昭和37年(1962)の少年犯罪





昭和37年(1962).1.9〔少年を配下にしただけで暴力団幹部逮捕 毎日新聞引用〕
 少年なら逮捕されても処分は軽く、すぐ釈放されるとあって、暴力団が少年を配下に引き入れるのは“常識"となっている。このため警視庁は1月8日、全国で初めて「児童福祉法」を適用、少年を配下に置くだけでも逮捕する方針を決めた。昨年つかまった暴力団員の3分の1は少年。ナワ張り争いの鉄砲玉としての切り込み部隊でもある。活用された「児童福祉法」は34条、禁止行為で「児童の心身に有害な影響を与える行為をさせる目的をもって、これを自己の配下におく行為」で、これまで花売り娘の親などにしか適用されなかった。
(毎日新聞1・9)


昭和37年(1962).1.12〔女子高生2人が睡眠薬遊びから万引き〕
 神奈川県相模原市のラジオ店で、女子高生(18)2人がトランジスターラジオ(2万円相当)2台を万引きして捕まった。文房具店でノート2冊も万引き。東京都町田市原町田出身。睡眠薬遊びをしているうちにスリルを味わいたいという遊び感覚での犯行。昭和34年暮まで銀座のバーやキャバレーで働いていたことがある。


昭和37年(1962).1.22〔高1ら5人が睡眠薬遊びからタクシー運転手を殴る〕
 東京都千代田区の私立高校1年生5人(16歳が3人、17歳が2人)が、タクシー運転手(31)を殴って3週間の怪我を負わせ、捕まった。下校途中に流行りの睡眠薬遊びをやって気分が悪くなり、仲間の1人の家にタクシーで帰ろうとしたが、被害者が道を間違えたため口論となり、事件となった。警察署でも、叫んだり暴れたりした。


昭和37年(1962).1.23〔18歳ら2人が睡眠薬を飲んで窃盗〕
 埼玉県越ヶ谷の工員の2人(18,19)が、東京都墨田区向島の時計店で腕時計1個を万引き、店員が大声を出して追いかけたため、近くにいた人が協力し、格闘になりながら捕まえた。度胸付けに睡眠薬を飲み、「調子が出てきたのでやった」と話している。


昭和37年(1962).1.24〔高2が学校で因縁付けて殺人〕
 神奈川県横浜市の私立高校で、2年生(16)が別のクラスの2年生(16)を殺害した。「服装や歩き方が生意気だ」と腹を殴ったもの。傷害致死で逮捕。


昭和37年(1962).1.25〔18歳が入院先の病院を放火し7人殺害〕
 東京都北多摩郡狛江町の病院で、入院患者(18)が放火し全焼、老人7人が焼死した。手足をかみそりで切って自殺しようとしたが死にきれず、派出所に自首。
 昨年6月から慢性腎臓炎で入院していたが、ラジオでジャズを大音量流し注意されると逆に音量を上げ、寝るように言われると外出するなど普段から態度が悪く、2週間前から「放火して皆殺しにしてやる」と話していた。


昭和37年(1962).1.29〔18歳が銀行強盗〕
 東京都中央区銀座の三菱銀行京橋支店で、無職(18)がカウンターで30万円を奪って逃走、すぐに捕まった。24日に福島県相馬郡から上京。職を探すも見付からず、金を費い果たし、前日から何も食べていなかった。恐喝未遂と窃盗の前歴があった。


昭和37年(1962).1.29〔中2が告げ口の逆恨みで小学生を毒殺〕
 愛知県岡崎市の農家の玄関に、中学2年生(14)が農薬入りの乳酸菌飲料を置き、飲んだ長男小学4年生(10)が死亡、二男の小学2年生(8)が重体となり、翌日に捕まった。1週間前に500円拾ったことを被害兄弟の母親が自分の母親に告げ口したのを恨んだもの。自分の部屋に試験管や薬品を揃えて実験する科学少年だった。


昭和37年(1962).2.1〔小6と中1ら3人が睡眠薬を飲んで暴れる〕
 東京都台東区上野の薬局で、中学1年生(13)2人と小学6年生(12)が暴れ、女子高生にいたずらなどした。文京区の映画館前で高校生らしい3人連れから睡眠薬を貰って飲んだと自供しているが、過去にも睡眠薬遊びをしていた。全員が中流家庭。


昭和37年(1962).2.2〔中2が幼女にいたずらして置き去り〕
 東京都江東区で、中学2年生(14)が幼女を連れ去りいたずらして置き去りにする事件が5件起き、逮捕され3件を自供した。1.17に男の子(4)を深川の自宅近くから自転車で連れ去り千葉県船橋市の競馬場近くに置き去りにした。1.22に女の子(5)を自宅に連れ込んで、墨田区に置き去りにした。1.30に女の子(4)を連れ去り煙草の火を手や顔に押しつけ殴って10日間のケガを負わせて羽田空港近くに置き去りにした。母親と姉の3人家族で、昭和34年には幼女へのいたずら、昭和35年には空き巣で捕まっている。


昭和37年(1962).2.8〔小5ら7人組が連続強盗〕
 東京都大田区の中学1年生(14)、小学5年生5人、小学6年生1人の7人組が、昨年12月から強盗7件、たかり2件、盗み1件、暴行1件を働き、計2750円を盗って捕まった。金がありそうな小・中学生ばかりを狙い、盛り場の裏通りに誘い込み、7人で取り囲んで喉もとにナイフを突きつけ、「命が惜しければ金を出せ」と脅していた。
 主犯の中1の父親は失業中で貧しく、小遣い銭欲しさに犯行を重ねていたが、「被害者が驚いて金を出すのが面白かった」のも理由の一つだった。


昭和37年(1962).2.11〔中3カップルがダイナマイトで心中を図る〕
 兵庫県神戸市兵庫区の六甲山山頂付近の雑木林で、宍粟郡の中学3年生(15)と中学3年生の少女(14)がダイナマイトで心中を図り、少年が顔面裂傷、少女が右足裂傷の重傷を負った。昨年末頃、2人の仲を知った教師に「あまり評判になるようなことはしないように」と注意されていた。少年は成績がよく、生徒会長も務めていた。


昭和37年(1962).2.14〔中3が子分の仕返しに同級生を刺殺〕
 東京都葛飾区の中学校で、3年生(15)が同級生(15)を刺殺した。4日前に子分の2年生(14)が被害少年らに生意気だと刃物で脅され、その仕返しをしたもの。同校では非行グループが多く、加害少年はそのグループの一つの番長で、裕福な石油販売業の一人息子で甘やかされており、喧嘩や不純異性交遊、睡眠薬遊び等で補導されたことがあった。「サングラスの不良が刺して逃走した」と嘘の供述をしていたが、自白して傷害致死で逮捕された。
 この中学では、卒業式に教師を襲撃する計画があるということで、パトカー2台、制服警官20人が待機する事件が3月に起きた。


