少年犯罪データベース 大量殺人(2人以上殺害)

※昭和24年以前の年齢表記は数え年のため満年齢にすると1〜2歳低くなる※





昭和3年(1928).6.27〔20歳(満18〜19歳)が強盗殺人、さらに隠蔽のため弟殺害〕
 東京市世田谷区松沢町上北沢の民家で、東京美術学校彫刻科生の谷口富士郎(20)と日大第二中学4年生の省二郎(18)の兄弟が押し入り、資産家女性(66)を用意していた彫刻用カナヅチで殴ってから電線で絞殺、2円30銭入りのサイフと懐中時計などを強奪して逃走した。この年の銀行員大卒初任給70円。
 富士郎は事件隠蔽のため11.11に省二郎を彫刻用カナヅチで殴り殺し、日大第二中学生の三男(17)に手伝わせて玄関に死体を埋め、さらに三男も殺害しようとしたが失敗して精神異常者として無理やり松沢病院に入れ、事件は迷宮入りとなった。中耳炎で死期が近づいた三男は昭和5年に告白、4.24に米国へ恋人と彫刻留学直前の富士郎が逮捕された。
 札幌医師会副会長をしている資産家の医学博士の息子で、昭和2年に3兄弟だけで勉学のため上京。家から充分すぎる送金をしてもらっていたが、カフェーの女給数人と遊び回っていたため学費を使い込んで困り、知り合いの資産家女性を襲ったもの。
 富士郎も精神異常となって松沢病院に入り裁判は中断したが、昭和10年12.5に最高裁で無期懲役が確定した。


昭和5年(1930).6.26〔18歳(満16〜17歳)ニートが母と妹殺人〕
 岡山県岡山市の自宅で、次男(18)が自慰行為を見つかり叱られたために就寝中の母親(43)を帯で絞殺した。6.30に妹(9)が母親を慕うので極楽にやるつもりで帯で絞殺、腐乱死体と暮らしていた。7.2に知人宅に侵入して暴れたので逮捕され、翌日死体が発見された。
 岡山一中に進学したが、無口で友人もおらず、過度の勉強で神経症心悸亢進となって関西中学に転校、去年12月に退学した。父親は陸軍少佐だが、精神病で死んでいる。長男は陸軍士官学校に在籍中。取り調べの警官にも殴りかかるなど兇暴性があり、精神鑑定の結果、心神喪失で8.1に不起訴処分。


昭和6年(1931).11.1〔17歳(満15〜16歳)が同僚32人を皆殺し毒殺〕
 愛知県名古屋市の製薬商ノーシン本店で、店員(17)が朝食のみそ汁にアヒ酸を入れ、店員32人が飲んで7人が重体、他も重傷となって、すぐに逮捕された。仕事を怠けるので皆に嫌われ、解雇するよう主人に頼むと聞かされ、復讐のため皆殺しにしようとしたもの。長野県下伊那郡出身。


昭和7年(1932).8.25〔18歳が遺産争いから祖母一家3人惨殺〕
 岡山県浅口郡で深夜2時、精米業者(満18歳)が近所の祖母の家に日本刀を持って押し入り、叔母(満23歳)を10数回めった刺しにし、叔母の長女(生後3日)の首を左右に貫通、逃げる祖母(満59歳)の胸を2回刺して3人を殺害、叔父(30)に3ヶ月の重傷を負わせて、自分の喉を突いて自決しようとしたが死にきれずに逃走、すぐに逮捕された。
 元は同居していたが、母と祖母や叔母との関係がうまくいかず2年前に家を建てて別居、父がこの年の1月に死亡して精米業者は9千坪の田畑と3万円の遺産を相続したが、叔母が2千坪の田畑と3千円の財産分与を要求してきて「子供のくせに引っ込んでおれ」と云われたことを恨んだもの。3人兄妹の長男で、極めて無口な性格だった。この年の銀行員大卒初任給70円。
 精神障害で、また幼女は殺すつもりはなかったと裁判で争ったが退けられ、大審院で尊属殺および殺人罪で無期懲役が確定した。


昭和8年(1933).5.24〔16歳(満14〜15歳)が嫉妬して友人一家皆殺し未遂〕
 愛知県額田郡で、少年(16)が隣りの農家に侵入してお茶に昇汞水を入れ、飲んだ主人(42)が入院、翌日逮捕された。中流家庭だが、隣家はさらに裕福で、友人である隣家の次男(16)が皆の人気者であることを妬んで一家皆殺しを謀ったもの。


昭和8年(1933).6.4〔19歳(満17〜18歳)ら2人組が主人一家3人皆殺し〕
 大阪府大阪市の洋家具製造販売商宅で、住み込み店員(19,20)2人が主人(42)と妻(40)を絞殺、外出したと嘘を付き、犯行を知らずに店員と同室で寝た養子(16)を翌朝7時に起こしてから絞殺、死体を広島県まで運んで遺棄しようとして逮捕された。人使いが荒く、いつも叱られているので、復讐して240円と家財道具を奪おうと5.31から計画したもの。この年の銀行員大卒初任給70円。


昭和8年(1933).7.14〔20歳(満18〜19歳)が信号無視で3人轢き殺す〕
 東京市浅草区の交差点で、タクシー運転手の朝鮮人(20)がスピードを出し過ぎて赤信号に突っ込み、横断中の通行人5人をはね飛ばして3人を殺害、2人を重傷として逮捕された。


昭和8年(1933).8.20〔小2(満9〜10歳)が3人殺害〕
 大阪府北河内郡四条畷町で、小学2年生(11)が、女の子(9)の家でこの娘のこずかい2銭を盗って逃走した。女の子と妹(6)、姉妹の親戚の小学2年生(9)ら3人が追い掛け、返してくれと迫ったが、小2生は返すと騙して池に誘い込んで女の子を突き落とし、男の子の頭を棒で殴って倒してから池に放り込み、逃げる妹を追い掛けて後ろから絞殺して池に投げ入れ、3人とも殺害した。深夜に死体が発見されて警察の取り調べを受けたが、姉(15)が1人でやったと嘘をつき、父と自分の共犯、姉と自分の共犯などと自供を変えたが、8.23になって自分1人でやったと自白した。日雇い人夫の長男。


昭和9年(1934).3.15〔20歳(満18〜19歳)の真面目な長男が何人殺せるか試すため一家皆殺し〕
 奈良県北葛城郡の農家で深夜2時、長男(20)が就寝中の家族5人の頭を斧で殴り、母親(48)、2男(18)、長女(15)、3男(13)を殺害、父親(53)を重体とした。すぐに隣家に押し入り、就寝中の長女(18)の頭を斧で殴り、逃げようとするところを肩と足を切って重傷を負わせ、母親(36)にも切りつけたが斧を奪われ逃走、百メートル離れた線路で列車に飛び込んで自殺した。真面目な働き者の模範少年だったが、数日前に「自分が命を投げ出したら、幾人くらい殺せるだろうか」と話していた。


昭和10年(1935).4.21〔18歳(満16〜17歳)が主人一家3人惨殺〕
 岩手県九戸郡の雑貨店で深夜2時、雇人(18)が侵入して主人(45)、妻(29)、長女(7)を殺害、逃走したがすぐに逮捕された。日頃から妻に虐待されているのを恨み、斧で頭をめった打ちにしたもの。


昭和11年(1936).4.16〔18歳(満16〜17歳)の向島幼女連続殺人事件〕
 東京市向島区の空き地で、無職少年(18)が赤貧の母子家庭の小学3年生の次女(10)の首を刺して殺害、5.31に近くの海産商宅で長女(3)の首を刺して殺害した。6.6に肉切り包丁を所持して新たな標的を求めてうろついているうちに逮捕され、6.12に犯行を認めた。
 北海道生まれで樺太で育ち、小学生のときに家族と共に上京、成績は優秀で2番を通していたが大工の父親が病死したため小卒で就職、仲間に頭の形がビリケンみたいとからかわれて4.8に工場をやめてぶらぶらして強盗を思いついたが、空き地で母親の帰りを待つ女の子を見るといきなり刺殺、海産商宅でも侵入して寝ている女の子を見るといきなり刺殺して何も盗らずに逃げている。「1人で寝ている幼女の姿が恐ろしかったから刺した」と自供。
 探偵小説や犯罪記事のマニアで、昨年8月には工場経営者や大店に脅迫状を送って騒ぎが起こるのを喜んでいた。親孝行で近所の評判、祈祷師の母親(42)は「我が子ながらよくできた子供です。あの子に限って大それたことをするはずがありません」と語る。兄と弟がいる。取り調べには平然と答えて捜査官を唖然とさせる。なお、小3生はいたずらをされた形跡があった。
 海産商の事件では両親が疑われて、新聞はいかに酷い親だったかとプライバシーを連日書き立てた。東京地裁は無期懲役判決を出したが、不服として控訴。


昭和11年(1936).4.25〔19歳(満17〜18歳)が主人一家6人惨殺〕
 東京市世田谷区の派出所で午前4時、頭から血を流している少年が駆け込んで来て「ただいま、自分の家の一家が殺傷されました」と訴えた。染物業宅に警察が急行すると妻(35)と長女(6)はすでに死亡、主人(35)次男(10)二女(4)と雇人(16)が瀕死の重傷で血の海にうめいており病院に運んだが、通報に来た小学5年生の長男(11)は頭蓋骨骨折の重傷、他の6人が死んだ。台所では雇人(19)がガス管をくわえて自殺を謀って倒れていたが命は取り留めた。
 群馬県生まれで6年前から住み込みで真面目に働いていたが、金勘定のことでいつも叱られていた。また妻に対しておかしな態度だと注意され「世の中が嫌になったので全部殺して自分も死ぬつもりだった」と自供。深夜3時にマサカリで寝ている家族を次々襲い、柄が折れるとクワで惨殺したもの。「余り疑ふな。頼まれたからやりました」という遺書を書いていた。殺したもう1人の雇人は従兄弟に当たる。
 死刑が求刑されたが、東京地裁は心神喪失だとして無期懲役判決。


昭和12年(1937).6.8〔19歳(満17〜18歳)ら少年数人が老女2人殺害して収容所脱走〕
 大阪府の不良少年収容所で、少年数人は教誨師が外出している隙に留守番の老女2人にふとんを被せて殺害、金を盗って逃走した。8.2に東京市本所区の木賃宿で、リーダーの少年(19)が捕まった。7月に上京してスリや強盗をしていた。


昭和12年(1937).6.20〔15歳(満13〜14歳)が主人一家ら3人殺害〕
 東京市荒川区三河島町の砂糖商宅で、雇い人(15)が深夜1時に同じ部屋で寝ていた同僚(15)の手足を縛って首に紐を三重に巻いて絞殺、金庫の金を盗もうするところを主人の妻(33)に発見されたため顔や頭を氷砂糖を割るカナヅチで殴って殺害、傍で寝ていた三女(2)を手ぬぐいで絞殺、主人の服を着て150円を盗んで逃走した。主人は娘2人と番頭を連れて砂糖会社招待の慰安旅行に出掛けて留守だった。
 写真入りの手配書10万枚が配られ、顔の特徴から「ホクロ少年」と呼ばれて各地で目撃されるたびに新聞で大騒ぎされながらも1ヶ月も逃亡して、7.21に満州国奉天市で捕まった。活動写真見物などに金を使って15円しか残っていなかった。この年の銀行員大卒初任給70円。
 少年は主人の従兄弟にあたり、父親が外地を渡り歩く写真師だったため満州国遼陽市で生まれた。父親は1年前に死亡、母親も4歳の時に死んでおり、継母とともに静岡県磐田郡の工場で働いていたが盗みのためクビとなり、2月からこの家で勤めることとなった。


