昭和23年(1948).1.2〔スリルのため放火〕
東京板橋区の火事現場で「スリル、スリル」とつぶやいていた2人の少年を警官が怪しみ放火容疑で逮捕した。工業学校2年生(18)と旧制中学5年生(18)で、正月の退屈しのぎにスリルを味わうためにやったと自供。
昭和23年(1948).1.8〔19歳の脅迫事件〕
東京都港区のクリーニング店に「私たち数名はあなたの暴利ぶりを調査した、ついては金二万円を七日夕七時に高輪泉岳寺の門前までおとどけ下さい、もしおとどけなきときは悪事を警察へ密告します」という脅迫状が届いた。日付が前日だったがその日のうちにまた「昨夜はまちぼうけありがとう、一度は見逃すから二度目は必ずとどけて下さい、これは我々の最後通牒です、九日夕七時、場所は同じ、白マフラーをして手に白いハンカチを持ってきて下さい」という脅迫状が届いたので刑事が待ち受けていると無職少年(19)が現れたので逮捕した。遊興費欲しさのひとりでの犯行。
昭和23年(1948).1.9〔18歳(満16〜17歳)ら4人組強盗が警官殺害〕
東京都中央区の自転車商に、4人組の強盗が押し入りピストルとナイフで脅したが、この家の老人(66)が非常ベルを鳴らしたため射殺して逃走。途中、警官2人が強盗の1人(18)を捕まえたが警官1人がナイフで殺害された。残りの24,23,22歳も数日のうちに逮捕。4人は親戚関係で、遊興費欲しさに同じく親戚である家を狙ったもの。
昭和23年(1948).1.12〔小6が強盗〕
佐賀県佐賀市で未明、小学6年生が出刃包丁を持って近所の民家に強盗に入った。騒がれたためその家の長男(10)の顔を切りつけ、手提げ金庫を持って逃げたが間もなく捕まった。
昭和23年(1948).1.15〔助産婦が赤ちゃん103人殺害 寿産院事件〕※参考
東京都新宿区柳町の寿産院長の助産婦(52)と元警官の夫(58)が殺人で逮捕された。5〜9千円の養育費を取って昭和19年からの4年問に204人の赤ちゃんを預かり、500円の謝礼を取って子供が欲しい人に渡していたが、貰い手のない103人は食事もほとんど与えず餓死や凍死させたもの。配給されるミルクや砂糖をヤミで売って大儲けし、葬式に配給される酒でも儲けていた。この年前半の国家公務員大卒初任給2990円。
昭和23年(1948).2.2〔16歳ら戦災孤児4人がスリ〕
東京都山手線の満員電車で3500円と5000円の預金通帳などをスリとった4人組(16〜17)を捕まえた。共に戦争で身寄りを失い、上野の地下道で知り合って、スリを繰り返していた。
昭和23年(1948).2.5〔18歳ニートが告げ口恨んで母子殺害して死刑〕
和歌山県日高郡の民家で、無職(満18歳)が押し入り主婦(41)を出刃包丁で刺殺、長男(12)をタオルで絞殺、服などを強奪した。元少年航空兵で、終戦後は大工見習い学校に学んだが卒業後も働かずに街で遊び歩いていた。そのことを主婦が両親に告げて叱られたため怨みに思い、金もないので殺害して強奪することを計画、2人暮らしの息子を残しては仇となるので併せて殺害を決意して就寝中に襲ったもの。昭和24年2.15に最高裁で死刑確定。
昭和23年(1948).2.25〔高3(満16〜17歳)が教師に毒まんじゅう〕
長野県松本市の県立松本工業高校で、機械科3年生(18)が夜にやってきて宿直の教師ら4人にまんじゅう5個をわたして帰った。用務員が食べてみると味がおかしいのでそのまま保管し、見回ってみるとトイレにその3年生が隠れており直後に火事があり校舍など三棟が焼失した。追及すると「実験室のストリキニーネが人にきくかどうかためしてみた」と自供。去年、窃盗罪で不起訴となっているが学校で泥棒あつかいされて恨んでおり、復讐のため殺人と放火を計画したもの。長野地裁は懲役5〜10年の不定期刑判決。
