大正15年(1926).9.24〔中5(満16歳)ら30数人が校長を袋叩き〕
新潟県岩船郡で夜9時、退学したばかりの中学五年生(満16歳)が、同級生30人以上を引き連れて校長宅へ押し掛け、一度は警官に追い返されたがまた押しかけて袋叩きにし、さらに教頭など数人の教師宅にも押しかけて袋叩きにした。
首謀者はのちにロッキード事件で田中角栄元首相逮捕にゴーサインを出した法務大臣の稲葉修。祭の日に学校を休みにしろと生徒会会長として同盟休校を主導、退学となったが、反校長派の教師五人が裏で操っていたと疑われてクビになったので、処分撤回を要求して襲ったもの。同級生も退学となった。
中学四年終了で飛び級制度の受験資格があったので昭和3年に山形高等学校に入ったが、1年生(満18歳)の時にひとの答案をもらって名前だけ書き換えるというカンニングをして退学になった。中央大学予科から大学に進み、法学部教授になって、法相になる。
※自伝
『後生畏るべし 本音を吐いて、あの世へ行こう』に詳しい。
昭和2年(1927).4.27〔中4らが校長に反対して大暴れ〕
千葉県夷隅郡の県立中学校で、4,5年生(18)が寄宿舍の窓ガラス百数十枚を割るなど大暴れして逮捕された。校長の自由教育によって水戸高等学校などに1人も合格者を出せなかったため、校長を更迭するように知事に陳情して街中でデモ行進をしようとしたが警官隊に防止されたため激昂したもの。リーダーの5年生5人が退学処分、8人が停学処分。
軍事教練助手の特務曹長が煽動していたことが発覚し、辞表提出を迫ると校長と教頭に殴りかかった。5.19には5年生数十人も校長室に乱入して校長と教頭に暴行を働こうとし、教師2人を殴った。
校長は6.11に辞職して最後に生徒を集めて「生徒諸君は今回の事件で理解を失った、言い換えれば動物と同じである。私は去年の今頃着任の際諸君に日本一の中学校とすることを契言した。今同じ日本一でもこんな結果を生んだことは悲しいことだ」と語った。(演説内容は東京日日新聞引用)
昭和3年(1928).3.6〔中5数人が卒業式後に校長殴る〕
富山県高岡市の県立高岡中学校で、5年生(満17歳前後)数人が卒業式の直後に教員室に押し入り、校長と教師1人を殴った。日頃から校長に素行を注意されていたのを怨み、卒業証書を持ったまま復讐したもの。卒業式の来賓が大勢いた前での犯行。
3.9には高岡中学校卒業生数人が登校の教師1人を待ち伏せて殴ったが、教師は逆に殴り返して重傷を負わせて中学校に逃げ込んだ。
昭和3年(1928).4.5〔中5が教師殴って職員室で大暴れ〕
福岡県福岡市の県立修猷館中学校で、5年生が職員室で教師を殴って椅子を振り回して窓ガラスを割り机を壊して大暴れした。教師総出で取り押さえようとしたが収まらないので通報で駆けつけた警官隊に逮捕された。福岡高校を目指して猛勉強をして神経衰弱になって、アメリカの大学に提出するという英文論文を書くために前夜学校で徹夜しており、英語の質問をしようとしたが放課後にしてくれと言われてカッとしたもの。
昭和3年(1928).5.7〔高等小学校2年生10数人が卒業式前に暴れる〕
福岡県大牟田市の高等小学校で、2年生10数人が3月下旬の卒業式前に担任教師への不満から教室で暴れて机や椅子をこわしたことが発覚して市議会で問題となった。教師は辞表を出したが引き留められている。
昭和3年(1928).10.6〔小4クラス全員が女教師に暴行〕
千葉県香取郡の小学校で、4年生45人が授業のため教室に入ってきた担任の女性教師を机のフタで袋叩きにして額に5センチ以上の傷と打撲傷を負わせた。日頃から厳しいことを恨んで復讐したもの。
昭和5年(1930).6.14〔日大予科生千人以上が学園紛争で大乱闘〕
東京市神田区の日本大学で、予科生(付属高校の生徒)千人以上が学校に要求を突きつけ全員退学の覚悟で校庭に集結していたが、学校が回答を拒否したため怒って大学部の門を乗り越え押し入った。校舍から花瓶やタンツボを投げてきた者がいるので投石で応酬、大乱闘となり、世耕弘一主事(後の経済企画庁長官。世耕広報担当補佐官の祖父)を袋叩きにし、窓ガラスを割って時計を壊すなど40以上の教室を無茶苦茶に破壊し、警官隊に取り押さえられた。ケガ人多数。
昭和5年(1930).9.29〔松本高校生が軍事教練中で酔って暴れる〕
長野県南安曇郡の有明原陸軍演習場で、松本高校生400人が軍事教練を受けたが、到着までの電車内で酒を飲んで騒ぎ、夜も酔って近所の民家で祭の提灯を壊したり燃やしてまわり、兵舍では銃剣で窓ガラスを何枚も割って暴れ、2年生2人は5月に学校で退役大尉教師を殴ったり酔って暴行して停学となっていたため退学処分となった。
9.30夜には10人が神社で燈籠10以上を壊して暴れて謹慎処分。
10.1に高校に戻ったが、近所の食堂で12人が下士官兵3人に「軍服を脱いで飲め」「軍国主義を倒せ」などと叫んでケンカになって逮捕、説教だけで翌日釈放された。
※
『あんそろじい旧制高校 第3巻』の当事者生徒の手記による。
なお、戦前の旧制高校生たちのデタラメな暴れん坊ぶりは、拙著
『戦前の少年犯罪』の第16章「戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代」に詳しく書いてますので参照していただければ。
昭和6年(1931).10.18〔小学校高等科2年(満14歳前後)が退学恨んで学校に放火〕
大阪府泉北郡の小学校高等科(現在の中学に相当)で、元2年生5人が放火して逮捕された。非行で春に退学になったことを恨んで、10.7に夜道で担任教師を待ち伏せして暴行を加えようとしたが未遂に終わったことも自供。
昭和7年(1932).3.20〔商業学校4年生ら4人が教師4人に乱暴〕
長崎県佐世保市で、県立佐世保商業学校4年生3人と卒業生1人が教師の自宅3軒に押し掛けて袋叩きにしたあと、校長の自宅に押し掛け門燈や扉を壊し植木を折るなど乱暴して逮捕された。3人が落第にされたことで教師3人に怨みがあり、校長も教育家としてのあたたかみがないからと自供。
昭和8年(1933).2.18〔中学生(満18〜19歳)ら10数人が教師にリンチ〕
京都府京都市で、中学生12,3人が私立京都中学校教師宅に土足のまま押し入り教師に殴る蹴るの暴行を加えてナイフで頭と唇に10日間の傷害を負わせて逃走、中学3年生(21)と中学生(20)2人が逮捕された。教師への私憤と自供。
昭和8年(1933).4.24〔23歳(満21〜22歳)日大生ら11人が母校で教師から恐喝〕
東京市赤坂区の日大第三中学で、卒業生の日大専門部法科1年生(23)が前校長が困窮しているのはけしからんと因縁をつけて総務から50円を脅し盗った。それから校長を脅して70円を盗るなど、子分を引き連れたびたび押し掛けては授業中の教師を呼び出しジャックナイフを突きつけ8百円を稼ぎ、明大生3人、日本歯科医生2人、東京農大生、法政大生、帝京商業生ら11人が逮捕され9.3に送局された。リーダーの日大生は柔道4段で、代議士を殴って不良のあいだで一目置かれていた。この年の銀行員大卒初任給70円。
昭和8年(1933).7.28〔商業学校5年生50数人が成績表に怒って教師宅で暴れる〕
宮城県石巻市で、市立商業学校5年生1人がこの日にもらった成績表で漢文の成績が低いのに同級生50数人が激昂し、漢文教師宅に押し掛け抗議したが相手にされなかったので窓ガラス2枚を割った。校長宅にも押し掛け抗議した。
昭和8年(1933).12.13〔商業学校5年生(満16〜17歳)が教室で教師に暴行〕
大阪府堺市の市立商業学校で、5年生(18)が教師を押し倒して黒板で後頭部を強打させ、無期停学となった。英語の試験中に同級生(18)がカンニングをしていたので教師が答案用紙を取り上げようとしたが抵抗したため用紙が破れたのを見てカッとし、相撲部員なので相撲の技を使ったもの。教師は逃げて試験は中止になった。
昭和9年(1934).5.23〔20歳(満18〜19歳)ら3人組がピストルで脅して校長拉致〕
愛媛県松山市で、私立松山高等商業学校生(20)2人と無職(21)ら3人組が夜9時に校長宅を訪ねて警察部長の名を騙って誘き出しピストルを突きつけ自動車とエンジン付き船舶で10キロ以上沖の睦月島の空き家に拉致して監禁、脅して辞表を書かせて5.27に解放、逮捕された。
無職は4月にこの学校を卒業したが働かずにぶらぶらしており、在学中は無口で人と交わらずに文学とギターに熱中。無職の親戚の幼稚園保母(24)と校長が交際しており、またサーカス見物中に隣の女性の手を握って警官の注意を受けたという風聞を聞いて義憤に駆られたもの。校長は事件の責任を取って辞職した。
昭和9年(1934).11.19〔高2(満18〜19歳)が教師宅に放火〕
富山県富山市で、富山高等学校2年生(20)が尋常科教師の家に放火して逮捕された。7年制高校で、尋常科は中学に相当し、2年生はこの教師に教えられたことはなく動機不明。刑務所行きを覚悟して放火したと自供。
昭和10年(1935).5.16〔松本高校生330人が旅館で暴動〕
長野県南安曇郡の中房温泉旅館で深夜、松本高校1〜3生330人が酒を飲んでストームと称して騒ぎ、窓ガラスを何枚も割り、障子をすべて壊して池に放り込み、廊下は何カ所も踏み抜いて穴を開け、コイを殺して食べ、女中をフトン蒸しにしてその上で飛び跳ねたりして暴れた。毎年恒例の駅伝大会が中止されて一泊旅行に変更されたため反発したもの。十数人が電源を切って暗闇にしてから引率の校長に鉄拳を加えようとしたが、柔道教師に阻まれてできなかった。ほとんどの生徒が旅館の下駄も盗んで履いて帰り、学校は旅館に莫大な損害賠償を払ったが、ひとりも処分されなかった。
※
『あんそろじい旧制高校 第3巻』の当事者生徒の手記と、原遥平
『バッキャロー―裸の教師蛭さんの奮闘記』による。
昭和11年(1936).3.23〔小学校高等科2年生(満13〜14歳)8人が卒業式で担任教師を袋叩き〕
北海道後志支庁寿都郡の小学校高等科で、2年生(15)8人が卒業式のあとに職員室に乱入して担任教師を袋叩きにし、教師全員の帽子やコートを破って踏みつけ、教室の机47個とストーブを壊し、肝油を黒板に塗りたくるなど暴れた。担任教師が日頃から暴言を吐いて些細なことで体罰を加え、卒業式でも冷たい態度を取ったため憤激したもの。学校は内密にもみ消そうとしたが、発覚。
昭和11年(1936).5.22〔中5(満17歳前後)数十人が授業中に教師を袋叩き〕
富山県高岡市の県立高岡中学校で、前日に退学になった5年生(満17歳前後)が授業中の教室に押し入って学校批判をした。その言葉を聞いた同級生数十人が授業をしていた教師を袋叩きにし、職員室に押し入り教頭も袋叩き、校長室に押し掛けたが駆けつけた警官隊に逮捕された。この中学では生徒の暴力事件が頻発していた。
昭和12年(1937).5.19〔中央大学生10数人が教授を袋叩き〕
東京市神田区の中央大学で、学生10数人が経済学の授業中の教室に叫びながら乱入、アジビラをまいて、教授を袋叩き、血まみれにした。教授間の対立から発生した学園紛争。
昭和13年(1938).2.25〔小学校高等科2年生(満14〜15歳)が校長をナイフで刺す〕
秋田県南秋田郡の小学校で、高等科2年生(16)が校長の手の甲をナイフで刺して傷害を負わせた。雪の下の薪掘りを数人の生徒がなまけたので校長に叱られた怨み。凶暴で学校からマークされている生徒だった。
昭和15年(1940).10.〔中3(満15歳)5人が教師に石を投げつける〕
東京市の学習院中等科で、3年生(満15歳)5人が廊下を歩いていた化学教師に投石し、教師が倉庫に逃げ込むとさらに石を投げて倉庫の窓ガラスを何十枚も割った。全員が伯爵や子爵の子息。学習院院長だった野村吉三郎海軍大将は「なかなか元気のいいことをやったな」と一言云っただけで、1週間の停学処分となった。