昭和13年(1938).7.10〔18歳(満16〜17歳)が主人一家ら9人殺人未遂〕
 東京市目黒区のペンキ屋で深夜1時、住み込み従業員(18)が、就寝中の主人夫婦をナタで殴って1ヶ月の重傷を負わせ、子供たち(18〜4)6人と同僚従業員(16)に1,2週間の傷を負わせ、台所に油をまいて放火、「人殺し、人殺し」と叫びながら自分の頭をカナヅチで殴って自殺を図っているところを逮捕された。主人の妻の従兄弟で、2年前から勤めていたが、2月から勤め出した同僚が働き者で主人にかわいがられているのを恨んだもの。無口な性格だった。


昭和13年(1938).7.30〔18歳(満16〜17歳)が主人一家4人殺人未遂〕
 東京市本所区の自動車部品業宅で深夜3時、元従業員(18)が侵入、部品を盗んで、台所のガス栓を開けて就寝中の主人夫婦と子供2人の殺害を謀り、小型トラックで逃走しようとしたが豪雨のため発進できず、臭いに起きた他の従業員に捕まえられた。最近クビになっていた。千葉県出身。


昭和13年(1938).12.12〔20歳(満18〜19歳)ら2人が強盗殺人で死刑〕
 東京市小石川区の金物商宅で早朝、無職少年(20)と無職男(26)の2人組が押し入り、就寝中の店員(15)を刺殺、女主人(28)の夫(36)を刺殺、女主人に重傷を負わせて逃走、少年は12.13に、男は翌年9.1に逮捕された。更新会(左翼系の貧民支援団体と思われる)に泊まっていて知り合い、故郷の群馬県勢多郡と神奈川県に帰る汽車賃を更新会にもらいながら、少年がかつて働いていた金物商に強盗に入るよう誘い、その店で海軍ナイフを買って夜から庭先に潜んでいたもの。怨みのあった女主人の弟と間違えて夫をめった刺しにし、女主人も殺そうとしたが暗闇の中で同士討ちをしてケガを負ったため金も盗らずに逃げていた。主犯の少年は東京地裁で死刑判決。


昭和14年(1939).4.6〔20歳(満18〜19歳)ニートが母親ら4人刺殺〕
 岡山県岡山市の自宅で、長男(20)が突然母親(40)の喉をナイフで刺して殺害、遊郭に押し入り仲居(34)を刺殺、食堂でコック(33)と女給(33)を刺殺、駆けつけた巡査3人ら大勢を相手に暴れ回りコック2人も重傷としてから逮捕された。父親は工場事務員で、1年前に中学を卒業して高等商業学校の入試に落ちてから神経衰弱となっていた。


昭和14年(1939).6.17〔15歳(満13〜14歳)が幼女2人連続殺人死体レイプ〕
 千葉県印旛郡の路上で、工員(15)が小学2年生の女の子(9)をいきなり絞殺、死体を小学校裏の林に運んでレイプした。6.18に死体が発見されたが、この日に同じ村の小学4年生の女の子(11)を絞殺、死体を神社の裏山に運んでレイプしてからナイフで腹から胸まで割いて内臓が見える状態で放置、6.19に死体が発見された。6.21に警官に見つかり逃走したがすぐに逮捕。知能が低く、子供たちにも日頃からかわれており、3月には少女(16)を襲っていた。


昭和14年(1939).11.23〔18歳(満16〜17歳)ニートが親戚女性2人殺害して自殺〕
 大阪府大阪市で朝6時、無職少年(18)が祭日の赤飯を炊いていた従姉妹の女工(20)の胸をいきなりナイフで刺して殺害、逃げようとした従兄弟(31)の妻(24)の背中から心臓を刺して殺害、叔母(55)の胸などを3回刺して重体として逃走、5百メートル離れた空き地で服毒自殺した。小卒後は結核のため仕事に就けず憂鬱症になっていた。大阪市に住んでおり、2日前に叔父宅を訪ねてきて泊まっていたが、昨日は父親の説教を受けていた。動機不明。


昭和16年(1941).10.10〔20歳(満18〜19歳)日向の殺人鬼3人殺害〕
 宮崎県児湯郡都農町で、鍛冶職人(20)が強盗に入り、寝ていた主人を殺害し長男(19)に重傷を負わせて現金60円と通帳を盗って逃走、23日には同じ町内の農家に押し入り、寝ていた夫婦をクワで殴り殺し現金50円と通帳を盗って逃走、11.6に長崎で逮捕された。勤め先の金を使い込み、バレないように穴埋めしようと、故郷で強盗を働いたもの。この年の銀行員大卒初任給75円。


昭和16年(1941).10.26〔17歳(満15〜16歳)ニートが一家皆殺しを謀り幼い甥と姪殺人〕
 茨城県真壁郡の農家で深夜3時、4男(17)が就寝中の長兄夫婦(38,27)をナタで殴って重傷を負わせ、次兄(28)の長男(9)と長女(1)の2人を殺害、逃走したが周辺住民総出で警戒中の4時に戻ってまた長兄の頭をナタで殴って逃走、昼に逮捕された。
 小学校では級長も務めており、昨年に小学校高等科(現在の中学に相当)を優秀な成績で卒業したが農作業もせずにぶらぶらして、読書をしながら思索に耽って創作に熱中、兄に叱られていた。同じ村の少女(17)に恋文を贈ったが相手にされず、10.25の夜に少女に逢おうとして家族に追い返され、深夜0時に友人宅で青年団服を借りてゲートルをつけ遺書を書いてから、深夜2時に隣家で日本刀を借りようとして断られている。犯行後の朝6時に少女に逢おうとして家族に怒鳴りつけられナタを投げつけて逃げ、カミソリを所持してうろうろしているところを見つけられた。
 祖父から血族結婚が続いている血統を断絶するため、次兄の次男(3)だけを後継として残し、母親(58)、弟(14)を含めた一家皆殺しにして少女と無理心中をする計画で、「世間では自分を早熟だとか変態とかいうかも知れない、また悪鬼の仕業といわれることも覚悟している」と自供。父親はすでに死んでいる。当初は精神異常と考えられたが、検事は取り調べでまったくの正常と判断した。


昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続殺人事件〕
 静岡県浜松において9人を次々殺害し6人に傷害を負わせた犯人が捕まった。中村誠策(最後の犯行時満18歳)は満17歳だった昭和16年8.18に置屋に侵入して芸妓を刺殺、もう1人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8.20には料理屋に侵入、就寝中の女将(44)、女中(16)、雇い人(67)を殺害。警察の取り調べを受けながら、9.27には自宅で強盗を装って兄を殺害、兄の妻、父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8.30には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入、女性と両親と弟を殺害。10.12に逮捕され、翌日に犯行を自白した。これとは別に4年前の昭和13年8.22未明に置屋に侵入して女将と芸妓をナイフで刺して重傷を負わせ逃走した事件も自供した。
 兄弟7人のうち誠策だけが生まれつきの聾唖者で家族から冷たくあつかわれていた。知能は高く聾唖学校で1番の成績、学費を自分で稼ぐためと強姦目的の犯行だった。
 逮捕直後に父親は世間に申し訳ないと自殺。戦時刑事特別法によって二審だけですみやかに死刑判決が確定し処刑された。
※少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』で、この事件の詳細を解き明しています。


昭和18年(1943).2.18〔16歳(満14〜15歳)が一家3人強盗殺人して放火〕
 北海道留萌郡で、少年(16)が近所の農家に押し入り、主人(45)、妻(43)、娘(7)の3人を薪割りで殺害、放火して列車で逃走中に逮捕された。林業労働者の3男で知能が低く、父親とケンカして函館に家出する旅費を奪おうとしたもの。


昭和18年(1943).7.19〔19歳(満17〜18歳)戸畑の通り魔3人殺し事件〕
 福岡県戸畑市の通り魔5人殺傷事件で鉱山会社給仕(19)が逮捕された。5.19に路上で女性事務員(19)を刺殺。5.20に路上で工員(19)2人の腹を刺して重傷を負わせてから、数分後に専門学校生徒(21)を刺殺。7.17深夜2時に民家に侵入して寝ている専門学校図書館員(19)を刺殺。
 女性事務員と図書館員は学校時代の同級生で2人からいつもバカにされていたので復讐し、他の3人は面識がないが道で擦れ違ったときに自分を笑ったように思ったから刺したと自供。


昭和19年(1944).7.29〔中4(満16〜17歳)が同性愛の果てに友人一家3人殺害〕
 神奈川県足柄上郡の友人宅で、東京都大森区の旧制中学4年生(18)が深夜1時過ぎに中学1年生の友人(14)を殺害、友人の祖父と祖母も殺害し、母親に重傷を負わせ、放火して裏山に逃走したが家が全焼したことに安心して降りてきたところを捜査中の警官に逮捕された。
 近所に住み同じ中学校に通っていた中1生と同性愛の関係になったが、中1生が家庭の事情から祖父母と同居するようになって遠距離恋愛となってしまった。逢えないことに悩み、それならいっそ彼をこの世にないものにしてしまおうと、出刃包丁とナイフを用意して遊びに行って泊まり、就寝中に襲ったもの。一度逃走したが、証拠隠滅のため戻って放火したと自供。伯爵の孫。
 死刑が確定したが、昭和23年10月に恩赦で無期懲役に減刑された。


昭和20年(1945).4.17〔17歳(満15〜16歳)が一家5人を惨殺〕
 長野県下伊那郡の農家で、3男(17)が、父親(45)、母親(44)、4男(12)、2女(8)、3女(3)を殺害、3キロ離れた山林で猟銃で自殺した。前日に近所の家から米を盗んで両親に叱られており、就寝中の家族の顔や頭をまずカナヅチで殴り、カナヅチの柄が折れると斧でめった打ちにしたもの。金目の物を物色したあともあった。





昭和21年(1946).5.16〔19歳(満17〜18歳)ら10人組が連続強盗殺人〕
 東京都淀橋区で、男(19〜29)10人組が覆面をして会社員宅に押し入り、主婦(36)を日本刀でめった切りにして殺害、子供(15,12)2人も負傷させ逃走した。向かいの家に強盗に入ろうとして主婦に目撃されたため。翌5.17に中野区の露天商宅に押し入り、1人をめった切りにして殺害、2人に瀕死の重傷を負わせ逃走したが、6.7に逮捕された。この露天商の子分だったが、仲間割れしたもの。ほかにも強盗10件を自供。
参考文献・三宅修一『捜査課長メモ』


昭和21年(1946).7.9〔19歳ニートら2人組が山小屋で2人殺害で死刑〕
 長野県北安曇郡の山小屋で、神戸市の無職・斉藤和一(満19歳)と広島市の造船工・香川義春(満24歳)が、就寝中の慈恵医大生4人の頭を木の棒で殴って本科3年生(25)と予科3年生(22)を殺害、2人を3ヶ月と3週間の重傷とし、現金、カメラ、腕時計などを強奪して逃走したが、すぐに逮捕された。
 ぶらぶらと遊んで暮らしていたが、登山マニアの造船工が誘って装備も食料もなしに山に来て、大学生たちの豪華な食料を奪うために最初から皆殺しにするつもりで襲ったもの。昭和22年に最高裁で2人とも死刑確定。昭和23年7.13、死刑執行。


昭和21年(1946).7.14〔19歳が2人殺害〕
 三重県南牟妻郡で、少年(19)が女性(60)と他一名を棍棒で殴り殺して逃走した。昭和26年6月時点でまだ逮捕されていない。
※犯人が捕まったかどうかご存じの方はご教示をよろしく。