昭和23年(1948).3.2〔中学生(満15〜16歳)がニセM・P〕
神奈川県横浜市の中国商人宅で、中学生(17)が訪れ「二世のM・Pだが調べることがある」と夜中に叩き起こした。学生服姿で証明書も所持していなかったのですぐに捕まった。重労働6ヶ月執行猶予の判決。
昭和23年(1948).3.12〔17歳(満15〜16歳)が幼児を誘拐強盗殺人〕
兵庫県西宮市で、少年(17)が住職の次男(8)を殺害して服をはぎ取り現金280円を強奪した。大阪駅で知り合った19歳の男が殺したと犯行を否認していたが嘘がバレて、検事は懲役10〜15年の不定期刑求刑。
昭和23年(1948).3.13〔18歳ら良家の8人が窃盗〕
東京都で、会社社長次男の高校2年生(18)、大学講師長男の大学中退者(24)、学習院中退者(21)ら良家の子ばかり8人を窃盗で検挙。盛り場で知り合い高級品ばかり150件、156万円ほどを稼いでダンスホール、ギャンブル、ダンサーと伊豆での豪遊などに使った。
昭和23年(1948).3.20〔14歳ニートが完全犯罪の実験のため幼女殺害して死体に文字を刻む〕
神奈川県鎌倉市の自宅で、無職少年(満14歳)が鄰家の二女(3)を紐で絞殺、物置に運んで頸動脈を断ち切って家に戻ったが、大人の犯行に見せかけようと裸にして出刃包丁で全身40数ヶ所を切って肋骨が見えている状態にして、お尻から背中にかけて「マタコロスナマイケナ女メ」という文字を刻み付けた。東京に逃走しようとして駅で逮捕。
中学を2年で中退したばかりで、父親に何度も叱られても聞かずに犯罪雑誌を熱心に読んでおり、2週間前から猫を殺して腹を割いたり自分の太ももを切って研究し、殺人をしても判らない方法を実験しようと考えていたところに女の子が遊びに来たので実行したもの。日頃、この女の子を可愛がっており、「何故あんなことをしたかわからない」とも話す。知能は高いが怒ると見境がなくなるキレやすい性格だった。
昭和23年(1948).3.26〔14歳ら本の万引き急増〕
東京都のデパートでは本の万引きが急増している。良家の子息の3人組(14)がチームプレーで盗んだり、4人組の少年が売り場でベーゴマを始めて店員の目をそらした隙に15冊を万引きするなどなど。
昭和23年(1948).4.4〔妻子をかえりみない夫に絶望、妻が三人の子どもを殺し、自殺をはかり自首〕※参考
埼玉県浦和市で妻子をかえりみない夫に絶望、妻が三人の子どもを殺し、自殺をはかり自首。
(後日、この事件の判決の量刑について参院法務委員会が非難、国政調査権と司法権の独立で論争)
昭和23年(1948).4.6〔20歳(満18〜19歳)偽学生による恐喝〕
東京都浅草の露天商(20)は大学の制服と制帽を買って偽学生になり、ダンスホールで社長令嬢(19)を誘惑して箱根に連れ出して父親の社長を恐喝。遊興費を得ていた。
昭和23年(1948).4.7〔20歳(満18〜19歳)偽学生による恐喝〕
群馬県楽郡で、商(20)が姪(19)の口を手でふさいで殺害、妊娠しているか確かめるためにカミソリで子宮と右乳房を切り取り、8.23に前橋地裁で懲役8年の判決。
昭和23年(1948).4.10〔19歳(満17〜18歳)が主人一家3人皆殺し〕
群馬県碓氷郡の農家で夜11時、雇人(19)が就寝中の主人(51)、主人の長女(20)、次女(15)ら3人を手斧で惨殺、現金2千5百円と衣類を強奪して逃走したが、4.19に名古屋市の派出所で自首した。満州で終戦時に一家離散となり、両親は病死して妹は行方不明、シベリア抑留を経て一年前に引揚げ、この家で働いていたが叱られたのでカッとしたもの。自殺か自首かで悩んで自首した。