首謀者の千家紀彦(青柳淳郎)は、祖父が東京府知事、司法大臣で出雲大社教創始者の千家尊福男爵。父親は大学教授で後の出雲大社管長。中2で煙草を吸って退寮処分となり、その後も授業をさぼって喫茶店でたむろするなど不良となっていたので化学教師に注意されて怨んでいたもの。自伝の
『背徳の家の子』に詳しい。同じ頃に、兄も厳しい父親に反発して中学退学で家出、親戚の三兄弟とともに銀座のミルクホールを拠点に毎日ケンカを繰り返す愚連隊となっていた。
昭和17年(1942).1.23〔高1(満18歳)が授業中に配属将校殴る〕
京都府京都市の第三高等学校で、文科甲類1年生(満18歳)が、配属将校の予備役大佐(満54歳)の胸を銃の台尻で殴った。軍事教練中になかなか整列しなかった生徒を大佐が鞘のままのサーベルで何度も殴っているのを見かねて「バカヤロー」と怒鳴り、「誰だ、出てこい」と云われたので「キサマのような軍人はこうしてやる」と突進して殴り、追い掛けられたが学校外に逃走したもの。2.2に退学処分。
この大佐は昭和12年7月にも配属先の同志社大学予科で、キリスト教と自由主義を排撃するため生徒を煽動してチャペル籠城事件を起こしており、憲兵隊や軍上層部も生徒に同情し、大佐も他校に転属となった。
※秦郁彦
『旧制高校物語』や、
『あんそろじい旧制高校 第3巻』に詳しい。
昭和18年(1943).11.9〔高1(満17歳)ら数人が教師を袋叩き〕
東京都中野区の東京高等学校で、1年生(満17歳)ら数人が記念祭の校庭での盆踊りで、校長や生徒主事(生活指導の教師)、配属将校を暗闇にまぎれて袋叩きにした。軍国主義教育に反発して計画的にやったもの。犯人が追及されたが、殴ってない生徒を含めて50人近くも名乗り出たので、校長の責任問題となるため結局まったく処分されなかった。
読売新聞社の渡邉恒雄会長が主謀者で、
『渡邉恒雄回顧録』でナベツネ本人が語ることには、生徒主事を殴ったうえに飛んだメガネまで踏みつぶして、翌日にはお腹の中では笑いながらしれっと挨拶していた。軍国主義者の級長を呼び出してドスで脅したり、中学時代には軟派の生徒を殴っていじめていたことも語っている。
昭和19年(1944).5.〔高2らが校長を殴る〕
石川県金沢市の第四高等学校で、2,3年生10人が校長排斥の血判状を書き、うち1人が校長宅に押し掛け辞職を迫って殴った。毎年の入寮式で新入生に読み聞かせることになっている伝統の「超然趣意書」は、戦時体制に協力しない声明と誤解されるから自肅するようにと、学校から命令されて激昂したもの。
昭和23年(1948).2.25〔高3(満16〜17歳)が教師に毒まんじゅう〕
長野県松本市の県立松本工業高校で、機械科3年生(18)が夜にやってきて宿直の教師ら4人にまんじゅう5個をわたして帰った。用務員が食べてみると味がおかしいのでそのまま保管し、見回ってみるとトイレにその3年生が隠れており直後に火事があり校舍など三棟が焼失した。追及すると「実験室のストリキニーネが人にきくかどうかためしてみた」と自供。去年、窃盗罪で不起訴となっているが学校で泥棒あつかいされて恨んでおり、復讐のため殺人と放火を計画したもの。長野地裁は懲役5〜10年の不定期刑判決。
昭和25年(1950).5.26〔高1が義兄を殺害〕
東京都新宿区の自宅で深夜0時過ぎ、工業高夜間部1年生(16)が同居していた義兄(48)の頭をバットで殴ったうえ胸や喉などをナイフで滅多刺しにして殺害した。内縁の妻である姉(30)をいじめるのを恨んで、綿密に計画を立てていたもの。
昭和24年2.19、中2(15)の時に友人と2人で墓地で小学校時代の女性教師(22)を計画的に待ち伏せして首を絞めて頭を石で殴ってハダカにしようとして猥褻致傷で逮捕され、観察処分となっている。
昭和27年(1952).12.25〔中2が女教師を強姦未遂〕
埼玉県熊谷市で、中学2年生(14)が女性7人に対する強姦未遂容疑で補導された。担任の女性教師も襲っており、被害者は十人以上いると見られている。姉が売春婦で、自宅で客を取るのを見て影響されたもの。
昭和28年(1953).5.20〔高3が長髮を切るように云われ教師殴る〕
熊本県天草郡の農業高校で、3年生(17)が教師(43)を何度も殴って1週間の傷害を負わせ、逮捕された。2日前に長髮を切るように云われ、「注意する資格がない」と食って掛かっており、この日の夜8時過ぎに教師の自宅に押しかけて「顔を貸せ」と学校まで連れて行って、他の教師の前で殴ったもの。3.3には同級生3人組で他の高校寄宿舍に押しかけて3年生(17)をナイフで刺して10日間の傷害を負わせていたことも自供した。諭旨退学処分。
昭和29年(1954).1.25〔高2の48人が左翼教育に反対して教師を脅す〕
群馬県伊勢崎市の市立高校で、2年生48人が5日間の同盟休校を強行した。左翼偏向教育に反対して教師と討論会を開くよう要求したが却下されたため。さらに校長に対して「生徒を処分すると日本刀で斬る」と脅し、教師の家まで押し掛けて脅迫した。
1人の教師が「彼らは赤色グループだ」と実名をあげた文章を発表したことが始まりだったが、県教育委員会は特に左翼偏向教育は無かったと結論づけた。
昭和29年(1954).10.31〔高2ら数十人が教師暴行〕
長野県岡谷市の県立岡谷南高校で夜、生徒2〜30人がファイヤーストーム中に物理教師(25)を取り囲んで胴上げしてから暴行しようとしたが教師が逃げたためケガはなかった。テストの採点が厳しいため復讐を計画したもの。11.5に2年生3人、3年生4人を自宅謹慎処分。
昭和30年(1955).7.25〔高3ら9人組が校内でカツアゲ繰り返す〕
東京都三鷹市の私立高校の3年生(17)2人をリーダーとした9人組が、日本刀などを使って同校の生徒相手にカツアゲ36件12万7千円を働き捕まった。2人は6月に退学になっていたが、その後も犯行を続けていた。リーダーの1人は去年、教師(28)に掃除をさぼっているのを注意され、「生意気だ。焼きを入れてやる」と殴り歯を折る1ヶ月の重傷を与えたが警察には届けていなかった。この高校では他に「出っ歯グループ」2年生3人が6件数万円、「拳闘グループ」4人が5件数万円など多数の不良グループがカツアゲを繰り返していたが、学校はなんの対策も取っていなかった。
昭和31年(1956).3.1〔高3らが15人が卒業式で教師に乱暴〕
大阪府松原市の私立高校で、卒業式の直後に3年生(18,19)15人が教師(24)を袋叩きにして2週間の傷害を負わせ、タンカで運ばれる教師をさらに殴り、ほかの教師もつるし上げ、石を投げて教室の窓50枚近くを割って警察に捕まった。
愛知県の高校では、卒業生30人が集団で教師に暴行。
昭和31年(1956).5.7〔暴力教室統計発表〕
警察庁は、昭和30年1月から昭和31年3.20までに警察に届けられた学校での暴力事件データを国会に提出した。
教師への暴行、傷害、脅迫を起こした生徒は、高校生13校86人、中学生6校16人、小学生0人、合計104人。送検は高校生6人。被害教師、高校26人、中学8人、合計34人。
生徒への暴行、傷害を起こした教師は、高校15校16人、中学51校53人、女教師うち1人、小学校40校41人、女教師うち3人。被害生徒、高校生17人、女生徒うち1人、中学生329人、女生徒うち103人、小学生248人、女生徒うち6人、合計594人。
昭和31年(1956).9.23〔高校で三度の大暴動〕
熊本県荒尾市の県立高校で運動会の後に男女の生徒たちがファイヤーストームをはじめた。教師がやめさせようとすると怒った生徒2百人は校舍のガラスを割り投石しピケを張り大暴れした。深夜0時前に教師が謝罪していったんは治まった。
25日、校長は反省を促したが生徒たちはあくまで教師の非を唱えて不穏な様子になった。校長は下校命令を出したが生徒は従わず、講堂に集結して教師を閉じ込め吊し上げをはじめた。講堂の照明を誰かが消したことをきっかけにまたもや生徒4百人が暴徒化、ガラスを割り投石し教師5人を殴ってケガを負わせた。校長が通報して60人の武装警官が駆けつけ20分以内に解散するよう警告して午後11時前にようやく治まった。
3日間の臨時休校の後に授業は再開され、警察も介入せず、PTAも穏便に済ませる方針で、生徒会も反省文を提出して正常化したように見えたが、11.5に学校側は突如として全校生徒870人のうち退学者4人を含む437人の処分を発表した。納得行かない生徒は集結し、またもや3日間の臨時休校になったがそのまま居残り、一部が暴徒化して大暴れした。学校に非難が集中し、処分の軽減と校長の退職、全教師への行政処分で収拾された。
昭和32年(1957).3.5〔中3がボクシングジムに通って教師に復讐〕
東京都立川市の中学校で、教師が3年生(15)2人に便所に呼び出されて鼻血が出るまで殴られた。昨年夏にこの3年生の1人がプールに板を投げ込んでこの教師に平手打ちをされて、復讐を誓いボクシングジムに通って機会をうかがっていたもの。
父親談「先生がビンタをして鼓膜を破って中耳炎になったのに子供ばかり責めるのはひどい。10番の成績だったのにビリになり、朗らかな性格が一変して反抗的になったのもすべて先生の責任だ。慰謝料訴訟を考えたが我慢してきた。子供も悪いかもしれないが、もとは先生の暴力からだ」
昭和32年(1957).3.11〔女子高生8人が酔って謝恩会に暴れ込む〕
静岡県島田市の私立女子高で、女子生徒8人が卒業謝恩会に暴れ込み椅子を振り上げガラスを割って、教師2人に乱暴した。8人は謝恩会に出席していた1人の生徒を呼び出して殴っていたが、それを聞いた教師の1人が近所の家で酒を飲んでいたこれらの女生徒を見つけて殴り、その仕返しに乱入したもの。
昭和32年(1957).5.〔高校生の教師殴打事犯〕
校内規則に再三違反し担任教師から注意された高校2年生が、教師を恨み、授業中の同教師を竹棒で殴打して傷害を与え、更に不穏な状況に驚いて出て来た他の数師をも同様に竹棒で殴打したり所持していたナイフで脅迫した事犯。(32年5月大分県) 警察庁「少年非行」引用。
昭和32年(1957).6.24〔高3ら20人の暴力恐れて臨時休校〕
静岡県伊東市の県立高校の3年生20人(全員17)が授業妨害、生徒への暴力などを繰り返し、5人が退学、4人が無期停学、11人が訓戒となったが、処分に不満な者が仲間に呼びかけて下級生を殴り教師を脅迫したため、教師たちは報復を恐れて翌日を臨時休校にして私服警官がパトロールすることになった。
昭和30年頃から中高校での暴力事件が続発している。
昭和32年(1957).7.4〔中2が女教師を殴ってバットを振り上げ追い回す〕
千葉県因幡郡の中学校で、2年生(14)が女教師(25)を殴り、逃げる教師をバットを振り上げ追い回した。1時間前の隣のクラスのテストを妨害したため、このクラスのテストでこの生徒には用紙をくばらなかったことに激昂したもの。教頭は「小さなことだ。内向性の強い生徒なので、カッとなってやったと言っている」と話す。
昭和32年(1957).7.8〔中3が叱られて教師を殴る〕
広島県呉市の中学校で、3年生が教師(43)の顔や胸を殴って3週間の傷害を負わせ逮捕。日頃から素行が悪いため叱られてカッとしたもの。
昭和32年(1957).9.29〔中3不良グループが暴れ回る〕
東京都足立区立中学の教師(26)が、「生徒たちの暴行で一教師が負傷した。私も生命の危険にさらされている。なんとかしてください」という匿名の投書を東京都教育庁に出し、荒れる中学の実態が明らかになった。3年生(15)をリーダーとする10人の不良グループは2年生の時から上級生にまで暴行を加え、他校生とケンカを繰り返し、9.1の始業式には「1年のとき殴られた復讐だ」と生徒の前で投書の教師を棒で殴ってケガを負わせ、酔って職員室に押し掛けバットを振り回してガラスを割るなど暴れ回り、授業も妨害していた。