昭和21年(1946).8.26〔20歳(満18〜19歳)が両親いじめる兄一家4人を惨殺〕
 青森県三戸郡の水車小屋で、農家の弟(20)が兄一家4人を殺害した。他県にいた兄一家は1年前に実家に戻ったが、嫁姑の折り合いが悪く、父(70)母(68)に対して包丁を持って追い掛けたり「死んでしまえ」と怒鳴ったりして一家で虐待した。母親は「このままでは殺されるので先に殺したほうがよい」と同居の弟に言ったため、弟は水車小屋で就寝中の兄(43)をナタでめった打ちにして殺害、妻(42)、長女(16)、長男(8)に兄が事故死したと水車小屋に誘き出してナタで惨殺、水槽に投げ入れた。子供が水槽から這い上がろうとしたので丸太で突き落とした。血痕を追及されて28日に自白、懲役15年となったが、サンフランシスコ講和条約恩赦で11年に減刑。殺人教唆の母親は高齢のため不起訴処分。


昭和21年(1946).9.16〔19歳ニートが母親と妹殺害して死刑〕
 広島県の自宅で、無職の邑神一行(満19歳)が母親(49)と妹(16)を殺害した。自動車会社の金を使い込んでクビとなって2月に実家に帰ったが、田舍の仕事を嫌って働かず、母と妹の内職でかろうじて食べていた家計を圧迫したため冷たくされ、妹に「仕事もせずに遊んでいる者は飯を食べなくてもよい」と云われたことから殺人を計画、深夜1時に就寝中の2人の顔をワラ打槌で殴って死体を井戸に捨てた。翌年1.17、2人が行方不明になったことを不審に思った友人に死体を発見されて逮捕。父親は小4のときに死んでおり、貧しい家庭だった。
 1審無期だったが、2審で死刑判決が出て、死刑は残虐で憲法違反と上訴。最高裁は「一人の生命は、全地球よりも重い」としながらも上告棄却して死刑が確定した。


昭和22年(1947).2.3〔19歳(満17〜18歳)ら2人組が5人強盗殺人〕
 静岡県静岡市の雑貨商宅で深夜2時、ブローカー2人(19,20)が押し入り、主人の妻(35)、母親、長男(6)、長女(6)、次男(5)の5人を15分で絞殺、現金、服などを強奪して逃走したが9日に千葉県松戸市で逮捕。この雑貨商に闇米などを売って出入りしていたため金を持っていることを知っていて、計画的に襲ったもの。20歳は逮捕直後にナイフで自殺を図ったが命を取り留めた。一審で2人とも死刑判決が出たが、二審で1人は無期懲役、1人は死亡したため控訴棄却となった。


昭和22年(1947).3.10〔21歳(満19〜20歳)が結婚を断られ相手家族を惨殺〕
 栃木県上都賀郡で、建築金物商(50)と次男の慶応大予科生(19)が隣家の六男(21)に薪割りや刃物で殺害された。次女に結婚を申し込んだが断られ、家族からも冷たくされたのを恨んでいたもの。建築金物一家は疎開中で、東京に引っ越す前日だった。


昭和22年(1947).5.23〔19歳が兄の身代わりとなって死刑〕
 兵庫県赤穂郡で、農業の兄弟が農家に斧を持って押し入り、夫婦(35,37)を殴り殺し衣類を強奪して逃走、逮捕された。弟の古川高志(満19歳)は自分がふたりとも殺した主犯だと主張したため、兄(29)は一審で無期懲役判決が出て確定した。古川高志は一審死刑判決となり、二審から殺人は兄ひとりがやったことだと主張を変えたが、最高裁で死刑が確定した。裁判中は弟が主犯だと証言していた兄も、死刑が確定したあとに自分が主犯だと認める手紙を大阪拘置所教育課長に出し、これを元に再審請求されたが却下され、昭和28年に死刑執行された。
※村野薫『戦後死刑囚列伝』に詳しい。


昭和22年(1947).6.22〔18歳(満16〜17歳)らが女性2人を強盗殺人〕
 愛知県名古屋市の民家で、無職(17〜18)5人が強盗に押し入った。女性(50)とたまたま泊まりに来ていた隣家の女性(50)を殴りつけ手足を縛りフトン蒸しにして2人とも窒息死させた。襖に「サツの馬鹿野郎」などと書きなぐり、飯を喰い、鏡台に小便をかけ、女性の枕元に脱糞し、家のなかを荒らし回り、金品を奪った。
 これまでも乱暴な強盗事件を起こしていた主犯の18歳は一審で死刑判決を受け、弁護士や裁判官にまで奨められたがどうでもいいと控訴せず、死刑が確定した。しかし、昭和24年に少年法が改正され18歳未満は死刑を適用できなくなったため恩赦減刑となり、そののち出所がゆるされた。


昭和22年(1947).9.19〔17歳(満15〜16歳)が女性2人をレイプ殺人 大阪少年小平事件〕
 大阪府高槻市の農業の少年(17)は、列車でたまたま乗り合わせたキャバレーダンサー(33)をつけてレイプしようとしたが抵抗されたためナイフで殺害、逮捕された。昨年7.7には洋裁見習いの女性(21)を刺殺するなど女性をナイフやカナヅチで襲う50数件の強姦傷害事件を自供。女性の悲鳴や血に快感を感ずるという変質者で、犯行を綿密にメモしていた。10人の女性を強姦殺害して昭和21年に逮捕された小平義雄を崇拝し、記事の切り抜きを常に所持しており「少年小平」と呼ばれた。体格がよく力が強かったため小卒後に相撲部屋のスカウトを受けたが、無口で人付き合いが苦手のため断っていた。周りの者は「あの無口でおとなしかった男が・・・」と一様に驚く。


昭和22年(1947).12.18〔17歳ニートが働くのが嫌で幼女ら2人を強盗殺人〕
 鹿児島県鹿児島市の雑貨商宅で、無職(満17歳)が押し入り、主人(41)、長女(5)の頭を斧でめった打ちにして殺害、妻(31)に瀕死の重傷を負わせ、3千4百円と衣類などを強奪、証拠隠滅のため放火して屋久島に逃走したが逮捕された。
 横浜市の関東学院中等部2年生のときに窃盗で中退、軍属となったが1ヶ月で逃走して窃盗や強盗で満15歳の時の昭和20年7.17に軍法会議にかけられ昭和22年11.23に刑務所を仮出所、見習い工になったが働くのが嫌いで退職し、暖かいだろうという理由で鹿児島に来たがおもしろくないので帰る金を盗ろうとしたもの。裁判長に「働いて旅費を稼ごうとは考えなかったのか」と問われて「働くのは嫌だ」「殺しても悪いと思わぬ」と答える。昭和23年11.29に福岡高裁は死刑判決を出したが、少年法改正に伴い昭和24年4.6に恩赦で無期に減刑された。
 精神障害となり医療刑務所に移され、現在、無期懲役受刑者として60年の最長の服役となっている。※『司法精神医学研究』による。


昭和22年(1947).12.22〔19歳が老夫婦殺人〕
 熊本県八代郡で、農業(19)が近所の家に押し入り、主人(70)と妻(72)に猿ぐつわをしてから斧で殴って殺害、翌日逮捕された。


昭和23年(1948).1.9〔18歳(満16〜17歳)ら4人組強盗が警官殺害〕
 東京都中央区の自転車商に、4人組の強盗が押し入りピストルとナイフで脅したが、この家の老人(66)が非常ベルを鳴らしたため射殺して逃走。途中、警官2人が強盗の1人(18)を捕まえたが警官1人がナイフで殺害された。残りの24,23,22歳も数日のうちに逮捕。4人は親戚関係で、遊興費欲しさに同じく親戚である家を狙ったもの。


昭和23年(1948).2.5〔18歳ニートが告げ口恨んで母子殺害して死刑〕
 和歌山県日高郡の民家で、無職(満18歳)が押し入り主婦(41)を出刃包丁で刺殺、長男(12)をタオルで絞殺、服などを強奪した。元少年航空兵で、終戦後は大工見習い学校に学んだが卒業後も働かずに街で遊び歩いていた。そのことを主婦が両親に告げて叱られたため怨みに思い、金もないので殺害して強奪することを計画、2人暮らしの息子を残しては仇となるので併せて殺害を決意して就寝中に襲ったもの。昭和24年2.15に最高裁で死刑確定。


昭和23年(1948).4.25〔18歳(満16〜17歳)ら4人組が4人強盗殺人〕
 静岡県浜名郡の会社員宅で夜、少年2人(18)、中国人2人(18,20)の4人組が押し入り、主人の妻(29)、長女(3)、泊まりに来ていた隣家の妻(23)、長男(3)の4人を荒縄で絞殺、現金、服、自転車などを強奪して逃走したが5.4に逮捕。チャイナ賭博をやっていたが取り締まりが厳しくなって強盗になったもの。
 一審で日本人少年は2人とも死刑判決が出たが、二審で無期懲役。中国人は占領当時の日本には刑事裁判権がなく、占領軍の軍事法廷で重労働三十年の判決。昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効により軍事法廷判決は無効となって浜松地検が再審理することになった。中国人ふたりは見張りをしていただけと主張している。


昭和23年(1948).6.11〔18歳小学校教師が叱られたため両親殺害して死刑〕
 広島県加茂郡の自宅で、小学校教師(満18歳)が入浴中の母親(53)を「よう虐めてくれたのう」と匕首で刺し、許しを乞うて逃げようとするのをさらに刺して殺害、父親(57)を玄関で待ち伏せして刺殺した。ひとり息子で、2年前に私立中学を卒業して小学校の助教員となった。元少尉で厳格な両親は細かいことでたびたび干渉して殴るため怨んで殺害計画を立てていたが、同僚女性教員(満21歳)と教室で関係して妊娠させ、墮胎させようとしたことでこの日に激しく叱られ殴られたため復讐したもの。昭和25年2月に最高裁で死刑確定。のちに恩赦で無期に減刑。


昭和23年(1948).8.31〔15歳が祖父母強盗殺人〕
 福島県石城郡の農家で、この家の孫の無職(満15歳)と仲間の無職(満21歳)が押し入り、祖父(79)と祖母(75)を縛り上げて現金4千5百円と服6千円相当を強奪したが、覆面が取れて孫だということがバレたため、口と鼻を布で覆ってからフトンで全身を巻いて、窒息することが判りながらそのまま逃走、殺害した。母親は3歳の時に、父親は7歳の時に死亡して他家で育てられ、この年の3月に祖父母に引き取られて農業の手伝いをしていたが、おねしょ癖をたびたび叱られて8.25に3百円をもらって家を出た。金を使い果たして茨城県の水戸駅で寝泊まりしているうち8.30に21歳と知り合って強盗に誘い、その日に向かったもの。死刑が求刑され高裁も死刑相当と認定したが、昭和23年7.15に改正されたばかりの少年法により無期となった。


昭和23年(1948).4.10〔19歳(満17〜18歳)が主人一家3人皆殺し〕
 群馬県碓氷郡の農家で夜11時、雇人(19)が就寝中の主人(51)、主人の長女(20)、次女(15)ら3人を手斧で惨殺、現金2千5百円と衣類を強奪して逃走したが、4.19に名古屋市の派出所で自首した。満州で終戦時に一家離散となり、両親は病死して妹は行方不明、シベリア抑留を経て一年前に引揚げ、この家で働いていたが叱られたのでカッとしたもの。自殺か自首かで悩んで自首した。
 6.16に前橋地裁高崎支部は死刑判決を出した。