6.16に前橋地裁高崎支部は死刑判決を出した。
昭和23年(1948).4.12〔母親が11歳含む子供使って空巣〕
東京都墨田区で三男(17)、四男(14)、五男(11)ら3人の子供に空巣をさせて盗品をさばいていた母親(39)が逮捕された。2ヶ月で10万円稼ぎ豪勢な暮らしに近所の人も怪しんだ。
昭和23年(1948).4.20〔18歳が強盗殺人放火で死刑判決〕
宮城県仙台市で、電気工(18)が知り合いの女性(51)を殺害して放火、衣類40点を強奪して逃走したが4.22に古着屋に売りに来て逮捕された。秋田県で就職するための費用が必要となり、娘の仕送りで裕福な独り暮らしの女性宅を訪れ、金のありかを確かめるために千円を貸してくれと頼んだが、「このガキ」と火箸で威嚇されたためカナヅチで頭を殴ったもの。昭和25年1.25、仙台高裁で死刑判決。
昭和23年(1948).4.25〔18歳(満16〜17歳)ら4人組が4人強盗殺人〕
静岡県浜名郡の会社員宅で夜、少年2人(18)、中国人2人(18,20)の4人組が押し入り、主人の妻(29)、長女(3)、泊まりに来ていた隣家の妻(23)、長男(3)の4人を荒縄で絞殺、現金、服、自転車などを強奪して逃走したが5.4に逮捕。チャイナ賭博をやっていたが取り締まりが厳しくなって強盗になったもの。一審で日本人少年は2人とも死刑判決が出たが、二審で無期懲役 。中国人は占領当時の日本には刑事裁判権がなかった。
昭和23年(1948).4.29〔16歳女子(満14〜15歳)が幼女を誘拐強盗殺人〕
兵庫県神戸市で、女子(16)が顔見知りの女の子(5)を海岸に連れ出し、パンツ以外の服6点をはぎ取って突き飛ばして溺死させた。服を古物商に売って現金にして、翌日逮捕。小遣い銭欲しさ。家の近所だとすぐバレるので誘拐して、犯行を隠すために殺したと自供。これまでも窃盗で何度か捕まっている。神戸地裁は窃盗傷害致死で懲役3〜5年の不定期刑判決。
昭和23年(1948).5.17〔大学生2組13名が1000万円分の窃盗〕
東京都で遊ぶ金欲しさに100件1000万円相当の盗みをした2組13名を逮捕。1組は明大専門部卒(22)、中大法学部1年生(22)、明大予科2年生(18)らで、旧関根組準幹部の中大生(25)と共に日本橋兜町の倉庫で400万円相当の大量のタオルを盗むなどした。
もう1組は明大専門部3年生(22)、同2年生(23)、明大法科3年生(22)、同(19)で、すでに逮捕されている専大、千葉医大、明大生らと王子製紙工場でフェルト6巻30万円相当を4回にわたって盗むなどした。
この年初めの高級官僚初任給2,300円。
昭和23年(1948).5.18〔高2がストで登校できず自殺〕
東京都墨田区吾嬬町の鉄工業(58)の次男の千葉県立工業高校2年生(16)が登校を止める父親と口論し、工場の青酸ソーダを飲んで自殺した。その日はストで電車が止まっていたが昨年の水害の際には制止を振り切って徒歩で登校した。明朗だが短気な性格だった。
昭和23年(1948).5.21〔21歳(満19〜20歳)含む早大生2人がダンス場で刺殺〕
東京都新宿区角筈のダンス場で無職(21)がナイフで殺された。早大法学部2年生(23)と早大専門部2年生(21)が25日捕った。前者は以前、被害者に因縁をつけられ日本刀で3週間の傷を負わされていた。この日に顔を合わせてお互いにナイフを抜いてケンカとなったもの。
昭和23年(1948).5.21〔17歳(満15〜16歳)ら高女生12人組ダンスのために万引き〕