昭和32年(1957).12.20〔中3が女教師に暴力〕
東京都府中市の中学校で、授業中に3年生(15)が女教師(23)を「点数が悪い」と蹴飛ばして1週間の傷害を負わせ、逃げた教師を連れてくるように言って同級生を殴り、他の教室に行って生徒を殴った。番長でこれまでにも教師をたびたび脅していた。柔道初段。
昭和32年(1957).12.〔中学生の受持教師殴打事犯〕
暴行、恐喝などの非行歴のある中学3年の少年が、以前受持教師にパン代を借りようとして断られたことを恨んで復しゅうを決意し、授業時間中教室を出たり入ったりするなど不真面目なことをして教師を怒らせ、注意されると猛然と襲いかかり拳で同教師の顔面を殴りつけて、前上歯一本を折損させた事犯。(32年12月福島県) 警察庁「少年非行」引用。
昭和33年(1958).1.11〔中3が教師の眼の前でリンチ〕
東京都足立区の中学校で、3年生不良グループ11人が隣の教室に押し入り、教師の制止も聞かず対立グループ5人を木刀等で暴行、重傷を負わせ、通報で駆け付けた警官に捕まった。これまでも生徒をリンチしたり、教師を蹴飛ばしたりしていた。
昭和33年(1958).1.13〔中3が教師を殴る〕
東京都府中市の中学校で、3年生(18)が職員室に押し入り、「気に喰わぬ奴だ」と教師(30)の顔を何度も殴った。英語の授業中に校庭で遊んでいて注意され、怨んだもの。躯が弱く、素行も不良なので特別教育施設に入っていたが、4年遅れで中学に入学、不良グループのリーダーとなって、教師へのいたずらや同級生への暴力などを繰り返していた。無期停学処分。
昭和33年(1958).1.24〔中学生の“暴力教室" 読売新聞引用〕
東京都内の校長たちの間ではよるとさわると生徒の暴力問題が話題にのぼる。しかもこの話がでるとメシものどを通らなくなるノイローゼぶり。なかには「少年院送りとまでいかない暴力少年だけを集めて教育する特殊学校をつくっては……」との悲鳴も聞かれるほど。
最近の主な“暴力教室"事件をあげると、
▽東京府中四中――3年生の男子生徒が、悪い点をつけた女教師の腰を蹴って負傷させ、さらに後日、サボっているところを見咎めた教師を職員室までおしかけて殴る。
▽茨城・平磯中――教室で騒いでいた生徒に「外に出て遊べ」と注意した教師がビンタをくらい1週間の傷。
▽東京・足立八中――“八中の番長"と自称する札つき生徒10数人が、彼らのハデな服装をふり返って見た同じ3年生2人に「ガンをつけた」と校内でリンチ、さらに授業中の教室に木刀やストーブの鉄棒などを持って殴り込みをかけ5人を袋叩き。担任教師は手がつけられず警官を呼んでやっと収拾。叩かれた生徒の1人は重傷。
▽東京・中野第二中――生徒5人が授業中、校庭で喫煙、これを見つけて注意した巡査(25)を取り囲み「オイ、制服を脱げよ。やるなら相手になってやるぜ」とすごむ。通行人の通報で中野署員がかけつけて騒ぎをしずめる。同校では暴力生徒に昨年4月からガラス約1000枚(7万円相当)が壊されている。
(読売新聞1・24)
昭和33年(1958).3.18〔高3が小学校時代の教師を刺殺〕
神奈川県川崎市の南部線登戸駅に停車中の通勤ラッシュの電車内で、小学校副校長(40)が背中から心臓をジャックナイフで刺され殺害される。
逃走した元教え子の高校3年生(18)は、21日に八王子市の竹やぶで、雑誌「アトリエ」に「先生の死を知りました。先生すいません。ぼくは色男でも助平でもない。お父さん、お母さん、姉さん、弟、親孝行が出来なくてすみません」という遺書を書き残して睡眠薬を飲み自殺した。
ヌードデッサン法が載っている雑誌をとがめられたことを恨んだと推測されるが、2人とも死んだので真相は判らない。美術クラブに所属していた。
内気で人付き合いが苦手、「おじいちゃん」というあだ名だった。8日に卒業したが極端な無口のため5社の面接試験に全部落ちて就職先が決まっておらず、18日から家出していた。
昭和33年(1958).7.7〔高1が教師に日本刀で斬りつける〕
島根県鹿足郡の県立津和野高校で、1年生が教師(43)のお尻を脇差しで切って10日間の傷害を負わせて傷害罪で逮捕された。授業中に注意されてカッとして、下宿に脇差しを取りに戻り、図書室で抜刀して暴れ、逃げようとした教師の背後から他の生徒の制止も聞かずに切りつけたもの。激昂しやすい性格だった。
昭和33年(1958).10.30〔中3の不良グループが愚連隊とつるんで恐喝を働く〕
東京都江東区の中学校で、3年生(14)がリーダーの不良グループ6人が、生徒50人以上から金を脅し取り、氏名と金額をメモ帳に書き込んでいた。1件あたり10円前後だったものが卒業生の工員(18)ら愚連隊に上前をはねられるようになってから1000円にまで膨らみ、4万円以上を稼いで酒やタバコ、派手な服などを買っていた。被害者は家から金を持ち出していた。
不良グループの家庭はほとんどが貧しく、親は放任。愚連隊が授業中にやって来るので教師が注意すると「生意気だ」と棒で殴り、パトカーが出動する騒ぎもあった。この年の大卒銀行員初任給1万2,700円。
昭和33年(1958).11.25〔中3が教師を殴る〕
広島県府中市の中学校で、3年生5人が田んぼで実習中に職業科教師(48)にヘビを投げつけ、教師が説教するため職員室に連れて行こうとすると、そのひとり(15)が「この野郎」と叫びながら教師の顔を3回殴って眼鏡を壊してまぶたを3センチ切る10日間の傷害を負わせた。11.20に朝礼で下級生や同級生を殴ろうとして教師に叱られたため復讐したもの。
昭和33年(1958).11.26〔中3が教師を襲う〕
鹿児島県鹿児島市の中学校で、3年生(15)3人が教師を薪で殴ろうとして、用務員の通報で駆け付けた警察に逮捕された。同級生や下級生の特に女生徒多数をいじめて金を巻き上げており、11.15から自宅謹慎として3人を引き離すためバラバラに転校させる手続きをしていた。前日も学校に押しかけ、「三人一緒に学校に行きたい」「早く感化院へ送れ」などと何時間も教師を脅したが、この日に父兄を交えて話し合っているところを襲撃したもの。リーダーは中流サラリーマンの三人兄弟の末っ子。財産家出身の母親は躾に厳格で、反抗して外泊などしていた。家裁は不処分決定。
教師談「非行少年というほどではないようです。ちょっとイタズラがすぎたのではないでしょうか」
校長談「暴力というのではなくて強い反抗というところです」
金を脅し盗られた2年生男子談「便所にいくとグループの人たちがいるので、みんな隣りの小学校までいっていた」
談話は南日本新聞引用。
昭和34年(1959).11.26〔19歳大学生が他校の教授を殴り殺す〕
東京都豊島区の立教大学構内で、大東文化大学2年生(19)が酔って侵入、石を投げて立教大学教授の米人宅の窓ガラスを割って大声でわめき立てた。出てきた米人教授(52)を友人が留めるのも聞かずに「アメ公」「毛唐」と叫びながら空手で顔や頭を何回も殴って脳内出血で殺害、傷害致死で逮捕された。空手部所属で、ふだんはおとなしいが酒を呑むと凶暴になる性格。米人教授は死ぬ前に「まだ若い学生だし、酔っているようだから、警察に許すように言ってくれ」と告げたという。地裁で懲役3年(求刑5年)の判決。
昭和34年(1959).12.11〔17歳が退学を恨んで校長に切りつける〕
三重県松坂市の県立高校の校長室で、少年(17)がナイフで切りつけ校長(55)に1ヶ月の重傷を負わせた。7月に素行不良のため退学を命じられ、8日にも校長宅に押し掛けて脅迫していた。警察に通報したことにカッとしたもの。
昭和33年(1958).12.16〔小6が教師をパチンコで撃つ〕
三重県鈴鹿市の小学校で、6年生(12)がパチンコで消しゴムを撃って女性教師(34)の目に当て、一時は失明の可能性があったが視力低下だけで済んだ。テスト中に用紙を放り出して放棄したので教師が注意するとカッとしたもの。父親は中学教師。凶器を持ち歩いたり、下級生をいじめたりしていた。
昭和35年(1960).1.25〔高校生が組合教師とともに校長着任拒否〕
高知県香美郡の県立高校の新任校長は県教組教師と生徒に反対され1ヶ月間も学校に入れなかったが、父兄と賛成派生徒3百人が力ずくで着任させようとし、教師と反対派生徒3百人がピケを張って防止しようとして校門で対峙した。警官隊60人が出動し反対派生徒を排除、校長はいったん校内に入ってすぐに帰った。生徒15人がケガ。
昭和35年(1960).3.1〔高校卒業生が教師を池に放り込む〕
岐阜県岐阜市の県立商業高校の卒業式の後に、卒業生が教師(27)を殴って池に投げ込んだ。指導を恨んでいたもの。10人が警察に捕まった。
昭和35年(1960).4.28〔高3の10数人が退学撤回求め校長に集団暴行〕
埼玉県秩父市の県立高校で、3年生10数人が校長室に殴り込み、校長と4人の教師を石入りのハンカチで殴ったり椅子を投げつけたりして10日のケガを負わせた。他校生や下級生に暴行を働いたため3年生4人が前日に退学となったが、撤回を要求したもの。
昭和35年(1960).11.12〔中2が教師をナイフで刺す〕
東京都板橋区の中学校の校庭で体育の授業中、2年生(13)が果物ナイフで教師(26)刺して2週間のケガを負わせた。11日の学内弁論大会で前の席に詰めるように叱られ頭を叩かれたのを恨み、ナイフを買って機会をうかがっていたもの。裕福な家の一人息子で放任されており、成績は中くらいだった。
昭和35年(1960)〔教諭に対する反抗から 「奈良県犯罪統計書」昭和35年版 引用〕
○中学校2年生のA少年は校内陸上競技大会を参観中、競のことから同級生と口論して、女教諭に注意されたこと立腹し、やにわに手拳で同女の顔面を数回殴打したもの。
○中学校3年生のA、B少年は、受持教諭から乱暴をはたらくなと注意されたので立腹し、同教諭を職員室から呼び出し、教室前の廊下で胸倉をつかみ、金火箸などで腹部を突く暴行を行ないさらに同級生のC少年を自宅がら呼び出し殴ったので、びっくりした同生徒は、学校の宿直室へ助けを求めに行き、宿直教諭に事情を話した。これを聞いた同敦諭は、少年の後を追ってきたA、B少年に注意したところ、A、Bは同教諭に対し、花びんを投げつけるなどの暴行を行なったもの。
(奈良県警本部「奈良県犯罪統計書」昭和35年版 引用)
昭和36年(1961).1.31〔中3番長が学校で暴れる〕
東京都足立区の中学校で3年生(15)が椅子を振り回して暴れ回り、教師を殴って1週間のケガを負わせた。10人以上の手下を従えた番長で、生徒から金を巻き上げて暴力団の先輩に上納していた。次期番長への権力委譲で手下と揉めているのを教師に叱られ恨んだもの。
昭和36年(1961).2.6〔19歳右翼が教師脅す〕
大阪府岸和田市の府立高校教師(32)宅に定時制4年生(19)が押し掛け、「俺は右翼だ。天皇陛下を侮辱するような教育はけしからん」とナイフを突きつけ脅した。父親は陸軍大佐で戦死、母親は教師、浅沼社会党委員長刺殺事件の山口二矢に共鳴し、「国を滅ぼすような教育をやったから」。教師は心当たりがないと話す。
昭和36年(1961).9.27〔中1が授業妨害をして教師殴る〕
京都府京都市の中学校で、1年生(12)が授業中に騒ぎ出して女性教師(43)を本で殴った。10.17には教室で「みんな殴ってやる」と云いながら同級生4人を殴り補導された。これまでも学校内で喫煙や暴行、授業妨害を繰り返していた。
昭和36年(1961).9.29〔中3らの荒れる中学校で校内に警官が待機〕
千葉県安房郡の中学校で、生徒たちの暴力激化により、校内に私服警官2人を待機させるようになった。