昭和23年(1948).12.6〔中2女子(満13〜14歳)が厳しい母親に反発し一家皆殺し〕
 福岡県大牟田市の自宅で、中学2年生の三女(15)が、夕食の大根雑炊に殺虫剤のアヒ酸を入れ、父母、祖母、姉、妹の家族7人皆殺しを謀る。たまたま食べなかった祖母以外の6人が苦しみ出して、五女(10)と六女(6)が死亡、ほかの4人は寝込んだが命に別状はない。三女も食べずに元気だったので疑われてすぐに自供した。
 三女は成績も良くバレー部の選手をしていたが、部活で遅くなると遊んでいたのだろうと厳しい母親にたびたび叱られ殴られた。こんなことでは一家皆殺しにしたほうがよいと考えたと、取り調べにも笑顔で話す。バレー部顧問の教師は、ずるい生徒でよくケンカをしており、皆には好かれていなかったと語る。


昭和24年(1949).1.8〔19歳(満17〜18歳)が同じ家で2人強盗殺人〕
 長野県上田市のタバコ屋に深夜3時、人夫(19)が窃盗に入って見つかり、女主人とその母親(70)の2人をスコップでめった打ちにして殺害、長男(9)を意識不明の重体とし、衣類3万7千円相当を強奪、12日に逮捕された。小県郡の農家出身で、窃盗と詐欺で少年人に入っていたが出所してからも農業を嫌って家出、昨年12.27にこのタバコ屋で2万8百円相当を盗んで芸者をあげて豪遊して数日のうちに使い果たし、また同じ家を狙ったもの。この年の銀行員大卒初任給3千円。


昭和24年(1949).6.3〔19歳が一家4人を強盗殺人で死刑〕
 福島県石城郡高久村の開墾入植者宅で、少年(満19歳)が強盗に押し入って、夫婦、長男(9)、次男(4)の一家4人を就寝中にナイフで全身めった切りにして殺害。金に困ったもの。昭和26年7月、死刑確定。


昭和24年(1949).6.10〔14歳子守女子が幼児2人殺害、1人殺人未遂と放火〕
 茨城県真壁郡で、子守女子(満14歳)が負ぶっていた女の子(3)の襟を引っ張って窒息死させた。3月に栃木県芳賀郡の小学校を卒業して子守に出され、この子が死ねば家に帰れると思ったもの。病死と診断されて実家に帰ったが、翌昭和25年5.10に真壁郡の違う家に子守に出され、家が焼ければ帰れると思い5.18に放火して全焼させ、6.1に男の子(3)を殺害しようとして意識不明としたが手当てを受けたため未遂に終わった。すぐに他家に子守に出され、女の子(1)を絞殺、病死と診断されて実家に帰ったが、相次ぐ不審死のため12.18に逮捕され追及されて自白した。


昭和24年(1949).9.14〔18歳が覗きで隣りの銭湯一家5人殺害〕
 神奈川県小田原市の銭湯に深夜1時過ぎ、隣家の無職(満18歳)が押し入り、主人(48)、妻(43)、母親(81)、長女(19)をナタでめった打ちにして、次女(7)、長男(4)の首を肉切り包丁で切り、長女を除く5人を即死させた。長女は病院で危篤状態。2月に工場を辞めてからぶらぶらしており、日頃からトラブルが絶えず、3ヶ月前に2階から浴場を覗くので窓をふさいだことに馬鹿にされたと激怒、1ヶ月前から包丁を買って研いでいた。自宅から猟奇小説雑誌が大量に発見された。
 横浜地裁で死刑判決が出て控訴しない手続きをとっていたが、判決を出した裁判官が死刑反対論者で涙を流して上訴を勧めた。結局、昭和27年に最高裁で死刑が確定したが、その年のサンフランシスコ講和条約恩赦で無期に減刑、昭和45年に仮釈放された。
 昭和59年7.8、53歳になった男は東京都杉並区の路上で、中学3年生(14)と2年生(13)の女子2人を登山ナイフでめった刺しにして逮捕された。小学生の時から2人と交際し、家出中の2年生と横浜市のアパートで同棲していたが別れ話をされて、3年生のせいだと疑って3年生の自宅に押し掛けた。そこにいた友人7人に「歳が違い過ぎる」「おじさん帰れよ」などと言われてケンカして家を出て、激怒して2人とも殺そうと呼び出し首や顔などを刺して2ヶ月と3週間の重傷を負わせたもの。殺人未遂で東京地裁は懲役8年の判決を出した。3年生はシンナー遊びで2回の補導歴がある。


昭和24年(1949).10.1〔19歳らが日本刀で幼女ら4人を殺害し死刑〕
 長野県南安曇郡の農家に、松下今朝敏(満19歳)、定時制農業高校生(17)の2人が押し入り、就寝中の主人(41)、妻(38)、長男(15)、長女(4)の4人を日本刀で殺害し、腕時計などを強奪、10.30に逮捕された。農業の男(35)が分家の被害者に去年財産分けした田畑が惜しく、金目当ての傷害で執行猶予中だった松下にやらせたもの。
 高校生は殺人で懲役15年、男は殺人幇助で死刑、松下は殺人で1審無期懲役、昭和33年5月に最高裁で死刑が確定したが、7.7に松下は「死刑受執行義務不存在確認請求」の行政訴訟を起こす。死刑執行の方法は明治6年の「太政官布告六十五号」に拠っているが、新憲法により失効している。また、刑法で定められた方法は「絞首」だが、現在行われているのは自分の体重で首が絞まる「縊首」であるとして、死刑を受ける義務はないとしたもの。同時にこの訴訟の判決が出るまで、死刑執行停止の仮処分請求も行い、東京地裁は執行停止決定を出した。
 昭和36年7.16、太政官布告は新憲法のもとでも法律と同じ効力を持つという刑事裁判上の判決が出て、12.5に最高裁は「死刑執行方法の可否は刑事裁判で争うべきことで、行政訴訟として取り上げることは許されない」と訴えを却下した。


昭和24年(1949).12.14〔高2(満16歳)が幼女ら3人を強盗殺人〕
 京都府何鹿郡の会社員宅に、高校2年生(17)が押し入り、主婦(41)、長女(15)、次女(11)を丸太で頭を殴って殺害、3千円と腕時計を強奪して逃走したが、翌年1.5に逮捕された。農家の長男で病気のため学校を1年間休学中。探偵小説マニアで、自分の家で隣組集会が開かれていたため主人が家にいないことを確かめ、アリバイ工作をして指紋も残さないようにしていた。中学の時に万引きで停学になっている。


昭和25年(1950).1.6〔18歳が強盗殺人で死刑判決が出るが冤罪 二俣事件〕
 静岡県磐田郡二俣町で、主人(46)と妻(33)が匕首で刺殺、長女(2)が絞殺され、次女(0)も母親の死体で圧死、1300円を強奪された。2.23に少年(18)が逮捕され、拷問によって自白した。一審、二審とも死刑判決が出たが、最高裁は「自白の真実性が疑われる」と差し戻し、昭和32年10.26に東京高裁で無罪が確定した。


昭和25年(1950).3.20〔17歳ニートが弟を毒殺して自殺〕
 静岡県田方郡の自宅で、無職の長男(17)が、母親(47)、祖父(79)、次男(10)の3人に別々に青酸カリ入りのお茶を飲ませて弟を殺害、母親と祖父は異味のため吐き出して重傷となったが命は取り留めた。母親が苦しむのを見てから自分も青酸カリを飲んで自殺。去年、神経衰弱のため県立韮山高校を1年で中退、働かずにぶらぶらしていて冷たくされ、母親と祖父が弟ばかりを可愛がることに怨んだもの。父親と祖母は自分を大切にしてくれたので殺さなかった。


昭和25年(1950).3.22〔19歳がアベック連続殺人〕
 東京都品川区で2.15日人妻(38)が工員と密かにデート中に首を切られて殺害された。目黒区で3.9日に酒店女店員(30)が恋人とデート中に首と頭部をめった切りにして殺された。渋谷区で3.22日に慶応大学医学部3年生と恋人の洋裁店店員(20)がデート中にナイフを持った男に小学校校庭に連れ込まれ両手を縛られ、慶大生の眼の前で女性の首と後頭部13カ所をめった切りにして殺害した。慶大生が「毎日死体解剖をしているので殺されたくない」と言うと「駅まで送ってやるよ」などと言い姿を消した。
 5月に内向的で友達のいない元工員の無職男(19)が逮捕された。「女の倒れる姿に興奮した」と自供。
 上記3件以外にも強盗殺人未遂1件、殺人未遂1件、窃盗7件、強盗1件で起訴されたが、昭和33年に心神喪失で無罪となった。


昭和25年(1950).5.7〔19歳が一家四人皆殺しで死刑判決を受けるが冤罪〕
 千葉県東葛飾郡で、何者かが闇ブローカー宅に押し入り、主人(33)、妻(30)、長男(5)、次男(2)らの頭をナタのようなもので殴って一家四人を殺害して逃走した。11月27日に599人目の容疑者として店員(19)が逮捕され、否認を続けたが拘留107日目に現金二千三百円を奪ったと強盗殺人を自白した。公判でも自供は拷問によるものと無罪を主張し、昭和32年7月に死刑を求刑された被告としては異例の保釈となったが、昭和33年9月に千葉地裁は死刑判決。昭和36年5月30日に東京高裁は自白の任意性に疑問があるとして無罪判決を出し、そのまま確定した。一日最高四百円、合計136万5千6百円の刑事補償を行う決定が出された。


昭和25年(1950).7.30〔17歳が主人一家皆殺しを謀り2人刺殺〕
 広島県呉市の運送業宅で深夜3時過ぎ、住み込み見習い工(17)が主人の甥(6)の首を出刃包丁で刺して殺害、主人の姉(38)も刺殺、主人の顔を刺したが目を覚ました主人に取り押さえられた。父親は9年前に病死、母親が5年前に空襲で死んでからこの家に引き取られていたが、孤児ということでいじめられ、前日も殴られたため一家皆殺しにしようと包丁を買って寝静まるのを待っていた。主人の姉はたまたま前日に4人の子供を連れて里帰りしており、主人と間違えて刺したもの。


昭和25年(1950).9.26〔19歳が恋人など2人殺害〕
 神奈川県藤沢市の海岸で、秋田県庁職員(19)が恋人の女給(18)を絞殺して自首した。2年前から交際しており、秋田市から家出して熱海で遊んだあとに心中するつもりで頼まれたのでウイスキーを多量に飲ませて意識を失わせてから殺害したと自供。優等生だったが不良化したため旧制中学を4年で中退、潜水夫など職を転々として役所に優秀な成績で合格したばかりだった。嘱託殺人で懲役1年判決が地裁で出たが、控訴したため12.1に保釈。
 2週間後の12.18に山形県新庄市の特殊飲食店(現在の特殊浴場と同じく表向き飲食店の風俗店)で女給(23)に多量に酒を飲ませて熟睡させてから深夜2時に紐で絞殺、ナイフで性器を14回、乳房を2回刺し、死体に小便をかけて逃走したが翌日に自首した。一度秋田に戻ったが家族や周りから冷たくされヤケになり、華々しい犯罪をやって世間をアッと云わせたかったと自供。法廷では頼まれたので殺害したと自供を翻したが、殺人と死体損壊で懲役20年となった。恋人殺害については控訴を取り下げ懲役1年が確定し、二件合わせた判決とはならなかった。
 模範囚だったため国連加盟恩赦で減刑、昭和32年7月に仮釈放、秋田市の実家に戻ったが、12.12に家出、12.18に鹿児島市の特殊飲食店で女給(25)に多量に酒を飲ませて熟睡させてから紐で絞殺、ナイフで性器をえぐって乳房を刺して、翌日大阪府警に自首した。頼まれたので殺害したと自供。弁護側は心神耗弱を主張したが、死刑が確定した。