東京都銀座のダンスホールで、都内高女3,4年生12名を補導。リーダーの高等女学校3年生(17)は授業料や家の金や着物をつぎ込んでホールに通い、足りない分仲間を集めて銀座の文房具屋やデパートで10万円相当を万引き。親にも言わず学校を退学していた。
昭和23年(1948).5.26〔20歳(満18〜19歳)の元伯爵の長男が窃盗〕
東京都新宿区市ヶ谷の料理店員(19)が昨晩泊めた男に毛布を盗まれた。父(49)は元伯爵で高名な鳥類研究家、亡母は伏見宮博恭王の次女という名門の長男の学習院高等科1年生(20)が犯人。3月に家出し詐欺、無銭飲食、オーバーの借り逃げなど20件余り10万円の犯行を重ねていた。家庭が冷たく教師や親戚の家にあずけられていた。起訴猶予となったが名門の子ということで引き取りを申し出る人多数。
昭和23年(1948).5.28〔中2ら2組の兄弟が野球道具のために窃盗〕
東京都大田区の中学2年生(15)と小学3年生(10)の兄弟は金属くず拾いをするがなかなか金がたまらず、合金製作所でメタル用合金を盗んだ。
同じく大田区の中学2年生(15)と小学6年生(12)の兄弟は工場から鉄くずを盗んだ。いずれの兄弟も野球グローブほしさの犯行で、成績優秀な点も共通。
昭和23年(1948).6.2〔小中生の窃盗団ギリシァ組〕
東京都板橋区の小中生が結成した窃盗団「ギリシァ組」13人が検挙された。寺院境内を拠点に広範囲に窃盗を働き、古物商に売ると足がつくので通行人に売って判明しているだけで8万円を稼いでいた。
昭和23年(1948).6.8〔上野駅地下道一斉狩込み〕
東京都で上野駅地下道一斉狩込み。
昭和23年(1948).6.11〔18歳小学校教師が叱られたため両親殺害して死刑〕
広島県加茂郡の自宅で、小学校教師(満18歳)が入浴中の母親(53)を「よう虐めてくれたのう」と匕首で刺し、許しを乞うて逃げようとするのをさらに刺して殺害、父親(57)を玄関で待ち伏せして刺殺した。ひとり息子で、2年前に私立中学を卒業して小学校の助教員となった。元少尉で厳格な両親は細かいことでたびたび干渉して殴るため怨んで殺害計画を立てていたが、同僚女性教員(満21歳)を妊娠墮胎させようとしたことでこの日に激しく叱られ殴られたため復讐したもの。昭和25年2月に最高裁で死刑確定。のちに恩赦で無期に減刑。
昭和23年(1948).6.15〔19歳(満17〜18歳)ら2人が盗んだ爆発物の下着で大爆発〕
福岡県大牟田市の工場で、4.9に大爆発が起こり14人が重軽傷を負ったが、工員(22)が工員(19)と2人で盗んだ硝化綿布(ニトロ・セルロース。火薬の原料にもなる)で作ったズボン下が原因だったと6.15に自供した。映画上映会中に隣りに座っていた人のタバコの火が引火したもの。6.9には義父(42)がこのズボン下を履いていてタバコの火が引火して自宅で焼死した。窃盗と過失傷害で書類送検。
昭和23年(1948).6.17〔小3が盗みで母親にせっかんされ死亡〕
東京都杉並区の自宅で、小学3年生(10)が家の金を10回以上何千円も盗んでグローブやバットを買って友達にやってガキ大将になっていたので、母親が手足を縛って薪で何度も殴って物置に放置して死亡させた。両親は警官に頼んで説教までしてもらったが盗みをやめないためせっかんしたもの。この年の銀行員大卒初任給500円。
昭和23年(1948).6.18〔小6が小学校で友人刺殺〕