中学3年生の2人(いずれも15)を中心とする2つのクラスでは、授業中に大勢で騒ぎ立てたり野次を飛ばして授業を中断させる、級友を椅子ごとひっくり返して殴るなどしていた。さらに運動会では、来賓や父兄の前で「つまらないから」と全員が綱引きの綱を持たず、他の競技も放棄していた。
首謀者を27日から自宅で反省するようにさせていたが、家に非行を連絡したことで激怒して職員室で暴れたため、翌日警官を呼んだもの。
昭和37年(1962).3.21〔教師への暴力、日常化 中学生 読売新聞毎日新聞引用〕
警視庁がまとめた少年犯罪統計によると、
▽階層別―学生・生徒46%、職業少年76%、無職少年15%。学生・生徒の内訳は、半数が中学生、次いで小学生20%、高校生17%。生徒1000人あたりの犯罪者率は中学生8.3人、高校生6.1人、小学生3.4人。
▽罪種―放火、暴行、脅迫、恐喝と暴力的傾向が増加。学生・生徒の暴力犯罪で多いのは集団リンチ、教師に対する暴力、学校内での生徒間の暴力。いずれも31年時に比べて5、6倍。教師への暴力など、かつては卒業式前後に限られていたが、今では日常的。
▽地域別―東京、神奈川、滋賀、京都、大阪、兵庫など大都市で増加しているが、群馬、岡山、山口などの地方都市でも急増。
学校を中心とした不良グループで、一番タチが悪いのが番長グループ。いくつかの学校が連合して総番長をつくり、地元の愚連隊と結びついている。幹部を補導しても、すぐ新しい幹部を選び出し、補導に手をやく。
(読売新聞3・21夕刊)
山梨県では16の高校で番長制がひかれ、番長会議で各校への割当金を決定、配下の少年をつかい、生徒たちから強制的に金をまき上げ、甲府市のグレン隊がその金をとり上げていた。昨年1年間で、番長グループがまき上げた金は5万円にのぼる。
(毎日新聞3・23)
昭和38年(1963).2.13〔中3、3人の問題児に無期停学〕
東京都三鷹市の中学校で、中学3年生3人が無期停学処分になった。東京では初めて。授業中に教師を殴ったり、同級生に刃物を突き付けて脅すなどしていたため。3人とも複雑な家庭環境のせいか問題を度々起し、転校をさせられていた。
昭和39年(1964).1.8〔16歳2人組が退学を恨み教師に復讐〕
京都府福知山市の私立高校に、16歳2人組が万引きなどで退学にされた恨みを晴らすため殴り込み、教師(26)に殴る蹴るの暴行を加えて捕まった。
昭和39年(1964).2.10〔中3が「水をかけた」「かけない」でキレて教師をナイフで刺す〕
大阪府大阪市の中学校で、教師(32)が愛車のオースチンを磨いている時に校舍の3階から水を掛けられた。駆け上がってそこにいた中学3年生(15)に怒ったが、生徒は掛けていないと否定して口論となったが周りに留められ一度はおさまった。授業が終わってから、車の前でこの3年生が教師の腹部をナイフで刺して1ヶ月の重傷をあたえて殺人未遂で捕まった。結局、水は掛けていた。
昭和39年(1964).2.12〔中3が注意に腹立て教師を殴る〕
福岡県久留米市の中学校で、道徳の授業が始まっても違うクラスの中学3年生(15)が教室にいたため教師(32)が注意すると、「何を言うか」と腹を立てて机の脚で教師を殴った。この3年生は何度も他の教室に入って授業を妨害していた。
昭和39年(1964).3.12〔中3ら3人組が教師殴る〕
高知県高岡郡の中学校で、3年生(15)3人が工作室の鍵を石で壊して中に入ろうとしているのを教師(31)がとめると、棒で殴って追い掛けた。教師が校長のところへ逃げると、校長も棒で殴った。
昭和39年(1964).3.12〔中学卒業式に警官巡回〕
北海道苫小牧市の8校すべての中学校の卒業式に警官が立ち会って教師の警護をした。校内暴力が激化しており、「教師が生意気だからお礼参りをする」という投書があり、襲撃計画を立てていた中学3年生1人が卒業式前にすでに補導されている。
昭和39年(1964).7.2〔中3の暴力に怯えて集団欠席〕
大阪府大阪市の中学校で、3年生の1クラス45人中、男子22人が集団欠席した。前日に3年生(15)がクラスの男子20人にビンタ。これまでもナイフで服を切ったり、教師を脅すなどの乱暴が茶飯事で、暴力に怯えたもの。
昭和39年(1964).10.6〔中3ら11人が長髪禁止に反抗して暴れる〕
大阪府泉北郡忠岡町の中学校で、長髪禁止令を出したが従わない生徒が40人おり、校長室で同意した2人を丸刈りにしたが、見ていた3年生11人が「強制的にやった」と騒ぎ出し、授業中の教室に押入って教師を袋叩きにして、窓ガラスを割るなど暴れまわり、通報に駆けつけた警官に捕まった。
昭和39年(1964).10.31〔中3ら3人が睡眠薬を飲んで学校で暴れる〕
福岡県福岡市の中学校で、3人の3年生が睡眠薬と鎮痛剤を飲んで酔っぱらって、窓ガラスを割り、鎖やアイスピックで教師3人を殴りつけ、校長室に乱入して校長にも乱暴するなどして暴れ、駆けつけた警官に捕まった。他校の生徒と喧嘩をしたため、前日に父兄を呼び出したが、これを根に持っての犯行。
昭和39年(1964).11.13〔高3ら3人が角材で教師殴り重傷〕
千葉県市原市で、高校1年生3人が角材で教師殴り重傷を負わせる。
昭和40年(1965).2.13〔中3が鎮痛剤に酔って教師殴る〕
福岡県辛像町の中学校で、3年生の一部で鎮痛剤を飲む遊びが流行。1月下旬には酩酊状態になった2人が教室で大声を出し、注意した教師を殴る事件が4件発生。1人は、昨年11月にも教師を呼び出して脅し、保護観察中だった。
睡眠薬の取締が厳しくなり、代用品として鎮痛剤やセキ止め薬を注射する遊びが全国に広まり、高校生などが多数補導されている。
昭和40年(1965).3.25〔16歳工員が退学をうらみ教師を襲う〕
東京都の私立高校で、1年前に成績・素行不良で退学した少年(16)が、改めて退学理由を当時の担任教師に問い質したが、かっとなりナイフで脅して捕まった。退学後、工員となったが、学歴がないと出世もできないと感じ、学校への未練が涌いたためと自供。
昭和40年(1965).5.22〔停学中の中学生が母校で乱暴三昧〕
福岡県京都郡の中学で、体育の授業中に停学中の中学生(14)が教師を棍棒と出刃包丁で襲い10日間の怪我を負わせた。駆け付けた教師らに取り押さえられるが逃げ出し、その後警官に捕まった。この中学生は38年に同級生全員に殴る蹴るの暴行したことを理由に停学処分。それからは一度も授業に出席していなかったが、肉屋で働きながら連日のように学校に来ては暴れていた。
昭和40年(1965).9.6〔中3が酔って校内で教師を殴る〕
埼玉県北足立郡の中学3年生(15)が学校をサボってビールを飲み、その後酔ったまま登校して教員に乱暴し、警察に捕まった。この中3生は両親が共に働きに出ている“かぎっ子"で、遅刻、早退が多く、女友達と遊び歩いたりして、3度補導されていた。
昭和40年(1965).11.1〔中3が校長を刺し人質取って逃走〕
神奈川県平塚市の中学校で3年生(15)が刃渡り50センチの旧陸軍の銃剣を持って登校してきた。担任教師が警察に連絡しているあいだに中3生は校長を刺し、2年生の女生徒を「いま先生を4人刺した。俺と一緒に来い」と4キロ離れた行楽地の湘南平の頂上に連れ出した。そこにハイキングに来ていた会社員の女性(16)2人にも同行するように強要、追ってきた教師も「近づくと女を刺すぞ」と言われたため手出しできなかった。山の麓で主婦3人を脅し、会社重役宅に侵入して「逃走資金をよこせ」と脅して1750円を奪った。会社員の女性1人だけを連れてトラック運転手を脅して逃走したが、踏切で停車中に追ってきたパトカーに捕まった。
「自分をやっかいものにした先生たちを刺し殺そうと計画的にやった」と自供。銃剣は昨年古物商でアルバイトしたさいに盗んで持ち帰ったもの。少年鑑別所に入れられたが父親の希望で在宅の観察処分となり、翌年1.18箱根の旅館で客の夫婦を脅して4万8千円を強奪する事件を起こしている。
昭和41年(1966).2.22〔高2が殴られた仕返しに教師を刺す〕
福岡県田川市の県立高校で、高2(17)が教師を出刃包丁で刺し、2週間の怪我を追わせ現行犯で捕まった。授業中に騒ぎ、怒った教師に殴られ20分にわたり投げ飛ばされたりしたのを恨んでのこと。僧侶の二男。非行歴はなく、成績は普通。
昭和42年(1967).2.27〔中3が教師への仕返しに刀を振り回し通行人を切る〕
東京都大田区の路上で日本刀を振り回し、1人に3ヶ月、1人に2週間の怪我、さらに車5台の窓ガラス、商店4軒のショーウィンドを叩き割った中3(15)が捕まった。教師に叱られ、その後自宅で友人らと酒を飲み、泥酔。叱った教師宅に刀を持って暴れながら向かった。そして教師宅に到着したが、件の教師は留守。妻が応対し、やさしく諭されると泣きながら刀を収めた。学校での素行・成績は悪く、窃盗、暴行など7回の補導歴があったが、家では甘えん坊だった。
昭和42年(1967).11.1〔小6が教師に反抗し3階から飛び降りる〕
静岡県静岡市の小学校で、成績も近所の評判も良かった小6(11)が3階から飛び降り、重体になった。担任の女教師(47)と日頃から仲が悪く、当日、その教師に対して「馬鹿が座っている」と罵声を浴びせ、注意されるとつかみかかった。他の教師が駆け付け収束したが、少年は突如「フライマンだ」と叫び、飛び降りた。以前から飛び降りをほのめかしており、嫌がらせとして突発的に飛び降りたものと見られている。
昭和43年(1968).3.5〔高3ら10数人が教師殴る〕
福岡県福岡市の福岡電波高校で、3年生10数人が教師(46)に殴る蹴るの暴行を加えて2週間の傷害を負わせた。卒業式直後に「よくいじめたな。これがお礼だ」と仕返ししたもの。2.28にはこの高校の生徒会副会長2年生(17)が教師(26)に殴られて1週間の傷害を負わせられたと告訴している。
昭和43年(1968).3.25〔高2番長グループが留年処分に暴力抗議〕
栃木県足尾町の県立高校で、高2の番長グループ20人余りが留年処分に抗議し暴れまくった。終業式のあとに校長ら20数人の教師を棒などで袋叩きにして、窓ガラス140枚を割り、電話線を切ったり、車をひっくり返すなどやりたい放題。警官隊がやって来ると逃げ去った。同校では集団乱闘事件や教師への反抗が後を絶たず、新任の校長が厳罰主義を断行、番長グループ8人を赤点と授業妨害を理由に留年処分にしていた。
昭和45年(1970).6.19〔セメダイン乱用し傷害事件〕
大工見習をしているC少年(19歳)が、セメダインコンタクト2本を購入し、目宅において吸引しているうち、中学時代に柔道練習で厳しい指導をした教師に対して報復することを決意し、大工用ノミを所持して中学校に至り、6月19日午後4時50分ころ、中学校表玄関に教師(31歳)を呼び出し「仕返しにきた」と申しざま、いきなり大工ノミで腹部を突き刺して全治2週間の傷害を与えた。(45.6.19栃木検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和45年(1970).9.1〔中学生のカージャック事件〕
非行歴をもつ中学3年生3人(14歳2人、15歳1人)が8月23日家出し、自動車を盗んで岩手、青森県下で盗みを働き、9月1日午前9時50分ころ、教師に発見されるや自動車内に内鍵をかけて立てこもり、所携のくり小刀を示し、また発煙筒をたくなどして抵抗の姿勢を示し、現場に駆けつけた警察官がドアーをバールで破り逮捕しようとした際、くり小刀を振りまわして抵抗し、教師に全治10日問の切創を与えた。(45.9.1青森検挙) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和47年(1972).3.4〔18歳卒業生が中学教師を復讐殺人〕