昭和37年(1962).2.15〔17歳女工が赤木圭一郎の後追い自殺〕
 神奈川県の鎌倉にある赤木圭一郎の石碑近くの横須賀線踏み切りで、東京都墨田区の住み込み女工(17)が飛び込み自殺をした。昨年2月21日に事故死した赤木圭一郎の一周忌を前にしての後追い自殺。「トニー(赤木圭一郎)の所へ行く」との書置きを残して家出していた。


昭和37年(1962).2.17〔中3ら3人が睡眠薬欲しさに引っ手繰りや恐喝〕
 東京都杉並区和泉町の路上で、中学3年生(15)3人が高校1年生ら3人から210円と腕時計1個を奪い、直後に帰宅途中の女性会社員(33)から670円を奪い、翌日捕まった。16日にも女性会社員(22)から800円が入ったハンドバックをひったくっていたことを自供した。睡眠薬遊びの資金のための犯行。


昭和37年(1962).2.18〔中3ら5人が睡眠薬を飲んでローラースケート場で暴れる。脅しも〕
 東京都北区や板橋区の中学3年生(15)4人と無職(15)の計5人が、豊島園のローラースケート場で、中学1年生(13)を脅して100円を取るなどして暴れ、捕まった。「睡眠薬を飲んでスケートすると、気が大きくなっておもしろい」と自供。


昭和37年(1962).2.18〔小3がテレビの観過ぎを注意され自殺〕
 静岡県浜松市の自宅で、小学3年生(9)が首を吊って自殺した。「期末試験が近いんだから、テレビで西部劇ばかり観ていないで勉強しなさい」と叱られ、その後両親を脅かすつもりで首を吊るふりをしたが、誤って本当に吊ってしまったもの。


昭和37年(1962).2.22〔中1と小5の兄妹がタクシー強盗〕
 京都府京都市下京区で、中学1年生(13)がくぎ抜きで運転手(25)の頭を殴り、妹の小学5年生(12)が胡椒をかけ、10日間の怪我を負わせてタクシー料金190円を踏み倒し逃走してすぐに捕まった。父親は1年前から入院し、母親はバー勤めで留守がちで寂しかったため、おばの家に行こうと家出、妹がタクシーに乗りたがったが、100円しか持っていなかったため、踏み倒すことを事前に打ち合わせていた。


昭和37年(1962).2.22〔危険な手製銃が流行 朝日新聞引用〕
 ガン・ブームのあおりで、少年たちの間で手製銃が流行、それに伴う事故が急増。この手製銃遊びは、工事現場から拾い集めた電池や、水道のパイプを銃身にして、木の台座に固定、2Bや水爆花火を爆発させ、ビー玉の弾を飛ばすもの。30〜50メートルも飛び、かなりの威力がある。警視庁管内で一昨年、この遊びで補導されたものは6人だったが、昨年は65人。今年になってからも、江東区の小学3年生が装てんした火薬が爆発、両眼に大ケガしたり、火薬から火事になるなど10件を越える事故が起きている。銃作りの動機は、テレビの西部劇をみて(37%)が多く、その他は、他人の持っているのをマネたとか、ガン・ブームに刺激されてなど。ほとんどが中学生。あぶない遊びなのにもかかわらず、子供たちが銃を作っている現場をみながら、注意しない親が40%もおり、警視庁では「地域全体が関心を持ち、遊びの現場を見た人が注意して止めよう」とのキャンペーンを始める。
(朝日新聞2・22)





昭和37年(1962).3.3〔女子高生が家出中の女子高生の家に身代金要求〕
 北海道美唄市の女子高生(17)が、1月中旬から家出中の高校1年生の少女(16)の両親に対して、「お嬢さんはあるところに元気でいるが、知りたければ指定した場所に5万円持って来い」という脅迫状を2.14から翌月の3.3まで計5回出していた。金欲しさからの犯行。


昭和37年(1962).3.8〔高1が自殺用のピストル奪うため警官襲撃〕
 兵庫県尼崎市の派出所で早朝5時、高校1年生(16)が「柔道着を拾った」とやって来て、おもちゃのピストルで後ろから巡査(25)の頭部を殴りつけたが、傷を負った巡査と格闘のすえ取り押さえられた。
 「世の中がいやになり、自殺用のピストルを奪おうとした」と自供。電話線を切るためのハサミ、逃走のための変装用ジャンパー、懐中電灯、ピストルケースなどを持っていた。高級官僚の一人息子で経済的には恵まれていた。


昭和37年(1962).3.8〔慶大がカンニングをした受験生の氏名を構内に掲示〕
 慶応大学は文学部の入学試験でカンニングをした埼玉県立浦和高校出身の受験生の氏名を、構内に掲示した。「厳粛な入学試験を乱す不正行為を恨み、他の受験生の注意を促すため」の処分。2、3年前にも同様の事件があった。浦和高校では「カンニングは悪いことだし、本人と父兄を呼んで十分注意するが、名前を公開する必要があるのか」と、この処分を疑問視している。


昭和37年(1962).3.11〔小6、中1、中2ら窃盗団11人が75万円の荒稼ぎ〕
 東京都杉並区の小学6年生3人、中学1、2年生8人の窃盗団11人が、昨年10月から空巣、自動車荒らし、脅しなど67件、75万円相当を盗んで捕まった。アパッチ牧場と名付けた空地に掘立小屋を建て、50メートルのコードがついたおもちゃの電話で連絡を取り合って犯行を重ねていた。親たちは「うちの子はそんな子じゃない。遊び友達が悪かった」と主張。この年の大卒初任給 17,815円。