兵庫県神戸市の小学校校庭で、6年生(12)が写生の授業中に友達の5年生(11)とケンカしてナイフで刺殺した。6年生が女子に貸したマンガ本を5年生が破ったために前日にケンカしたが教師に留められた。この日もケンカを教師が留めたが、その時に6年生が投げたナイフが腹に刺さって20日に死亡したもの。日頃から凶暴性があり、罪の意識がまったくないので、傷害致死罪で少年審判所送致にした。
昭和23年(1948).6.20〔高校生(満15〜16歳)がケンカしてカマで刺す〕
兵庫県神戸市で、高校生(17)が小学6年生(14)とケンカして鎌で腕を刺して3週間の傷害を負わせた。6年生は広島の原爆で両親を亡くし、神戸の篤志家の元で学校に通って成績もよく級長をしているが、篤志家と高校生の両親は仲が悪く、6年生が高校生の弟の悪口を言ったことにカッとしたもの。
昭和23年(1948).6.21〔早大生(満19〜20歳)らがケンカで刺殺〕
東京都新宿区のダンスホールで、早稲田大学法学部2年生(23)、早大専門部2年生(21)の2人が無職(21)を刺殺して25日に逮捕。6.1に恋人(23)を連れている時に「その女は俺のものだ」と不良に日本刀で斬られて3週間の傷害を負わされ、その仲間の無職とナイフでケンカになったもの。
昭和23年(1948).6.21〔17歳らカップルが結婚反対されて心中未遂〕
兵庫県神戸市の神戸駅で、師範学校予科3年生(17)と女工(18)が保護された。小学校の同級生で結婚したいと親に言ったが若すぎると反対されて20日に滋賀県長浜市から家出、明石の海岸をさまよって死にきれず鉄道自殺しようとしたもの。結婚できないならまた自殺すると言っている。太宰治や教師と女学生の心中など最近の事件に影響されたもの。
昭和23年(1948).6.24〔16歳(満14〜15歳)がケンカして同僚刺傷〕
兵庫県神戸市で、進駐軍人夫(16)が作業中に同僚(23)とケンカしてナイフで腹を刺して1ヶ月の重傷を負わせて逃走したが、すぐに逮捕された。
昭和23年(1948).6.25〔警視庁の少年犯罪資料〕
東京都の警視庁は5月から一ヶ月間の少年犯罪の資料をまとめた。低年齡化と凶悪化が進んでいる。万引きは中流家庭の子息が多い。
昭和23年(1948).6.28〔中2(満13〜14歳)が学校で硝酸かける〕
兵庫県神戸市の中学校で、2年生(15)が同級生(15)の顔に所持していた硝酸を掛けて2週間のヤケドを負わせ、近くにいた男女生徒3人にも掛かったため1週間のヤケドを負わせた。ノートにインクをつけたと怒ったもの。
昭和23年(1948).7.12〔20歳(満18〜19歳)が名士宅で泥棒しトランプ残す〕
東京都を中心にD・K・エーキと名乗って名士宅に泥棒に入りトランプを残していた自称ロゴス英語学院生(20)を逮捕。6.14、尾崎卆翁の家で衣類12点を盗みスペードのエースを玄関に残した他、7.1には女優の高峰三枝子宅でオーバーなど10点を盗み、後日「これは未だ初歩で貴家に対して目的の半分も達していない」と脅迫状を送った。葉山町堀内の東伏見邸から貴金属、衣類等55点を盗みいずれもトランプを残した。原節子などの有名人の名前を記した手帳を持っていた。
昭和23年(1948).7.12〔小2がバスを民家に突っ込ませる〕
東京都浅草の都交通局営業所で、ここに住んでいる都バス運転手の小学2年生の長男(6)と友人の2年生(6)の2人が、電気バスのレバーをいじって発進させ塀を突き抜けた。2人は途中で飛び降りたが、バスは近所の畳屋宅に突っ込み、トイレにいた奧さん(40)が驚いて鴨居で頭を打って脳しんとうで失心。
昭和23年(1948).7.16〔生活苦、母、赤ちゃんを殺す〕
東京都で生活苦、母、赤ちゃんを殺す。
昭和23年(1948).7.19〔27歳が幼女をレイプ殺人〕※参考