兵庫県城崎郡の中学校保健室で、無職(18)が教師(35)を殺害、すぐに逮捕された。在学中の3年前にブラスバンド部員だったが、友人にトランペットを借りて練習していると「借りてまで練習することはない」とみんなの前で友人と2人とも殴られ、復讐の機会を窺っており、この日に殺害を計画してナイフを買って訪ねたもの。中卒後に工員となったが1週間ほど前に辞めていた。
昭和47年(1972).8.〔乱用を注意した中学校長に対する暴行〕
中学校3年生ら4人は、シンナーを乱用していたため警察で補導されたが、少年らは、かって学校内で乱用中のところを発見され校長に注意を受けたことがあり、この事実を警察へ通報した校長が憎いと仕返しを計画し、校長室へ押しかけ殴るけるの暴行を加えた。(福岡8月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和48年(1973).2.4〔高3ら3人が教師恨んで爆弾〕
大阪府大阪市で深夜2時過ぎ、私立浪速高校3年生(17,18)2人と去年中退している家事手伝い(17)の3人が、教師(43)宅のベランダで爆弾を爆発させ、ガラスが4枚割れたが教師が軽いケガをしただけだった。2.15に逮捕。授業態度をたびたび注意され、1人の中退もこの教師のせいだと恨んでいた。爆竹4百本の火薬とパチンコ玉百個を空き缶に詰めた殺傷能力もある強力な爆弾を自宅で製造、窓に吸盤で設置していた。それまでにも脅迫電話や脅迫状投函を繰り返していた。
昭和49年(1974).2.11〔高校教師集団で転勤願、生徒怖いと〕
鹿児島県で高校教師集団で転勤願、生徒怖いと。
昭和49年(1974).6.〔中3ら9人の暴力組織「蛇会」〕
中学3年生の男子生徒ら9人が暴力団の組織をまねて「蛇会」というグループを結成し、校内で飲酒、喫煙等の不良行為をくり返し、教師から注意を受けるや、教室や校長室の窓ガラスを破損したうえ・4人の教師に重軽傷を与えた(香川、6月)。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用
昭和49年(1974).6.〔高3ら18人が教師に集団暴行〕
高校3年の男子生徒18人が、授業中、授業の方法が悪いといんねんをつけ、教師に対して柔道衣を頭からかぶせて袋だたきにするなどの集団暴行を加えた(広島、6月)。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用
昭和49年(1974).9.〔中学生男女23人が教師に集団暴行〕
中学生の男女生徒ら23人が授業中、他の教室に入り授業妨害等をして教師から注意されたことに腹をたて、注意した教師16名に対して暴行を加えた(兵庫、9月)。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用
昭和49年(1974).9.〔中3男女6人が教師に集団暴行〕
中学3年の男子生徒6名が、カラーシャツをきて登校し・教師から注意されたことに反発して、校舎の屋根に貸り爆竹を鳴して騒いだ上・担当教師に対して椅子等で殴りつけ傷害を与えた(埼玉、9月)。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用
昭和49年(1974)〔中高生の校内暴力事件増加に対する警察の分析〕
このような児童・生徒による非行の増加と中・高校生の凶悪、粗暴化の原因としては、家庭等におけるしつけ教育の不足が規範意識の希薄な、欲望に対する耐性の弱い少年を産み出していること、地域杜会の非行抑止力が低下していること、高校進学率が著しく高くなったのに伴い授業について行けない生徒が発生し・これら生徒の中にドロップアウトに非行群をなすものがみられること、最近における一部の低俗な雑誌や映画等にみられる暴力礼賛の風潮を反映して、学校内に番長グループ等と呼ばれる粗暴非行集団が台頭していることなどが考えられる。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」昭和49年版引用
昭和50年(1975).4.〔中1が女教師刺す〕
中学1年生の少年は、教室内で契煙したり、職員室で教師の金を盗んだりしたので、担任の女教師が家庭に連絡するため少年を同道して家庭訪問の途中、所持していた果物ナイフで同教師の背部を刺し、重傷を与えた。(4月、沖縄) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和50年(1975).5.19〔中3の5人が修学旅行で乱暴狼藉〕
大阪府大阪市の中学3年生5人(15)が、修学旅行帰りの新幹線で教師(41)と生徒(15)に暴行を加え、物販品倉庫に侵入、缶ビールやアイスを飲み食いした上、放送室にも乱入して性的なイタズラ放送をした揚げ句、鉄道警察に逮捕された。17日にも旅館で同級生(15)を「生意気だ」とリンチ、18日にも同生徒をハンガーで殴り、足を骨折させていた。
昭和50年(1975).5.〔高3ら6人が授業妨害し教師を土下座させる〕
高校3年生6名は、授業中紙飛行機をとばしたり、バケツをたたいて騒ぎ、担当教師から注意されたことに腹を立て、同教師を校舎屋上に呼出し、「なぜ校長に報告した。謝れ。」などと脅追し、土下座させて謝らせた。(5月、栃木) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和50年(1975).9.〔中3ら3人が教師に暴行〕
中学3年生3名は、校内でボンドを乱用して教師から注意されたが、これに反抗し8名の教師に対して手挙等で暴行を加え、うち2名の教師に2週間の傷害を与えた。(9月、兵庫) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和50年(1975).11.9〔中3の3人が職員室に爆弾〕
沖縄県具志川市の中学3年生3人が、職員室の外に手製の爆弾を仕掛けて爆発させた。窓ガラスが2枚割れたものの、けが人はいなかった。教師に非行行為を注意された逆恨みしたもの。
7月には同じ中学のほかの3年生2人が警察署のトイレの窓に爆竹10数本を仕掛けて爆発させており、同時に捕まった。「人が騒ぐのが見たかった。どうせなら警察にしようと思った」と自供。
昭和50年(1975).12.14〔中2が教師を爆殺未遂〕
兵庫県三木市で、中学2年生(14)が教師(27)の家にプロパンガスを利用した爆破装置を仕掛けたが、玄関を開けると発火装置につながった糸が引っ張られるスイッチが電池の接触不良のため爆発はなく、12.21に自首した。ほかの生徒の前でこの教師に注意された事に腹を立てて殺そうとしたもの。成績はトップの優等生だった。県警の分析によると、この爆弾が正しく作動すれば、15世帯を吹き飛ばす威力があったという。
昭和51年(1976).1.23〔高2が教師にカレー浴びせて箸で突き刺す〕
福岡県北九州市の県立工業高校の食堂で、2年生(16)が食べていたカレーを教師(28)の顔に投げつけ殴る蹴るの暴行を加え、背中や顔を箸で突き刺し、逃走したが自宅で逮捕された。傷は深さ12センチで1ヶ月の重傷。禁止されているマフラーを着けているのを生徒指導の教師に注意され逆上したもの。生徒会副会長だが、キレやすい性格だった。
昭和51年(1976)..〔番長グループ24人が教師に暴行〕
市立中学3年生を番長とするグループ24名は、学校内外で恐喝、暴行、飲酒、喫煙等の非行等を重ね、日ごろ担任教師等からきびしく注意指導されていた。この生活指導に逆恨みしたグループ員は、教師に集団暴行を加えることを計画し、鎮痛剤を乱用し、集団遅刻して登校、土足のまま廊下でさわぎ、注意するため出て来た教師に暴行を加え、さらにかけつけた教師8人に対しても、次々と暴行を加え、5人の教師に5〜10日間の傷害を与えたほか、窓ガラス66枚等を損壊した。(埼玉) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
「警察白書」の昭和52年(1977)事例引用
市立中学校2年生の粗暴非行グループ21人は、連日にわたり教室の窓ガラスを破ったり、授業中爆竹を鳴らすなどの粗暴行為を繰り返していたため、生徒指導主事である教師が注意した上、警察に補導方を依頼した。ところが、同生徒らは、「なぜ警察を呼んだ。お前らを殺してやる。」等と騒ぎ出し、会議室や教室の窓ガラスを破壊し、制止する教師数人に対し、いすを投げたり足げにするなどの暴行を加え、教師1人に全治3週間の傷害を与えたほか、窓ガラスを損壊させた(大阪)。
「警察白書」の昭和53年(1978)事例引用
A高校では、生徒指導の一環として、長髪、パーマ、遅刻等について指導を強化していたところ、これに反発する3年生を中心とした100人余りの生徒が、校舎の窓ガラス約350枚をいす等でたたき割った上、うち5人が職員室へ押し掛け、生活指導主事2人に対し、殴るけるの暴行を加えた(大阪)。
昭和54年(1979).1.〔中学校番長グループ6人を、教師暴行、薬物乱用等で補導〕
区立中学校番長グループ6人を、教師暴行、薬物乱用等で補導。(小平) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).3.8〔中学生、注意され障害もつ教師殴る〕
埼玉県で中学生、注意され障害もつ教師殴る。
昭和54年(1979).3.11〔中学生16人、教師に乱暴〕
東京都で中学生16人、教師に乱暴。
昭和54年(1979).3.13〔小6教室で日本刀振りまわす〕
埼玉県川口市の小学校で授業を抜けだしよその教室に侵入した6年生(12)がトランシーバーのアンテナで生徒を突いたりポルノ雑誌を見せたりして授業を妨害した。女性教師(23)が注意すると家から日本刀を持ってきて振りまわし、机や掲示板に切りつけたり鉛筆を削って見せたりして教護施設に送られた。これまでも授業を妨害したり、教師を殴ったりしていた。裕福な家庭の3人兄弟の末っ子。
昭和54年(1979).3.13〔卒業前お礼まいり、教師に乱暴、中学生18人〕
兵庫県で卒業前お礼まいり、教師に乱暴、中学生18人。
昭和54年(1979).3.〔中2が教師に傷害〕
中学2年生(14歳)は、授業中に他の生徒に悪戯したことから教師に注意されると、いきなり殴りかかり、更に自己のロッカーに隠し持っていた果物ナイフを持ち出して「殺してやる」と振り回し、左手等に全治1週間の傷害を負わせた。(3月、静岡) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和54年(1979).3.〔中学生非行グループ「蓮沼セブンティーン」16人補導〕
中学生非行グループ「蓮沼セブンティーン」16人を、教師に対する傷害、暴力行為で補導。(池上) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).5.〔中学校番長グループ30人を、教師暴行で補導〕
区立中学校番長グループ30人を、教師暴行で補導。(綾瀬) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).6.〔教師暴行を行った中学3年生を補導〕
教師に注意されたことに反抗し、教師暴行を行った中学3年生を補導。(小岩) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).7.〔中学校番長グループ43人を、教師暴行事件及び窃盗、毒劇法違反で補導〕
区立中学校番長グループ43人を、教師暴行事件及び窃盗、毒劇法違反で補導。(小松川) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和54年(1979).11.〔中3が教師に暴行〕