昭和37年(1962).3.21〔教師への暴力、日常化 中学生 読売新聞毎日新聞引用〕
 警視庁がまとめた少年犯罪統計によると、
▽階層別―学生・生徒46%、職業少年76%、無職少年15%。学生・生徒の内訳は、半数が中学生、次いで小学生20%、高校生17%。生徒1000人あたりの犯罪者率は中学生8.3人、高校生6.1人、小学生3.4人。
▽罪種―放火、暴行、脅迫、恐喝と暴力的傾向が増加。学生・生徒の暴力犯罪で多いのは集団リンチ、教師に対する暴力、学校内での生徒間の暴力。いずれも31年時に比べて5、6倍。教師への暴力など、かつては卒業式前後に限られていたが、今では日常的。
▽地域別―東京、神奈川、滋賀、京都、大阪、兵庫など大都市で増加しているが、群馬、岡山、山口などの地方都市でも急増。
 学校を中心とした不良グループで、一番タチが悪いのが番長グループ。いくつかの学校が連合して総番長をつくり、地元の愚連隊と結びついている。幹部を補導しても、すぐ新しい幹部を選び出し、補導に手をやく。
(読売新聞3・21夕刊)
 山梨県では16の高校で番長制がひかれ、番長会議で各校への割当金を決定、配下の少年をつかい、生徒たちから強制的に金をまき上げ、甲府市のグレン隊がその金をとり上げていた。昨年1年間で、番長グループがまき上げた金は5万円にのぼる。
(毎日新聞3・23)


昭和37年(1962).4.9〔20歳が父親毒殺しようとして近所の幼児3人殺害〕※参考
 栃木県宇都宮市の農家で、長男(20)が仕事でこき使う父親(49)を殺すために庭先に置いた農薬入りジュースを近所の人が拾って帰り、その家の長男(9)、次男(7)、長女(5)が飲んで死んだ。駄菓子屋や薬局に行ってジュースや毒薬を売らなかったという証明書を書いてくれと頼んだり、新聞社に「俺が犯人だ」などと捜査を撹乱するため送った手紙の筆蹟が一致したためバレたもの。


昭和37年(1962).4.17〔15歳が強盗して警官を刺す〕
 東京都渋谷区の路上で、会社員(28)がナイフを突きつけられて腕時計と現金を奪われた。緊急配備した巡査(34)がそれらしい男に職務質問すると、いきなり太股にナイフを刺して1ヶ月の重傷を負わせて逃走した。19日にコートと免許証を盗まれた被害者宅に「1万円持ってくれば返す」と脅迫電話があり、指定の場所に警察が待ちかまえて逮捕した男が巡査傷害と会社員への強盗も自供した。
 先月に中学を卒業したばかりの15歳で、これまでも13件の強盗を働いていた。身長が172センチもあり、19と20の男が年下と知らずに子分となっていた。普通の家庭以上のこづかいをもらっていたが、自分がもらい子だと知ってからグレていた。


昭和37年(1962).4.23〔2人の神職養成学生が29本の桜を折る〕
 山口県山口市の坂川両岸の桜並木の桜29本が、神職養成学校の山口国学院本科1年生2人によって、23日、24日の2日間で引き抜かれたり折られたりした。前日に2人が桜の木1本を折ったときに町の人に見付かり、叱られたのを根に持っての犯行。国体を来年に控え、花いっぱい運動を展開していたこともあり、市長は5月14日に2人を告訴した。


昭和37年(1962).4.26〔中2が馬鹿にした友人殺害〕
 埼玉県比企郡の農家で、中学2年生(13)が同級生(13)を殺害、補導された。中2生は牛乳配達のアルバイトをしており、新聞配達のアルバイトをしている被害者に「お前は3百円しか給料がもらえない」と馬鹿にされて蹴飛ばされた。復讐のため下校時に待ち伏せて自宅の物置に連れ込みカナヅチで殴ったもの。


昭和37年(1962).4.29〔小4女子が盗み怒られ学校放火〕
 大阪府大阪市城東区の小学校で三つの教室が全焼し、放火した小学4年生女子(10)が捕まった。28日に学校で窃盗をして教師に怒られ親にも通報されたのを逆恨みしたもの。





昭和37年(1962).5.1〔プロレスやりだま 朝日新聞引用〕
 プロレスのテレビ中継で、血だるまの残酷シーンを見てショック死する事件が相次いでいるが、大阪府警防犯課は、プロレスのテレビ中継は、大阪青少年保護条例の「青少年への有害興行」「有害広告物」に該当する疑いありとして、府青少年保護審議会にはかって禁止したい旨を明らかにするとともに、18歳未満の入場をも禁止したい意向。
 これにたいし、テレビ中継をしている読売テレビでは、(1)残忍な場面の大写しはしない。(2)青少年に有害と思われる場面はさける、などの態度を示した。
(朝日新聞5・1)


昭和37年(1962).5.6〔中3が男児を猥褻殺人〕
 徳島県阿南市の竹やぶで、中学3年生(14)が隣家の男の子(4)の性器を弄んだが、お母さんに言いつけると泣いたためナイフで胸をめった刺しにして殺害、5.10に逮捕された。自身も小学4年生の時に5歳年上の男子に性器を弄ばれている。両親とも仕事に出ていて放任されていたが、非行歴はなかった。無口で何を考えているか判らない性格。被害者とは祖父同士が兄弟の又従兄弟。


昭和37年(1962).5.7〔19歳が母親に乱暴して無罪判決〕
 神奈川県横浜市の自宅で、昨年に少年(19)が母親に暴行、止めに入った巡査(26)のピストルを奪おうと乱暴したことで暴行と公務執行妨害で起訴されたが、この日に無罪判決が出た。
 「『法律は家庭に入らず』という言葉もある。家庭内の平和や共同生活に危険が無く、また、社会的にみても家庭内の出来事として無視しても差支えない程度のものは、処罰しないのが刑法の精神」というのが横浜地裁の判断(求刑は10月)。これを受けて横浜地検では「やたらに母親が殴られてはたまらない」と控訴する方針。


昭和37年(1962).5.8〔中・高生がツイスト踊りたさに54回、158点の万引き〕
 東京都で、中1〜高1の少年8人、少女7人計15人の万引きグループが捕まった。ツイスト遊びのため、ツイスト用のレコード、服、おかしなど54回、158点を万引き。親が留守がちな女子高生(15)の家や盛り場、喫茶店で毎日ツイスト三昧。


昭和37年(1962).5.9〔校舎改築資金集めに校庭でプロレス興行〕※参考
 千葉県で校舎改築資金集めに校庭でプロレス興行。


昭和37年(1962).5.12〔19歳大学生が応援団の入団勧誘を恐れて自殺〕
 京都府京都市の京阪京都線の無人踏切で、近畿大学商経学部1年生(19)が飛び込み自殺。「学校へ行くのが嫌だ。応援団が怖い。無理やり入部届を書かされ、指印まで押させられた。学校には民主主義は無く、ヤクザのようだ」との遺書が残されていた。