兵庫県神戸市の自宅で、無職(27)が小学2年生の女の子(10)を絞殺してからレイプ、死体を草むらに遺棄したが、翌日逮捕。鉄道変電所工員をしていた昨年11月に女性(21)ら6人をレイプして懲役2年執行猶予3年の刑を受け故郷の京都に帰ったが、先月また神戸に来て回転焼き屋を経営、14日に廃業してぶらぶらしていた。隣りの店にソラマメを買いに来る女の子が可愛いので以前から目を付けており、豆を与えて連れ込んだもの。「私の病気は治りません」と自供。
昭和23年(1948).7.27〔落書少年強盗逮捕〕
東京都で落書少年強盗逮捕。
昭和23年(1948).7.30〔19歳女子(満17〜18歳)ら売春婦7人がリンチ殺人〕
大阪府大阪市の病院で、娼婦(19)ら7人が同僚(28)をリンチして死亡させて8.3に逮捕された。売春で全員逮捕されて強制入院させられていたが、被害者は人の外出許可証で逃走したり、熱を出して腹をこわしていたため疎まれ、手足を縛られ棒で殴られたり水を掛けられたりするリンチを2日間も受けていた。
昭和23年(1948).8.1〔19歳(満17〜18歳)ら3人が看守を殺害して刑務所脱走〕
滋賀県大津市の滋賀刑務所で、窃盗犯(19)、窃盗犯(20)、強盗犯(23)の3人が、看守を殴り殺して脱走した。
昭和23年(1948).8.2〔小1が盗みで両親にせっかんされ死亡〕
東京都中野区の自宅で、小学1年生(7)が家の金を盗んでメンコを買ったので、両親がせっかんして手足を縛ってふとん蒸しにして死亡させた。過失致死で逮捕。
昭和23年(1948).8.15〔大学生の犯罪について(週刊朝日8月15日号)〕
大学生の犯罪が増えているが、貧乏なアルバイト学生ではなく、仕送りをもらって遊び回り金に困った学生の犯罪がほとんど。モラルの低下。
昭和23年(1948).8.30〔21歳(満19〜20歳)の教師が家の払いのため窃盗〕
東京都の北区立小学校教諭(21)を窃盗で逮捕。勤務先からミシン3台、ガラス100枚、木炭2俵、自転車2台を盗んだ。4月に慶大予科を卒業したばかりで買った家の支払いに困ったもの。
昭和23年(1948).8.31〔15歳が祖父母強盗殺人〕
福島県石城郡の農家で、この家の孫の無職(満15歳)と仲間の無職(満21歳)が押し入り、祖父(79)と祖母(75)を縛り上げて現金4千5百円と服6千円相当を強奪したが、覆面が取れて孫だということがバレたため、口と鼻を布で覆ってからフトンで全身を巻いて、窒息することが判りながらそのまま逃走、殺害した。母親は3歳の時に、父親は7歳の時に死亡して他家で育てられ、この年の3月に祖父母に引き取られて農業の手伝いをしていたが、おねしょ癖をたびたび叱られて8.25に3百円をもらって家を出た。金を使い果たして茨城県の水戸駅で寝泊まりしているうち8.30に21歳と知り合って強盗に誘い、その日に向かったもの。死刑が求刑され高裁も死刑相当と認定したが、昭和23年7.15に改正されたばかりの少年法により無期となった。
昭和23年(1948).9.9〔17歳ら4人が強盗殺人〕
東京都墨田区の会社員宅で、無職(17〜22)4人が押し入り老婆を殺害、カメラ、衣類などを強奪、逃走したがすぐに逮捕された。17歳は家族に迷惑が掛かると本名を言わなかったため成人として無期懲役が確定したが、昭和39年に恩赦出願を出して未成年だったことがわかり懲役15年に減刑、釈放された。
昭和23年(1948).9.8〔19歳(満17〜18歳)が強盗殺人で死刑判決を受けるが無罪放免計画〕
