昭和57年
横浜市南区内の二つの私立中学を母体にした不良グループ「恐舞連合」が結成される。グループは小学校時代の友人の他、ゲームセンターに出入りするうちに顔見知りなった者で構成。特にリーダーは定めていなかった。またグループのルールとして、シンナーを吸わない、母親に暴力を振るわないことを決めていた。
昭和58年1月
恐舞連合は、中区元町を根拠とする不良グループ「中華連合」とケンカをして負けた。このため少年らは、ケンカに強くなって仕返しするために浮浪者をケンカの練習台にすることを決意。
1月12日午後8時45分頃
マリナード地下街で、福島県出身の浮浪者Hさん(56歳)が学生服を着た5人組に殴られ2カ月の重傷を負う
1月15日午後7時40分頃
マリナード地下街で、Kさん(55歳)が、16、7歳の少年7、8人に殴られ、一週間の怪我。
1月15日午後9時頃
石の広場ステージでSさん(38歳)が、16、7歳の少年10名に殴られ二ヶ月の重傷
2月4日夜
浮浪者が暴行され死亡
2月5日夜
横浜スタジオの西側スタンドの西側スタンド下に寝ていた浮浪者たちを襲撃、Tさん(40歳)が1ヶ月の重傷、他7人が一週間の怪我をさせれた。
少年達は、この犯行後「今日はもう一つスカッとしないな」と話し合って、山下公園に移動。
2月5日夜
山下公園の植え込みの陰で寝ていた青森県出身の浮浪者Bさん(60歳)を少年らが 襲った。少年達はAさんの腹部を蹴り、それから毛布ごと通路に引きずり出すと、数ロールと助走してジャンプ、胸にドスンと飛び降りる。その時はボキボキと肋骨の折れる音がしたという。そして、公園にあるごみ箱にAさんを詰め込んで、15メールとほど引きずりました後、植え込みの中にごみ箱ごと放置した。その50分後にたまたまそこを通りかかった女性観光客3人が、Aさんのうめき声に気づいて、病院に運んだが、1日ごにAさんは脳挫傷・肋骨骨折で死亡した。
2月10日夜
浮浪者が暴行され死亡
2月11日
主犯格のA少年を逮捕。犯行はAを含めて、10名の少年であることが判明。少年らは同じ中学の先輩、後輩でゲームセンターで知り合った仲間たち。2年前から不良グループ「恐舞連合」をつくり、「プー太郎狩り」と称して、決まったコースをパトロールしていた。そのコースは、マリナード地下街から始まって、関内駅地下街、同駅周辺の植え込み、横浜スタジアム、山下公園、中華街、石の広場、寿町ドヤ街、国電石川駅、そこで解散。これを連日のように繰り返していた。
3月4日
少年10名を家裁に送致。検察官の処分意見は、保護観察処分が1名、救護院が2名、残りの7名が少年院
3月30日
横浜家裁は30日、横浜地検から傷害致死、傷害、暴行容疑で送致されて審判中だった14〜16歳の少年10名に対し、9人を少年院に送致し、1人を救護院に送致する保護処分を決定した。
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