中学3年生(14歳)は、職員室で教師の机に座ったことから注意を受け、これに激昂して3人の教師に殴りかかり、職員室にあったノミを突きつけ脅迫した。その後も、同校では上級生からリンチを受けた生徒が転校したり、3年生25人による2教師に対する暴力事犯等が続出し、被害教師は「身の安全が確保されない限り学校には戻らない」と1ケ月にわたり登校を拒んだ。(11月、大分) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和55年(1980).9.〔中3ら18人が教師に暴行〕
中学3年生18名は、平素から生徒指導が厳しいことに反感を抱いていたが、この不満を晴らそうとモップの柄、竹刀等を所携して職員室に押しかけ、教師9名を校舎屋上に連れて行き殴る、蹴る等の暴行を加えた。(神奈川、9月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和55年(1980).10.27〔中3ら23人が教師に暴行〕
三重県三重市の中学で、音楽室横のシャッターをいたずらして教師に注意されたことから、中学3年生23人が教師の注意の仕方が悪いことなどに激高して職員室に押しかけ、12名の教師に殴る蹴るの暴力をふるい、4時間にわたって職員室に監禁した。学校は警察に通報し、生徒は現行犯逮捕された。
「警察白書」の昭和55年(1980)事例引用
校内番長グループの中学3年生A(15)は、休み時間に教室でカセットテープをかけて大騒ぎしているところを教師に見付かり注意を受けた。Aを含む校内番長グループ9人は、これに激高し、竹刀を持って職員室に押し掛け、6人の教師に頭突き、足げり、顔面殴打等の暴行を加えた。この少年たちのグループは、暴走族「一寸法師」の影響下にあった(警視庁)。
「警察白書」の昭和55年(1980)事例引用
卒業生で暴力団員となっている少年(18)の影響を受けて、同級生から現金を脅し取っていた校内番長グループの中学生4人(14、15)は、級友を殴ったことで教師に注意され、これに激怒し、校舎の屋上に教師6人を呼び出して革ベルト等を振り回し、殴る、けるの暴行を加えた(神奈川)。
「警察白書」の昭和55年(1980)事例引用
高校2年生(17)は、盗み等の非行で仲間の2人とともに学校から謹慎処分を受けたが、ほかの2人が既に処分解除となっているのに自分は処分解除にならないのは片手落ちであるとして、生活指導担当教師を海岸に呼び出し、ヌンチャクで頭部を殴打するなどして全治1週間の傷害を与えた。さらに、「おれも坊主になったからお前も坊主になれ。」と、その教師を理髪店に無理矢理連れて行き、丸坊主にさせた(長崎)。
「警察白書」の昭和55年(1980)事例引用
葛飾、江戸川地域と多摩地域で校内暴力事件がひん発したため、警視庁は両地域を「校内暴力抑止対策特別推進地区」に指定した。生徒指導担当教師や市、区教育委員会職員との連絡会議、PTA役員や青少年対策地区委員会、防犯協会等のメンバーとの連絡会議等を開催し、連携を緊密にするとともに、少年補導員等民間ボランティアと協力して校外での補導活動を強化した。この結果、校内暴力事件は上半期に52件発生していたが、下半期には発生は19件と激減した(警視庁)。
「警察白書」の昭和55年(1980)事例引用
市立中学校において、番長グループ18人が教師6人に集団暴力を加え、3人の生徒が逮捕されるという校内暴力事件が発生した。警察 と学校、PTAは連携を強化し、PTAによる校内の特別パトロールの実施等の諸対策を講じた。また、学校の生徒指導とあいまって、生徒会も非行生徒を暖かく迎えるとともに、生徒間の仲間意識を育てるため、「あいさつ運動」をスタートさせるなどした。この結果、番長グループは解散し、校内暴力事件の発生はみられなくなった(神奈川)。
昭和56年(1981).5.〔中3番長グループ12人が教師に暴行〕
中学3年生の番長グループ員12名は、修学旅行先で飲酒や女性にいたずらする他、教師に対しても暴力を振うため、旅行先に父兄を呼び監督を要請した。これを契期に彼等は、教師を生徒の目の前で土下座させ、なぐる等の暴行事件があいつぎ発生したため、学校側は4日間の臨時休校を決めた。(北海道、5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和56年(1981).6.〔中3が鎖を首に巻きつけ教師に暴行〕
中学3年生は授業中の他のクラスに無断で入り、男子生徒7〜8人に「金を出せ」と申し向け、ボディーチェックをしたことから教師に叱責、制止されたことに憤がいし、教師の顔面を殴打、所携の鉄製犬用鎖を首に巻きつけて締めあげる等の暴行を加えた。(香川、6月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和56年(1981).9.25〔中3が教師の車をダイナマイトで爆破〕
宮崎県西臼杵郡で深夜1時、中学3年生(15)が教師(27)自宅前の車のバッテリー電極にダイナマイトの雷管を接続して爆発させ、車両を中破させた。同級生との喧嘩のことで、教師から注意されたことをうらみ、工事現場から盗み出したダイナマイトを仕掛けたもの。自身も3週間のヤケドを負って、交通事故に遭ったと嘘をついて入院していたが、すぐに逮捕。
昭和56年(1981).9.25〔中3が注意した教師に暴力〕
東京都青梅市の中学校で、3年生(15)が注意をした教師(47)を殴り、1時間後に3年生(14)が別の教師を殴って包丁を突きつけて、2人とも逮捕。
「警察白書」の昭和56年(1981)事例引用
暴走族「虫牙(むしきば)」の下部組織「優越会」の構成員20人は、勢力誇示と遊興費を得る目的で、中学の後輩から現金を脅し取るなどしていたが、卒業した番長グループ「庭窪(くぼ)愚連隊」に「生意気な先公がおったらやってしまえ。」と扇動し、校舎を損壊させたり、教師に対する暴力事件を起こさせていた(大阪)。
昭和57年(1982).1.25〔教師や同級生に暴力・恐喝130件の中学生補導〕
兵庫県で教師や同級生に暴力・恐喝130件の中学生補導。
昭和57年(1982).1.〔中2が教師に暴行で内臓破裂〕
中学2年生(14歳)は、授業開始直前の昼休み中、他の番長グループ員とシャッターをいたずらしていた際、教師が通りかかり、シャッターを開けて教室に戻ろうとしたため、これを追いかけて、同教師の腹部等を足げりして左じん臓破裂の重傷を負わせた。(警視庁、1月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和57年(1982).1.〔高2ら20人が教師に暴行〕
高校2年生20名は、そのうちの1名が校内マラソン大会において教師から注意を受けたため仕返しすることを共謀し、マラソンの途中から引き返し、校庭で生徒の帰りを待っていた教師16名に対し、殴りかかり、足げりする等の暴行を加えて6名の教師に傷害を与えたほか、学校側の110番通報により出動したパトカーを足げりするなどした。(埼玉、1月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和57年(1982).2.〔小6ら3人が教師に暴行〕
小学6年生(12歳)3名は、教師(26歳)に授業科目の変更を申し出たが、断られたため、3人で詰め寄ったところ、厳しく注意された。そこで、これに立腹し、同教師の顔面を殴打したり、足蹴りするなどの暴行を加え、傷害を与えた。(福岡、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和57年(1982).4.〔中3ら3人が教師に暴行で内臓破裂〕
中学3年生の3名(14歳)は、生徒指導担当の教師が、平素から厳しく服装や髪型のことで注意していたのを根にもち、教室にいた同教師を校舎裏に呼び出し、準備していた角材で同教師の腕、腰、胸などを殴打し、全治1か月を要する左背部第8筋骨骨折の傷害を負わせた。(熊本、4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和57年(1982).9.〔中3が校長脅して卒業証書を出させる〕
中学3年生(14歳)は、暴力団事務所に出入りするシンナー常習者で、学校にもほとんど登校しなかったが、授業に出ないで卒業しようと考え、シンナーを吸って校長室に入り、テーブルを蹴る等して暴れながら校長等に対し「週3日で卒業させろ、承諾書を書け」などと強談判し、校長をして「週3日登校すれば卒業証書を授与する」旨の承諾書を作成させた。(神奈川、9月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
「警察白書」の昭和57年(1982)事例引用
中学3年生の番長グループ員3人は、生徒指導担当教師に平素から服装や髪型のことで厳しく注意されていたことを根にもち、放課後、この教師を校舎裏に呼び出し、準備していた角材で全身をめった打ちにして全治1箇月の重傷を負わせた(熊本)。
昭和58年(1983).1.11〔中3女子らが女教師に暴力〕
愛知県名古屋市の中学校で、授業中に違うクラスの3年生女子2人が教室にいたため、女教師(26)が叱ったが、口答えして乱暴した。12,13日にも授業中に仲間数人と押し掛けて殴る蹴るの暴力を振るい、むち打ち症などで女教師は1ヶ月以上欠勤となった。
昭和58年(1983).1.〔中3ら14人が教師に暴行〕
中学3年生14名は、学校側の厳しい生徒指導に反発して、金属バット、竹刀等を持って職員室へ乱入し、体育担当教師に殴りかかり、2週間の入院加療を要する傷害を負わせるとともに、止めに入った教師を竹刀で殴り全治2週間の傷害を負わせた。(大分、1月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和58年(1983).1.〔中学男子3年生のツッパリグループが教師の厳しい指導の仕返しに集団で暴行〕
区立中学男子3年生のツッパリグループが教師の厳しい指導の仕返しに集団で暴行し校内暴力事犯として検挙補導。(富坂署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和58年(1983).2.10〔中3がシンナー叱られ教師リンチ〕
愛知県名古屋市の中学校で、3年生(15)4人がシンナーを吸っていることを叱られて教師(51)に殴る蹴るの暴行を加え1ヶ月のケガを負わせて逮捕された。
昭和58年(1983).2.14〔中3が喫煙叱られ教師リンチ〕
神奈川県大和市の中学校で、3年生(15)6人が喫煙を叱られて教師(38)に殴る蹴るの暴行を加え、他の教師や生徒にも暴行して逮捕された。
昭和58年(1983).2.15〔中3ら番長グループ2人が教師に暴行し、教師が刺す〕
東京都町田市の中学校で、放課後帰宅しようとした教師(38)が、日頃同教師を馬鹿にしている3年生の番長グループ2人に取り囲まれ、玄関に敷いてあった金属製の泥除けマットをいきなり振り上げられて身の危険を感じ、所持していた果物ナイフで1人を刺して10日間のケガを負わせた。この中学では、教師に対する暴力事件、生徒同士の集団リンチ事件、校舎破壊など、校内暴力が多発していた。
昭和58年(1983).2.24〔中3がナイフで教師脅す〕
香川県小豆郡の中学校で、授業中に3年生(15)が教師にナイフを突きつけ「殺してやろうか」と土下座を強要した。1年生の時に服装などを叱られた復讐。
昭和58年(1983).2.25〔中3らがディスコ大会禁止され教師を殴る〕
静岡県御殿場市の中学校で、3年生複数が教師を殴ってケガを負わせ、窓ガラスを割ったり消火器を噴射したりした。卒業式のあとでディスコ大会を開く計画を禁止されたため。
昭和58年(1983).2.26〔中3ら2人が鉄パイプで職員室襲う〕