昭和25年(1950).10.3〔19歳が前の雇い主を惨殺〕
 東京都港区のラジオ修理業の夫婦が殺害されているのを長女(9)が見つけた。翌日、3年前にこの店で働いていた少年(19)が姫路で逮捕された。
 仕事の世話を頼みにやって来たが断られ、家を売却した手付けの12万円を受け取ったのを見たため夜に忍び込んで薪割りで2人を惨殺、服などを奪って逃げていた。


昭和25年(1950).12.12〔高2が悪口怨んで隣人一家皆殺し未遂〕
 愛知県名古屋市で深夜2時、県立瑞陵高校2年生(17)が隣家に押し入り、就寝中の古着商(46)、妻(42)、長男(23)の頭を斧で殴って1ヶ月の重傷を負わせて殺人未遂で逮捕された。素行について悪口を云われたことを怨んで復讐しようとしたもの。


昭和26年(1951).1.11〔19歳ら2人が古物商夫婦殺害〕
 神奈川県横浜市の古物商宅で深夜1時、土木作業員(19,20)2人が侵入、就寝中の主人(65)と妻(60)を絞殺、現金6万円を奪って逃走、栃木県宇都宮市の自宅で逮捕された。


昭和26年(1951).3.24〔16歳が両親ら3人殺害〕
 新潟県南蒲原郡の自宅で夜11時、無職の3男(16)が就寝中の父親(50)、母親(48)、同居している従兄弟(20)の3人をマサカリで頭を殴って殺害、5千円を奪って駅に電話して電車の有無を確かめてから深夜3時の急行で大阪に逃走、さらに長崎まで行って、30日に東京都上野公園で逮捕された。中3から精神病で病院に通っていたが治らず、自転車泥棒で逮捕されたため家に軟禁されていた。虐待されたから復讐したと自供。殺人が悪いことだとは認識しているが両親を嫌悪しているので罪の意識はなく、楽しそうに笑い歌っている。取調官は頭が非常によいと判断し、起訴された。


昭和26年(1951).11.7〔19歳女子が一家皆殺し〕
 北海道勇払郡の農家で、次女(19)が朝食のみそ汁にヒ素剤殺虫剤ホトナートを入れ、食べた一家5人が苦しみだし、長女の夫(33)は死亡、母親(50)と長女(23)は重体、父親(55)と長女の長男(2)も重傷とした。おかずだった石ガレイを農薬が入っていたカマスに入れて運んだための事故だと処理されていたが、不審な点が多く再捜査され、翌年1.16に食べずに元気だった次女を追及すると、一家全員を毒殺しようとしたことを自供した。
 長女が夫と次女の仲を疑っていざこざが絶えず、また両親が一時離婚していた時に次女が生まれたので父親が違うのではないかと長女からなじられ、父親も認めるような態度を示すなど、疎外感があったため。


昭和27年(1952).3.3〔19歳が2人を強盗殺人で死刑〕
 静岡県駿東郡の御殿場町役場で、少年(19)が深夜0時過ぎに強盗に押し入って、宿直員(21,29)2人の頭や顔を薪割りでめった打ちにして殺害、現金4,750円と腕時計などを強奪して逃走、3.20に逮捕された。風俗店に通い詰めて、金に困ったもの。この年の大卒銀行員初任給5,600円。昭和28年11.19、最高裁で死刑確定。


昭和27年(1952).7.4〔19歳が2人を強盗殺人〕
 大阪府泉南郡で、無職(19)が呉服雑貨商店に押し入り、主人(51)と妻(37)を刺殺して時計を強奪して逃走、7.8に広島県高田郡で窃盗を働き逮捕された。泉南郡の学校教頭の長男だが、不良で少年保護院を6.23に出て自宅に帰ったがすぐに家出して遊ぶ金に困ったもの。


昭和27年(1952).10.17〔17歳らが決闘で2人刺殺〕
 兵庫県加東郡の加古川河原で夜11時、造船所工員(17)が男性(20)の心臓を匕首で刺して殺害、農業(19)が男性(24)の太ももを匕首で刺して殺害、無職(19)が匕首で数人を刺して逮捕された。祭の芝居見物で、ふたつの村の青年十数人が些細なことでケンカして、棍棒などで決闘となったもの。


昭和27年(1952).10.23〔18歳が母子殺害〕
 兵庫県神戸市の毛糸商宅で、主人の従兄弟の少年(18)が毛糸商の妻(21)に女を買うための金を借してほしいと頼んだが断られ、さらに関係を迫ると罵倒されたため用意していた紐で絞殺、そばで泣く長女(1)も顔を知られているため絞殺して、生き返らないように包丁で首を切り、いったん逃走したが、戻って強盗の仕業に見せかけるため時計、カメラ、2千円を強奪して妻の下半身をハダカにして多可郡の自宅に逃走したが、10.25に明石市の自動車学校で逮捕された。留置所では「お母ちゃんに逢わせてくれ」「死刑になるでしょうか」と怯えて泣き続けた。
 強盗殺人で死刑が求刑されたが、神戸地裁は金を盗ったのは強盗に見せかけるためだったとして殺人と窃盗で無期懲役判決を出した。


昭和27年(1952).12.17〔19歳ら兄弟が主人一家4人皆殺し〕
 大阪府大阪市の銭湯で、住み込み従業員(19)とその兄(22)の2人が早朝5時に、就寝中の女主人(30)とその愛人男性(22)、女主人の妹(24)とその長女(1)を斧でめった打ちにして惨殺、9千円と預金通帳を盗んで逃走したが預金は9百円しか入っておらず、すぐに金を使い果たし、弟は19日に実家の石川県七尾市で捕まり、兄は21日に訪ねた東京都港区の長兄宅で逮捕された。兄もこの風呂屋で住み込みの釜炊きをしていたが、怠け癖から12.10にクビとなってぶらぶらして金に困り、女主人が家を売って20万円を所持していることを知って殺害して強奪することを計画、弟に斧を用意させ見張りをさせて実行したもの。一審で兄は死刑、弟も共同正犯で無期となったが、弟は直接殺害はしていないため二審で懲役15年となった。この年の大卒銀行員初任給5,600円。


昭和27年(1952).12.22〔19歳が保険金狙って両親と妹殺害〕
 兵庫県神崎郡の自宅で、長男(19)が就寝中の父親(49)、母親(44)、長女(6)の顔や頭を斧で滅多打ちにして殺害、3男(9)に重傷を負わせ、手を洗ってからナイフでドアを傷付けて部屋を物色して強盗が入ったように偽装して知らない振りをして寝床に入って発見されるのを待っており、翌日追及されて自白した。姫路工大付属高校を3年前に中退して、豆腐屋を経営しながら夜間高校に通っていたが仕事が忙しくなったので2年前に中退、肝臓病で寝たきりの母親の看病もしていた。勉強好きで文学好き、新聞部では論説委員を務め、短歌や俳句に堪能だった。両親が5万円づつの簡易保険に加入したので、これが手に入ると好きな株ができると殺害を計画したもの。両親は弟と妹ばかりを可愛がり、とくに父親とは仲が悪く疎外感もあった。
 翌日の取調べ中に心境を書きたいと紙と鉛筆を要求して「五臓六腑に五寸クギ、胸は早鐘血の涙、一時の迷い何故に三千世界を尋ねてもまたと二人となき親を殺せしわが身がにくしや」などと播州音頭調の文章を書いたりしているが、食事も平らげ、危篤状態の弟の容態などもまったく気にかけていない。


昭和28年(1953).2.14〔成人になって自供〕
 1月に窃盗で逮捕されていた無職の男(20)が「この日で成人になったので少年時代の罪をすべて精算する」と殺人2件、強盗窃盗78件、強姦1件を自供した。
 25.12.29に浅草のミルクホールを3人で襲い、仲間がナタでめった打ちにしてマダムを殺害し母親に重傷を負わせた「ミルクホール事件」や26.4.3に一人で立川の魚屋で8千円を奪い、追ってきた主人を出刃包丁で刺し殺した「立川の魚屋殺し事件」など、百数十万円を稼ぎ、遊興費に使っていた。


昭和28年(1953).3.11〔17歳が2人を強盗殺人〕
 長野県上田市の質屋で、工員(17)が主人の妻と母親(77)の2人を殺害、現金2万百円を強奪して逃走したがすぐに逮捕された。村の有力者の農家の長男で、父親が政治に入れあげて経済的に苦しくなって、成績が悪く学校嫌いだったため中卒で勤めに出た。質入れしていた上着を流すのを待つように交渉に行って、たまたま見た現金が欲しくなって妻をジャックナイフで数回刺したが逃げられたため追っかけ、出てきた母親を刺殺、妻もめった刺しにしたもの。この年の大卒銀行員初任給5,600円。


昭和28年(1953).9.15〔19歳が主人一家4人を皆殺しして死刑〕
 大阪府大阪市松屋町筋の菓子問屋で朝5時、住み込み店員(19)が主人(27)、妻(26)、長女(3)、次女(1)を殺害、5百円を強奪して逃走したがすぐに逮捕された。低賃金で粗末な食事を出し人使いの荒い主人や妻に反感を募らせ、想いを寄せている女子店員が9.13に主人に叱かられてクビにされたことにカッとして、就寝中に角材で殴りつけた上にジャックナイフで刺して一家皆殺しにしたもの。昭和31年12.17、最高裁で死刑確定。


昭和28年(1953).10.29〔19歳が逆恨みで一家5人皆殺し図り3人殺害〕
 愛知県東春日井郡で夜11時、農業(19)が二軒隣の農家に押し入り、主人(46)、妻(39)、三男(6)の3人を出刃包丁で殺害、長男(12)は1ヶ月、次男(9)は2ヶ月の重傷を負わせて逃走、アドルムを飲んで首つり自殺しようとしたが足が地面について失敗し、そのまま田んぼの中で寝ているところを翌日逮捕された。
 怠け者で生活は苦しく、二日前に妻とケンカ別れして自殺することにしたが、どうせなら日頃意見をされて怨みのある一家を皆殺しにしようと包丁三本を持って襲ったもの。


昭和29年(1954).3.2〔24歳ニートが父と兄を刺殺〕※参考
 千葉県因幡郡の自宅で、中央大学法学部2年生(24)が日本刀で父親(72)の首を切り落とし、とめようとした兄(29)の胸を刺して殺害した。神経衰弱のため休学中で、元陸軍少将で厳しい父親に叱責されてカッとしたもの。


昭和29年(1954).11.27〔18歳が2人を強盗殺人で死刑〕
 北海道千歳郡の米軍駐留基地のバーテンダー山野井鴻志(18)は、自宅裏の顔見知りの質店にクワの柄を持って押し入り主人(59)と妻(53)を殴り殺し、次男(15)に重傷を負わせ、現金1万6千円と預金通帳を奪った。遊ぶ金欲しさ。一審無期だったが昭和32年8.30に最高裁で死刑が確定し、18歳4ヶ月で戦後最年少の死刑囚となった。





昭和30年(1955).2.27〔19歳が継母と妹殺人〕
 山形県西村山郡の農家で早朝4時、次男(19)が就寝中の継母(37)の頭を木槌で殴り、起き上がったところを首を絞めて失神させてから木槌で後頭部を殴って殺害、四女(2)をモンペの紐で絞殺したうえに頭を木槌で殴り、牛の乳搾りをしてから自首した。8年前に母親が死亡、5年前に継母が後妻に来て三男(4)と四女を産んだが、先妻の子と差別するためいざこざが絶えず、継母さえいなくなれば家庭がうまくいくと計画し、父親(50)と祖母(72)が親戚宅に出掛けた隙に実行したもの。三男が起きて泣いたために殺そうとしたが、自分に懐いていたため思い留まった。中流農家で中卒後は農業を手伝い、働き者だが無口で内向的な性格。
父親談「長男と妻はよくけんかしたが、彼とはとくに折合が悪かったとは思われない。廿六日朝ちょっといいあったがまさかあんなことからこんな事件を引起すとはユメのようで信じられない」(談話は山形新聞引用)