昭和37年(1962).5.18〔19歳ら2人が消火ホース切って鎮火妨害罪〕
 東京都北区の火事現場で、男2人(19,20)が消火ホース2本をカミソリで切って、鎮火妨害罪で逮捕された。酔って火事見物に来たが、ホースに引っ掛かってむしゃくしゃしたため。成人は2年、少年は1〜3年の不定期刑で、鎮火妨害罪適用は初。


昭和37年(1962).5.29〔20歳が失恋して相手の2児を殺す〕※参考
 静岡県沼津市の建材商(57)宅で、住み込み従業員(20)が主人の孫の小学1年生(7)と女の子(5)を絞殺して、店の車を無免許運転して逃走したが逮捕された。子供達の母親(29)はこの家の二男の嫁だったが、夫が死んで2年前に三男と再婚した。片思いしていた従業員は悔しくて犯行におよんだもの。


昭和37年(1962).5.31〔13歳ニートが頼まれて主婦を刺す〕
 東京都江東区で、男子(13)がアパートに押し入り主婦(25)の首と胸を包丁で刺して一ヶ月の重傷を負わして派出所に自首した。愚連隊仲間の18歳に、あの家の子どもとケンカしたので金を盗ってこいと云われて六百円をもらったので、牛乳配達を装って押し入ったもの。学校にはまったく通っていなかった。


昭和37年(1962).6.3〔中3が幼女をいたずら殺人〕
 群馬県佐波郡で、中学3年生(14)が近所の小学2年生の女の子(7)を殺害、家の裏の消防用貯水池で死体が発見され、犯行を自供した。女の子が友達4人と遊んでいるところに中3生がやってきて「ジャンケンに勝った子にデンデンムシをやる」と言い、勝った女の子を誘い出して女の子の家が留守だったので裏でいたずらしようとしたが抵抗したため首を絞めて池に投げ込んだもの。
 ほかの小学生にもいたずらしようとしたことがあり、2年前にはこの女の子にいたずらしようとして拒まれたのを恨んで女の子の家に放火している。柔道部に入っており、性格が荒かった。


昭和37年(1962).6.5〔18歳ら3人組がタクシー強盗殺人〕
 神奈川県三浦市で深夜0時、無職(18)、無職(24)、無職(25)の3人が走行中のタクシーで運転手(54)を襲い、有り金5千円と腕時計を出して「妻子がある。命だけは助けてくれ」と命乞いするのを18歳が自分のベルトで絞殺、死体は肥溜めに捨て、タクシーを奪い、一度パトカーに留められたが適当にごまかして逃走した。
 3日に上野駅で知り合い、4日夜にタクシー強盗を計画したもの。少年は14日に山谷のドヤ街で血を売って暮らしていたところを捕まった。「足がつくと思って殺した」と平然と話す。


昭和37年(1962).6.6〔18歳ら4人組が強盗〕
 東京都新宿区のガソリンスタンドで、少年(18〜19)4人組が強盗を働き、捕まった。「東京で強盗をやって一山当てよう」と栃木県で車を盗み、ナイフ2丁を持って上京。4人とも同じ中学校の同級生。


昭和37年(1962).6.8〔高3が警官に挑戦状〕
 山梨県西八代郡の高校3年生(17)はバイクの三人乗りなどで三度捕まったが一度しか出頭命令に応じず、「1対1で話をつけるから出てこい」という挑戦状を担当巡査(20)に送り付けた。若い警官を見くびっていると、警察は決闘罪で取り調べる。


昭和37年(1962).6.10〔39歳が幼女レイプ殺人〕※参考
 神奈川県川崎市のデパートで、運搬工(39)が母親の買い物中にひとりでいた女の子(4)を近くの空き家に連れ込んで、レイプしてから首を絞めた。それが原因で女の子は15日に肺炎で死亡。死刑が求刑されたが、横浜地裁は無期懲役判決。


昭和37年(1962).6.21〔高1が女子高生刺す〕
 東京都目黒区の路上で、高校1年生の女子(15)が胸を刺された。大声を上げたが犯人は人がこないのを確かめてから両腕を刺し、10日間のケガを負わせた。ほかの高校1年生の女子(15)が同じ場所で呼び出しを受けていた高校1年生(15)が逮捕された。学校で友人に見せられたヌード本に刺激され、女子高生のあとをつけて果物ナイフで夢中で刺したと自供。


昭和37年(1962).6.28〔父親が実家に帰った妻への面当て、2児殺す〕※参考
 埼玉県蕨市のアパート自室で、5.17に工員(23)がケンカして実家に帰った妻(20)への面当てに長男(2)と次男(7ヶ月)を絞殺、翌日帰ってきた妻と2人で埋めて引っ越したが、逮捕された。





昭和37年(1962).7.5〔小4が怪我を負わせたことを苦に自殺〕
 茨城県日立市の小学4年生(10)が首を吊って自殺した。当日、女子に軽い怪我をさせたことで、家でのしつけが厳しかったことから親に叱られると思い、自殺したもの。学級委員で成績も良い。


昭和37年(1962).7.17〔20歳ニートが授業中の女高生を射殺〕※参考
 富山県東砺波郡の県立高校で、無職(20)が猟銃2丁と弾帯を持って授業中の教室に押し入り、教師と生徒18人を黒板の前に整列させて、女子高生(18)に2発撃って殺害、逃走して橋から飛び降りて自殺する計画だったが下を覗いて怖くなって死ねず、橋の中央で銃を構えて追っ手と対峙したが、説得されてすぐに逮捕された。
 3月までこの高校に通っており、殺した女子高生に片思いしていたが相手にされていなかった。農家の6男で、国体で活躍するスキー選手だが、凶暴性があり学校でもたびたび暴力事件を起こし、卒業後はぶらぶらしていた。銃は近所の家から盗んだもの。富山地裁は懲役15年の判決。山奧の小さな村での事件。


昭和37年(1962).8.16〔19歳が主人を脅すピストル奪うため交番狙う〕
 東京都上野駅前の派出所の窓から深夜に飲食店店員(19)が侵入しようとしているところを巡査3人が見つけて取り押さえた。3日前に北海道から上京して働いていたが、伝票をなくして店主に叱られたためピストルで店主を脅そうと派出所を狙ったもの。


昭和37年(1962).8.19〔15歳が父親殺人〕
 福井県三方郡の農家で、長男(15)が父親(41)の頭をバットで滅多打ちにして殺害、逃走したが8.26に尊属傷害致死で逮捕された。父親が酒を飲んで母親(38)に殴る蹴るの暴行を加えていたのでカッとしたもの。