広島県豊田郡の民家で夜11時、無職(19)と少年(18)3人の4人組が押し入り、主婦(26)を殺害、衣類85点(10万円相当)を強奪して逃走したが、翌日逮捕された。3月に病死した無職の姉がこの家の主人(29)の先妻だったため内情に詳しく主人がいないことを知っていて、遊興費欲しさに侵入したが覆面が取れて顔を見られたため紐で絞殺したもの。18歳1人は仲間が捕まったと聞いて「自決してお詫びします」という遺書を残し昇汞水を飲んで自殺した。
無職は広島地裁で死刑判決が出たが、2審公判中の昭和25年7.19に窃盗罪で懲役2年の台湾人(25)が自分が真犯人で無職は無罪だと獄中から名乗り出た。事件の詳細を語るので事実ではないかと検察も混乱したが、刑務所内で暗号通信により計画した嘘だったことが8.19に判明した。
女の子(3)を殺害したもう1人の強盗殺人無期懲役犯(21)と無職が無罪釈放となった場合の刑事補償金40万円はこの男がもらい、男も精神異常を理由に出獄、それがダメでも占領下の日本には台湾人に対する裁判権がないと主張する予定だった。
昭和23年(1948).9.9〔17歳の女含む若手のスリ団〕
東京都で5日から9日にかけて170名のスリを一斉検挙。江東区の「江東一派」は親分(32)と姉御(23)をリーダーにして男19名と17歳前後の女7名。男はスリのほか空巣、女は万引き、タコつりなどをし、多く稼ぐとドラム缶をたたいて宴をひらいた。足立区の「向島のオイヤン一家」は21歳のリーダーと小学生時代の同級生を中心に22名。暴力団が捕まったり地方へ移ったため、残った中堅幹部の若者が組織したもの。
昭和23年(1948).9.28〔手先に少年使う悪質露天商逮捕〕
東京都で手先に少年使う悪質露天商逮捕。
昭和23年(1948).10.1〔満18歳未満は夜10時以降外出禁止〕
茨城県水戸市で満18歳未満の者が夜10時以降一人で出歩くのを禁止する「年少者の不良防止に関する市公安条例」を施行。違反すると保護者が1000円以下の罰金もしくは科料。市民は歓迎しており、他の市町村も追随している。
昭和23年(1948).10.18〔高1(満16〜17歳)らが心中未遂〕
福島県伊達郡の山林で、高校1年生(18)が女子(18)を膝の上に抱いたままに自分の頚動脈をナイフで切り、女子の頚動脈をナイフで切ってベルトで首を絞めたが殺すことができずに抱いて下山、逮捕された。6月から関係して妊娠したため心中を図ったもの。嘱託殺人未遂で起訴されたが、地裁では懲役2年、執行猶予3年の判決となった。
昭和23年(1948).10.22〔中2の暴力監督〕
東京都墨田区の中小生が結成した「銀星野球チーム」の中学2年生(16)の監督はエラーをした選手をバットでなぐって罰金を取り、またグローブを買うと称してナイフで脅すなどして数名から現金1万円以上をまきあげていた。
昭和23年(1948).10.26〔17歳の少年が明大生を率いて強盗〕
東京都墨田区の化粧品店店員(31)が化粧品の原料を世話すると誘い出され、港区麻布で2人にバットで殴られ現金11万4000円と小切手を奪われた。犯人は明大予科2年生(19)、同専門部1年生(19)と主犯の少年(17)。少年は前に別の友人と同じ方法で失敗している。遊ぶ金欲しさ。
昭和23年(1948).11.5〔19歳(満17〜18歳)がケンカ仲裁者刺殺〕
大阪府大阪市の桜島駅前で、船員(19)ら4人が沖仲仕(22)ら9人とケンカして所持していた刺身包丁で殺そうとして、たまたま通りかかって仲裁をしようとした男性(26)を刺して殺害した。
昭和23年(1948).11.13〔17歳ら29人組の1500万円学生窃盗団〕