東京都東村山市の中学校で、授業中に3年生(15)2人が鉄パイプで職員室の窓ガラスを割って入って暴れ、止めに入った教師に肋骨骨折などのケガを負わせ傷害で逮捕。爆竹を鳴らして授業妨害したり喫煙のため自宅研修中だった。明るい性格だったが家業を継ぐため進学を断念してから暴れるようになっていた。
昭和58年(1983).2.26〔中2が教師と揉み合いケガを負わされる〕
茨城県水海道市の中学校で、2年生(14)がお菓子を食べながら遅刻してきたため教師が叱ったが、胸ぐらをつかんできたので教師は投げ飛ばし、足の骨にヒビが入るケガを負わせた。
昭和58年(1983).3.1〔中3の2人が女教師を保健室に監禁し強制猥褻〕
中学3年生の少年2人は、授業をさぼり、職員室で執務中の女性教諭(24)に「疲れたので保健室で休みたい」と申し向けた。同教諭が2人を保健室まで連れて行ったところ、2人は、保健室へ入るや、ドアの鍵をかけ2人がかりで同教諭を押さえ付け、胸等をさわるなどの猥褻行為を行った。(大阪) 「警察白書」引用。
昭和58年(1983).3.17〔小6が叱られた復讐に鉄棒で教師殴る〕
大阪府大阪市天王寺区の小学校の廊下で、小学6年生(12)が待ち伏せして担任教師(48)の頭や顔を鉄棒でめった打ちにして10日間のケガを負わせた。教師が職員室の方に逃げたので追っかけたが、ほかの教師2人に取り押さえられた。前日の授業中に傘を振り回したり紙飛行機を飛ばしたりして注意され、「みんなの前で恥をかかされた」ので復讐したもの。
昭和58年(1983).5.〔中3ら5人が教師に暴行〕
中学3年生5名は、仲間の1人が同級生に暴行を加えたことで教師に注意されたことに立腹し、ほうき等で校内の窓ガラス70枚を割り、さらに翌日、職員室に乱入して校長以下12名の教師全員に殴る蹴るの暴行を加えて傷害を負わせたほか、窓ガラス250枚を割った。(京都、5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和58年(1983).5.〔煙草を吸って傷害〕
授業中に教室を抜け出して煙草を吸っていた生徒を注意したところ、逆に手や竹の棒で殴られ、鼻の骨を折る傷害で補導。(綾瀬署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和58年(1983).5.〔中学生番長、女教諭に傷害〕
中学生番長グループの少年は、音楽授業中女教諭から注意されたことに怒り「注意するのは10年早い」とギターで殴り、足げりして失神させ傷害で検挙。(南千住署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和58年(1983).6.19〔高2が喫煙注意され教師を包丁で刺す〕
高校2年生(16才)は、寮内の自習室でタバコを吸っているのを舎監の教諭(31才)に見つかり注意されたため、「担任や親に連絡しないでくれ。」と頼んだがききいれてもらえなかったのを恨み、包丁で同教諭の背中を刺し全治3週間の傷害を負わせた。(島根、6月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和58年(1983).9.〔生徒の前で先生同志が殴り合い〕※参考
野球試合に「なぜ出さぬ」とバットを手にし、生徒の前で先生同志が殴り合い、全治10日間の傷害を負わされたと告訴。(町田署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和58年(1983).9.〔卒業生がオ一トバイに乗って教師3人に大怪我〕
卒業生がオ一トバイに乗って「後輩に会いにきた」と授業中の教室に入り込み、制止する教師3人に大怪我をさせ、オートバイで逃走したが、後日暴力行為で検挙。(西新井署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和58年(1983).10.20〔中3が教師をナイフで刺す〕
中学3年生(15才)は、下級生(2年生)に暴行を加えたことで、教頭や担任の教師から注意されたことに憤慨し、持っていた果物ナイフで教頭の胸部を刺し重傷を負わせた。(福岡、10月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和58年(1983).10.29〔生徒の暴力に備え教師全員に非常用の笛もたす〕
宮崎県で生徒の暴力に備え教師全員に非常用の笛もたす。
昭和58年(1983).12.17〔49歳中学教師が校内暴力悩み自殺〕
長野県塩尻市の中学教師(49)が自宅で首吊り自殺。担任している2年生クラスが学級崩壊となり、窓ガラスを割ったり校内暴力や喫煙などの事件が続き、生徒指導に疲れたためと公務災害が認められて遺族に年金が支給される決定が出された。
昭和58年(1983).12.〔中3の6人が教諭2人に傷害〕
文化祭の行事として劇を上演していた公立中学体育館で、イダズラを注意した教諭2人に3年の男子6人が殴り傷害で逮捕。(蒲田署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).2.〔中3の3人が注意され教師に暴行〕
中学3年生3名(14、15歳)は、生徒指導担当教師(36歳)から生活態度について注意されたことなどから反感を抱き、同教師の授業を妨害しようと企て、約40分にわたり同教師を追い回し、校内6ケ所で、殴る、蹴る、投石する等の暴行を加え、加療1か月を要する傷害を負わせた。(佐賀、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).3.7〔先生キライ、小学生6人が担任の娘にイヤガラセ〕
大阪府で先生キライ、小学生6人が担任の娘にイヤガラセ。
昭和59年(1984).3.17〔校内暴力で神経症、事故で重傷の高校教師、公務災害認定〕
大阪府で校内暴力で神経症、事故で重傷の高校教師、公務災害認定。
昭和59年(1984).4.21〔中3番長グループ4人が教師をハサミで刺す〕
番長グループ員の中学3年生(14歳)は、同級生をトイレに呼び出し、教師に告げ口した等と因縁をつけ暴行を加えたところ、職員室に逃げ込んだため、他の番長グループ員3名とともに職員室に押しかけ、机上にあったハサミで同級生の頸部を突き刺したほか、制止に入った教師に4名共同して暴行を加え、教頭の背中をハサミで刺し全治10日間の傷害を負わせた。(長崎、4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).6.18〔高3が退部を恨んで日本刀で野球部監督斬る〕
大分県津久見市の県立津久見高校に、4日前に退学した無職(18)が侵入し、野球部監督(25)に日本刀で斬りつけ両足に2ヶ月の重傷を負わせて殺人未遂で逮捕された。名門野球部の主力選手だったが、素行が悪く退部させられ退学した。「野球部に復帰できなくなったのはお前のせいだ」「俺たちは将棋の駒のように動かされていた」などと叫びながら、他の教師の眼の前での犯行。
昭和59年(1984).6.〔中3女子3人が注意され教師に暴行〕
ツッパリグループの女子中学2年生3名(13、14歳)は、平素から授業を抜け出したり、喫煙、万引き等の非行が目立ち、教師から何度も注意されていたため、これに反発し、共謀の上、鉄パイプや切り出しナイフを用意して登校し、廊下の窓ガラス23枚を鉄パイプで次々と破壊し、これを止めようとした教師2人にも鉄パイプで殴打する等の暴行を加えた。(埼玉、6月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
昭和59年(1984).10.3〔高2、女教師に包丁つきつけ進路指導室に2時間たてこもる〕
神奈川県で高2、女教師に包丁つきつけ進路指導室に2時間たてこもる。
昭和59年(1984).11.〔中学番長グループ2人が教師に暴行〕
区立中学校の番長グループ2名は「同級生を殴った」ことで校長室に呼ぼれ.手当たり次第に教師に殴るけるの暴行を加え,教師4人に5日から2週間の傷害を負わせ逮捕。(野方署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和60年(1985).1.12〔イジメッ子中3、制止の教師に乱暴〕
兵庫県でイジメッ子中3、制止の教師に乱暴。
昭和60年(1985).1.24〔中3が酔って教師を殴り殺す〕
青森県上北郡の中学校で、授業中に別のクラスの3年生(15)が酔っぱらって教室に侵入、注意した教師(24)の頭を殴り、回し蹴りをして重体としたが、29日に死亡した。校内暴力激化で重傷を負う教師が続出しているが、死亡は初。
昭和60年(1985).1.31〔喫煙注意され高校生3人、教師に乱暴、重傷負わす〕
鹿児島県で喫煙注意され高校生3人、教師に乱暴、重傷負わす。
昭和60年(1985).2.20〔中2生徒3人、教師を竹刀で殴る、2人逮捕〕
大阪府で中2生徒3人、教師を竹刀で殴る、2人逮捕。
昭和60年(1985).3.9〔中3の2人が女性教師の髪を切る〕
神奈川県横須賀市の中学の裏門で、3年生(15)2人が覆面をして女性教師(44)を襲い、押し倒してカミソリで髪を切って逃走、卒業式を終えた11日に自首した。授業中に騒いで厳しく注意されたのを恨んだもの。この学校では暴力事件が続発し、生活指導に熱心な女性教師が襲われるという噂があり、学校が身辺を警戒している中の犯行だった。
昭和60年(1985).3.10〔中学卒業式の日、木刀で教師殴る〕
広島県で中学卒業式の日、木刀で教師殴る。
昭和60年(1985).4.4〔中3が停学恨み校長を木刀で殴る〕
静岡県棒原郡の中学校長(58)宅に中学生3年生(14)が押し入り、木刀で全身をめった打ちにして3週間の傷害を負わせて捕まった。2年生の時に授業中にテープレコーダーを掛けて停学処分になったことを恨んだもの。
昭和60年(1985).4.5〔中学生2人、注意に反発、担任の給食に水銀〕
宮崎県で中学生2人、注意に反発、担任の給食に水銀。
昭和60年(1985).11.8〔中3らが注意に逆上し妊娠中の教師蹴り中絶〕
区立中学3年生のつっぱりグループは、校舎の入り口でふざけて遊んでいたのを注意した教師ともみ合ううちカッとなって妊娠中の女性教師の腹部をけり、その後中絶手術を受けていた校内暴力事犯が発生。(昭島署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和60年(1985).11.13〔校内暴力の息子逮捕で父怒り、校長に乱暴〕
群馬県で校内暴力の息子逮捕で父怒り、校長に乱暴。
昭和60年(1985).12.〔中3ら3人が教師殴る〕
区立中学3年生3人は、教師に喫煙を注意され持っていたジュースも取り上げられたが、注意をするため呼び出された父母にそのジュースを返したことから職員室に乗り込み、教師に因縁をつけ、木づちで机をたたくなど止めに入った教師を次々に殴り、暴力行為の現行犯で逮捕。(板橋署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和60年(1985).12.〔中3が教師に包丁突きつける〕
区立中学3年生は、校長室前の廊下で消火器をいたずらしているのを注意されたことに逆上し、家庭教室から包丁を持ち出し、職員室で教師に突きつけ、銃刀法違反と脅迫で逮捕。(戸塚署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和61年(1986).3.4〔小6の息子を恐喝犯にしたと父親が教師に100万出せと脅す〕