昭和37年(1962).8.20〔19歳がひき逃げ〕
 宮城県仙台市の路上で、工員(19)が酒に酔って無免許でトラックを運転し、通行中の男性(41)をひき殺し、1人に10日間の傷害を負わせて逮捕された。地裁は12.20に懲役10ヶ月以上1年6ヶ月以下の不定期刑判決。


昭和37年(1962).8.22〔中1が幼女を猥褻殺人〕
 岐阜県恵那郡の路上で、中学1年生(13)が通行中の女の子(8)を無理やり畑に連れ込んで首を絞めて殺害、レイプしようとしたが通行人の声がしたので逃走、捕まった。


昭和37年(1962).8.23〔女高生の痴漢被害、3人に2人 毎日新聞引用〕
 警視庁防犯部は、痴漢の実態を調べるため、女子高校生300人から無記名のアンケートを求めた。その結果、3人に2人もの被害を受けていながら、ほとんどの人が警察に届けていない。
 被害を受けたもの64%の192人。このうち2回以上61人、3回以上45人。痴漢のシーズンは夏(半数近く)、春、冬、秋の順。学校の行き帰りが最多。ねらわれた場所は朝夕の通学電車の中、次いで人通りの少ない路上。襲われたときの状況は「胸や腰にさわられた」「手を握られた」「抱きつかれた」「スカートをまくられた」など。ほとんどの人が「恐ろしくて声も出なかった」「困ってどうすることもできなかった」という。95.6%の人が「恥ずかしかった」などの理由で届け出ていない。
 犯人像は10代の学生が多く、ついで20代の会社員・工員。
(毎日新聞8・23夕刊)


昭和37年(1962).8.24〔15歳少女がテレビ・ドラマに影響されて偽の110番〕
 東京都大田区で、少女(15)が、「中学校で殺人事件」や「小学校で女の子が殺されている」といった嘘の事件を公衆電話から何度も110番し、逆探知によって捕まった。秩父宮邸にも掛けていた。テレビドラマの「ダイヤル110番」に影響されてのもの。


昭和37年(1962).8.25〔中2が小5を誘拐して泥棒教育〕
 東京都中野区住吉町の小学5年生(10)が25日から行方不明になり、9月2日に逃げ帰ってくるまでの間、足立区の中学2年生(14)に連れ回されていた事が分かった。
 中2は7.23に家出。現金を盗み回り、建築現場で寝泊りしていたが、子分が欲しくなり小5を「おごってやる」と騙して連れ出し、万引きや盗みの手伝いをさせていた。別の名前を付け、服も着替えさせ、髪を丸坊主し、ボクシングを教え、近所の子供に喧嘩をさせて強くさせようとしていた。盗みの失敗をすれば鉄棒で殴り、ナイフで傷つけるなど、小5の顔は腫れ上がり全身傷だらけだった。
 札付きの不良で、成績は最低。7月にも小学3年生を子分にして盗み回るなど2回補導。


昭和37年(1962).8.29〔中3ら2人が無差別射撃〕
 大阪府大阪市の自宅二階で、中学3年生(15)と同級生(15)の2人が路上を通行中の女性7人を空気銃で次々狙い撃ち、8.29に逮捕された。銃は3千5百円で通信販売で購入していた。主犯は両親とも教師で、学校の成績もよく、近所の人は「まさかあの子が」と驚く。


昭和37年(1962).8.31〔18歳が強盗殺人して自殺〕
 京都府京都市の教材販売業者宅で深夜二時、工員(18)が押し入り、経営者の妻(35)を包丁で刺殺、経営者(40)に重傷を負わせ、現金四万円を強奪して逃走、指名手配されたが、9.6に門司市で列車に飛び込み自殺した。中卒後にこの業者に勤めていたが去年の七月に退職していた。両親も揃った堅実な家庭で、非行歴はなく、おとなしい性格。オートバイが欲しいとしきりに云っていたので、その金欲しさと見られている。





昭和37年(1962).9.1〔19歳女が病気の妹を殺害〕
 宮城県玉造郡の自宅で六女(13)が四女(19)に殺害され、四女はダムに飛び込んで自殺した。六女は頭の病気で中学校に行けず、不敏に思ってマフラーで首を絞めたもの。


昭和37年(1962).9.3〔中3が通り魔と主婦殺人〕
 愛知県名古屋市の路上で、中学3年生(14)が女店員(21)を刺して逃走した。9.8には民家に押し入り、主婦(21)の下腹部を傘の柄で刺して殺害し、逮捕された。少女に対する猥褻事件も繰り返していた。孤独でおとなしい性格。


昭和37年(1962).9.4〔17歳が授業中の中2女子を誘い出し誘拐〕
 栃木県宇都宮市の中学校で、「母親が交通事故に遭って右足切断の重体」という電話が掛かり授業中の2年生女子(13)が誘い出されて車で誘拐された。3時間後にガソリンスタンドで助けを求めて保護され、運転していた店員(17)は逃走したがすぐに捕まった。
 北海道空知郡出身で、千葉県少年院を6.20に出て、青果店で勤めていたが2日にライトバンとフトンを盗んで逃げていた。拾ったノートから少女の住所と名前を知り、誘拐して仙台で売り飛ばそうと計画したもの。


昭和37年(1962).9.5〔18歳が偽の誘拐電話で10万円を詐取〕
 東京都港区麻布の会社社長(46)宅に、無職(18)が「娘(13)をあずかっている。10万円持ってこい」という誘拐電話を掛け、母親(40)から指定場所で金を受け取り、手紙を渡して逃走。手紙には「学校に電話せよ」とあったので掛けてみると、娘は誘拐などされていなかった。
 3年前に高知から上京し、被害者の会社の下請けに勤めていたが、兄のアパートからオーバーなど5点を盗んで1日に家出していた。せしめた金でアパートを借り、家財道具を買い揃えていたが、指紋などから7日に捕まった。この年の大卒初任給 17,815円。


昭和37年(1962).9.5〔高校生が乱闘〕
 東京都渋谷区の代々木上原駅で夜九時、無職(18)が「娘(13)をあずかっている。10万円持ってこい」という誘拐電話を掛け、母親(40)から指定場所で金を受け取り、手紙を渡して逃走。手紙には「学校に電話せよ」とあったので掛けてみると、娘は誘拐などされていなかった。


昭和37年(1962).9.7〔小4が遊びで首つり自殺〕
 大阪府大阪市で、小学4年生(10)が首つり自殺した。材木置き場で友だち七人と「お化けごっこ」をしていたが、縄を拾って「首をつるんや」と云い出した。死んでしまうと留めても、「かまへん、よう見とけ。ぼくが死ぬんや」と1.8メートルの高さの板の端に縄を掛けた。みんなは気持ち悪くなって帰宅したが、しばらくして死んでいるのが発見されたもの。
※セリフは朝日新聞大阪本社版引用。


