れて外人登録をして、私費留学生として38人中8人合格の特別入試を受けたもの。


昭和32年(1957).12.20〔19歳が恋人を刺殺〕
 東京都江東区の簡易旅館で、無職男(19)がこの旅館の三女(18)を殺害、指名手配されたがその日のうちに自首してきた。12.5に映画館で三女と知り合い、その日に公園で関係して三女の旅館に泊まっていたが、この部屋で5百円が紛失したことから仲が悪くなり、関係を迫った男を三女が拒んだためカッとなってナイフで刺したもの。無期求刑だったが東京地裁は懲役13年の判決。


昭和32年(1957).12.20〔中3が女教師に暴力〕
 東京都府中市の中学校で、授業中に3年生(14)が女教師(23)を「点数が悪い」と蹴飛ばして1週間の傷害を負わせ、逃げた教師を連れてくるように言って同級生を殴り、他の教室に行って生徒を殴った。番長でこれまでにも教師をたびたび脅していた。柔道初段。これ以降も「ストーブをひっくり返して学校を丸焼きにしてやる」と云い振らすなど素行が改まらないので、翌年1.20に出席停止処分。


昭和32年(1957).12.22〔大学生4人が集団レイプ〕※参考
 東京都世田谷区の成城学園で、成城大、学習院、日大ら大学生(20)4人が、女性1人を集団レイプして逮捕された。車で送っていってやろうと誘い、学校に連れ込んだもの。


昭和32年(1957).12.24〔19歳が代金催促されて強盗殺人〕
 福岡県飯塚市の山中で、少年(19)が洋服行商屋(44)を殺害、翌日逮捕された。12.17にオーバーを買って、代金を請求されたために騙して連れ込み棒で頭をめった打ちして現金7千円を強奪したもの。


昭和32年(1957).12.24〔小5が登校拒否で叱られ自殺〕
 大阪府大阪市の自宅で、小学5年生(11)が首吊り自殺。勉強嫌いで登校拒否をしていたが、7年前に母親は死亡して姉(20)も入院中で、仕事に忙しい父親は気づいておらず、この日の成績表で初めて知って「お前のようなものはお父さんの子供ではない」と叱ったあとの出来事。


昭和32年(1957).12.29〔小4が叱られ自殺〕
 広島県広島市の自宅トイレで、小学4年生(9)が首吊り自殺。下着姿のまま朝食を食べようとして父親に叱られ殴られた直後。日頃から親の言うことをきかなかった。


昭和32年(1957).12.30〔19歳が競馬場で売上金狙う〕
 千葉県船橋市の中山競馬場で、電気工(19)が売上金100万円を運んでいた職員(40)の頭を鉄パイプで殴って3週間の重傷を負わせたが、職員と警備員にその場で取り押さえられた。電子計算機の点検に同僚と2人で来ており、金欲しさから襲ったもの。


昭和32年(1957).12.〔犯罪に興味をもつ17才少年のけん銃強盗事犯〕
 比較的家庭環境に恵まれ中学を中位の成績で卒業した17才の少年が、犯罪に興味を持ち新聞の切抜等をしているうち自ら犯罪を行って見たくたり、自宅附近でけん銃を擬して強盗を行った事犯。(32年12月徳島県) 警察庁「少年非行」引用。


昭和32年(1957).12.〔中学生の受持教師殴打事犯〕
 暴行、恐喝などの非行歴のある中学3年の少年が、以前受持教師にパン代を借りようとして断られたことを恨んで復しゅうを決意し、授業時間中教室を出たり入ったりするなど不真面目なことをして教師を怒らせ、注意されると猛然と襲いかかり拳で同教師の顔面を殴りつけて、前上歯一本を折損させた事犯。(32年12月福島県) 警察庁「少年非行」引用。



※タイトルと本文が同じ短いデータはすべて「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。※



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『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
 9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代




少年犯罪データベース

13歳以下の犯罪

異常犯罪

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少年犯罪統計データ

少年の殺人統計グラフ

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親殺し統計グラフ


子どもの犯罪被害データーベース



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主要参考文献

〔年表〕子どもの事件 1945-1989

戦前の少年犯罪

戦後死刑囚列伝

新聞集成昭和史の証言

新聞集成昭和編年史

日本の精神鑑定

日本長期統計総覧

年表 昭和の事件・事故史

昭和史全記録 1926〜1989

値段史年表 明治・大正・昭和

事件・犯罪大事典 明治・大正・昭和

20世紀にっぽん殺人事典

青少年非行・犯罪史資料1-3

教育事件・論争史資料

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読売新聞縮刷版

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警察白書

犯罪白書





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少年犯罪データベースが参考文献として掲載されています。



少年犯罪データベースのデータが引用されています。