昭和30年(1955).6.20〔19歳が恋人2人を殺害〕
 静岡県浜松市の防空壕で、タクシー運転手(19)が恋人(16)を絞殺して死体を埋めた。6.14に巡査の長女の恋人と磐田市から家出したが、女がうるさくつきまとうため殺害したもの。7.8に詐欺で逮捕され翌日自供。昨年11.11にも婚約者(18)がしつこく結婚を迫るため同じ防空壕で首を絞めて殺害したことを自供した。


昭和30年(1955).7.17〔中2が叔父一家を毒殺皆殺し〕
 岐阜県梅津郡の農家で、中学2年生(14)が叔父一家を皆殺しにしようとお茶に農薬のパラチオンを入れて、飲んだ叔母(30)と長女(6)が死亡、叔父(30)は重態になったが吐き出したために命を取り留めた。6年前に両親が亡くなったために養育されていたが、仕事でこき使われ学校にもあまり行けず、とくに叔母にいじめられて恨みを持っていた。また、父親から受け継いだこの家の税金を叔父の名義で払っていたので財産を乗っ取られたと思い込んでいたもの。


昭和31年(1956).3.9〔19歳女子が結婚に邪魔な家族4人を皆殺し〕
 東京都江戸川区で、家族が一家心中したと女子(19)が隣家に駆け込んだ。母親と小学校1年生の三男はすでに死亡。工員の長男(17)と中学2年生の次男が苦しんでおり、間もなく病院で死亡した。
 「おまえは飲まなくていいよ」と母親が言ってから弟たちとジュースを飲んだと女は証言したが、追及すると勤め先の工場から拾ってきた青酸ソーダをジュースに入れて殺害したことを自白した。
 昨年の夏に母親の勤め先の理髪店で知り合った青年に結婚を申し込んだが、「扶養家族が多いのは嫌だ」と断られた。そこで一家皆殺しを計画、家族でケンカをしたとき三男がジュースを飲みたいと言ったので、「それじゃ、ケンカの仲直りに」と毒入りジュースを飲ませたもの。
 女は犯行が発覚しても顔色ひとつ変えず、留置されるとわかってはじめて泣き出した。父親は5年前に病死していた。
 無期懲役が求刑されたが、母親とケンカしての発作的犯行であり、未成年であるため、東京地裁は懲役15年の判決を出した。


昭和32年(1957).1.29〔15歳ニートのブース夫妻強盗殺害事件〕
 神奈川県鎌倉市で、貿易商の親日米人フランク・S・ブース夫妻(76,56)が殺され、現金6500円や指輪などが奪われ、少年(犯行当時15)が2.1に京都で逮捕された。
 裕福な家庭の6人兄弟の3男で、中卒後に家でぶらぶらしていたが、厳格な父親に叱られて家出、関西に旅行がしたくなり深夜に泥棒に入ったが騒がれたため台所の庖丁で夫妻を刺殺したもの。5回の窃盗も働いていた。中学ではマラソン選手で、おとなしい性格だった。
 横浜地裁は無期懲役判決を出した。


昭和32年(1957).2.14〔19歳が強盗殺人〕
 島根県益田市の農家で、無職(19)が押し入りマキ割りで夫婦(45,48)を殺害、現金二千円を強奪して逃走したが逮捕された。パチンコで金に困って遠くに行く旅費を得ようとしたもの。死刑が求刑されたが貧困家庭と少年であることを考慮されて、松江地裁は12.12に無期懲役判決を出した。


昭和32年(1957).3.4〔18歳ニートが一家7人皆殺し〕
 神奈川県川崎市の自宅で深夜2時、長男(18)が父親(41)、母親(39)、二男(16)、三男(14)、長女(11)、四男(10)、五男(8)の7人を薪割りで殺害してから放火して全焼させて逮捕された。
 他の兄弟は成績優秀なのにひとりだけ成績が悪いと父親に叱られノイローゼになって昨年高校を中退して精神病院に入っていたが、先月退院したばかり。父親との仲が悪く発作的に殺したもの。


昭和32年(1957).11.21〔17歳が無免許轢き逃げで16人死傷〕
 神奈川県横浜市で、工員(17)が小型トラックで暴走して16人をはね飛ばし、菓子店に突っ込み隣りの家と2軒を大破させた。女の子(3)、小学2年生(8)、小学5年生(11)の3人が死亡、5人が危篤状態、5人重傷、3人に軽傷を与えて逃走、翌日逮捕された。無免許運転で会社の車を遊びで乗り回して、ブレーキとアクセルを踏み間違えたもの。


昭和33年(1958).2.18〔18歳がレイプ殺人してさらに強盗殺人〕
 北海道稚内市の牧場で、使用人(18)が日頃から想いを寄せていた主人の二女(16)にキスをしようとして拒否されカッとして手拭いで絞殺後にレイプ、金庫を開けようとしているところを主人の妹(24)に見つかりマサカリで頭部を殴って殺害、現金、株券、カメラのほかに猟銃を盗んで逃走した。翌日、山中で警官隊に追い詰められ猟銃を構えて対峙していたが、空き缶に散弾を詰めて火を付け爆発させて自殺を図り1週間のヤケドを負って逮捕された。
 兵庫県有馬温泉の菓子屋の4人兄弟の長男で、中卒後に全国を放浪しながら窃盗を続け少年院にも入っていた。3ヶ月前に前科を隠して牧童として住み込み、家族同然のあつかいを受けていた。昭和35年3.15、最高裁で死刑確定。


昭和33年(1958).8.7〔19歳が主人一家3人を強盗殺人〕
 兵庫県西宮市の自動車修理業宅で、修理工(19)が侵入し、主人(39)、妻(36)、母親(64)の3人を海軍ナイフで殺害、1万6千円と腕時計を強奪、小倉まで逃走したが金がなくなったため無賃乗車で戻って12日に自首した。7人家族の3男で、生活には困っていなかったが、金遣いが荒く遊興費欲しさに勤め先で窃盗を働こうとして見つかったもの。
 昭和38年2.7、最高裁で死刑確定。


昭和33年(1958).8.17〔18歳の小松川女高生殺害事件〕
 東京都江戸川区の小松川高校屋上で、定時制2年生女子(16)が暴行され絞殺。同1年生(18)の犯行で、完全犯罪をもくろみ新聞社や警察に電話したり、被害者宅に遺品を郵送するなど異常事件として騒がれた。4.20にも近くの女性(24)を暴行殺害。36.8最高裁で死刑確定、37.11刑執行。


昭和33年(1958).9.1〔19歳ら2人組が主人夫婦殺人〕
 神奈川県相模原市の肉屋で深夜1時、この店の従業員2人組(19,21)が押し入り、就寝中の主人(58)と妻(59)の頭をナタで殴って殺害、現金3千4百円を強奪して逃走したが、9.27に逮捕された。19歳が誘ったもの。2人とも死刑が求刑されたが、19歳は無期確定、21歳は昭和36年9.8に最高裁で死刑確定した。


昭和35年(1960).3.14〔19歳が主人夫婦を強盗殺人〕
 兵庫県伊丹市の染物屋で深夜、住み込み店員(19)が主人(62)と妻(49)の頭と顔を斧やすりこ木で滅多打ちにしたうえに首を絞めて殺害、死体を井戸に捨てて逃走、東京都のガソリンスタンドで偽名で働いているところを6.4に逮捕された。福岡県出身で主人の遠縁。殺害して金を盗る計画を立て、日記に計画を書いていた。


昭和36年(1961).1.16〔16歳が強盗殺人2件〕
 千葉県千葉市の民家に工員(16)が押し入り、主婦(59)の首をナイフで刺して殺害、長男の妻(20)を重体にして現金2万6千円を強奪して逃走。
 20日に東京都港区のアパートのOL(30)部屋に強盗に入り、妻子ある愛人の会社員(52)の首を絞め7カ所を庖丁で刺して殺害、金を奪った。すぐに他の家に押し入り「人を殺した。電話を貸せ」と脅し、「今四人殺してきた、今度はお前の番だ。覚悟してろよ」と勤め先の社長に電話し、社長宅に押し掛けようとしているところを捕まった。
 千葉の中学を中退して北区のボール箱製造工場に住み込みで働いていたが、社長の長男とケンカして飛び出していた。乱暴な性格でナイフでケンカを繰り返し、社長の長男のアパートに放火、レイプも犯しており、「死刑に相当する残虐な犯行だが、てんかんの発作で軽い心神耗弱状態だった」と東京地裁は懲役15年の判決を出した。


昭和36年(1961).5.31〔19歳がピストルを奪うため警官毒殺〕
 熊本県熊本市の派出所で、写真現像業の平徹雄(19)が巡査(33)を殺害、さらに1.2キロ離れた場所でタクシー運転手も殺害して逮捕された。
 商売がうまくいかずに10万円の借金ができ、強盗をするためにまずピストルを奪おうと警官殺害の計画を立てた。薬局の友人から青酸カリを手に入れ、事件の前日に派出所に行って巡査と知り合いとなり、深夜に毒入り缶ジュースを飲ませて毒殺、制服を脱がせて自分が着込み、ピストルと警察手帳を奪って派出所前からタクシーに乗って逃亡しようとしたが、運転手に怪しまれたため射殺したもの。レイプの前科もあった。逮捕時に「猫を殺したのも同じ気持ち。何も後悔していない」と語る。
 元警官で町会議員も勤めた父親は躾に厳しくたびたび殴られた。中学までは成績もよく読書好きで生徒会長も勤めていたが、高校生になってからグレだし、1年生の時に本を万引きして中退、写真現像店をはじめた。
 昭和38年5月死刑確定。昭和44年1.18死刑執行。


昭和36年(1961).6.5〔18歳が無免許運転で2人引き殺し5人傷害〕
 千葉県で会社員(18)のトラックが車道を外れ、遊んでいる子供に突っ込み、小学一年生(7)と弟の(4)を轢き殺し、少年少女(2〜12)5人に1ヶ月などの傷害を負わせた。無免許運転。


昭和37年(1962).1.25〔18歳が入院先の病院を放火し7人殺害〕
 東京都北多摩郡の病院で、入院患者(18)が放火し全焼、老人7人が焼死した。手足をかみそりで切って自殺しようとしたが死にきれず、派出所に自首。
 昨年6月から慢性腎臓炎で入院していたが、ラジオでジャズを大音量流し注意されると逆に音量を上げ、寝るように言われると外出するなど普段から態度が悪く、2週間前から「放火して皆殺しにしてやる」と話していた。


昭和37年(1962).1.29〔中2が告げ口の逆恨みで小学生を毒殺〕
 愛知県岡崎市の農家の玄関に、中学2年生(14)が農薬入りの乳酸菌飲料を置き、飲んだ長男小学4年生(10)が死亡、二男の小学2年生(8)が重体となり、翌日に捕まった。1週間前に500円拾ったことを被害兄弟の母親が自分の母親に告げ口したのを恨んだもの。


昭和38年(1963).1.27〔17歳が窃盗車無免許運転で2人死亡させる〕
 京都府京都市で深夜1時半、無職(17)の運転する自動車が信号無視をして交差点に突っ込み軽自動車と衝突、男性二人(29,30)を即死させた。1.23に埼玉県川口市で、無職男(23)と二人で自動車を盗み無免許でドライブをしていたが、スピード違反のためパトカーに追跡され、振り切ろうと八十キロの猛スピードでジグザグ運転をしながら逃走していたもの。二人組は二週間程度の軽傷で、業務上過失致死と窃盗で逮捕された。