昭和37年(1962).9.15〔19歳がケンカして父親殺害〕
 秋田県の林の中で、三男(19)が父親を殺害した。日頃から仲が悪く、ケンカして絞殺したもの。家族が警察に捜索願を出したが、三男も何食わぬ顔で捜索に加わり、発見者となって死体を家まで運んでいた。


昭和37年(1962).9.16〔中3がレイプ殺人〕
 東京都港区の民家で深夜3時、中学3年生(15)が強盗に入り主婦(41)をレイプしようとしたが抵抗されたため台所の庖丁で刺し殺して逃走、逮捕された。ほかにも民家に忍び込んで人妻の下着を刃物で切ったり窃盗などの犯行を数10件繰り返していた。学校にはほとんど行っていなかった。


昭和37年(1962).9.17〔小6が殺人未遂〕
 東京都八丈島で、小学6年生(12)が男の子(6)の頭を五キロの石で殴り、藤蔦で首を絞め窒息させ二ヶ月の重傷を負わせ補導された。父親が数年前に家出、叔父に養われていたが放任され、窃盗で北多摩郡の救護院に入れられたが脱走して島に舞い戻り、男の子を配下にして盗みをさせようとしたが云うことをきかないのでカッとしたもの。


昭和37年(1962).9.19〔28歳ニートが働けと云われて父親殺害〕※参考
 茨城県鹿島郡の農家で、長男(28)が父親(49)を包丁で刺殺、留めようとした妹(17)の腹を刺して重傷として自首した。父親から働けと叱られてカッとしたもの。


昭和37年(1962).9.20〔16歳が父親刺殺〕
 千葉県松戸市の飲み屋で、次男(16)が父親(41)の胸と両足を包丁で刺して殺害、逮捕された。この店の店員で、客として来た父が酔って帰ろうとしないので注意したが、「親に向かって反抗するのか」と叱ったことからカッとしたもの。


昭和37年(1962).9.26〔16歳運転手助手が相棒を撲殺〕
 東京都新宿区で、運転助手(16)が運転手(19)を殺害した。静岡県富士宮市の木材会社勤務で、助手は「自分より2ヶ月あとに入社してきたくせにいばる」と運転手を憎んでおり、この日も居眠りして殴られ、駐車中のトラックで被害者が仮眠をしているところを鉄製クリップ回しで頭を殴ったもの。


昭和37年(1962).9.29〔15歳が父親をマサカリで惨殺〕
 秋田県大館市の自宅で、日雇い人夫(15)が父親(43)を殺害した。父親は日頃から酒乱で、この日も暴れたため、カッとしてマサカリで頭をめった打ちにしたもの。おとなしい性格だった。


昭和37年(1962).9.30〔3歳女子が赤ちゃんにアメ玉あげて窒息死させる〕
 北海道根室市の自宅で、長女(3)が次男(生後一ヶ月)の口にアメ玉を入れ、喉につかえて病院に収容されたが死亡した。母親が炊事場に行っている隙の出来事。


昭和37年(1962).9.〔義務教育ストップして就労さす 青少年非行・犯罪史資料引用〕
 東京・世田谷の中学校で、3年生の男子3人(いずれも14)に「校風を乱し他の生徒の妨げになる」と卒業証書だけは渡す約束で就職させていたことが明るみに。3人の生徒は9月始め同級生の一部から、30円から50円をかき集めた。このことを知った学校では、持てあまし気味だったこの3人を担任教師、教頭、校長が協議の末、保護者を呼んで卒業証書だけは渡すとの条件で、早期就職をさせた。同区教委では「どんな非行があっても、学校が独断で義務教育を放棄させるような措置をとることは許されない。憲法違反だ」と調査に乗り出した。
(青少年非行・犯罪史資料 刊々堂出版社 318P)


昭和37年(1962).10.1〔飛び出しナイフ所持禁止 青少年非行・犯罪史資料引用〕
 銃砲刀剣類等所持取締法が改正され、10月1日から施行される。おもな改正点は、(1)飛び出しナイフの所持全面的に禁止。(2)刃物類は刃渡り6センチ以上は正当な理由なく持ち歩きできない。(3)猟銃や空気銃は所持できる基準年齢が14歳以上から18歳以上に引き上げ。(4)猟銃や空気銃はこれまで買ってから許可をとる建前だったが、許可証をもらわなければ買えなくなった、など。「刃物を持たない運動」を明文化したもの。
(青少年非行・犯罪史資料 刊々堂出版社 311P)


昭和37年(1962).10.8〔19歳少女が会社で飛び降り自殺〕
 東京都千代田区大手町の安田火災海上ビルで、同社のOL(19)が6階から飛び降り自殺をした。キーパンチャーの職業病の軽い腱鞘炎があり、仕事に疲れ発作的に自殺したものと見られている。


昭和37年(1962).10.10〔16歳が赤ん坊を人質に強盗〕
 神奈川県川崎市末広町の会社員(45)宅に、住所不定無職(16)が「水を飲ませてくれ」と上がり込んで台所から出刃包丁を持ち出し、里帰りをしていた長女(25)の子供(8ヶ月)に突きつけ、3千円を脅し取って縛って逃走、13日に捕まった。


昭和37年(1962).10.12〔19歳アルバイトが雇われ先の事務員を刺殺〕
 東京都の東京駅構内レストランで、アルバイトのボーイ(19)が事務係(22)を刺殺、すぐに捕まった。旧友が訪ねてきたため、休ませて欲しいと電話。すると被害者と事務主任のやり取りの中で少年への悪口が聞こえたため、背広の袖に肉切り包丁を隠して店に出向いた。言い争っているうちに被害者が少年の顔を殴りつけたため、刺したもの。


昭和37年(1962).10.17〔高1が女性標的の連続通り魔〕
 東京都大田区で、都立高校1年生(16)が帰宅途中の女性ばかりを狙う通り魔を繰り返し捕まった。生体解剖用の針を竹棒につけ、背後から自転車に乗って追い越しざまに刺し、1週間の怪我を負わせていた。「捕まってはいけないからもう止めようと思っても、次の日になるとまたやりたくなる」と自供。10件の犯行を認めた。


昭和37年(1962).10.19〔中1ら2人が小4を脅迫〕
 東京都千代田区紀尾井町の公園で、中学1年生の2人(13,14)が小学4年生(9)を人質に「持ってこなかったら殴るぞ」と脅して同級生(10)に家から300円を持ってこさせて逃走、翌日捕まった。
 中1らは新宿のデパートで高校生風に脅され、自分たちも真似したくなり、犯行に及んだもの。最初、小4らから自転車を脅し取ろうとしたが断られたため、金を盗ることにした。