東京都府中市の小学校で、6年生が同級生から金を脅し取った疑いで担任教師に事情を聞かれた。長男を恐喝犯にしたと、父親が教師に慰謝料100万出せと脅し、恐喝未遂で逮捕。
昭和61年(1986).5.〔中学生番長が注意され教師に暴行〕
区立中学校の番長は、授業中いたずらをして注意され、教諭に反発して殴るけるの乱暴を加えたり、妊娠中の女性教師にも脱いだ学生服で殴りつけて暴行で逮捕。(蒲田署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和61年(1986).12.〔中学生10人が教師を殴る蹴るの集団暴行〕
市立中学の女生徒を含むつっぱりグループ10人は、日ごろから授業を妨害したり、教師への反抗を繰り返していたが、巡回中の生活指導の教師を殴る、けるの集団暴行(対教師暴力)を加え、傷害と暴行で逮捕。(立川署) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
「警察白書」の昭和61年(1986)事例引用
中学3年生(15)ら7人は、担任教師の生徒指導に反発し、職員室に押し掛け、同教師を土下座させて殴打した上、仲裁に入った他の教師5人にも暴行を加えた(兵庫)。
昭和62年(1987).11.24〔女子中学生7人、叱られた腹いせに教師の弁当に希塩酸〕
鹿児島県で女子中学生7人、叱られた腹いせに教師の弁当に希塩酸。
平成3年(1991).7.17〔高3が女性教師を蹴り殺す〕
岩手県下閉伊郡の県立高校で、3年生(17)が女性教師(50)の腹を膝蹴りして重傷を負わせ、2カ月間入院していが、9.25に死亡した。階段でぶつかって教師が転びそうになったため注意して口論となったもの。普通の生徒で、自宅謹慎処分のみ。
平成4年(1992).8.8〔高2が中学時代の教師を爆殺未遂〕
東京都八王子市で、都立高校2年生(17)が中学校教師(31)宅の玄関に爆弾を置き、爆発して教師夫妻に1カ月の重傷を負わせ、12.25に殺人未遂と爆発物取締違反で逮捕された。中学生のときに生徒会役員で、顧問のこの教師に生徒会の方針についてたびたび注意されたこと恨んでいた。警察署に犯行声明も送っていた。釘などを仕込んだ鉄パイプ爆弾で、紙袋に入った箱を開けると爆発する仕組み。
平成5年(1993).5.〔無職女子少年らによる教師恐喝事件〕
無職女子少年(15歳)は、交際中の男(26歳)と共謀し、中学在籍中に肉体関係を持った教諭から金員を喝取することを企て、同教諭に対して「関係を他人にばらされたくなければ金を出せ」と脅迫して、前後3回にわたり合計226万円を喝敬した。(5月、栃木) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成8年(1996).1.〔高校生による教師に対する傷害事件〕
高校2年生(17歳)は、自分の進路等について、担任教師が親身になってくないことに憤慨し殴る、蹴るの暴行を加え下顎骨折等により全治約6週間の傷害を負わせた。(1月、長崎) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成8年(1996).10.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(14歳)は文化祭の吹奏楽部の演奏にやじをとばしたことを教師に注意され立腹し、摸造刀で同教師を殴打して、全治1週間の傷害を負わせた。(10月、福岡) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成8年(1996).10.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(15歳)の2人は教師が1年生を注意しているのを妨害し、その行為を注意されるや、同教師の顔面等を殴打し全治1か月の傷害を負わせた。(10月、岐阜) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成9年(1997).9.〔中学生による教師殺人未遂事件〕
中学3年生(15歳)は、ソフトボール部の練習中に、同部の監督である教師(24歳)と練習方法について口論となり、殺意を持って、金属バットで同教師の頭部等を殴打したが、傷害を負わせたにとどまり、その目的を遂げなかった。(9月、高知) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成9年(1997).9.〔中学3年生による中学校長に対する暴行事件〕
中学3年生(14歳)は校内で喫煙していたところを校長(57歳)に注意されたことに立腹し同人の顔面を殴打しさらに、来校中であった他の中学校の校長が制止しようとしたところ、同人に対して腹部を殴打する等の暴行を加えた。(9月、群馬) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成9年(1997).11.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(15歳)、は教師(39歳)から、清掃をするように注意されたことに立腹し、同人を足蹴りにし、さらに、これを制止しようとした教師(38歳)に対しても足蹴り等の暴行を加え、両名に全治1週間の傷害を負わせた。(11月、群馬) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成9年(1997).11.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(15歳)は、担任の教師(41歳)から、授業中にふざけないように注意されたことに立腹し、いきなり同教諭の顔面を殴打し全治4日間の傷害を負わせた。(11月、群馬) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成9年(1997).11.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(15歳)は、他のクラスが合唱の練習を行っている体育館に立ち入ろうとしたところを、教諭(39歳)に注意されたことに立腹し、同教諭の顔面等を殴打し全治10日間の傷害を負わせた。(11月、宮崎) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成9年(1997).12.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(15歳)は、学校の備品であるマジックペンを所持していたことを教師(女性、47歳)に注意されたことに立腹し足蹴り等の暴行を加え、全治10日間の傷害を負わせた。(12月、沖縄) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成10年(1998).1.18〔中学生による教師殺害事件〕
中学1年生(13歳)は、授業終了後、教師(26歳、女性)から授業に遅れた理由を詰問されたことから、脅かそうとバタフライナイフを突きつけたが、教師が驚かなかったため、立腹して胸部等を刺して殺害した。(1月、栃木) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成10年(1998).3.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(15歳)は、授業中、教師(42歳)からピアスをしていることを注意されるや、これに激怒し、いきなり殴る、蹴るの暴行を加え、全治1週間の傷害を負わせた。(3月、埼玉) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成10年(1998).5.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(14歳)は、教師(女性、28歳)から喫煙を注意されたことに憤慨し、殴る、蹴るの暴行を加え全治1週間の傷害を負わせた。(5月、茨城) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成10年(1998).5.〔修学旅行中の中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(14歳)5人は、修学旅行中のため乗車中の新幹線車内において、引率教師(33歳)に喫煙を注意されたことに憤慨し、殴る、蹴るの暴行を加え止めに入った教師や生徒にも傷害を負わせた。(5月、愛知) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成10年(1998).7.〔中学生による教師に対する傷害事件〕
中学3年生(14歳)は、清掃中ふざけているのを教師(28歳)から注意されたことに立腹し、授業終了後、鉄パイプを持って職員室に押し掛け、同教師に殴りかかり、全治6週間の傷害を負わせた。(7月、山梨) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成11年(1999).10.8〔高1女子が教師を殺人未遂〕
東京都八王子市の私立女子高校で、高校1年生女子(15)は、授業中に男性教師(39)から遅刻を注意されたことに逆上し、胸など3ヶ所を果物ナイフで刺して殺害しようとしたが、2週間の傷害を負わせた。
平成12年(2000).4.28〔高2が「人肉を食べたくて」教師を殺人未遂〕
広島県広島市の県立高校で、定時制2年生(16歳)が、教師(30歳)から授業態度を注意されたことに逆上して、殺害しようと出刃包丁で腕を突き刺し、他の教諭に取り押さえられた。「人の肉を食べたくて、機会をうかがっていた」と自供。精神鑑定にかけられたが責任能力ありとなり、少年院に収容された。
6.30に大分県中津市の初等少年院のソフトボール大会で、高2生は突然、主審である教官(29)の頭部を金属バットで殴って頭蓋骨骨折の重体とさせた。
平成12年(2000).9.〔高校生による教師殺人未遂事件〕
高校3年生(17歳)は、同級生(18歳)から日常的に恐喝等の傷害を受けていたため、人を殺せば少年院等に入り友人から逃れられると考え、通学する高校の教師(51歳)に対し、切り出しナイフで頸部を突き刺したが、傷害を負わせたに止まり、その目的を遂げなかった。(9月、愛媛) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成13年(2001).1.〔中学生による対教師暴力事件〕
中学3年生(15歳)は、授業に出席せず校内を徘徊し、授業妨害しているところを教諭(38歳)に注意されたことに激昂し、同人の頸部等をつかんで押さえつけるなどの暴行を加えて傷害を負わせ、さらに同行為を制止しようとした教諭(26歳)に対しても、同様な暴行を加え、傷害を負わせた。(1月、鳥取) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
平成13年(2001).2.〔中学生による対教師暴力事件〕
中学3年生(15歳)は、教室内において、喫煙していたところを教諭(37歳)に注意されたことに激昂し、同人の顔面等を殴るなどの暴行を加え、傷害を負わせた。(2月、宮崎) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
※タイトルと本文が同じ短いデータはすべて「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。※
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