昭和38年(1963).11.6〔19歳が強盗殺人で死刑〕
 北海道釧路市の雜貨商宅で深夜1時、バーテン見習い(19)が侵入して、就寝中の主人(74)と妻(60)の頭を所持していた斧で殴って殺害、現金1万8千円と通帳、腕時計を強奪して逃走した。パチンコ代欲しさ。一審無期だったが、昭和41年2.4、最高裁で死刑確定。


昭和39年(1964).6.22〔16歳が叔父をナイフで切り付け、反対に20歳が3人刺殺〕※参考
 大阪府堺市の工場経営者(39)宅で、甥の工員(16)が詰まらないことでカッとしてナイフで工場経営者の手を刺した。その場にいた工員(20)がナイフをもぎ取って甥を刺し殺し、留めようとした工員(27,24)の2人も刺殺、2人に傷害を負わせて駆けつけた警官に逮捕された。この家に住み込んでいる工員で、酔っぱらっていた。


昭和42年(1967).1.11〔15歳ら二人組が連続強盗殺人〕
 島根県松江市出身の無職少年2人(19と15)が、山口県山口市で老女(68)を刺殺しカメラなどを奪い捕まった。昨年6月にも広島県国鉄三滝駅近くに住む女性(56)を襲い絞殺、現金6千円を奪っていた。2件とも金欲しさの犯行。共に中流家庭で、補導歴あり。15歳少年は婦女暴行で取り調べを受けていたことがある。


昭和42年(1967).1.23〔16歳の混血少年連続レイプ殺人事件〕
 千葉県柏市で、広域手配の元自動車修理工(16)が逮捕された。前年12.13、豊橋市の民家に強盗に入り主婦(24)をレイプして紐で首を絞めて殺害、フロに放り込んで2万円を奪って逃げた。12.27、千葉県我孫子町で空き巣に入り帰宅した主婦(28)を縛ってレイプして帯で首を絞めて殺害。逮捕の8日前の1.16、甲府市で強盗に入り三女(25)をレイプして電気コードで首を絞めて殺害、死体を鴨居に吊して1万円を奪って逃げたもの。
 米黒人兵と日本女性との混血少年で、父親は朝鮮戦争で消息不明となり母親は別の米兵と結婚して渡米したため両親の記憶はほとんどなく、学校でも「黒人」とからかわれた。「道で擦れ違うとき必ずあざ笑う若い女性が憎かった」と自供。
 18歳未満としては異例の死刑を求刑されたが無期懲役となり、38歳となった平成1年4月、合わせて22年の拘禁の後に仮釈放された。


昭和42年(1967).4.24〔19歳が娼婦4人殺害して死刑〕
 愛知県名古屋市の旅館で、日雇い人夫の渡辺清(19)が売春婦(36)にコンドーム無しの性交を拒否されてカッとして絞殺、3万5千円を奪って逃走した。8.5に大阪府大阪市天王寺区の路上で客引きをしていた男娼(26)を刺殺して2百円を強奪。窃盗で捕まって殺人は発覚しないままに少年院に入った。
 昭和47年4.10、24歳になった渡辺は大阪市のホテルで売春婦(39)と性交したあとに金が無いことを非難されたため絞殺、2千円を強奪。昭和48年3.20、大阪市のホテルで売春婦(40)を絞殺、2万2千円を強奪。
 一審無期だったが昭和63年6.2最高裁で死刑確定。2件は無実と再審請求中。


昭和43年(1968).1.16〔17歳が幼女2人をレイプ殺人〕
 千葉県船橋市の路上で、工員(17)が下校中の小学4年生の女の子(10)に駅への道を訊いて一緒に歩いているうちに物陰に連れ込もうとして抵抗されたので首を絞めて失神させてからレイプ、殺害した。東京都墨田区に住んでいたが中学生の時から船橋ヘルスセンターでひとりでゲームをしていて土地勘があり、工場をさぼってレイプ目的で幼女を物色していたもの。
 迷宮入りとなり、警備員に転職、昭和48年2.17に船橋市の空き家で、小学5年生の女の子(11)をレイプして絞殺した。11.15に松戸市で幼稚園の女の子(6)の首を絞めてレイプした事件で、11.28に23歳になった男が逮捕された。11.24に仕事を辞めて、人目が少なく幼女レイプをやりやすい千葉県鎌ケ谷市で独り暮らしをはじめたところだった。それまでは両親と2人の妹と実家に住んでいた。
 内気な性格で小学生しか友達がおらず、「大人の女性は自由にならないので子供を狙った」と50人以上の女の子や男の子に乱暴を繰り返していたことを自供。死刑が求刑されたが、涙を流して人間らしさを取り戻したとして、無期懲役となった。


昭和43年(1968).10.11〔19歳の永山則夫4人連続射殺事件〕
 東京都港区のプリンスホテルで警備員(27)が2発撃たれて射殺。14日に京都府八坂神社で警備員(69)が顔を4発撃たれて射殺。26日に北海道亀田郡でタクシー運転手(31)が射殺され8千7百円を奪われる。11.15に愛知県名古屋市でタクシー運転手(22)が射殺され7千円を奪われる。「連続射殺魔108号事件」として指名手配され、昭和44年4.7に中野区の元喫茶店員永山則夫(19)を逮捕。ピストルは横須賀米軍基地で盗んだものだった。
 北海道網走市の極貧の家に育ち、中卒後上京して職を転々としていた。死刑判決を受け、平成9年8.1に執行された。


昭和43年(1968).12.28〔19歳工員が買物の行き違いから一家3人刺殺〕
 栃木県那須郡の呉服店で夜10時前、鉄工所工員(19)が3歳の幼女含む一家3人を刺殺、1.9に逮捕された。靴下を注文したが足袋を出したため文句を言うと、店主の妻(33)が「たかが靴下で夜遅くに買いに来るなんて」等と言ったため激怒。傍にあった裁ち鋏で妻を数回突き刺し、靴下を取りに2階に居た店主(39)も刺殺。そして泣き出した妻のいとこの長女(3)を刺殺した。2年前に空巣で捕まっている。


昭和44年(1969).9.4〔19歳が両親をめった打ちして殺害〕
 埼玉県大宮市で左官の父(60)と母(57)が殺され、左官の次男(19)が逮捕された。3日夜に仕事から帰ってきたとき食事の用意ができていなかったことに腹を立て、翌朝、寝ている両親を角材で殴り、縛り上げてから2百メートル離れたゴミ捨て場に運んでさらに頭をめった打ちにして殺害したもの。枯れ草が被せられていたが、死体は5日に発見された。日頃から父親に仕事のことで叱られていて、母親からも「怠け者」と言われ恨んでいた。以前にも母親を突き飛ばしてケガを負わせている。
 4.19には愛知県海部郡で盗んだ車で事故を起こして入院中の元工員(20)が見舞いに来た母親に叱られてガーゼで絞殺、10万円を奪って逃走、5.26には空き巣に入ったところに中学2年生の少女が帰宅したため強姦して絞殺、1350円を奪った事件も起きている。


昭和44年(1969).11.19〔17歳含む7人組が大学生2人を殺害〕
 東京都新宿区歌舞伎町で東京経済大学空手部の主将と副主将(共に20)が刺殺された。犯人は住所不定無職少年(17)、北里大2年(19)、国士舘大2年の5人の「国士舘グループ」7人組。花園神社で祭を見物後、深夜に被害者らと知り合い酒を呑んだが、被害者らは無一文だったことから争いになり、無職少年は脇差で刺し、ほかの6人も暴行を加えていた。


昭和44年(1969).12.29〔19歳ニートが医師2人を刺殺〕
 大阪府大阪市の病院で、無職(19)が院長(41)を刺身包丁で刺殺、すぐそばの病院でも院長(41)を刺殺、またべつの病院でも女性院長(64)を殴り自転車で逃走、自宅ですぐに逮捕された。飛田新地の風俗店で淋病になり、大病院で治療を受け完治したが治っていないものと思い込み梅毒恐怖症となって病院を渡り歩き、気のせいと一向に治してくれない医者を怨んだもの。失業中の父親の三男で、中卒後に職を転々として、今年3月には時津部屋に入門していた。


昭和45年(1970).1.10〔17歳女子ら3人が愛人2人をコンクリート詰め殺人〕
 大阪府北河内郡四条畷町でコンクリート詰め殺人を犯した無職男(40)、女(22)、女子(17)の3人が、逃走先の北海道江別市の旅館で逮捕された。
 昨年8.17に兵庫県姫路市で女性(59)と共同経営していた店が倒産すると、この女性の三男の妻である女と、女性の姪の女子と、女性の従姉妹の内妻(48)の4人の女を連れて姪の父親の車を盗んで逃走、女性が病気になって邪魔なので女たちに命じて殺害して琵琶湖に車ごと死体を捨てた。内妻がノイローゼとなって犯行がバレそうになったため2人の女に命じて虐待して12.1に殺害、コンクリート詰めにさせたもの。一族の女4人を愛人として操っていた。


昭和46年(1971).6.1〔2歳女子が妹2人にビニールかぶせて殺害〕
 和歌山県和歌山市の自宅で、長女(2歳7ヶ月)が双子の2女と3女(生後55日)の顔にビニールを1枚づつかぶせて窒息死させた。母親(25)が赤ちゃん2人に掛かりっ切りとなったために嫉妬して、これまでもタオルを顔にかぶせていじめており、何度叱ってもやめなかった。


昭和48年(1973).6.15〔15歳が窃盗放火で3人殺害〕
 東京都世田谷区の木材販売業宅に、酒店店員(15)が盗みに入って証拠隠滅のため放火し、祖母(72)、母親(44)、長女(13)の3人が焼死、7.16に逮捕された。5.15に近くの工場に盗みに入って放火したことも自供、何件かの余罪があると見られる。4月に鹿児島から上京して就職したが、仕事はさぼりがちだった。





昭和56年(1981).7.16〔18歳がピアノうるさいと隣家の老夫婦を刺殺〕
 兵庫県竜野市の無職(18)が、深夜3時に隣家に押し入って老夫婦(72,68)の胸を包丁で刺して殺害、とめようとした嫁(36)に10日のケガを負わせた。裸足で上半身ハダカのまま交番に向かって自首。
 登校拒否となり4月に高校中退。自宅で大検を受けるための勉強をしていたが、ピアノがうるさいと隣家に何度も苦情を言っていた。


昭和57年(1982).5.27〔19歳がストーカー3人殺害の共犯で殺される〕
 神奈川県藤沢市で、無職の藤間静波(21)と少年(19)が民家に押し入り、高校2年生女子(16)、妹(13)、母親(45)の3人を包丁で刺殺した。高2生に振られてから付きまとっており、少年院で知り合った少年に見張りをさせて襲ったもの。6.5に兵庫県尼崎市で、警察に通報するのを恐れて少年を殺害。昭和56年10.6にも、窃盗仲間の無職(20)を刺殺していた。平成16年6.15、最高裁で死刑確定。


昭和58年(1983).2.5〔中2ら10人が「浮浪者狩り」で殺人〕
 神奈川県横浜市の山下公園で、中学2年生(14)3人、中学3年生(15)2人、高校1年生(16)、無職(16)4人の「恐舞連合」グループ10人が、浮浪者(60)に殴る蹴るの暴行を加え殺害し、12日に捕まった。それまでにも対立グループとのケンカの練習のため地下街や公園で浮浪者を襲い13人に重軽傷を負わせた。「逃げ惑う姿が面白かった」と自供。ほかに2人の浮浪者が殺害されているが、未解決。