昭和37年(1962).10.23〔大胆な少女雑誌 読売新聞引用〕
 「妹の読んでいる『少女』という雑誌の付録をのぞいてみたら驚いてしまった。この少女雑誌は小学校5、6年生から、中学1、2年生を対象とするものだが、付録は“あなただったらどうする? クラスの男の子"というテーマ。小学5、6年生の男の子が、写真入りで“女の子のお友だち募集中"といったものから“男の子の反応テスト"“相性テスト"“男の子についての悩みごと回答"。いま東京で流行しているという下品な占い、など低俗な記事ばかり。まったくあきれてしまった。これではいたずらに少女たちの好奇心をそそり、不良化を助長するようなものではなかろうか」。=東京・台東区、一女高生の投書。
 この問題の『少女』に対し、都教育庁指導部長らは「全く低俗な内容で驚くほかはない。どこに指導性があるのか常識を疑いたくなる。大事な問題はこのような扇情的、刺激的な取り上げ方をしてよいものかどうか。十分反省してもらいたい。下品な表現、言葉づかいも多く、不潔さがいっぱいだ」とこの「子供向けエロ本」に手きびしい。
 一方、『少女』の編集長は「これまでの読者からの投書をみると、男の子に関する悩みが非常に多く、いわばその相談相手になろうという意図から、この付録は生まれた。アンケートをとったり、実態調査をするなど、子どもたちの本当の姿をつかむことに努力した。その実態はもっと生々しく、もっと驚くべき面もあり、さらに生理的問題など手におえない事柄まででてきた。その中であまりにも刺激的なことは捨て、いちばんこの年齢の少女に共通するものばかりを取り上げた」と、おとなたちの頭の古さを強調。この次には生理問題も載せた“お母さんにも先生にもいえない悩み解決"を特集するという。
(読売新聞10・23夕刊)


昭和37年(1962).10.26〔高3ら自動車窃盗団4人組が1000万円相当の窃盗と轢逃げ〕
 東京都大田区の高校3年生(18)2人と少年(17)2人の自動車窃盗団4人が、昨年6月から関東一円で小型自動車29台、バイク15台、1000万円相当を盗んで捕まった。盗んで乗り回し、楽しんだ後、神奈川県の相模湖や埼玉県の狭山湖に捨てたり、スクラップとして売り飛ばしていた。「湖に投げ込んだのは犯行をくらませるため。投げ込んだ時の水音が痛快だった」と自供。東京都内では2回も引き逃げをしていた。この年の大卒初任給 17,815円。





昭和37年(1962).11.1〔校則違反の生徒から罰金とる高校〕
 長野県で校則違反の生徒から罰金とる高校。


昭和37年(1962).11.3〔高3がライフル銃で殴って死亡させる〕
 神奈川県川崎市の法政二高で、3年生(18)が朝鮮高校1年生(17)の頭をエアライフル銃の台尻で殴り、11.5に死亡させた。傷害致死で任意取調べ。
 文化祭中で、見学に来ていた朝鮮高校生が因縁を付けてきたので、カッとして射撃部の展示品であるライフルで殴ったと自供。元射撃部員だった。


昭和37年(1962).11.9〔17歳女子が4歳女児を連れ出し、置き去りに〕
 東京都江東区深川で、運転手方の二女(4)が連れ去られ行方不明になった。女児は11日、千葉県柏市の公園で泥まみれになって発見され、2月まで近所のバーに勤めていた少女(17)が捕まった。茨城県の男友達の所へ行く途中に、女児が「おばちゃん、おばちゃん」と言ってついて来たので、退屈しのぎに連れて行ったもの。
 少女は茨城県水戸市出身。父親は戦死し、母親は女工をしていた。中学校を2年で退学。家出をしてあちこちを転々とし、いろいろな男と付き合っていた。補導歴あり。


昭和37年(1962).11.11〔小6女子4人組が教師の誕生日祝いに百点万引き〕
 神奈川県川崎市で、小学6年生女子(11)4人が担任教師の誕生日祝いにとデパートからハンカチ、靴下など学用品や日用品百点、5千円相当を万引きした。えこひいきする教師の気を引こうとしたもの。全員が中流家庭。この年の大卒初任給 17,815円。


昭和37年(1962).11.11〔19歳2人組が職員の給料120万円を持ち逃げ〕
 埼玉県川口市の保健所職員の給料120万円が銀行からおろされ、持ち逃げされた。犯人は同保健所の会計係(19)と芝浦工大1年生(19)の2人。翌年1月6日に捕まった。6万円を大学の授業料に使い、残りは庭に埋めて2人で事業を興すつもりだった。この年の大卒初任給 17,815円。


昭和37年(1962).11.15〔19歳が父親殺害〕
 秋田県仙北郡で、三男(19)が父親(62)を紐で絞殺、死体を四百メートル離れた雪の下に隠したが、11.21に死体が発見され、11.26に逮捕された。素知らぬ顔で捜索隊に加わり、死体を発見して自宅まで運んでいた。


昭和37年(1962).11.22〔高2が祖母殺害〕
 三重県南牟婁郡の自宅で、高校2年生(17)が祖母(54)に殴る蹴るの暴行を加えて、肋骨骨折とくも膜下出血で殺害した。精神衰弱で4月から休学して自宅療養をしていたが、翌日精神病院に入院することになり、祖母の頑迷のせいで病気になったと思い込んで恨んでいた。アマチュア無線など機械いじりが好きで、ラジオの音楽を録音しようとしていたテープレコーダーに殺害の様子が録音されていた。精神分裂症による心神喪失だとして不処分。





昭和37年(1962).12.2〔15歳ら愚連隊6人組が恐喝〕
 東京都新宿区のジャズ喫茶のボーイ(18)が2日に包丁で脅され19000円を盗られ、翌日にはバーテン(21)が8750円を脅し盗られ、テキヤ飯島連合(15〜17)6人が9日に捕まった。ボールペンやヨーヨーの立ち売りをしていたが、11月から施行された愚連隊防止条例で商売ができなくなり、このジャズ喫茶のボーイに。しかし仲間をただで店内に入れたことでクビになり、金に困ったもの。


昭和37年(1962).12.5〔中1ら3人が泥棒をしながら小屋で暮す〕
 東京都世田谷区の空地に小屋を作って住み、食料品、服、ウィスキーなど盗んで生活していた中学2年生(14)2人と、中学1年生(13)が補導された。3人の家庭は中流だったが、成績は悪く、そのことを親に注意されたためにくさり、11.10に家出していた。


