昭和59年11月2日
天満橋2丁目桜宮公園東側の大川で水死体が発見、死体は半裸でブリーフ、白の靴下姿だった。死亡推定時刻は2日午前零時頃、鈍器で頭部をメッタ打ちにされた後、左目を突き刺され、腹などにも傷があった。
凶器は、金槌とみられ、左目は金槌の細い部分でつかれたらしい。直接の死因は水死。捜査本部は瀕死の被害者を約50メートル引きずり、川に投げ込んだと見ている。
昭和59年11月11日
捜査本部は11日、被害者の同級生であるA(15)、B(15)の2人を逮捕した。
捜査本部は、A、Bが1日に被害者と会う約束をしていたことから、事件直後からA、Bを呼び事情を聞いていたが、被害者を投げ込んだ大川沿いの鉄さくから検出した指紋と掌紋がAのものと同一だったため、Aを追及、犯行を認め、Bも共犯とわかった。
事件の詳細
A、Bは、被害者がリーダー格になっているグループの一員で、いつも行動をともにしたが、被害者が高圧的な態度に出ることを常々反感を持ち、「殺して解決しよう」と決意するに至った。犯行計画を持ちかけたのはAの方で、10月31日夜、Bに電話し、創立記念日で休校となった1日午前8時半ころ、京阪電鉄の駅でBと落ち合い相談、殺害方法や時間を決めた。
Aが自宅から金づちとペンチを持ちだし、正午過ぎ、駅で再びBと会い、被害者に電話。被害者が「近くで自転車を盗んでこい」と指示したため、2人は言われたとおり自転車を盗み、天満橋に来た。更に被害者の指示で午後5時頃、うつぼ公園に行った。ここで被害者が「もっといい自転車を取ろう」と誘いかけ、Aが公園近くのマンションで自転車を盗み、これに被害者が乗った。A、Bは被害者を殺害計画の場所に連れ出すた、「天満橋に行けば、もっといい自転車がある」と持ちかけた。
自転車で犯行現場の桜宮公園へ向かい、公園内でしばらく遊んだ後、午後7時40分ころ、公園の遊歩道でAがポケットに隠していた金づちで、自転車に乗っていた被害者の後ろから襲い、頭を殴りつけた。倒れた被害者を2人で押さえつけ、金づちで約10分間、2人が代わるがわる顔や頭を殴り続けて、反対側の釘抜きの部分で目もつぶした。瀕死の被害者を約50メートル引きずり、公園沿いの大川に投げ込んで殺した。
犯行時、Bの着ていた上下トレーナーが返り血を浴びたため、Aが自宅へ衣服を取りに戻り、駅のトイレでBに着替えさせていた。犯行に使われた金づちは、Aの自宅から発見された。
被害者は学級委員長でクラスのリーダー格、番長グループではないが、ふだんからA、Bを含む同級生5、6人の集団で行動し、そのリーダー格であった。身長170センチ、体重70キロと大柄で柔道初段の腕前。親分肌の性格だったらしく、おとなしいA、Bには「威圧的」に映っていたようだ。
Aは両親が自営業で5人兄弟の次男、Bは両親が共働きで4人兄弟の長男。ともに勉強はあまりふるわなかったものの性格はおとなしく、目立たない存在で補導歴はなかった。
A、Bは、調べに対して「7月からいじめがはじまり、数人の先生に相談したがとりあってくれなかった。解決するには自分たちで殺すしかなかった」と犯行の動機を自供した。供述によると被害者が柔道部を6月下旬に退部して以来、これまで以上にAとBに対してつらく当たるようになった。意に沿わないと休み時間や昼休みに先生の目の届かない所で、しばしば殴られたとのことである。
いじめ事件
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