昭和59年(1984).7.8〔高3ら2人が車ダイブさせ少女2人見殺しにする〕
 福島県いわき市の小名浜港に自動車が落ちて、OL(19)2人が水死、同乗していた高校3年生(18)と無職(19)は脱出したが怖くなって通報せずに逃げ、21日に事故不親告と救護不措置で逮捕された。この日にナンパしてドライブをしていた。OLの1人が運転していたと主張しているが、OLは無免許のため無職が運転していたと見られている。車の盗難届まで出して、事故と無関係を装っていた。


昭和60年(1985).2.1〔16歳女が家出のため母と姪を絞殺〕
 愛知県春日井市の自宅で、会社員をしている二女(16)が母親(45)と姪(生後3ヶ月)の2人の首を絞めて殺害した。家出を繰り返してそのたびに母親に連れ戻されていた。「家出するため母を殺した。姪を残すと父が苦労するので一緒に殺した」と自供。長女(19)は未婚のまま赤ちゃんを産み、家出して行方不明。父親は建築作業員。


昭和60年(1985).7.8〔15歳ニートが両親を殺害〕
 北海道札幌市の自宅で、無職の長男(15)が、父親(42)と母親(41)を斧で殴殺、中2の長女(13)も重体となった。就職せずにいる事を咎められての犯行。両親はしつけが厳しく、反発して中学に入ってから家庭内暴力を続けていた。


昭和60年(1985).12.5〔19歳女が泣き声うるさいと保育園で乳児2人殺害〕
 福岡県久留米市の無認可保育園で、園長の次女(19)が乳児(生後8ヶ月)にフトンをかぶせて押さえつけて窒息死させてから、乳児(生後10ヶ月)も同様に窒息死させた。泣き声がうるさかったと自供。園長夫婦と長女と次女で経営していた。殺意があったとして殺人で逮捕。


昭和63年(1988).2.23〔17歳ら暴走族6人がアベック殺害〕
 愛知県名古屋市の公園駐車場で23日早朝、理容師の男性(19)と女性(20)が車をとめてデートしていたが、とび職(19)、とび職(17)、無職(18)、無職女(17)、無職女(17)と20歳の6人が木刀と鉄パイプで襲い、女性をレイプして2人を車で連れ去った。長久手町の墓地で男性をロープで絞殺。トランクに遺体を積み女性を1日中連れ回し、三重県阿山郡の伊賀越峠付近で絞殺、遺体を埋めた。
 このアベックを襲う直前にも名古屋港で、木刀で車の窓ガラス割ってアベックを殴り、現金を奪ったことも自供した。


昭和63年(1988).7.8〔中2が両親と祖母刺殺〕
 東京都目黒区の自宅で、中学2年生(14)が父親の会社役員(44)、母親(40)、祖母(70)を殺害した。友人(13)が数万円で殺人の手伝いを頼まれて朝4時にやって来たが、中2生が祖母の首に電気コードを巻きつけたのを見て怖くなって逃げていた。両親は教育に厳しく冷たかったので、就寝中に金属バットで殴り、目を覚ました父親にバットを取り上げられると包丁で、父親37回、母親72回、祖母56回めった刺しにしたもの。別の友人に犯行を打ち明けて死体を見せ、この友人が教師に告げて警察に通報され逮捕された。
 サッカー部に所属し、礼儀正しく明るい性格で人気者だったので周囲は皆驚くが、数ヶ月前から友達数人には親を殺すと話していた。また、大ファンだった南野陽子をレイプして自殺するが、迷惑を掛けるので先に家族を殺すと1週間前に打ち明けており、南野陽子のスケジュールを調べて7.8をその決行日と決めていた。初等少年院に長期収容となった。





平成1年(1989).4.25〔中3の3人がいじめを受け母子殺しと逮捕されたが、冤罪〕
 東京都足立区綾瀬のマンションで、昨年11.16に母親(36)と長男(7)が殺害され8万円を強奪され、当時、中3だった工員(15,16)3人がこの日に逮捕された。中2のころから不登校となり、1人のアパートに毎日たむろして遊んでいたが、別の5人グループにいじめられるようになり、リンチを受けては金を巻き上げられ、こづかい欲しさにやったと犯行を自供したが、家庭裁判所では否認に転じた。アリバイなどがあったため3人とも無罪。


平成2年(1990).8.25〔19歳浪人生が両親殺害〕
 山梨県甲府市の自宅で、浪人生の二男(19)が父親(49)と母親(47)を殺害した。私立高校を卒業して東京の大学入試に2年落ちて自宅で受験勉強をしていた。「いつも小言を言われて、両親の顔を見るのも嫌だった」と自供、寝ていた両親を起こして、追い回してナイフで刺殺したもの。高校時代は野球部に属しており、近所の人にも挨拶するおとなしい性格。


平成3年(1991).10.28〔18歳ら2人がいじめるカップルを復讐殺人〕
 広島県佐伯郡大野町の渡ノ瀬ダム近くで、自動車運転手(18)と大工(20)が、会社員(18)と恋人の少女(18)の2人を殺害した。このカップルに日頃から馬鹿にされ暴力を振るわれていたため、復讐を計画して誘い出し、模造刀や棒で殴ったり刺したりして男性を殺害、少女を絞殺して両手を縛ってコンクリートブロックをくくりつけ、ダムに投棄したもの。


平成3年(1991).11.22〔19歳女子大生が両親殺害〕
 北海道札幌市の自宅で、女子大生(19)と恋人の会社役員(24)が女子大生の父親(45)と母親(45)を殺害し、会社で所有する原野に大型掘削機で穴を掘って死体を車ごと焼いてから埋めた。翌年、1.26逮捕。結婚を反対され、男の会社の資金に困っていたため、睡眠薬を飲ませてから包丁で刺殺、660万円を手に入れ、家も売りに出していたもの。2人とも無期懲役判決。


平成4年(1992).3.5〔19歳の市川家族4人強盗殺人〕
 千葉県市川市のマンションに店員(19)が強盗に入り、会社社長(42)、妻(36)、次女(4)、祖母(83)の一家4人殺害した。まず祖母を絞殺、その後に帰宅した高校1年生の長女(15)の眼の前で家族を次々とナイフで刺殺し、現金10万円を奪い長女をレイプしている。
 2月に自転車に乗っていた長女を自動車ではね、病院に連れて行った帰りにナイフで傷を負わせてレイプし、生徒手帳で住所を知ってこの家を狙ったもの。2月にスナックのフィリピン人ホステスを連れ出して自宅に泊めたことから、暴力団員に2百万円を払えと脅されていたので、金がほしかったと自供。これまでにも女性を殴って3ヶ月の鼻骨骨折を負わせてからレイプする事件などを起こしていた。
 平成13年最高裁で死刑が確定。


平成5年(1993).9.2〔16歳ら10人が暴力団員射殺し死体遺棄〕
 群馬県前橋市で、暴走族(19)1人、(18)4人、(17)2人、(16)2人と無職(20)の10人が、嫌がらせをする暴力団員2名を拉致し、けん銃で射殺し、勢多郡の草木湖畔に死体遺棄して11日までに逮捕された。


平成6年(1994).9.28〔木曽川・長良川連続リンチ殺人事件〕
 9月28日、大阪府大阪市中央区の路上で無職少年(19歳3人、18歳1人)の4人は、通行中の2人に因縁を付け、携帯電話等を強取し、逃げ遅れた無職男性(26)を近くのアジトとして使用しているビルに連れ込み、殴る蹴るの暴行を加え、ロープで首を絞めて絞殺し、車のトランクに詰めて高知県山中に遺棄した。
 10月6日、愛知県尾西市の木曽川堤防で、この4人と無職少女(16)2人、無職(21歳、20歳)らは、解体工(22)がレイプ事件を警察に通報すると言ったことから殺害することを企て、殴る蹴るのリンチを加えて殺害した。
 10月7日、愛知県稲沢市のボウリング場で3人に因縁を付けて車で拉致し、岐阜県輪之内町の長良川河川敷で鉄パイプでリンチを加え、会社員(20)とアルバイト(19)の2人を殺害した。
 2005年10.14、名古屋高裁は無職少年3人に死刑判決。死刑となった少年たち


平成9年(1997).3.16〔中3が通り魔殺人と首切断 酒鬼薔薇聖斗事件〕
 兵庫県神戸市の路上で、中学3年生(14)が小学4年生の女の子(10)の頭部をハンマーで殴打して殺害、直後に通行中の小学3年生の女の子(9)の腹部を刃物で刺して2週間の傷害を負わせた。
 5.24に小学6年生の男の子(11)を絞殺、首を切断して中学校の正門に遺棄した。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗って脅迫状をマスコミに送りつけ、6.28に逮捕された。


平成11年(1999).4.14〔18歳がレイプ目的で母子殺害〕
 山口県光市で、会社員(18)がアパートに侵入し、主婦(23)の口を粘着テープでふさぎ両手を縛って絞殺してから押入に押し込み、長女(11ヶ月)を絞殺して首にひもが巻き付けたまま天袋に入れて何も盗らずに逃走したが、4.18に逮捕された。レイプ目的で「人間として大変恥ずべきことをした。今は涙が止まらない。胸が痛んでいる」と自供。3月に高校を卒業し、今月に会社に就職したばかり。
 一審、二審は無期懲役判決だったが、最高裁は「罪責は重大で、量刑は甚だしく不当。破棄しなければ著しく正義に反する」として差し戻し、広島高裁は死刑判決を出した。


平成12年(2000).8.14〔高1が一家6人襲い3人殺害〕
 大分県野津町都原の農家で、深夜2時に近所の高校1年生(15)が侵入しサバイバルナイフで刺し、祖母(66)、母(41)、中学2年生の長男(13)を殺害、祖父(65)、女子高校2年生の長女(16)、小学5年生の次男(11)に傷害を負わせた。屋呂場をのぞき見した疑いをかけられたことを恨み、また被害者宅から現金や下着を盗んだことが両親にばれるのを恐れての犯行。


平成13年(2001).5.〔無職少年による殺人等事件〕
 無職少年(17歳)は、実母(46歳)に叱られたことを腹いせに自宅を放火し、実母及び叔母(41歳)を焼死させ殺害した。(5月、岡山) 警察庁「少年非行等の概要」引用。




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警察庁「犯罪統計書」による。



殺人の検挙率
 19401950196019701980199020002005
年次昭15年昭25年昭35年昭45年昭55年平2年平12年平17年
検挙率96.7%96.2%96.8%97.0%97.2%96.7%95.0%96.6%

昭和は警察庁「犯罪統計書」の認知件数と検挙件数を元に独自に算出したもの。平成は警察庁の統計による。
当然、少年と成年の両方を含んだ数字。
殺人の検挙率はまったく下がっていない。



平成15年(2003)の年齢階層別殺人率
 未成年20〜29歳30〜39歳40〜49歳50〜59歳60〜69歳70歳〜
殺人数96人(95)268人314人212人306人186人75人
殺人率0.73(1.15)1.581.731.341.601.180.44

各年齢層の殺人検挙人数と各年齢層10万人当りの比率。
警察庁ページの「平成15年の犯罪 」と総務省統計局サイトの平成15年10月1日現在推計人口確定値を元に独自に算出したもの。
未成年は19歳以下の殺人犯数すべてを10〜19歳の人口で割ったもの。括弧内は14〜19歳の殺人犯数を14〜19歳の人口で割ったもの。
少年の殺人率の低さと20歳代を越える50歳代の高さが海外では見られない日本の特徴。
ちなみに60〜64歳は117人、1.41で、相対的に驚異的な高さとなっている。


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冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
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彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。




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戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
 9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代




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主要参考文献

〔年表〕子どもの事件 1945-1989

戦前の少年犯罪

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