昭和37年(1962).12.5〔中3ら3人が恐喝リンチ〕
 兵庫県尼崎市の中学校で、3年生(15)3人が恐喝容疑で身柄不拘束のまま取り調べ。昨年6月から女生徒11人を20回に渡って脅して合計1万5千円を盗り、金を出すことを拒否した8人に殴る蹴るの暴行を働いていたもの。手に負えないので学校が警察に補導を依頼した。この年の大卒初任給17,815円。


昭和37年(1962).12.6〔18歳が接着剤遊びからタクシー運転手殺害〕
 青森県青森市で、深夜3時に大工見習い(18)がタクシー運転手(38)を刺殺した。少年少女4人でスナックで酒を呑んでモーテルで接着剤遊びをした帰りで、酩酊して道を指示できず口論となり、ナイフで10回以上めった刺しにしたもの。


昭和37年(1962).12.6〔中3が学校で刺傷〕
 青森県三戸郡の中学校で、3年生(14)が別のクラスの3年生(14)を登山ナイフで刺して10日間の傷害を負わせた。被害者に注意を受けたことがあり、また友人(14)が相撲で負けて殴られたため、仕返ししたもの。両親とも小学校教師で父親は教頭。深夜まで受験勉強を続けていた。


昭和37年(1962).12.9〔31歳が連続尻切り魔〕※参考
 茨城県日立市で、会社員(31)が昭和35年12.2に日立駅で女性(21)のオーバーの腰部分をカミソリで切ってから翌年までに女性30数人のスカートなどを切っていた連続尻切り魔だと自供した。妻子があり真面目で評判だったが、昭和35年にカメラを盗まれて「被害者の気持ちがどんなものだか思い知らせてやる」と無差別に襲ったもの。11.25にハンドパックを盗もうとして逮捕され、取り調べを受けていたもの。


昭和37年(1962).12.10〔35歳が幼女を殺害して裸にする 淳子ちゃん殺し〕※参考
 栃木県矢板市で深夜、自動車運転手(35)が民家に侵入し、就寝中の小学2年生の女の子(8)を絞殺、死体を5百メートル離れた林まで運んで裸にしてから遺棄、3日後に発見された。昭和38年4.14、塩谷郡で少女(14)を誘拐して車内で絞殺してからレイプ、こえだめに死体を放り込んだ。5.31に自供。昭和30年2月に恋人だったバスガール(17)を殺害して懲役8年となって昭和34年10月に仮出所していた。宇都宮地裁は死刑判決。


昭和37年(1962).12.17〔中学教師が強盗殺人〕※参考
 東京都北多摩郡で、中学教師(29)が老女(73)を絞殺、現金八百万円を強奪して逃走、京都や大阪のバーやキャバレーで豪遊してから妻と子どもを呼び出して船橋ヘルスセンターで遊び、12.31に警察に電話して逮捕された。校費を使い込んで訓告処分を受け、給料から引かれて返済していたため知人宅に借金を頼みに訪れ、ひとりで留守番をしていた知人の母親を襲ったもの。


昭和37年(1962).12.23〔21歳がただ殺したくなって通り魔殺人〕※参考
 埼玉県飯能市で、土木作業員(21)が料理屋女将(52)を殺害、翌年2.12に逮捕された。酔って工事現場の所沢から東京世田谷区の飯場に戻ろうとしたが間違えて飯能行きの列車に乗り、終点駅側でたまたま通りかかった女性にいたずらしようと襲い掛かったが抵抗されて急に殺したくなり、腹を蹴って意識を失わせてから神社まで運び、全裸にして腹を蹴って、いたずらはしないままに腕時計と下着を強奪して逃走したもの。
 新潟県十日町市の中学を二年で中退してぶらぶらして、17歳の時に女性の下着を盗んで少年院に入っており、飯場の部屋には盗んだ下着四十点があった。取り調べにはニヤニヤ笑って「ただ殺したくなったからやった」と自供。日頃はおとなしいが、すぐにカッとする性格。


昭和37年(1962).12.24〔中学教師が教え子と心中〕
 長崎県高来郡の雲仙登山口で、群馬県富岡市の中学教師(33)が教え子の三年生女子(15)と服毒自殺した。二ヶ月前から親しくなり12.15に家出、女子の父親から誘拐罪で告発されていた。妻とふたりの子供がいる。


昭和37年(1962).12.28〔17歳が車盗んで酔っぱらい運転轢逃げ〕
 兵庫県神戸市の三宮駅前で、製材工(17)がタクシー盗んで暴走、7人をはねて自動車6台にぶつけながらパトカー3台とカーチェイス、警官がタイヤを撃ち抜いて逮捕。泥酔していた。


昭和37年(1962).12.〔中2非行少年の“タライ回し"問題〕
 大阪府大阪市近隣の中学校で、非行少年の“タライ回し"が問題になっている。12月に他校の中学2年生(14)ら3人が殴り込みをして4人に怪我をさせた事件があったが、殴り込みをした生徒は元は殴り込みをされた学校の生徒。喧嘩が茶飯事の粗暴な生徒であったため、校長とPTA役員が強要して転校させていた。被害を被った学校では「非行少年を邪魔者扱いするのは教育者のとるべき態度ではない」と言えば、転校させた学校では「件の少年はそんなに悪い生徒ではない」と責任も“タライ回し"。



※タイトルと本文が同じ短いデータはすべて「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。※



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※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。




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『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
 9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代




少年犯罪データベース

13歳以下の犯罪

異常犯罪

戦前の少年犯罪


少年犯罪統計データ

少年の殺人統計グラフ

少年のレイプ統計グラフ

親殺し統計グラフ


子どもの犯罪被害データーベース



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主要参考文献

〔年表〕子どもの事件 1945-1989

戦前の少年犯罪

戦後死刑囚列伝

新聞集成昭和史の証言

新聞集成昭和編年史

日本の精神鑑定

日本長期統計総覧

年表 昭和の事件・事故史

昭和史全記録 1926〜1989

値段史年表 明治・大正・昭和

事件・犯罪大事典 明治・大正・昭和

20世紀にっぽん殺人事典

青少年非行・犯罪史資料1-3

教育事件・論争史資料

朝日新聞縮刷版

読売新聞縮刷版

毎日新聞縮刷版

警察白書

犯罪白書





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少年犯罪データベースが参考文献として掲載されています。



少年犯罪データベースのデータが引用されています。