東京都の赤羽駅を拠点とする窃盗団を検挙した。政府官庁局長の次男の都立高校1年生(17)、大学専門部生(18)ら18名の学生と他11名で、窃盗や空巣で7ヶ月に1500万円を稼いで博打に使った。2組になって泥棒競争していた。
昭和23年(1948).11.22〔16歳(満14〜15歳)が隣人を毒殺〕
東京都文京区で、無職(16)が隣家の下駄商を毒殺した。中退したばかりの中学校の標本室に忍び込み青酸カリを盗んで、誰でもいいから酔っ払いに飲ませて金を奪おうと池袋で試そうとしたがうまくいかず、下駄商の隙を見て酒に入れたもの。服を買う金欲しさ。
被害者は教師をしていたが元少尉のため公職追放となった人で、犯人の少年をとくに気に掛け善導に努めていた。
昭和23年(1948).12.1〔19歳(満17〜18歳)が毒殺〕
長野県松戸市の歯科技工士(19)は歯科医院で2万円を使い込み、その工面のために金塊を売ると騙して金属商ら二人を義兄の家に集めて青酸カリで毒殺し持参した代金を奪おうと計画したが、先に毒入り茶を飲んだ一人が苦しんで死んだため失敗した。
昭和23年(1948).12.1〔高1(満15〜16歳)が恋仲を割かれて刺殺〕
東京都大田区の高校1年生(17)が、恋人(18)との仲を引き裂かれた恨みで恋人の兄(20)をナイフで刺し殺した。
昭和23年(1948).12.6〔中2女子(満13〜14歳)が厳しい母親に反発し一家皆殺し〕
福岡県大牟田市の自宅で、中学2年生の三女(15)が、夕食の大根雑炊に殺虫剤のアヒ酸を入れ、父母、祖母、姉、妹の家族7人皆殺しを謀る。たまたま食べなかった祖母以外の6人が苦しみ出して、五女(10)と六女(6)が死亡、ほかの4人は床に着いたが命に別状はない。三女も食べずに元気だったので疑われてすぐに自供した。
三女は成績も良くバレー部の選手をしていたが、部活で遅くなると遊んでいたのだろうと厳しい母親にたびたび叱られ殴られた。こんなことでは一家皆殺しにしたほうがよいと考えたと、取り調べにも笑顔で話す。バレー部顧問の教師は、ずるい生徒でよくケンカをしており、皆には好かれていなかったと語る。
昭和23年(1948).12.14〔20歳(満18〜19歳)のダンケ怪盗〕
東京都で4ヶ月間に1000万円の盗みをした男を逮捕。犯人は陸軍大学副校長だった大佐の長男(20)、旧制松本高校も出ている。教員宅から衣類9点盗んだほか20数件の犯行を重ね、下落合の会社員宅では応接間の絨毯を剥がした床に竹切れで「DANKE」と書き残している。盗品を売り払った金で遊び回っていた。
この年末の高級官僚初任給5,500円。
昭和23年(1948).12.15〔祖母、生活苦から孫を殺す〕※参考
東京都で祖母、生活苦から孫を殺す。
昭和23年(1948)〔この年の「青少年犯罪白書」から〕
犯罪者は19,679名で前年度比2.1強の増加。不良行為者は1.13弱の増加。最も多いの学窃盗で11,678名、内女子は1,146名。3,408名が在学中の児童、学生。恐喝学705名、内学生166名。売春女子の総計3,045名。この中には19名の女学生があり、十二歳の小学生もいた。これら青少年で両親がそろっているもの22,631名、両親の全くないもの5,267名。貧困家庭の子女はわずか1,414名なのにくらべ、中流家庭の子弟は17,060名。転落した原因を大別すると、家庭的に「放任」と「放縦」からきたものが圧倒的に多い。別の動機では「小遣銭が足らない」が一番多く、次いで「悪友の感化」「出来心」「好奇心」の順。
(青少年非行・犯罪史資料1巻 97P 刊々堂出版社)
※タイトルと本文が同じ短いデータはすべて「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。※